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けれど、狼と吸血鬼  作者: ハイたん
幕間の話
77/87

其の一 『狼少女の秘密』



 子供たちの喧騒に満たされた自然公園の広場、その目立たない隅のほうに俺は立っていた。

 自分で言うのもなんだが、きっと今の俺は相当怪しいと思う。堂々とベンチにでも腰掛ければいいものを、なぜか生い茂った緑の影に体を隠して、じっと子供たちを見つめているのだから。

 よく言えば探偵、悪く言えば変質者といったところか。

 例えば、今この場に警察官が現れて「おいっ! さっき近所の奥さんから、怪しい人が子供たちを狙っています、と連絡があったぞ! ちょっと一緒に来てもらおうか!」と畳みかけてきたとしても、俺は反論する言葉を持たないだろう。

 要するに――ひたすらに俺は怪しいのである。そう自覚しているのである。

 なにも探偵ごっこに目覚めたとか、本当はロリコンだったとか、そういう愉快なオチはない。

 話せば長くなるので割愛するが、俺の目的は、広場で遊びまわる子供たちではなく。

 その子供たちに混じって、サッカーや鬼ごっこをする――狼少女ことニノ=ヘルシングにこそあった。

 広大な敷地面積を誇る自然公園――ブランコやジャングルジムを始めとした遊具の類はないものの、子供たちが天真爛漫と走り回れるだけの広場は多く存在する。

 いや、使用者は子供に限定されない。成人近い大人が広場を使ったとしても、きっと狭いとは感じないだろう。

 俺はよく知らないのだが、近所に住む子供連中は決まってこの自然公園で遊ぶのだそうだ。

 そして、近所に住む子供連中に混じるようにして、たまに赤い髪の見目麗しい少女が出没するらしい。

 ――とまあ、そこまでは暦荘の住人ならば誰だって知っている。

 かつて俺がニノに、

「おまえって子供と遊ぶの好きなんだな」

 と何気なく口にすると、

「べつに? 子供なんて好きじゃないわよ?」

 そう冷静に切り返されたのだが、そのときニノ自慢の獣耳さんは実に怪しげな動きをしていらして、『子供が好きだなんて思われたくない』というクールな女を装いたいニノが嘘をついたことは明白だった。

 まあ要するに。

 あの狼少女は、大人っぽい容姿とは反して、なんとも可愛らしいことに、子供が大好きなのである。

 それを証明するのが、目前に広がる光景だろう。

 小学校低学年ぐらいの子供が十数人集まって、真新しいサッカーボールを蹴って遊んでいる。性別の割合は、男と女が半々といったところ。

 ここで面白いのが、子供に向けて的確な指示を出している司令塔っぽい女が、なぜかニノということである。

 滑らかな白い肌に珠のような汗を浮かべながら、獣耳をピコピコと楽しげに揺らしながら、ニノは縦横無尽にフィールドを駆け回っている。もちろん能力は抑えているようだが、それでも頭一つは飛びぬけている。

 ただしニノの独壇場というわけでもない。

 確かに子供の身体能力は、お世辞にも完成されているとは言えない。

 しかし、その分だけボールを扱うのが上手いのだ。

 きっと長く外で遊んできたのだろう。技術や知識といった小賢しいものとは無縁。ただ、ひたすらにボールで遊ぶのに慣れている。それは球技を行う上で、大きな武器となる。

 その反面、ニノは身体能力や反射神経こそ上等なものの、ボールを使った動きには慣れていないらしく、時々意味不明な方向にパスを出したりする。そして、そのたびに「ニノ姉ちゃん、どこ蹴ってんだよー」と子供たちに茶化されるのである。

 なんだかよく分からないが、微笑ましい光景であった。 

 ようやく冬も終わりを迎え、少しずつ温かくなってきた今日この頃。

 暦の上では三月になり、自然公園の中を見回してみれば、少々気の早い桜の木がピンク色の蕾を膨らませているのを見かけるほどである。

 まだ風は肌寒いのだが、日差しがポカポカと温かく、プラスマイナスゼロといったところ。ちなみに冬眠を終えた動物のごとく、バカ吸血鬼ことシャルロットの元気が増してきているのも問題。

 さて、ここで少しだけ話を戻すことにしよう。

 どうして俺が探偵まがい(決して変質者まがいではない)の行動を取っているのか。

 それは遡ること二日前。

 俺の部屋に姫神千鶴が訪ねてきたことから、すべては始まった。

 姫神がやけに深刻そうな顔をしていたものだから、てっきり勝負でも挑まれるのかと身構えた俺だったが、結果は違った。身体を使った語り合いではなく、むしろ頭脳を使った話し合いだった。

 ――最近、ニノが部屋に来ないんだ……。

 ちょっと寂しそうな声色で、姫神は呟いた。

 少し前までは「ニノは私のプライバシーを考慮しないからな」とか文句を言っていたくせに、ニノと過ごす時間が少なくなると落ち着かないらしかった。

 それは言外に、もしかして私は嫌われたのかな、と俺に聞きたがっているのは明白だった。

 ちなみに姫神には、まるで心当たりがないらしい。

 しかし俺には、一つだけ心当たりがあった。

 ニノの態度や生活サイクルが変わってしまった理由。

 あの狼少女が、姫神の部屋を訪ねなくなった理由。

 それは――こころとの別れ、だろう。

 もう数週間前のことになるが、俺たちは一つの事件に巻き込まれた。その際に出会ったのが、こころというサトリの少女。

 紆余曲折はあったものの、すべては無事に元通りとなり。

 その一環として、こころは俺たちの元を去っていった。いや、あるべき場所に帰っていったのだ。それが、ちょうど一週間前のこと。

 こころと一番仲が良かったのは、何を隠そうニノだ。

 だから――ニノが変わってしまったというのなら、そのきっかけは恐らく、あの事件にあると思う。

 ここで姫神のために断っておくと、なにもニノは姫神のことを嫌いになってしまったわけではない。ただ心境の変化があっただけというか、きっと今は一人で色々と考えたい時期なのだろう。

 そんな経緯を知る俺と、そんな経緯を知らない姫神。

 絶対に口には出さないが、俺は姫神の力強い眼差しが好きだったりするのだ。

 あの真っ直ぐな瞳が。

 意志の篭った瞳が。

 例えば、姫神が俺に「成敗っ!」とか言って挑みかかってきたとしても、それは煩わしいだけであって、決して嫌いというわけではない。

 しかし――気弱そうに瞳を伏せる姫神は、煩わしくはないが、嫌いなのだ。

 こいつは格好いいんだ。

 男みたいに――否、その辺のフラフラした男よりも遥かに格好いいんだ。

 だから姫神には、真っ直ぐに前を向いていて欲しい。

 どこかで迷ったりせず、バカみたいに突っ走って欲しいのだ。

「――分かった、なんとかしてやるよ」

 気付けば、そんな言葉を口にしていた。

 俺がちょっとばかし手助けをしてやることで、姫神が前を向いてくれるのならば、まあ無駄な労力というわけでもないし。

 ――とまあ、そういう経緯があって、俺はニノの動向を伺っているのである。

 いや、それはオブラートに包みすぎだな。

 正直に告白するなら、非常に声をかけづらい。

 子供たちと楽しそうに遊ぶニノ。

 そのど真ん中に割って入って「おい、ちょっといいか?」と狼少女の腕を引っ張る度胸がない。

 俺は子供が嫌いじゃないが、苦手なのだ。

 あの無邪気で自由奔放な姿を見ていると――アイツを、エリカを思い出してしまうから。

「……はあ、なにやってんだろうなぁ」

 きっと今の俺は、情けない顔をしていると思う。

 間違っても暦荘のヤツらにだけは見せられないというか、見せたくないというか。


「そうね。さっきから何してるのよ、士狼」


 おかしい。

 俺は独り言を呟いたはずなのに、どうして返答があるんだ。

 しかも声は、背後から聞こえてきた。

 恐る恐る振り向いてみる。

 すると、そこには――まあ言うまでもないが、ニノが立っていた。

「……なんでお前がここにいるんだ?」

「それはウチの台詞よ。なんで士狼がここにいるの? しかも隠れるようにして。まるで変質者みたいよ」

「違うな。俺は探偵だ」

「…………」

「待て、黙るな。せめて反応しろ。まだ笑われたほうがマシだ」

 というようにして、俺はニノに見つかってしまったわけである。

 立ち話もなんだということで、俺たちはベンチに腰掛けることにした。

 子供たちを放っておいていいのか、と聞いてみると、どうやら休憩時間に入ったらしく、ニノと遊んでいた子供連中は近場のコンビニにアイスやジュースを買い求めに行っているという。

 ニノが暑そうにしていたので、俺は冷たいスポーツドリンクを自販機で買って与えてやった。ちなみに俺は、温かい缶コーヒーを購入。

 二人してベンチに並んで、自然の緑によって埋め尽くされた広場を眺める。

「――うん、美味しい」

 こくこくとペットボトル入りのスポーツドリンクを喉に流し込んだあと、滴る汗を拭いながらニノが言った。

 今日のニノは、動きやすさを追及したような服装だった。

 上は、身体のラインが浮かび上がるぐらいタイトな黒のシャツ。

 下は、七分丈の白のパンツ。

 全体的にぴっちりとした容貌であり、ニノのスタイルの良さが強調されている。シャツの胸元を大きく押し上げる膨らみには、目のやり場が困るところだが。

 それに加えて、ニノは汗をかいており、首筋には赤い髪がもつれて張り付いている。白い肌は、薄っすらと紅潮していて艶やかだ。

 すこしだけ風呂上りに似ていると思った。

 時折、柔らかな風が吹いて、俺の元にニノの香りを運んでくる。

 シャンプーのようなリンスのような匂いに混じって、微かに汗の匂いがした。しかし、それがまったく不快だと感じないあたり、女という生き物は、その体臭自体が香水なのかもしれない。

 俺達が座っているベンチは、ちょうど日差しが当たる位置にある。

 だからホットの缶コーヒーを買い求めたのは、ちょっとしたミスだったのかもしれない。

 一口目を飲んだ瞬間、俺はそう思った。

「それで士狼。さっきから何してたの?」

「その前に一つだけ聞かせてくれ。おまえ、いつから気付いていたんだ?」

「うーん、士狼がコソコソと公園にやってきたあたりからかな。ずっと気になってたんだけど、そういえば士狼ってフランシスカと仲良くなってたみたいだし、もしかしたらロリコンの可能性もあるからって、あえて触れずに黙ってたんだけど、さすがに我慢できなくなって声かけちゃった」

「待て、俺はロリコンじゃねえぞ。発育してないガキなんざ興味あるか。俺のタイプは、おしとやかで家庭的で大人の魅力に溢れた女性だ。つまり大家さんみたいな人ってことだ、覚えとけ」

「それは嘘ね。だって士狼の好みは、何を隠そうウチみたいな女の子でしょ」

「何も隠してねえよっ! ていうか、おまえに家庭的な要素なんてねえだろ」

「大丈夫よ。今時の女は、男の人を悦ばせるだけで家庭的と呼ばれるから」

 ……ダメだ、こいつは色んな意味で間違っている。

 とりあえずツッコミを入れたら負けのような気がするので、あえて触れない方向で行こう。

「それはそうと士狼。話は戻るんだけど、どうしてコソコソと隠れてたの?」

 スポーツドリンクを口にしながら、ニノは広場のほうを向いていた。

 興味のなさそうな顔をしつつも、獣耳が何かを期待しているようにピコピコと動いている。

「士狼がロリコンじゃないと仮定して――じゃあ、さっき士狼は誰を見てたの?」

 ちょっとだけ嬉しそうな顔をするニノ。

 なるほど、言いたいことは分かった。

「……そうだな。俺はガキじゃなくて、おまえを見に来たんだ」

「っ――!?」

 自分で言ったくせに予想外だったのか、驚いたニノはドリンクが気管に入ってしまったらしく、ゴホゴホと咳をした。

「おいおい、大丈夫かよ」

 ちょっとでも楽になればいいと思い、背中を擦ってやる。

 運動をしていたからだろう、ニノの身体は温かかった。シャツが薄っすらと湿っているのは、きっと汗に違いない。

 しかし俺がそんなことを考えている間に、狼少女は次の行動を起こしていた。

 しなだれかかってくる身体。

 肩と肩が密着する。

 触れ合った部分からは、ポカポカとした体温が伝わってくる。

 それはニノが生きている証。

 ふわりと風に乗るようにして漂ってくるニノの香り。

 きっと今の俺達は、第三者から見れば間違いなくカップルとか、それに類似する輩に見えることだろう。

「……ふふ、もっと早く言ってくれればいいのに」

 俺の胸をツンツンと突付きながら、ニノは続ける。

「いつから見てたの? もしかして、初めて出会ったときから?」

「そういう”見てた”じゃねえよ!」

 勘違いも甚だしいわ、この獣耳ピコピコ女がっ!

 いや、でも獣耳ピコピコ女って悪口のつもりで言ったんだが、これをニノ本人に言うと逆に喜びそうだな……。えっ、そんなにピコピコ動いてるかなぁ? とかニヤけながら。

 それにしても……ピコピコと形容されて喜ぶ女なんて、きっと世界中を探し回ってもニノしかいないと思う。

「なーんだ、違うのね。つまんないの」

「てめえが勝手に勘違いしたくせにつまんないとか言われる俺の身にもなれ。それより離れろバカ、暑苦しいんだよ」

「暑苦しいって――酷いわね。こんな美少女を捕まえて暑苦しいだなんて、士狼は男として終わってるわよ」

 渋々といったていでニノが離れていく。

 激しい運動をした女の様相は、風呂上りのそれに似ていると思う。

 白い肌は薄紅に染まっているし、流れ落ちる汗は水滴と同様だし、額や首筋に張り付く髪の毛は艶やかだし。

 だから、そんな状態のニノに密着されていては、さすがの俺も男の部分が出てくる。興奮するというか、ムラムラするというか。

 うっとうしいぐらいスタイルのいいニノだ。おまけに身体のラインが如実に浮かび上がる服装である。タイトである。ぴっちりである。つまり反則なのである。

 百戦錬磨のナンパ師や、もう女なんか飽きたとか生意気なことをほざく美男子(決して周防ではない)や、もしくは女性に興味の無い男がいたとしても、その全員が例外なくニノに見惚れるであろう。

「それで――本当に何の用だったの?」

 足を組み、腕を組み、ちょっぴり頬を膨らませつつ、ニノは不機嫌を隠そうともしていない。

「……そうだな。まあ、じゃあ率直に聞くが」

「はい、どうぞ」

 それから俺は、これっぽっちも割愛せずにありのままを話した。

 二日前に姫神が俺の部屋を訪ねてきたことから始まり。

 やがて俺が、探偵まがい(変質者まがいではない)の行動を取っていたことに終わる説明。

「……まあ、ちーちゃんのことが嫌いになったとか、そういうわけじゃないけどね」

 と、全てを聞き終えたニノは物憂げな顔をした。

「それは俺も分かってるつもりだ。おまえは、意味もなく他人を嫌ったりするような女じゃないしな」

「……そ、そう?」

 やや頬を赤くして、気恥ずかしそうにニノは続ける。

「……士狼って、結構ウチのこと見てるのね」

「まあな。近くにいい女がいれば、男なら誰だって見るに決まってる」

「……ふん、そんな見え透いたお世辞なんか、ちっとも嬉しくないわよ」

 変わらず腕と足を組んだまま、ニノは顔を背けてしまった。ご立腹の様子である。

 しかし、どうしたことだろう。

 俺の見間違いじゃないのなら――獣耳が嬉しそうに、それこそ犬の尻尾のごとくピコピコしているのだが。

 まったくもって『頭隠して尻隠さず』――ではなくて、『表情隠して耳隠さず』の女だ。

「そっか、嬉しくねえのか」

「ええ、ぜんっぜん嬉しくないわね。そもそも『いい女』なんて言われ慣れてるし、どうせならもっと気の利いた世辞を言ってくれないと」

「おまえの耳、めちゃくちゃ可愛いよな」

「っ――!?」

 ピョコっ、と跳ねる獣耳。

「……そ、そんなこと言われたって、まったく、嬉しくなんてないわよっ?」

「間違いなく、おまえの耳がこの世で一番可愛いと思うぜ」

「っ~~!」

 あ、なんかメチャクチャ嬉しそうな顔してる。

 ここで特筆すべきは、やはり残像を残しそうな勢いで動く獣耳だろう。ご主人様に褒められた犬だって、あれほど嬉しそうに尻尾を振らないと思う。

 しかし今日のニノは手強かった。

 俺の呆れたような視線に気付いた狼少女は「しまった!?」というような顔をして、素早く深呼吸を繰り返したあと、こほんと咳払いを一つ入れた。

「……えっと、見た?」

「いや、べつに大したものは見てねえけど」

 そう言うと、ニノは安心したと胸を撫で下ろした。

 ちなみに――未だに獣耳は高速で動いていたりする。

 なんだか面白くなってきたので、本来であればもう少しだけニノの耳を褒めてもよかったのだが――そろそろ本題に戻らないといけない頃合だと思うので、話を切り上げることにした。

「それでニノ。姫神のことが嫌いじゃないんなら――」

「――ちょっと待って。その話に戻る前に、ね?」

「いや、ね? とか言われても分かんねえよ」

「うーん、だからぁ……なんていうかぁ……」

 よほど言い出しづらいのか、ニノは何度も口を開閉させていた。やや上目遣いなのは、ご愛嬌といったところか。

「なんだよ。言いたいことがあんならハッキリと言え」

「……もう一回」

「は?」

 蚊の鳴くような声で、ニノは言った。

「……も、もう一回だけ……さっきの言葉、聞きたいなぁ……なんて」

 頬を薄紅に染めながら、もじもじとする。

 即座に意図を察した俺は、内心で呆れつつ、しかし実は満更でもなく、それを口にする。

「ニノ、おまえの耳って世界で一番可愛いよな。思わず触りたくなってくる」

「っ~~!」

 ピョコっ、と反応する獣耳。

 そして言うまでもないが、ニノはとてつもなく嬉しそうな顔をして、歓喜に身体を震わせていた。

 これは、本人には間違っても聞かれたくない本音だが――実際のところ、ニノの獣耳はお世辞抜きに可愛らしいと思う。

 しかも頑張ってポーカーフェイスを装おうとしているくせに、自慢の獣耳は感情に合わせてピコピコと動いてしまい、本人はそれに気付いていないときた。このギャップが微笑ましいというか、見てて和むというか。

 それに――あの耳って、びっくりするぐらい触り心地がいいのだ。私的な感想としては、猫の肉球よりも、そして女性の胸よりも、ニノの耳のほうが触っていて気持ちいいと思う。

 ……とか考えていると、また触りたくなってきた。あとで頼んでみようかな。でも断られるだろうしなぁ……。

 葛藤する俺と、歓喜するニノ。

 そのまま数分ほどは自分の世界に突入していた俺たちだったが、やがて子供たちの声が聞こえてきたことで我に返った。

 視線の先――眼前に広がる広場には、少しずつ子供達が集まり始めていた。コンビニの袋を持っているところを見ると、どうやら食料調達は万全らしい。それぞれがアイスやジュースを手に、わいわいやっている。

 その様子から鑑みるに、あの子供連中は毎日のように買い食いをしているのだろう。よく小遣いが持つものだ。

 そんなニュアンスのことを聞いてみると、

「あぁ、アレはあの子達のお金じゃないわよ。ウチが奢ってるの」

 当たり前でしょう、とニノは続けた。

 ブルーメンで稼いだ金の一部は、どうやら子供たちのお菓子に消えているらしかった。

 実に面倒見がいいというか、お姉ちゃん体質というか、まあ少なくともシャルロットにはない属性をこの狼少女は持っているようである。

「……さて、と。じゃあ、そろそろ時間みたいだし、もうちょっとだけあの子達と遊んで来ようかなぁ」

 気だるそうに立ち上がったニノは、うーんと大きく伸びをした。

「まあ本当は子供の相手なんてしたくないんだけど、あの子達があまりにもうるさいからなぁ。まったく、大人の女も大変よね。仕方なく子供の相手なんてしなくちゃいけないんだから」

 口笛なんぞ吹きながら、なぜか俺に聞こえるように口走る。

 それは偏見かもしれないが『よーし! 大好きな子供と遊ぶぞー! ……はっ!? し、士狼に見られている!? くっ、ここは大人の女を自称する者として、子供に興味がなさそうな素振りを装わなくては。まったく、お姉ちゃんも辛いぜ』と言ってるように見えた。

 あえてツッコミを入れないところが、俺の優しさだと思ってくれて構わない。

「……まあ、せいぜい楽しんでこいよ」

「えっ、楽しむ? ……いやね士狼は。勘違いしてもらっちゃあ困るわ。これは仕方なくであって、まったくもってウチの本意じゃないのよ。そこを誤解しないでよね」

 はいはい、と適当に相槌を打つ。

 やがてニノは子供達の声に誘われて、とてとてと駆け出していった。

 ベンチには俺一人が残った。

 ふと隣を見れば、ニノが飲んでいたスポーツドリンクがある。ペットボトルの中には、あと一口分だけ中身が残っていた。

「……話、まだ途中だったのによ」

 これから大事なことを聞こうと思っていたのに、中途半端なタイミングで邪魔が入ってしまった。いや、元はと言えば邪魔をしたのは俺のほうか。まあ姫神のことを嫌っていない、という確かな情報を聞けただけでも収穫だが。

 それにしても、これからどうしよう。

 ここは大人しく、子供たちと遊ぶニノを見守るべきか?

 あの狼少女は結構目立ちたがり屋なところがあるからな。俺という観客がいたほうが張り切るだろうし、やる気も出るかもしれない。

 幸いなことに時間はある。

 例えニノが夕暮れ時まで目一杯遊んだとしても、俺たちは大人なので、夜を迎えてからでも話し合うことは可能だ。

 だから今は――ベンチに腰掛けたままくつろぐのが正解か?

 ……まあ、それも悪くない。

 たまには受動的に時間を潰しても構わないだろう。

 そうと決まれば慌ててアクションを起こす必要もない。

 俺は暢気にあくびをしながら、いまだアイスやらジュースを口にする子供達を見つめていた。

 その輪の中心には、まさに保母さんのごとき笑みを浮かべたニノが立っている。ちなみに獣耳が――以下略。

「……平和だなぁ」

 思わず独り言を呟いてしまう。

 ――そのときであった。

 恐らくはコンビニ帰りであろう子供の一人が、やや不機嫌そうな感情を顔に貼り付けながら、俺のほうへと向かってきたのだ。

 なんだなんだと混乱する。もちろん俺には保母さんの才能はないはずだ。それに自分で言うのもなんだが、どちらかと言えば子供から恐がられそうな容姿の俺である。

 しばらくして、その子供は俺から一メートルちょっと離れた距離で歩みを止めた。

 ぎゅっと握り締めた拳。

 肩幅よりも開いた両足。

 なにかに挑みかかるような視線。

 小学校低学年ぐらいの男の子だった。

 その少年は――まるで正義の味方のような気概を見せた。

「……おまえが、そうやしろうか? に、ニノ姉ちゃんを泣かせるやつは、ぼくが許さないんだからなっ――!」

「あん?」

 決死の覚悟で叫ぶ子供と、怪訝に眉を潜める俺。

 果たしてどちらが間違っているのか――まあ判断に困るところだ。

 ただ、一つだけ言えることがある。

 それは――面倒の予感がする、ということだ。





 厄介なことになった。

 街の中央に位置する自然公園。

 豊富な緑に囲まれ、季節に応じた木々が植えられ、鯉が泳いでいる大きな池があり、自動販売機の類も設置され、足元は真新しいセラミックブロック等で舗装され、子供が走り回れるだけの広場が存在する――自然公園。

 その公園の中でも、わりと大き目の広場に俺はいた。温かい缶コーヒーを片手に、のんびりとベンチに腰掛けながら。

 ここまでは良しとしよう。

 少し遠くのほうでは、十数人ぐらいの小さな子供たちに混じるようにして、狼少女ことニノがいる。服を引っ張られたり、笑顔で話しかけられたり、それはもう一介の保母さんにしか見えない。

 そこまでも良しとしよう。

 ベンチに座っている俺の眼前には、まるで親の仇と相対するような鋭い目をした男の子がいた。やや腰が引けている様子。つまり俺のことを怖がっているらしい。まあ髪が白い成人男性なんて、どこからどう見ても堅気には見えないから恐がってしまうのも無理はない。

 ――が、ちょっと待ってほしい。

 どうして俺が、こんな小さな子供と対峙しなくちゃならないんだ?

 本当に意味が分からない。

 もしかしなくても、神様は俺のことが嫌いなのか。

 そう言えば最近は不幸続きだったしなぁ。

 例えば、金髪赤眼のバカで泣き虫で人懐っこい吸血鬼に襲われたり。

 例えば、顔の表情と耳の表情がまるで合っていない狼少女の相手をしたり。

 ……こうして思い返してみれば、そろそろ俺は死ぬんじゃないかと考えてしまうぐらい不幸だ。

 まあ俺の人生のうち、本当に幸福だった時期なんて数えるほどしかないのだが。……例えば、今とか。

 とにかく、である。

 黙っていても始まらないので、何かしらのアクションを起こしてみようと思う。

「……おい、そこの坊主」

「なんだっ? ――そ、そんなこわそうな顔したって、むだなんだからなっ!」

 どこで習得したのかは分からないが、少年は両拳を顔の高さにまで持ってきて、いわゆるファイティングポーズを取った。実に勇ましい。

 しかし、よくよく観察してみると、少年の半ズボンから覗く細い足がブルブルと震えている。まだ十分に筋肉が発達していない子供の足だ。だから小鹿が震えているように見えて、なんだか庇護してやりたくなってくる。

「いや、べつに俺は怖い顔なんてしてねえだろ。これは真顔だ、真顔。誰もおまえを取って食おうだなんて思ってねえよ、バカ」

 どうあしらうべきか――まるで検討がつかない。

 俺は何気なく、少年に向かって腕を伸ばした。

「ほら、そんな付け焼刃のファイティング――」

「――ひぃっ!?」

 その瞬間のこと。

 まさか俺が襲ってくるとでも思ったのか、少年はその場に蹲って頭を抱えてしまった。

 ……なんだこれは。

 客観的に見れば、明らかに犯罪の匂いがする現場じゃねえか。

 小学生の子供に手を伸ばす白い髪をした男と、彼を怖がるようにして蹲る少年――という構図。これが朝刊に載ってたら、日本終わったな、と思うレベルだ。

「おい、てめえ」

「はっ、はい……?」

 なぜか敬語だった。

 瞳の端に涙を浮かべながら、少年は俺を見上げる。

「いや、敬語じゃなくてもいい。それに恐がらなくてもいい。べつに何もしねえから。分かったか?」

「は――うん」

「理解が早くていいな、おまえ。まあ座れよ」

 俺が座っているベンチの真横――ちょうどニノが腰掛けていた場所を叩いて促す。

 案の定、少年はしばらく躊躇していた。しかし勇気を奮い立たせるように瞳を閉じて「ニノ姉ちゃんのためだ、これはニノ姉ちゃんのためなんだ」とかボソボソと呟いたあと、意を決したように俺のとなりに座った。

 遠くのほうでは、ニノと子供たちがサッカーボールを蹴って遊んでいる。俺はそちらに視線を向けているように見せかけて、その実は少年のほうに意識を割いていた。

 少年はというと、じっと広場を見ているようだった。……いや、視線が絶え間なく動いているところを見ると、広場にいる誰かを追っているんだろう。

 興味が湧いた俺は、その誰かを特定しようとして――すぐに気付いた。

 この子は――ニノを見ているんだと。

 そういえば最初に「ニノ姉ちゃんを泣かせるヤツは、ぼくが許さないんだからなっ!」と言ってたし。要するに、この少年はニノに好意を持っているんだろう。

 ただ一つだけ問題がある。

 それは、俺にはニノを泣かせた記憶がこれっぽっちもない、ということだ。

 これは事情を聞く必要がありそうである。

「おい」

「……な、なに?」

 小動物みたいに体をビクっと震わせる少年。

「俺の名前は、宗谷士狼。おまえの名前は?」

「た、高橋、翔太」

「翔太か。いい名前だな。でもよ、男なら、いちいちどもるな。もっとシャキっと前を向いてろ。俺に啖呵切ったときのおまえはどこに行ったんだよ」

 名前を褒められた少年――もとい翔太は、ちょっとだけ嬉しそうな顔をした。

 子供は単純だが、だからこそ純粋でもある。まったくもって御しやすい――じゃなくて、機嫌の取りやすい連中である。どことなくシャルロットを相手にするのと似ている。

「……さっきは、必死だったから」

「へえ。まあ悪くないと思うぜ、女のために頑張るのって」

「っ――ちがうよ! べつに、ニノ姉ちゃんのためじゃないし!」

「誰もニノのためとは言ってねえぞ」

 指摘してやると、翔太は顔を赤くして俯いてしまった。

 まあ小さい子供とかって、素直に異性への好意を認めることが出来ないというか、誰かを好きだと白状するのが恥ずかしいと思うもんだし。

 しかし、それにしても翔太少年の反応は過剰に思える。

 もしかしてコイツ――ニノのことを姉的な存在として慕っているのではなく、本気で異性として想いを寄せてるのか?

「なあ、翔太」

「なに、しろう兄ちゃん?」

 すでに俺を恐がってる様子はない。

 子供は理屈でも感情でもなく、本能によって相対する人間の良し悪しを見抜く。つまり翔太は、俺に悪意がないことを無意識のうちに悟ってくれたのだろう。

 けれど――駄目だ。

「……士狼兄ちゃんって呼ぶの、止めてくれ」

 顔を左手で覆いながら、俺は言った。

「俺をそう呼んでいいのは……一人だけなんだ」

 脳内で繰り返し再生される声。

 小さな女の子の声。

 可愛らしい鈴のような声。

 アイツの声。

 ――エリカの声。

 女々しいかもしれないが、俺はエリカ以外の人間から『士狼お兄ちゃん』と呼ばれたくなかった。この呼び名は、過去を思い起こさせるから。

 翔太は首を傾げていたが、しばらくして頷いてくれた。

「俺のことは士狼でいい。分かったか?」

「うん、わかった。しろう、って呼ぶ」

 これでようやくスタートラインに立てた感じだろう。

 どうも奇妙な関係を築いてしまったようだ。

「それで――ニノがどうかしたのか?」

「わかんない。でも、ニノ姉ちゃん、泣いてた」

「泣いてた? ニノが?」

 思わず聞き返してしまう。

 けれど、翔太は当然のように「うん」と頷く。その曇りのない瞳からは、一切の嘘が感じられない。そもそも俺に嘘をつくような悪知恵を、この年頃の子が持っているとも思えない。

 というわけで事情を聞いてみた。

 まず、この高橋翔太という少年について。翔太は近所の小学校に通っていて、家も自然公園の側にあるらしい。年は九歳とのこと。

 翔太は放課後や休日になると、いつもこの公園で友達たちと遊んでいる。それは風の日も、雨の日も、雪の日も、とにかく暇さえあれば集まるという。そして暑さや寒さに負けることなく遊びまわるのだ。

 しかし、そんな翔太の生活にも小さな変化が訪れた。いや、ある意味では大きな変化かもしれないが。

 その変革をもたらした存在こそが、数ヶ月前から公園に姿を見せるようになった赤い長髪の女――ニノ=ヘルシングである。

 類稀な運動能力を持つニノは、子供たちにとってはヒーローと同じだった。

 そして純粋で無邪気な子供たちは、ニノにとっては可愛らしくて仕方のない連中だった。

 つまり仲良くなるのは必然であり――ニノがこの公園に集まる面子の常連になるのは、自然の流れだったのだ。

 テレビに出ているアイドルや女優と見比べても遜色のない、むしろ余裕で上回る勢いのニノだ。おまけに、その美少女は運動が出来て、なおかつ面倒見がいいときた。子供に好かれて当然だろう。

 ――とまあ、ここまでが大体の事情である。

 なるべく客観的に語ってくれた翔太だが、俺の目は誤魔化せない。

「なあ翔太。おまえ――ニノのことが好きだろ?」

「だからちがうって! ニノ姉ちゃんなんて、ぜんっぜん好きじゃないもん!」

 過剰な反応。これはビンゴか。

 翔太は荒い息を繰り返していた。どうやら叫んだせいで、喉が枯れたらしい。

 そして俺の手元には、あと一口分だけ中身が残ったペットボトルがあった。中身はスポーツドリンク。ちなみに、先ほどまでニノが口をつけていたものだ。

「喉が渇いてんなら、これでも飲めよ」

 優しげな態度を装いつつ、ペットボトルを渡してやる。

「えっ、くれるの?」

「ああ。だから遠慮なく飲め」

 少量のスポーツドリンクを貰っただけなのに、やたらと嬉しそうにする翔太少年。そこがまた子供の可愛いところなのだろう。

 翔太は嬉々としてキャップを外し、飲み口に唇をつけようとした――ところで俺は言った。

「言い忘れてたけど、それ、さっきまでニノが飲んでたやつだから」

「――ごほっ!?」

 よほど驚いたのか、翔太は何も飲んでいないのに咽せてしまった。

 慌ててペットボトルを遠ざけて、その飲み口をまじまじと見つめる。

「……に、ニノ姉ちゃんが……あの唇で……」

 面白いぐらい顔を赤くして、呪詛のように繰り返し呟く。

「はあん、やっぱりニノのことが好きなんだな、おまえ」

 それにしても――間接キスで恥ずかしがる小学生か。

 最近のガキはマセてるのかもしれない。

「……ちがうもん、べつにニノ姉ちゃんのことなんて」

「誤魔化さなくてもいいって。なあ翔太、誰にも言わないから正直に言ってくれ。おまえ、ニノのことが好きなんだろ?」

 しっかりと目線を合わせて、なるべく誠実そうな顔で問いかけてみた。

 翔太は、気恥ずかしそうに黙って俯いていたが、

「……うん」

 もう隠し切れないと思ったのか、小さい声で、しかし確実に肯定してくれたのだった。

 その言動からバレバレだったとはいえ、本人の口から答えを聞けたことにより、俺の推測は確実なものとなった。

「だって、ニノ姉ちゃんって、エミちゃんよりも可愛いんだもん」

 まるで言い訳するような声色だった。

「エミちゃん? 誰だ、それ」 

「同じクラスの女の子。みんなエミちゃんのことが好きなんだ」

「ふーん、いわゆる学校のアイドルってやつか。でも翔太は、エミちゃんよりもニノのほうが好きなんだろ?」

「ううん、ぼくだけじゃないよ。きっとニノ姉ちゃんを知ってる子は、みんなニノ姉ちゃんのほうが好きだと思う」

「……マジか。モテモテじゃねえか、あいつ」

「そう、もてもて。だってニノ姉ちゃんは、見たことないぐらいキレーだし、サッカーだって上手だし、走るのも一番速いし、足だって長いし、腰だって細いし……それに、おっぱいも、すごく大きいし」

「…………」

 やはり。

 最近の子供は進んでいるというか、非常にマセているようである。

 九歳ぐらいの男子ってのは、女性のスタイルにまで気を回さず、ただ顔の良し悪しだけで好意を抱くものだと思っていたが――まさか胸の大きさまで見ているとは。

 恐るべし、高橋翔太。

「サッカーしてるときも、じょうずにパスを回したり、かっこうよくシュートを決めたりすると、たまにニノ姉ちゃんが抱きしめてくれるんだ。しろうは知らないかもしれないけど、ニノ姉ちゃんはとってもいい匂いがして、とっても柔らかいんだよ。ニノ姉ちゃんに褒められると、またがんばろーって気になるし」

「へえ、よかったじゃねえか」

 うんっ! と元気よく頷く翔太。

 それにしても――やっぱりニノには保母さんの才能があるのでは、と思ってしまう。根っからのお姉ちゃん気質なのだろう。きっと将来は、いい母親になる。

 翔太ぐらいの子供が泣いてたりしたら、きちんとしゃがみこんで目線を合わし「泣いちゃダメ、男の子でしょ?」とか言うに違いない。

「しろうは、ニノ姉ちゃんのこと、好きなの?」

 純粋な好奇心から出たような質問だった。

 くりくりとした真ん丸い瞳で見つめてくる。もうすっかりと俺に慣れてしまったらしい。……もしかすると、俺も子供に懐かれやすい体質なんだろうか。

「ああ、好きだぜ。むしろニノを嫌いっていう人間のほうが珍しいんじゃねえか?」

「……らいばる?」

「は?」

「しろうもニノ姉ちゃんが好きってことは、ぼくたちは、らいばるになるんじゃないの?」

 翔太は、分かりやすく不機嫌そうな顔をした。

「ライバルねえ……」

「そう、らいばる。しろうが勘違いしないように言っとくけど、ニノ姉ちゃんはぼくとケッコンするんだもん。この間、約束したんだ。ぼくがケッコンしてって言ったら、笑いながら『うん』って言ってくれたんだよ」

 おぼろげながら想像できる。

 駄々を捏ねるように、結婚して、とせがむ翔太と。

 仕方なさそうに笑いながら、はいはい、と頷くニノが。

 言ってしまえば、アレだろう。幼い娘が「わたしは将来パパと結婚するー!」とか言うのと同じだ。そして父親は、それが無理だと分かっているけれど、娘が可愛いあまり分かったと言ってしまうのだ。

 子供は、やがて成長する。

 そして現実を知り、良識を知り、道徳を知る。

 父親とは結婚できない――幼い頃に憧れた人とは、絶対に結ばれないことを知るのだ。

 役者が違えど、今回のケースも同様。

 まあ翔太も中学生になり、そして高校生にまで成長すれば、ニノに抱いていた好意を忘れるだろう。……いや、もしかすると逆に想いが強まるかもしれない。小学生よりも高校生のほうが、ニノの魅力を深く理解できるだろうし。あの豊満な身体は、若い男子には猛毒だと思うのだ。

「だからニノ姉ちゃんは、ぼくが守ってあげるんだ。それにね、ニノ姉ちゃんはいつも言ってるんだよ。男なら、好きな女の子を守れるぐらい強くなれって」

「そうか、おまえは偉いな。小学生とは思えねえぐらい男らしい。見直したぞ」

 頭をグリグリと強めに撫でてやると、翔太は気持ちよさそうに目元を和らげた。

「……でも、ぼくはニノ姉ちゃんを守れなかった」

 ふと気付けば――翔太は泣きそうな顔をしていた。

「守れなかった、だって? そりゃ、どういう意味だ」

「ニノ姉ちゃん……泣いてた」

 そういえば。

 翔太が俺に放った第一声は、ニノを泣かすな、というニュアンスの言葉だった。

 あのときは意味が分からなかったし、今となっては子供の戯言だと思うことにしていたのだが――もしかすると事実なのだろうか。

 ニノが泣いていた。

 そう翔太は言う。

 しかし俺は、こころと別れた瞬間ぐらいしか、あの狼少女が泣いているのを見たことがない。

 あの現場にいたのは、俺とシャルロットと雪菜だけ。もちろん翔太らしき人影はどこにもなかった。

 つまり――俺たちに隠れて、ニノは泣いていたのか?

「なあ翔太、説明してくれるか? ニノが泣いてたって、どういうことだ?」

「……三日ぐらい前に、この公園で泣いてた。ニノ姉ちゃんが泣いてたんだ」

 翔太曰く――とても悲しそうに泣いていたという。

 それは三日前のこと、黄昏時の自然公園にて。

 いつもどおり翔太たちは集まって、みんなでサッカーや鬼ごっこをして、そして門限が迫ってきたから解散した。大体、午後六時ごろ。ちょうど日差しが赤くなる夕焼けの時間。

 普段ならば一目散に帰宅するところだが、その日の翔太は、何とも可愛らしいことにお菓子に付属していたオモチャを公園に忘れたらしく、わざわざ取りに戻ったというのだ。

 そして急いで公園の広場まで戻った翔太は――偶然にも目撃した。

 ベンチに腰掛けて、静かに涙を流すニノを。

 べつに嗚咽を上げていたわけでも、悲壮に顔を歪めていたわけでもない。

 ただ――静かに泣いていた。

 あの澄んだ瞳から一筋の雫を流して。

 ただ――本当に悲しそうに。

 あの狼少女が、泣いていたのだ。

 いつも翔太が見ていたのは、常に優しげな笑みを浮かべているニノだけ。というより、ニノが笑顔しか見せていなかったんだろう。あの狼少女は、あまり他人に弱みを見せようとしないから。

 それからしばらくしてニノは、遠くのほうに立ちすくむ翔太に気付いた。

 慌てて目元を拭うニノと、口にするべき言葉が見つからない翔太。

 やがて。

 バツが悪そうに沈黙する翔太へ向けて、ニノは言った。


 ――ねえ翔太、これは二人だけの秘密よ。絶対に他言しちゃダメ。

 ――でも……ニノ姉ちゃん、泣いてたじゃないか。それって、悲しいことがあったからなんでしょ? ぼくがニノ姉ちゃんを助けてあげるから、なにがあったか教えてよ。

 ――気持ちは嬉しいわ。けど、これは翔太には関係ないことなの。だから、ね?

 ――いやだ。

 ――え? 

 ――いやだっ! ぼくは絶対にニノ姉ちゃんを助けてあげるんだっ! 好きな女の子を守ってあげるのが、ホントーの男だって、ニノ姉ちゃん言ってたじゃないか!

 ――うーん、まあ確かにそう言ったけど。

 ――じゃあ教えてよ。ニノ姉ちゃんを泣かした悪いやつは、いったいだれなの?

 ――そうねえ……まあそこまで言うなら、教えてあげてもいいわよ。

 ――ほんとっ!?

 ――本当よ。いい、翔太? ウチを泣かしたのは、宗谷士狼っていう名前をした白い髪の男なの。

 ――その、そうやしろうっていうやつが、ニノ姉ちゃんを泣かせたの?

 ――そうよ。士狼は朴念仁だからね。人がせっかく気持ちをアピールしてるっていうのに、まったく相手にしてくれないんだから。さすがに泣いちゃうってもんよ。

 ――分かった! じゃあ、その『そうやしろう』っていうやつを見つけたら、ぼくがやっつけてあげる!

 ――いい気迫ね。やっぱり男の子は、そうじゃないと。


 とか言ってニノは、翔太の頭を撫でたという。

「……あいつが諸悪の根源かよ」

 つまり俺に翔太をけしかけてきたのは、何を隠そうニノ本人ということになる。

 どうせ翔太は、すぐに忘れてくれると思ったのだろう。その場しのぎの適当な発言。……いや、それにしてはニノの言葉に深みというか、重みがあるような気がするが。

 とにかく、あれから数日経っても翔太は覚えていた。

 ニノの涙を。

 あの狼少女が見せた――悲しそうな顔を。

 そして小学生の行動範囲内で、ずっと探していたのだ。白い髪をした男――俺を。

 まあ、こんな髪色をした野郎なんて滅多にいないからな。目立ってしまうのも無理はないし、俺を見かけた翔太が、俺を『宗谷士狼』と断定するのも無理からぬ話ではある。

 要するに――ニノは侮っていたんだ。

 いくら幼いからといっても、翔太は男だ。それも好きな女を守ってあげられる立派な男だ。

 だって、なあ?

 当然だよな、翔太。

 知識に乏しくても、体が小さくても、それでも男なら――

 女の流した涙を、簡単に忘れるわけねえよな。

 それにしても――ニノも馬鹿だと言わざるを得ない。

 あいつは男を侮ってたんだ。

 翔太を過小評価してたんだ。

 男って生き物は、好きな女のためなら、どんなことだって出来るのに。

「ところで翔太。俺をやっつけなくてもいいのか?」

「うん。しろうは悪者じゃないと思う。だって、ニノ姉ちゃんみたいな感じがするし」

「ニノみたいな感じ? ……なんだそりゃ」

「わかんないけど、とにかくポカポカとあったかい感じがするよ。ぼく、このあったかい感じが好きなんだ」

 ……ということらしいが。

 どうも子供の説明は、要領を得なくて困る。

 それよりも聞き捨てならないことがある。もしかして俺は、子供に好かれる体質だったのだろうか? いや、まさか。容姿、性格、経歴、どれを取っても子供が喜びそうなものはないのに。

 でも考えてみれば俺って、どこぞのバカ吸血鬼に懐かれてるわけだし。前例がないわけでもないか。

 あぁ、ちなみに断っておくと、シャルロットのやつが子供っぽいとか、そういう意味でこの例を引き合いに出したわけじゃない。あいつは大人の女だからなー、家庭的な女だからなー、頭もいいからなー。

 ……やばい、なんか鼻が伸びてきたような気がする。

「そういや翔太。ニノが泣いてたベンチって、どこだ?」

「あっちのほうにあるやつ。ここからじゃ見えないけど、あのキレーな噴水があるところの」

「……なるほど。やっぱりか」

 自然公園の中央に位置する噴水広場。

 その十二あるベンチの一つで――ニノとこころは、一緒に肉まんを食ったという話だ。これは、かつて狼少女から、こころと出会った経緯を詳しく聞いた際に知ったことだが。

 こころとの思い出が残るベンチで――ニノが泣いていた。

 これが意味するところは恐らく――いや、間違いなく一つだけ。

 ニノは引きずってるんだ。

 やっぱり悲しいんだ。

 まだ吹っ切ることが出来ないんだ。

 表面上は笑っているけれど、内心では泣きたい気持ちで一杯なんだ。

 だから。

 この公園で泣いていた。

 暦荘の――俺たちの目が届かない場所で、泣いていた。

 誰にも知られたくないから。

 あいつは、他人に自分の弱いところを見られるのが嫌いだから。

 わりとポーカーフェイスを弁えてる女だからな、ニノは。

 まあ獣耳さんは、自重することを知らないようだが。

「――分かった。ありがとよ、翔太。おまえはさ、ちゃんとニノを守ってあげることが出来そうだぞ」

「ほんとっ!?」

「ああ。おまえが俺に色々と話してくれたおかげだ。だから――」

 そうして、俺は続けた。

「きっと明日には――ニノは心の底から笑ってるぜ」

 どこか誇らしげに翔太は頷いた。

 この小さなヒーローは、ちゃんと役割を果たした。自分に出来る最大限のことを立派に務め上げた。

 だから。

 あとは俺が何とかする。

 ニノを知り、こころを知り、あの事件を知り――そんな俺だからこそ出来ることが、きっとあるだろうから。

「じゃあしろう。ぼく、そろそろ戻るね」

 じっとしていることに飽きたのか、それとも広場で遊んでいる友人達を見ているうちに、自分も輪に加わりたくなったのか――まあ両方だろう。

「ああ。存分に遊んで来い」

「うん。いっぱい活躍するから、しろうも応援してね」

 不器用に靴紐を縛り直して、翔太は立ち上がった。

 俺はその背中を軽く叩いて、送り出してやった。

「ねえ、しろうー!」

 遠くから翔太が手を振っている。

 それに、どう返答しようか迷っていると、

「やっぱりしろうは、ぼくのらいばるに相応しい男だよー!」

 そんな粋な台詞が聞こえてきた。

 きっと、あいつは将来いい男になると思う。

 俺は何も言い返さず、ただ黙って手を振った。

 翔太は満足そうに頷いて、とてとてと駆け出していった。

 ベンチに残ったのは俺一人だけ。

 手元には空き缶一つ。

 そして一口分だけ中身が残ったペットボトルも所在無さげに置いてある。

「……台風のような時間だった」

 はあ、と大きく溜息をつく。

 やっぱり子供の相手は精神的に疲れる――思い出したくもないモノを、思い出してしまうから。

 俺は子供が嫌いじゃないが、苦手だ。

 あの小さくて可愛らしくて、そして弱い生き物が苦手なんだ。

 だって――守ってやれる自信がないから。

 一度失敗したことだ。だから二度目の失敗だって、あるかもしれない。

 ――でも、やっぱり嫌いではない。それだけは間違いのない事実である。

 これから俺がするべきことは決まっている。決まりきっている。

 とにかくニノと話がしたい。すべてはそれからだ。

 だから、ひとまずは時間の経過を待とう。

 いずれ黄昏になり、子供達は解散して、みんな家に帰って、残るは俺とニノの二人だけになる。

 夜の自然公園ならば――他人に話を聞かれる心配もない。

 それに、ニノの涙を拭ってやることは、そのまま姫神の件の解決にも繋がるだろうから。

 どうやら数ヶ月に一度しか発動しないと言われている、俺の気まぐれな好意ちゃんが久々に発動しそうだった。

「あとで――ニノの耳を触らせてもらおうかな」

 せめて、それぐらいの褒美があってもいいだろう。

 まあニノが許してくれるかどうかは分からないが。





 やがて時間は経過して。

 視界の一切が夕焼けに染まり、子供達が解散するときがきた。

 疲れた顔を見せず、笑顔のままで帰路につく少年少女――その中には翔太もいて、最後は俺に手を振ってきた。もちろん振り返してやった。

 あれだけ喧騒に満ちていた広場は、もう見る影もない。

 それは祭りの後に似ていた。

「――わざわざ待っててくれたのね」

 ちょっとだけ嬉しそうな声。

 獣耳をピコピコと動かしながら、ニノが俺の元にやってくる。

 汗に濡れた身体は、肌にはりついた髪は、やはり艶やかで色っぽい。黒のシャツは汗を吸収したせいか、肌にぴっちりと張り付いており、ニノのプロポーションの良さがさらに強調されている。下着のラインさえ見えるほどだった。

「ああ。わざわざ待っててやったんだよ。というわけで、ここ座れよ」

「ここ座れって――帰らないの? いっぱい汗かいちゃったから、早くシャワー浴びたいんだけど」

「そう言うな。おまえに大事な話があるんだよ」

 ピョコっ! と目敏く跳ねる獣耳。

「え――大事な話っ? ……ま、まあ、そう言われちゃったら、女として座らないわけにもいかないわよね……」

 ぎこちない所作でベンチに腰掛けたニノは、行儀よく足を揃えると、きちんと膝の上に手を置いた。まるで面接を受ける人みたいに。

 獣耳は、ニノの緊張を示すかのように怪しげな動きをしていた。

「悪いな、早く帰りたかっただろうに」

「ううん、大丈夫よ」

 頬を赤く染めて、俯きがちにニノは続けた。

「むしろ今夜は、暦荘に帰らない可能性も出てきたぐらいだし……」

 いい具合に勘違いをしている狼少女であった。

 この女は、経験豊富そうな容姿と言動に反して、その実は経験皆無で純粋なのである。

「……まあ、いいか」

 どうせすぐに誤解は解けるだろうし。



 ――こうして。

 俺とニノの長い夜は、幕を開けたのだった――



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