第五十四話 余計なお世話
休日になり、結羽は颯と飛鳥の住んでいるアパートの一室に向かっていた。夕顔に託されたというのもあるが、それ以上に飛鳥のことが心配だった。あの日からずっと姿を見せていない飛鳥。自分の力では救えないという現実を突きつけられ、目の前で大切な人が消滅した。それがどれほど辛いことなのか、結羽は痛いほど分かっていた。
アパートの前まで着いて、結羽は足を止めた。彼女の視線の先には、飛鳥がいた。結羽を睥睨する飛鳥の手には、短刀が握られている。
「……どうしてここに来たんですか?」
飛鳥の声は氷のように冷たく、感情は読み取れない。
「飛鳥ちゃんのことが、心配だったからだよ」
「余計なお世話です。早く帰ってください」
結羽の言葉はすぐに切り捨てられた。だが、そう簡単には諦められない。
「でも、放っておけないよ」
結羽は少しずつ飛鳥に歩み寄っていく。ここで自分が帰ったら、彼女が消えてしまいそうな気がするのだ。そんなことは、絶対に嫌だ。
近づいてくる結羽を、飛鳥は怒りと恐れの混じった表情で見ながら、その場に立っている。やがて結羽は、飛鳥に手が触れないぎりぎりのところまで来る。すると、飛鳥は怒りと哀しみに震える声を吐きだした。
「……貴女が。貴女がわたくし達に会わなければ、お父様が消滅せずに、済んだかもしれないのにっ……!」
結羽がはっとした瞬間、飛鳥は持っていた短刀の刃を結羽の方に向けると、そのまま結羽に飛び込んだ。肉を刺す感触が、飛鳥の腕に伝わってくる。それがどういう意味か分かった飛鳥は、途端に怖くなり、怯えた表情で近くにある結羽の顔を見上げた。
「どうして……」
自分は普段、影闘士の時は弓矢を使って闘っている。短刀など、今まで一度も使ったことがないもので、不慣れだ。だから、簡単に避けられると。避けてくれると思っていたのに。
そんな思いを察した結羽は、飛鳥に微笑む。
「受け止めないとって思ったの。飛鳥ちゃんの怒りも。悲しみも。辛さも全部」
避けるだけなら簡単に出来るだろう。だが、ここで避けてしまえば、彼女の気持ちや思いまで見捨てることになってしまう気がした。だから、避けなかった。
結羽は短刀をそっと引き抜くと、それにこびりついた赤いものをハンカチで拭い、飛鳥に返す。飛鳥はびくりと体を強張らせながらも、奪うように受け取る。結羽の腹部が赤く濡れているのが飛鳥に見えた。
先程まで体に刺さっていた武器をわざわざ返すなんて、彼女は何を考えているのだろう。飛鳥は後ずさって距離を取りながら、結羽を警戒しながら見つめる。だが、彼女からは悪意や敵意のような負の感情を見出すことは出来ない。
やがて、結羽はふらりとその場から立ち去ろうと歩き出す。それを見た飛鳥は驚き、慌てて声をかけた。
「わ、わたくしがこんなことをしたのに、何もしないで帰るのですか?」
そう言って飛鳥はすぐに後悔する。どうしてそんなことを聞いたのだ。そうすれば、彼女はそのまま帰ってくれたかもしれないのに。それとも、このことを兄や他の影闘士に言うつもりなのだろうか。その可能性が浮かび、飛鳥は顔を青くする。
すると、結羽が飛鳥の方を振り向く。驚いて硬直する飛鳥に結羽は口元に人差し指を軽く当てて、微笑した。そして何事もなかったようにすぐにその場から去っていった。
飛鳥は結羽の後ろ姿を、ただ呆然と見つめることしか出来なかった。