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けれど、狼と吸血鬼  作者: ハイたん
第四月 【守る物、護る者】
53/87

其の一 『始動』

 『日課』という言葉がある。

 毎日する仕事、毎日割り当ててすること――大まかな意味はそんなところだ。

 大抵の人間には、何かしらの日課があるのではなかろうか。例えば、早朝の体操、犬の散歩、健康目的のランニング――と、枚挙に暇がない。

 これは別におかしなことではない。『日課』を持たない人間のほうが、現代では恐らく稀である。

 ――そして。

 とあるアパートに最近住み着いたばかりの人間――いや、人狼の彼女にも、当然ながら『日課』があった。

 時に友人のように、時に子供のように、時に泥棒のように、時に紳士のように――人狼の少女ニノは、友人の部屋に大した断りもなく侵入し、入り浸ることが多々あった。

 それは今夜とて例外ではない。時刻にして午後十時過ぎを回ったところ。

 ニノは遠慮なく友人――姫神千鶴――の部屋のベッドに寝転びながら、暢気にテレビなどを見ていたのだった。

 千鶴も慣れたもので、最近は文句を口にする回数がめっきり減ってしまった。なぜって、猫のように気ままなニノには何を言っても無駄だったし、同時に――千鶴はニノと共に過ごす時間が嫌いではなかったからだ。

 決まった話題について論議することもないし、共通の趣味を持っているわけでもないし、二人集まって何かをするつもりもない。それでも毎夜のように、ニノは千鶴の部屋にやって来るのだ。

 きっと言葉を交わす時間よりも、沈黙の間のほうが多い。時折思い出したように、その日に起こった出来事を報告したりするだけ。……しかし、それでも不思議と気まずさのようなモノはなかった。代わりに水の上をプカプカと浮かぶような、なんともいえない居心地の良さがあった。

 ――これはニノも千鶴も意識しておらず、また気付いていないことだが。不器用で純粋なニノと、真っ直ぐで一本気な千鶴は、欠けた互いを補い合うように相性がピッタリだったのだろう。

 それはニノとシャルロットのように過去の痛みを分かち合える関係でもなく、千鶴と雪菜のように真に通じ合った親友でもない。

 彼女たちの関係を一言で定義することは不可能だ。というよりも、恐らく定義などして一定の枠内に収めてしまっては勿体無い。二人の関係は、きっと当人たちが長い時間をかけて堅固に構築していくものだと思うから。その果てに、繋がりあった自分たちに、ニノと千鶴がどのような名をつけるのか――それは未来の二人にしか分からない。

 そして現在。

 交わされる言葉はなかったが、それでも部屋には喧騒があった。先にも述べたとおり、ベッドでごろごろと忙しなく寝返りを打つニノが、興味深そうにテレビを見ているからだ。

 対して、机に向かって参考書を開いている姫神千鶴は、反論も抗議もせず軽快にペンを滑らせていた。

 ただ――物事には限度というものがある。過ぎた大金を持てばその魔力に狂ってしまうだろうし、寿命とて悠久ならば悲しいだけだろう。

「……ニノ。ちょっといいか」

 回転式の椅子を回して振り返り、千鶴は呆れた顔でそう切り出した。ちょうど休憩のつもりだったのか、間もなく立ち上がってキッチンに向かう。ぷらぷらと手首を振っているのは、それだけ酷使して疲労が溜まっているという証だ。

「んー? なによー?」

 テレビに興味を惹かれているニノは、間伸びた声もそうだが、体勢もいい加減だった。仰向けに寝転んで、ベッドの淵から頭だけをはみ出している。本来であれば腰に触れているはずの赤い長髪は、地面にぶらんと垂れていた。

 間違いなく異性が見ればガッカリするようなだらしなさだ。しかしそれでもどこか愛らしく見えるのは、やはり美人は得だとかそういうアレだろうか。膝を曲げて両足を立てて、膝小僧のあたりを何度もコツンとぶつけている。服の上からでも分かる豊満な乳房は、しかし難解な体勢であろうとも美しく形を保っていた。

「……私はね、文句を言うつもりはないんだよ。それだけはまず分かっていてほしいんだが」

 千鶴はキッチンで何やら作業をしていた。空のカップが二つと、あとはインスタントコーヒーの準備。

「要領を得ないわね。さっきからちーちゃんが何を言いたいのか、さっぱり分からないわ」

「――じゃあハッキリと言おう。私は勉強しているんだよ」

「そうなんだー」

「……いや、ちょっとはテレビの音量を下げるとか」

「分かったわよ。……はい、これでいいでしょー」

 ニノは手元にあったリモコンを操作して、音量をほんの僅か下げた。

 後で動き回る必要性が発生しないように、きちんと手元にリモコンを用意しておいたあたりが筋金入りである。

「……はあ、まあ別にいいけどね。直接邪魔をしてくる訳でもないし。ところでニノもコーヒー飲むだろ?」

「飲むー。本当は紅茶のほうがよかったけど、コーヒー飲むー」

「悪いが紅茶はないんだ。私はどちらかと言えばコーヒー派でね。もっと言えば日本茶派なんだが」

 湯気の立つ熱いコーヒーは、しんと冷え切った夜にピッタリだった。

 白いマグカップを両手にそれぞれ持って、千鶴はテーブルの上に置いた。

「はい、冷める前に飲んだほうがいいぞ」

「ありがとー」

 相変わらずニノはテレビの番組に夢中のようだった。

「……そんなに面白いものでも放送してるのか?」

「うーん、面白いっていうか興味深いものかな。何か知らないけれど、小難しいことを色々と検証しているのよ」

 獣耳をピコピコと動かしながら説明するニノを見て、千鶴も自然と興味を惹かれた。休憩にはもってこいの暇つぶしだと、カップを持ってベッドに腰を下ろす。

 ニノと千鶴の視線が集中する先――液晶の中には、それらしき白衣を着た人間が数人集まっていた。特に目立つのは、それぞれ左右対称に並んだ二人の人間だろう。手に赤い筒のようなものを持っているからだ。

「あれは――消火器か。でも並べて見比べてみると、ちょっとデザインが違うな」

「そうよ。なんでも粉末消火器と強化液消火器ってタイプらしいわよ」

「へえ、よく知ってるな」

「ふふん、まあね。さっきテレビで解説してたなんて絶対に言わないわよ」

「……ははは、偉い偉い」

 腕を組んでうんうんと頷くニノであったが、相変わらず口を滑らせたことには全く気付いていないらしかった。しかし真実を知った千鶴は、得意げに威張るニノが微笑ましく見えたものだから、わざわざ追求する気になどなれなかった。

 その代わりと言ってはなんだが、千鶴はカップを持っていない方の手を伸ばして、ニノの頭を冗談めかして撫でてやった。

「ぅ――か、感謝してよね。ウチの頭を撫でていい人間なんて限られてるんだから」

「はいはい。ありがとう、ニノ」

「……ふん、別にいいけど」

 赤くなった頬を隠すように、ニノはぷいっと顔を背けた。

「――見ろ、なにか始めるようだぞ」

 ふと見ると、液晶の中には変化があった。

 消火器を構えた男たちが、前方の空間に向かってそれぞれ発射する。粉末と強化液の二つを、まるでクロスさせるようにして放出し続ける。

 ――しばらくして、白衣を着た者たちが揃って鼻を摘んだ。

「……ふーん、面白いわね」

 ついで白衣の男が苦笑しながら語った解説を聞いて、ニノは獣耳をピクっと動かした。

 簡単に言うならば、異臭が発生したのだ。粉末消火器と強化液消火器の異なるタイプを併用した場合、アンモニアガスが生まれる。もちろん人体に重大な影響を及ぼす濃度のものは出ないが、思わず鼻を摘んでしまう程度には刺激臭が出てしまうわけだ。

「知らなかったな。まあ生まれてこの方、私は消火器すら使ったことがないんだが」

「でしょうね。一般の人間が消火器を使わないといけないほどの火災現場に立ち合うなんて、まあ無いわね」

 一通りテレビを見て満足したのか、ニノは身体を起こした。

 そしてベッドに――千鶴のとなりに腰を落ち着けて、カップを手に取る。慎重に息を吹きかけたあと、両手でカップを支えながらコーヒーを口に含む。

「……うん、美味しいわ」

「それはよかった。まあインスタントだけどな」

「知ってるわよ。でも――ウチって、インスタントも嫌いじゃないのよね」

「私もだ」

 次の瞬間、二人は顔を見合わせて笑った。

 それからは他愛もない話を飽きるまで続けていた。否、飽きた後もまた別の話題がすぐに浮上して、舌を休ませるといったらせいぜいがカップに口をつけるときぐらい。

 当然、千鶴は勉強を再開しようという気になどなれなかった。ニノと笑い合うことで頭がいっぱいだったからだ。

 やがて深夜遅くまで話通し――気付けば、千鶴はいつの間にか眠りに落ちていた。きちんと毛布を被ることもなく、カーペットの上に座り、ベッドにもたれかかるようにして。

 そして翌朝になった。

 一体どれほどの時間を眠っていたのだろうか。千鶴は、小鳥の愛らしい鳴き声によって意識を覚醒させた。

「……ん」

 ぼんやりとした頭を小さく振る。鉛のように瞼が重かった。間違いなく二時間は寝足りない。どうも昨夜は――もう今日だったが――相当遅くまで起きていたようだ。

「……っ、あれ――?」

 千鶴は気付く。

 自分の身体に優しくかけられていた毛布に。

 千鶴には毛布を取り出した記憶などない。つまり――これはニノの計らいということになる。

「まったく――」

 あの不器用な狼少女は、けれど本当は誰よりも純粋で優しいことを千鶴は知っていた。こうして夜通し談笑することも珍しくないし、眠ってしまった千鶴に毛布がかけられていた事とて一度や二度ではないのだ。

 そして――

「……やっぱり、か」

 とりあえず起きようと思っていた千鶴は、毛布を捲って”それ”を確認したあと、足に込めた力を弱めた。

 千鶴が見たもの――それは毛布の中で、千鶴のふとももを枕のようにして眠るニノの姿だった。身体をこれでもかと丸めているものだから、毛布に完全に隠れていて、寝惚けた頭では気付くのが遅れたのだ。

 とても幸せそうな顔。口元は普段の不器用さがウソのようにハッキリと歪んでいたし、獣耳は時折ピクっと愛らしく跳ねる。

「……もうちょっとだけだからな」

 最後に独り言を呟き、千鶴は窓の外に眼を向けた。すでに空は青白くなっていて、黎明は少し前に終わってしまったらしかった。

 けれど千鶴が朝の準備を始めることはない。それはもう少しだけ先の未来だろう。

 ――なぜなら。

 幸せそうに眠るニノを無理やり起こしてしまうなど、千鶴にはとても無理だったのだから。





****




 猟奇的連続殺人事件。

 ――とりあえず一連の事件をこう呼ばせてもらおう。マスメディアから正式な発表がない以上、正式な呼称も決められていないということ。ならば俺が好きに呼んだとして誰も不快には思わないだろう――

 今から数えて二週間ほど前に最初の事件が発生したらしい・・・。らしいというのは、俺が直接視認したわけではなく、伝聞によってのみ事実を伝えられたという根拠に基づく。

 いわゆる通り魔殺人とも違うし、綿密に計画された犯行とも思えない。……いや、そもそもで言えば人間の犯行かすら定かではない。むしろ人間でない可能性のほうが高く思える。

 事件の詳細を簡単に説明しよう。これらは全て、智実から伝えられた話である。

 現在までに確認された殺人は四件。被害者は女三人に男が一人の、計四人である。やや偏っているようにも見えるが、これは恐らく偶然だろう。

 死体はその全てが、常軌を逸していた。ちなみに断っておくと、これまで世界的に散見された人間による猟奇的殺人とは全く違う。

 つまり。

 人間が行った猟奇的殺人には、良識がなく。

 この街で続いている殺人には、常識がない。

 発見された遺体の全てが四肢を千切られているのだ。それも――刀などの切断に適した道具を使わずに。智実曰く、物体を引っ張ることのできるような機械の類を使用した痕跡はなかったらしい。これを常識外れといわず何と言おう。

 さらに言うなら、警察を始めとした機関にはまるで動きが見られない。秘密裏に動いているのかと当初は考えたものだが、智実によるとそれも違うらしい。

 しかし現場は綺麗に均されているものだから不気味である。ほぼ痕跡が見られない。もしかしたら殺人事件など起こっていないのでは、と勘ぐるほどに。

 ――だが。

 隠し切れなかった血痕があったからには、気のせいで済ませるわけには行かない。

 この街は、今現在その話題で持ちきりだった。ほとんどまことしやかに流れる都市伝説みたいなものだが、それでも信じている人間は確実に存在する。恐らく被害者が殺されるさいに悲鳴を聞いたり、もしくは遺体を発見した人間もいたのだろう。

 そして警察――とは違う第三の組織が、その者たちに緘口令を敷いたわけだ。が、人の口に戸は立てられず、事件の概要は噂話程度に広まることとなった。

 ――以上が、この街で起きた猟奇的連続殺人事件の説明である。





 ――士狼さん、実は私には心当たりがあります――

 俺が自室で物思いに耽っていたときのことであった。

 相変わらず煌びやかな和服を着た少女――凛葉雪菜が、深刻そうに訪ねてきたのは。

 一瞬、何に対しての心当たりなのか分からなかった。が、すこし逡巡した後に合点がいった。この状況下で、沈痛な顔をして呟く”心当たり”なんて決まっているからだ。

 雪菜を部屋に上げた俺は、話が長くなってもいいようにと熱いお茶を淹れてやった。

 座布団に行儀よく正座した雪菜と、小さなテーブルを挟んで向かい合う。

「……で、何の話だよ」

 もし間違っていたら格好悪いので、俺は相手からのアプローチを待つ。

「はい、ですから心当たりがあるのです。というよりも確信があるのです。いや、視た・・――といったほうが正しいかもしれませんね」

「うざったらしい言い回しだな。まあ期待してねえけど聞いてやる。視たってなにを?」

「犯人らしきものです」

「……マジか?」

 俺は湯飲みを掴んだままバカみたいに静止していた。

「さすがの私もこのような嘘は言いません。ずっと探っていたのですが、とうとう昨夜に姿を拝見しまして」

「――? どういうことだ?」

「百聞は一見にしかずですね。仕方ありません、士狼さんにはこっそりとお見せしましょう。……えーと、……べ、別に貴方のためなんかじゃありませんからねっ!」

「…………」

 本当に突然のこと。

 雪菜はなにやら頬を染めて、意味の分からないことを口にした。どこからどう見ても無理をしているように見える。

「……どうでしょう?」

「どうでしょうって言われても。俺はお前にどうしたんだと聞きたい」

 呆れるしかない。

 ため息をついた俺を見て、雪菜はなぜかきょとんと首を傾げていた。

「おかしいですね……。この間、周防さんから男性が喜ぶ方法というものを教えてもらったのですが。その中でも簡単に出来て、かつ効果のあるらしいのが、先のつんでれだったのですが」

「はいアイツ殺すー」

 全ての原因はなんと周防であった。いや、やはり・・・と言ったほうが正しいかもしれない。

「……こほん、すみませんでした。忘れてください」

 どうも騙されていたことに気付いたらしい雪菜が、ほんのりと色づいた頬で頭を下げた。

「別にいいけどよ。頼むから意味不明なことだけはしないでくれ。お前は今のままが一番だ」

「そうですか? ……まあ士狼さんがそう仰るなら、私はこれから一生を私でいきましょう」

「頼む、そうしてくれ。――で、話の続きを聞きてえんだけど。何をこっそり見せてくれるって?」

「――? ああ、気付きませんでしたか。すみません。それですよ士狼さん」

 失念していたと両手を合わせたあと、雪菜は指差した――俺のとなりを。

 もちろんこの部屋には俺と雪菜、つまり人間が二人しかいないのだから、雪菜が指差した先には何もないはずである。

 ――しかし。

 予想に反して現実は厳しかった。なぜなら俺のとなりには、小さな体躯の可愛らしい猫がちょこんと座っていたからだ。

「……ああ? なんだコイツ。どこから入り込んできやがったんだ?」

 体毛自体は白い――ような気がする。曖昧にしか表現できないのは、その猫が薄く光り輝いていたから。

 どこからどう見ても怪しすぎる。知らぬ間に俺のとなりにいたこともそうだが、そもそも猫は光らないのだ、当たり前だが。しかもよく観察してみると、普通の猫とはフォルムが違っているようにも見える。

 正直な話、怪しさ満点だった。これで俺が不覚にも可愛いいと思っていなければ、即座に叩き出していたところである。

 興味を惹かれた俺は、仕方ないから撫でてやろうとして――

「……あれ」

 当然のごとく避けられたのだった。それも華麗な回避行動で、まるで触れさせる訳にはいかないとでも言うように。

 ひょこひょこと四足歩行で俺から遠ざかる猫は、やがて雪菜の元へ。

「――ご覧いただけましたか?」

「いや、確かに見たが……」

 それよりも避けられたことがショックだなんて間違っても言わない。

「士狼さんも薄々は気付いていると思いますが――実はですね、この子はただの猫じゃありません」

「だろうな」

 俺たちの視線が猫に集中する。しかし自分が話題にされていることに興味がないのか、もしくは分からないのか。猫は雪菜の身体を器用によじのぼって、肩の上にたどり着くと、眠そうに口を開けてあくびのような真似をした。

「この子はですね、えっと……何と言えば分かりやすいか――ああ、まあアレです」

「代名詞で言われても分からん」

「ですからアレです。いわゆる式神みたいなものですね」

「式神――?」

 聞いたことはある。恐らく現代日本に生きる人間ならば誰もが存知しているのではないか。

 例えば小説、ドラマ、映画、漫画――とにかく架空の要素を詰め込める、ありとあらゆる媒体において、式神と呼称されるものが登場する機会は少なくない。その際、式神とペアとなって登場するのが――古く日本に存在するとされた陰陽師だろう。

 少し考えを巡らせてみれば合点がいった。つまりは簡単な話である。

 この子猫は、雪菜が使役する式神なのだ。……というと、少し胡散臭さが漂うのは仕方ないが。

「式神、または式紙とも呼ばれますね。とにかく式神についての詳しい説明は恐らく不要でしょう。使役する術者にもよりますが、多くの式神はこんな感じです。憶えておいてください」

「分かった。さすがに実物を見せられちゃ信じないわけにもいかない」

 自称陰陽師――否、由緒正しい家柄の血を引く生粋の陰陽師。それが暦荘二〇四号室の住人、凛葉雪菜の正体である。

「そうでしょうね、だから私もわざわざ術式を括ってこの子を顕現させたのですから。……さて、そろそろ本題に入ってもよろしいでしょうか?」

「よろしいぜ。お前が言ってた心当たりってやつだろ? むしろ今までの会話がぜんぶ無駄だろう」

「……別に無駄なんかじゃありません」

 突如、雪菜がぷいっと顔をそらしてしまった。

 俺は覗き込むようにして問いかける。

「――? どうしたんだよ、おい」

「……だから、別に無駄なんかじゃありません」

 ぷいっ。

 すると今度は逆側に顔をそらされた。

 似たようなやり取りを何度か繰り返し、ようやく不毛だと悟った俺は、とりあえず謝っておくことにした。これこそがシャルロットやニノと付き合っていくうちに学んだ教訓――『女が機嫌を損ねてしまったときはとにかく謝れ』である。

「……私と話す時間が、無駄なんかじゃないってホントですか?」

 腕を組み、雪菜にしては珍しくやや砕けた口調で再確認してくる。

「本当だ。俺が悪かったって。お前と話す時間はぜんぜん無駄なんかじゃないから」

「……まあ――そこまで言うなら別にいいですけど」

 ようやく機嫌を戻したらしい雪菜が、こほんと咳払いをした。

 場を仕切りなおすつもりらしい。

「――さて、改めて説明しましょうか。この子は私の式神です」

「そこまでは分かってる。それで?」

「はい、まあここから本題なのですが――私なりに例の事件を調べてみたのです。夜な夜な式神を行使して、街中を探索してみました。おかげで寝不足で、乙女としては少々心配で――」

「そんなことも出来るのか。お前の能力ってめっちゃ便利じゃねえか」

「あの、それって褒められてますよね?」

「当たり前だろうが。むしろ大絶賛だ」

 頷いてやると、雪菜は「わーい、士狼さんに褒められましたー」と両手を上げた。その瞬間だけ、肩に乗っていた猫が頭の上に移動する。そして雪菜が手を下ろすと同時に、落っこちないように器用に移動して、再び肩の上に収まった。

「えっと、どこまで話しましたっけ――ああ、思い出しました。それで色々と探索していたわけなんですが」

 そこまで言って、雪菜は言葉を詰まらせ逡巡したあと、

「――犯人を見つけてしまったんですよ」

 もう一度。

 俺の部屋に来るきっかけになったそれを口にした。

「……いちおう聞いておくが、マジだよな?」

「はい。――しかし、警察に通報することは出来ませんし、期待もできません」

「どうしてだ? ……もしかして警察が圧力をかけられてるって話にも関係あんのか?」

「そうですね。今の私に正確な情報を期待するのは酷ですが、大体の動きは分かります。士狼さん、覚えていますか? 過去に、陰陽師を初めとした霊能者を取りまとめる組織があると説明したことを」

「覚えてるぜ。確か――」

「――青天宮せいてんぐう。古くは鎌倉以前からみやこの霊的守護を担ってきた機関です。もちろん、と言っては差し支えがあるかもしれませんが、日本政府にも正式に認知され、公認されています。そして青天宮は、とある特殊な状況下においてのみ、超法規的な措置を取ることが許可されているのです」

「話が長えな。結論から言ってくれ」

「まあ最後まで聞いてください。これは犯人の心当たりとも関係があります。……青天宮は、悪霊や妖といった”異端”をきっかけとする事件が国内で発生した場合において、正式に動き出します。もちろん警察や自衛隊などは、しょせん人間を相手取ることを前提とした組織です。青天宮は彼らの捜査や出動など認めないでしょう」

 ようやく――話が見えてきた。

 雪菜の語った話がすべて真実だとするならば、だ。俺の手元には必要な情報が揃い尽くしたことになる。

 つまり今回の事件の犯人は――

「十中八九――いえ、確実に悪霊や妖の類でしょうね。事実、私もそれらしき残滓を昨夜に確認しました」

 そう。

 人間を素手で引き千切るような存在――それは明らかに、人間じゃないのだ。

 少しまとめてみようと思う。

 この街で起こった猟奇的連続殺人事件の犯人――もはや”犯人”と呼んでいいのかさえ分からないが、ともかくソイツが人間を惨殺した。それも一人じゃなく、四人もだ。

 そして何かしらによってこの事件を知った青天宮なる組織が、警察に圧力をかけて動きを封じた。人間という個体としては脆弱な種族に、ソイツの相手は荷が勝ちすぎていたのだろう。専門的な能力を身につけた人間ならまた別だが。

 報道を規制していたのも、犯人が異端の存在だったからだ。悪霊や妖なんて、基本的には実在を疑われるいるんだ。もしもテレビで『犯人は妖怪ですっ!』と報じたところで、一体だれが信じるというのか。放送局をも巻き込んだ壮大なドッキリだと認識されて終わりだろう。

 ――現状は、まあこんなところだ。

「それで雪菜、俺たちはどうすればいいんだ?」

「そうですね。きっと家で大人しくしていれば、そのうち沈静化してくれると思いますけど。……ですが念のために、暦荘には強力な結界を仕掛けておきましょうか」

「……マジで汎用性高いな、お前」

「凛葉を名乗る者としてはこれぐらい当たり前ですよ。――まあ、私たちはのんびりとしてましょう。すぐに終わりますよ」

 何事もなければ――と。

 雪菜はすでに温くなったお茶を飲みながら、そう付け加えるのだった。

「だよな。そうそう厄介事ばっか起こってたまるかって話だよな」

「ですです。青天宮はぱないですからね」

 二人してあははーと笑う。

 ひとまずは安心してよさそうである。昨日の夜、シャルロットを思わず泣かせてしまうぐらい、殺人事件の話をしてやった。アイツは「そ、そんなの絶対ウソだよっ。……作り話、だよね?」と不安げに言っていたのだが、どうもシャルロットの願望が現実になるようだ。

 ――このまま何事もなければ、と注釈がついてくるのだが。

 俺はその日、久しぶりに神様だか悪魔だか、とにかく願いを叶えてくれそうな何かにお祈りをしたのだった。




****




 その日のこと。

 彼女はいつもどおり会社での仕事を終えたあと、週末ということもあって、同期の友人と飲みに行くことになった。

 別にめでたい事があったわけではない。だが休日を控えていた彼女は気分が良かったのだろう。財布の中身がやや心許なかったのにも関わらず、二つ返事で了承したのだ。

 気心の知れた友人と騒ぐのは何とも言えない爽快感があった。アルコールを摂取した身体は走り出そうとする車のようにギアが上がり、歯止めなど到底利かなかった。美味しいモノをたらふく口にして、まだまだ足りないと酒を呷る。

 ――じゃあね、気を付けて帰りなさいよ。

 それは午前二時を過ぎたあたりだったか。彼女らはそろそろ頃合だと解散することにした。

 当然この時間帯に電車は動いていない。だから彼女の友人はタクシーを使うことになった。

 赤くなった頬で、車内から手を振る友人の姿が遠くなる。黒い車両は闇に紛れるようにして走行し、目印だったテールランプがかき消えると同時に、彼女も背を向けて歩き出した。

 すでに夜も相当に深い。月が照らす影絵の街を歩いていく。

 アルコールで薄く上気していた頬は、いつしかしんと冷たい寒気によって赤くなっていた。思わず身体がぶると震える。彼女はコートの襟を閉めて、マフラーに口元を埋めるようにして先を急いだ。

 彼女の自宅はここから比較的近い場所にある。電車で三駅もかかる友人とは違い、立地的条件には恵まれていると言えよう。

 それも当然、彼女が暮らしているのは一人暮らし用のマンションなのだから。つい一年程前にローンを組んで買ったのである。それなりにエリートの彼女ならば十分に払える額だ。将来を視野に入れて考えると、その選択は悪くないものだ。

 二十代半ばを過ぎた彼女には、将来を誓い合った相手など以ての外で、そもそもで言えば恋人すらいなかった。彼女のルックスは平均的な女性と比べても美しいものだったが、恋愛経験があまり無いのは、昔から勉強一筋だったからだ。恐らく兄妹が多かったものだから、何か他人には負けないモノが欲しかったのだろう。

 学生の頃にも幾度か交際を申し込まれたが、その全てを思案する間もなく断ってきた。勉強に夢中だった彼女には、恋にうつつを抜かすヒマなどなかったのだ。おかげで優良企業に採用してもらえたが、しかし。

 ――結果として、それを後悔することがある。

 何のしがらみもない学生の時分に恋愛をしなかったものだから、社会人になって、異性との接し方がいまいち分からない。自慢ではないが、彼女はつい最近にも男性から食事に誘われたりもした。……もちろん断ったが。

 社内でも密かに人気がある――とは友人の談だったか。その気になれば恋人を作るぐらいは容易だろうけど、あと一歩を踏み出す勇気がどうしても持てなかった。

 もしかしたら一生独身で終わってしまうかもしれない、と考えることがたまにある。いちおう結婚願望はあるし、子供も男の子と女の子の二人欲しいと思っている。……けれど、どうにも実現できそうにない未来である。

 そんな経緯があって、彼女は小さなマンションを購入したのだ。この先、独り身でも大丈夫なようにと。やや寂しい保身行動ではあったが。

 彼女の自宅はここから徒歩で十五分程度のところにある。駅からは微妙に遠いものの、まあ自転車を使えば容易い距離だ。近所にはコンビニエンスストアもあって、彼女なりには気に入っているのだ。

 ――しばらく歩き。

 市道には驚くほどに人気がなかった。まあ時刻は午前二時、いわゆる草木も眠るとされる丑三つ時なのだから、それも当然だろう。むしろこの時間帯に出歩く人間のほうが稀だ。

 しかし今は週末なのだ。たとえ深夜と言えど、まったく誰ともすれ違わないというのは異常ではないだろうか。事実ほんの少し前までは、ちらほらと泥酔したサラリーマンが見受けられたというのに。

 そういえば誰もいないわね――と、彼女が意識した途端に人が消えたようにも思えた。まるで化かされた気分だ。

 誰でもいいから会いたいな――と、彼女が無意識に誰かの姿を求めたのがきっかけ。まるでこの夜の街に自分一人が取り残されたかのような錯覚を覚える。

 コツコツ。

 パンプスが路面とぶつかるたび、小気味良い音が響く。本来ならば雑踏の喧騒に紛れて聞こえないそれは、無人の空間において唯一の音となる。

 ふと想起――彼女がようやく不気味に思い始めたころだった。さきほど友人と酒を飲んでいるときに、冗談交じりで交わした会話が脳裏をよぎる。

 曰く、最近この街で人知れず誰かが殺されたらしいとの話。遺体は見るも無惨な姿だったそうで、さらに被害者は一人ではないという。なぜ『らしい』等の曖昧な推定の言葉を用いたのか――理由はひどく簡単である。テレビやインターネットなどの媒体では、一切報道されていないから。

 地方新聞の片隅には小さく載っていたらしいが、新聞を取っていない彼女には真相を確かめることは出来なかった。しょせんは噂話のレベルであり、酒の場では怪談としてもってこいの話題。

 つまり。

 彼女にとって、その殺人事件はあり得てはいけない夢物語のはず。

 だから。

 彼女の背後――闇に紛れるようにして、何者かが追ってきていたとしても、それは絶対に気のせいでなければならない。

 そして。

 彼女の歩みが足早になり、歩幅が広くなって、果てには走り出したとしても、それを逃走だと定義してはいけないはず。

 ――声が――聞こえた――

 運動には適していると言えないスーツを着て走る彼女が、背後から何者かの声を聞いたのだ。……否。果たしてそれは、何かと表現して正しいのか。だって聞こえてきた声は、明らかに人間とは思えない――まるで獣の如き咆哮だったのだから。

 ――はあ、はあ、はあ、はあ……!

 不気味が恐怖へと変わったころ、彼女はすでに全力で疾走していた。大量の酒を飲んでしまっていたせいで幾分の気持ち悪さはあったが、本能が下す命令の前にはすべて無意味。

 逃げなければ■される――という無意識下での理解。幼い頃から勉学に励み続けた優秀な頭脳が、僅かな可能性も見逃さずに、最悪の未来を思い描く。

 走る。

 ――ついてくる。

 走る。

 ――追ってくる。

 こけた。

 ――舌なめずりの気配。

 立ち上がって走る。

 ――どこまでもついてくる。

 それは繰り返しだった。

 どこを探しても逃げ場などない。自分の家に向かっていたはずの彼女は、いつしか人気のない路地裏に辿り着いていた。道を間違えたのではない。ただ、追い込まれた・・・・・・のだ。

 逃げて逃げて走り続けた先――見つけたのは安全な場所ではなく、行き止まりを示す背高い壁だった。

 諦めきれず、薄汚れた壁をドンドンと叩く。あまりに強く叩きすぎて昨日整えたばかりの爪が割れたが、まったく気にならなかった。そのような些事など、命に比べたら蟻のように小さい。

 それは彼女が、冬にも関わらず額から流れ落ちた汗を拭ったときのこと。

 ――背後から。

 ――何か。

 ――聞こえたような。

 振り向く。

 そして後悔した。

 ――ああ、見なければよかったなぁと。

 彼女の視線の先――明らかな異形が立っていた。贔屓目に見ても人間とは思えない。身長は恐らく二メートルを優に超えるだろうし、体重は一五〇キロ以上に達するだろう。体には何も纏っておらず、赤黒い筋肉は恐ろしいまでに盛り上がり、頭部には二本の角が生えている。その姿はまるで、彼女が幼いころに伝え聞いた――"鬼”と呼ばれる存在に酷似していた。

 声さえ出ない。しかし悲鳴を上げるヒマがあるなら、その分の命令を全て呼吸に回すだろう。あまりの恐怖と非現実に、彼女は呼吸をすることさえ至難だったのだから。

 逃げ延びようと足掻くことさえ許可されない。彼女が現実を受け止めようとする僅かな間に、異形は筋肉の発達しきった腕を振るう。

 明確な形のない空気や風さえも切り裂き、劈く音はどこまでも暴力的だった。事実、服に掠っただけにも関わらず、彼女は身体を吹き飛ばされた。背後にあった壁に勢いよく衝突し、やがてまもなく意識を失う。

 その場に立っているのは、異形だけ。

 恐らく――今から数えて三十分後には、この場に五件目の遺体が転がっているだろう。

 異形の口元が凄惨に歪む。ニタリと。あまりの興奮にヨダレさえ垂らして。

 ――そしてそれは、異形が彼女の服に手をかけた瞬間のことであった。

 バチッと鋭い音がした。空間の端々には青白い電気のようなモノが流れ、カタチのない閉鎖空間が編まれていく。――結界。

 異形が第三者の気配を察知し、索敵を開始したのと同時――ヒュンと何かを振るう音がした。次の瞬間には中空に紅い血液が噴き出し、異形の腕が宙を舞った。

 新たな犠牲者を増やす間もなく、異形は蹲って痛みに耐える。

「――まったく」

 路地に声が響いた。つられて声がしたほうを見た異形は――その男を見つけた。

 十代後半程度のやや幼さを残した顔立ち。真黒の学ランに身を包み、黒髪はハリネズミのように逆立っている。一見してただの学生に見えなくもないが、その手には――何か、長柄のモノが握られていた。

 それは形状だけで見るなら、一般的な日本刀に近い。しかし刀身だけでも三尺はあろうかという長さと、なにより――黒いはずの鞘は、退魔の力を有する白い札が百枚近く貼られており、一見しただけならば白色に見える。

 少なくとも現代日本の男子学生が、日本刀を所有していることはあり得ない。

「見境が無さすぎるんじゃね? ちょーっと調子に乗りすぎだよ。俺っちなんてわざわざ学校休んで来てるってのによ」

 狼狽する異形をつまらなさそうに一瞥し。

 男は真白の鞘から刃を抜き放つ。

 ――瞬間、空気が変わる。細長い刀身には梵字のようなモノが刻まれており、そして――紫色の光を放っている。否、アレは何か・・が刃に渦を巻いているのだ。結果として、刀身は陽炎に包まれたようにあやふやにしか視認できない。

「じゃ、死ね」

 日本刀を振るう。距離にして十五メートル以上は離れているというのに、男はその場で刀を振るったのだ。知らない者が見れば茶番のようにしか見えないだろう。

 事実、嘲笑するように異形が口元を歪めた。

「はい終わりっすー」

 金属が触れ合うような音がして、男が日本刀を鞘に収める――と全くの同時。

 異形の体が、口元と同様に歪む。――否、上半身と下半身が少しずつズレていく。赤い血が溢れ出し、腰から上が地面に落ちた瞬間――異形は完全に祓われた。

「……ようやく一体目か。家柄的に仕方ないけど、青天宮ってホント融通利かないなぁ。まあギリギリ間に合ったし、よしとするか。……て、うおっ! めっちゃ美人じゃん! まあ我が愛しのマイハニーには敵わないけど。……でも。お、お持ち帰りしていいかな?」

 男は日本刀を竹刀袋のようなモノに入れていく。その袋にも、鞘と同様に数え切れないほどの退魔札が貼られていた。その刀の名を、彼はこう呼ぶ。

 ――妖刀”大禍時おおまがとき”。

 ざわりと感覚。肌が毛羽立つこの感じは、間違いなく。

「……まだ。もっと強力なヤツがいる――」

 男は気を失った女を抱きかかえたまま空を見上げた。

 ――ここに一つの命が救われたのだった。






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