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群青の空へ  作者: 朝霧美雲
外伝
131/135

【迷走、お囃子、つないだ手】/にじいろたまご様

「ね、次はなに食べる?」

 色気より食い気を地でいく友人に手を引かれながら、私は雑踏の中に紛れ込んでゆく。

 今日は夏祭りだ。

 160cmもない身体なんて簡単に埋もれてしまうのだけれど、由比の完璧な操縦により、私たちは一度も誰かの背中にぶち当たることなくすり抜けられる。片手にチョコバナナを持ちながらの凄技だ。

「よく食べるねぇ、由比は。それで太らないの不思議」

 一番渋滞していたあたりを通り抜けたところで、すうっと繋いだ手が離される。もう手を引かなくても大丈夫ってことなのは重々わかっているけれど、それでもちょっと寂しく感じてしまった。

「代謝がいいんじゃない?」

「他人事みたいに言うじゃん」

「じゃあ、家系かな?」

「あー、それは納得」

「静音だって細いよ?」

「そもそもあんたみたいにドカ食いしてないし」

「それもそっか」

 へへ、といたずらっぽく笑った由比の右手に、もうチョコバナナはなかった。何ものかが刺さっていた割りばしが残っているのみ。

「食べるのはや」

「だっておいしいんだもん。ねえ、次は焼きそば食べたい」

「焼きそばかぁ。私も食べよっかな」

「いったん座る?」

「うん。少し休もっか」

 買ってくるから座ってて、と由比が言うので、私は場所取りをすることにした。ラーメンやお好み焼きなどの屋台もあるから、ところどころに食事休憩用のテントが設置されているのだ。もうすぐメインの花火が始まる時間だからか、椅子は比較的空いている。

 向かい合わせの二席を陣取ると、私はほう……、と細く長いため息をついた。知らぬ間に肩に力は入るし、いまさら手汗がすごい。もう次は先を急ぐ由比の手を取れないかもしれない、なんてうっすらと考える。

 弱気になっちゃダメだ。

 頭を軽く振って、必死に自らを鼓舞する。今日を運命の日と決めたのは自分なのだから。夏祭りの浮かれた雰囲気とか、やたら目に入る幸せそうなカップルとか、家族連れとか……そういうの、すべて舞台装置だと思って深く考えないようにしないと。

 目を閉じてゆっくり深呼吸をする。私は大丈夫。私は大丈夫だ。

「静音」

 名を呼ばれてハッと目を開けると、いつの間にか至近距離から由比が覗きこんでいた。

「うわあっ」

 椅子から転げ落ちる勢いでびっくりすると、由比は「やだなに、大袈裟!」とケタケタ笑い転げた。普段はどちらかというと落ち着いた印象の子だけれど、夏祭りという特別な環境下で少し浮かれているように見える。

 そんな由比も、かわいい。

 お揃いの金魚柄の浴衣を着て、お揃いの巾着を持って。こんなふうに由比とお出掛けができるようになるなんて、クラスのその他大勢どうしだった頃は想像もしていなかった。たまたま席が隣になって、たまたま由比が寝坊して遅れてきた日があって。それまでほとんど喋ったことがなかったのに、授業の進行がわからなくなった由比が私に助けを求めてきて。あの日、初めて意味のある言葉を交わした。もう懐かしささえ覚える大切な思い出だ。

「なに瞑想してたの。疲れた?」

 向かいの席に座った由比は、私のほうに焼きそばをひとつ差し出してくれた。

「ありがと。……疲れてはいないよ、大丈夫。今日の花火どんなのかなあって想像してただけ」

「そっか」

 それはギリギリ合っているようで合っていない回答だったけれど、由比はそれ以上なにも訊かなかった。ふたりで焼きそばを味わい、テントの中から遠くに聴こえるお囃子の音に耳を澄ませる。

「そういえばさ、友香なんだけど。一年の達川くんて子といい雰囲気らしいよ。静音、知ってた?」

「ああ……うん、知ってるよ。友香が結構プッシュしてるのに、相手が超鈍感で気づかれてないっぽいって」

「え、そうなの? ……達川くんてどんな子だろう?」

「結構イケメンらしいよ」

「へえ……」

 興味深そうに身を乗り出していた由比の視線が、フッと向こうの屋台のほうに向けられる。気になって後ろを振り返ると、すぐそこの射的の屋台の前に、すらっと背の高い男の子が立っているのが目に入った。ほかに友達っぽい男の子たちもいたけれど、由比はきっと彼を見ている。直感でそうわかる。

「……あの人、うちの高校の三年だよ」

 由比に視線を戻すと、彼女はあからさまに動揺したようにちょこんとその場に飛びあがった。

「えっ……静音、知ってるの?」

「逆に由比は知らないの? 今年から外国人枠で編入してきたって。目立つから、さすがの由比も知ってると思ってたけど」

「知らなかった。あれで高校生なんだ? 随分大人びて見えるね」

「……由比はああいう人が好み?」

「えっ?」

 目を見開いてすぐに肯定も否定もしない由比を前に、黒い気持ちがぶわっと湧きあがってくる。……由比も、結局顔面偏差値高い男の子が好みなんでしょう? だからこれまでの告白、全部断ってきたんでしょう? あの金髪の先輩がもし由比に告白してきたら……きっとOKしちゃうんでしょう?

「わ、私べつに好みとかそういうんじゃ……かっこいいなとは思うけど」

「それが好みって言うんじゃないの?」

「えっ、違うよぉ。ただの目の保養だよ」

「ホントに~? 由比もやっぱり彼氏が欲しいって思ってるんでしょ」

「べ、別にそんなこと考えてないって」

「またまたぁ」

 次に目を向けたときにはもう彼らの姿はなくなっていて、まるで悪い夢のようにすら思えた。

「……私も金髪にしよっかな~」

 浴衣に合わせておろしてきた髪をいじりながら、ぼそっと落とす。ほとんどひとりごとだったのに、けれど由比には聴こえていたようだ。

「え、駄目だよ。私、静音の髪大好きなんだから!」

 唐突に「大好き」と言われて、それはあくまで「髪」の話だと頭ではわかっているのに、私は頬がカッとなるのを止められなかった。……大丈夫。夜闇と提灯の灯りで、私の顔色の些細な変化なんて由比には届かないはず。

「……そう?」

「そうだよ! 私の髪、碧みが強くて目立つから……静音くらいの色が一番いいよ」

「……ありがと。私は由比の髪もいいと思うけど」

 本当は「好き」を返したいのに、髪の話題ですら口にするのは躊躇われた。そんな私の心中を知ってか知らずか、由比は少し時間差で嬉しそうに破顔したのだった。



 それから花火が終わるまでの記憶は曖昧だ。

 河川敷のほうに向かったらすでにものすごい人で、私たちは結局、土手の手前あたりくらいで進むのを断念した。花火を見たのも結局、その場所からだ。

 ずん、と腹に響く音がし始めると、後方で屋台を巡っていた人々もその場に佇んで夜空を見上げる。あちこちで歓声があがっていたけれど、私にはそんな余裕はなかった。由比はキラキラした目で花火を見あげていて、私はそんな彼女の横顔を瞳の奥へと焼きつけるのに必死だったから。だって、これが最初で最後かもしれないでしょう?

「綺麗だったね」

 黙っていた由比のそのひとことで、私はようやく我に返る。

「うん」

「ねえ、少し土手の上歩かない?」

「いいよ」

 由比は花火前にたくさん食べて、屋台のほうはもう満足したらしい。これから河川敷にいるひとたちは続々と屋台のある方角へと戻っていく。その波に逆らうようにして歩いていくと、いつの間にか誰ともすれ違わなくなった。祭りの会場からは離れてしまったけれど、お囃子の音だけはまだ微かに風に乗って届いてくる。ぽつりぽつりとしか街灯がないので、用心のために持ってきた小型ライトで進行方向を照らした。

「由比、どこまで行くの?」

「ん? わかんないけど。運動」

「えぇ……このまま歩いて帰るつもり?」

「それはちょっと嫌かな」

「でも……」

 このまま行くとそうなり兼ねないよ。そう言おうとしたところで、由比はようやく立ち止まった。

「不思議だね。今日はお祭りの日なのに」

 そんなことを感慨深げに言いながら振り返るから、とっさになにを言えばいいのか迷子になってしまう。きょとんとする私に向かって、由比は小さく首を傾げてみせた。

「さっきまで花火を見てたことが嘘みたいじゃない? この道を戻れば絶対にまたあのごった返した人込みにぶつかるのに、ここからじゃもうそんなのわからない。あそこにたくさんの人がいるってわかってるのに、ここには静音と私しかいない」

「……ん? うん……?」

 由比の言葉の真意が掴めない。由比は少しだけ声を出して笑って、それから一歩、私のほうに歩み寄ってきた。

「私、静音に会えてよかったなあって思ってるんだよ。一緒にいて一番居心地がいいし」

「……ありがと」

 突然なにを言い出すのやらと思いつつ、私の胸はぎりりと自分勝手に引き攣れる。私だって居心地はいいと思ってる。会えてよかったとも思ってる。でもそれだけじゃなくて……私の場合はそれだけじゃなくて……。つらつら言葉を選んでいるうちに、本能が告げる。いまだ。いまがそのときだ、と。

「世界中には一生に出会いきれないくらい、すれ違いきれないくらいの人が同時に生きてるのに……その中で出会うって、仲良くなれるって、すごい確率だと思う。そう思わない、静音?」

 思ってる。いつも思ってるよ、由比。……きっと、あなたとは違う意味で。

 小さく、気づかれないように深呼吸をした。

「由比」

 覚悟を決めたくせに、声はかすれた。

「ん?」

「私、由比が好きだよ」

 まっすぐに由比を見つめた。私が持っているライトに足元を照らされた由比は、その表情を私から隠すことなんてできない。相手が動揺したらすぐにわかってしまうのに。私はそれでも灯りを逸らさなかった。今日で終わってしまっても構わないなんて到底思えないのに、それでも。

 由比は目を見開いて私を見つめ返している。とっさになんの声も出ないようだった。当然だ。いまは驚きが先行しているから、ほら、この3秒くらいあとから徐々に困惑した表情になるはずだから。だからその前に、なんとか言いわけを。

「なーんてね。安心して、これはもちろん……」

 友達としての気持ちだから。

 そう続けるつもりだったのに、最後まで言えなくなった。由比が、私の左手をそっと握ってきたから。

「……由比?」

「その先言ったら怒るよ」

 少しはにかんだような顔でそう言い切ると、由比はじわじわと指を絡めてきた。心拍数が爆あがりする。もうはちきれんばかりにドクドクと唸っているのがわかる。それでも、振り切ることなんて到底できやしないのだけれど。

「静音……顔まっか」

「由比こそ」

 顔を見合わせてふたりでくすくす笑ったら、また唐突に屋台の群れが恋しくなった。




                               了


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