まずは事の始まりについて
私の毎日の楽しみは、めったに人が来ないこの旧校舎(現部室棟)の角にある部室で絶好の日当たり条件を持つ窓際に椅子を置いて陣取り読書とアフタヌーンティーを楽しむことである。五月初めのこの時期に、窓を開き、日の光を一身に浴びて、春のそよ風に身をゆだねながらお気に入りの本を開き、一杯のアツアツの紅茶をお供に静かな時間を過ごしていると、ゆっくりと時間が流れ騒がしい俗世間から隔絶されたように感じる。本のページをめくる音と窓から微かに聞こえてくる木を揺らす風のさえずりだけがこの部室の中を支配するのだ。
私は音を立てないようにそっと紅茶を口に運ぶ。紅茶から立ち上る湯気が私の読書の邪魔をするのが難だが、それさえも今は心地いい煩わしさだ。ピリッと舌を刺激する熱さと甘さの中に隠れる苦味が少しだけ私を現実に引き戻す。しかしその小さな刺激では足りず、私はまた本の世界に没頭する。
制服の布、外を吹く風、本の紙、眉にかかる髪、椅子の木、眼鏡のフレーム、薄紅の紅茶、ティーカップの陶。いろんな感触と匂いと音がごちゃ混ぜになって私の肌を優しく撫でる。
静かで優雅な残春の午後。
でもそんな時間もすぐに来るであろう一人の人物によって壊される。破天荒で無茶苦茶で突拍子もなくて奇想天外な—――、
「後輩君!後輩君!」
私の先輩のせいで……!
「なんですか先輩」
私は極力不機嫌さがにじみ出ないよう気をつけつつ先輩に問いかけた。
「後輩君、なんかイライラしてるね?」
おや。顔に出ていたらしい。
「どっかの誰かさんが私の読書タイムを邪魔したからですよ」
「なんと。それはひどいことをする奴がいたもんだ」
「はい。全くです」
あんたの事だよこの野郎。
「ところで先輩。ノックもせずに部室に駆け込んでくるのはいつもの事ですが、今日は一体どうしたんですか?」
どうせまた厄介事なんだろうけれど。
「うん。それがね後輩君、君はこの学校の七不思議を知っているかい?」
先輩が妙に偉ぶった態度で尋ねてきた。架空のひげをなでるような仕草までしている。後輩の私よりも身長が低くて、さらに童顔の先輩がその仕草をしても果てしなく似合わないのだが本人は気付いていないようだ。
「七不思議、ですか?夜中に人体模型が動いたり、音楽室の肖像画の目が動いたりするって言うあの?」
「そうそう、その七不思議!他にも夜中にピアノが突然鳴り出したり、二宮金次郎像は動き出したりする」
「ああ、そんなのもありましたね。しかし先輩、どうして急にそんな話を?」
いや、聞くまでもないだろう。実際あまり人付き合いが得意ではない私にも耳にはいってくるくらい、今この学校では怪談話が流行っている。
曰く、この学校が建っている場所は昔墓地だったとか。
曰く、屋上が閉鎖されているのは自殺した幽霊によって多くの人身事故が起こったからだとか。
曰く、4時44分に4階の鏡を見ると異世界に飛ばされるとか。
曰く、丑三つ時の学校には怨霊が跋扈するだとか。
曰く、大事なコンクール前に死んだ女子生徒が夜な夜な音楽室のピアノを弾いているだとか。
どれもこれも聞くに堪えない世迷言や眉唾物だと思うけれど、しかしそれでも怪談話がこの学校で流行っている。
うわさ好きの先輩の事だ、この手の話題はおそらく私以上に詳しいだろう。
そしておそらく先輩は私が心の中で予想した内容の事を言うに決まっている。だってこの人は、
「決まっているじゃないか。その七不思議を確かめるためだよ」
誰よりも面白い事が大好きな学校一の変人で、私がこの人に半ば強制的に入部させられた「知的探求部」の部長なのだから。
知的探求部。
私たちの通う学校にはそんな名前の一風変わった部活がある。活動内容は部活の名前通り、人間の持つあらゆる知的探求心を調査、研究し、かつ満たす事。興味を持ったものについてとことん調査を繰り返し自らの知的探求心を存分に満たすことが活動目的と言う、まあいわゆる変人の巣窟ともいうべき部活である。この部活に参加している生徒は、誰もが自分の知的探求物を持っている。例えば数学、化学、物理学と言った勉学の分野や、テニス、サッカー野球と言うスポーツの分野、果てはアニメや漫画と言うサブカルチャーを本旨としている者までいる始末だ。
私から言わせれば勉強がしたいなら帰宅部に、スポーツに興味があるなら運動部に行けば良いと思う。事実、ほとんどの部員はこの部室で活動をしない。いや、している人もいるにはいるのだろうけれど、入部してからこの部室を使って知的探求をしている部員に私はあったことがない。だからその事を本人達に話してみるのだけれど、こぞってそう言う問題ではないとみんな言うのだ。彼らが言うには、知的探求はあくまで知的探求でありわざわざ部活動に入ってすることではないそうだ。いや知的探求部に入部して知的探求を行っているのに矛盾はないのかと突っ込みたいのはやまやまだが本人たちの中では満足に足る矛盾の無い答えらしいのでこれ以上は黙っていることにしている。蛇が出てくるのが分かっていてわざと藪をつつくのも馬鹿らしいという事だ。もう勝手にやってくれ。
ただ、そんな変人ばかりの部活により変人だと言われている者がいる。
何を隠そう私と部長である。全く失礼な。
知的探求部において私と部長は異質な存在である。
知的探求部に入部しておきながらただの一つも知的探求物を持たない私と、知的探求部に所属しているにも拘わらず知的探求物をひとつに定めない部長。
基本的に知的探求部では入部してから退部するまでの三年間、たった一つの事柄を知的探求するのが常と言われている。芸能、勉学、スポーツ、趣味。どんな分野であれ、知的探求部員が知的探求物と定めるものは一つである。
しかし私にはそのどれにも興味を示さず、他の部員が持つような知的探求物を持たない。まあ、その理由は後で追々説明しよう。
対して部長は私とは真逆にあらゆるものに興味を持ち何でもかんでも自分の知的探求物にする。私が入部した最初の三日はタロット占い、次の四日は落語、その次の二日はウーパールーパーについてだったし、次の一週間は毎日映画三昧だった。先輩はこれと決めたら一直線だ。連日暇だった私を連れまわしていろんな所に行った。おそらくこの町で私と先輩が行かなかった場所なんてないくらいに。
そして今回は学校で流行りだした怪談話。それも特に学校の七不思議と言うやつが先輩の知的探求物として選ばれたのだろう。
先輩はいろんなものに興味を持つが悪く言えば惚れやすく飽きやすいのだ。どうせ今回も長く続いて一週間と言ったところだろう。
「ふむ。七不思議、ですか。別に調べるのはいいんですが......。ところで部長」
「なんだい後輩君。後輩君の質問にならジョンFケネディの暗殺事件の真犯人から今晩のぼくのオカズまで何でも答えてあげるよ!ちなみにオカズって言うのはもちろん性的な意味での――――」
「いえ、そういうのは良いんで」
てか昼間っから何を言ってるんだこの人は。
「うちの学校の七不思議って何があったかなあって...」
七不思議は数あれど、学校によってその種類は多岐にわたる。実際二宮金次郎像がある学校とない学校では怪談が違っていたりするからだ。
先述したとおり、私は決してコミュ障と言うわけではないが、あまり人と話さない。そのせいかこの学校の七不思議をすべて知らないのだ。大事なことだから二回言うが、私はコミュ障ではない。ただ人と話すのが嫌いなだけだ。
「この学校の七不思議かい?それなら簡単だよ――――」
先輩の話を要約すると、
一つ目、夜の音楽室では誰もいないのにピアノの音が鳴る。
二つ目、美術室のデッサン用の胸像を壁に向けて置くと翌朝はこっちを向く。
三つ目、北校舎西側のトイレには花子さんがいる。
四つ目、夜中に理科室の人体模型が動き出す。
五つ目、夜の八時十二分に校舎裏に行くと火の玉が浮いている。
六つ目、この学校には敵に回すと厄介な部活があるらしい。
七つ目、どうやら先の六つを知った人間はある呪文を唱えないと大変な事になるらしい。
ってか六つ目の奴って完璧にうちの部活の事だろう。
「それで部長。学園の七不思議を確かめるって何か当てでもあるんですか?」
ぼくがそう聞くと、先輩は自信たっぷりにうなずいて
「もちろんあるさ、後輩君」
と、再び架空のひげをなでる仕草をする。似合ってないっチューに。
「あるんですかそんなの」
「もちろん」
「ふーん。それで?何を調べるんですか?」
「ん?」
「首を傾げないでくださいよ。あてがあるってことは、どの七不思議について調べるか決めているんですよね」
「あっうんもちろんあるよ。最初はね、音楽室のピアノについて調べようと思うんだ」
「あっ、そうなんですか」
今この人さらっと「最初は」っていったよな。
「うん。僕の友達の友達にその話に直接会ったって子がいるんだ。だからその子に話を聞いてみようかなーって。今から話を聞きに行くから後輩君、準備して」
「って今からですか?!」
「もちろんだよ。善は急げって昔からよく言うだろ?」
「...はあ。分かりましたよ」
まったく。この人はいつもこうなんだから。
それでも、やれやれと言いながら準備をする私もなかなかに大概なのだろう。