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3 パスタを作るのも大事だけど

「裕也!?」

 朝乃は仰天して、さけんだ。何がどうして、今、ここに裕也がいるのか。朝乃は大混乱だ。弟は、朝乃と同じ垂れ目の両目を細めて笑う。

「驚くまでの時間が長いよ。それから包丁を、いつまで持っているんだよ」

 彼はベージュのチノパンにTシャツを着て、チェックのシャツをはおっていた。スリッパを履いていて、全体的にラフなかっこうだ。

 六日前に再会したときは、目つきは悪く剣呑な雰囲気だったが、今はちがう。従軍前の、優しい顔つきに戻っていた。朝乃が包丁をまな板の上に置くと、

「朝乃、会いたかった。朝乃は変わらないな」

 裕也は懐かしそうにほほ笑む。朝乃はたまらなくなって、彼のところへ駆け寄った。

「私も会いたかった」

 ぎゅっと抱きしめ合う。抱き合っているうちに、何も疑問は解けていないのに、朝乃の頭の混乱は収まっていく。裕也がいる。それだけがすべてだ。離れていたときが、うそみたいだ。昨日もおとといもそばにいて、これからさきもずっとそばにいるみたいだ。

 産まれる前から一緒にいて、両親がなくなった後も支え合ってきた。孤児院でも学校でも、そばにいた。なのに裕也だけが従軍した。去年の誕生日、朝乃は初めてひとりぼっちのバースデーを経験した。さびしくて、みじめで、裕也を求めて泣いた。

 裕也は、朝乃のほおにキスをした。ひさびさに口づけをされて、朝乃は顔を赤くした。

(しまった。キスは、やってはいけないことなのに)

 裕也は複雑な表情をして、朝乃を離す。自分からキスしたくせに、こんなことをやるんじゃなかったみたいな顔をしている。

 彼は長くなった髪を、後ろで適当にくくっていた。裕也の髪を切るのは、朝乃の仕事だった。朝乃と裕也は、一年以上も離れていたのだ。朝乃は切なくなって、弟の髪に手を伸ばす。しかし裕也は朝乃から視線を外して、緊張した様子で口を開いた。

「初めまして、細田さん。俺は村越裕也と申します。朝乃の弟です」

 朝乃は驚く。翠がダイニングに立ち、険しい顔で裕也を見ていた。

「そのボタンを押すのはやめてください。お願いします」

 裕也のせりふで、朝乃は気づいた。翠は右手に、何かを隠し持っている。彼女は朝乃に、視線で問いかけた。

「弟の裕也です。私が彼を見まちがえるわけがありません」

 朝乃はしっかりと言った。翠は、ほっとして全身の力を抜く。右手のものは、ガーディガンのポケットにさっと入れた。裕也も安心したように、息を吐いた。翠は苦笑する。

「初めまして、裕也君。最初に聞いていいかしら。あなたは、どこから家に入ったの? 玄関から、それとも窓から?」

「失礼を承知の上で、玄関も窓も通らずに、直接キッチンに入りました」

 裕也はまじめに答える。何それ? と朝乃は思ったが、ちょっとしてから理解した。弟は一流の超能力者だ。瞬間移動で、どこからかキッチンに飛んできたのだ。

「そういうことができる超能力者なのね?」

 翠の問いかけに、裕也はうなずいた。

「だけど人の家に入るときは、玄関から入ってちょうだい。あと少しで警備会社を呼ぶところだった」

 少し怒った調子で、翠は言う。彼女は右手に、警備会社への通報装置を持っていたらしい。しかし朝乃は、翠がそんな防犯グッズを持っていると知らなかった。

 ただ翠の警戒は当然だ。朝乃は浮舟に来た当日に、二回も不審者たちに襲われた。なので翠は、朝乃と一緒に近所のスーパーやパン屋やクリーニング店などに行ったときも、この装置を持っていたのだろう。だから安心して外出できた。

「ごめんなさい。けれど俺は、今、この家にいると知られたくないのです。朝乃が大切な存在、――俺の弱点と知られたくないのです」

 裕也は真剣に話す。

「この家は常時、見張られています」

 朝乃は驚いたが、翠はまったく驚いていなかった。

「私と功も、そう考えている」

「朝乃を人質に取られれば、俺はそいつの言うことを聞かざるをえません。今は誰も朝乃に手を出そうとしていませんが、チャンスがあれば必ず連れ去るでしょう。だから家の中に直接、瞬間移動でやってきました」

 朝乃は、翠たちと過ごす平穏な日々に慣れつつあった。しかし朝乃の置かれた状況は変わらない。朝乃の気持ちは重くなった。裕也もつらそうな顔をしている。翠は優しくほほ笑んだ。

「あなたの事情は了解した。でも、あなたがここにいることを、功とドルーアにだけは知らせてもいいかしら?」

「もちろんです」

 裕也はすぐさま答える。

「分かった。それから、お昼ご飯とおやつを食べる時間の余裕はある?」

 翠はにこっと笑った。裕也も、ぱっと笑顔を見せる。

「あります」

「じゃ、朝乃ちゃん。三人分の食事をお願い。私は功たちにメールを送るわ」

「はい」

 朝乃が返事すると、翠はリビングへ戻った。裕也は、ぽーっとしたあこがれのまなざしを、翠の消えた方に送る。裕也にとって翠は、尊敬する功の妻だ。

 そして翠は、裕也の好みのタイプでもある。裕也が好きなのは、胸の大きな年上の女性だ。彼は自分の好みを周囲に悟られないようにしているが、朝乃にはバレバレだった。さすがに翠には、恋心は抱かないだろうが。

「翠さんも口にするものだから、適当なものは作れない。俺も手伝うよ」

 裕也は少し顔を赤らめて、いそいそとキッチンのIHコンロへ向かった。朝乃はあきれる。

「裕也。パスタを作るのも大事だけど、聞きたいことがいっぱいある」

 料理をしながら話す内容かどうかあやしいが、裕也が昼食前に来たから仕方ない。

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