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第10章

 夏樹からのメールが届いたのは、アイツと飲んだ翌日の早朝のことだった。


『今夜、あいたい。』


 ケータイの画面を見つめて俺は、しばらくの間、固まった。

 意中の女性からだったら飛び上るほど嬉しくなりそうなメールだが、相手が夏樹からだと思うと昨夜のアルコールが蘇り吐きそうになった。

 とりあえず、『いつでもOK』とだけ返信し、俺は自室を出て食堂へ向かった。

 食堂では、母ちゃんが子どもたちが食べた朝食の後片付けをしている。

 子ども達は皆、保育園へ学校へと出て行った。


「あんたも早く食べちゃってよ!いつまでたっても片付きやしない」と、せかされた俺は、大きなあくびをしながらいつもの席に腰かけた。

 目の前には、俺の分の朝食だけが、ぽつんと支度されている。

 軽い二日酔いで食欲はあまり無かったのだが、食わないと母ちゃんに何を言われるか分からないので、無理やりトーストにかじりついた。

 そのとき、台所で洗い物をしながら母ちゃんが声をかけてきた。

「夕べは、随分と酔ってたみたいだね」

「そうか?そんなに飲んでないよ。」俺はそう答えたが、実は帰ってからの記憶はほとんどない。

そのとき、テーブルの上に置いたケータイからトトロの軽快な音楽が流れた。


 画面を見ると、そこには見慣れぬ電話番号が表示されているだけで、相手の名前はない。

 俺のメモリーには記憶されていない人物からの着信だった。

「誰だろ?こんな朝早くに…」とつぶやいたあと、ふと壁掛け時計に目をやると、時刻は9時を回っている。少なくとも非常識な時間ではないようだ。

 もしや、会社の誰かから?と、一瞬戸惑いもあったが、えい!とばかりに通話ボタンを押した。


「…もしもし?」俺が、明らかに警戒心丸出しの口調で電話に出ると、聞こえてきた相手の声は聞き覚えのあるものだった。

「もしもし?春山さんですか?」

 電話の相手は、冬月アヤだった。


「ふ!ふゆつき!!」


 俺の口からトーストの食べかすが飛び出した。

 そんな慌てふためいた俺とは正反対に、冬月は至って冷静な口調でいった。

「春山さん、今夜会いたいんですけど…都合どうですか?」

 これには、ついさっき届いた夏樹からのメールとは違い本気で喜んだ。

「もちろん、大丈夫だ!ところで、お前…今まで何してたんだよ!急に消えたから心配して…」

「そうですよね。ごめんなさい!」冬月は俺の言葉をさえぎって早口で謝罪してきた。

「あ、いや…別に元気にしてるならそれでいいんだ。話は会ってからゆっくり聞かせてもらうよ」

 そして、その日の夜、俺は冬月と会う約束をした。


 そう、この瞬間、もちろん俺は夏樹との約束なんてすっかり忘れ去っていた。


 冬月は、待ち合わせ場所に意外な場所を指定してきた。


東京タワー


「なんで東京タワーなんかで待ち合わせなんだ?」

 と、俺は聞いたが、冬月は「まぁ、いいじゃないですか」と明るく答えた。

 そういえば、俺が勤めていた会社から東京タワーは、それほど遠い距離ではなかったが、考えてみれば一度も行ったことは無いことに気が付いた。

 冬月にそんな気が無いことは分かっているが、冬月の様な美女との待ち合わせに東京タワーを指定されるとは…なんだかデートにでも誘われているようで、つい頬の筋肉が緩んでしまう。


 待ち合わせの時間は午後6時だったが、俺は1時間も早く到着した。

 太陽は西へ沈みかけ、街灯が灯る。東京タワーがライトアップされ真っ赤に浮かび上がった。

 見慣れているが間近で見ると、やはりデカい。

 待ち合わせ場所の正面入口にあるチケット売り場前へ行ってみたが、当然まだ冬月の姿はない。

「ちょっと早く着きすぎたな」

 時間を潰そうと思い、あてもなく近くをウロウロ歩き回ってみたが、結局20分ほどで戻ってきてしまった。

 チケット売り場には、カップルや親子連れが列を作っている。さすが日本を代表する観光スポット、こんな時間でも結構、人いるんだな…

 少し離れたところに空いてるベンチを見つけて、腰を下ろす。隣のベンチでは、グレーのスーツを着た若い女性がノートパソコンのキーボードをカタカタと小気味よく叩いている。


 約束の時間までまだ30分以上ある…あらためて、昨日の冬月の様子を思い返してみる。

 あの日の深夜、突然姿を消すほどの急用とは、一体なんだったのか?

 少なくとも電話の声は明るく、いつもの冬月だったような気がする。

 深刻なことになっていなければいいが…これ以上、冬月には傷ついてほしくない。心からそう思った。


 その時、スマホが鳴った。

 画面を見ると、冬月からだった。

 もしかして、「急に来れなくなった」とか言うんじゃないだろうな……と、恐る恐る電話に出てみる。

「もしもし?」

「春山さん、早くないですか?」

「え?早い? あぁ、電話に出るのが?」

「違いますよ、待ち合わせまでまだ30分もありますよ!」

 といって、冬月は笑った。


 ——へ?

 思わず周りをキョロキョロと見回した。

「なんだよ、冬月!どっかで見てるのか?」

 立ち上がって周囲を見たが、冬月らしき姿は見えない。


「ここですよ!ここ!」

 ……へ?

 ふと、隣のベンチから視線を感じて見てみると、そこにいたのはグレーのスーツに身を包んだ冬月だった。

「なっ!!なんだよ!!いつの間に!!」

 本気で驚いて、思わずスマホを落としそうになった。

灯台下暗しとは、まさにこの事だ。

「いつの間に…って、私の方が先にいましたからね。」と、ノートパソコンをバッグに仕舞いながら冬月は笑った。

「…あ、そういえば、そうかも…」

 でも、あの日あけぼの園で見た冬月と、いま目の前にいる冬月は、本当に同一人物なのだろうか?と思うぐらい雰囲気が変わっているように感じた。


 あ、そうか。スーツだ。

 冬月は仕事の時はいつも少し派手目なブラウスに短めのスカートを着ていた。

 こんなグレーのスーツ、しかもパンツスタイルでカチッと決めた冬月を見るのは始めてかもしれない。

 これは流石の俺も気付くはずがない。と自分自身に言い訳をしてみた。

 それにしても、冬月はなんでこんな時間にスーツなんて着ているのだろう。


「デートに30分も早く来るなんて、なかなか良い心がけですよ。春山さん!さっ、じゃあ行きましょうか。」と冬月は立ち上がり、スタスタと東京タワーの足元へ向かって歩き出した。


 ……え?いまデートって言った??

「おい、冬月!ちょっ、待て…」

 俺は、振り返る素振りも見せずにスタスタと歩く冬月の背中を、急いで追いかけた。

生まれて初めて登った東京タワーの展望台は、想像以上に高かった。

 そして生まれて初めて、自分が高所恐怖症だということを知った。

「うわ〜!めっちゃ綺麗!」

 恐怖心を悟られまいと必死で耐える俺を尻目に、冬月は無邪気に声を上げた。

 展望台から見下ろす東京の夜景は、銀河に浮かぶ巨大な宇宙船のようで、この無数の光の向こう側に、無数の人たちの営みがあるのかと思うと、なんだか不思議な気分だった。

 でもその景色を、美しいと感じるより、俺の場合、恐怖心の方がはるかに上回っている。

「そ、そうだな…きれいだな…」

 と、頑張って言ってみたものの、とても下を見る気にはなれない。


「あ、春山さん。私から誘ったのにチケット代出してもらっちゃって、なんかすみません」

 冬月は、手すりから身を乗り出して、はるか下にある地面を見下ろしながら言った。

「いいよ、それぐらい。それより、なんで東京タワーなんだ?」

 話をするなら、出来れば地に足をつけて話したかった。

 冬月は、少しの間黙り込んで夜景を見つめていた。そして口を開いた。

「わたし、東京タワー来るの初めてなんです」

「え?そうなの?」意外だった。

「はい、子供の頃、友達が家族で東京タワー行ったって話を聞いて、すごく羨ましかったんです。うちは、そういう家庭じゃなかったから…」

 そういえば、俺が孤児だったことを冬月に話した時「私も似たようなものだから…」と言っていたのを思い出した。

「そうなんだ…」とだけいい、それ以上のことは、聞けなかった。

「そうなんです。だから、いつか大切な人が出来たら絶対来たかったんですよね」

「そうなんだ………。って、…え?」

「いま、大切な人が出来たら…って言いました?」とは、もちろん聞けず、軽くパニくっていると


「母が亡くなったんです」


 冬月がまっすぐに夜景を見ながら突然つぶやいた。


 …え??


 愛の告白をするために、ここへ連れてこられたのかも…なんて一瞬でも考えたおめでたい自分を呪った。

「え?」

「あの日、春山さんの実家に泊めてもらった日の夜、病院から電話があって…それで…」

 ここまで言うと冬月は言葉を詰まらせた。

 少しの沈黙のあと、冬月は何かを話そうとしたようだが、華奢な体を小刻みに震わせるだけで言葉にすることは出来ないようだった。

 そして、夜景を見つめる瞳から涙がこぼれ落ちた。


 どれぐらい時間が経ったのだろう。

 俺も冬月も無言のまま、ただずっと東京の夜景を眺めていた。

 こんな時、男はどうするのが正解なのだろうか?

 恋人なら迷わず抱きしめるのだろうが、俺は違う。

 そういえば、前に似たようなことがあった。冬月と一緒に6年ぶりに実家のあけぼの園へ帰ったときだ。

 父ちゃんが死んだことを知り、俺は家を飛び出した。追いかけてきた冬月は、俺のことを慰めてくれて…それで…


「冬月…」と、肩に手を伸ばしかけた瞬間、冬月がくるっと俺の方に体を向けたので、慌てて手を引っ込めた。


「春山さん、お腹空きませんか?」

 冬月なりに、この重い空気をつくった責任を感じているのかもしれない。

「あ、ああ…そうだな。なんか食いに行く… か?」と俺が言い終わるよりも先に、冬月が真正面から抱きついてきた。


「…冬月…」

 それ以上の言葉が出てこない。

 こういう時、どんな言葉をかけるのが正解なのだろうか。

「急にこんなこと、、、ごめんなさい」

 俺の胸に顔を埋めながら冬月が言った。

「いや……俺の方こそ、何にも知らなくて……大丈夫か?」

 展望台にいる他の客たちの視線が気にならなかったと言えば嘘になるが、このままもう少しこの時間が続けばいいのに…と思っていた。

 ーー1分?2分?いや、もっと経ったのだろうか。

 冬月はゆっくりと顔を上げ、半歩だけ後ろに下がり俺の体から離れた。それでもまだ俺の胸元には冬月の体温と香水の淡い香りが残っていた。


「…大丈夫です。この1週間で泣き尽くしたつもりだったのに…春山さんの顔見たら…なんか気が緩んじゃった。ごめんなさい」

 作り笑顔で話す冬月が痛々しい。

「さ、夜景も見れたし、なんか食べに行きましょうよ」

 このあと、どんな顔をして冬月と食事をすればいいのか…不安はあったが、こんな時の食事相手に俺を選んでくれたことが素直に嬉しかった。


 そして高速エレベーターで地上150mの展望台から地面に降り立つまでの間に、冬月は俺が知っている冬月アヤに戻っていた。


 時間はもうすぐ午後7時になろうとしていた。

とりあえず東京タワーを出て最寄駅の方へ向かい歩き始めるが、途中何軒かあったレストランはどこも満席で、メイン通りから一本路地裏へ入ったところでようやくイタリアンの店へ入ることができた。

 東京タワーからのイタリアン、流れ的には完全にデートコースだが、二人の話題はそれほど軽いものではなかった。


 1人4000円のちっともカジュアルな価格じゃない「カジュアルディナーコース」を注文すると、店員から「お飲み物はどうされますか?」と、ドリンクメニューを手渡された。

 グラスビール900円…

 思わず「財布の中に幾らあったかな…」と心配になった。と、その時

「春山さん、今日は私がご馳走しますから、好きなもの頼んでくださいね!」

 と冬月。

「あ、なに言ってんだよ。だめだめ、冬月は仕事も辞めちゃったんだし、ほら、その…お母さんのことも色々あって大変だったんだから…メシぐらい俺がご馳走するって!」

 と、内心「割り勘でどうだ?」と言いたいところをギリギリで踏みとどまった。

「仕事辞めちゃったのは、春山さんだって同じじゃないですか?」と冬月が痛いところを突いてきた。

 そういえば、あれから1週間経つが、一体俺の去就はどうなっているのだろう。

 いまだに会社からは何の連絡もなく、宙ぶらりんのままだ。

 そんなことを考えてる間に冬月が、通りかかった店員を捕まえて

「ビール2つください」とあっさり注文をしていた。

「…あ、ごめん」

 何に対しての「ごめん」なのか自分でも良く分からないがとりあえず謝っておいた。

「大丈夫です。私がご馳走するって言ったじゃないですか。それに、わたし…」

「ん?それに、わたし…なに?」

 冬月は、一瞬ためらう表情を見せたが、その顔はすぐに意味深な笑みに変わり

「わたし…お金ならあるんです。」と続けた。

「あ…そうなんだ…」

 冬月の言葉の真意が掴みきれずにいると、テーブルの上に前菜とビールが運ばれてきた。


 それから、イタリアンのフルコースとともに2人でビールと赤ワインを2杯ずつ飲み干した。

 その間の約1時間半をたっぷり使い、この1週間で冬月に起きた一部始終を聞いた。

 冬月の生い立ちのこと、育ての親である叔父さん、叔母さんのこと、その叔母さんの日記のこと、相続をめぐる親戚たちとのやりとりのこと、遺産のことなど…

「わたし、お金ならあるんです」の意味もここでようやく理解できた。

 途中冬月は、声を震わせ涙を浮かべることもあったが、気丈に全てを打ち明けてくれた。

「そうか…大変だったな」

 こんな恐ろしくありきたりな事しか言えない自分が情けなかったが、酒のせいもあり、本当にこれ以上の言葉は、どの引き出しを開けても見つけられなかった。


 結局、この日のディナー代は俺がトイレへ行った隙に冬月がカードで支払いを済ませてしまうという漢気に甘えることになり、店を出た。

「あー、美味しかった!」冬月は、アルコールのせいか、それとも全てを告白してスッキリしたのだろうか、展望台の時よりだいぶ元気になったように見える。

「なんか、ほんとにご馳走になっちゃってごめんな…次は絶対俺が出すから」

「当然ですよ、期待してますからね!」と肩を叩かれ、また冬月と食事する約束ができたようで嬉しくなった。

「酔い覚ましに少し歩きます?」という冬月の素敵な提案に乗り、芝公園の中を歩くことになった。

「なぁ、冬月…これからどうするんだ?」

「そうですね…ちょっと考えてることはあるんですけど…」

「そうなのか…」

 きっと冬月なら、どんな場所でどんなことをしてもきっと上手くやっていけるんだろう。それに引き換え、俺は…

「私のことより、春山さんはどうするんですか?」

 その質問に、俺の心の中を覗かれてるのかとゾッとした。

「あ、そ、そうだよな。ひとの心配してる場合じゃないんだよな…俺」


この時間、公園内にいるのは、ほとんどがカップルだった。

すぐ隣には美しくライトアップされた東京タワー。デートコースとしては最高な場所だ。

「春山さぁん…さっきの話なんですけどぉ」

 冬月がいった。どうやら歩いているうちに徐々に酔いが回ってきたらしい。

「うん」

(どの話だろう?)

「春山さん、これからどうするんですかぁ?てゆーか、ほんとに会社クビになっちゃったんですかぁ?」

(その話か)

「あ、うーん…どうなんだろう。会社から何の連絡もないし…」

 社長を殴って会社を飛び出してから1週間…普通に考えたらクビだろうと、自分の中では勝手に決めつけていたが…冬月に言われて改めて考えた。

 俺、ほんとにクビになったのか?

 社長の思惑通り、俺の実家「あけぼの園」は、介護施設の建設用地としてMK不動産へ売り渡すことが決まった。

 俺という人質をとり、父ちゃん、母ちゃんを脅すという卑劣なやり口で!

 だったら自分から辞めてやる。と意気込んでみたものの、一体どうすればこの理不尽な契約を白紙にすることができるのだろうか。

「夏樹課長からも連絡ないんですかぁ?」

 冬月のその一言で、やっと夏樹との約束を思い出した。


「あああ!!!」

「どうしたんですか!?急に大声出して」

「あ、ごめん。実は今夜夏樹との会う約束してたのすっかり忘れてた」

「ええっ!大丈夫なんですか!?もしかして私が急に呼び出したからですか~?ごめんなさい!」

「あ、いや、冬月が謝ることじゃないから」

 さーて、どうしたものか。

 それにしても、夏樹も夏樹だ。

 そういえば待ち合わせの場所も時間も決めてなかったじゃないか。

「とりあえず電話してみたほうがいいんじゃないですかぁ?」

「うん、そうだな」

 ちょうど空いてるベンチがあったので、2人で腰を下ろし、夏樹に電話をかけてみる。

「もしもし?」夏樹はすぐに出た。

「あ、俺だけど…ごめん、夏樹。今日会う約束だったよな。実は今日はちょっと都合が悪くなっちゃって…」

「おう、アキラ、俺も今ちょっと立て込んでてな…もう少しで終わりそうだから、もしこれからでも良ければ会えないか?なる早で話したいことがあるんだ」

 夏樹の声の様子から、直感で「これはあまり先延ばししない方が良さそうだ」と感じた。

「あ、ああ…俺は構わないんだけど…実はいま、一人じゃないんだ」

「ん?誰かと一緒にいるのか?おい、アキラ、まさかこんな時にデートじゃないだろうな」

 夏樹は冗談半分のつもりだったのだろうが、全否定する気にもなれなかった。

「…ん、…あ、…いや」

 煮え切らない返事をしていると、あろうことか隣で冬月がとんでもない行動をとった。

「夏樹かちょ〜!お元気ですかぁ〜!?」

 俺のケータイに向かって大声を張り上げたのだ。

「うわ、ばか!冬月!何いってんだよ!」

 バカは俺の方だった。

 冬月の名前を出したせいで、いま俺と冬月が一緒にいるところを自ら夏樹に暴露することになった。

 俺の狼狽ぶりを見て冬月がケラケラと笑っている。

 コイツ、酔っ払うとタチ悪いな…

「なんだ?アキラ、おまえ冬月と付き合ってたのか!?そういえばあの日…冬月も急に会社辞めたけど…そういうこと!?」

「違う違う違う!そういうんじゃないから!マジで!ちょっと色々あってな…会ったらゆっくり説明するから」

 とても電話で話せるようなことではない。

「うん、分かった。あ、冬月もいるならちょうど良かった!これから3人で会えないか?」

 一体何がちょうど良かったのか分からなかったが、俺と冬月は、夏樹が指定した池袋のバーで会うことになった。


 芝公園から池袋まで、たっぷり40分かかり、時刻は22時になろうとしていた。

 夏樹が指定したバーを地図アプリを頼りに何とか見つけ出した時には、俺も冬月も酔いは覚めていた。

 バーというよりキャバクラのような入り口のドアを開け中に入ると、店内は思ったより狭くて薄暗い。

 4人がけのソファー席が4〜5卓と5人ぐらいが座れるカウンター席があるだけだ。

 ソファー席では、すっかり出来上がった3組の若い男女が盛り上がっている。

 夏樹は、カウンターの一番端の席でビールグラスを口に運んでいるところだった。

「よお、デート中に呼び出して悪いな」

 と、悪びれた様子もなく夏樹がからかうので

「酒弱いくせに、こんな洒落たバーよく知ってたな」と嫌味で返してやった。

「夏樹課長、ご無沙汰してます」

 冬月が軽く頭を下げた。

「おう、冬月。課長はやめろよ。もう上司でも部下でもないんだから」

「あ、そうですね。じゃあ、夏樹…さん。私までついて来ちゃって良かったんですか?」

「うん、もちろん!冬月にも話があったんだ」といい夏樹が座れと手招きしている。

 冬月を真ん中に座らせ俺もカウンターへ腰を下ろした。そして本当は飲みたくなかったが仕方なくビールを注文した。

「…で、夏樹、話ってのは、なんだ?」

 カウンターの中ではバーテンがサーバーからグラスへ慎重にビールを注いでいる。

「まぁまぁ、とりあえず乾杯しようや」

 夏樹がほぼ空になったグラスを俺たちに向けて来た。俺と冬月も運ばれて来たビールグラスを軽く持ち上げ

「じゃあ…とりあえず、乾杯」とだけいい溢れそうな泡に口をつけた。

やっと酔いが醒めたところへの迎え酒は、意外なほど美味かった。

「ぷはーっ、3人で飲むの何年ぶりですかねぇ」

冬月が陽気な声を出した。ついさっきまで東京タワーの展望台で涙を流していたとは思えない。

「そうだな…前はよく飲んだけどな…」夏樹が懐かしそうに答える。

「ああ、誰かさん出世しちゃってから付き合い悪くなったからな…」もう一度嫌味を言ってやった。

「そんなことより、アキラ…お前、これからどうするつもりなんだ?」

夏樹が急に真剣な顔つきで聞いてきた。

「どう…って…うーん…」

「お前、自分が今どういう状況か分かってる?」

「あ、いや…まぁ…あんな風に社長ぶん殴ったんだからクビだろ?」

「あのな…アキラ」

夏樹が身を乗り出したので、間に挟まれた冬月が戸惑った表情を見せている。

「とりあえず言っておくが、お前はクビにはなってない」

「…へ?そうなの?」

それを聞いた冬月が、今度は驚いた表情を見せた。

「ああ、あのあと俺が社長と人事に掛け合って、お前のクビは何とか阻止できた。」

「うわ。まじか。夏樹…すまん!お前にまで迷惑かけちゃって…」

しかし考えてみれば、夏樹は同僚・同期である前に、俺の上司だ。

あんなことをすれば上司として夏樹が責任を取らざるを得ないことは、容易に想像できたはずだ。

それを俺はーー

「まさか、夏樹!お前まで何か処分されるのか?」急に心配になり、今度は俺が夏樹の方へ身を乗り出した。

冬月は身をのけぞらせて二人のやりとりをキョロキョロしながら聞いている。

「いや、今回の件については、春山の個人的な暴走であって、上司である俺の監督責任はない。ということでおとがめはなかった」

それを聞いて少し安堵した。

「たしかに、俺の勝手な暴走だな…」

今更ながら、もっと別なやり方があっただろうに…と後悔したがそれは「あとの祭り」ってやつだ。

「だがお前はそうはいかんぞ、アキラ。お前の処分は停職1ヶ月だ」

予想外だった。

自分の中では、100%クビだと思っていた。いや、俺がこんな会社に縛られているから、あけぼの園があんな目に遭う羽目になったのだ。

だから、俺はあの会社にはもういられない。いてはいけないのだ。

それが…停職1ヶ月とは…

「なんだよ、それだけかよ」

そんな言葉が思わず口をついて出た。

そして目の前にあったビールを一気に喉の奥へ流し込んだ。

「おい!それだけとは何だよ!俺がどんだけ頭下げて、これで済んだと思ってんだよ!」

夏樹が更に身を乗り出し声を張り上げた。

その時

「まぁまぁ、夏樹さん…落ち着いてください!」

冬月が夏樹の両肩に手を当てカウンターチェアーに夏樹の体を戻した。

「…ったく!人の気も知らないで…」

とブツブツ文句を言いながら、夏樹はバーテンにウイスキーの水割りを頼んだ。


「で、話って何なんだ?」

「あ、うん。それなんだけどな…」

夏樹が目の前に置かれたウイスキーのグラスに目を落としながら呟くように言った。

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