第二十話 魂の抵抗
少し掠れた声で呼ばれた拓士は、結羽をそっと地面に下ろして、闇鬼に向き直る。
先程見た時とはだいぶ違う。右目は真っ黒に染まり、その体からは暗い魔力を感じる。
まるで、何かに取り憑かれているみたいだ。
拓士の目から、それを読み取った闇鬼は嘲笑を浮かべて言った。
「……同じ説明を二度するつもりは無い。後でその女から聞くが良い。あの世でな」
闇鬼は包丁を構え、拓士と結羽に斬りかかる。拓士は結羽を抱きかかえてその場から飛び退くと、結羽を離れた場所に降ろす。結羽は今にも泣きそうな顔をしていて、とても闘える状態じゃない。
拓士は大剣を召喚すると、一瞬で闇鬼との間を詰めて、大剣を振り下ろす。闇鬼はそれを包丁で軽々と受け止める。闇鬼の持っている包丁からも暗い魔力が漂っていて、強化されていることが分かった。
一旦拓士から離れると、闇鬼は包丁を拓士に振り下ろす。受け止めたそれは、到底包丁とは思えないほど、異様な重さを感じる。繰り返される剣戟に、拓士は徐々に疲弊していった。
少しずつ押され始めている拓士の姿を、結羽は遠くで見ていた。
立ち上がって、闘わなければ。それは分かっているはずなのに、立ち上がれない。
あれは一希ではない。倒すべき敵だ。なのに、立ち上がろうとする度に中学生の時の一希が脳裏に浮かび、闘う気力を削いでいく。ああ、なんて自分は情けないのだろう。
ずっと続いていた剣戟だったが、闇鬼が力いっぱいに振り上げた包丁が、拓士の大剣を弾き飛ばした。
「まずはお前だ!」
「薊君!」
振り下ろされる包丁に、結羽は叫び声を上げる。
だが、寸でのところで闇鬼の動きが止まった。
闇鬼は一瞬驚くが、すぐに恨めしげな声を発する。
「紫苑一希……!」
拓士と結羽は、はっとする。闇鬼と重なるように、同じ姿の少年が闇鬼の動きを止めているのが見えた。本物の紫苑一希の魂だ。
一希の魂は、口を動かして拓士に何かを言っている。
こいつを、たおしてくれ。
拓士は後ろにいる結羽を見た。座り込んでいる結羽は、小さく頷いた。その瞳からはもう、迷いは消えていた。
拓士は闇鬼との距離を一気に詰めて、闇鬼の体を大剣で貫いた。
闇鬼は絶叫しながら消滅した。
一希の魂もそれと同時に、微笑みながら消滅していった。
影世界から元の場所に戻り、結羽は空を見上げていた。その瞳からは雫が零れ、頬を伝っている。
「……一希、ごめんね。そして、ありがと……」
悲しげに微笑している彼女を見て拓士は、儚くも美しいと感じてしまった。しばらく見とれていた拓士だったが、すぐにはっとして、結羽に声をかけた。
「胡蝶蘭。お前、腕を怪我してただろ。早く心美さんのところに行って治療してもらえ」
「うん、そうだった。ありがとう、また明日ね!」
結羽は涙を拭うと、拓士に手を振りながら駆けて行った。
結羽がいなくなった後、拓士は己の手を見つめる。
「……俺もそろそろ覚悟を決めないとな」
その言葉は誰に聞かれることもなく、風にさらわれて消えた。