第二十二話 苗字じゃなくて
軽く朝食を食べた後も、結羽は外に出る気になれなかった。何気なく包帯を巻かれた左腕を見ると、また涙が滲んできた。自分はいつからこんなに涙もろくなったのだろう。
その時、インターホンのチャイムの音が響いた。未來だろうか。結羽は涙を拭うと、自室から出て、廊下を小走りで進み、玄関のドアを開けた。そこには結羽の予想に反して、いたのは拓士だった。彼が訪ねてくるのは初めてだと思う。
「おはよう。どうぞ上がって?」
結羽は少し驚きつつも、拓士を家に入るように促す。拓士は頷いて素直に家に入る。彼を広間に通し、飲み物を出そうとするが、「すぐに帰るから」と断られた。
結羽が拓士の正面にあるソファに座ると、拓士は結羽の包帯が巻かれた腕を見る。
「腕は大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
心美に手当てしてもらい、痛みは全く感じない。
「そうか」
少しほっとした様子の拓士は、今までの人を拒絶するような雰囲気は薄れ、穏やかさが漂っている。それで結羽は思わず口に出していた
「私ね。夢の中で、一希とお別れしたんだ」
言った後に結羽は、はっとした。何を言っているんだ私は。拓士にとってどうでもいいことなのに。
「ごめん、今言ったことは……」
「知ってる」
忘れて、と言おうとした時、拓士はそれを遮るように言った。
「え?」
困惑する結羽に、拓士は続ける。
「その様子を、俺も夢で見ていたんだ」
そこで結羽は分かった。一希が言っていた「あの人」とは、拓士を指していたのだ。そして、拓士は照れ臭そうに結羽から視線を逸らす。
「……今なら分かるんだ。お前があいつと一緒にいてイラついたのは……多分、俺はあいつに嫉妬していたんだ」
拓士の言葉に、結羽も何故か恥ずかしくなって、少し頬を赤くした。
「そっか……」
やがて拓士は結羽に視線を戻すと、真面目な表情になる。
「あいつには及ばないと思うけど、これからは未來と佳奈だけじゃなく、俺もお前を支えたい。だから……」
拓士は一旦言葉を切ると、微笑して言った。
「俺のことも苗字じゃなくて、名前で呼んでくれ。俺もお前のことを名前で呼ぶから」
―――苗字じゃなくて名前で呼べよ。俺もお前の事を名前で呼ぶからさ
同じだ。一希と同じことを言ってくれる人がいた。
結羽は少し潤んだ瞳で、微笑んだ。
「うん……!」