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異世界で見つける家族の在り方  作者: Aruki2
一章 幸せの中の挑戦者
3/33

3.目標

 

 ふわふわと、意識が浮いている。

 夢を見ている時の感覚、というのが一番近いだろうか? 何か考えようとしても掌からこぼれ落ちる水のように思考がまとまらない。

 目は見えているし、耳も聞こえている。匂いも感じるし何かに触れているような感覚もある。だが、そのどの情報もが脳に伝達すると同時に、もやがかかりぼやけてしまう。

 そもそも俺は今起きているのか? それともまだ夢の中なのか? それ以前に俺は誰だ?

 分からない。分かろうとする気力も湧かない。

 だから入ってくる情報は全て感覚としてしか得られず、理解する前に素通りしていく。


「おいおい、旦那。今日は森の巡回じゃなかったか? ガキ作ってたなんて聞いてねぇぞ?」

「アホか。そんなことになってたら今頃俺は歌いながら町中を走り回って大はしゃぎしてるよ」


 すごいスピードで流れていく数列を一回で完全暗記しろと言われても情報を処理しきれるわけがない。そんな状態。


「まさかミロクの森に子供捨てるような不届き者がいるなんてねぇ……」

「んで、この子どうするんだ? 親探すか?」

「いや……それこそあのミロクの森に子供を捨てているんだ。見つけたところでどうにもならないだろう」


 しかも意識も途切れ途切れで気づけば全く違う情報が与えられる。先ほどの数字のたとえで言うのであれば、少し目を離してしまって全く違う数列になってしまっているようなものだ。


「あぁ、それがいい。なんも問題ないじゃないか」

「はぁ!? いやいや待てよ、そんな手前勝手な理由で決めて良いことじゃないだろう!」

「確かに勝手かもしれないけど、この子の幸せを考えたらそれが一番いいだろう?」

「そうね……それに貴方たち夫婦の幸せにも繋がることだと思うわ。違う?」

「それは――」


 せいぜい分かるのは今何か話しているのは大人たちで、ここはどこかの町だろうということくらいか。だがそれにしたって話している内容も言語も分からないし、町の風景もどこかぼんやりとしていて把握しきれない。

 それらを無理に理解しようとすればするほど、残り少ない自分の力が激減していくように感じる。

 あぁ、ダメだ。

 辛うじてつなぎ止めていた意識が遠のいていく。

 そもそも抵抗する力など初めから残っていない。情報の波に意識が押し流されていき、簡単に俺は意識を手放した。







「――あら? まぁ、目が覚めたのね! よかったぁ、貴方来てから身じろぎ一つしなかったから心配していたのよ?」


 次に目が覚めた時には辺りの風景が変わっていた。

 建物の中だろうか? どこか温かみを感じる。俺はどれだけ意識を無くしていたんだろう? たった数分なような気もするが、何十時間も続けて寝た後のような気だるさもある。それに今俺の顔を笑顔で覗き込んでいるこの女性は誰だ? こんな人俺は知らない……いや、俺に知り合いなんていたか?

 あぁ、結局何も分からない。考えがまとまらない。


「お医者様も体が少し弱っているだけで命に別状はないとは仰っていたけど……やっぱりずっと反応がないと心配になっちゃう」


 と、今になってようやく目の前の女性は俺に話しかけていることが分かった。

 話しかけられている……それなら返事をしないと。そうか、分からないことがあるのなら聞けば良いじゃないか。なんでそんな当たり前のことが分からなかったんだ。


「……っ、ぁ、っ」


 だが、声が出ない。

 まるで、喉が震え方を忘れてしまったかのように、音が一切出てこない。ずっと隙間風にも

 負けてしまいそうな吐息が漏れるだけだ。

 もどかしい。自分の体が思い通りに動かないというのはこうももどかしいものなのか……いや、待て。なら『前』は思い通りの動かすことができたということだろうか? なら、その『前』とはいつのことだ? ……だめだ、何も思い出せない。


「ん? どうかしたの?」


 俺の声にならない吐息を聞き逃さなかったのか、女性は俺の顔色を伺うように笑みを浮かべた顔をさらに近づける。だがそれだけでは俺の言いたいことは分からなかったのか首を傾げて小さく唸り始め、すぐに何か閃いたのか顔を明るくする。


「そうよね。貴方くらいの子だったらお腹が減って当然よね」


 彼女はおもむろに俺の体の下に腕を入れ、そのまま抱きかかえた。

 女性に優しく抱きかかえられる、そのことがとてつもなく懐かしい。まるで体の奥底に沈み込んでいた記憶が浮き上がってくるような……だからこそ、酷い違和感があった。

 抱きかかえる? 俺を? 俺の体はそんなにも小さいものだったか……? もっと言えば先ほどから女性が浮かべている笑みがどうにも気になる。何というか、笑顔が甘い。


 何かが分かりそうだが肝心な所でやはり靄がかかってしまう。あともう少しなのに、思考が形にならない。あぁ、もどかしいもどかしいもどかしい――


「ちゃんと出てくれるか分からないけど……はい、どうぞ」

「――」


『それ』が差し出された瞬間、苛立っていた俺の思考は一瞬で色を変えた。


 ――美しい。


『それ』はある者たちにとってはなんてことはない、誰もが持っていて当然なもの。毎日いやがおうにも目にするもので、だが同時に、ある者たちにとっては望んでも望んでも手に入らないもの。努力に努力を重ねて一握りの者がようやく目にし、触れる権利が得られるもの。

 この世に腐るほど存在しながら、ある意味この世のどんなものにも勝るかもしれないほどの芸術的要素を含んだものだ。

 普段はその美しき曲線を俗世に穢されぬよう堅牢な城門にその身を包んでいるはずなのに、『それ』は今無防備にもその門を開け放っている。

 門の先に見える流麗でいて極上に柔らかな曲線美。少しでもその曲線に触れてしまえばその美しさは一瞬で崩れ去り神の逆鱗に触れてしまいそうに感じる。だが、その答えは否だ。

『それ』が持つ曲線美は確かに失われるかもしれないが、触れることによって『それ』はその内に秘めているさらなる魅力を顕現する。

 その魅力とは、すなわち――温もり

 どんな海溝よりも深く、どんな甘味よりも甘いその温もりは、触れた者の感覚を無条件で爆発させる。まさしくその様子は大宇宙の始まり、ビッグバン。

 触れた箇所からその爆発は連鎖し、爆発した箇所から『それ』がもつ甘い温もりの虜になる。虜、というのは誇張ではなくそのままの意味だ。現にその温もりに囚われたままになり抜け出せなくなる者は何人もいる。なんと罪深き温もりか。いいや、違う。真に罪深きはその温もりに逆らうことのできない低俗な我々だ。『それ』は神聖で神秘的なものなのだから、間違っているのは我々に決まっている。あぁ、欲深き我々を許し給え。両の目を潰してでもその罰を受けるべきはずなのにそれすらもできない我々にお許しを!

 そして見た目、温もりを超えたその先。門をくぐり城を登ったその頂点! そこにあるのは禁断の果実イチジクだ。禁断だからこそ究極。故にその外見は見る者をどこまでも心酔させてしまう。

 瑞々しく甘美。なるほどこれならアダムとイヴが禁忌を破りその実を口にしてしまった理由も分かる。その実が纏うオーラ(吸引力)は無垢なる者の思考すらも惑わせる、それはもはや毒、神すらも殺しうる魔の毒だ。だめだと分かっているのに、その実から目が離せない。心が奪われてしまう、そう――この世の全てが詰まっていると言っても過言ではない芸術、OPPAIから――!!


「――ってセイラお前母乳出ないだろ……チャレンジ精神は分かるけどな」


 とりあえず俺の妙な思考の暴走と授乳プレイ(?)は部屋の扉を開けた男性のツッコミによって終わりを迎えた。

 ついでにこれが俺が覚えている最初の記憶になったりする。







 きぃ、きぃ、と。俺が寝転がっている揺り籠はゆっくりと揺れる。

 神の宝具(おっぱい)によってなんとか自我を取り戻せた俺。あれから一月ほど経ったが新しく分かったことというのはあまり多くない。

 まず俺の状態。どうやら俺は今赤ん坊の体になってしまっているようだ。赤ん坊の体だからこそあの女性――セイラは俺のことを簡単に抱くこともできたし、授乳もしようとしたわけだ。体力がなくてすぐに眠ってしまうから意識も常に薄くて、声帯の動かし方が分からないから思うように声が出せない、ということなのだろう。


 前世の記憶も感覚もあるせいで、今の体や環境とのギャップが凄まじい。特に尿意を感じても自分では何もできない時なんてもどかしくて仕方がない。

 だが、そのもどかしさから分かることもある。

 つまり、前世の記憶と人格を持ったまま生まれてしまった、ということだ。徳のある人がするとかしないとかいう転生というやつか。


「ぶぅ……」


 くそう、本当に体力ないなこの体。

 揺り籠の中で、赤ちゃん風ため息をつきながらまた散らばりそうになる思考をまとめ直そうとする。が、今のため息を何かの意思表示と思ったのか、近くの椅子に座って読書していたセイラが様子を見に来る。


「どうかしたの? ランド? またおしっこ出た?」


 ランド。フルネームでランド・ファイミィ。それが俺の新しい名前らしい。

 まだここで使われている言語を理解できるようになった訳ではないが、多くの人が俺のことをそう呼ぶので合っているはずだ。

 ランドという言葉は英語のlandっぽいが、ファイミィというのはあまり聞いたことがない。俺が新しく生を受けたこの場所はどうやら俺が知っている場所ではないようだ。せめて英語ならまだなんとかなったかもしれないのだが……まぁ、言っても仕方がない。


 そして俺の顔を覗き込んでいる彼女――セイラ・ファイミィ。彼女が俺の母親だ。

 今になって改めて見ると、とんでもない美人だ。俺を覗き込む瞳は大きく澄んだ空のように淡い青色。顔の造形も整っていて流れる長髪は陽の光も照らし返す金色。あと体型も素晴らしい(経験則)。

 性格も温厚で少し抜けているところもあるがいつでも笑顔でいるような温かみのある人だ。


「だぁ、あ」


 とりあえず漏らしてはいないので違うと意思表示してみる。話せないのももどかしい、と最初は考えていたのだがこれが案外面白い。どうやったら相手に上手く気持ちが伝えられるのかなどと考えて今できる動きでそれを表現する……返事という行為は今の俺にできる数少ない遊びの一つになっていた。ちなみに他には天井のシミを数えたり、今日は何度寝返りが打てるかなどの遊びがある。


「おしっこじゃないのね……ふふ、気のせいか今日はなんだか楽しそうねランド」


 お、上手く伝わった。成功だ。

 セイラが笑みを浮かべたことでミッションクリアを悟る。

 続けて頬をつついてきたりするものだからくすぐったい。前の俺からしたらセイラの手は細くて小さい。だが今の俺からしたら十分大きい。これだけ大きければ恐怖心を持っても良いだろうに安心するから不思議だ。これも赤ん坊特有の感覚なのだろうか? いやそもそも普通の赤ん坊はここまで思考しないか。


 それからしばらくセイラと戯れていたが、何か用事を思い出したのか彼女は部屋から出て行った。赤ん坊である俺を置いていくということはそこまで時間のかからない用事なのだろう。


 さて、こうなると途端に俺は暇になる。誰かいるときは適当に声を出してその人の反応を楽しんだり先ほどのように絡んだりということができるのだが……

 暇つぶしにと今回は天井ではなく壁のシミを数えることにする。どうも新しい我が家はそこそこお金に余裕あるお宅らしく、部屋の中は小綺麗だ。


 木造部分と石造部分が入り交じった広い部屋。壁際にはタンスや机といった家具が置いてあり生活臭がある。当然だ。ここはファイミィ夫婦の寝室でもあるのだから。窓にはゴミなど付いているはずもなくピカピカだ。しかもこの部屋は二階にあるようで何の阻害もなく温かな陽光が差し込んでくる。

 何度かセイラに抱かれて庭に出たこともあるが、建物自体もかなり大きかった。部屋数は10以上は確実だろうし、サッカーくらいなら余裕でできそうなほど広い庭。


 これはもしかしなくても新しい人生は勝ち組決定だ。

 まぁ、そんなお金持ちな家の寝室ともなれば、ぶっちゃけシミとかほとんどない。シミを数えるとか言ったが実際に行っているのは赤い縞々模様の服を着た男を探すような作業だ。

 飽きないかと聞かれればノイローゼになりそうと即答する自信がある。


 赤ん坊にあるまじき暗い瞳でシミを探していると再び扉が開いた。セイラが戻ってきたのかと思ったが違う。

 我が家の大黒柱、俺の父ボンド・ファイミィだ。

 ボンドは精悍で整った顔に短く切りそろえた茶髪、逞しい体を持ったイケメンだ。同性でもかっこいいと思ってしまうその容姿を見ていると、有名なプロのスポーツ選手をテレビ越しに見ているような感覚になる。


 ボンドは俺の元まで来ると途端に温かみある笑みを浮かべ俺を抱き上げる。


「よ、ランドただいま。今日はちょっと早く仕事が終わったんだ。父さんがこんなに早く帰ってきて嬉しいか? 嬉しいだろ~、ふふ、可愛い奴めぇ」

「う、ぁ、きゃっきゃっ」


 溺愛っぷりここに極まれり、とばかりに俺を高い高いしたり頬を擦り付けたりしながら語りかけてくるボンドと、それに反応して声を上げる俺。

 正直20代半ばくらい(多分)の男に頬擦り付けられたりするのは気持ち悪いの一言なのだが、今の俺にとっては構ってもらえるだけで大感謝だ。ボンドもセイラも俺のことを溺愛していて頻繁に構ってくれるので俺からの二人への好感度はかなり高い。


 俺がもっとしてほしいと両腕を振ると、ボンドはさらに顔を蕩けさせる。


「そうかそうか、楽しいかランド。それなら父さんも嬉しいよ」


 今度は俺を掲げたままぐーんと小走りで移動するボンド。本来ならあまり褒められたあやし方ではないと思うが、やばい、超楽しいこれ。

 親馬鹿のお手本のように俺を可愛がるボンドだが、仕事のこととなると顔つきが全然違うことを俺は知っていた。前に俺を可愛がっていたときのことだが、急に給仕の人がやってきてボンドに何か伝えたのだ。するとボンドはそれまでの緩みきった顔が嘘のように引き締まり頼もしい表情になった。それこそちょうど先ほどこの部屋に入ってきたときと同じ顔だ。

 素直にかっこいいと思った。家族の大黒柱というのはこういうことなんだと。あんな表情ができるのならきっとボンドの仕事の腕もそれ相応のもののはずだ。


「そうだ。たまには父さんと家の中を探検するか。ランドもずっとこの部屋の中にいても暇だろ?」


 するとボンドは俺を抱きかかえたまま部屋を出て廊下を歩き始める。ボンドが何を言ったかは分からなかったが内容は伝わってきた。

 できる。絶対この人は仕事ができる。気配りができる人は仕事もできるとどこかで聞いたことある。


 廊下は広くはないが長く、いくつもの部屋が横並びに続いている。子供がいたら間違いなく全力疾走したくなる廊下だ。

 窓から見える中庭はやはり広い。さすがに噴水まではないが庭全体に芝が敷かれているためきれいな若草色が広がっている。この廊下から庭を見下ろしているだけでセラピー効果がありそうだ。


「あら? おかえりなさい貴方。帰っていたのなら声をかけてくれたらよかったのに」


 普段あまり見る機会のない風景を眺めながらボンドの服を叩いて遊んでいると、ちょうど階段を登ってきたセイラがいた。その両手にはミルクと皿に乗ったクッキーがある。


「悪い悪い。仕事が早く終わったもんだから一刻も早くランドに会いたくなってな」

「もぉ……あ、そうだ。ちょうど今ランドのミルクにしようと思って作ってきたの。ついでに私もお菓子食べようと思ったんだけど、一緒に食べる?」

「お、いいな。ならセイラは先に部屋に行っててくれ。俺はランドと家の中少し探検してくるから」

「はい、分かりました。あまり時間をかけないでね? あなたランドのことになるとすぐに時間を忘れちゃうんだから」

「それはセイラもだろうが……」


 少し拗ねた表情を見せるボンドにセイラがくすくすと笑う。


「じゃあ、私先に行ってるわね」

「あぁ――と、そうだ、セイラ。まだ言ってなかったな」


 そのままセイラは寝室の方へ歩いて行こうとするところへ、ボンドが声をかける。

 首を傾げるセイラの頭をボンドは微笑みながらぽんと優しく撫でた。


「あ……」

「ただいまセイラ。今日もランドのこと見ててくれてありがとな」

「……はい」


 幸せそうに顔を赤くするセイラ。お熱いなぁ。火傷しそうだぜ。


 何を話しているかは分からないが、微笑む二人を見ているだけでも雰囲気は伝わってくる。夫婦仲は良好。俺のことも愛してくれている。だがそれだけに言葉が分からないというのは少し残念だ。やはり喜びを分かち合えないというのは寂しく感じる。俺もここの言葉を覚えようとはしているのだが……さすがに言語習得というのは大変だ。

 いつかできるようになる、じゃなくて、本気で勉強してみるか。






『――兄さん』







「――っ、うぁ」


 どくんっ、と。突然全身の血が逆流したかのような奇妙な鼓動に驚き目が覚める。

 体に力が入らない。全身べたつく汗をかいていて気持ちが悪い。

 まるで思考が全て恐怖に刈り取られたかのように頭が回らない――いや、まるで、ではないのかもしれない。


 酷い夢を見た。最悪な夢だ。

 一度、大きく深呼吸する。この赤ん坊の体でも多少は効果があるのか少しは体から緊張が抜ける。

 少しずつ思考が回り始めたのか、視界もクリアになってくる。どうにも暗いと思ったらいつの間にか眠ってしまっていたのかすっかり真夜中だった。多分言葉を覚えようとしたが疲れて眠ってしまったのだろう。近くのベットではボンドとセイラが仲睦まじく一緒に眠っていた。


「……」


 多分、普通の赤ん坊ならばここで夜泣きの一つでもして二人を起こすんだと思う。でも今の俺は別におねしょもしていないしミルクも欲していない。汗はかいてしまったがそれも多少だ、風邪を引くほどではないし問題ないだろう。

 どうにも夜中に人を起こすというのは俺の常識が許さない。だから俺は非常事態でもない限り極力夜中は静かにするようにしていた。


 ただ、そうすると夜中の俺は完璧に独りとなる。

 するとどうだろう。途端に俺の思考は薄暗いイメージに包まれてしまう。これも赤ん坊特有の甘えたさが出ているのか、それとも……前の人生がそれほどまでにショッキングだったからか。


 前の記憶がある、ということはつまりそういうことだ。

 あの歪みきった前の家族を覚えている。

 しかもどういうことなのか、前の人生では諦め何も思っていなかったはずのあの家庭を今思い出すと恐怖と吐き気が止まらなくなる。

 なんなんだあの家庭は。誰も彼も気持ちが悪い。人として何か大切なものが欠落しすぎている。特にあいつ(深亜)。一体何をどうしたら人というのはあそこまで歪むことができるんだ。

 あまりの恐怖と嫌悪感に体の震えが止まらなくなる……ダメだダメだ。考えすぎるな。


 落ち着け、落ち着くんだ。結果としては良かったじゃないか。ずっと願い続けていた新しい人生、新しい環境、新しい家庭。それがやっと手に入ったんだ。前の記憶があるというのは確かにストレスの素ではあるが、逆に考えればそれがあるおかげで今の幸せを噛みしめることができる。

 もう前の事なんて考える必要はない。今を生きれば良い。前の俺はもうあの時終わってしまったんだ。今の俺は今を全力で生きるしかない。


「ぶぅ……」


 よし、だいぶ落ち着いてきた。

 もう大丈夫だ。

 そうだ、全力で生きる。それだ。咄嗟に出た考えではあったが。だからこそ核心を突いている。

 今の俺は恵まれている。前の人生で欲していたものは全て手に入れられるかもしれない。

 もちろん、今回の人生を前の人生のコンティニューとして見ているわけではない。ただ、もう何も諦めたくはない。あんな誰も幸せになれないような空間はたくさんだ。


 ――よし。


 決めた。

 二回目の人生だからと言って適当に生きるような真似はしない。

 何が幸せなんて全く分からないが、今回は諦めない。家族と幸せになるために何一つ諦めない。

 全力で生きて、全力で楽しんで、全力で笑って、全力で謳歌してやる。


主人公無事復活

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