第百二十八話 帰ろう
スターチスの体から飛び出してきた影鬼を、拓士が白銀の刃で真っ二つにする。
「こんなでかいものを抱えていたのかよ……。これじゃあ、頭がおかしくなるのも当然だな」
拓士はそう呟いて、大剣を軽く振り払う。その刃は役目を終えたからか、もとの暗い水色に戻っていた。
影鬼が消滅してからも、スターチスは呆然としたまま、座り込んでいた。そんなスターチスに、拓士が刃を向けて静かに問う。
「まだ俺達と闘うか?」
その声にスターチスはやっと拓士を見る。戻ることのない色の瞳から、狂気は失せている。やがてスターチスは軽く息を吐きだすと、自嘲気味の笑みを浮かべて呟く。
「……いや、いい。俺の負けだ」
スターチスの手から刀が消え、上空にあった無数の刀も消える。
「……負けたはずなのに、悔しさを感じないな」
今は、何の欲もない。あれほど欲していたはずのアイビーを、求めていない。自分は闇の神だ。どうしてもヒトの負の念に多く触れてしまう。もしかしたら、最初から自分は、影鬼に取り憑かれていたのかもしれない。
いっそ清々しさすら感じるスターチスは、なんとも言えない表情でこちらを見ている結羽達に言う。
「今なら俺を簡単に殺せるぞ?」
今までのスターチスからは考えられない言葉に、結羽達は瞠目するが、すぐにその瞳は凪ぐ。そして、拓士が首を横に振って言った。
「……いい。お前を殺す気なんて、もうない」
拓士の言葉に、そうか、と言ったきり、スターチスは黙る。
それから数分、その場にいた全員が何も言えなかった。誰もが口を開くことを躊躇っている中、ようやく留羽がスターチスに向かって口を開いた。
「……お父さん。家に帰ろう」
久しぶりに父と呼ばれたスターチスは顔を上げるが、すぐにうつむく。
「俺はもう、お前の父親じゃない。それに、俺が彼女に会う資格はない」
スターチスが言う「彼女」とは、自分の母親だと留羽はすぐに分かった。
アイビーを愛する為だけに愛した妻と、産ませた子ども。留羽が生まれた時点で、一緒にいる意味も愛情も放棄した。そんな酷い男が、何事もなかったかのように戻ってくるなど、許されるわけがない。
だが、留羽は分かっていた。本当に父が母をそれだけの為に愛したのなら、母はあんなに穏やかに父のことを語り、待っているはずがないのだ。そして先程、娘の自分を振り払わなかった時、家族としての愛情があることが分かった。
「お母さんもあなたを、まだ待っているんだ。だから、一緒に帰ろう」
「お母さん“も”」という言葉に、スターチスははっとして顔を上げる。幼い頃から、ずっと嫌われていたと思っていたが、どうやら違うようだ。
「……娘にここまで言われて、応えないわけにはいかないな」
その瞳には、穏やかな光が宿っていた。
「帰ろう。二人で、一緒に」
スターチスがはっきりと告げた言葉に、留羽の瞳から涙が零れ落ちた。
「……うん!」
美しい涙を流しながら、留羽は微笑んだ。
それから間もなく、結羽達は棺からアイビーと響を出した。
「この棺から出したから、二、三十分後にはどちらも目を覚ますだろう」
そんなスターチスの声を聞きながら、結羽は二人の首筋に手を当てる。規則的な鼓動に、結羽はほっとする。
「……お母さん。お父さん」
遅くなってごめんね。でも、ちゃんと迎えに来たよ。
「この影世界ももうすぐ、消滅する。……もう、必要ないからな」
スターチスがそう呟いた直後、結羽達は影世界に入る前の場所に戻ってきていた。拓士がアイビーを抱え、颯と光流が響を左右から支えて、近くにある心美達の病院に向かう。そんな中、スターチスが結羽達に問いかける。
「……二人が目覚めるまで、見守っていてもいいか?」
少し怯えたようなスターチスに、結羽達は大きく頷いた。