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けれど、狼と吸血鬼  作者: ハイたん
第四月 【守る物、護る者】
69/87

其の十一 『刹那』①




 俺たちは、街の中心部にある自然公園から出発して、街のやや外れにあるビジネスホテルへと到着した。

 正確に何が起こっているのかは分からない。けれど――いや、だからこそ俺たちは急ぐしかなかった。全速力で走ってきた成果もあって、さほど時間はかからなかった。

 結論として――やっぱり何があったのかは分からない。

 青天宮が作戦本部を置いているビジネスホテルは、その立地上あまり目立たない。だからホテルの周辺はわりと静かなもので、その閑散とした様子が俺は気に入っていた。

 しかしホテルは、様々な観点から見て一変していた。

 あれだけ物静かだったホテルの周辺は、緊急出動してきたパトカーやら消防車やら救急車やらによって囲まれ、それに見合う制服を着た国家公務員たちによって包囲されている。

 さらに業務用の大型カメラを構えた人間――いわゆるマスコミだろう――があちこちに散見され、おまけに騒動に釣られた野次馬まで集まってくるという始末。それらを、精悍な顔立ちをした警官連中が何とか抑えていた。

 ホテル自体からは、それほど出火していない。ただし爆発の残滓とも言える黒煙がホテル周辺から立ち込めており、まだ油断ならない状況のようだった。

 俺たちは、人ごみを掻き分けるようにして前に進んだ。だが思っていたよりも野次馬が少ない。たぶん爆発に巻き込まれるかもしれないという可能性を危惧しているためだろう。今は安全だが、まだ爆弾が残っていないとも限らないのだ。かつて日本で起こった、とある無差別テロのように。

 ホテルの正面玄関が見えるぐらいまで近づくと、そこから救急隊員がタンカーに人を乗せて出てくるのを見た。重傷を負った人間か。……いや、それにしては救急隊員の動きが緩慢だ。きっと、もう急ぐ必要はないんだろう。そして治療する必要も。

 俺は無意識のうちに、そのタンカーによって運ばれていく人間の中に、和服を着た女がいないかどうか探していた。握り締めた拳に汗が滲むのを自覚しながら。

 ホテルに向かう道中、何度も雪菜に電話をしてみたが、応答する気配はなかった。

 人が電話に出られない場合というのは、日常において少なくない。しかし状況が状況だけに、はいそうですかと納得もできない。

 雪菜が電話を落としてしまったとかなら、まだいい。というより、俺は絶対にそうだと信じてる。あいつは、きっと逃げる途中で電話を落としてしまったんだ。たまに抜けてるところがあるからな、雪菜のやつは。

 しばらく様子を見守っていたのだが、このままでは埒が明かないと思い、事情をよく知っていそうな人間に問いただしてみることにした。

 本当ならば青天宮のヤツらに連絡を取るのが一番だが、その手段が無い。忌野と北条くんぐらいしか面識はなかったし、そしてその二人の連絡先さえも俺は知らないのだ。

 ……そういえば、忌野と北条は無事なんだろうか?

 とりあえず、救急車に乗せられていく顔ぶれの中にアイツらの姿はなかったが。だから今のところは生きている可能性のほうが高そうだ。まあ殺しても死にそうにないタイプのヤツだったし、二人とも。

 ――とにかく、である。

 俺は、身近にいた警察官に話を聞いてみることにした。

 もちろん善良な一市民として、いつも平和を守っていてくれてありがとうね、おまわりさん、といった態度も忘れない。


「――おいっ、そこの国家の狗! てめえの知ってることを洗いざらい吐きやがれ!」


 当然だが、親しみを感じさせる柔和な笑顔も忘れない。

 俺は紳士なんだ、実は。

「――な、なんだ君は!? 犯人一味の仲間かっ!?」

「はあ? 俺が犯人一味だ? 寝言は寝てから言えよ公僕。どこからどう見ても普通の市民だろうが。ちょっとは観察眼を養えよ、バカが」

 野次馬に対して、ここからは入らないでくださいねー、と苛立った声で告げていたその男は、やや隅の方で仕事をしていた警官だった。特に目立ったことをするわけでもなく、ひたすらに人垣を整理するだけ。だからこそ俺も声をかけやすかった。

 その警官の年齢は、二十代半ばから後半まで、といったところか。わりと落ち着きを持った所作をしているところから見るに、研修上がりの新人とかではないようだった。

 要するに――そろそろこの仕事にも慣れてきたのでもっと大きな事件を担当してみたいのだが、現実はそう甘くもなく実際はかったるい雑務ばかり、幼いころに刑事ドラマを見て憧れた凶悪犯罪との闘いは未だ遠い――といった雰囲気を醸し出している警官さんだった。

 俺は人の顔色を伺ったりするのは好きじゃないのだが、今回は別だ、教えてもらう立場の人間として謙虚な態度を心がけようと思う。

「――で、なにがあった? とっとと教えろ。無駄な時間を取らせるんじゃねえよ」

「……君は頭がおかしいのか? まあ、これだけの騒ぎだからパニックになるのも無理はない。事件の詳細については、いずれマスメディアから発表されるだろう。だから私から語ることはできない。すまないな」

「ああ? 俺の頭がおかしいだと? てめえ、人様の税金で飯食ってるくせに舐めたこと言いやがって。だが出血大サービスだ、先の暴言は忘れてやる。だから答えろ。このホテルで何があった?」

 思わず舌打ちをしてしまう俺。いけないいけない、善良な一般市民のイメージが崩れてしまう。

 警官は、なにやら怪訝な顔をして俺をジロジロと観察したあと、ため息をついた。そして「仕方ないか」と諦めが混じったような口調で言ったあと、さらに続ける。

「……爆発だよ。まだ詳しいことは分かっていないが、およそ三十分ほど前にこのホテルから衝撃と火災が発生した。ほぼ間違いなく爆弾が使用されたと思われる」

「なるほどな、やっぱりか。ていうか、おまえ口が軽いな。出世できないぜ」

「――君が教えてくれと言ったんじゃないかっ! ……まったく、私も甘いな。君があまりにも必死そうな顔をしていたから、つい口が滑ってしまった。だから今のは私のミスだ。しかし、二度目はないよ。これ以上君が騒ぎ立てるというのなら、公務執行妨害と見なして連行させてもらう」

「……チ、調子に乗りやがって」

 こうなったら暴力にものを言わせてやろうか――と考えてしまった俺は、きっと焦っていたのだろう。雪菜の安否を確認するためならば、どんな悪事にだって手を染めてやるつもりだった。

 しかし、それは過去の俺だ。気に入らないモノの全てを暴力で排除してきた俺は、もうこの世にいない。そう約束したからだ。

 だから何とかこの警官の口を割らせてやる。いや、割らせないといけない。たとえ頭を下げたとしても、俺は雪菜の安否を知らなくちゃいけないから――


「――あー! 士狼見つけたー!

 もう、勝手に一人で行っちゃったら駄目だよ。迷子になっちゃうからね。――あっ、断っておくと、迷子になるのは私じゃないよ? それは士狼のほうなんだからね、絶対なんだからね」


 ふと、そんな声が背後から聞こえてきた。

 赤子が泣いていたとしても無視されてしまうようなこの喧騒の中において、まるで拡声器でも用いたかのように通る――シャルロットの声が。

 振り返ってみると、そこには頬を膨らませたシャルロットと、周囲を見渡しながら獣耳をピンと尖らせるニノの姿があった。

 なぜか、その二人の周囲だけ空間が空いている。さらに辺りの人間は、暗示をかけられたかのようにシャルロット達を凝視していた。言ってしまえば、不躾な視線を送られているわけである。……なるほど、だからニノは不機嫌そうに獣耳をピンピンさせているのか。

 二人の一挙手一投足にいちいち反応する野次馬。その熱心な視線は、おまえらが見にきたのは爆発したホテルのほうだろうが、と注意してやりたくなるぐらいだった。

 シャルロットたちを見てため息を漏らしている者や、頬を赤く染めている者や、口笛を吹いている者などがいた。その容姿から、良くも悪くも目立ってしまっているようだった。

 アイツらの連れは苦労するだろうなぁ、本当に同情する。

「――士狼。気持ちは分かるけど独断行動は避けましょ。この状況下で一人になるのは良くないわ」

 とか思っていると、ニノが俺のとなりにまで歩み寄ってきた――だけでは留まらず、なぜか腕を組んで豊満な胸を押し付けてくる。

 ……まわりの視線が痛い。

「ちょっとちょっとー! どさくさに紛れて変なことしないでよー!」

 そうこうしているうちに、今度はシャルロットが俺のとなりにまで歩み寄ってきた――だけでは留まらず、ニノとは反対側から腕を掴んで引っ張ってくる。止めろ。これじゃあ俺が女をはべらして喜ぶジゴロみたいじゃないか。

 ……まわりの視線が痛い。

「はぁ、相変わらずバカね、シャルロット。ウチと士狼は腕を組んでるだけじゃない。これのどこが変なことになるのよ」

「それは……! ……そ、それはぁ……」

「これだけの人込みでしょ? だから離れ離れになっちゃったら合流するのが難しくなる。そういう訳で、ウチたちは腕を組んで、それを予防しているのよ。分かる?」

「――士狼ー! ニノが私をイジめるー!」

 冷静に論破するニノとは対照的に、深紅の瞳に涙を滲ませながら喚くシャルロット。まったく持っていつもの光景である。

 ただし、それが俺の両隣で繰り広げられている――という点だけは頂けない。

 なるほど。

 いま思えばコイツらの連れって俺じゃないか……。

「……き、君たちは一体なんなんだ?」

 だが最も驚いたのは他でもない警察官だったようだ。

 俺みたいなどこにでもいる男と比べて、シャルロットとニノは髪や肌の色からしても根本的に違う。まず日本人かどうかさえ怪しいルックスなのである。おまけに、認めてやるのは癪だが人間離れした美人でもある。もちろん本人たちには口が裂けても言わないが。

「うん? なによ、そこの警察官みたいな格好をしたお兄さん」

「――私は紛れもない警察官だっ! まったく……コスプレのように言わないでもらいたい」

「ふうん、そうなんだ。ところで士狼、さっきからこの人と何か話してたみたいだけど」

「ああ、それはな――」

 俺は噛み砕いて事情を説明してやった。もちろん警官から数メートルほど離れた場所で。三人集まって背中を向けて。まるで作戦会議のように。

 すべてを聞き終えたニノは「なるほどね、分かったわ。ここはウチたちに任せて」と自信満々に言い放った。獣耳をピコピコさせているところから見てもハッタリではないようだ。

 ニノがそこまで獣耳をピコピコさせているなら――と妙な納得をした俺は、高みの見物といくことにした。

 ニノはシャルロットの耳元で何事かを告げる。他人には聞かせられない内容なのか、手でガードまでしてゴニョゴニョと囁いている。

 シャルロットの方はというと、初めのうちは「ふんふん」と興味深そうに聞いていたのだが、しばらくすると顔を真っ赤にして「だ、だだだ、ダメだよっ! そんなの変態さんだもんっ!」と腕を振り回して暴れだした。

 ……激しく不安だった。

 それからも二人はあーだこーだと会話していたのだが、とうとう準備が整ったらしい。

 ニノは、やや不安そうに身体を小さくするシャルロットの手を引いて、例の警官さんの前に移動した。

 なんというか。

 娘の初めての授業参観を見守る親の気分だった。

「……あの、こんにちは、おまわりさん」

 心許なさそうな声で、シャルロットが口火を切った。

 演技かどうかは分からないが、シャルロットは自信のなさそうな――というよりも、どこか捨てられた子犬のような可哀想な態度を装っていた。

 視線はあちらこちらに泳いでいるし、唇が乾いているのか時折小さな赤い舌がチロリと覗くし、しかもなんか上目遣いだし。ニノに無理やり説得させられたからか、瞳は微妙に潤んでいて無駄に色っぽい。

 シャルロットは性格も容姿も、美人というよりは可愛らしいと評したほうがシックリくる。それは付き合いの長い暦荘のヤツらから見てもそうだし、初見のヤツだって似たような印象を抱くはずだ。 

 だが――今のシャルロットには、その可愛らしさと同時になんとも言えない妖艶さがあるような気がした。アンバランスなようでいて、正反対なようでいて、しかしその二つの要素は絶妙にマッチしている。

 警官の顔は、見る見るうちに赤くなっていった。

「――う。……こ、こんにちは」

 じりと足が下がる。

 それに追い討ちをかけるようにして、今度はニノが前に出た。

「こんにちは、おまわりさん。あのね、実はあたしたちね、とっても困ってるの」

 誰だおまえ――と思ったが、口を出すのは後回しにした。

 今のニノは……まあ理由は分からないが、か弱い少女になりきっているらしく、本人の設定上は精神年齢もちょっと低めのつもりらしい。口調さえも変わっている。演技とはいえ、さすがにやりすぎではないだろうか。

 シャルロットとは違い、ニノは自分の魅力を理解しているらしく、それを存分に生かそうとしてくる。

 いま気付いたことだが、ニノが着ているシャツの胸元がやたらと開いていた。第一ボタンを外したらしい。おかげで豊満な乳房がチラチラと垣間見えて、落ち着かないことこの上ない。下手をすれば下着まで見えそうな勢いである。

 しかもニノは警官の視線もきちんと計算しているようで、しっかりと前傾姿勢を取っていた。恐らく警官には天国が見えていることだろう。

 当然のことながら、ニノの瞳は悲しそうに伏せられており、長いまつげが影を落としている。動悸が激しいとでも言いたいのか、不自然なまでに呼吸が荒い。それに伴うようにして、白い肌は薄っすらとした赤みを帯びていた。

 それは――男なら誰だって下手な妄想をしてしまうぐらい蟲惑的な姿であり、扇情的な様子だった。

「――あ、いや、そ、の……」

 警官の顔は、もはや表現するのも躊躇われるぐらい落ち着きがなくなっている。

 その視線は、シャルロットの健康的な美しさと、ニノの扇情的な美しさを交互に行き来していた。比較的後者に視線を送っているところからして、どうやら彼はニノのほうがタイプらしい。

 そのことを看破したのか、ニノが積極的に迫っていく。

「あたしたちのね、お願い……聞いてくれないかなぁ?」

 誰だおまえ――と叫びそうになるのを必死に我慢した俺は、もっと褒められてもいいと思う。

「お、お願いだってっ? ……ううむ、言ってみなさい」

「――ほんとっ!? あたしたちのお願い、聞いてくれるの!? うわぁ、ありがとうー!」

「い、いや、べつにまだ聞くとは――」

「あたしね、おにいさんみたいな人、だーいすきっ!」

 瞳をキラキラと輝かせて、獣耳をピコピコと動かせて、ニノは満面の笑みを浮かべながら言う。それは普段のニノからは想像も出来ないほど愛らしい姿である。

 見れば、ニノはシャルロットの脇腹あたりを肘でつついていた。どうやらお前もウチに続け、という合図を送っているらしい。

「えと――お、おまわりさん……私たちのお願い……聞いてくれますか?」

 小鳥のように首を傾げるシャルロット。金色の長い髪がふわりと揺れる様子は、思わずため息をついてしまいそうになるほどだった。

 そんな波状攻撃にとうとう耐え切れなくなったのか、警官は帽子を目深に被りなおして、こほんと咳払いをした。

「……わ、私でよければ君たちの話を聞こう。言ってみなさい」

 その瞬間のことである。

 きっと警官からは見えなかっただろうが、ニノがにやりと小悪魔的な笑みを浮かべた。

 ――それからは、俺の苦労は何だったんだと落ち込みたくなるぐらい呆気なく進んだ。ニノとシャルロットは絶妙なコンビネーションを発揮しつつ、警官から事情を聞き出していった。

 とりわけ注目したのが、やはり雪菜のことだろう。現在ホテル内部の捜索はあらかた終わったようなのだが、和服を着た少女など見当たらなかったというのだ。

 しかも、警察が到着するのと同時にやってきた謎の集団により、ホテルの上層部にあった装置類は持ち出されてしまったという。そいつら絶対怪しいじゃん、と言いたいところではあるが、警官の上司に当たる現場指揮官が頭をペコペコと下げていたらしく、謎の集団はいちおう真っ当な組織に属する者たちらしい。

 さらに不幸中の幸いにも、忌野と北条、この両名と身体的特徴が一致する遺体は見当たらなかった。しかし、それで問題が終わるわけもなく、ならば二人はどこに消えたのか、という話になってくるのだが――

 以上が、ニノとシャルロットが警官から聞き出した事の顛末だ。

 分かったことは多いが、それと引き換えに謎が増えたのも事実。

 雪菜や忌野たちの遺体が見つからなかった――というのは素直に嬉しいのだが、じゃあアイツらはどこに消えた?

 爆発から一目散に避難した、その際に携帯電話を落としてしまい俺からの連絡を受けられない――というのはどうだ。……だが、この推理にも穴がある。無事に避難できたのなら、雪菜のことだ、きっと俺たちに自分は無事ですと一報を入れるに違いないのだ。

 とすると、もしかして雪菜は何者かに拉致されたのか? ……いや、さすがにこれは飛躍しすぎか? しかし全くの的外れというわけでもなさそうだ。僅かでも可能性がある予想は妄想ではなく、真相にたどり着くための鍵になる。 

 次に、ホテルから青天宮特製の装置を運び出したのは一体どこのどいつだ? まあ恐らくは……青天宮の人間たちそのもの、という線が濃厚か。警察の持つ権限を上回るだけの超法規的な措置を取ることができた、という点も忘れてはいけない――

 俺たちは、警官に礼を言ってからその場を離れた。

 その際に、警官が名残惜しそうな顔でニノを見つめていたのが印象的だった。だが、警官の視線に気付いたニノが放った一言のほうが記憶には残った。

 獣耳をピコピコと揺らす狼少女は、人差し指を唇に当てて、可愛らしくウインクしたあと、


「――ごめんなさいね、もう予約済みなの」


 と、そんな格好いい台詞を警官に言ったのだった。ていうか、おまえは誰に予約されているんだ、誰に。

 色々とツッコミどころはあったのだが、今は黙っておくことにした。なぜだか楽しげにピョコピョコと跳ねる獣耳さんだった。

 それからも軽く現場を見て回ったあと、俺たちは落ち着ける場所に移動することにした。もうホテル周辺から得られる情報はないだろう、という判断からだ。

 雑踏の流れに逆らって歩きながら――さて、これからどうするのが最善か――と俺が考えていたときのこと。

 ズボンのポケットが震えているのに気付いた。というよりも、ポケットの中に入れているモノが振動している、といったほうが正解。

 俺は電動歯ブラシを持ち歩くような男ではないので、この場合に振動しているモノは一つしかない。もちろん携帯電話である。

 ――まさか雪菜か……!?

 そう思った俺は、ポケットから素早く携帯を取り出したあと、表示される相手先も確認せずに通話ボタンを押した。

「……俺だ」

 逸る心を抑えつつ、相手からの言葉を待つ。

 俺としては「こちら雪菜ですー。士狼さん、もしかして……心配してくださっていたりしました?」なんて馬鹿みたいな一言が欲しかった。

 けれど、現実はどこまでも非情らしい。


『――辛気臭い声だな、駄犬。わたしの耳が腐るだろう。なぜ電話に出たんだ。恥を知れ』


 通話口から聞こえてきたのは、そんな淡々とした罵声。氷のように冷たい女の声。

 ……あれ、おかしいな。なんで俺が馬鹿にされているんだ。

「おまえ――もしかして」

 この清々しいほどの悪意ある声は、俺にとって懐かしいものだ。ここ最近は、めっきり姿を見ていないのだが。

 こんな状況なのにも関わらず、俺は口元が緩んでしまうのを自覚した。もちろん嬉しいからではない。こんなヤツに負けてたまるか、という対抗心からの挑戦的な笑みだ。

『もしかしてもクソもあるか。相変わらず記憶力に乏しいらしいな、貴様は。せっかくわたしが電話をかけてやったんだ。ありがたく思えよ』

「……おまえは俺の知らない間に王様にでもなったのか?」

『いや、まだなっていないよ』

「いずれなる予定があんのかよ……」

 思わずため息が出た。

「まあ、おまえに言いたいことは山ほどあるんだが――今はちょっと立て込んでてな。悪いが後にしてくれ。じゃあな」

『待て、切ったら殺す』

「――って、物騒だな!」

 黙っていれば……まあ険のある美人という感じのアイツだが、喋らせると途端に悪口発生装置になってしまう。きっと今まで多くの人間の精神をすり減らしてきたに違いない。周防とか、周防とか、周防とか。

『いいか、駄犬。わたしがお前に電話をかけてやる、という苦渋の選択をしたんだぞ? まだ奴隷として売られたほうが一億倍マシなレベルだ、ああ、別に他意はないよ』

「…………」

『――と、無駄話が過ぎたな。ただでさえ忙しいってのに、これ以上時間の浪費を許すわけにはいかない。

 なあ駄犬。おまえの知りたがっている情報、教えてやろうか?』

 ククク、と意地の悪そうな笑いが聞こえてくる。

 いつもなら軽く流すのだが、今はそうもいかない。

「……てめえ、なにを知ってる」

『全部さ。例えば――青天宮のこと、爆破されたホテルのこと、いなくなった凛葉雪菜のこと、暗躍している妖とやらのこと――とかかな? まあ、わたしは幽霊なんて信じちゃいないんだがね、基本的には。

 それにしても好き勝手にやってくれたものだな、あのホテルに金を出してるのは誰だと思ってるんだ。ええ、そこの駄犬?』

 駄犬――そう呼ばれても不思議と怒りはなかった。

 ただ雪菜の消息についての情報がある――という事実に全ての意識を持っていかれた。

 コイツに頭を下げるのは癪だが、今はちっぽけなプライドに拘っている場合じゃない。罵倒は甘んじて受け入れようじゃないか。あとで絶対に二倍にして返してやる。

「……頼む、教えてくれ。なにがどうなってる?」

『やなこった。なんでわたしがお前の頼みを聞かなきゃならない』

 前言撤回。

 罵倒は甘んじて受け入れる――と言ったのは俺だが、もうすでに我慢の限界を迎えそうだ。

『――と、いうのは冗談だ。たまにはわたしも悪ふざけがしたくなるんだ、許せ』

「おまえ絶対悪いと思ってねえだろ」

『いんや、悪いと思っているよ。弱者をいたぶりたくなるのは、わたしの悪い癖なんだ。その点だけは本当に申し訳なく思っている』

「――おまえ覚えとけよっ! 次に会ったら絶対に泣かせてやるからな!」

 人目を憚らずに叫んだ。ちょっと負け惜しみのように聞こえるのは、まあきっと負け惜しみだからだろう。

 それから”こいつ”は、俺が喉から手が出るほど欲しかった情報を次々に教えてくれた。

 まずビジネスホテルから青天宮特製の装置を運び出したのは、なにを隠そう”こいつ”の指示によるものだという。どうやら”こいつ”は、お偉いさんに代わって現場指揮を執っているらしい。それも青天宮だけではなく、警察や消防隊や救急隊といった連中も同時に動かしているというのだから頭が下がる。

 次に雪菜の消息についてだが――妖に拉致されてしまったという。

『雪菜のヤツがさらわれるのを目撃した男がいてね。北条とか言う名前の。知ってる?』

 ああ――と納得した。

 聞いた話を纏めると、北条は妖に殺されかけたところを雪菜に助けられたらしい。そして北条の命が救われた代わりに、雪菜が妖に連れ去られてしまったというわけだ。

 どうして雪菜が? と俺は思った。

 なぜ殺すのではなく、わざわざ身柄を確保するような真似をしたのか?

 そんなニュアンスのことを俺が言うと、

『正確な理由はわたしにも分からん。だが、想像はつく。凛葉家は【鮮遠】の分家筋だ。退魔を取り纏めるかの家に恨みを持つ輩は少なくないだろうよ。特に――妖の血を引く者とかね』

 なるほど、要するに私怨というわけか。

『――だが、今回ばかりは相手が悪すぎた。妖のほうも運がないよ。凛葉に手を出すということは、すなわち青天宮そのものを敵に回すということだ。そうなると、まず日本では生きていけない。

 いいか、よく聞け宗谷士狼。今から二時間以内に、青天宮が現状における最高の戦力を編成して送ってくる。もうわたしの方で、妖と雪菜の居場所も目をつけている。どうやらオマケもいるみたいだがね。サトリの小娘? だったか。とにかくそのガキも一緒らしい』

 それは。

 時間の経過を待てば事態が解決するのだから、お前は何もせずにじっとしておけ――と俺に言っているのか。

『――おい。変な気は起こすなよ。これ以上わたしに面倒事を押し付けるな』

 まるで俺の思考を読んでいるかのような一言。いや、コイツのことだから実際に読んでいるのだろう。心理学やら人心掌握術にも長けた女だ。

「……なあ。二時間後には、青天宮が何とかしてくれるってことだよな?」

『ああ。妖の扱いに関しては、彼らは文字通りのプロフェッショナルだ。まず確実に妖を殲滅してくれるだろうさ。例え――それが”鬼”であってもね。人と混ざり合ってしまった鬼一匹を相手取るのに、【九紋】の連中の手を借りる必要もないよ』

「なるほど、二時間以内だな?」

『ああ、二時間以内だな。何度も言わせるな――と、待て駄犬。おまえ何を考えている?』

「決まってんだろうが。二時間以内に俺が雪菜を助け出してやるんだよ。……いや、俺たち・・がな」

 確かに青天宮の連中に任せていたほうが手っ取り早いし、確実だろう。

 しかし、二時間は遅すぎる。あのトロトロとした時計の長針が二週も出来ちまうぐらいなんだ。それだけの時間があれば、人間一人の命なんて簡単に奪えるし、逃走を計る余裕だってあるはずだ。

 だから待ってなんていられない。俺が動くことで雪菜の身に降りかかる火の粉を少しでも払えるなら、躊躇なんてしていられない。

 仮に青天宮が今すぐ動き出していたとしても、俺はじっとなんてしない。

 だって、勝手に約束したんだ。

 雪菜が一人で歩けるようになるまでは、ずっと俺がとなりにいてやるって。

 ……ああ、それともう一つ約束したっけ。

「雪菜の作る肉じゃが――美味いだろうな」

『は? 肉じゃが? ……なんだ、とうとうボケたか。仕方あるまい、いい病院を紹介してやろう。ちょうど【碧河あおがわ】系列の――』

「――教えてくれ、雪菜はどこだ」

 遮るようにして問う。

 すると、電話の向こうからは重いため息が聞こえてきた。いかにも胃が痛そうなため息が。

『……なあ、お前は本物のバカなのか? わたしは言ったろう。お前たちが動かなくとも、青天宮の連中が何とかしてくれるってね』

「うるせえよ。顔も知らない連中に雪菜を任せられるか」

『まるでお兄様気取りだな。言っておくが、兄貴っていうのは大変らしいぞ。わたしの兄がそう言っていた』

「御託はいらねえんだよ。

 なあ、おまえ二時間後って言ったよな? それってつまり、今から数えて二時間の間は、雪菜の身の安全がこれっぽっちも保障されてねえってことだろ?」

『そうだな。裏を返せば、そういうことになる』

 あっさりと認める。

 こいつは――いつも俺に皮肉を言ってきやがったり、言葉の暴力と呼んでいいレベルで罵倒してきやがったり、まあとにかく気に食わないヤツだ。俺と顔を合わせれば険悪なムードになるのが当たり前だし、酒を飲むときだって飲み比べで勝負をするのが暗黙の了解みたいになっている。

 つまり、いつも対立しているのが俺とこいつだ。断っておくと、俺はこいつのことが好きじゃない。ああ、ぜんぜん好きじゃない。

 それでも――やっぱり俺はこいつを気に入ってしまっている部分があるんだろう。

 だって、こいつは絶対に嘘をつかないから。

『実際のところ――わたしたちが最も懸念しているのが、それだ。二時間後には雪菜の身柄を確保できるだろうが、逆に言えば二時間以内の間はどうあっても身柄を確保できない。

 ただし希望的観測で言わせてもらうなら、恐らく雪菜は大丈夫だろう。鬼は、わざわざ雪菜を連れて行ったんだ。その場で殺さずにね。だから鬼としては、雪菜をどうにか利用したいんだろう。もちろん生きた状態で』

「小難しい話はいらねえよ。もう必要な情報は全て揃った。あとは、お前が雪菜の居場所を俺に教えてくれれば解決する」

『うん、分かった。じゃあ教えてあげよう』

「は?」

 これからどうやって雪菜の居場所を聞き出そうか――そう悩んでいた俺は、拍子抜けした。

『どうした? いらないの? 教えてほしいって言ったのは嘘だったのか?』

「……いや、嘘じゃねえけどよ。でも随分とあっさり教えてくれるんだな。さっきはちょっとだけ渋ってなかったっけ、おまえ」

『ああ、それは単にイジワルしたかっただけ。もう飽きたからいい』

 神様。

 頼みますから、こいつに天罰を与えてください。もしくは、俺にこいつの殺害権を与えてください。目にもの見せてやりたいんです。

『じゃあ雪菜の居場所は電話のあとにメールで送るから。死なない範囲で適当にやってくれ』

「ああ、サンキューな。今度会ったら酒でも奢るわ」

『いらないよ、そんなの。金なら腐るほどある。必要なのは知識と人材だけだ。その観点から言うと、お前はいらないね。わたしの手元にバカはいらん』

 神様。

 頼みますから、本当に頼みますから、どうかこいつに天罰を与えてやってください。きっと周防あたりもそう願っているはずですから。

 俺が心の中でわりと真剣にそんなことを願っていると、電話の向こうから舌打ちが聞こえてきた。

『――たく。本当にお前は面倒ばかり起こすな。沙綾の気が知れんよ』

「あん? なんで大家さんの名前が出てくるんだよ」

『……? ああ、そうか。お前は知らなかったのか。いやね、今回わたしが動いているのは、全部あいつの頼みによるものだよ。沙綾の頼みじゃなかったら、一文の得にもならないことを誰がするもんか』

 電話越しから苦笑交じりに聞こえてくる女の言葉。

 でも、俺の思考はまったく別の方向へと飛んでいた。

 ――大家さんがこいつに頼んだ? あの太陽みたいな人が? ……ダメだ、まったく想像できない。あの人に、こんな妖だとか青天宮だとかの裏の事情は似合わなさ過ぎる。

 大家さんには、いつも暦荘で笑っていてほしい。笑顔で俺たちの帰りを待っていてほしい。

 テレビのニュースを見ては涙を滲ませたり、朝の占い番組で自分の運勢が絶好調と報じられただけでご機嫌になったり、茶柱が立っただけでいちいち俺の部屋まで報告にきたり、失敗して落ち込むシャルロットを母親みたいに慰めたり――そんな優しさの塊みたいな人なんだ、大家さんって。

 ちょっとだけ毛先がカールした綺麗な長髪も、どこか眠そうにしているおっとりした瞳も、母性の象徴とも言うべき豊満な乳房も……いや、最後のはいらないか。

 とにかく俺は、大家さんが今回の一件に少なからず関わっているという事実に驚いた。

 さらに言うなら、”こいつ”が誰かの頼みを素直に聞くという事実にも衝撃を受けた。

『貴様らがどう思っているかは知らんが、沙綾は頭脳だけなら間違いなく神域の天才だ。きっと、お前が一年前に食った飯も細かに覚えているだろうよ』

「それは言いすぎだろ。コンピューターじゃあるまいし」

『ところが過言じゃないんだよ。まあ、わたしもお前の意見に同意するがな。なにせ沙綾は、学生時代に六法の法典を丸暗記したような女だ。円周率だって何桁まで覚えているか、非常に気になるところではある』

 先にも言ったが、”こいつ”は人を罵倒することはあっても、誰かを騙したりすることは俺の知る限りない。

 だから大家さんは、本当に頭の賢い人なのだろう――と納得してたまるか。六法を丸暗記するなんざ、それは明らかに人間の記憶力を超えている。

『あらかじめ言っておくが、別に沙綾は常識離れした異能とかの類を持っているわけじゃない。……いや、ある意味では常識離れしている、とも言えるか。それが【高梨】の血に宿る能力なんだからね。

 おまえ、”直観像記憶能力”って知ってる?』

 いや、と否定した俺を好機とばかりに罵倒したあと、こいつは語ってくれた。

 ――”直観像記憶能力”とは、いわば自分が見た景色を映像として脳内に記憶する能力のことを言う。もっと分かりやすく言うと、写真である。この能力を保持している人間は、自分が見たあらゆるモノを写真として脳内に保管しておくことができる。さらに必要なときには、いつだってその写真を引き出して確認することが可能らしい。

 例えば、一瞬だけ見た景色を完全に記憶して、綿密にスケッチしたり。

 例えば、パラパラと適当にめくった本を完全に記憶して、あとで自分の脳内で読んで楽しんだり。

 ちなみに、以下のようなエピソードがあるという。

 その昔、まだ二人が学生だった頃の話。大家さんは”こいつ”に本を貸してくれと頼んだらしい。そして快諾した”こいつ”は、学校に本(推理小説が数冊)を持ってきて、大家さんに渡した。返すのはいつだっていいから、と。しかし大家さんは、ちょっと待っててね、と断ったあとにその場で本をパラパラとめくっていった。文字通りパラパラ漫画のような要領で。そして唖然とする”こいつ”に本をその場で返して、大家さんはおっとりとした笑顔を浮かべて「ありがとう、また明日にでも読むね」と言ったのだそうだ。要するに、大家さんは”こいつ”に借りた本を脳内にコピーしたのだ。……ううむ、実にアンビリーバブルな話である。

 この能力は、実は幼少期の人間によく見られるものだ。けれど、普通は思春期に突入するのと同時に消失してしまう――

『――その普通は消える能力を成人しても保持することに成功したのが、十二大家の一つである【高梨】だ。かの家は、代々優秀な政治家を輩出することで知られ、政財界に強い影響力を持つ。その規模は、内政や外交にも深く関与するほどさ。

 沙綾は、その【高梨】の中でも歴代屈指の天才と謳われた女だ。あいつのことだから、多分この街で起こっている異変の全てを察知しているんじゃないかな』

「……マジかよ、ちょっと人間とは思えねえレベルだな」

『珍しいな、わたしとお前の意見が合うなんて、地球は明日で終わるのかもしれん――とまあ、このことは沙綾に言うなよ。あいつは自分のことをあまり知られたくないタイプなんだ。お前が口を滑らせると、わたしが沙綾に怒られる』

 大家さんに怒られる――と言う”こいつ”は、不覚にもちょっとだけ可愛かった。

『沙綾ならば、わたしを介さずとも何とかできたはずなんだがな。……まあ、今回ばかりは仕方ないか。【高梨】と【鮮遠】は、十八年ほど前の出来事が原因で仲が悪いからな。というより、【高梨】が一方的に邪険にされている、といったほうが正しいがね』

「いや、お前が使い走りにされている云々の話はどうでもいいって。せいぜい馬車馬のように働け、バカ」

『酷いな、わたしだってか弱い女だぞ。冷たくされると泣くぞ。……それにな、わたしも真夜まやの件で【鮮遠】に借りがなけりゃあ、ここまで出張ってきてないよ』

 電話越しにライターの着火音が聞こえてきた。次いで、深く呼吸するような気配も。恐らくタバコだろう。

「お前が冷たくされただけで泣くようなタマかよ。

 ――まあ、とにかく礼を言っておく。今度また一緒に酒でも飲もうぜ。マジで奢るからよ」

『ああ。ちなみに言っておくが、最近のわたしはヴィンテージワインしか飲まないから。じゃあね』

 最後にそんな一言だけ残して、電話は切られてしまった。ツーツー、と無機質に等間隔で鳴る音だけが耳に残る。

 通話時間を確認してみると――意外と短かった。向こうがテキパキと話を進めてくれたおかげだろう。

 しばらく携帯の液晶を見つめていると、メールを受信していることに気付く。相変わらず仕事の早い女というか。いちおう小さな会社を任されている社長さんらしいからな、あいつ。

 メールを開いて文面を確認してみる。内容は、淡々と地名や住所が記されているだけの質素なものだった。まあ、むしろ今時の女子高生みたいにデコレーションされていたら逆に恐いが。

「――ねえ、士狼。さっきから誰と電話してたの?」

 ふと我に返ってみると、背後からシャルロットの声が聞こえてきた。

「もしかして女? というか、絶対に女でしょ、さっきの電話」

 そして余計なことを言ったのは、もちろんニノだった。気のせいかもしれないが、獣耳がピンと尖っているような。

「お、お、おお、おんな――女っ!? し、士狼ってば、女の人と電話してたんだ……!」

 むー、と頬を膨らましたあと、シャルロットは子供みたいにじたばたと暴れた。

 ……なんていうか、本当に緊張感がない。

「うるさいな、お前ら。ちょっと黙れよ」

「黙れって――もうっ、それはひどいよ士狼! こういうときは、みっともなく言い訳をするもんでしょ? この間、お昼に見たドラマで男の人が土下座してたもん」

「……今度からは、おまえが見ている番組を一々チェックする必要がありそうだな」

 やれやれと俺は溜息をつく。

 そして、携帯の液晶を二人に向けて突きつけた。

「シャルロット、ニノ。これがなんだか分かるか?」

 ん? と秀麗な眉を歪めて、バカ吸血鬼と狼少女は揃って首を傾げた。

 それもそのはず。俺が二人に見せたのは、ただ地名や住所が書かれているだけの文字の羅列だった。

 だから、この情報も同時に言わないと二人は理解してくれない。


「――この場所に、雪菜とこころがいる」


 同時、シャルロットとニノの顔から笑みが消えた。

 愛らしい少女と、美しい少女――ではなく、夜に生きる吸血鬼と、闇に生きる人狼の顔になる。どうやら、俺が言いたいことを一発で理解してくれたようだ。

 ――俺たちに残されたのは二時間だけ。それを過ぎてしまえば、青天宮のヤツらが出張ってくることになる。だが逆に言えば、この二時間以内は何があっても青天宮は動かない。

 ともかく、今は立ち話している時間も惜しい。

 俺たちは、足早にホテルから離れていった。もちろん向かうのは、雪菜とこころが捕らえられているはずの場所。それは街外れにある工場こうば付近に設けられた倉庫外の一角だ。

 その道中、作戦会議らしきものが繰り広げられる。

 恐らく――雪菜たちを拉致した妖は、雷系統の能力を使う――と俺は予想していた。

 理由は、忌野が体に負っていた火傷、そのわりには繊維が焼けていなかった衣服、軒並みイカれていた電子機器などである。そのほかにも、さきほどホテルの眼前でタンカーによって運ばれていく遺体の中に俺は見たんだ。まるで強烈な電流でも流されたかのような損傷を受けた遺体を。

 それらを二人に言うと、シャルロットは名案を思いついた、と言わんばかりの明るい顔をした。

「じゃあさ、いっそのこと避雷針を作っちゃおうよ。そうすれば雷なんて、へっちゃらじゃないかな?」

「いや、それは難しいな。確かに、必要な道具を買い集めれば避雷針を組み立てることは出来るよ。でも素人が適当に組み上げただけじゃあ、避雷針どころか誘雷針が完成しちまう。

 シャルロット。おまえ、雷が自分に降ってきてもいいのか?」

「――や、やだよ、そんなの! 雷ってあれでしょ、痺れるんでしょ? ……べ、べつに雷さんが恐いとは言ってないよ? でも、それは時と場合によるっていうか――」

 なにやら一人で言い訳を始めるバカ吸血鬼が一匹。

 しかし残念ながら、俺は大雨かつ雷がゴロゴロ鳴っていた日に、シャルロットの部屋から素っ頓狂な叫び声が連発されていたのを知っている。というか、あの日は俺の部屋に避難しに来たんだっけ、シャルロットのやつ。

「……でも、雷だとすると相当に面倒ね。ウチの中で”雷”って言えば、相当上位に位置する能力なんだけど。だって、炎や水と違って防ぎようがあまりないでしょ」

 確かに、炎は水を被せれば消せるし、水は高温で熱してやれば蒸発する。

 だが雷は、どうすればいい? どんな方法を用いれば雷を無効化できる? ……なるほど。深く思考してみたが、一向に名案が思い浮かばない。確かにニノの言うとおり、雷ってのは厄介な力らしい。

「――待って、たしか炎って雷をよく通すはずよ」

 形のいい顎に手を添えて思考していたニノは、記憶の奥底から引っ張り出してきたかのように言った。獣耳は、実に怪しい動きをしている。恐らく悩んでいるからだろう。

「炎だと? それがマジだとしたら使えるかもしれねえな。……でも、都合よく大量の炎なんてあるわけがない」

「そうでしょうね。ウチも同意見よ。……はあ。確かに、こんな街中に大量の炎なんてないわよね」

 俺とニノは二人揃って肩を落とし、ため息をついた。

「……あ、あのー。二人ともー?」

 そのとき、自信の無さそうな声が聞こえてくる。

 振り返ってみれば、シャルロットがおずおずと挙手していた。

「なんだよ。雷が恐くないって言い訳はあとで聞いてやるから大人しくしてろ」

「そうよ。アンタは黙ってて。話が進まないから」

「……え、えーとね。二人ともね、忘れてると思うんだけど……」

 言って、シャルロットは人差し指を立てる。

 なんだ――と思った俺とニノの視線が、その白魚のような指先に集中する。

 刹那、紅の火柱が一瞬だけ立ち上った。

 それを見て、俺とニノは思わず「あっ!」と声に出してしまう。

 やや照れくさそうに、シャルロットは言った。


「……えへへ、炎なら、あるよ?」





****





「……やっと、か。まったく――無駄な力を使わせてくれたもんだ」

 街の繁華街から通りを一本だけ外れた路地裏に、その青年――忌野の姿はあった。立ち歩くことも難しいのか、壁に背中を預けて地面に座っている。

 真黒の学ランは、すでにボロ雑巾のごとく汚れている。体だって瀕死の状態だ。間違いなく骨の一本や二本は折れているだろう。しかも固まった血液がパリパリと剥がれ落ちたりして、その感覚が気持ち悪くてテンションも下がる。

 正直な話、忌野は出歩けるような体ではなかった。意識を保っていることでさえ奇跡に近い。

 それでも――寝ている場合じゃない。

 ――あのとき、九鬼によってホテルの五階から蹴り飛ばされた忌野は、階下に広がっていた植え込みの上に落ちたことで命を拾った。生い茂った緑が天然のクッションとなったのだ。それは最高の幸運と言っていい。忌野は、これから数年は宝くじを買うのは止そうと思ったぐらいだ。

 とはいえ、もちろん無傷では済まされなかった。そこまでの幸運を願っていいほど、忌野は普段から神を敬っていない。

 腕と足に突き刺さった枝を引き抜くのは、わりと根気のいる作業だったなぁ……と忌野は内心で苦笑した。

 自分の体には応急処置の一つも施していないが、それでも青天宮の元へ帰るわけにはいかなかった。青天宮は、組織である。だから個人の要望は、集団の規律の前に圧殺される。よって、もしも忌野が青天宮の元に帰ってしまうと、そのまま身柄を拘束されるに違いないのだ。

 独断行動が――忌野のワガママが許されるのは、今から数えて二時間だけ。青天宮が本格的に動き出すまでの間だけ。

 忌野は、自らの足元に寄り添う小動物の頭を撫でた。それは狐のようなカタチをしているが、もちろん狐ではない。半透明であり、同時に白く発光する体躯。退魔の者が使役する式神。……いや、忌野が使役する――式神。

 さきほどから忌野は、式神を使って街中の情報を集めていた。

 青天宮が作戦本部を置いていたビジネスホテルから、この路地裏に至るまでの間――どうしてか警察やら消防隊やらを頻繁に見た。それが気になったのだ。青天宮が指示を出しているにしては、あまりにも動きが円滑すぎるから。

 結果として――意外な人物の干渉が明らかになった。

 ほぼ間違いなく、彼女・・は十二大家の人間だろう。それも恐らく――近代における日本三大財閥の一つに数えられ、十二大家の中でも最大の規模と勢力を誇るあの家系の出。

 なぜ彼女が――というより、あの家系が出張ってくるのかは分からない。もしかしてホテルを爆破されたことが腹立たしかったのだろうか。……否定しきれないところが恐ろしい。

 まあ、そういうお偉方の事情はどうでもいい。

 忌野には、どうしても守らなければいけない――いや、守りたい者がいるから。

「……雪菜さん。待っててくれよ」

 もう彼女が捕らわれている場所は確認した。この街の立地などをあらかじめ頭に叩き込んでいた忌野にとって、人間を監禁するために最適な場所を絞り込むことは容易かった。

 さらに式神を無数に使役することにより、妖気の残滓を何とか辿ることもできた。青天宮のほうにも密かに式神をって、情報を盗み聞きするような形で、自分がアタリをつけた場所に間違いはないかどうか、確信を得るようなこともした。

 結論として――忌野に間違いはなかった。

 だから、あとは彼女を救い出すだけ。どんな手を使っても、彼女を救い出すだけ。本当にそれだけのことが、忌野の目的であり――生きる意味だった。

「――俺が、絶対に助けてみせるから」

 呟く言葉は、朦朧とした意識の中で無意識のうちに出たもの。言ってしまえば、寝言のようなもの。見ている夢は、きっとへっぽこな騎士が美しいお姫様を助け出そうとするような、そんなロマンチックなファンタジー。

 ――四年前の償いをしたい。冷静に判断を下してしまった自分を、どうか許してほしい。今ならば、世界の全てを敵に回してでも貫ける想いがある。それだけこの想いが大事で、愛しくて、尊いものだと気付いたから。

 言い訳はしない。その代わり、次に彼女と二人きりで話す機会があるのなら、もう一度だけ言わせてもらおう。



 ――ねえ雪菜さん。

 俺、やっぱり君のことが好きみたいなんだ――






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