第六十五話 悪寒
それから一週間ほど経った金曜日、学校は明日から夏休みに入る。終業式の帰り道、結羽達が雑談をしながら歩いていると、背後から声をかけられた。
「―――もしかして、胡蝶蘭さんですか?」
聞いたことがないはずなのに、聞き覚えのある声だ。穏やかで丁寧な口調なのに、どこか冷たい響きを持つその声に、結羽はぞわりと悪寒が走った。みんながすぐに振り返る中、結羽は一瞬遅れてゆっくりと振り返った。一呼吸分、息が止まる。
そこには五人の男女がいた。着ている制服から、ここから一キロほど離れた場所にある、隣町の高校の生徒だということが分かる。結羽に声をかけたのは、真ん中にいる赤みがかかった茶髪の男子生徒。振り向いた結羽の顔を見て、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「お久しぶりですね。元気そうで何よりです」
そこで彼は拓士達の視線に気づき、拓士達ににこりと笑いかける。
「失礼いたしました。僕の名前は水仙怜治。胡蝶蘭さんとは同じ小学校に通っていたのです。まさかこんな場所でお会いできるとは」
そう言って怜治は再び結羽に視線を戻す。
「急に転校したので心配していたのですが、杞憂だったようですね。それでは、失礼します」
怜治は結羽達に一礼すると、他の生徒達とその場から去っていった。拓士達も怜治を特に気に留めることもなく、歩き出す。結羽も何事もなかったように歩き出す。だが、その体は微かに震えていた。
それから数分後、結羽は拓士達と別れて自宅に帰ってきた。相変わらず体の震えが止まらない。どうして六年経った今、しかもこの時期に怜治は自分の目の前に現れたのか。
―――どうしてあなただけ助かったのですか。どうして彼女が死ななきゃいけなかったのですか!
いつの日か言われた、怒りと哀しみの入り混じった言葉が、結羽の心を抉った。それを心の隅に追いやろうとしながら、自宅の中に入る。玄関でローファーを脱ぎ、廊下を歩いてひとまずリビングに向かう。
リビングに入ろうとした瞬間、結羽は持っていたカバンを落とした。結羽の瞳は凍り付いたように一点に集中している。その視線の先には、怜治がいた。怜治は結羽を見て、にこりと笑いかけた。
「お帰りなさい。待っていましたよ」
感情の読めない声に恐怖しながら、結羽は呟く。
「……どうして、ここに……」
「ずっと調べていたんです。あなたがどこに引っ越したのか。僕でさえ、見つけるのにここまで時間がかかってしまいました」
張り付いた笑みが怖くて思わず後ずさりをすると、何かにぶつかる。壁ではない。その直後、後ろから結羽の口元に布が当てられると、結羽は急激に意識が遠のく。膝から崩れ落ちるが、重くなる瞼を懸命に開けようとする。
そんな結羽を見下ろす怜治は、張り付いた笑みをさらに深くして言った。
「さあ、あの時の続きをしましょう」
そんな言葉を聞きながら、結羽の意識は途切れた。
登場人物の花言葉
水仙:「うぬぼれ」「自己愛」「報われない恋」