其の十一 『刹那』③
――まさか、士狼さんが助けに来てくれた……?
そう雪菜は思った。
言葉として並べてみると、真実味が増したような気がする。
宗谷士狼という人は――基本的に勘が鋭い人なのだ。でも士狼は、他人の思考に気付いたとしても、それを相手に伝えようとはしない。だから始末が悪いのだ。
今回だって、そう。
雪菜とこころは、こんな人気のない倉庫に囚われている。周辺からは人の声どころか、車やバイクの走行音すら聞こえない。
まったくの無音。
完璧な静寂。
人間どころか、猫だって迷い込みはしなさそうな場所。
だから、都合よく士狼が来てくれるはずがない。いくら勘が良いからといっても、気付いてくれるわけがない。
しかし一般人でもなさそうだ。肝試しにしては季節外れだし、巡回するような警備員や警察も、こんな辺鄙なところには来ないだろう。そもそも九鬼が、一般人が気軽に訪れるような倉庫を監禁場所に選ぶとは思えなかった。
ならば青天宮の人間だろうか。いや、それにしては行動が迅速すぎるし、攻略の仕方もお粗末だ。この倉庫を訪れた人間が青天宮の者ならば、きちんと手順に則って結界を張るはず。
つまり――誰だ?
雪菜は困惑した。
思いついた予想は、その全てが正解のように思えたし、不正解のようにも思えた。
どれだけ御託を並べようと、必死に頭を働かせようと、答えは見つからなかった。当然だ。なぜなら、その答えは、この倉庫に差し込む月光の向こう側にあるのだから。
ゆっくりと開かれた倉庫の入り口。無用心なことに鍵はかかっていなかった。これだけ古びた倉庫だ。もともと鍵などなかったのか、もしくは誰かが来ることはありえないと九鬼が高を括っていたのか。
地面に押し倒されたままの雪菜と、怪訝な様子で立ち上がる九鬼。
二人の視線は、救世主のように現れた第三者に集まっていた。ただし月明かりが逆光のようになっているため、その誰かはシルエットでしか確認できない。要するに、士狼かどうかは分からない。
乱れた和服を直すことも出来ず、夢見るような表情のまま、雪菜は瞳を閉じた。
だって、嬉しいから。
本当に、嬉しすぎたから。
こんなのは運命的すぎる。まるでロマンチックな物語だ。囚われたお姫様が、悪者に襲われそうになったとき、颯爽と王子様が助けに来てくれるだなんて。
すでに雪菜の身に危険はない。
九鬼は体を起こし、第三者を迎え撃つようにして佇立しているから。
雪菜が瞼を閉じてから――十秒ほどが経過しただろうか。
ついに、倉庫に現れた第三者が名乗りを上げた。
「――あらかじめ言っておくけど、私は怒ってるんだからね! ここで会ったが百年目ってやつだよ! 絶対に手加減なんてしないし、謝ってもゆりゅ――痛っ! し、舌噛んだぁ~!」
鈴のように響き渡る声。
それは不安を打ち消す――まるで除夜の鐘のよう。
……って、あれ?
聞こえてきた声が、予想していた人のものとは違っていたので、雪菜は反射的に瞼を開いた。というか、先の声には強く馴染みがあった。
倉庫の中は、しばらく前の薄闇が嘘であったかのように明るかった。月光一つでここまで違ってくるのか、と素直に驚く。普段は忘れているが、月がもたらす恩恵というのは、人間にとっては欠かせぬものらしい。
雪菜は、視線を動かす。
まず見えたのは九鬼の背中。彼が着ているシャツには血が滲んでいるものの、体中に刻まれた傷の応急処置は終了しているらしく、外見こそ凄惨だが、実際は安定しているようだ。
次に、雪菜は倉庫にやってきた第三者を確認して――思わず、ため息をついた。
「……相変わらず締まらないですね、吸血鬼さん」
そう。
虚勢を張るように腕を組み、やたらと偉そうな(きっと自分を強く見せようとしている)態度で、倉庫の入り口に佇んでいるのは――金髪赤眼の吸血鬼。
最近になって暦荘に住みつくようになり、ブルーメンという喫茶店でウェイトレスの仕事をこなす――人懐っこい笑顔が特徴的な、雪菜の友人。
それは――シャルロットだった。
士狼ではなく、なぜかシャルロットだった。
もちろん雪菜とて嬉しくなかったわけではない。だって、わざわざ自分を助けに来てくれたのだから。普段は口論ばかりしている雪菜とシャルロットではあるが、その実は、互いを認め合い、密かに友情を結んでいる。
でも――やっぱり落胆もある。
あー、どうせなら士狼さんに助けて欲しかったですねー、という感じである。
「ちょっと雪菜ってばー、もっと嬉しそうにしてくれてもいいんじゃないかなぁ? せっかく私が助けに来てあげたんだよ? へへー、嬉しいでしょ?」
「はあ、すごく嬉しいです。ありがとですーどうもですー」
「えっ、なんだか投げやりすぎない? これっぽっちも喜んでいるように見えないんだけどっていうか、むしろ拗ねてるように見えるのは、私の気のせいってことでいいのかな……」
「チ」
「――舌打ちされたー!」
「死ねばいいのに」
「――なんだか分かんないけど、死を望まれちゃったー!」
シャルロットは頭を抱えながら、右往左往と動き回る。
氷のように動かない雪菜の表情――しかし、その口元が微かに緩んでいたのは、きっと間違いじゃないだろう。もちろん本人に自覚はなかっただろうが。
針の如き殺気。
歪な妖気。
それらに満たされた空間は、一触即発の剣呑とした場に思えた。事実、ここはすでに戦場である。あと幾許もしない間に、壮絶な殺し合いが始まるに違いない。
「……吸血鬼か。しかし偶然にしてはタイミングが良すぎるな。つまり、凛葉の知り合いか」
シャルロットと対峙する九鬼は、変わらず紳士的な声で言う。
「そうだよ。この私が来たからには、絶対に雪菜を助けてみせるんだから。たとえ貴方が神様だろうと悪魔だろうと、私を止めることはできないんだからね」
「ふむ、そこまで言うからには、さぞ親しい間柄なのだろうな」
顎を擦りながら、九鬼は感心したように頷いた。
すると、なぜかシャルロットも自信満々に頷いた。
「――あったりまえだよ。だって雪菜は、私にとって生まれて初めて出来た女友達なんだから。かけがえのないくらい、本当に大切な人なんだよ」
人懐っこい笑みを浮かべて、金髪赤眼の吸血鬼は宣言する。
その視線は――雪菜に向けられていた。
普段は子供みたいな口論を繰り広げて、互いにバカだのアホだの言い合って、雪菜なんか知らない、とか、吸血鬼さんは頭が足りないですねー、とか罵り合ってるくせに。
それでも。
雪菜の身に危険が迫ったときは、当たり前のように助けに来てくれる。
そして、かつてシャルロットの身に危険が迫ったとき、それを当たり前のように護ろうとしたのも雪菜だった。
……語彙が足りない。このような関係を、どう呼ぶのかが分からない。
そう難しく考えた雪菜だったが――シャルロットが何気なく言った一言によって、すべてを納得した。
――だって雪菜は、私にとって生まれて初めて出来た女友達なんだから。
ああ。
そんな簡単。
理由もないのに一緒にいて、となりにいても不愉快にならず、困ったときは手を差し伸べあい、危機に陥ったときは身を張って護る。
それが――友達。
きっと多くの人間が、当然のように持っているもの。
けれど雪菜には、その”当然”がとても尊く思えた。輝いて見えた。宝物のように感じられた。
「……友達」
雪菜は、確認するように呟いてみた。
その声は、囁きでさえないほどの小さな声量だった――にも関わらず。
「――うん。友達だよ、雪菜」
あの憎たらしいぐらい無邪気な吸血鬼さんには、バッチリと聞こえてしまっていたらしい。
人懐っこい笑顔を向けられて、雪菜は思わず返答に困った。
「……ええと」
「友達だよね、雪菜」
「……そのですね」
「絶対に友達だもん」
「……あの」
「ずっと友達。ね、雪菜?」
まるで白を切る容疑者を問い詰める刑事のように、シャルロットは意地の悪そうな笑みを浮かべながら、雪菜に迫っていく。
やがて逃げられないと観念した雪菜は、ほんのりと朱に染まった頬を隠すように、俯きながら応えた。
「……まあ、友達……ですね」
ごにょごにょと誤魔化すような声。
それを聞いたシャルロットは、わざとらしく忍び笑いをした。
「ぷぷっ――あの雪菜が珍しく照れてる。ほっぺたを真っ赤にしちゃうなんて、雪菜ってば可愛いなぁ。いつもこれぐらい素直だったらいいのに」
もちろん――と言うと御幣があるかもしれないが、雪菜の頬がもう一段階赤くなったのは言うまでもない。
よほど気恥ずかしかったのか、雪菜は「不覚なう」とか呟きながら、地面をゴロゴロと転がっていた。
「――さてと、なんだか待たせちゃったみたいで、ごめんね」
毅然とした様子で腰に手を当てて、シャルロットは九鬼に向き直った。
「いや、構わない。君たちの関係にも興味があったからな。先の会話で、大体の事情は飲み込めたよ」
「そうなんだ。見かけによらず、貴方って紳士なんだね。
ところでさ、一つだけ聞いてもいいかな」
シャルロットが問う。
九鬼は、ああ、と頷いた。
「――こころちゃんに、一体なにをしたの?」
その言葉と同時、深紅の双眸が細められる。視線の先には、ぐったりとした様子で昏々と眠っているこころがいた。
シャルロットは一見して怒っているように見えた。雪菜が無事だったことを喜んだまではいい。だが、こころが眠っている――いや、意識を失っているのだ。それは許せない。
かつて士狼が言っていたことをシャルロットは思い出す。
眠っているのと、意識を失っているのと、この二つの状態の違いを。
両方の共通点として、本人の自我がないというポイントが挙げられる。けれど、細かな部分では差異があるのだ。
前者は、頬をつついたり、眩しい光を当てられたり、大きな物音を立てられたりすると、寝返りを打つなど何らかの反応をする。
対して後者は、頬をつつかれようとも、眩しい光を当てられようとも、大きな物音を立てられようとも、決して反応をすることはないのだ。なぜなら、文字通り意識を失っているのだから。
シャルロットたちが大きな声で話をしているのにも関わらず、こころは指先どころか瞼さえ動かさない。あれはどこからどう見ても、外的衝撃によって強制的に意識を奪われたと見て間違いない。
だが――どちらかと言えば、シャルロットは怒っているのではなく、焦っているようにも見えた。
「別に大したことはしていない。ただ子供の面倒を見ている時間がなかったからな。眠ってもらっただけだよ。いまさらサトリを利用する必要もなくなったんでな」
「……ふーん、そうなんだ」
気のない返答。
何かを考え込むように、シャルロットは視線を下げた。
覇気が衰えたシャルロットとは対照的に、九鬼は全身から妖気を迸らせた。それは一種のプレッシャーであり、殺気であった。
不気味な邪気が、倉庫の中を満たしていく。
気圧されたようにシャルロットの足が一歩下がった。
「さあ、もうつまらん御託はいらないだろう。私の邪魔をするというのなら――例え吸血鬼であろうが何だろうが、一思いに殺してやる」
九鬼の口元が歪む。それは狂気的な笑みだった。
これまで見たことがない不気味な哂いを見て、シャルロットは身体を震わせた。
それでも――彼女は言った。
「……い、言っておくけど、そんな恐い顔しても、ぜ、ぜんぜん恐くないからね? ……本当だよっ?」
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「……い、言っておくけど、そんな恐い顔しても、ぜ、ぜんぜん恐くないからね? ……本当だよっ?」
肌がピリピリするような殺気。もはや質量さえ持っていそうな勢いである。
私と対峙する妖が放っている嫌な何か――もしかして噂の妖気とかいうやつだろうか――は吹き付ける強風のように、私の身体を圧迫する。よく分からないけど、お怒りのようだ。
――あぁ、やだなぁ。
もう帰りたいよー。
なんでそんなに好戦的なのかなぁ。
うぅ……恐いよー。
私の身体は、雪菜を助けようとする勇敢な意思とは裏腹に、臆病者のごとく震える。それは武者震いに――見えたらいいんだけど、まあ多分ムリだろう。
月光が差し込む倉庫は、当初に想像していたスペースよりも大分広かった。子供ならば、サッカーとか野球ができるだろう。これなら、なんとかなりそうである。しかも、ちょうどいい具合に廃れた資材やら何やらがあって、身を隠す障害物も多い。
だが――誤算は確実にある。
士狼たちが立案した作戦は、こころちゃんが意識を持っていることが前提。心を視るというサトリの妖。その力を使って、私たちの思惑をこころちゃんに知ってもらわないと、最善策であるプランAが使えない。
だから、ここは臨機応変に行動するべきだ。いつまでも使えない作戦に縋っていても始まらない。
要するに――プランBに移行である。……とは言っても、このプランBは、もはや作戦とも呼べない力技になっちゃうのだが。
「……いちおう聞いておくけど、雪菜とこころちゃんを無条件に解放してくれる――っていうオチはないよね?」
「愚問」
返答は、簡潔だった。やっぱり穏便には済ませてくれないらしい。
だから私も腹を括ることにした。もう怯えないし、躊躇わないし、逃げない。一人の吸血鬼として、暦荘に住む者として、そして雪菜の友人として、悪者退治に乗り出そう。
この場で頼れそうなのは――私自身だけ。雪菜は全身を縛られているし、こころちゃんは気を失っているし。
そこまで考えた私は、あれれ? と首を傾げた。
「ねえ、悪い人っていうのは、こういうときになると人質を取るんじゃないの?」
これは正論のはず。
雪菜か、こころちゃんか――この二人のうち、どちらかでも盾にされてしまうと、私は迂闊に手を出せなくなる。つまり絶体絶命というわけだ。
それは卑怯な手にも思えるが、だからこそ有効な手でもある。戦闘や闘争において、敵方よりも優位に立つためならば、どんな極悪な手だって是とされる――と、士狼が言ってたっけ。
つまり勝てばいいのだ、勝てば。
どれだけ清く正しかったとしても、負けてしまえば意味がない。
例えば――どれだけ私が正々堂々と勝負を挑んだとしても、雪菜とこころちゃんを取り戻せないのならば、それは間違いなのだ。
「ふむ、確かにそうだな。言われてみれば、そのとおりだ。では凛葉を人質に取ろうか?」
「――ダメっ! そんなの絶対にダメだよっ!」
「そうか。ならば止めておこう」
あっさりと前言を撤回する妖。
拍子抜けする私に、彼は言葉を続けた。
「いくら吸血鬼が相手とはいっても、お前は華奢な女だ。気丈に振舞ってはいても、恐怖に身体を震わせているような女だ。そんなお前を前にして人質などを取っては、鬼の名が泣く。たかが吸血鬼一匹を相手取るために人質を盾にしなければならないのなら、そんな私は滅びるのが道理だろう」
なるほど、つまりプライドの問題らしい。
まあ気持ちは分からないでもない。私だって自分が吸血鬼であるということに誇りを持っている。それを侮辱されれば怒るだろうし、お前って吸血鬼らしくねえよな、とか言われても、やっぱり怒っちゃうのである。
もっと簡単に言うと――この妖(鬼だっけ)は、私なんかに負けるようでは生きている意味などない、と仰っているのだ。
でも、一つだけ聞き捨てならない言葉があった。
――たかが吸血鬼一匹とか言われちゃってるよ、私。
「……もしかして、私って侮られてる?」
ちょっとカチンと来た。
いつも士狼にバカにされて、ニノに子供扱いされて、雪菜にいいようにあしらわれている私である。誰が大人のお姉さんなのかは一目瞭然だとは思うんだけど、それでも何故かイニシアチブを握ることが少ない私である。
そして、今度は初対面の鬼さんにも低く見られているようだ。
これは――そろそろ本気で怒っても、神様は許してくれるんじゃないだろうか。
こころちゃんが意識を奪われていた場合、それと分かるように合図をしろと士狼から言われてたけど――その前に、ちょっとだけ本気を見せてあげてもいいかな。それが合図のついでだ。
私は、右手を顔の高さにまで持ってきた。そして瞳を薄く閉じて、強く念じる。脳内には一つのイメージ。灼熱の業火。何もない空間で、ひたすらに紅蓮の炎が猛っている風景。それらを現実にトレースさせる。
――刹那、私の手には紅色の火炎があった。白い手を蝋燭のようにして、何もないはずの場所から炎が生まれる。ちなみに断っておくと、なぜか私はこれっぽっちも熱くないし、もちろん火傷もしない。
まるで太陽が生まれたよう。
一人きりで闇と戦っていた月光を加勢するようにして、私の右手からは巨大な炎が発生していた。
シャルロットという吸血鬼の想像が。
薄闇に呑まれる現実の中に、火炎を創造する。
けれど――それも威嚇程度にしかならない。
興味深そうな目でこちらを観察していた鬼は、先ほどの私と同様に手を掲げた。
――刹那、鬼の左手には青白い雷光があった。ごうごうと燃える火炎とは対照的に、バチバチと鋭い音を立てて明滅する。……まったく、手から雷を出すとか、なんて非常識な人なんだろう。物理学者さんに謝ってほしいぐらいだ。
まあ、常識派のシャルロットちゃんとしては、もちろん許すわけにはいかないよね。
「――もう謝っても許してあげないからね」
「――私もだ。もう命乞いをされても、決して見逃しはしない」
売り言葉に買い言葉。
ならば、遠慮はいらない。
私は右手を前方に突き出した。それに伴って、灼熱の火炎が津波のような奔流となって、鬼に迫っていく。
しかし、それは相手も同様だった。
鬼は左手を前方に突き出す――つまり私に向けて、弾けるような極光の雷を放っていた。
まるで合わせ鏡のようだと思った。
そんな暢気なことを私が考えている合間に――炎と雷が、赤と青が、私と鬼が――激突していた。
私と鬼の中間地点では、怒涛の炎と膨大な雷が、それぞれ互いを排斥しようと鬩ぎ合っている。
強力なエネルギー同士の衝突。ドンっと心臓を揺らすような衝撃。繁華街のネオンよりもなお網膜を焼く光。しかもハリケーンのような風が吹き荒れて、私が密かに自慢にしている金色の髪が、お子様ランチに刺さっている旗みたいに揺れる。
まるでSF映画みたいだった。いや、きっと最新の映像技術を用いたとしても、これほどのリアリティは生み出せない。
人間が架空の物語を生み出すことに長けるなら、私たちは刹那の幻想を生み出すことに長けている。
爆発する炎と、極光の雷。
どこにでもあるような廃れた倉庫の中では、けれど人間が見れば目を疑うような光景が繰り広げられている。というか、実際に雪菜が目をパチパチと瞬かせながら「眩しいですー」とか言ってるし。
炎と雷がぶつかった際に発生した衝撃により、雪菜も軽く吹き飛ばされたらしいが、普通に大丈夫そうだった。こころちゃんの方はというと、もともと遠い位置にいたので無事だった。
しかし――このままでは埒が明かない。
いや、むしろ私が不利になる。
自慢じゃないけど、私はこの能力を使えば使う分だけ疲れてしまう。それも尋常ではない倦怠感が身体を襲うのだ。例えるなら、二十歳前後の成人男性が、一気にお爺ちゃんになってしまうようなものだ。
だから余裕はない。
これまた自慢じゃないけど、私に余裕はないのだ。
――あぁ、冷静に自分を分析してたら、ふらふらしてきちゃった。なんだか無性に血が飲みたくなってきたなぁ。でも普通の血じゃダメだよ。やっぱり士狼の血じゃないとね。……と、いけないいけない。想像すると涎が出てきちゃった。
今は目の前のことに集中しないと。……あれれ、なんだか炎が雷に圧されているような気がする。まあ、いっか。だって私、この騒動がぜーんぶ終わったら、士狼から血を飲ませてもらうんだもんね――
このときの私は、多分張り切りすぎていたんだろう。調子に乗っていた、と言い換えても間違いじゃない。
その証拠に、あれだけ猛っていた炎の勢いが弱くなっていく。ここ最近は士狼から血を吸わせてもらっていなかった――というのが大きな原因。まあ後で、たっぷり血をおねだりするからいいんだけど。
でも。
このままでは絶対にダメだ。
「――こん、のぉ――!」
私は歯を食いしばって、視界の中心に収めた鬼を強く見据えた。そして余力を振り絞るように”燃えろ”と念じる。
結果として――圧されていたはずの炎は、再び雷と拮抗した。だが、それもそう長く持つとは思えない。
あの金色の髪をした鬼は、なんだか不気味だ。向こうも私と同じぐらい疲労が重なっているはずなのに、それをおくびにも出さない。目の辺りに包帯を巻いていたり、片方の耳がなかったりと、それはもう満身創痍かつ疲労困憊の様相なのに。
なにが彼をそこまで突き動かすのか。月並みな表現だけど、精神が肉体を超越しているとしか思えない。
「――これは予想以上だな。君もただの吸血鬼ではなさそうだ。
しかし、これ以上時間を食わせるわけにもいかない。終わりにしよう」
炎と雷が衝突する音――鼓膜を侵すような轟音の中、青白い雷の奥から鬼の声が聞こえてくる。それは普段どおりの発声だったのに、なぜか良く通る声だった。
私が、なにか言い返そうとした瞬間――倉庫内に閃光が弾けた。
あまりの光量に目が眩む。おまけに気分も悪くなってきた。気を張っていなかったら、胃の中のモノを戻しちゃっていたかもしれない。それほど強烈な光だった。
ふと気付くと、あれだけ激しく鬩ぎあっていた炎と雷が消えていた。――否、それは間違い。消えたのは炎だけであって、雷は未だ健在だった。どうやら相手さんが本気を出しちゃったらしい。
一秒にも満たない時間の中、私は思考する。とりあえずは回避が優先だろう。さすがに身体を動かすだけの余力は残っている。
ほとんど反射的に背後へ跳躍する。空中を駆けるようにして跳ぶ最中、とても不安そうな顔をしている雪菜と目が合った。なんだかんだ言ってるけど、やっぱり雪菜も私のことを心配してくれているんだ。
さてさて、あまり心配させても雪菜に悪いし。
じゃあ私も。
――いや、私たちも本気を出すとしようか。
そう思考した直後。
タイミングとしてはバッチリだったと言っていい。
突如として、倉庫の側面に下ろされていたボロボロのシャッターが突き破られた。それと同時に響くのは、けたたましいエンジンの音。雷ほどではないけど眩しいヘッドライト。
――それは、己の存在を誇示するようにアクセルを何度もふかした。
もはや静寂なんてどこにもない。あるのは騒音だけだ。……いやぁ、近くで聞くと結構うるさいんだよね、自動車の排気音とかって。
どうやら無事に合図は届いたようだ。まあ、あれだけ炎とか雷をチカチカさせていれば嫌でも気付くとは思うけど。
これはさすがの鬼も予想外だったらしく、呆気に取られたように体を硬直させていた。
それもそのはず。
だって――倉庫のシャッターを突き破って颯爽と現れたのは、どこからどう見ても、そのへんの道路とかを走っているような自家用車だったのだから。
****
脳味噌を揺さぶるような衝撃があった。おかげで気分が悪くなる。車酔いなんて目じゃないぐらいの気持ち悪さだ。
もちろんシードベルトなんてしていないので、俺の体は狭い空間の中――車内の運転席で、上下左右に暴れまわった。一歩間違えばフロントガラスを突き破って、ロケットみたいに飛び出してしまいそう。もちろん俺が。
だからハンドルを強く握り締めて、襲い掛かる衝撃をやり過ごす。
微かにふらつく頭を振って、俺は状況を確認した。やはりと言うべきか、自動車のフロント部分が歪んでいた。まあ古びていたとはいえシャッターと衝突して打ち勝ったのだから、その程度の犠牲はあってしかるべきだろう。
俺とニノが乗っている自動車は、公共道路を走れば、間違いなく警察に通報されるか、もしくは哀れみの視線を受けそうなほどに破損していた。使い捨てて構わない、と”あいつ”から言われているが、それでも罪悪感が湧く。
後部座席に隣接しているドアは跡形もなく消えているのだが、これは元々俺たちの手によって外していたので問題ない。
「――ニノ、無事か」
暴走族もビックリするぐらいアクセルをふかしながら、後部座席に陣取っている狼少女に問う。
「無事――と言いたいけど、ウチの大事な耳をぶつけちゃったわ。責任とってね」
俺が座っている運転席を後ろから覗き込むようにしながら、ニノは言った。
その顔は、苦痛を堪えるかのように歯を食いしばっている。あれ、マジで耳を痛めたのかな――と謝罪しそうになったのだが、獣耳がピコピコと元気そうに揺れているのを見て止めた。俺は騙されない男なのだ。
「なるほど、無事なんだな」
「……まあ無事だけど。でも、もうちょっと心配してくれてもバチは当たらないと思うわよ」
そんな軽口を叩きながらも、ニノは言葉を続けた。
獣耳がピンと尖る。
「シャルロットが単独先行してたみたいだけど――これはこれで正解かもね。ところで、やっぱりあの男がそうなのかな」
「ああ。どうやら、あの澄ましたツラの金髪野郎が諸悪の根源らしいな」
俺たちの視線が交わり――倉庫の奥に悠然と佇む、一人の男に注目した。
その男の容貌は、異様と表現するに値する。固まった血が付着した金色の髪、目や耳のあたりに巻かれた包帯、返り血によって朱色の斑模様で彩られたシャツ、そして圧倒的な狂気と殺気。
素早く周囲を確認してみる。
シャルロットは俺たちから離れた場所――高さ一メートルほどの資材の上に着地していた。なにか口うるさく叫んでいるようだが、今はバカ吸血鬼の相手をしている暇はないので無視した。
いや、悪気はなかったんだ。
ただ――
「……雪菜!」
絶対に無事でいて欲しかったヤツの安全を確認できたことが、単純に嬉しすぎた。途方もない安堵が胸に広がる。とりあえず、ほっと溜息をついた。
雪菜は、身体全身を縛られているせいか、もぞもぞと面白い動きをしている。俺たちがこの倉庫に車で突っ込んできたことに対して、何かツッコミを入れたいらしい様子だったが、今は自称陰陽師の相手をしている暇はないので無視した。
そして、幸運はまだ続いているようだった。
雪菜だけではなく――こころの無事も確認できたのだから。
「……うん、生きてる。呼吸しているし、心臓も動いているもの」
瞳を薄く閉じて、獣耳をピコピコと揺らしながら、ニノは嬉しそうに言った。人狼ゆえの鋭敏な視覚やら聴覚によって、こころの吐息や鼓動を聞いたのか。
要するに――これで俺たちの心配事は、すべて無くなった。完全に抹消されたのだ。
残っている懸念といえば、まあ雪菜たちを拉致しやがった妖ぐらい。
つまりアイツをぶっ殺しちまえば万事解決ということだ。
なるほど。
実に分かりやすいし――何より笑ってしまうぐらい簡単だ。
「――じゃあ、行くぞ!」
ニノの返事も聞かず、俺は右足で加速するためのペダルを思いっきり踏み抜いた。きゅるきゅる、とコンクリートとタイヤが摩擦する甲高い音が響く。そして、それは俺たちが乗っている車の発進を意味していた。
物理法則をも突き破る勢いで、自動車は倉庫内を駆ける。重量にして900キロはあるだろう鋼鉄の塊が、疾走する弾丸となって妖に迫っていく。
最中――ふと目が合った。
「――私の邪魔をするか、人間――!」
俺の姿を認めると同時に、妖は喉を張り上げるようにして叫んだ。そして野球のサイドスローみたいなフォームで――青白く明滅する雷を放ってきた。
その速度は、まさしく疾風迅雷。
風が疾く流れるのなら、雷は迅く迸る。
自然の力とは恐ろしいもので、すでに速度にして50キロメートルには達していそうな俺の駆る車が、迎え撃つのではなく、迎え撃たれるような形で、雷と激突した。つまり俺たちが先出ししたはずなのに、強制的に後出しになってしまうほど、その雷は速かった。
まあ。
だからなんだ、という話なんだが。
「――っ、賢しい真似を!」
金髪の妖は、苛立った声で負け惜しみのように言った。
それもそのはず。
だって――あの強力な雷とぶつかったはずの俺たちの車は、何事もなかったかのように前進を続けていたのだから。
断っておくと、特別なことなどしていない。ただ、金属は雷を通す――という自然界の法則にして、人間界の常識に則っただけである。
勘違いされがちだが、落雷の危険が迫っているときは、金属製の自動車の中でじっとしているのが一番安全なのだ。金属が雷を呼び寄せようが関係ない。車体に流された電流は、そのまま金属を伝って、地面へと流れていくだけなのだから。
つまり今回も同様。
あの妖が放った雷は、自動車の部品として使われている金属を通って、地面に放電されていった。もちろん車内の俺たちに被害はない。
だから局面は、数秒前に戻る。
倉庫の奥に突っ立っている妖と、それに車で突進しようとしている俺たち――という構図に。
すでに速度は60キロメートルに達していた。
もう一刻の猶予もなかった。残るは磁石が吸い寄せられるがごとき自然さで、妖と車が衝突するだけ。
「――じゃあね士狼、あとは任せたわ――!」
そのニノの言葉に、ああ、と返答したのだが、すでに狼少女の姿は車内から消えていた。
俺たちが乗っている車のドア――具体的に言うと、後部座席と外界とを遮るために取り付けられていたはずの鋼鉄のドアは、あらかじめ取り外してある。脱出や襲撃に特化させるためだ。
ニノは躊躇いもなく車から飛び降りた。それも時速65キロメートルほどで走行している車から。
普通の人間ならば大怪我は免れないだろうが、あいにくとニノ=ヘルシングという女は普通じゃなかった。むしろ常識外れだった。
ニノは、コンクリートの地面につま先を着地させると、衝撃を緩和させるように膝を限界まで曲げた。さらに流れを殺さず、身体を前傾にして、掌も地面に接地。今度は足でコンクリートを強く蹴りつけて、下半身をふわりと浮かせたあと、逆立ちに似た姿勢から華麗に跳躍した。
狼少女が向かう先にいるのは妖――ではなく、身体を拘束されている雪菜と、気を失っているこころだ。この二人さえ取り戻してしまえば、恐いものは完全になくなる。そうなれば後は戦略的撤退をして、青天宮の連中に任してやってもいい。
まあ。
雪菜たちに危害を加えようとした野郎なんざ、普通に許すつもりなんてないけどな、俺は。
車内に一人きりになっても、アクセルを緩めることはない。むしろニノがいなくなった分だけ気兼ねする必要がなくなった。
あいつは人狼という半端じゃない身体能力を有する種族だが、それでも女なのだ。俺は人殺しすら平気で繰り返していた男だが、いい女が傷つくのだけは見たくない。
なんの変哲もない軽自動車だが――攻撃的な意思を持つ者が操れば、それは立派な凶器となる。
妖は回避しようとしているようだったが、いかんせん動きが遅い。脇腹あたりを手で押さえているところを見るに、肋骨でも折れているのだろうか。誰が叩き折ったのかは分からないが、そいつがいい仕事をした事実は変わらない。
――瞬間。
とうとう妖と、車は激突した。
人間大の物体を轢くのは、車に搭乗している人間にも相当の衝撃がかかる。事実、自動車のフロントはさらに歪んだ。
だが――人間の常識など、この場においては一切通じないらしい。
なんと妖は、避けることが無理だと判断するや否や足を踏ん張り、両腕を使って真っ向から車を受け止めたのだ。ニノほどではないが、この妖も人間を遥かに上回る身体能力を持っているらしい。
しばらく拮抗は続いたものの、妖と車の決闘は、前者に軍配が上がった。いちおうは人の姿をしているくせに、生身で車を押し返すとは何事だ。
――とか驚いたものの、それも想定のうち。
「女に手ぇ上げるような野郎はよ、くたばっちまえ」
車のフロント部分で苦痛に顔を歪めていた妖に向けて、俺は運転席から拳銃を突きつけた。
そして躊躇なく二発ほど発砲。かなり丈夫に作られているはずのフロントガラスに穴が空き、波紋のようなひび割れが生まれる。閃光に似たマズルフラッシュが網膜を焼く。倉庫内には乾いた銃声が反響し、残響した。
だがトドメには至らない。人間相手ならば必殺である大量生産の鉛玉は、妖を前にすると途端にモデルガンに使用するようなBB弾に成り代わってしまう。
被弾してくれれば僥倖だったが、妖はその場に屈むことによって銃弾を回避した。
よって、即座に次のプロセスに移行。
俺はひび割れたフロントガラスを足で突き破り、そのまま外へ出る。
無理な行動を立て続けに行った妖の体は、恐らく本人が思っている以上に負荷がかかっていた。
――当然だろう。戦闘とは詰め将棋に似ている。一手を誤れば、それは死に繋がる。この妖は、そもそも俺が運転していた車に雷で攻撃するべきじゃなかった。だから車との衝突を回避できなかったし、俺に銃弾を打ち込まれてしまうし、そして王手に向けて次の一手を打たれてしまうんだ。
妖と対等の位置に立った俺は、勢いよく右足を跳ね上げた。数ヶ月前にデパートで買った三千円の靴――そのつま先が、妖の脇腹を蹴り上げた。
「――ぐ、はっ――!」
厭な感触が伝わってくる。みしみし、と骨を砕ききるような音。懐かしい感触。それは昔は当たり前で、今はありえなくなってしまった暴力の感触。
妖の体がくの字に折れて、ふらりと傾ぐ。だから銃身を即席の鈍器に見立てて、その突き出た顎を薙ぎ払ってやった。
そのまま体を一回転させて、遠心力をたっぷりと乗せた肘打ちを頬に見舞う。手応えはバッチリ。たかが人間の膂力でも、急所に向けて的確に、そして致命的になるよう攻撃を打ち込んでやれば、たとえ吸血鬼であっても素手で倒すことが出来る。
もしも、この妖が人間だったとしたら――もう血を吐いて死んでる。
生きてるだけでも大したものだ、と調子に乗って賛辞を送ってやろう。
「――消えろや、雑魚がっ!」
でも口にするのは薄汚い罵倒。
体を支えるのに精一杯だった妖――そのガラ空きの胸元に向けて、渾身の力を込めた蹴りを打ち込む。きっと人間だったら、これだけで内臓が破裂しているだろう。
倉庫の端に並べられていた資材の山に吸い寄せられるようにして、妖は地面をバウンドして転がっていく。
俺は咄嗟に拳銃を構えて、その体目掛けて銃弾を発砲。マズルフラッシュは三連。結果、全弾命中。シャツに赤い染みが広がるのが見えた。
――ここまで経過した時間、わずか五秒。
しばらくして妖は資材の山にぶつかり、バカみたいな騒音を立てながら、鉄筋やらダンボールやらの山に姿を隠した。それによって、溜まっていた埃が巻き上げられ、視界を悪くする。
まるで砂嵐のよう。
モクモクと立ち込める埃のせいで、視界はアホみたいに悪いし、呼吸だって辛いことこの上ない。
多分、この場に大家さんがいたら「うわぁ、お掃除が大変ですね~」とか瞳を輝かせて言うに違いない。あの人は、特別に汚れた場所とかを掃除するのが大好きなのだ。まったくもって可愛い。お嫁さんにしたい。
――とまあ、これでひとまず一件落着だろう。まだ妖は死んじゃいないだろうが、戦闘に耐えうるだけの余力が残っているとも思えない。
あとは雪菜の拘束を解いてやって、こころの意識が戻るのを待ちながら、青天宮の連中がやってくるまで現状を維持するのが得策か――?
「……なんにせよ、埃がやべえな」
一寸先が闇の状態――ではなく、一寸先が埃の状態だった。
ふと周囲を見渡してみれば、さっきまで俺が乗っていた車のフロント部分がバチバチ音を立てている。どうやら故障しているらしい。なんか火花まで散っているような――待て待て、もしかして粉塵爆発とかしないだろうな。
すこし心配になった俺は、車の様子を伺おうとした。
瞬間だった。
「――士狼っ! 危ない!」
危機感満載なシャルロットの声が聞こえた。
それにより、頭ではなく体が反応。これまで培ってきた戦闘反射が、思考するよりも先に、俺自身を生かそうとしてくる。
背後から強烈な殺気を感じた俺は、ほとんど無意識のうちに真横へ跳んだ。
――直後、右肩あたりを掠るようにして、狂気的に明滅する雷が通過していった。
「んだと――!」
思わず、そんな言葉が漏れた。
なぜって――それは信じがたい光景だったからだ。
突如として迸った雷は、俺の真横を直進して行ったあと、倉庫の中央あたりで火花を散らせる自動車に衝突した。そして被害は、それだけに留まらなかった。
耳を劈くような爆発音。
肌を焦がすような熱風。
目を突き刺すような光。
それは――爆発だった。
故障した車からガソリンが漏れていたりしても、それが爆発することは、まずありえない。そういうのは映画とか小説だけの話であり、視聴者の気分を盛り上げるために作られた一種の演出だ。ついでに言えば、走行している車のタイヤは、普通の拳銃では打ち抜けない。
けれど、今回は別。
ただでさえフロント部分から火花を散らせていた車、およそ落雷にも匹敵するであろう強大な威力を持った雷、そして倉庫に立ち込めた埃――粉塵。
これらの要素が重なって初めて、その爆発は巻き起こった。
両腕で顔面を庇いながら、俺は自分の髪の先端がチリチリと燃えているのを見た。
圧倒的な光と音によって、視覚と聴覚が一時的に麻痺する。さすがにスタングレネードには及ばないが、それでも俺という小さな人間の感覚を遮断させるには十分な爆発だった。
薄っすらと瞳を開き、戦況を確かめる。
不幸中の幸いと言うべきか、雪菜は無事のようだった。というのも、シャルロットのヤツが比較的安全そうな場所に雪菜を移していたのだ。グッジョブである。今度あのバカ吸血鬼に好きなモノでも奢ってやろう。
そして、こころとニノも無事らしい。爆発が起こる直前、ニノがこころを腕に抱いて後方に跳躍したのだ。やはりグッジョブ。今度あの狼少女に、おまえの耳って世界一可愛いよな、と十回ぐらい言ってやろう。
――けれど。
あの金色の髪をした妖の姿だけは、どこをどう探しても見当たらない。
――にも関わらず。
いまだ車が炎上する倉庫内には、吐き気がするほど濃密な邪気が満ちていく。それは殺気であり、狂気であり、そして恐らく妖気とも呼ばれる代物。
冷や汗が背筋を伝う。
目と耳に頼れない分、空気の流れや気配を辿って敵を探すしかない。自惚れさせてもらうのならば、そういうのは得意だ。たとえ吸血鬼だろうが人狼だろうが、俺が獲物の位置を見失うなんざありえない。
――だから、それは悪夢のように思えた。
すぐさま妖の位置を特定した俺は、叫んだ。
「――ニノぉ!」
それだけしか言えない。
それだけしか時間的に言えなかった。
埃と火の粉が舞う倉庫。
その隅のほうで、ニノはこころを胸の中に抱いて一息ついていた――――のが最悪の始まり。
俺に名を呼ばれたニノは、一瞬きょとんとした顔をした。獣耳が嬉しそうにピョコっ、と跳ねる。それは可愛い。本当に可愛い。あいつの耳は、誰がなんと言おうと世界一可愛い。そう本人に言ってやる。
――だから、お願いだから、何度でも耳を褒めてやるから、気付いてくれ――!
こころの背後にはニノがいた。
そしてニノの背後には――鬼がいた。
赤黒い体躯、強靭な筋肉、生え揃った二本の角、そして片方の目は潰れていて、片方の耳は切り落とされていた。
その鬼は、躊躇いもなく腕を振り上げる。
そこでようやく、ニノは背後から迫る脅威に気付いた――が遅すぎた。それは致命的なまでに遅すぎた。
ぷしゃっ、と変な音がした。
まるで柔らかいモノを切り裂くような音。
まるで赤い液体が空中に飛び散るような音。
「――ぁ」
俺の耳はイカれている。あの強烈な爆発音によって、本当にイカれているのだ。
なのに。
どうして――ニノのか細い吐息だけは、しっかりと拾ってきやがるのか。
こころを腕の中に抱いたまま――まるで大切な者を護るように抱きしめたまま、ニノの身体が傾いだ。その背中からは、ニノの髪にも負けないぐらい鮮烈な赤い血が噴き出していた。
やがてニノは地面に倒れこんだ。
その背後では、ニタリと哂った鬼が立っている――
「殺す」
カチリ、と音が鳴る。
頭の中にあるスイッチが切り替わったような気がした。
いつかどこかの誰かと約束したはずの枷が――外されていくような感覚も。
脳裏には、金色の髪と色白の肌をした小さな女の顔が浮かんだ。すこしだけシャルロットに似ている。でも二人は別人だ。だって、もうアイツはこの世にいないんだから。
――もう、誰も殺さないでね――
――ずっと、士狼おにいちゃんと一緒にいるからね――
そんな二つの約束があった。
決して遵守されるはずのない約束。
それでも俺は、きっと無意識のうちに、その約束を守ってきた。
しかし限界だ。
もう我慢できない。
ニノを傷つけやがったヤツは――俺の大切な家族を傷つけやがったヤツは、絶対に殺す。ぶっ殺してやる。命乞いは聞いてやる。一万回聞いてやる。でも殺す。聞いたあと殺す。
俺の視覚と聴覚は、あれだけ狂っていたのが嘘のように正常に戻っていた。
なにか狂気的な感情が浮かんでくる。
同時に、かつて俺を偉そうに諭した、栗色の髪をした女の声が聞こえてきた。
――人を護る、人を殺す。どちらも同じよ。
――ただ力の方向性、ベクトルが違うだけ。
――誰かを殺すためには、誰かを護るだけの力がいる。
――つまり誰かを護るためにも、誰かを殺すだけの力が必要なんだ。
――それが、わたしたち【■■】の人間の考え方よ――
そんなの関係ない。
理屈なんて知らない。
本当に必要なものは――あのとき何よりも大切にしていたものは――もう無くしてしまったんだから。
だから許さない。
ニノを傷つけたクソ野郎は、地獄の果てまで追いかけてでも殺してやる。
さあ。
せいぜい愉快な死に顔を晒してくれよ。
ここまで来たら、呆気なく死んでくれるな。
俺を腹の底から笑わせるぐらいの無様なツラを拝ませてくれ。
――拳銃を構える。
すると、あれだけ狂気に憑りつかれたように哂っていた鬼が、何かに畏怖するように後退った。その恐怖に怯えるような視線の先にいるのは――
俺は、ゆっくりと足を前に進めた。
鬼は、ゆっくりと足を後ろに戻した。
――ああ、面倒くさい。これで逃げられでもしたら、アイツを殺すまでの時間が長くなる。だから、とりあえずは足でも撃っておこうか。四肢の全てを貫いてやろう。神経を傷つけるように、仮に生き延びても元の生活には戻れないように。そういうのは得意だ。散々やってきたから。
そうして俺は、構えた拳銃のトリガーを引こうとして――
「――ダメぇぇぇっ! そんなの、絶対にダメだよっ! そんなの、そんなの、絶対に士狼じゃないもんっ!」
まるで駄々を捏ねるような――シャルロットの声が聞こえてきた。
綺麗な声をしてるくせに、その物言いは子供みたいで、どこかアンバランスだ。あのバカ吸血鬼は、相変わらずバカ吸血鬼だった。
「……っ」
息を呑んだ。
熱せられた頭に冷水をぶっかけられたみたいに、クールダウンが始まる。
あれだけ狂気的な殺人衝動に侵されていた思考は、いつしか普段どおりに――バカ吸血鬼をからかうときの俺に戻っていた。
鬼に向けていた銃口。それを静かに下ろした。
なんで俺が、シャルロットの声を聞いただけで落ち着かなきゃならないんだ。よく分からないが、とにかく無性に腹が立つ。気分的には、シャルロットに負けたみたいな感じ。
鬼を殺してやろう、という感情は身を潜めて、代わりに、ニノは大丈夫なのかという感情が強くなる。
そして、どうにかニノは無事だった。弱々しく呼吸しているものの、泣きじゃくるこころの頭を撫でてやるだけの余裕はあるらしい。獣耳も比較的元気そうに動いている。つまり大丈夫ということだ。
これで全ては振り出しに戻った。
しかし油断はならない。ニノ達が倒れているのは鬼の近くなのだ。もしも人質に取られたりでもしたら最悪の事態になる。
だから細心の注意を払って――と、俺が考えたときのこと。
常識を根底から覆すような、あまりにも信じがたい出来事が起こった。
スパっ、と豆腐を切るような音がした。
それは注意深く耳を澄ましていなければ分からないほど小さく、そして刹那の音だった。
「……お、おいおい。なんの冗談だよ、こりゃあ」
倉庫内を見渡しながら、そんなことを呟いてしまう。それはきっと、人間ならば自然の反応だった。
なぜならば。
俺と、シャルロットと、雪菜と、ニノと、こころと、そして鬼がいて、さらに鉄筋やらダンボールやらの資材が散乱し、軽自動車一台が景気よく燃えている――この広大なスペースを誇る倉庫が。
――縦に、斬られたのだから。
****
その青年――忌野は、一つの倉庫の前に立っていた。
ここまで来るのに少しだけ迷ってしまったが、さきほど起こった中規模の爆発が目印になり、ようやく目的地に辿り着くことができた。
倉庫の中からは、鬼特有の強大な妖気と、複数人の殺気が混じったような、そんな死地の気配が感じられる。
だからと言って、忌野のするべきことは何も変わらない。
彼が手に持つのは、歪な空気を纏った日本刀だった。鞘に張られている白い札は、どこか儀式的な雰囲気を匂わせるが、鞘自体を隠してしまうほど所狭しと貼られていては、むしろ病的にも思える。
やがて、ゆっくりと抜刀する。もう今宵は必要ないと思い、鞘は地面に置いた。
月光の下に姿を見せたのは、白銀と称するに相応しい至高の刃。磨き抜かれた刀身は、まさに鏡のよう。
だが、その刀には異常な点があった。
まるで蜃気楼のように――白刃には紫色の陽炎が漂っているのだ。そのせいか、本来は美麗であるはずの刃は、どこまでも妖しく見えた。
当然である。
それは日本刀ではなく、妖刀なのだから。
妖気を無差別に吸収し、そして無尽蔵に貯蔵するという性質を持った刀。およそ妖と呼ばれる者が相手ならば、絶対的な優位に立つことができる刀。
青天宮の者は、畏怖を込めて。
忌野家の者は、畏敬を込めて。
その刀は、こう呼ばれる。
「――大禍時」
鋭く呟いた。
正眼に構えた刃を見据えて、念じて、命じる。
妖気が逆巻く。陽炎が蠢く。白刃が翻る。
精密なまでの霊気と、濃密なまでの妖気が――互いに相容れないはずの二つが、一つに交じり合う。
――【忌野】の刃は、退魔における象徴の一つにして、妖における恐怖の象徴。
――ならば、其の至高の刃を、自分の代で折らせるわけにはいくまい。
正眼に構えた大禍時を、振り上げ、そして振り下ろした。
ただ、それだけの動作。
知らない者が見れば、単なる素振りにしか見えないはず。事実、忌野は刀を振っただけ。斬るべき対象など、どこをどう探しても見当たらない。ならば彼は、空気という曖昧なものでも斬りたかったのだろうか。
――否。
忌野が振り下ろした刃は、すでに一つの物体を真っ二つにしている。
ずず、と地響きに似た音がして、眼前に聳える倉庫が――縦に、斬れた。
誤りも、過ちも、何一つとしてない。忌野は失敗などしない。なぜなら彼唯一の間違いは、四年前に一人の少女を泣かせてしまったことだけだから。
倉庫内にいた人間、吸血鬼、人狼、サトリ――その全員が無事だ。密かに忍ばせておいた式神によって、彼ら全員の位置を確認しておいた。だから座標は確実。
よって、ここに半ば退魔は成った。
あとは――トドメを刺すだけ。
「っ――もう少しだけ、持ってくれよ……!」
瀕死の体に鞭を打つ代わりに、そんな激励の言葉をかけて、忌野は跳躍した。目指すは、倉庫の表面にできた亀裂上の入り口。それは忌野が倉庫を斬ったことによって作られた新たな侵入経路。
手に大禍時を携え。
とある少女を護りたい――という今更で、都合の良すぎる想いを抱き。
忌野という少年は、最後の使命を果たすため――そして実家から課せられた試験を達成するために、倉庫の中に入って行った。
その鬼――九鬼は、自分の体に起こった異変を受け入れることができなかった。
妖気を開放することによって、維持していた人形を解除し、元来の鬼の姿へと立ち戻った。鬼化をした。そこまではいい。白い髪をした男が、恐ろしいまでのプレッシャーを発したのだが、それも金髪赤眼の吸血鬼が声をかけることによって収まった。だから大丈夫。
しかし、その後が問題だった。
最悪の問題だった。
何かを切り裂くような音がしたかと思うと、倉庫が縦に切断され、そして――九鬼の体も同様に切断されていたのだから。
まるで巨大かつ透明な刃が振り下ろされたようだった。それは無慈悲にも、人間が作り出した建造物を斬り、さらには鬼である九鬼の体をも斬った。
肩口あたりから入った刃は――果たして、それが本当に刃かどうかは不明だが――九鬼の上半身の三分の一ほどを切り落とした。
鮮血が宙を舞い、圧倒的な痛覚が脳内を埋め尽くした。
目や耳を潰されたり、骨を折られたり、拳銃で撃たれたり――その程度の負傷ならば、なんとかなる。けれど、体そのものを切断されては堪らない。それは負傷ではなく、消滅だ。無くなってしまったのなら、治療や再生は効かない。
しかも追い討ちをかけるように、全身を巡っていた妖気が霧散していく。……いや、吸収されているのか。どちらにしろ、妖の力の源である妖力が、九鬼の体から消えていくのは確かだった。
白い髪の男も、深紅の瞳をした吸血鬼も、凛葉の陰陽師も、傷ついた人狼も、サトリの少女も――この誰もが驚きの目で、縦に斬られた倉庫と、体を切断された九鬼を見つめていた。
つまり、彼らの仕業ではないという可能性が高い。
九鬼は思った。
青天宮の人間が来るのは、もう少しだけ先のはず。
ならば、一体どこの誰が――?
「――よお、借りを返しにきたぜ」
ふと頭上から声が降ってきた。
九鬼は、反射的に上を見た。そこにあるのは倉庫の天井と、亀裂から覗く夜空と、そして――
九鬼が確認したのは――確認できたのは、そこまでだ。
なぜならば――鬼化した九鬼の体には、一振りの刃が突き刺さっていたから。それは”痛み”を感じさせず、ひたすらに”死”を感じさせた。
天空から降り立ち、九鬼の懐に潜り込み、手にした刀で彼の体を貫いたまま静止しているのは――まだ年若い、一人の少年。ハリネズミのように逆立った黒髪と、真黒の学ランが特徴的な――退魔の者。
九鬼は、その少年に見覚えがあった。
たしか名は――忌野だったか。
そこまで九鬼が考えた矢先、勝ち名乗りを上げるかのように、忌野が言った。
「……因果応報ってやつだね。雪菜さんに手を出したこと――せいぜい後悔するんだな」
「ああ――私が後悔するかどうかは別として、これが因果応報というのは……同意だな」
気付けば、九鬼の体は人間のそれへと戻っていた。大禍時と呼ばれる妖刀に妖力を吸収され尽くしてしまったので、鬼の姿を維持できなくなってしまったのだ。
ちょうど心臓のあたりを白刃は貫いている。これは致命傷だろう。どう足掻いても助からない。そもそも助かる気など、もう九鬼にはない。
自分は負けたのだ。
忌野という少年にではなく、きっと運命というやつに負けたのだ。
復讐を果たせないというのなら――やっぱりそれが正解なのだろう。ここで終わってしまうようならば、それこそが九鬼という妖の限界。だから、いまさら無様に足掻いてまで生き延びようとは思わない。
「一つだけ聞いておきたいんだが――」
そう前置きして、忌野は続けた。
「あのサトリの母親を襲ったのは、おまえか?」
「さあ、どうだったかな。そういえば、そんな女もいたな。いや、アレは優しい妖だったよ。愚かだ、ああ愚かだね。あそこまで優しい妖は、もはや妖ではなく、人の心を視る能力を持っただけの人間と呼ぶべきだろう」
もう死は近い。
退魔に祓われた妖は、文字通りの意味で消滅する。
すでに九鬼の体は、足元から光の粒子となって天に昇り始めていた。
――これを青天宮では”調伏”とも言う。
「ふーん、よく知ってるね。じゃあさ、最後にもう一つだけ聞いておきたいんだけど」
そう再び前置きして、忌野は言った。
「あの子の――サトリの少女の父親について、アンタは何か知ってるか?」
「……さてな。それに該当する男を知っているような気もするし、知らないような気もする――としか言えんよ。少なくとも私ではないから安心してくれ」
「だろうな。もしもアンタがこころちゃんの父親だった――なんてオチがあったら、あの子の安全も危うくなるもんな。鬼の血を引く妖は、現代になっても危険視されているからね。
あーあ、アンタが父親じゃないって話を聞けてよかったよ」
「ふむ、そこまで鬼の血は忌まれているか。だからこそ、あの日――私の両親は殺されたんだろうな」
瞳を閉じて――かつて慕った父と母の顔を思い浮かべる。
九鬼の下半身は、すでに消滅していた。
腰から上が天に還るのも――時間の問題だろう。
「確かに私は負けたが――これで君たちに平穏が訪れるわけじゃない。私は鬼の血を四分の一程度しか引いてない半端者だからな。この日本という国には、純血の鬼を始めとした本物のバケモノがいることを忘れるなよ」
「それって、負け惜しみか?」
「ああ、負け惜しみだ」
挑戦的な笑みを浮かべる忌野と、どこか満足げな笑みを浮かべる九鬼。
「……さて、そろそろ時間切れらしい」
気付けば。
九鬼の体は、とうに胸あたりまで消滅していた。
「ふう、やっとか。とっとと消えてくれればいいのに。鬼を祓うのなんて初めてだから、戸惑っちゃったじゃん」
言って、忌野は大禍時を引き抜く。
そして背中を向けた。
「――じゃあな。来世に幸福を」
それは、青天宮の者がよく口にする言葉。
今生は終わってしまったが、次に生まれ変わる機会があるのならば、まあせいぜい幸せになってくれ――というような意味合いを持った言葉だ。
これまで大勢の人間を殺して食らってきた九鬼に、果たして幸福になる機会があるのかは分からない。
あの絵に描いたような善人の両親ならば、きっと天国にいるだろう。だから地獄に堕ちるであろう九鬼は、死してなお両親とは会えない。
「――ああ、心残りがあるすれば――」
せめて、もう一度ぐらいは父と母の顔を見たかった。多分、謝罪することさえ許してくれないだろうが、それでも会いたかった。
まあ、それも叶わぬ夢なのだろうけど。
そして九鬼は、遺言を残すことなく、凛葉の血を引く雪菜に何かを言うわけでもなく、どのような理由があって攫ってきたのかは分からないが、サトリの妖であるこころに言葉を告げるわけでもなく。
ただ満足そうな笑みだけを残して、天に還っていった。
「――あの子は、きっと俺たちが護るよ」
ふと、忌野が呟いた。
それは九鬼が消え去る直前のタイミングだった。だから果たして、その言葉が届いたのかは知らない。
ただ一つだけ言えるのは――こうして、泡沫な夜の物語は、幕を閉じたということ。
全ては一瞬であり、その刹那の間に全てがあった。
忌野は空を見上げる。
真っ二つに斬られた倉庫の天井からは、その亀裂のような割れ目から夜空が垣間見えた。気のせいだとは思うが、忌野が倉庫に侵入する以前よりも星が増えている。
そんなことを確認したあと。
まるで糸が切れた人形のごとき様子で、忌野はコンクリートに突っ伏したのだった。