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けれど、狼と吸血鬼  作者: ハイたん
第四月 【守る物、護る者】
72/87

其の十二 『守護』①





 それから何が起こったかを話そう。

 漁夫の利を得るような感じで手柄を横取りしやがった忌野は、諸悪の根源である妖を祓うと同時に意識を失ってしまった。

 とりあえず文句を言ってやろうと思っていた俺は、それを我慢せざるを得なくなった。いちおう忌野もボロボロの体に鞭を打って、護りたいヤツを護ろうとしたのだ。仕方がないから敬意を表してやろう。

 あれから――鬼と呼ばれる妖を退治してから、本当に色々あった。

 先の戦闘で背中を傷つけられたニノは、思いのほか平気そうだった。ただし「お、乙女の柔肌が……自慢のもち肌だったのに……ガクリ」と死んだフリなどをして、それを本気にしたこころは「お姉ちゃんっ! 死んじゃダメっ!」とか涙目になって訴えかけてやがるし。どこの三文芝居だ。

 真面目な話、俺はニノの傷が心配だった。当然だろう。女の肌に、傷なんて残っちゃ可哀想だし。

 そんなニュアンスのことを俺が言うと、ニノは「大丈夫よ。ウチを人間と一緒にしないでよね」と獣耳をピコピコと動かした。傷自体の完治は一、二週間程度。そして傷跡が完全に消え去るのは――長く見積もっても夏までには、ということらしい。さすが人狼さんである。

 それでもって雪菜のヤツは、拘束された身体をクネクネさせながら「あーあ、上手く身体が動かないですねー。まあ仕方ないですよねー。さっきから誰も私のことを見てないですしー」とか、これみよがしに呟いて拗ねやがるし。どうやら、早く拘束を解け、と自称陰陽師様は仰っているらしい。

 分かった、すぐに解いてやるからな――そう俺が口にした瞬間、今度はシャルロットが「もうダメぇ……血が、血が足りないよぉー」と目を回して倒れたり。

 ――そんなこんなで世も末な状況だったのだが、頭を抱える俺の心情を察したかのように、救世主こと青天宮の連中が駆けつけてくれたのだった。

 そこから先は、あえて語るまい。

 あんな面倒な手続きやら事情聴取やらは、もう俺の記憶から抹消されたのだ。思い出したくもないのだ。黙秘権を行使するのだ。

 とにかく――こうして、猟奇的連続殺人事件に端を発した事件は、大した余韻もなく終わりを告げた。

 俺たちの住む街には、ひとまずの平穏が戻った。青天宮のヤツらも事後処理が済んだら消えるらしいし、これで枕を高くして寝れるってもんである。

 しかも、だ。

 あの倉庫から外に出て、黎明を目にする俺たちに吉報が届いた。

 なんと――こころの母親が見つかったというのだ。青天宮が貴重な人員を割いてまで、捜索を続けてくれていたらしい。これには本当に頭が下がった。だから、とりあえず雪菜に向けて手を合わせておいた。当の本人は「はい? 何の無茶振りですか、それ」と怪訝な顔をしていたのだが。

 事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。

 フィクションよりも奇想天外な現実というのは、いつだって俺たちの身近に潜んでいるものなのだ。

 そんなわけで――紆余曲折の類はあったものの、全ては元通りになった。いや、元通りにされた。あらゆる痕跡は青天宮の手によって消されたし、当事者である俺たちの記憶も、いずれは色褪せて消える。忘れる。

 ああ、そうだ。

 事件は解決した。

 全ては元通りになる。

 それこそが摂理であり、きっと自然な流れなのだろう。

 元から在るものはそのままに、元から無いものは在るべき場所に戻される。

 ……いや、言葉遊びは止めて、もっと分かりやすく言おう。

 厄介だった事件の終焉――それは、つまり。

 


 ――こころとの別れを、意味していた。




****





 それは深夜を過ぎたころだったと思う。

 深刻な人手不足により、うざったらしい雑務やら事後処理やらを回されていた忌野は、ようやく取れた休憩時間に近所のファミリーレストランに向かった。

 ――妖との戦闘において重症を負った忌野だったが、そんな彼の事情などお偉方は察してくれないのだろう。その証拠として、意識を取り戻すのと同時に仕事が入ってきた。

 医者からは松葉杖を推奨されたのだが、丁重に断った。それほどやわな鍛え方はしていない――というのは建前で、本音を言うと面倒だったのだ。松葉杖を使用することによって、周りから優しい扱いをされることが。

 忌野は、凶悪な妖との戦闘を職務とする退魔班の人間である。だから、あってもなくても困らなさそうな書類の整理など本分じゃない。

 しかし先の事件により、軌跡処理班の人間が大勢殺されてしまった。犠牲者は二十名以上にも上る。この数字は、ここ数年以内で見れば間違いなくトップクラスだった。

 今回の標的――つまりカテゴリーB以上と推定されていた妖が、かの”鬼”だったことは想定外。それでも、だからといって被害が許されるわけじゃないし、無くなるわけでもない。

 言ってしまえば、忌野は責任を感じていたのだ。

 もっと早く、一番最初に出会ったときに、自分が鬼を退治していれば――と。

 そうすれば誰も殺されることはなかったのに――と。

 つまり忌野が、疲労困憊の体に鞭を打って軌跡処理班の仕事を手伝っているのは、ほとんどボランティアに近いものがある。

 せめてもの償いというか、一種の罪滅ぼしというか。まあ上から暗に命令されている、というのももちろんあるが――

 そのファミリーレストランは、全国にもチェーン展開している有名な店で、忌野も何度か世話になったことがある。イタリア風の料理を中心にしており、美味い・早い・安いという、わりとありきたりな三拍子を揃えた店だ。

 ファミリーレストランの料理は、基本的に安っぽく、だからこそリーズナブルだ。

 しかし――ちょっと高級感の漂う食事を、高校生の小遣いでも食えると思えば、まあ得をした気分にもなる。

 深夜の店内は、しかし結構な人数で賑わっていた。

 全体の半分近くは埋まっているだろうか。若い男女が仲良く座っていたり、疲れた感じのサラリーマンが一人でコーヒーを飲んでいたり、やんちゃな男子達が談笑していたり。

 とは言っても、このファミリーレストランで食事を摂っている人間の大部分は、青天宮の者達だった。噛み砕いて言うと、今の忌野と同じような連中である。

 しばらく店内をキョロキョロと見渡していた忌野は、比較的目立たない隅っこのほうに見知った顔を見つけた。

 学ランに包まれた体を引きずるようにして歩き、声が十分に届く位置にまで近づくと、忌野は子供のように破顔して言った。


「――やあ、北条さん。なんか疲れた顔してるじゃん。もしかして困ったことでもあった? なんなら俺っちが相談に乗るよー」


 にはは、と無邪気な笑みを作りつつ忌野は、隅っこのほうに座っていた彼――北条の対面に腰を下ろした。

 店の内装は小奇麗だが、使っている素材自体は普通らしく、ソファはあまり弾まない。けれど疲れた体には、その”普通”さえありがたく思えた。

 食事を摂らず、ただ眼前にある冷めたコーヒーを見つめていた北条は、ため息と共に切り出す。

「……ああ、忌野氏か。いや、自分は大丈夫だ。それよりも忌野氏の方こそ、怪我は大丈夫なのか?」

「まあねー。死なないってことを大丈夫って言うなら、俺っちは大丈夫ってことになるよ」

 お腹減ったー、と言いながらメニューを選ぶ忌野。

 ――この二人が初めて会ったのは、青天宮が義務付けている新人研修。成人近い連中に混じって、一人だけ中学生ぐらいの子供がいるのを不思議に思った北条が、忌野に声をかけたことが出会いだった。

 それから二人は、歳の離れた友人のような間柄となった。偶然か、上司の采配かは分からないが、同じ現場に回されることも少なくない。つまり仲良くなるのは必然だった。

「そうか、大丈夫か。なら、よかった」

 固まった顔の筋肉を無理やり動かすようにして、北条は笑った。

 それを冷静な目で観察しつつ、和風ハンバーグセットとドリンクバーを注文した忌野は、席を立ってメロンソーダをコップに注いで戻ってくると、やはり冷静な目で北条を見据えた。

「北条さん。あまり考えすぎるのは良くないよ」

 ストローに口をつけて、遠まわしに諭すように言う。

「……自分だって考えたくはないよ。でも、どうしても頭の中に浮かんでくるんだ」

「浮かんでくる――か。ひょっとして、今回の標的だった妖のこと? もしくは、凛葉の息女である雪菜さんのこと?」

 やがて曖昧な顔をする北条に向けて、忌野は続けた。

「――それとも、亡くなった同僚のこと?」

 その言葉と同時、北条の体がビクと跳ねた。

 しばらく静寂が続く。

 子供みたいな笑みを浮かべながらも、冷静な瞳で周囲を観察する忌野と、まるで自己の中に答えを探しているかのように押し黙る北条。

 時間にして三分ほど無言だったか。

 しっかりと時計で相手の沈黙を計っていた忌野は、北条が口を開いた瞬間にカウントを止めた。

「……宮本は、とても女子にモテる男だった」

 それは。

 今回の事件によって命を落とした――ホテルで鬼に殺された軌跡処理班の人間にして、北条の同僚の名前だった。

 顔は思い出せないが、名前ぐらいなら忌野だって知っていた。

「宮本は――ルックスはいいし、頭は切れるし、なにより優しかった。それに霊力だって強くて、いつだってみんなの中心にいるような男だった。宮本ほどの男なら、退魔班でだって活躍出来たはずだ。

 でも宮本は……許婚の女の子を悲しませたくないからって、絶対に泣かせたくないからって、俺が死んだら誰があいつを護るんだって、もうすぐ子供が生まれてくるんだって、いつも自慢げに言ってた。だからこそ、軌跡処理班に配属されることを自分から希望したとも言っていた。

 正直な話、たまに鬱陶しいこともあったな。なぜって、生まれてくる子供の名前を、何度も何度も相談してくるんだよ。それを邪険に扱うと、しゅんと叱られた子供みたいに小さくなるところが憎めなくて。何というか、誰からも好かれる不思議な魅力を持った男だった。

 なあ、忌野氏。自分は、名誉ある仕事より、大事なひとのために地味な仕事を選べる宮本のことが――大好きだったよ」

「……そっか」

 相槌だけを打つ。

 北条が望んでいるのは、正しい意見とか、目が覚めるような叱咤激励とかではない。

 きっと、ただ話を聞いて欲しいだけ。

 死んでしまった友人の話を、誰かに聞いて欲しかっただけ。

 それが分かっていたからこそ、忌野は静かに耳を傾け続ける。

「……畑中は、とても臆病な男だったよ。上司からも素質はあると期待されているくせに、いざとなると怯えてしまって、結果として実力を発揮できないような、そんな男だった。言ってしまえば、プレッシャーに弱かったんだな。そのくせ武道に優れていたもんだから、畑中と喧嘩になると、自分はいつだって一方的に殴られっぱなしだった。

 畑中は、長所を全て帳消しにしてしまうぐらい臆病だったから、見ている自分としては苛立ったことも少なくなかった。嘘も平気でつくし、悪戯だって大好きだった。だから周囲の人たちからは呆れられていたよ。

 でも畑中は、友人が絶体絶命の危機に陥っていたら、己の命を投げ出してでも助けようとするような――そんな友達想いの男だった」

 ひたすらに北条の告白は続いた。

 それは、きっと無意味な時間だったと思う。

 亡くなった人間の話など、これから生きていく人間には必要ない。むしろ重荷となるだけだろう。

 それでも――忌野は口を挟むことなく、ずっと北条と目を合わせながら、語られる話を聞いていた。

 逝ってしまった人は、いずれ忘れ去られてしまう。

 だからこそ、せめて忌野は、彼らのことを覚えていようと思った。

「――忌野氏、ありがとう」

 やがて全てを話し終えたあと、北条は満足げな笑みを浮かべた。

 それは憑き物が落ちたような顔でも、そして何かが吹っ切れたような顔でもあった。

「いんや、礼には及ばないさ。ちょっとでも北条さんの役に立てたのなら、俺っちも本望だよ」

「そう言ってくれると、自分も助かるよ」

 ははは、と明るく笑う二人。

 そうこうしている内に、忌野が注文していた和風ハンバーグセットが配膳される。鉄板の上で焼けるハンバーグには、おろしポン酢のような調味料がかかっており、食欲をそそる。

 北条はすでに食事を終えていたらしく、慣れた手つきでナイフとフォークを操る忌野とは別に、ドリンクバーで淹れてきたホットコーヒーを飲んでいるだけだった。

「――そういえば北条さん。こころちゃんの母親が見つかったんだってね」

 もぐもぐ、とハンバーグを頬張りつつ、視線を鉄板に向けたまま忌野が呟いた。

「こころちゃん――と言うと、あのサトリの少女のことか。ああ、確かに彼女の母親が発見されたという話は自分も聞いた。でも忌野氏、ちょっと不思議だとは思わないか? 青天宮が、サトリとは言え一介の妖のために、貴重な人員を割くなんて」

「いや、おかしくはないね。数多く存在する妖の中でもサトリは、青天宮ですら上手く実態を掴むことが出来ていない。つまり、それだけサトリが人里に下りてくることは稀なんだよ。彼らと接触した話なんて滅多に聞かないからさ。だから青天宮としては、この機会に少しでもサトリに関する情報が欲しいんだろう」

 サトリの妖は、普段は人里離れた山奥に結界を張り、ひっそりと暮らしている。誰の邪魔をすることなく、誰にも邪魔をされることなく。

 もちろん、それはこころとその母親とて例外ではない。だからサトリが人間の前に姿を現すのは珍しいのだ。

 ならば、どうしてこころはこの街に現れたのか。

 理由は簡単だった。

「自然破壊――いや、この場合は開発と言ったほうが人間様の尊厳を守れるかな。でも、ちょっと滑稽だよねー。山を切り崩し、森林を伐採し続ける人間が、自然を大切にしましょうね、なんてことを真剣に吹聴するんだから。自分たちが、知らない誰かの生活を壊していることも知らないでさ」

 こころ達を守っていた結界――それは、開発を続ける人間の手によって破壊されてしまった。

 山を切り崩していた現場の者たちに、悪気がなかったのは確かだろう。彼らは上からの指示に従っていただけなのだから。

 しかし結果として、こころとその母親を守護していた結界は消失し、他の凶暴な妖の襲撃を受けることとなった。

「――ちょっと調べてみたんだけど、妖狐だったらしいよ。こころちゃん達を襲った妖って」

 基本的にサトリは戦闘能力を持たない。けれど、その身に秘めた妖力は莫大であり、妖にとっては最高の餌となる。

 どのような逃亡劇があったのかは分からないが、こころは上手く逃げ延びた。母親とはぐれてしまっても、知らない街に迷い込んでしまっても、とにかく助かった。

 そして――ニノと出会った。

 心という不明瞭なモノを視ることによって、自分を助けてくれるであろう優しくて強い人狼の少女と出会ったのだ。

 これが事の顛末。

「でもさー、ちょっとだけ不可解なことがあるんだよねー」

「む? 忌野氏よ、不可解なことって?」

「いやね」

 もぐもぐ、と美味そうにハンバーグを頬張りながら、忌野は続けた。

「妖狐と言えば、一流の陰陽師ですら骨を折る相手だ。単純な妖力では鬼に及ばないが、それでも神通力のような力を操りやがるし、俺っちとしても出来れば闘り合いたくはないかなぁ。だってメンドイし。しかも獲物を見失ったとしても諦めないんだぜ、あいつらって。どこまで執念深いんだって話だよね。

 ここまでの話を踏まえてさ、ちょーっと違和感があると思わない? これっぽっちも戦う力を持たないサトリが、よくぞ妖狐から逃げ延びられたよなぁって」

「……まあ、確かに」

「しかも俺っちが一番解せないのは、この街に現れたカテゴリーB以上とされていた妖が、なぜか鬼だったことさ。仮にこころちゃんが奇跡的に逃げ延びたとしても、ならどうして妖狐は彼女を追ってこない?

 もっと言うなら――どうして、この街に現れたのは妖狐ではなく、鬼だったのかな?

 ちなみに観測班が調べたところによると、とある山中にて妖狐らしき力の残滓が見つかったらしい。つまり誰かに退治されちゃってたんだね、もう」

「なるほど。どこにだって優秀な陰陽師はいるものだな」

「――いや、それは違うと思うよ。陰陽師って言っても、しょせんは人間だ。わざわざ山奥にまで足を踏み入れることはないだろうさ。それが青天宮の任務とかなら別だけど、当時まだその妖狐は観測されていなかった。だから陰陽師の仕業じゃない」

「……さっぱり分からないな。じゃあ誰が?」

「さあね。どこかの紳士的なヤツが助けてやったんじゃないかなー」

 もぐもぐ、とハンバーグの最後の一切れを口に放り込み、忌野はナプキンで口元を拭った。

 そして、どうでもよさそうに言う。

「これは人づてに聞いた話なんだけど――こころちゃんの母親は、今回の事件の顛末を聞いたあと、静かに泣いたらしいよ。それは果たして、娘が無事に見つかったから泣いたのか、もしくは――」

 そこから先を、忌野はあえて言わなかった。

 だって全ては予想でしかないし、たぶん真実ではないからだ。

 復讐のみに人生を捧げた鬼の中に――僅かでも愛が残されていたとは、到底思えない。しかも本人から直々に否定の言葉も頂いた。私ではない、と。

 しかし絶対的に辻褄が合わないのも確かなのだ。

 あの金色の髪をした妖は――あれだけ復讐を口にしていたくせに、どうにも中途半端すぎる。簡単に言えば、何がしたかったのかが良く分からない。

 にも関わらず、ホテルに張られた結界を解除するために爆弾を用意していたり、監禁場所である倉庫を確保していたりと、きっちりと計画を練ってあったような節もある。

 忌野は思う。

 もしかすると、あの鬼は――なにか予想外の事態が発生したことにより、長年練ってきたはずの計画を変更しなくちゃいけなくなったのでは、と。

 それは例えば――かつて交わった女性との間に出来た娘の危機、とか。

「まあ、ありえない話なんだけどねー」

 そう、この予想は不正解である。

 だって九鬼本人から否定されたのだから。

 僅かでも鬼の血を引く妖は、近代になっても危険視されているのだから、絶対に違うのだ。

 自分おにの血なんて引いていないから娘には手を出すなよ、という解釈も出来るが、絶対に違うのだ。

 もしも、こころが鬼の血を引いているとなれば、青天宮は彼女を祓ってしまおうとするだろう。良くて研究材料に回されるのが関の山といったところか。

 だから忌野は――自分の辿り着いた一つの答えを、永久に忘れ去ることにした。

「さーてさて、それじゃあデザートにパフェでも頼もうかなー。というわけで北条さん」

「む? なんだ、忌野氏」

「ごち」

「えっ、自分が奢るのか!?」

 ――こうして、忌野と北条の夜は更けていった。





 ニノ=ヘルシングが背中に負った傷は、人間だったら手術が必要なレベルだったものの、しかし彼女は人狼である。

 放っておけば完治する――とは言い過ぎだが、それでも適切な処置を施してやれば、あとは自力で治癒することが可能だ。

 人狼は身体能力だけでなく、自然治癒力や根本的な生命力も人間とは桁違い。吸血鬼は血さえあれば臓器や器官の復元すら可能だ。その反面、人狼は失った手足をもう一度生やしたりは出来ないものの、傷自体の治癒速度は凄いのである。

 まあ、だからと言って――傷が痛いことには変わりないのだが。


「……お姉ちゃん、大丈夫……?」


 気遣うように、こころの声がした。

 とうに深夜を回っているせいか、辺りは静寂に包まれている。みんな寝ているのだろう。それは動物や虫、そして草木さえも同様。

 明かりの消された室内――広い和風の部屋(高梨沙綾の家にあるニノの部屋)の中央には、それに見合うだけの大きな布団が敷かれていた。大人二人は無理があるけれど、少女二人ならば問題なく眠れるだけの布団だ。

 そして暖かな掛け布団には、ニノとこころが仲良くくるまっていた。

「ええ、もちろん大丈夫よ」

 柔らかな笑みを浮かべながらニノは、腕の中にいる少女に言った。

 仰向けに寝転ぶと背中が痛むので、ニノは身体を横に寝かさせている。となりに並んで眠るこころと向き合うような形だ。

 ――喧嘩をしたような形で別れたニノとこころだったが、あの廃れた倉庫で再会した二人は、それまでの懸念や不安が嘘であったかのように、明るく接し合うことができた。

 きっと互いに反省していたからだろう。なぜならば、落ち着いた二人が交わした第一声が『ごめんなさい』だったからである。

 ほんの少しのわだかまりによって仲違いしたが、だからこそほんの些細なきっかけによって仲直りも出来る。

 だって、ニノはこころのことが大好きだし。

 同時に、こころもニノのことが大好きだから。

 一緒に過ごした時間は多くない。むしろ友情や愛情を築くには短すぎる時間だ。

 けれど――過ごした時間に比例しない関係も、この世にはあるものだ。

 それを言外に証明するかのように、二人は抱き合ったまま布団に入っている。

 というよりも、ニノが一方的にこころを抱き枕のようにしている、と称したほうが正しいのだが。

「はぁ――癖になっちゃうかも」

 一度こころの抱き心地を知ってしまうと、もう一人では眠れる気がしなかった。

 犬の尻尾のように揺れる獣耳は、ニノの機嫌がいいことを証明している。しかし本人は、自分の耳が感情に合わせて動いていることに気付いていない。頭隠して尻隠さず、という言葉が日本にはあるのだが、ニノも似たようなものだろう。

 こころは、ピコピコと軽快に揺れる獣耳を盗み見た。

「……お姉ちゃん、お耳が」

「うん? 耳がどうしかした?」

 その言葉に合わせて、やはり獣耳がピョコっ、と動いた。

「……不思議。まるで、生き物……みたい」

「こころが何を言いたいのかがイマイチ分からないんだけど、とりあえず耳を褒められてるって解釈してオッケーよね?」

「あ、うん。……それで、差し支えない、と思う」

「――ふふふ、そうかなぁ? そんなに可愛いかなぁ? でも宇宙一可愛いっていうのは、さすがに言い過ぎだと思うわよ? せいぜい世界一ぐらいに留めておいたほうがいいんじゃない? いい女は、謙虚であるものなんだし?」

 頬を薄っすらと赤く染めて、ニノは子供のように笑った。普段は大人びた雰囲気を纏っている分、それはとても微笑ましく見える。

 対して、こころは複雑な表情を浮かべた。

「……ええと、べ、べつに……宇宙一可愛いとは、誰も言ってないような……」

「まあ当然よね。人狼の中においても、このニノ=ヘルシングを凌ぐほどの耳を持った輩なんて、まずいないしね。街中を歩いていても、人間からは羨望の眼差しを送られるわけだし」

「……それは……たぶん、好奇の目じゃないかと……」

「高貴の目ですって!? ……こころ、アンタは今、とても素晴らしいことを言ったわ。思わず涙が出そうになっちゃった。これはノーベル賞ものの発見ね。ウチの耳は、可愛いとか綺麗とか美しいとかツヤがあるとか形がいいとか、とにかくそんな次元を遥かに超えて――もはや”高貴”というレベルにまで達しちゃっているってわけね。これは予想外だったわ。せいぜい”尊い”が限界だと思ってた」

「……そっちのほうが、図々しいような……」

「え? なんか言った?」

「……ううん、なんでも。…………まあ、お姉ちゃんが幸せそうだし、これで……いいよね」

 両拳をぎゅっと握り締めて、力強く頷くこころ。それはどこか、妹のワガママを看過する姉に似ていたそうな。

 ニノとこころは、そんな益体のない――しかし意味がないわけでもない会話をずっとしていた。

 もう夜は深い。

 きっと暦荘の人間は、みんな例外なく眠っているだろう。

 事実、ニノだって瞼が鉛のように感じられる程度には眠いし、こころだって何度も眠そうに目を瞬きさせている。つまり眠たいし、眠りたいのだ、二人とも。

 けれど寝てしまうことはなかった。

 だって――それがもったいないことだと分かっていたから。

 しばらく話し込んだあと、話題が尽きた一瞬の静寂のあと、ニノがぽつりと言った。

「……いつまでだっけ、こころと一緒にいられるの」

「分からない。……でも、たぶん、一週間もないと思う」

「……そっか」

「うん……」

 儚げな笑みを浮かべるニノと、悲しそうに瞳を伏せるこころ。

 ――実のところ、こころが暦荘にいられる時間は、そう長くない。時が来れば、こころは在るべき場所へと帰ってしまうからだ。

 そもそもサトリの妖にとって――周囲の人間の心を視てしまうこころにとって、街中での生活は無理があるのだ。知らない誰かの心が、無理やり流れ込んでくるのだから。それも大量に。無差別に。容赦なく。その負担がどれほどのものか、推して知るべしだろう。

 だからサトリは、人里から離れた山奥などに結界を張って生きるのだ。それは人間や妖から襲撃されないためではなく、他人の心を不必要に視てしまわないためでもある。

 街中での生活も短期間ならば大丈夫だろうが、それを過ぎると苦痛でしかなくなる。

 事実、こころはすでに頭が痛いと訴えていた。つまり頭痛という確かな形として、こころに蓄積されてきた負担が表に出てしまったのである。

 だから――こころは暦荘を去る。

 不幸中の幸いと言うべきか、こころの母親は無事に発見されたし、彼女らの新たな住処は青天宮のほうで用意してくれる。結界も同様。以前のは人間の開発によって失われたらしいので、今度はそのあたりの事情も考慮し、青天宮の保護が届く場所になるという。

 当然だが、その準備にも時間はかかる。しかし、近日中には終わるという。よって、残された時間は僅かという計算にもなる。

 こころと離れ離れになる――そう聞いたニノに、忌野はこう言った。


 ――悲観することはないよ。頻繁に、とはいかないが、会おうと思えば、まあ会えるんだからね。


 まるで慰めのような言葉だった。いや、真実慰めだったのだろう。

 しかし、ニノは思う。

 会おうと思えばいつでも会える――そんなのじゃあ意味がないと。てんで慰めになっていないと。

 だって、それは裏を返せば――会おうと思わなければ会えない、ということなのだ。それでは嫌なのだ。絶対的に寂しいのだ。

 意識して会いに行かずとも顔を合わせられるような関係が、一番いいとニノは思う。例えるなら、家族のような関係が。姉妹のような関係が。暦荘に住む仲間たちのような関係が。

 はっきり言って、ニノはこころともっと一緒にいたかった。

 けれど、それはワガママだろう。

 なぜなら二人が一緒に暮らすための条件が、何一つとして揃っていないのだから。なのに、離れ離れになる条件は仕組まれたように揃いきっている。

 要するに――ニノとこころは、どう足掻いても一緒には生きていけない。そもそもで言えば、種族さえ違っている二人が出会えたこと自体が奇跡のようなものだ。だから神様にお礼を言うならまだしも、文句を言うのだけは筋違い。

 寂しくないと言えば嘘になるが、それでもニノは笑ってこころを送り出すつもりだった。

 せめて最後ぐらいは、笑顔で別れたいから。

「……そろそろ寝よっか、こころ」

 お姉さんを自称する者として、涙なんて格好悪いものは見せたくないから。

「……うん」

 悲観することはない。

 忌野の言うとおり頻繁に会うことはできないが、それでも絶縁状態になるわけじゃない。機会があれば、また二人は会えるのだ。

 ここで問題があるとすれば、その機会が絶対的に少ないということだろう。きっと一年に三度ぐらい会えれば上等のレベル。

 そうして――暗闇に包まれた和室に静寂が訪れた。

 すぅと可愛らしい寝息を立てるこころを見つめながら、ニノは儚げに微笑んだ。

「――神様。どうか、この子に最大級の幸運を」

 白状させてもらうなら、ニノが神などという曖昧なものに何かを願ったのは、これが初めてだった。

 絶対に泣かない。絶対に泣いてやるもんか――そう心に決めて、無理やりにでも笑顔を作る。それは実に自然な微笑みだったと思う。ニノは、いつもどおりに笑えていたと思う。

 ――獣耳は、枯れてしまった花のようにペタンと倒れていた。






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