第六十八話 回想:夢想
七年前の七月、小学四年生の結羽は同級生で親友の由紀の家族と一緒に海に来ていた。入学してから胡蝶蘭家と藤見家は仲が良く、結羽の両親が忙しい時は、藤見家で面倒を見ていたほどだった。海に来た理由も、忙しい結羽の両親に代わって、一緒に行こうと誘ってくれたのだ。
そして結羽と由紀は海の浅瀬の方で少し泳いだり、水のかけ合いをしたりして遊んでいた。二人で遊んで二、三十分くらい経った頃、穏やかだったはずの波がいつの間にか荒れていて、気づいた時には沖に流されていたのだ。何とか砂浜の方に泳いで戻ろうとしたが、子どもの力では敵うはずもなく、簡単に押し戻されてしまう。
砂浜の方には、結羽と由紀が流されたことに気づいた大人達が集まっていて、何かを叫んでいる。だが、波の音がうるさくて、何を言っているかは聞き取れないし、それを想像する余裕も二人には無かった。
その時、誰かがロープを括りつけた浮き輪を私達に向かって投げてくれた。この浮き輪に掴まれば、後は大人達がそのまま引っ張って助けてくれるはずだ。そこで、結羽と由紀は浮き輪に手を伸ばす。これで助かるんだ。
そんな思いを嘲笑うかのように、背後から巨大な波が襲いかかってきて、たちまち二人を飲み込んだ。完全に波に飲み込まれる前に、結羽は浮き輪にしがみついていたから何とか流されずに済んだ。だが、近くにいたはずの由紀の姿はどこにもいない。
「……由紀? どこにいるの、ゆきーーーーー!!」
結羽は周囲を見回して必死に叫ぶが、応えてはくれない。そして結羽は大人達には引き上げられて助かったが、由紀は翌日、さらに離れた場所で遺体となって発見された。
由紀が亡くなった数日後、小学校のクラスメイト達が集まってお別れの会が開かれた。ほとんどの生徒が涙を流して由紀との別れを悲しんだ。涙を流していなかったのは、そのうちの二人だけ。一人は、怜治だ。彼は花に囲まれた由紀の遺影を真っ直ぐに見つめたまま微動だにしない。その瞳から感情は抜け落ちている。もう一人は結羽だ。会場の隅で由紀の遺影や悲しんでいる生徒達を離れた場所から見て、やがて目を伏せた。その瞳には自責の念に染まっていた。
夏休みが終わり、始業式が始まる日、由紀が亡くなってからずっと沈んだ様子の結羽を気遣って、母のアイビーはそっと声をかけた。
「……学校に行きたくなかったら、休んでもいいのよ?」
母の言葉に結羽は首を横に振る。
「……ううん、大丈夫。じゃあ、行ってくるね」
結羽は何とか笑顔を作ると、ランドセルを背負って小学校に向かった。
学校に着くと、教室は由紀が死ぬ前とほぼ変わらない雰囲気で、結羽はほっとした。クラスメイト達も結羽が来るといつものように挨拶をしてくれる。これで心にぽっかりと空いた穴もいつの日か埋まって、平穏な日々がずっと続くのだと思っていた。
そんな夢想はすぐに、あり得ないことだと容易く破壊された。