午後のあいさつ
よく「学校でならっていないもん」という子供がいるが、そんな時、大人や先生は何を教えていたのかということを思う。
大人や先生は自分で気づかないうちに学習したり、学んだりしたかもしれないが、今の子供は言われないとできない子が多いのは気のせいであろうか。
昔はいろいろな自由があった。もちろん、危険な遊びやことも許されていた。
しかし、現在は安全面を理由に自由が制限されていることが多い。
これが何を意味するのかというと、大人にダメ、と言われたからやってはいけないと子供が間違った学習をするからであって、大人がなぜ、ダメであるか理由をはっきりとつけて教えないと子供は学習しない。
つまり、大人がダメと言っていないことは、子供はやっていいものだと考えてしまい、それが、犯罪であったり、いじめであったり、とどれも大人の目が届きにくいものだらけである。
そして、怒られたときは「学校で習っていない」という言い訳をするのである。すると大人は、「考えれば、わかるだろう」と怒鳴りつける。
これをみると大人が悪いことをした子供をしかりつけているように聞こえるが、理由をはっきりと言わずに、その物事がダメであると言わなかった大人が悪いだろう。それに、自由を制限した社会も悪い。
制限されているということは、狭い視野でしか物事を見ることができずに、また制限されている領域内で発生した事象に関しての判断の善悪が難しい。逆に、自由であるということは、視野が広く、学べる機会があるということである。
この学べる機会とは良いものであるかもしれないし、悪いものかもしれない。しかし、結果的に経験として学習した内容を蓄えることによってたとえ未知の事象が発生したとしても今までの経験という蓄えを生かして、その事象に対してどんな対応をすればよいかわかるはずである。
ならば、自由を多くすれば、自ら学ぶ子供が増えるかというとそうではない。社会はルールがあり、それを皆が守って生活している。
子供に対してなぜ、ダメかとはっきりと理由をつけて教えることが子供がどうしてダメかとちゃんと理解してくれるのではないか。