【君へ彩る】/にじいろたまご 様
『それでは、次。リリー・マルレーンを歌います』
初めて出会ったのは、かなり古い歌配信のアーカイブ。なんだか寝つきが悪かった夜、動画サイトを行ったり来たりでたまたま辿り着いたのが「桜宮空奈」だった。Vライバーなんて嘘っぱちばかりだと思って歯牙にもかけていなかったあたしは、あの夜、あまりにも呆気なく彼女の魅力に落っこちたのだった。
歌がうまいのはもちろんのこと、その切実とも呼べる歌声に惹かれた。泣いているのではないかと思った。画面の中の女の子は涼しげな表情で歌っているのに、その奥にいる誰かの涙が透けて見えるような気になったのだ。
その瞬間、唐突に世界に色がついた。大した感動も持たず日々淡々と過ごしていたあたしは消えた。もっと彼女を知りたい、追いたいと思った。仮面を被っているはずのその心に嘘はないと確信してしまったから。うわべだけの美しさ優しさじゃない、その奥にある輝きが見えたから。
それから漠然と心に灯っている希望の欠片。あたしも空奈のようになりたい。
だからといって、Vライバーとして活動したいとか、歌を歌いたいとかそういうことじゃない。あたしは人気者になることじたいにまるで興味がないし、そもそも歌もゲームもドヘタの部類なのだ。
一時期は飛行機の整備士になりたいと思っていたこともある。理由は至って単純で、フライトシミュレーターが神レベルな空奈のファンネームが「整備士さん」だから。だけれど、あたしは機械音痴なのだ。無理である。
そうやって漠然と夢を抱きつつ、かといって具体的な目標はないまま空奈を推す日々を送っていたある日、試練は突然訪れたのだった。
☆ ☆ ☆
「今から進路希望調査票を配るので、来週までに記入して提出するように」
帰りのホームルームで担任がそう言ったとたん、クラス内はピリッと張りつめた。噂にはきいていたけれど、本当に進級してすぐに進路希望の明言を迫られるとは。高校二年生。そんなはずはないのに、まだ進路のあれこれとは無縁な気がしていた。
前の席の子から手渡された紙の束から自分のものを一枚抜き取り、残りの束を後ろの席に渡す。無言でその作業を行ったあと、あたしは恐る恐るその紙を見た。
『進路希望調査票』
やけに目に痛く感じるその文字の羅列の下に、第一希望から第三希望まで記入する欄があった。これは大学などの学校名を記入する想定らしく、その下の方にもうふたつ選択肢があった。ひとつは「就職」。もうひとつは「その他」である。
「せんせー。その他ってなんですかー」
あたしの疑問とちょうど被るように、誰かが声を張りあげた。
「その他は、進学と就職以外を希望する場合ですね。できるだけ具体的なことを記入してください。家庭の事情で家事手伝いをすることが決まっているとか、やりたいことはあるけども学校があるのかすぐその職に就けるのかがわからないという場合など。後者の場合は先生が手伝うから、遠慮なく記入するように」
「Vライバーになりたいとか、そういうこと?」
また別の誰かが放った単語にビクッとする。
「そう、そういうのでいいよ。つまり将来の夢ね」
Vライバーという職名に教室内は多少ざわついたけれども、先生は意に介さない様子で至って真面目にうなずいた。一年時から学年にいたからなんとなく察してはいたけれど、この担任なら親身に相談に乗ってくれそうである。
ともあれ、今までおぼろげだったものを急速にかたちにする必要が出てきてしまった。これはまずい。
一緒に帰宅した友達は揃って進学希望なのが判明し、あたしはますます憂鬱になってしまった。右に倣えで「進学」と言えたら楽かもしれない。けれどもあたしは「空奈みたいになりたい」という夢をあきらめたくはなかった。
「かといって、空奈のこと先生は知らないだろうし……そもそもだからなにになりたいかって話だよね……」
夜になり、机上の進路希望調査票とにらめっこをしながらひとりごちる。こんなとき空奈はどうする? 空奈はVライバーになることをどうやって決意したの? いつなりたいと思ったの? そうつらつらと疑問を浮かべているうちに、空奈の配信の通知がきた。今日は大好きな歌配信の日だ。
『もうすぐ花火大会があるね。みんなは行く?』
オリジナル曲をいくつか歌い終えた空奈が訊ねる。すると一斉にコメントが流れた。その大半は元気な「行くよ!」の文字。
『みんな行く予定なんだね。私も行くつもりだよ! みんな、めいっぱい楽しもうね~!』
「は~い!」や「OK!」などのコメントが流れると、彼女は満足げにうんうんと笑顔でうなずいた。
『わたしにとって花火って特別なものなんだ。いまはもう会えない人たちのこととか、大切なひとのこととか、いろいろ……想いながら夜空を見あげてる』
真面目モードの空奈に、コメントがふっと止まった。こういうとこ、空奈の配信は民度高いなと思う。ちゃんと弁えてる。昔は空奈もいろいろあったみたいだけれど、あたしがリアルタイムで追い出した最近では炎上することもなく、いつも穏やかな癒しの配信をしているイメージだ。ファンもそんな彼女を愛し、その想いを尊重しながら推しているのだと思う。
『みんなも、そんなふうに過ごしてくれたらって思うよ。そして……その日に向けて、大切なこの曲も歌わせてね』
空奈が歌ったのは、あの日のリリー・マルレーン。
☆ ☆ ☆
人間が空に憧れるのは、自らの背に翼を持たないから。そう聴いたことがあるけれど、あたしはこれまでそれほど空に憧れたことはない。整備士になりたいと思ったのも空奈の影響だし、フライトシミュレーター実況は楽しいけれど、自分がやりたいかと言われるとそうでもない。あたしはただ空奈の一挙手一投足を見守っているのが好きで、彼女が紡ぐ空間を見ていたいだけなのだから。空はただ頭上にいつも存在していて、時々機嫌が悪くなったりするもの。それだけの認識だった。
けれどいま、あたしは確かに圧倒されている。空奈にではない。初めて見る、花火に。
ドーン、と腹の底まで揺るがすような大音量で弾けるくせに、夜空に浮かぶ大きな大きな花びら達のなんと繊細で儚いことか。ちぐはぐだけれど愛おしい。まだ消えないでと願いながら次の衝撃を期待してしまうのもまた、ちぐはぐすぎる感情だ。
空奈の好きな花火。そう思ってひとりやってきた。もしかしたら空奈本人とどこかですれ違うかもしれない。整備士さん仲間とすれ違っているかもしれない。そんな期待に駆られてのこのこやってきてしまったのに、いまこうして本物の花火に出会ったことで、すべてがどうでもいい期待に変わってしまった。
空奈はVの世界の住人だ。リアルな空奈のことは知らなくていい。リアルな整備士さん仲間もいなくたっていい。けれども、リアルでは繋がれなくとも、空奈や仲間達を笑顔にできるようになりたい。頭の弱いあたしにできるかどうかわからないけれども、叶うなら、あたしは花火をつくるがわの人間になりたい。唐突にそう思う。
夢が降ってくるのに予告なんてない。いつ何時落ちてくるかわからない。目を見開いて待ち構えていなければ見逃してしまうくらいに、一瞬で世界は変わる。
彩りのなかったあたしの世界に色を乗せてくれたのは空奈だ。あたしの恩人。また気づかされてしまった。
そんな彼女をあっと驚かせるような輝きを、今度はあたしが見せてあげたい。大切な人達を想いながら見あげている空奈や仲間たちのもとにたくさんの幸せをキラキラと降り注げるような力を、いつかあたしは。
了




