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前日譚――宇宙戦艦サルモン

 ヌール宇宙軍が所有する、最大級の宇宙戦艦サルモン。その艦橋ブリッジに入ろうとすると、自動ドアがロックされていた。

 予想していたことなので、ドルーアはジャケットの内ポケットからIDカード、――軍隊の認識票を取りだす。ドアの横にある読みとり機に、カードをかざした。

「ドルーア・コリント二等兵、あなたは操舵室への入室を許可されていません」

 電子音声がしゃべる。これも予想どおりなので、驚くべきことはない。

「操舵手のひとりであるチュオン・サリカと音声通話がしたい」

 ドルーアは廊下に立って、簡潔に答えた。

「許可します。ただし今は作戦行動中です。通話は録音されます」

「承知した」

 ドルーアは言い、左足を床からぺりっとはがした。次に左手で廊下の手すりを持って、右足も床から器用に離す。手を手すりから離すと、体がぷかぷかと浮いた。

 この船は、月周回軌道上を航行している。だから船内は無重力だ。さっきまで両足と床が軽いノリのようなものでくっついていたから、ドルーアは立てていた。

 ドルーアは無重力に慣れている。宇宙にも宇宙船にも慣れている。父のアルベルトは、宇宙船製造会社のドラド社に長く勤め、近ごろCEOに就任した。その父の命令でドルーアは、留学先の浮舟から故郷のヌールに戻り宇宙軍に入った。

(僕は、父の言いなりだな。でも、大学進学に魅力を感じなかった。ほかにやりたい仕事や追いかけたい夢もない)

 通話を待っているだけなのに、嫌な気分になった。すると予想外に、艦橋へのドアが開く。ひとりの中年女性が、満面の笑みを浮かべて立っていた。まるっぽい顔、目もくりくりとして大きい。顔も体も、少し太っている。

「サリカ!」

 懐かしさに、ドルーアは壁をけり、彼女に飛びついた。

「ドルーア。何年ぶりだい? 子どもみたいに飛びこんできて」

 サリカは大きな腕で抱きしめる。あたたかくて柔らかい、母親のような女性だ。

「今、いくつなんだ? 背も高くなった。あんたがヌールに帰ってきて軍隊に入ったと聞いて、驚いたよ」

 サリカは幼子にするように、ドルーアの頭をなでた。そんな風になでられるのは何年ぶりだろう。サリカとは長い付き合いだ。もの心ついたころにはすでに、彼女はドルーアのそばにいた。

「もう十九才だよ。サリカに会うのは多分、三、四年ぶりだ」

 ドルーアは、彼女のほおにキスをした。サリカもほおに、キスを返す。それから、ドルーアの顔をまぶしそうに見た。

「ハンサムになったじゃないか。あたしも誇らしいよ。あたしがあんたを探しに行こうと思っていたのに、あんたの方から会いに来てくれるなんて」

「僕がサリカの作った船に乗って、操舵室に遊びに行くのはいつものことさ」

 ドルーアは楽しげに笑った。サリカは、ドラド社に所属する技術者だ。年はもう、五十才くらいだろう。ドルーアが産まれる前からドラド社にいる、ベテランの生き字引だ。また彼女は父アルベルトの友人であり、母の優里とも親しい。

 ドルーアもそのうち、ドラド社に入る。今は軍にいるが、ずっといるわけではない。父の命令は、一年ほど従軍しろだった。ドルーアの未来は、父やほかの大人たちによってだいたい決められている。

 それは、ドルーアがコリント家の跡取りのような立場である以上、仕方のないことだった。ドルーアはそれに、特に不満はない。ないはずなのに、なぜか苦い気持ちになる。

「サリカ! せっかくの機会だ。彼を紹介してくれ」

 少し高い場所にある艦長席から、ひとりの壮年の男が声をかけてきた。ヌール宇宙軍の士官用制服に身を包んでいる。詰襟の軍服で、黒を基調として金色のボタンがついている。全体的に、クラシカルなデザインだ。

 対して、入隊したての下っ端であるドルーアの着ている制服は、今風のデザインだ。開襟型で、ネクタイをしめている。ジャケットの色は濃紺ネイビーブルーだ。なかなかにかっこいい服なので、これを着るために軍隊に入る若者もいるらしい。

(あ、敬礼をしなくては)

 ドルーアはあわてて両足を床にくっつけて、びしっと敬礼した。いまだに不慣れなあいさつだ。彼は、艦長のロジェ・マクーン中佐だ。上官の登場に、心もち緊張する。

 ロジェは軽く笑って、敬礼を返す。士官学校を卒業した、エリート軍人だ。敬礼も手慣れている。彼はふわりと浮いて、ドルーアとサリカの方に近づいてきた。

 艦橋には、サリカとロジェを除いて、五、六人ほどが働いている。軍服を着ている人はひとりもいない。スーツ姿の人もいれば、ラフなつなぎ姿の人もいる。自動航行中でひまなのか、ほぼ全員がドルーアたちの方を見ていた。

 ロジェがそばまで来ると、サリカがドルーアを紹介した。彼女は、グレイのパンツスーツ姿だ。

「さきほどドアの解錠許可をいただくときにも話しましたが、彼はドルーア・コリントです。ドラド社CEOであるアルベルト・コリントの息子です」

 ロジェはドルーアに手を差し出した。

「ロジェ・マクーンだ。君もほかの若者たちと同じく、すぐに退役するのだろう。だが君とは、長い付き合いになりそうだ」

「よろしくお願いします」

 ドルーアはあやふやに笑って、握手を交わした。ロジェの手は力強かった。彼は、ドルーアがドラド社に入り、その後、長く付き合いが続くと言っているのだ。

 ドラド社は宇宙戦艦を作っている。その戦艦を買うのは、宇宙軍を持つ国家たちだ。そして実際に戦艦を運用するのは、ロジェを含め軍人たちだ。

 ドルーアにとって、ロジェとのつながりは有用なものだ。そういったコネを作るために、ドルーアは宇宙軍に入った。また、軍隊経験者という箔をつけるためでもある。

 さらに、ドラド社が今後ますます軍事方面に力を入れることを、内外に示すためでもある。今年か来年にでも始まりそうな、人類初の星間戦争に向けて。けれど……。

(なぜだろう。大好きなサリカに対して、いらいらする)

 サリカがドルーアを、CEOの息子と紹介したからかもしれない。昔、操舵室でひどいいたずらをして、サリカにおしりペンペンされた悪ガキと紹介された方がうれしかったかもしれない。ロジェは笑って、艦橋内を見まわした。

「この船も、ドラド社のものだ。出港からまだ半日も経っていないが、快適な船旅だ。しかもドラド社はヌール軍の実情を分かって、サリカたち優秀なスタッフも派遣してくれた」

 サリカは愛想よく、にこりと笑った。ドルーアは反応に困って、また適当に笑う。

 サルモンはヌール軍の船だが、実際に動かしているのは、ドラド社のスタッフたちだ。今、ここで働いている軍服を着ていない人たちだ。新造船のテスト航行という名目で、彼らは乗りこんでいる。

 本来ならば宇宙戦艦を動かすべきヌールの軍人たちは、――特権階級が身にしみついたヌールの若者たちは、娯楽室で無重力ならではのゲームを楽しんだり、バーで酒を飲んだりしている。宇宙港を出て一時間もしないうちに、自然とそうなった。

 ドルーアも友人たちに誘われたが、断った。角が立たないように断ったつもりだが、「軍事演習中に何をやっているんだ?」というあきれた気持ちが顔に出たかもしれない。そもそもなぜ戦争に行く船に、ビリヤード台のある娯楽室だのバーだのがついているのか。

「艦橋を見学するかね? 君なら、自由に歩き回って構わない」

 ロジェは鷹揚に言った。

「ありがとうございます」

 居心地の悪さを感じつつ、ドルーアは礼を述べる。ロジェはふわっと飛んで、さっと艦長席に戻った。ドルーアから歓迎されていない雰囲気を感じ取ったのかもしれない。サリカが優しくほほ笑みかける。

「マクーン中佐に緊張したかい? あの人はヌール軍にはめずらしく、できる人だから」

 ドルーアはあいまいにうなずいた。確かに、ロジェは仕事ができそうだ。彼は、兵士たちが娯楽室などで遊んでいることを知っている。知った上で放置している。

 ヌール宇宙軍は、見かけ倒しの軍隊だ。ドルーアはそれを分かって、約三か月前に入隊した。しかし入隊後、予想以上にハリボテな軍隊に嫌気がさしている。

「こんなので、いいのかな?」

 ドルーアは低い声でつぶやく。ドルーアにも、この演習中に仕事はない。遊んでいてもかまわない。

「いいのだよ。そのうち慣れるさ」

 サリカは、ドルーアの言葉の意味を分からずに笑った。

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