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群青の空へ  作者: 朝霧美雲
外伝
130/135

【彼方の君へ星の降る】/にじいろたまご様

 水面に太陽の光が反射して、キラキラと光っている。

 天然の眩しさが目に痛くて、あたしは僅かにうつむいた。

 もしもこの世に朝も夜もなかったら、夜空に輝く花火なんてものは生まれなかったんだろうか。明るいうちにあがる花火もあるらしいけれど、あたしはやっぱり夜空をバックに打ちあがるあの大輪の華が好きだ。黒と鮮やかな色とのコントラスト。静けさのなかに響き渡り、腹に届く爆音。

 夏にはいろいろな地域の花火を見てまわり、今年四月、あの花火大会に再び足を運んだ。焦がれて待ち構えていたはずなのに、音と光の渦に新鮮に驚いて、いまにも飲みこまれてしまいそうだった。

 花火をつくるがわの人間になりたい。その夢は、一年以上経ったいまも変わらず持ち続けている。

 ……でも。

「いわゆる花火師と呼ばれる仕事は生半可な覚悟で務まるものではありません。体力も気力も必要です。誰かを幸せにしたいなら、間接的な花火ではなくむしろほかを探すほうが着実でしょう。あなたが花火にこだわるのはなぜですか?」

 問われて、思わず頭が真っ白になってしまった。

 うまく言葉が見つからないまま時間だけが過ぎ、タイムリミットを迎えた。足しげく通って、ようやく面接までこぎつけたのに。

「……もうダメだよ……どうしよう、空奈……」

 つぶやきは、川面のキラキラに反するようにその場に落っこちるだけ。誰も拾わないし、気にも留めないだろう。

 つまりいま、あたしは絶望の淵に立たされている。


   ☆ ☆ ☆


 花火業界は就職するのが難しいらしい。知ったのは去年の初夏のことだ。

 蒼白にならざるを得なかったあたしを勇気づけてくれたのはやっぱり空奈の配信で、実際に地道な職場探しを手伝ってくれたのは当時の担任だ。三年になって担任が替わってからも、なんとなくあたしはいつもその先生を頼ってしまう。今回、ようやく大本命の花火製造会社での面接にこぎつけられたのも、先生の応援のおかげだったと言っても過言ではない。電話口で何度か「人手は足りてる」と断られたものの、先生の強い激励のもと、最終的にはこちらの粘り勝ちのようなかたちで挑戦権利を獲得できたのだから。

 けれども、あの一瞬ですべてが無に帰してしまった。

 この地域の四月の花火大会を長年支えてきた歴史ある会社。法被を着たザ・職人といった出で立ちの若い面接官の、値踏みするようなあの目が忘れられない。最初の挨拶をした時点では物腰柔らかな人だと思ったのだけれど、いざ面接が始まるとガラッと雰囲気が変わってしまったのには驚いた。

 最後の質問以前何を話したのか、記憶はすでにぼやけている。もしかしたら、ほかにも気づかないやらかしをしてしまったかもしれない。

 そう考えた直後、肯定するようにどこかでカラスがひと声鳴いた。

「空奈……あたしにもあなたみたいな力が欲しいよ……」

 声だけで。歌だけで。仮想現実の世界から、あたしのような生身の誰かを、いつもどこかで勇気づけてくれる稀有な存在。

 空奈になりたいわけじゃない。けれどその力が欲しい。夢を叶える力。誰かの心を変えることのできる力。それさえあれば、このあたしだっていつか「誰かの空奈」になれるはずなのに。


   ☆ ☆ ☆


「おかえり」

 落ち込んだまま帰宅すると、思いがけない人物があたしを待っていた。

「おばあちゃん! どうして?」

 驚いて抱きつくと、あたしより小さな身体をふらつかせながら、彼女は嬉しそうに笑った。

「ちょうどあなたが出かけた時間と入れ違いだったみたいよ。応援しようと思ってきたんだけど、ちょっと間に合わなかったみたい。ふふ、役立たずでごめんねぇ」

 穏やかなその声に、あたしは途端にいたたまれなくなる。

「疲れたでしょう。さあ、一緒にお茶にしましょうねぇ」

「……うん」

 静かなあたしの様子に、きっとなにかを察したはずだ。けれどもなにも言わず、いそいそと嬉しそうにお茶の支度を始めている。あたしが手伝うと言っても「いいからいいから座ってて」とリビングに押しやられてしまった。

 祖母は比較的近所に暮らしているけれど、幼い時分よりも会う頻度は格段に減っている。共働き家庭の高校生だ。お互いに生活があるし、みんなそんなものだと思う。

「はい、どうぞ」

 温かいお茶と一緒におまんじゅうが乗ったお皿が置かれる。あたしが洋菓子より和菓子派なことを、まだちゃんと覚えてくれているのだ。

「……今日、来てくれてありがとう」

 おずおずと声を押しだすと、隣に腰かけた祖母は「あらまあ」と微笑んだ。

「お礼ならお母さんに言いなさいな。わたしはあなたが花火師を目指しているってきいて、嬉しくなって駆けつけてきただけなんだから」

「嬉しいって、どうして?」

「おばあちゃんね、四月の花火大会、実は毎年見に行ってるんだよ」

「……そうなの?」

 声を出すのを一瞬忘れるくらいびっくりしたあたしをみて、祖母はまるでいたずらっ子のように目をクリクリさせた。

「毎年行っているくせに、かわいい孫を誘えなくてごめんなさいねぇ。まさかあなたが花火の仕事に就きたいって言い出すとは思わなかったから」

「ううん、別にそんなのいいんだけど。おばあちゃんも花火が好きなの?」

「……好きっていうのかねぇ……」

 小さく落として、祖母は気持ちを切り替えるかのようにゆっくりと湯呑みを傾ける。飲んだあとにふう、とひと息つくその仕草がひどく懐かしくて、なんとなくむず痒いような心地になった。

「会いたい子がいるの」

 ふいに少女に戻ったような可憐で控えめな笑みをこぼしながら、祖母が言う。

「会いたい子……? 花火大会で待ち合わせしてるの?」

「ふふ……だといいんだけどねぇ、一方的かもしれないねぇ。わたしが会いたいから、行くんだよ」

 要領を得ない物言いにきょとんとすることしかできない。

「四月の花火大会は特別なのよ。亡くなった魂に祈りを捧げる日。会いたくても会えない大切な人と、空のあっちとこっちで対話する日なんだよ。……っていうのは、わたしの勝手な解釈なんだけどねぇ」

「おばあちゃん……」

「大切な大切なお友達がいたの。……でも、若くして病気で亡くなってしまった。花火を見あげるとねぇ、あの大きなお華のなかにあの子のお顔が浮かんでくるの。そして昔のようにお話をするのよ。わたしとあの子だけの、秘密のお話を。何を話したかは、たとえおじいちゃんにだって教えてあげたことないの。ふふふ」

 かなしい話なのかと思った。でも違う。祖母の表情はこんなにも晴れやかだ。

「……空奈みたい」

 思わず口をついてその名が出た。お友達かい、と問われて動揺したけれど、なぜだろう、祖母にはすべて話してしまいたくなった。母にも父にも面接官にも言えなかった、あたしの本当の気持ち。

「あたしが推してるVライバー……じゃない、えっと、あたしが大好きで尊敬してるタレントさんのことだよ」

 手っ取り早く、あたしは空奈の動画をみせた。小さな精密機器から流れ出す映像を覗きこんで、祖母が「あら」と声をあげる。

「この曲、知ってるよ」

「リリー・マルレーン知ってるの?」

「うん。戦争で引き離された恋人を想う兵士の歌だよ」

 空奈に関わることはたくさん調べたから、知っている。会いたくても会えない。そのことをまさに歌っている曲だから、空奈は特別に感じているのかな。

「空奈もね、会えないけど大切な人のことを想いながら花火を見あげてるって言ってたの。それであたし、空奈が大切な花火を見てみようって思って、去年初めて花火大会に行って……」

「それで、花火も大好きになったの?」

「……うん。花火をつくるがわの人になって、空奈やみんなを幸せにしたいって思ったから」

「あらそうなのかい」

 祖母の皺くちゃなかわいらしい手があたしの頬にそっと触れる。

「大好きな人の大切なことに興味を持つのは当然よねぇ。恩返しの気持ち、とっても素敵よ」

 恩返し。言われて初めて気づく。あたしがやりたいのは、幸せをくれた空奈への恩返しだったのだ。

「わたしがお空であの子と対話するためには花火があがってくれなくちゃいけないもの。花火大会がなくならないのは、必要な人がそこにいるからなのよねぇ」

 いつの間にか、あたしの志望動機では視野が狭すぎるのではないかと考えてしまっていた。……でも、そうだ。誰だって自分のまわりのことから考える。小さいそれらが積み重なって徐々に大きくなっていくのが正しい夢のありかただとしたら、あたしはなにも間違っていない。……このままでいいんだ。

「……おばあちゃん。あたしね、今日の面接失敗しちゃったの」

 頬にある手に触れると、涙が出そうなくらいあたたかかった。

「でも諦めない。まだ結果を言い渡されたわけじゃないもの」

 面接時の詳しい内容をひとことも話していないことに、あたしは最後まで気づけなかった。それでも祖母は笑ってくれた。最初はちょっと驚いた顔をして、それから「偉いね」って言うみたいにあたしの頬をなでながら。

「悔いのないようにやりなさいね。おばあちゃん応援してる」

「……うん!」


   ☆ ☆ ☆


 あれから半年。

 無事高校を卒業したあたしは、あの会社で見習いとして働いている。あの面接官はいまではあたしの指導係だ。

 祖母と話した翌日、改めて本当の気持ちを伝えに行った。急な訪問なのに見透かすようにただうなずいて迎えてくれたあの氷の面接官は、恥ずかしがりも卑下もせずに言い切ったあたしの前で、ようやく柔らかな笑顔を見せてくれたのだった。

「答えはなんでもよかった。あなたがどれだけ本気か知りたかっただけだから。……話がきけてよかったです。どうです、社長が明日からアルバイトで来てもいいって言ってますけど、……僕らと一緒に働いてやってみませんか?」

「……は、はい! よろしくお願いします……!」

 昨日の今日で祖母に会いに行って、ふたりで泣いて喜びを分かち合った。以来、祖母とは血縁というよりもまるで年の離れた茶飲み友達のような関係に落ち着いている。


 電波の向こうで空奈が呼びかける。

『もうすぐ花火大会があるね。私は今年ももちろん行くよ! みんなはどうするの?』

 空奈。

 今年からはこっちがわで、あなたを待ってるね。



                                           了


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