1-1
今年に入って、反共和政府の動きが活発になったという話をよく耳にします。
動乱の後の政策に不満を抱えている人たちが増えているというのも、無理のないお話なのです。皇帝陛下が身を隠し、新しい政府が出来ても、動乱の賠償でみんな、ひもじい思いをすることになりました。
中でも軍人さんたちはその憤りを抑えきれずにいるのですから、デモ行進や公演は数多く執り行われています。退役将校方は徒党を組んで、その規模を拡大させている昨今は多くの若い人たちが賛同しているご様子。
しかし、例外というのはどこにでもいらっしゃる。
「まったくもって、どうしてぼくなんかにこんな手紙をよこすかね」
ジェームズ・ヴェン・ヘルマン先生は胡坐椅子に腰かけながら届いたばかりの手紙に憤慨しました。
わたしはというと、散らかった先生の応接間の掃除で部屋のあちこちに動いています。
「ご依頼のお手紙ではなかったのですか?」
「そうですね。そうであったなら、本当によかったです」
部屋のあちこちに散らばっている本を拾い集めて、額の汗を拭う。
ドーラ夫人のご自宅で下宿するようになって、まだ二か月ほどでしょうか。わたしはヘルマン先生の部屋に出入りするともあって、夫人から先生の部屋掃除を促すよう言いつけられているのです。
ですが、ヘルマン先生の散らかし癖ときたら、それはそれは酷いものなのです。
洗濯物は脱ぎっぱなしですし、タバコの吸い殻やマッチの燃えカスなどは暖炉にくべてそのまま。灰などは溢れるまで放っておくのです。書斎机も手紙や新聞ですぐに埋もれてしまう有様で、注意を促しても動く気配を見せません。
だから、ドーラ夫人の言いつけはわたしへの仕事に変わってしまったのです。
「黒兜団の公演会への招待状とは恐れ入った」
ヘルマン先生は埃がたとうとも気にする様子もなく、手紙のことで頭がいっぱいのご様子。
「先生はご参加なさらないので?」
「キミね。メリーくん。ぼくを犯罪者の仲間にしたいのかい?」
「そんなつもりで申し上げたのではございません」
わたしは本棚の前に散らかっていた本を集合させて、それから書斎机の整理に取り掛かりました。
古い書簡がいくつもあります。古い依頼のモノから、わたしがはじめて助手として関わりました『シェパード事件』のお礼状、税金の請求書等々が見事に散乱しています。それらを整理しながら、書簡箱に必要な手紙を収めて、古い請求書などはひとまとめに縛り上げます。
「では、なぜ?」
「お出かけをしてくだされば、すぐにでもお部屋を綺麗にして差し上げられますもの」
そういうと先生は苦い顔をして、あちこち動き回るわたしを目で追っているのがわかります。
そして盛大な溜息。
「助手として迎え入れたのは間違いだったかな。お手伝いさんを雇ったつもりはないのだよ、ぼくは。ああ、新聞は待ってくれますか。必要な記事はまとめておきたいのです。そう。机の上に置いたままで結構」
わたしは書斎机の新聞から手を離して、ふとある新聞記事に目を落としました。
「自由の国、自動車の普及率増大に伴い雇用を増やす。雇用ご希望の方は下記の住所までご足労願いたいし。まぁ、海の向こうはすごいのですね」
わたしは裾を結んでいるスカートの結び目を直して、袖をまくる。
「貧乏人には無縁の話です。渡る船の代金もバカにならない。マフィアも怖いこと……」
先生は呆れたように短い黒髪を掻きながら、椅子から立ち上がった。そして、置いてた本をとってその長身で最上段まで本を収めていく。
わたしはようやくヘルマン先生がやる気を出してくれたのだと思って喜びました。
「先生、とうとうやる気になってくださいましたのね?」
「貞淑な女の子のおみ足を見るのは、目に毒です。亡くなられたご両親が見たら、嘆いてしまうでしょうし、メリーくんを知らない紳士は悪魔祓いを勧めるよ」
その物言いはまるでわたしがはしたない女だ、と批判してるようなものです。これは心外極まりありません。
「まぁ。でしたら、今後はお部屋を綺麗にしていただけますか?」
「生真面目な性質は相変わらずのようで……」
面倒そうにヘルマン先生は本棚の整理を始めてくれました。
しかし、先生がわたしを破廉恥だと思ってくれても、少しでも部屋を片付ける気になったのなら、これ幸いと思うのです。
だって、私立探偵なんですもの。わたしの知る限りではその評判は悪くありません。紳士的な先生なので、依頼人たちも信頼を寄せてくれます。
ただ散らかった部屋をご覧になった来訪者は少し困った表情を浮かべて尻込みしてしまう方もいらっしゃる始末。それに下宿の主人であるドーラ夫人も、先生の私生活には気を揉んでいるご様子。
「先生が少しでも暮らしに不自由しないよう心掛けてくだされば、わたしもこのようなことはいたしません」
わたしはスカートのすそを一寸上げて見せますが、先生は本棚整理に夢中でした。
「家賃は払ってるんですがね。ご婦人方の綺麗好きときたら、ぼくは部屋の隅にいるしかありません」
「散らかさなければよいのです」
わたしが注意すると、ヘルマン先生は肩を上下させます。ジャンルごとに分類されているのでしょうけど、わたしにはアルファベットもバラバラな投げやりな入れ方に取れました。
「一人暮らしの男というのはね、自分の置いたものの場所くらいは把握しているものです。逆に片づけられると、把握していたものがそっくりなくなったも同じなんですよ」
「そうはおっしゃいますが、先生。以前にもハルペリー公爵様からいただいた礼状の云々で部屋中かき乱したことをお忘れですか?」
「キミの若い脳細胞が恨めしいよ。そんなに前のことを」
「一昨日前のことです、先生」
ヘルマン先生は整理を終えると、苦い顔をしてため息をつきました。
「そうした記憶力は仕事の手助けの時だけにしていただきたい」
そう言って再び胡坐椅子について、胸ポケットからタバコを取り出そうとしました。
と、そこへ呼び鈴が鳴って、ドーラ夫人がトレーに名刺を乗せて入ってきました。
「先生、お客様がお見えです」
ヘルマン先生は名刺を見るなり、口の端を釣り上げて言いました。
「ふむ。なるほど、通してもらえますか」
わたしもお客様が見えられると聞けば、すぐに身なりを整えて掃除用具の片付けに急ぎます。
ドーラ夫人が承って下がる間に、わたしは先生の期待に輝く瞳を見逃しはしませんでした。きっと面白い事件が入ってくるのでしょう。
こういう時ばかりはジェームズ・ヴェン・ヘルマン先生の好奇心旺盛さがうかがえるのです。