7.努力と願い
大教会の門を潜った先はすぐに礼拝堂、というわけではなく。
ファイミィ家と同じようにまず最初にあったのは大きな広間だ。広間はシンメトリーに作られていて中央から右手と左手には同じ格好の甲冑と女神が一組ずつ配置されている。それに大教会の中は外以上にどこか神聖な雰囲気だ。外にあったものと同じ文様、なかった文様、他にも様々な装飾が施されている。しかしだからといってごちゃごちゃとした感覚はあまり受けないのはきっと文様や装飾一つ一つに意味があり、それが何かのルールに則って配置されているからだろう。
広間からは前方と左右に廊下があり、前方の道の先にはまた大きな扉がある。きっとあの扉をくぐった先が礼拝堂だろう。なんとなく教会というより神殿のような作りだ。
ネスキアの話だと左側の通路には礼拝や祭礼に用いる特別な道具や、魔具などを保管している部屋が多く、右側の通路にはネスキアのような住み込みの神職の人が寝泊まりする部屋が多く配置されているらしい。
俺たちが案内されたのは右側の一室。柔らかなソファや大きなテーブルが用意されている……ようは客間だ。教会にも客間ってあるんだな。
「さぁ、どうぞ座ってください。ここまでの長旅で三人ともお疲れでしょう?」
「すいません、気を遣ってもらって」
「いえいえ……セイラを連れての旅は大変ですからねぇ」
「ははは……えぇ、本当に」
同じように遠くを見るような疲れ切った目になるボンドとネスキア。なるほど、ネスキアもセイラの体質のことは知っているのか。
二人の会話に少し拗ねたように目をそらすセイラには構わず、俺たちは順にソファに座っていく。家族は並んで、ネスキアはテーブルを挟んで対面に座る形だ。
「……ん?」
ちらり、とネスキアが座っているソファの後ろに何か輝くものが見えた。
なんだろうとソファから身を乗り出して見えたものの正体を見つけようとする。そんな俺の動きに合わせネスキアもソファの後ろを見る。
「……あぁ、こんなところにいたんですか。ほら、隠れてないで出てきなさい」
「……はい」
小さな声と共にソファの後ろから誰か出てくる。
女の子だ。
背は俺よりも小さい。もしかしたら年齢も俺よりも低いかもしれない。それくらいに幼い女の子。
背中の中程まである長髪は、部屋に差し込む陽光によって煌めき、色が変わっているが本当の色は透き通るような白髪だ。前の世界であれば白髪といえば老化などが理由で生えてくるものなイメージが強いが、彼女のものはおそらく生まれつきの地毛だ。修道女の格好も相まってこの場に相応しい神々しさを感じる。
「ネスキア様、その子は……もしかして」
「ええと、なんというか、そうですね、セイラの予想通りです。実は自分、4年前に子供が出来まして。それがこの子、アンジェです」
「アンジェ、です……」
自分の名前が呼ばれるとぺこりと頭を下げるアンジェ。すぐに上げられたその顔は少しだけ曇っているように感じる。もしかしたら人見知りする子なのかもしれない。
アンジェは自己紹介が終わればすぐにまたソファの後ろに隠れ顔だけ出してこちらを観察する。
その様子に困ったように笑うネスキア。
「すいませんね。どうにもうちの子は心が弱くて……なかなか子育てというものは難しいです。どうしたらランド君のように礼儀正しい子に育ってくれるのか、アドバイスをもらえませんかセイラ」
「え、そう、ですね……うちもそんな特別なことはしていませんし……」
「はぁ……そうですか。そうなると単純に親の能力としての差ですかね……地味に堪えますね」
「いやいや、そういうつもりで言ったわけでは! というか、いつの間に家庭を作っていたんですか?」
「……ふっ、セイラ。男には仕方のない時というものがあるのですよ」
「大教会の神官様がなんてこと言うんですか……」
なぜか清々しい顔で言い切るネスキアにため息交じりで返すセイラ。普段はボンドに対して強く出ているセイラが押され気味というのは珍しい光景だ。ちなみにボンドは気まずそうに目をそらしていた。
「でも、家族というものは良いものですね。ボンドとセイラがあの時、どうしても婚約したいと言っていた気持ちが今になって分かりました」
「その節は、ネスキアさんたちには本当にお世話になりました」
「すいません、責めているわけではないのです。ただあの時の私は本当に頭が固かったんだと改めて想いまして」
「……なら、今のネスキアさんがあるのは奥さんのお陰ですか?」
「ふふ、言いますねボンド。でも、そうですね。おかげで私も幸せな毎日です。なかなか家族の時間を作れないのが心苦しいですが……っと、近況報告はこの辺りで良いでしょう。子供たちにはつまらない話でしょうし。すいませんランド君」
「いえ、父さんたちの話を聞くのは本当に楽しいですから」
嘘ではない。前の世界では両親の昔話など微塵も興味がなかったが、俺を大切にしてくれる二人の話は聞いていて楽しい。それに二人が楽しげに話しているから余計にそう思う。
俺の返答にネスキアは「……本当にどうしたらこんなに良い子が育つのか」と興味深げに唸っていた。間違いない。この人はボンドやセイラと同類だ。
さて。そう話を区切ったネスキアは佇まいを正し先ほどまでより幾分真剣な眼差しを向けてくる。
それに合わせて俺たち家族の空気も引き締まる。
「本題に入りましょうか。ランド君の魔力の状況を聞かせてください」
「はい……と言っても先ほど門の前で話したことがほとんどなのですが、ランドが魔具を使おうと魔力を流し込むと例外なく魔具が壊れてしまうんです」
「それは一つの属性に限らず?」
「はい。ですから魔具との相性が、というわけでもないみたいで……だから、もしかしたら何かの呪いにかかってしまったんじゃないかと、私怖くなってしまって」
ネスキアに説明しながら俺の頭を撫でてくるセイラ。
呪いという単語に場の空気が悪くなるのを感じるが、俺はまだ呪いという現象について詳しく知らない。だからどう反応して良いか分からない。
「呪い、ですか。確かに今のランド君の症状は呪いに近いものがありますが、おそらく違うでしょう」
「どうして言い切れるんですか?」
「先ほどランド君の頭を撫でさせてもらったときに呪いの有無を調べさせてもらいました。勝手にしてしまってすいません。どうにも昔の癖が抜けなくて」
「そうですか……いえ、俺たちもネスキアさんのその力を頼ってここまで来ましたから」
いつの間にか調べられていたらしい。触っただけでできるなんてお財布ケータイもびっくりだ。
だが、そうなるともう一つの懸念が出てくる。
転生者。おそらくこの世界でも例があまりないケース。元々俺が別世界の人間だから魔力を上手く使えないという可能性がある。
もしそうであればどうすることもできない。まず俺が転生者だとか言っても子供の戯れ言として捉えられるだろうし、仮に信じてもらえても珍しいケース過ぎて対策が打てないかもしれない。
「それなら、何が理由なんですか?」
「ふむ……ランド君、私の手を握ってください」
「……こうですか?」
俺の質問に手を差し出してくるネスキア。それに素直に従う。
「はい。ではそのまま魔具に行なうのと同じ要領で魔力を私に流してみてください」
「えっと……あの、魔具と同じようなことにはなりませんか?」
「大丈夫です。おそらく魔具が壊れてしまうのは君の魔力が原因です。その魔力が私に流れないよう私の魔力をぶつけて相殺しながら君の魔力を探ってみますから」
安心させるようなネスキアの笑み。正直それだけであの魔具が壊れる嫌な記憶がどうにかなるわけではないが、ネスキアの申し出を聞いてもボンドもセイラも慌てる素振りはなかった。なら……きっと、大丈夫なはずだ。
深呼吸を一つ。気持ちを落ち着かせて魔具に流し込むのと同じようにネスキアの手に魔力を流し込んでいく。流し込む量は、なんとなく掴んできている感覚を頼りに少なめにだ。
「……」
「……っ」
部屋の中を静寂が包み込む。心なしか今まで以上に体を圧迫する感覚が増している。俺に対抗するため動いているネスキアの魔力の影響かもしれない。
もう流し込んでいる時間は10秒以上経過している。魔具ならばとっくの昔に壊れてしまっている時間だ。それでも、ネスキアはそんなことにはなっていない。きっと魔力の相殺というのが上手くいっているんだ。
重く長い時間がゆっくり、ゆっくりと進んでいく。きっとボンドやセイラは息苦しく感じてしまっているだろう。だが俺は辛く感じるどころか、楽しみすら感じていた。
こんなにも長い時間魔力を操ったのは初めての経験だ。自分の中を魔力が流れている感覚を明確に感じることが出来る。本当に血流のように体中を巡っている。あぁ、楽しい、嬉しい、面白い。魔力を操るというのはこういうことを言うんだ。
当初の目的すらも忘れて俺は魔力を流し込む作業に熱中していく――が、終わりの時間は唐突だった。
どくんっ、と鼓動が不自然に跳ねたかと思うと、突然体を巡っていた魔力の感覚が消えた。
「っ……ぁ?」
次に俺を襲ってきたのは目の前がぼやけるほどの目眩。
突然三半規管を揺らされてしまったかのように平衡感覚が死ぬ。まずい、座っていられない、倒れる――
「ランド!!」
「っと、大丈夫ですか、ランド君」
「え、あ、はい……」
「すいません。まさか魔力切れ寸前まで魔力を流してくるとは思わなくて……考えてみればランド君は魔力の流れを感じるのも初めてなんですよね。私の考慮不足でした」
「いえ……」
ネスキアさんが体を支えてくれたことでなんとか転倒は免れる。
だが頭が上手く回らない。まるであの時のようだ。なんとか返事は出来ているがほとんどネスキアが言っている言葉が頭の中に入ってこない。
「あの、ランドは魔力切れを起こしただけなんですか……?」
「はい、ですから心配ありません。セイラも昔はよくあったでしょう? アンジェ、《メライの水》を持ってきてください。ランド君の体なら効果も見込めます」
「はい……」
返事と共にとてとてと部屋を出て行ったアンジェは数分してすぐに戻ってくる。その手には何か透明な液体の入ったコップ。きっとあれがメライの水なんだろう。
ネスキアはアンジェからコップを受け取り、俺にその液体を飲ませる。得体の知れない物を飲むということに不安を覚えるが、断るほどの体力が今の俺にはない。促されるままにコクりと溜飲した。
「……んっ――?」
不思議な感覚が腹から広がり始めた。
なんというんだろう? 温かい飲み物を肌に当てたときじんわりと熱が広がっていく感覚に近いかもしれない。
その温かさがどんどん広がっていき、喉を上り、顔を越えて、頭にまで達すると、靄がかかっていた思考が一気に晴れた。体の気だるさもとっくにとれている。
自分の力で起き上がり腕をぶんぶんと振ってみたりして体の調子を確かめる。
絶好調とはいかないが、先ほどまでのだるさが嘘のようだ。
「今の水は……?」
「メライの水だよ。体の中の魔力を活性化させる力がある。大人になるとあまり効果がないんだが、ランドくらいの子供にはすごく効くんだ」
安心したのか息をつきながらボンドが説明してくれる。
なるほど、魔法やら魔力なんてものがある世界なんだし、それに効く薬もあるか。
残りのメライの水をくぴくぴと飲み干せばまたソファの後ろに隠れているアンジェが見えた。
「アンジェ、水を持ってきてくれて、ありがとう」
「……っ、ぃ」
感謝を伝えたかっただけなんだが、俺が話しかけた瞬間にアンジェは怯えたように慌てて隠れてしまった……この世界での俺の顔はそんなに怖くないはず、というかまだ5歳なんだし怖いわけがないのだが。怖がられるのは地味にショックだ。
まぁいい。それよりも俺の問題だ。
同じ事を思ったのかボンドは恐る恐るとネスキアに話しかける。
「あの、ネスキアさん。結局ランドが魔具を使えない原因というのは……?」
「はい、ちゃんと分かりましたよ。少し珍しいケースですが……ランド君は魔力習得が逆になってしまったみたいですね」
「逆……?」
「そうです。魔力の習得は本来、魔力の使い方、流れを覚えて、次に魔石の魔力増幅効果なしで魔法を使えるようになるというのが一般的な流れです……が、ランド君はなぜか、それを逆に覚えてしまった」
「あ、それならさっきランドが魔力切れをあんなに早く起こしたのも――」
「そういうことですセイラ。ランド君は魔力の使い方を覚える前に、魔石なしの魔力を流し込む量を覚えてしまったんです。だから先ほどもあんなに早く魔力切れを起こしてしまったのですね」
魔石なしの魔力の量……そういうこともあるのか。
言い方からネスキアも理由や原因そのものは分からないようだ。そりゃそうだ、ケースが少ないって言っていたし、そもそも魔具が行き渡ったこのご時世ではこんなことになるのは本当に稀なんだろう。
そう、稀、ということはつまり。
「でも、珍しいってことは……ランドのこの症状は治せないんですか……?」
「いえ? 治せますよ」
「……え?」
治せるらしい。
予想していた最悪に対してネスキアの言葉は呆気ないほど簡単なものだった。
「魔石なしの魔力量を不適切な方法で流し込んでいるのが問題なんです、それなら話は単純で、魔力ありの魔力量と、適切な方法を教えてあげれば良いんです」
「確かにそうなりますけど、そんなに簡単な話なんですか……?」
「そうですね……時間は少しかかりますが、一週間ほどここに滞在してもらえれば教えることは出来ますよ。そんなに難しいことではないですしね」
「本当ですか!? 一週間程度でいいんですか!?」
「よかった、本当によかった、なぁ、ランド……ランド? お前」
ネスキアの診断に歓喜する両親。当たり前だ、あんなにも俺のことで悩み、心配してくれたんだ。つい声がおおきくなりもするだろう。
だが二人はすぐに喜びを潜め、戸惑ったように俺に視線を向けてきた。
「魔法、使えるんだ……」
その小さなつぶやきと共に静かに、ゆっくりと涙がこぼれ落ちた。
ネスキアや両親どころか、アンジェも驚きで目を丸くしているようだが、今の俺にはそれに構う余裕はなかった。
――治せるんだ、この症状は。俺は、魔法を使うことが出来るんだ……!!
もうこれ以上家族が悲しむ姿を見なくて済む。俺が望んだ通りに、願った通りに物事が進んだ。そんなことが、本当にあるのか? いや、あるんだ、ここはもう、あの歪みきった家の中ではないんだから。
両親が俺のことを心配して全力を尽くしてくれて、俺もそれに応えようと全力を尽くした。
そうしたら、現状がいい方向に打開できた。
そうだ、願いは、叶うんだ。
努力は結果に繋がる、願いは努力の原動力になる。
そんな当たり前のことを2度目の人生でようやく理解できた瞬間だった――