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1-3

 バーガー氏をお見送りした後、先生はしばらく考えに耽って、それからわたしを連れ立って港の方へ行きました。


「先生。バーガー氏がおっしゃった黒兜団……。やはり犯罪者の集まりなのでしょうか?」

「やたらめったに口にする名ではないことだけは、保障しましょう」


 ヘルマン先生は愛車の『イーゼッタ二号』というおもちゃのような小さな車のハンドルを切りながら言いました。


 ここだけのお話なのですが、この『イーゼッタ二号』は先生が一から設計した自動車らしいのです。


「しかし、先生はそのようにおっしゃいましたし。というよりも……」

「彼らは実に愛国心に忠実で、復古主義を掲げています。その陰に私設軍隊の存在がささやかれているのは有名な話ですからね」

「どうして、そういう方々が先生を公演会に招待したのでしょう? 探偵のご依頼をしたかったのでしょうか?」


 ヘルマン先生はフフッと笑いを零して、シフトレバーを動かしました。


「彼らの発端は退役将校殿たちであったり、支持層もまたそうした気質の方々が多い。退役軍人に片っ端から勧誘してるんじゃないですかね?」

「先生は賛同しないのですか?」

「まさか……」


 わたしの質問にヘルマン先生はタバコの吸い殻を窓から捨てて、また新しいタバコを胸ポケットから出して咥えます。


『イーゼッタ二号』は大通りを走り、行き交う蒸気自動車や馬車の波に乗って港へと進んでいく。


「全然しません。これ以上の貧乏はしたくありませんからね。メリーくん。すまないが火をくれませんか? そっちの右脇にマッチ箱がたんまりありますから」


 わたしは先生の返答を聞きながら、指示されたポケットからマッチを取り出して、一本に火をつける。


 先生は右手にしたタバコの先を差し出したので、わたしは揺れる車内で革張りの座席に気を付けながら火をつけました。しかし、困ったことにマッチ棒を捨てる場所が見当たらず、とりあえずハンカチーフにくるんででポケットに忍ばせます。


 道にごみを捨ててしまうことはよくないことだ、とおじい様から教わった数少ない言いつけなのです。


 どうも、とヘルマン先生はタバコを咥えると交通整理をしている警官の誘導に従って、車を港の方へ切りました。


「しかし、今回の件とその集団に関わりがあるかは、承認しかねるところです」

「そうでしょうか? バーガー氏の怯えようを見ますに、わたしには()の紳士に何か心当たりがあるような気がしてならないのです」


 ヘルマン先生はなるほど、と一服紫煙をふかして横目に見えてきたバルト海を一瞥します。


 窓から入ってくる風にほんのり潮の香りが混ざり、海鳥が桟橋に集まっています。小さな船が出はいりし、外輪船などは北端の方に数隻窺えました。


「メリーくん。時にキミは幽霊とか、お化けとかそういったものを信じたりしますか?」

「え? えぇっと、はい……」

「では、それらがいるということを証明していただけますか?」

「それはできません。できるはずもございません」


 わたしはヘルマン先生の脱線話に首を振った。


 すると、先生は『イーゼッタ二号』の速度を落としながら駅舎の方へ進めていきます。


「それと同じです。人間は想像力豊かです。恐れるモノを勝手に作ってしまう。バーガー氏にとって真っ先に思い浮かんだのが噂の集団というわけです」

「理屈ではそうお考えでしょうけども――」

「別に完全否定をするわけではありません。でも、じきにわかることですよ」


 そう言ってヘルマン先生は『イーゼッタ二号』を路肩に止めて、前開きのドアを開けました。


「とにかく、積み荷を運んできた海運を尋ねてみましょう。メリーくん。荷物を忘れずにお願いします」


 わたしは身なりを整えて、車を降り、後ろへ回ります。そこにはエンジンルームの蓋に括り付けられている小さなトランクケースがございます。仕事に欠かせない道具が入っている、と先生はおっしゃり、いつもわたしにこれを預けて行動をするのです。


 そして、『イーゼッタ二号』の施錠を終えるとヘルマン先生はすたすたと先に行ってしまいますから、わたしも急いで留め具を外し、トランクを両手で持って後を追います。


 駅舎から港は目と鼻の先です。


 朝には魚市場、御昼過ぎからは輸出入の品々があちこちで積み上げられ、積み下ろされています。お昼を過ぎるとせわしい人の波は落ち着いて、水夫さんが輸送船の準備をしていたり、漁師さんが道具の手入れをしているのが目立ちました。


 ヘルマン先生が窺ったのは海運の事務所ではなく、波止場に停泊しております遠洋輸送船です。船には様々な旗が上り、各社の目印となっています。バーグ氏からお伺いした海運社の船は立派な外輪を備えた蒸気船でした。


「失礼。少しよろしいですか?」


 ヘルマン先生は色黒の大きな体をした水夫さんを呼び止めました。


 体が大きく、リブステーキのような強そうな筋肉は海の男と呼ぶにふさわしい風体です。


 水夫さんは厚ぼったい唇をひんまげ、わたしたちを観察します。


「何です? うちは見てのとおり観光船じゃねぇんですが」

「いや、観光ではないのです。ぼくはジェームズ・ヴェン・ヘルマンというしがない探偵でして。少しお伺いしたいことがあるのですよ。なぁに、時間はとらせません」


 ヘルマン先生の笑顔を見た水夫さんはますます警戒して目を細めます。


 わたしもどうすればいいのかたじたじで、そっと背の高い先生の陰に隠れてしまいます。


「うちの会社が何かしでかしたんですかい、ダンナ?」

「いいえ。ちょこっと気になることがありましてね。あなたは一週間前にここにいらしたんですか?」

「ああ、そうだよ」


 水夫さんは周りの仕事仲間の目を気にしながら言いました。


 ヘルマン先生はよろしい、とつぶやいて、内ポケットから何かを取り出します。それから、水夫さんの手を掴んで、その中身を握らせました。


 水夫さんが驚いて、手を開くとそこには銀貨数枚があります。


「では、二つばかり質問を。一つ目にアメリカ発の『ビートリー社』名義の荷物を積み下ろした記憶はありますか?」

「え? ああ、それだったら覚えてる」


 水夫さんは銀貨をポケットにねじ込んで、気分を良くしていいます。


「何しろオレが積み下ろしたからね。実にあんたは見る目がある」

「重労働と考えれば、あなたのように逞しい男ほど信頼できるというものです」


 ヘルマン先生は口達者でますます水夫さんの調子をよくします。


「いやぁ、何の何の。樽をほんの十数を積み込んだだけでさぁ」

「お一人で?」

「ああ、オレが一番多かったのは確かだ。全体の半分。積み込みも荷馬車ときたから、上げておろしての繰り返しさ」

「なるほど――。いや、それだと、御者は手伝わなかったのですか?」


 ヘルマン先生はタバコを手に持ち替えて、尋ねました。


 すると、水夫も気難しい顔をして言うのです。


「ああ、御者だから馬の扱いだけだと言わんばかりに、まったく肉体労働をしない連中でしたね。それに、ひょろっちょい体つきだった。くいっぱぐれる寸での奴ら何だと思うぜ」

「水夫さん、頭が冴えていますね。その冴えわたった脳なら、御者の社名はご存知でしょうな」


 おだてて上機嫌だった水夫さんでしたが、そこで急に表情を曇らせます。


「それが、オレも知らない初めての連中だった。ダンナ、すまないがそこまでは知らないんだ」

「初めての方々?」


 わたしが質問を投げかけると、水夫さんは大げさに肩をすくめます。


「ああ、鉄道が出来てからは遠方の馬車屋なんてのはあんま見かけなくなった」

「町の配達はよく来るんですか?」

「いいや、そういうのは集荷場を通すのさ。なんでも特例らしくってな。太ったアメリカ人が立ち会って、そのまま出発しちまった」


 水夫さんは気前よく話してくれました。


 そういう話をしていると、他の方々も注目しだして仕事の手を休めて近寄ってきました。


「何かお困りか? 何なら、オレも協力するが?」

「いや、それで十分です。ありがとう」


 ヘルマン先生はタバコを咥え直すと、集まりだした人の合間を縫って駅舎の方へ去っていきます。


 わたしは慌てて水夫さんに会釈をして、先生の後ろについていきます。


 港からとんぼがえりで駅舎につき、その隣にあります荷物の受付所にその足をむけます。蒸気機関車の発車ベルが鳴り、けたたましいエンジン音を響かせます。仄かにけむっぽい臭いが漂う。荷物を取りおく倉庫の前には数台の馬車が停車し、荷物の搬入をしています。


 ヘルマン先生は受付につくなり、取次の男性がすぐに応対してくださいました。


「どうも、荷物の……、配送ですかな?」


 彼はわたしが持つ小さなトランクを見てから、ヘルマン先生に向きなおりました。


「いいえ、残念ながら」

「では、受け取りで?」

「それも違いましてね」


 先生の口ぶりに取次の男性は困った顔を浮かべて、首をかしげてしまいます。


 そうすると、ヘルマン先生は決まったように探偵であるという自己紹介をして、さて、と襟元を正して改ました。


「ぼくは『ビートリー社』のバーガーさんから荷物のことでご相談を受けましてね。少々お尋ねしたいことがあるのですよ」

「探偵さん。警察の頼みならわかりますが、探偵となっては話は別です。うちもお客さんの荷物を預かる側だ。話せることは何もないと思いますね」


 取次の男性は生真面目な細い眉をひそめて、先生を睨み付けます。


 しかし、ヘルマン先生はひるむどころかやんわりと笑みを浮かべて手を交差して否定します。


「いやいや、ちょっと景気のお話を伺いたいのですよ」

「それが何になる?」

「参考にはなります。鉄道が出来てこのごろ、馬車屋は儲かってるのかと思いまして」

「以前と変わらんと思うよ」


 取次の男性は受付の台に手を乗せて、人差し指でリズムを取ります。それは一定で苛立ちを紛らせているように思えました。


「鉄道や船から町に出すにも馬車屋は必要さ。表にも止まってただろう?」

「そうでしたな。しかし、遠征する配達屋はどうですか?」

「知ったこっちゃないよ。うちは商会名簿にある会社に委託して運ばせてる。信用はできるし、何しろこのご時世だ。廃業してる会社はいくらもあるし、食っていくためには仕事をしないといけない」

「おっしゃる通りですよ。さぁ新規にやろう、という無鉄砲な人はいらっしゃらないでしょう」

「同感ですな。新規参入なんてのはここしばらく聞いてない」


 取次の男性はそこまで言って、背を向けてしまった。


 これ以上話したくないのだろう。裏手で書類の整理を始めてしまった。


「お手間取らせました。ありがとう」


 ヘルマン先生は彼の背中に言って、わたしの肩を軽くたたきます。


「すみませんが、ドーラ夫人に電報をお願いします」

「何と?」

「二、三日帰らないという旨をお願いします。それで――」


 ヘルマン先生は出入り口で一度立ち止まり、振り返りました。


 その表情は自信に満ちていました。まるでこの事件を楽しんでいる風でした。


「ついてきますか?」

「はい。お供いたします」


 わたしは深く考えず、先生の後についていくことを決めたのでした。

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