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けれど、狼と吸血鬼  作者: ハイたん
第三月 【ずっと、一緒】
41/87

其の九 『銀貨』①

 なんでか知らないけど、私の目の前には士狼がいた。

 そしてこれまたなんでか分からないけど、すんごく優しそうな笑みを浮かべている。

 ――ダメだダメだっ、あんな顔が見つめられたら、ドキドキして頬が真っ赤になってくる。

 内心で葛藤している私を、士狼がゆっくりと、優しく抱きしめた。

 ――えええええええええええ!

 とりあえず叫んだ。もちろん心の中で。私は淑女なんだから、男の人の前で大声なんて出さないのだ。

 心臓が破裂しちゃうんじゃないかと思うぐらいに高鳴っている。体中の血液が沸騰して、比喩じゃなく本当に燃えてしまいそうだった。

 シャルロット――珍しく柔らかい声で、士狼が私を呼んだ。

 視線が絡まる。

 気付けば瞼を閉じていた。だってさ、男女がこうして抱きしめあってさ……なら、次にすることなんて決まっているじゃないか。

 私にはもう何も見えてないけれど、士狼の顔が少しずつ近づいてくるのが分かった。

 ――ああ、こんなことになるなんて。まさか夢だったりして――

 そう、頭の隅で考えた瞬間だった。

 視界が消失し、身体がふわりと浮き上がる。

 なんとも言えない感覚が身を包み、五感がクリアになっていく。

 ――私は恐る恐る、瞳を開けた。

「……あれ?」

 さきほどのロマンチックな雰囲気など一ミリもないような無骨。

 目の前には大きな鉄鋼がいっぱい積んであって、周囲には眩しい位の若緑が茂っている。ありがたいほどに豊富な自然だ。

「……あはは、夢――だったんだぁ……うん、そうだよね」

 自分に納得させるように呟く。

 ――それもそうだ。暦荘を出て行った自分に、士狼があんな優しく微笑んでくれるはずがない。もう私たちは――他人なんだから。

 それにしてもここはどこだろう。なんだか工事現場っぽいような気がする。そういえば私の右斜め後ろぐらいにうず高く建設しているアレは、マンションだったりするのだろうか。だって向こうの看板に、オール電化マンションとか書いてあるし。

 ぼんやりとした頭で考える。すると、なんとなく既視感があった。私はつい最近にもこの光景を見たことがあるような。

 ふらふらと好奇心に誘われるようにして、私は寝転がった身体を起き上がらせようと――

 じゃらり、と。

 身体を動かした瞬間、なにか金属の戯れるような音を聞いた。

「――あれ?」

 今度こそ本当に首を傾げる。

 なぜだろう。なんだか知らないけど、私の身体に銀色の鎖がたくさん巻き付いている。しかも両手は背中に向けて回されて、私の見えないところで縛られている。気のせいじゃなければ、これって拘束されているような。

 寝惚けていた頭に喝を入れられた気分だった。少しずつ、現状のおかしなポイントが浮き彫りになっていく。

 まず私は今まで何をしていたんだっけ――むむ、と記憶を手繰る。暦荘を出て、一人で適当に街をぶらついて、何もかもがイヤになって、ニノと出会って――

 ――そうだ、ニノだ。あの赤い髪の女の子だ。冷酷に職務を遂行する兵士のようなことを言うくせに、どこか捨てられた子犬みたいな顔をした子だ。頭にピョコと生えた獣耳がとても可愛くて、一度でいいから触ってみたいとか考えて――違う。

 そういえば、私はニノと闘っていたはずだ。問答無用で襲い掛かられて、なんだか知らぬ間に劣勢になって、気付けばペンダントが飛んでいって――

「っ――!」

 息を呑む。

 私はすぐさま胸元を確認した。

「……ふいぃ、良かった良かったぁ」

 思わず脱力する。

 明確に何が起こったかは分からないが、とにかく子犬のペンダントは無事だった。士狼からもらった大切なプレゼント。これだけは、例え命に代えても無くすわけにはいかないのである。

 安心したところで、今度は私自身の身が気になった。

 包み隠さず正確に言うのなら、私はいま芝生の上でごろりと寝転んでいる。というよりも、銀色の鎖が身体を縛り付けていて立ち上がることができない。

 これでは動くことさえもできない――なんてことはない。なぜなら私は吸血鬼だ。いくら頑強な金属であろうと、私の手にかかればこれぐらい――

「っ――! ぅ、ぐぅ~!」

 まったく外れなかった。

「はあ、はあ……なにこれ。力が――出ない」

 身体が上手く動かせない。なんて例えたらいいのか。手を思い切り握り締めて、握力を使い果たし、感覚すら曖昧になった掌が今の私――とでも言えばいいんだろうか。とにかく本当に力が出ない。

 じゃらり、と鎖が音を立てる。

 そのまましばらく一人で暴れていた。真冬にも関わらず身体は熱を持って、額に汗が滲む。

 ――おかしい。明らかに何かがおかしい。この感覚って……そうかっ! きっと、しばらく血を吸ってなかったときと似ているんだ。気分はスッキリしているのに、身体だけ夢を見ているようにあやふやみたいな。

 でも私が最後に血を吸ったのは、それほど前でもなかったはずだ。少なくとも、こんなに身体が重くなるぐらいガマンなんてしていない。

 荒くなった吐息を落ち着かせようと、瞼を閉じて深呼吸する。そうだ、一度冷静になったほうがいい。

 私をこう鎖で縛り付けたのは、もしかしてニノの仕業だろうか。というよりも彼女ぐらいしか思い浮かばない。私が意識を失う直前、最後に見たのはあの赤い髪だったからだ。

 でも近くにニノの姿がない。だから咄嗟に彼女と結び付けられなかった。あんな嫉妬しちゃうぐらい綺麗な女の子に、この冷たい鎖なんて全然似合わないから。

「うーん、一体なにがどうなってるんだろ」

「――ふむ、それは質問ですか? シャルロットさん」

 なんともなしに呟いた一言に、誰かが答えた。

 キョロキョロと周囲を見渡す。……けれど人影どころか、野良猫の姿さえない。気のせいだったのか。

「ここですよ、ここ。よっと」

「え? ――わわっ!」

 また声がしたと思ったら、今度は空から人が振ってきた。しかも私の目の前に。

 ひらひらと木の葉が舞い散る。冬でも緑を茂らせるからには、きっと常緑樹とかいうヤツなんだろう。この前テレビで見たから知ってるのだ、えっへん。

「見ていて飽きない方ですねぇ、アナタは。ボクとしてはもう少し黙って観察していたかったのですが、どうもお困りの様子でしたので、伺いに参りました」

 その人は黒いスーツを着込み、頭にはつばの広い帽子を被っていた。

 あれ、と思った。だって私はこの人をどこかで見たことがあるような――

「――あああ! もしかして、ブルーメンで私と会いませんでしたっ!?」

「はい、お会いしましたよ、美しいお嬢さん。いやぁ覚えていてくださったんですね。これは光栄だ」

「やっぱりそうだったんだ。うん、スッキリした。でも私が覚えていたところで、何の意味もないですよ」

「いえいえ、光栄ですよ。なんと言っても、かの通称”悠久の時を生きた吸血鬼”の娘さんですからね。ボクなんかが気軽に並んでいいのかさえ疑問です」

「――え?」

 いま。

 この人は――なんて言ったんだっけ。

「あ、あのっ、いま……なんて」

「はい? ですから通称"悠久の時を生きた吸血鬼”の娘さんと言ったんですよ。それがどうかしましたか、シャルロットさん」

「えっと、あの、えっとっ……なんでそれを」

「知っているか――と? それは当然ですよ、ボクはアナタのことなら何でも知っています。たとえば……そうですね。さきほどまで随分と楽しい夢をご覧になっていたようだ」

 今度は違う意味で心臓が強く跳ねた。

 目が覚めたら違う世界にいたってぐらいに現状が意味不明なのに、私は顔が赤くなっていくのを自覚した。

「ぜ、ぜんぜん変な夢なんて見てないもんっ!」

 咄嗟に言葉を吐き出してから、敬語を忘れていることに気がついた。

 改めようとして――止めた。なぜって、この人は"もう少し黙って観察していたかった”と言った。それはつまり、この銀色の鎖によって囚われた私を何もせず・・・・見ていたということになる。少なくとも善意ある行動じゃない。

 私が現状で知りうる様々な要素を加味して推理したところ、こんな結論にたどり着いた。もしかして、私を鎖でぐるぐる巻きにしたのはこの人なんじゃないかって。

 だから少なくとも悪者の可能性がある人に、礼儀正しく接する必要なんかない。

「――ほう、変な夢など見ていないと。ふうむ、”キスしないで”とか、”そこはダメ~”とか言ってましたが」

「ウソっ!?」

「残念ながら本当です」

 かあ、と顔が熱くなる。

 私としたことが――吸血鬼でもっとも淑女であると謳われたこの私が。

 両手は封じられているけど、想像の手で頭を抱える。

「いいですねぇ、シャルロットさん。実に楽しいですよアナタは。吸血鬼であるはずなのに、吸血鬼であるはずがないような気さえします」

「……そんなことはどうでもいいよ。私はただのシャルロットだもん。それより聞きたいんだけど、もしかして私をこの鎖でぐるぐる巻きにしたのって貴方?」

「はい」

「なんで? 私は別に悪いことなんてしてないのに。……それにニノはどこなの? ていうか貴方だれ?」

「まあまあ、そう一度に聞かないでくださいよ。順番に答えましょう。――ああそれと予め言っておきますが、ボクは別にアナタを殺そうとは考えていませんのであしからず」

 柔和な笑みを浮かべて、男の人はそう言った。

 少しだけ安心する。正直、頭の隅っこのほうでは殺されてしまうんじゃないかと考えていたから。

「……そう。じゃあさ、なんで私って拘束されてるのかな。もしかして貴方って吸血鬼狩りの人?」

「動かれては面倒だからです。いやいや、彼らとは全く違いますよ」

「う――ハッキリ言うなぁ。もう一つ聞くけど、私の身体が上手く動かないのは、貴方が何かしたから?」

「そうですね。何かした――と聞かれれば、何かしたのかもしれません。とは言ったものの、身体に害のある行為は一切しておりませんのであしからず」

「ふーん、そうなんだ。それじゃあね、あの……ニノって女の子知らないかな? さっきまで私と一緒にいたと思うんだけど」

 私がその名を口にした途端、男の人はニヤリと口元を歪めた。

「――ああ。ニノ、ですね。当然知ってますよ」

「ホントにっ!? お願い、ニノに会わせて!」

「ふむ? 彼女に会って、どうするつもりなんですか?」

「決まってるもん。もう誰かを『殺す』なんて、絶対に言わせないんだから。だってニノ、凄く寂しそうな顔してた。……私のこと殺すって言ってたのに、すんごく寂しそうな顔で笑ってたんだよ? きっとニノはひとりぼっちなんだよ。だから――私がお友達になる。となりで笑ってくれる誰かがいるなら、ニノは絶対に――!」

「絶対に? 良識のある良い子にでもなると? ははあ、楽しいことを言いますねぇ。シャルロットさん、知ってますか? ニノが今までどれほど多くの命を奪ってきたか。罪のある者を殺すためならば、たとえ罪のない者であろうとも殺してきたんですよ。果たしてそんな彼女に、幸せになる資格などありますかねぇ?」

「っ――あ、あるよ、絶対に」

「ほう、その割には言葉に迷いがありましたね。ああ、もしかしてアナタも本心では分かっているのでは? ――あんな粗大ゴミに、なんの価値もないってね」

「……いまゴミって言ったの? っ、それ訂正して! ねえ、訂正してよっ!」

「やたらとニノの肩を持ちますね。詳細までは分かりませんが、アナタはニノに問答無用で襲われたのではありませんか? そして意識を奪われ、ボクの元に連れて来られた挙句、こうして無様に拘束されている。つまりアナタを苦しめる原因を作ったのはニノなんですよ? 分かってます?」

「そんなの知らないもんっ! 私はバカだから一人で勝手に居眠りしちゃって、そして偶然貴方に見つかっただけだもんっ! ニノは全然悪くなんてないんだからっ!」

「……イライラしますねぇホントに。あのクソゴミをそこまで擁護されると」

 口調こそ丁寧だったが、男の人は相当に苛立っているようだった。思わず竦んでしまいそうになるほどの禍々しい邪気。

 けど――私だって、苛立ちなら負けてない。

 だって放っておけないんだから仕方ないじゃないか。勘違いでなければニノは、私を『殺したい』んじゃなく、『殺さなくちゃいけない』と言ってた。それって――希望的観測かもしれないけど、バカみたいな邪推かもしれないけど、もしかしてニノは――本当は誰かを殺したくないんじゃないのか。それは言い過ぎかもしれないけど、誰かを殺さなくても生きていくことができるんじゃないかと思う。だって、あんなに可愛いんだもん。

 あのときニノが震える声で言ったんだ。……パパとママがって。どこからどう見ても、それは――別離した人たちを想う声だった。

 そのひとりぼっちの小さな身体を見て思ったんだ。ああ――この女の子は、きっと昔の私なんだって。ただ『生きているだけ』なんだって。その過程で、私は人の血を吸って、ニノは誰かを傷つけた。それはただ、そうすることでしか私たちは生きていけなかったから。

 色々と自分なりに考えたところで、正解かどうかは知らない。もしかしたら私の想像は全部外れているのかもしれない。

 ――だからこそ、ニノに会いたい。会って、もう一度話をしたい。しなくちゃいけない。だって私はまだ、ニノの本当の気持ちを聞いていない。あんな寂しそうな顔でなにを言われたって私は信じないんだから。『殺す』なんて、友達だったら気軽に言うこともあるじゃない?

 ああ、そう――

 かつて私に手を差し伸べてくれた士狼のように――今度は私が、ニノに手を差し伸べよう。

「――ゴミなんて言わないでよっ! ニノはそんな風に言われるような、悪い女の子じゃないよっ! もしもニノが悪い子だったとしても、絶対に私が反省させてみせる。そして一緒に、誰よりも幸せそうに二人で笑ってやるんだから――!」

「…………へえ」

「ニノが許されないだけの罪を背負ってたりしたら、私も一緒に背負う。ニノが責められるだけの罰を背負っているのなら、私も一緒に受ける。――ニノが幸せそうに笑うなら、私も一緒に笑う。ニノが友達が欲しいっていうのなら、私が友達に――」

「……ペラペラと、つまんねえことほざきやがって」

 小さく呟くような声。

 男の人が帽子のつばを指で持ち上げる。

 ――ゾクリ、と。

「――っ」

 その禍々しい金色の瞳と目が合った瞬間、私は肌が泡立つのを感じた。

 本能的な恐怖。蛇に睨まれた蛙や、猫に追い詰められた鼠は、きっとこんな気持ちなんだと思った。

「――グダグダうっせえぞクソガキぃ! てめえ調子乗ってんじゃねえぞ、ああっ!? 雑魚がオレ様に意見してんじゃねえ! あんさぁ、てめえの命はオレ様が握ってんの、分かる? あんまりアホみてえなこと言ってんと、足の一本ぐらい引き千切んぞ」

 スーツのポケットに手を突っ込み、威圧するようにして私を見下ろす。

 ……ダメだ。目を逸らしちゃいけない。私は何も間違ったことなんて言ってないんだから、自信を持って胸を張るべきだ。

「……オイ。なんだぁ、その目」

 ギリと歯をかみ締めて、男の人は足を振りかぶった。

 そして勢いをつけて、私の鳩尾に靴のつま先が打ち込まれた。

「痛っ――う、っ」

 息が詰まる。刹那の間、呼吸が停止する。

 必死に痛みの波に耐えていると、今度は髪を強く引っ張られた。頭がぐいと持ち上がる。

「痛いっ!」

 男は私と同じ目線になるように、腰を下ろした。

「てめえよぉ、殺すぞ? マジで」

「……ふん」

 乱暴に引っ張られる髪が凄く痛いけれど、負けたくないと思って、私はなるべく不遜な態度を取った。

 ――次の瞬間、頬に平手が打たれた。

 あまりの衝撃に、私の身体が浮いた。

「ぐっ――! い、たっ……」

 頬の感覚がおかしい。

 冬の凍てつくような寒気も相まって余計に痛かった。

「ケっ、クソガキが。甘くすりゃその分だけ増長しやがる」

「……ぅ、ねえ……っ、訂正して、よっ!」

 瞬間、金色の瞳が私を見た。

「――マジで死なすぞ、てめえ」

 パチン、と指を鳴らす。

 きっとそれが合図だった。私の身体に巻きついていた鎖が、意思を持っているかのように、きつく締め上げてきた。

「っ――! ぐ、あ――ぅ、っ!」

 声が出せない。

 ――力が封じられていく。まるで血が抜かれていくみたいだ。なにか得体の知れないモノが、”シャルロット”という私を侵食していく。

 気持ち悪い。

 気持ち悪い。

 気持ち……悪いっ!

「あ……っ、ぐ――!」

 マズイ。根拠はないけれど、これはとにかくマズイ。

 この銀色の鎖は、絶対に私が触れちゃいけないモノだ。理屈じゃなくて本能が、これでもかと警鐘を鳴らしている。

 なんとか逃れようとするが、力が入らない上に、身体をこうも拘束されてはそれも適わない。ただ黙って耐えるしかなかった。

 気が狂いそうになる。”痛い”というよりも、ひたすらに”怖い”。なんか上手く言えないけど――このままじゃ、私という存在が消えてしまいそうな予感があった。

「おっとっと、ちょいとやりすぎたかね」

 パチン、と指を鳴らす。

 鎖の拘束が弱まった。

「んー? あらら、相当参っちまったみてえだな。さすがのてめえも、銀貨アルジェント二つで封じられちゃたまんねえか」

 ……ようやく、あの意味の分からない苦しみから解放されたのに。

 私はもう声を出す気力もなく、ただ黙って男を見上げることしかできない。唇の端からよだれさえ垂れたが、拭う元気もない。意識を手放さないようにするので精一杯だった。

「さて、と。アイツらも来る頃だろうし、そろそろ本腰入れるか。下準備はうざってぇほどやったし、これでロリババアもしばらくは気付かねえだろ」

 男は気味悪く笑って、私のお腹を蹴りつけた。

「っ――あっ!」

「せいぜい苦しめや。なあ? シャルロットちゃん。本気出さないと死んじゃうかもよ? いつまで抑制されてるつもりだよ」

「……? よく、せ――い?」

「ったく。通称”悠久の時を生きた吸血鬼”も面倒なことしてくれたもんだぜ。そこまで自分の娘が可愛かったのかねえ? 過保護にも程があるわ、あの忌々しいタコ吸血鬼が」

 私を縛っている鎖、その先端を持って男は歩き出す。地面を引きずられていく。

 やがて小さな広場みたいなところに辿り着いた。

「――へえ、これはこれは。ナイスタイミングってヤツだなぁ」

 虚空に向けて呟く。

 私は言うことを利かない身体に鞭を打って彼方を見た。


 ――遠く。

 そこには。

 なんだか怒ったような顔つきをした士狼と、かつて見た吸血鬼狩り二人の姿があった。




****




 俺たちが暦荘を出発する直前、ニノが言った。

 ――ウチのパパとママね、ミカヤに殺されたんだ。

 本当にそれだけ。前置きもなければ脈絡もなかった。仇を取ってくれとも、憎いとも悔しいとも言わなかった。

 だから何も言い返さなかった。ただ黙って頷くことによって、彼女の意思を汲んだ。

 とてもではないが、ニノは満足に動ける状態ではなかったので、俺の部屋に置いていくことにした。ウチも連れていって、と言ってきたのだが、ダメだと一言返すと、途端に大人しくなった。その物分りの良さが、俺にはなんとなく寂しく思えてならない。

 それが数十分前の出来事。

 ――絶対に、シャルロットを連れ戻してやる。




 

 気持ちのいい風が吹いていた。冬ということもあって肌寒いが、それを含めても、風が気持ちよかったのだ。

 工事現場のバリケードを乗り越え、マンションの敷地内に入る。ハッキリ言って、中は普通に広い。どこまで贅沢にスペースを使えば気が済むのか、景観はその辺にある自然公園みたいだ。俺たちの眼前には、冬のくせに生い茂った若緑と、向こうに鋼鉄の骨組みが見える。

 人気のない夜だが、全く無音というわけでもなかった。風が木々を揺らす音、アスファルトを踏みしめる靴の音、ついでに言えばロイの日本刀がさっきからカチャカチャとうるさい。

 文句を言ってやろうかと思ったが止めた。俺には今、何よりもぶん殴らないといけない野郎が他にいるから。

「――ようこそ、わざわざご足労ありがとうございます――ってか? ハーッハッハッハ! いやぁ、そんなに怖い顔すんなよ。粋がってるように見えんぞ」

 勘に触る笑い声。

 俺とカインとロイの対面。

 距離にして三十メートルほどは離れたその場所に、ミカヤと――そしてシャルロットの姿があった。

「っ――! て、めえ――!」

 怒った。

 他に言葉はいらない。ただ怒ることしか出来なかった。

 ミカヤの足元に倒れているシャルロットは、その全身を銀色の鎖で縛り付けられ、さらに――明らかに暴力を振るわれた形跡が見られた。服は薄汚れているし、後ろで一つに結われた金色の髪は結び目がおかしくなっているし、頬は強く打ち付けられたかのように赤く腫れている。

 しかも目に見えて分かるほどに衰弱している。憔悴しきった顔からは生気が感じられない。さっきから俺と何度か眼が合っているはずなのに、これといった反応を示さない。……恐らく、声を出す力すらもないんだ。

「おいっ! てめえシャルロットに何しやがったっ!?」

 ぶん殴ってやらないと気が済まない。頭の中が憤怒によって真白になっていく。

「落ち着いて、士狼。――あの鎖のせいです」

「鎖だと?」

 カインが顎であれを見ろと促す。

「詳しい説明は省きますが、あの純銀の鎖には吸血鬼を封じる効果があります。というよりも吸血鬼を封じる効果しかありません。それ故に、対象が”吸血鬼”であるのなら――たとえシャルロットであろうと、ミカヤが命じるだけで簡単に殺せます」

「……つまりあのバカ吸血鬼があそこまで弱りきってるのは、暴力を振るわれたからじゃなくて、ただあの鎖に触れてるせいだってのか?」

「ええ。私は吸血鬼の気配を感じ取ることができますが、目の前にいるシャルロットからは全くといっていいほど力を感じません。しかしそれが死に直結するわけではない」

 ミカヤの気が変わらないのなら、とカインは言葉を足した。

 つまりシャルロットの命は今、あのクソみたいな野郎に握られてるってことだ。実に分かりやすい。

「安心しろや、別にこのクソガキを殺すつもりはこれっぽっちもねえからよ」

 肩を竦めて、ミカヤはシャルロットの頭を踏みつけた。

 荒く呼吸を繰り返すだけだったシャルロットに変化が見られた。声には出していないが俺には分かる。――アイツは今、痛いって言ってるんだ。

「ん? ――おっとっとぉ、そうカッカすんなよ」

 俺が駆け出そうとした瞬間、ミカヤが足を退ける。

「……てめえ、なにが目的だ」

「さあ? なにかな?」

「とぼけやがって、ぶっ殺してやろうか」

「あん? ……ああ、別にそれでもいいかねぇ」

 どこか投げやりに言って、パチンと指を鳴らす。

 するとミカヤの影から、不吉なまでに黒い狼が出現した。影そのもので出来たみたいな漆黒の狼だ。どういう原理か、あんな薄っぺらいところから現れたにも関らず、きちんと質量を持っている。

 咄嗟に俺たちは身構えた。

「うーん、ぶっちゃけオレ様にもどうすればいいのか分かんねえんだよなぁ。本当はこのクソガキを盾にして、てめえらを少しずつ嬲ろうかと思ってたんだが、それもなんだか効率が悪そうだ。だからとりあえず殺し合ってみますかぁ? お三方」

 口調の軽さに反して、ミカヤは真実現状に窮しているように見えた。

「……戦闘は望むところですが、いかんせん多勢に無勢です。それでも構わないと?」

「オッケーだよカインちゃん。珍しく今日はオレ様がちぃとだけ本気出せる日だ。てめえらまとめて遊んでやるよ」

「――っ」

 なんとなく不気味だった。上手くは言えないが、解せない。

 もし俺たちを殺したいだけならシャルロットを盾にすればいいし、シャルロットが目的だったのなら俺たちを避けて街を出ればよかったのに。

 本当に意図が分からない。一体コイツは何がしたくて、何をしようとしているのか。殺し合いを了承したのだって、どこか打算的な感じが見られた。

 ……こちらとしてはまだラッキーな展開だが、不明瞭な要素がある分、素直に喜べない。ミカヤはまだ俺たちの知らない秘密を知っている、もしくは切り札の類を持っていて、目的はもっと他のところにあるんじゃないかって――

 とにかく今は余計なことを考えてる場合じゃない。

「おいカインに白髪野郎、どうするよ」

 ロイが問う。

 俺たちと対峙しているのはミカヤだけじゃない。あの影で出来た気色の悪い狼だっているんだ。明らかに普通の狼じゃない。少なくとも化物を相手にする覚悟で臨んだほうがいいだろう。

 殺し合うに際して、分担が必要だった。

「言っておくが、俺は絶対にあのクソ野郎をやる」

「私もミカヤを」

「俺も――」

 ロイが口を開いた瞬間、俺とカインの視線が突き刺さる。

「……はいはい分かりましたよ。お前ら二人好きにしやがれ。俺はさっきから元気よく唸ってるあの狼ちゃんの相手でもすりゃいいんだろ。あんなのすぐにぶっ殺して加勢してやるからよ」

 首を振って、日本刀を構える。

 俺たちのやり取りを黙って見ていたミカヤが、パンと手を叩いた。

「あー、そうそう。悪いけどそこのミジンコ。てめえ素手で頼むわ。その日本刀は適当に捨てとけ」

「んだとっ! マジかよっ!?」

「あっれー? もしかしてその刀が無けりゃ闘えないってか? さすがはミジンコだ。雑魚さがハンパねえな」

「――チ、分かったよ。捨てりゃあいんだろ、捨てりゃあ」

 乗せられたわけではないが、ロイが日本刀を少し遠くに転がした。

 挑発など関係なく、今のミカヤに逆らうのは上手くない。アイツがシャルロットの命を握っている以上、下手に刺激しては取り返しがつかなくなる。

「……ロイ、平気ですか」

「あったりまえだ。素手だって、狼ごとき屁でもないぜ」

 簡単に言うが、容易くはない。

 人間が素手で渡り合える動物は、およそ体重にして三十キロほどまでと言われている。ロイは確かに純人間としては強力だが、その実力も、日本刀という得物が無ければきっと半減される。しかも相手はそんじょそこらの狼などではないのだ。

 俺の目から見ても、やや分が悪いことに変わりはなかった。

「俺のことはいいからよ、カインと白髪野郎はアイツをなんとかしろ」

「言われるまでもねえよ、ハゲ」

 そう言葉にすると、ロイはふっと笑って俺の背中を叩いた。

「頼むから死ぬんじゃねえぞ、白髪野郎。お前の情けない断末魔なんて聞きたくないからな」

「あん? そりゃあどう考えても俺の台詞だろうが。俺には五分後ぐらいに、お前が狼の腹に収まってる光景しか思い浮かばねえ。だからせいぜい気張ってくれよ」

 互いに悪態をついて、俺たちは距離を取る。

「ん? あら、準備できた? いやぁ、てめえら話が長いわ。待ってやってるオレ様のこともちっとは考えてくれや」

 ポケットに手を突っ込みながら、ミカヤが大げさにため息をついた。

 やがて言葉が無くなる。

 俺とカインが並んで立ち、その前方には余裕の笑みを浮かべてミカヤが突っ立っている。

 少し離れたところでは、ロイとあの影で出来たような狼が、互いに牽制し合っていた。

「――さあて」

 最後、俺たちと対峙していたミカヤが、シャルロットに向かって何かを呟く。

 憔悴しぼんやりとしたシャルロットは、その言葉を聞いた途端に双眸を見開いて、身体をぶると震わせた。

「――殺るかぁ」

 それが合図だった。

 俺とカインがコンマの間に距離を詰める。ふと見ればロイも同様だった。

 ミカヤは俺たちが肉薄して尚、ポケットに手を突っ込んだまま動きを見せない。

「んー、いい殺気だねえ」

 帽子を押さえてニヤリと笑う。

 こうして今宵、最後の決戦が始まった。




****




 ――全部てめえのせいだ。分かるかー? 全部てめえのせいなんだよ。


 私の耳元で囁かれた言葉。

 ズキン、と心臓が締め付けられたかのように痛んだ。

 反論しようにも声が出ない。それになんだか眠かった。瞼を閉じないようにするので精一杯で、気を抜いたとたんに意識が飛んでしまいそう。


 ――なあ、シャルロットちゃん。お前と出会ったせいで、お前が頼ったせいで、お前が誰かを求めたせいで、その人間はどうなった?


 再び、ズキンと心臓が痛む。

 いつもは涼しい顔をして、煌びやかな和服を着ている雪菜が――泣きそうになるぐらい、全身に怪我を負ってた。雪菜は女の子なのに、あんな風にされていいような子じゃないのに。

 いつもは楽しげな顔で、女の子に声をかけて回る周防が――死んでしまいそうなぐらい、重傷を負った。千鶴を庇って、お腹に大きな怪我を負ったんだって。なんだかんだ言っても、やっぱり周防はみんなを大事に思ってるんだね。

 つまりそれも全部。

 私の――せい?


 ――いいのかぁ? てめえのワガママに大事な人間を巻き込んで。いい加減に目を覚ましたほうがいいんじゃねえ?


 私が……いたから。

 ひとりぼっちなんてイヤだって、せめて誰かと一緒にいたいって、そう望んだから。

 帰る家が欲しい、優しく笑い合える家族が欲しい、ただいまって言いたい、おかえりって言われたい、ずっとずっとみんなと一緒にいたい――

 ねえ、神様。

 これってそんなにいけないことなのかな。

 ただのなんでもない、人並みの生活も望んじゃいけないのかな。

 誰かと一緒に笑ってちゃいけないのかな。

 やっぱり私は――ひとりぼっちじゃないと、ダメなのかな。

 

 ――目を覚ませ。現実を見ろ。そんで枷を取り外せよ? なあ?


 瞳からは涙が溢れた。

 声も出ず、呼吸するのだって意識してないと忘れそうで、身体に至っては指一本動かせない――それなのに涙がこぼれた。

 さっきから士狼の声が聞こえる。……けど、なにを言ってるか分からない。耳は士狼の声を捉えてくれるけど、頭の中がきちんと認識してくれないんだ。

 なんで士狼はここに来たんだろう。あ、もしかして私に言いにきたのかな。「お前がいたから全部おかしくなったんだ。だから消えろよ」とか、「顔も見たくねえから、もう暦荘に帰ってくんな」とか。うん、きっとそうだ。だってさっき薄っすらと見えた士狼の顔、とっても怒ってたから。

 ああ。

 やっぱり私に帰る家なんてなかったんだ。


 ――見てろよ。バカみてえにてめえを追っかけてきた白い狼が、てめえのせいで苦しむんだ。今からアイツらが苦しむのは全部、なにもかもお前のせいだ。


 士狼が――私のせいで……?

 ズキン、と心臓が今までになく痛んだ。

 絶対にイヤだった。士狼が私のせいで傷つくのなんて見ていられない。私のことなんてどうでもいいから、別にわざわざ直接言われなくても私は消えるから、早く逃げて。

 今度はドクン、と心臓が跳ねる。心の奥底から厭な感情が湧きあがってくる。確かこの感じ……前にもどこかで。

 さっきから身体がおかしい。心もなんか変だ。心臓がじゃじゃ馬みたいに暴れて、体中の血が沸騰してしまいそうなほどに熱い。

 このままじゃいけない。理由は分からないけど、なんだか良くない気がする。……だから士狼、ここから離れたほうがいいよ。私みたいないらない子は、一人で勝手に死ぬから。ちゃんと死ぬから、安心してよ。だから逃げてってば。

 ねえ? 私がいたからダメだったんでしょ?

 だったら――

 私なんて。


 ――いらないよね。



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