第百六話 代償
それは、初めて出会った時と全く同じ台詞だった。そこに一片の優しさも思いやりも見出せない。まるで、初めて会ったかのように。
「ちょっと拓士君、どうしちゃったの? 結羽ちゃんよ?」
未來が拓士に駆け寄り、慌てて声をかける。だが、拓士は分からないというように首を傾げた。
「……? 俺はただ、影闘士じゃないくせに飛び出したこの女をたしなめただけだぞ」
その言葉に嘘偽りはなく、結羽達にある事実を突きつけようとしていた。
「……拓士君。結羽ちゃんのこと、覚えてる?」
「覚えてるも何も、こいつとは初対面だ」
結羽達は絶句した。何故かは分からないが、拓士は結羽のことを全て忘れていた。
学校から帰宅した結羽は、自室のベッドの上で膝を抱えてうずくまっていた。影闘士の力が失われていること。そして拓士が自分のことを忘れているということ。そんな大きすぎる出来事が二つ同時にやってきて、頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
影闘士の力が失われているのは、神の力を使って拓士を生き返らせた代償だろう。だが、拓士が自分のことを忘れているのも、果たしてその代償なのだろうか。それならば、とても悲しい。生き返らせたのに忘れられてしまうのは、悲しくて苦しくて、切ない。
だが、ふと気づいた。他にも可能性があることを。今まで闇鬼に乗っ取られた一希と佳奈は、生き返らせることが出来ずに死んでいった。だが、拓士は今生きている。もしかしたら、闇鬼から解放された代償として、記憶の一部が失われているのかもしれない。
「……だから、何なんだろ」
結羽は自嘲気味に笑った。拓士の記憶が失われた原因が分かっただけで、解決策が見つかったわけじゃない。
―――ただの人間が出しゃばるな
心にずきりと痛みが走った気がした。だが、涙は出ない。ぎりぎりで心が止めているのだ。まだ泣く時ではないと。記憶を失ったのなら、もう一度仲良くなればいいだけだ。たとえ長い時間がかかったとしても。
―――俺もお前のことを名前で呼ぶから
また、名前で呼んでほしいから。
学校の昼休みの屋上。拓士に未來達が話す中で、拓士は結羽のことだけ忘れていることが分かった。今までの出来事は全て覚えているものの、結羽が最初からそこにいないことになっているのだ。その中には結羽がいなければ意味の分からない記憶もあり、拓士自身も違和感を覚えているらしい。
「だがそれは、過去に過ぎない。影闘士でもない奴との関わりなんて、覚えている必要もないだろ」
そう言い放つと、拓士はさっさと屋上の扉から出て行った。しばらく経ってから、未來が結羽に申し訳なさそうに言う。
「……ごめんね、結羽ちゃん。嫌な思いさせちゃったね」
そんな未來に結羽は苦笑を浮かべた。
「どうして未來ちゃんが謝るの? 未來ちゃんは悪くないのに」
重苦しい空気が結羽達の間に流れる中、飛鳥はそれを払拭したくて話題を変える。
「そ、そういえば、影闘士の力の方はどうなんですか?」
「うん……」
結羽は自分の手のひらを見つめる。いや、手のひらではなく、そこにあったはずの自分の武器を見つめているのだ。
「留羽さんにも相談してみたんだけど、いつ力が戻るかは分からないんだって。でも、こう言ってくれたの」
―――私も力を戻す方法を探してみる。元々、こうなったのは私の責任だしな
「拓士を生き返らせるのを決めたのは私なんだから、責任なんて感じなくていいのにね。……私って恵まれているね、こんなに優しい人達が仲間になってくれたんだから」
だが、そこに拓士はいない。