其の四 『暦荘』
まず始めに断らせていただくと、私は吸血鬼だ。
久しぶりに見た日の出に感動して、はしゃいじゃったりもしているけれど、歴とした吸血鬼なのだ。
太陽の光は温かいから好きだし、ニンニクも食べるし、十字架も困ったときに祈ってみたりするぐらいには頼っている。
……こほん。とまあこの通り全く吸血鬼らしくない気がするけれど、赤い血は大好きなのだ。特にAB型の血は、ほっぺが落ちそうになるぐらい大好きなのだ。
吸血鬼はきっと血を吸うから吸血鬼なのであって、太陽その他諸々が弱点だから吸血鬼なのではない。その点は間違えないでもらいたい。
事実は小説よりも奇なり。紆余曲折の果て、いつもよりも長い夜が終わった。
正直に告白しちゃうと、私がぼやぼやしてる間に宗谷士狼という昨日知り合ったばかりの人間が助けてくれたのだ。
士狼はとてもいい人だけど、今まで出会った中では少し変わった人間である。ぶっきらぼうだし、格好つけてるし。
面倒ばかりかけてるなぁ、とも思うが、何故か私を見捨てたり非難したりせずに一緒にいてくれる。ちなみにさっき、士狼がやや眠そうな顔で「ついてこい」と言って歩き始め、現在に至るまでずっと足に鞭を打っているのだけど。
……寒いので早く目的地に着かないかな、と聞いてみたいところだが、なんとなく怒られそうな気がして止めておいた。彼はとても口が悪いのだ。
見慣れない道を歩く。私は日本に来て各地を転々とし、つい最近この街に来たばかりだ。新参者の私は観光気分で街中をよく散歩していた。見たことがない物を見るのは、それだけで楽しいからだ。
――けれど、と思う。この街はほとんど見て回ったはずなのに、この辺りは見たことないな、と。
そうしてしばらく――士狼は足を止めた。彼の大きな背中を追っていた私もつられて止まって、自然と顔を上げることとなった。
「……えーと、こよみそう?」
「ああ、暦荘。俺の家があるとこだ」
振り返る士狼の顔は、本人は気付いていないだろうけど、少し誇らしげな顔をしていた。……家があるって羨ましいなぁ。
暦荘は築二十年という長いのか短いのか分からない歴史を持っているらしい。幾度かのリフォームもしたらしく、見た目は比較的小奇麗な印象を受ける。アパートの入り口のところにある看板には暦荘と書いてあって、それが朝日で照らされていた。まったくもって粋な演出をする太陽さんである。
隅々まで舐めるように観察していると、アパートと同じ敷地にあるややボロい小さな一戸建ての家から何やら人影が現れた。
どうも女性のようである。
「あ、大家さん……」
やや気まずそうな声。
その大家さんとやらもこちらに気付いたのか、なぜか――飲みかけの牛乳瓶を持って歩み寄ってきた。
「あらあら宗谷さん。朝早いんですね。えっと、昨日はごめんなさいね。途中からあまり憶えてなくって」
「いえ、憶えてないならそれはそれで。大家さんも、相変わらず朝早いですね」
にこやかに談笑する二人。
士狼と向き合う大家さんという女性は、容姿で言うとかなり美人の部類に入ると思う。年齢は恐らく士狼と同じか、少し上くらいだろうか。二十代後半当たりが妥当だろう。
ゆるくウェーブした長い茶色の髪に、優しそうでどこか眠そうな気配を湛えた彼女の瞳は、そのゆったりとした喋り方と合っていた。
綺麗な空気を纏っている人だと思った。まるで露に濡れた朝のようだ。彼女を見ていると、今までの人生でしてきた悪い事とかをちょっと謝ってみたくなるというか。
上手く言えないけれど、彼女に側にいるのはとても心地良いのだろうと思う。
そして最も人目を惹く部位として……胸が大きい。とても大きい。私も小さいつもりはないけれどさすがに完敗だ。
別に悔しくはないのだ。でも士狼の視線がチラチラと彼女の胸に行っている気がして、なんとなくだが腹が立つ。他意はない。
「……あら、そちらの女の子は誰かしら。宗谷さんのお知り合いですか?」
ぐるぐると思考を回転させながら二人のやり取りを眺めていたときのこと。
大家さんが今更ながら私に気付いたようにこっちを見た。
「え、あっ、私ですか? えーと、えーと、えーと……」
どうすればいいか分からなかったので、士狼に瞳で助けてビームを送ってみた。
「ああ、大家さん、この子はあれですよ、ほら」
さすが士狼である。
なんだかんだと言いながら、私を助けてくれるのだ。
「……ほら? ほら、なんですか? 宗谷さん」
「……なんでしょう?」
瞬間、空気が凍った気がした。さっきまで清々しい気分だったのに、心にどんよりとした暗雲が立ち込めてきた。
「ちょっとちょっとー! なんでしょうってなによっ、私のこと、きちんと説明してくれなきゃやだよっ!」
「痛えよ、背中叩くなっ! ……いやぁ、お前のこと、なんて説明していいのか凄え判断に迷うんだけど」
「う――」
ピタリと手が止まる。
確かに士狼の言い分は分かる。客観的に見た場合――士狼がこんな美少女を連れていることに対し、なんと説明すればいいんだろうか。
ああだこうだと大家さんに聞こえない声で、士狼と作戦会議をする。それを相変わらずの優しげな瞳で眺めていた大家さんは、持っていた牛乳の残りをゆっくりと飲み干すと、真実にたどり着いた名探偵のように、ああと頷いた。
「なるほど、分かりました。分かりましたよ宗谷さん」
すっきりしたような明るい声で、大家さんはふふふと微笑んだ。
士狼の顔が固まったまま、ゆっくりと大家さんのほうを向く。きっと何か嫌な予感がしたのだろう。
「な、なんですか。なにが分かったんですか」
その返しを待っていたとばかりに、大家さんは人差し指を私たちに突きつけ一言。
「――ズバリ、彼女ですね、警部さん」
「ちっがーう! 警部を追い詰めてどうするんですかっ! とにかくこいつは彼女とかじゃあ有り得ませんって!」
「むっ――ちょっと士狼っ、彼女とか有り得ないってどういうことよ! そこまで強く否定しないでもいいじゃない?」
「ほーら、やっぱり。これが噂に聞く痴話喧嘩っていうやつなのかしらねえ」
私たちの口論を耳に入れて、大家さんはうんうんと満足げに頷いた。
「げっ、勘違いが更に深まってやがる……」
「ね、ねえ士狼。もしかして大家さんって……」
対応に困る私たちを余所目に、大家さんは「大変、お赤飯を用意しなくちゃ」とか「良ければ、お風呂でも入っていきますか?」とか言っていた。
「ああ。あの人はちょっと、けっこう、かなり、ていうか凄い天然だ」
やっぱり、と納得した。ちなみに大家さんはというと、「お風呂沸かしてきますねー」と言って下手なスキップをしながら家に入って行った。
「はあ……もう疲れた……。このまま部屋に帰って、何事もなく眠りたい」
げんなりと肩を落とす。
そういえば私も結構な時間寝ていないなと思った。意識した途端、ちょっとした睡魔が襲ってくる。
しかしどうすればいいのか。大家さんがお風呂を沸かしてくれているのなら、その間に士狼の部屋なり、とにかくどこかへ行ってしまうと失礼な気がする。
そんなこんなで二人して馬鹿みたいに暦荘の前に突っ立っていた。すると今度は目の前の一戸建てではなく、アパートの二階の扉が開いた。
「げぇ……マジかよ」
開いた扉を見て、士狼がさらに小さくなる。まだ扉が開いただけで相手の姿はてんで見えない。つまり士狼はあの部屋が誰のもので、誰が出てくるか分かっているのだろう。
暦荘の住人は階段を下りてくる。
――とうとうハッキリ容姿が見えた。
「士狼さん。おはようございます」
「はい、おはよう……」
その人は見て私は……ああ、うん。まあとりあえず色々と一目を置いた。
和服の女の子だった。あの着こなし方を見るに、一日二日だけ何らかの用事で着たとか、そんなものではないだろう。つまり彼女はこんな――と言うと失礼だけど――アパートで、常にあの和服を着ているのだ。私的な意見を言わせてもらえば似合わない。服が彼女に、ではない。服が建物に似合わなさ過ぎるのだ。
まるでお嬢様が下々の民の家に訪問しに来たみたいだ。しかしそれもあながち間違いではないのかもしれない。
夜のように真黒の長髪と、月のように白く透き通った肌。口紅をつけていないのに紅い小さな唇に、黒曜石のような瞳。正に大和撫子という葉が相応しい。もしかすると、どこぞの名家の姫なのだろうか。
身長、外見年齢ともに私と同じぐらいだろう。人間社会に倣うなら、いわゆる高校に通っていそうな年齢である。
そんな感じでボォーと観察していると、私の目の前に女の子がやってきた。
「……死ねばいいのに」
「え……?」
和服の袖で口元を隠し、私から視線を逸らして、彼女はそんな一言を口にした。
――いや待て。さすがに聞き間違いだろう。いくらなんでも初対面の人間に、いきなり死ぬことを望まれるほど私は悪いことなんてしていない。と思う。
「貴女――人間ではないですね」
次いで言われた言葉に、私は息を呑んだ。
「雪菜、お前分かんのか?」
「はい士狼さん。お忘れですか? 私は自称陰陽師ですから」
「…………」
二人の会話を聞いた私は、うわーまた変なの出てきたなーと思っていた。
「相変わらず胡散臭すぎるだろ、お前。――ま、紹介しとくわ。こいつは凛葉雪菜。本人曰く」
「自称陰陽師です。どうぞ、よしなに」
士狼の言葉を引き継ぐように、女の子は頭を下げる。
どうも最低限の礼儀は弁えているらしい。人に死ねとか言ってたのに。もしかしたらさっきのは幻聴だったのだろうか。……うん、なんだかそう思いたくなってきたな。
「らしいぞ、シャルロット。んで雪菜。この金髪赤眼がシャルロット。本人曰く」
「吸血鬼だよ。――ていうか士狼っ。なんかそれじゃあ私も自称で言ってるみたいな感じになるんだけどっ」
「気にしない気にしない」
「そうです、気にしたら負けです、自称吸血鬼さん」
「ちょっとちょっとっ! だから自称じゃなくて、私は吸血鬼だってばー! もう、士狼のせいで変な先入観持たれちゃったじゃないのよー!
とまあ、よろしくね。えーと、りんは、せつな? ……うん、雪菜って呼ばせてもらうね」
「チ」
「え、今舌打ちした!?」
うーん。
どうやら私はこの雪菜という女の子に嫌われてるみたいだ。今この場には私と、彼女と、士狼の三人がいるのだが距離感が明らかにおかしい。
何故か私だけが、少し遠い位置にいる気がする。
「それより雪菜、シャルロットのこと、分かんのか?」
「はい士狼さん。私、自称陰陽師ですから」
「いや、そりゃあもう分かったから。で、シャルロット。こういうことって良くあるのか? 俺も一目見たぐらいじゃ分からなかったぞ」
「そうだねえ。よく霊的な物を見てしまう人間――つまり霊感が強い人なんかは、人間以外の気配にも敏感だと思うよ。事実、街中とか歩いててもたまにギョッとした目で見られることあるもん。まあそういう人は大抵、気のせいだと思ってすぐ忘れちゃうけどね。結論として強い霊感の持ち主じゃなければ、私が吸血鬼だって分からないと思う」
別に吸血鬼だと知られても騒がれなければ問題ない。彼女は士狼の知り合いだし、その辺は大丈夫だろう。……多分。
「へえ……ということは、お前霊感あるのか?」
「いえ、ありません。別に一昨日の夜交通事故で子供が死んだ交差点で道路の真ん中に頭から血を流した男の子が寂しそうに立っていたのなんて全然見ていません」
「なるほど、あるんだな、霊感」
「別に幽霊なんて怖いと思っていません。ぜんぜん怖くなんてありません。なんですか、あのあやふやさは。えーと、とにかく幽霊なんて大好きです」
「なるほど、怖いんだな、幽霊」
二人の掛け合いは、言葉の裏にどこか親しみや信頼を感じさせた。きっとそれなりには長い付き合いなのだろう。互いが互い、踏み込んでもいい距離を分かっているというのか。見ていてどこか安心する。
これが暦荘の日常なんだろうか。
「ところで士狼さん。先ほどから気になっていたのですけど、その吸血鬼さんと何処で知り合ったのですか?」
私がぼんやりとしていると、雪菜はそう問いかけていた。質問自体は士狼にだが、視線をたまにこちらへ寄越すところを見ると、私にも聞いているのだろう。
なんと答えようか迷っていると、先に士狼が口を開いた。
「あー、やっぱそう来るよなぁ。まあ大家さんとは違って、こいつが吸血鬼って分かってる分、まだマシか。うーん、まあ簡単に説明するとだな。昨日の夜に――いやもう日付は変わってたか。とにかく血を吸われて、酔われて、介抱させられて、なんかゴタゴタにも巻き込まれたってとこだな」
「――なん、ですって……」
急に青ざめたかと思うと、見ていて心配になりそうなほど体を震わせながら雪菜は崩れ落ちた。別の意味で心配になって駆け寄り、背中でも擦ってあげようかと腰を下ろすと、
「士狼さんのあの首筋に口をつけ、士狼さんの血を吸い、あまつさえ一晩一緒だなんて……」
――なんて言葉が、まるで呪詛を呟くように聞こえてきたのだった。
いや、あながち呪詛と例えたのは間違いないじゃないのかも。だってさっきから何故かコウモリの足がどうのこうのとか、そこに髪の毛を入れて、とか聞こえてくる。割と本気で怖い。
「シャルロット、そいつ何だったんだ?」
「えーと。ほら、気分が優れない――ように見えるよね?」
「まあ見えるっちゃ見えるが、なんか呪いを発動させようとしているようにも見える」
ですよねーと苦笑。
それからふと雪菜を見ると、何事もなかったかのように起立していた。
凛とした佇まいに、気品の溢れる所作。まるでさきほどまでの光景が嘘であったかのようである。うん、きっと見間違いだったのだ。
「なるほど、分かりました。それでそのゴタゴタに巻き込まれた後、このクソ吸血鬼――いえ、吸血鬼さんをここにお連れしたわけですね」
前言撤回。
あの光景は決して嘘なんかじゃなかったんだなぁ。ちなみにそこまで言うと、もう言い直す必要性を感じないんだけれど。
「まあ、そんなとこだな。吸血鬼狩りとかいう危ねえ連中がいてな。そいつらがシャルロットの気配を探して、追いかけてくるんだと。だよな?」
「うん。吸血鬼は同族をある程度、感知できるから。まあ私はまだピッチピチの若輩者だからあんまり相手を感知はできないんだけど。おまけに私って、吸血鬼の中でも特に分かりやすい気配らしくて、簡単に探されちゃうんだよね」
「……最悪じゃねえか」
はあ、と溜息をついて肩を落とす。
申し訳ない気持ちになった私は「う……なんか、ごめんなさい」と頭を下げた。
「大丈夫ですよ士狼さん。ここにいれば、シャルロットさんはそんな連中に見つかりませんよ」
「あん? 一応聞いてやるけど、なんでだよ」
全く期待してなさそうな顔と声で、士狼は頭をガシガシと掻きながら投げやりに言った。
すると雪菜は両手を広げる。和服の袖がぶらんと垂れた。
「この暦荘を中心とする半径五百メートルの区間には、結界が張ってあるからです」
「……は?」
その疑問の声はきっと私と士狼、両方のものだったと思う。馬鹿みたいに口を開けて、呆ける私たちの顔をきょとんとした瞳で、雪菜は交互に一瞥した。
「いえ、ですからこの辺りには結界がですね」
「いやそうじゃなくて結界ってなに? え、嘘、お前そんなの出来んの? 自称陰陽師じゃなかったのかよ」
「はい、ですから自称陰陽師です。故に結界などお茶の子さいさいです」
「……うん、熱はないみたいだな」
右手を自分と雪菜の額へ交互に当てる士狼。
特にこれといった抵抗を見せず、やや失礼そうな顔でこほんと自称陰陽師は咳払いした。
「失敬です士狼さん。大体、そ、そんな簡単に女性の体に触れるものではありません」
あ、ちょっと赤くなった。
「これはもう、私を嫁に貰ってくださるという解釈でよろしいでしょうか?」
「――お前の貞操観念は狂ってるっ!」
士狼も大変なんだなぁと同情する。
凛葉雪菜という女の子は、大家さんとはまた違ったベクトルで、常識からズレている気がする。吸血鬼の私が言うのもなんだけど。
「――それで、結界ってなんだ。説明しろ」
今度は士狼がこほん、と咳払いする。
場を仕切りなおすつもりらしい。
「はい士狼さん。この暦荘を中心にして東西南北にそれぞれ一つずつ、起点となる石が置いてあるはずです。特殊な文字が刻まれている石なので、意識して見れば分かると思います、多分。結界は人あらざるもの――つまり幽霊や、吸血鬼の進入を食い止めるはずです、そうだったらいいと思います。そして仮に何者かに招き入れられたそれがいたとして、その者は何らかのきっかけがない限り、結界外には出ることができません、多分」
「……つかみ所がなさ過ぎるだろ、お前。何一つとして確定事項がないじゃねえか。まあいいや。んで、その結界とやらをお前が張ったとしてだ、なんでそんなの張ったんだ?」
「――べ、別に幽霊なんていません。あれは幻です。えーとそれからですね、あ、幽霊大好きです、はい」
「なるほど、幽霊が怖いから、と」
真面目な顔で思案に耽る士狼。
その隙に私も聞きたいことを聞いてみることにした。
「私からも一つ聞きたいんだけどいいかな。――えっと、その結界ってのが張ってるらしいんだけど、私は普通に入ることができたよ。多分出ることも出来そうな気がするんだけど」
「それは私の話を聞いたからです。そこにあるものを意識するのと、意識できないのとでは大きく違います。それに恐らく、士狼さんと一緒でなければ、吸血鬼さんはこの暦荘に近づけなかったはずです」
言われてみて思い出す。私はこの街にきてそれなりに経つし、観光がてら色々見て回ったつもりだけど、暦荘どころかこの近辺さえ見たことがない。その結界が張ってあったと仮定すると、私はその不可思議な力によって、ここから遠ざけられていたのか。
「――なんていう設定は、面白いと思いませんか?」
「っておい、嘘だったのかよ!」
「いえ本当です。そうだったらいいと思います」
「……さすが自称陰陽師。胡散臭さを語らせたら右に出る者はいねえな」
例の和服の袖で口を隠す仕草をし、それほどでもと頬を染める自称陰陽師。褒めてない褒めてない。
「……はあ、疲れる。でもそれ、結構信憑性のある話だと思うよ士狼。だって私、結構街中を歩き回ったつもりだけど、この辺りには来たことないから」
「マジか? お前がそう言うなら、ちょっとだけ信じても良さそうな気がしてきたな」
「……ぷぷ――あ、いえ何でもありません」
「おいてめえ雪菜っ! 今の、引っかかったとでも言いたそうな含み笑いはなんだ!?」
「いえ、本当に気にしないでください。話を逸らします。これからそこの吸血鬼さんは、いかがするつもりですか?」
話を逸らしますときた。士狼の言う通り、掴み所のない女の子である。
「どうします、か。……どうしようかな」
「まずはあの吸血鬼狩りをどうにかしないと駄目だろ。想像してたよりも、割と話の通じそうな奴らだったが。……まあ話が通じなかった場合は、即殺し合いっていうオマケがもれなくついてくるけどよ」
そう。
私がこの街を去るにしろ、何らかの方法でこの街に居つくにしろ、まずは私を追いかけてきた吸血鬼狩りの連中をなんとかしなければならない。
吸血鬼狩りは基本的に手柄を自分の物にしたがるから、自分たちが入手した情報を他に回すことはまずない。それは私たちにとっては幸いと言える。
早い話、あのカインとロイというハンターを黙らすなり説得するなりすれば、現状は突破できるというわけだ。
吸血鬼狩りは何も見つけた吸血鬼を手当たり次第に狩る訳ではない。吸血鬼の中には人間社会の重要なポストにつき、人間のように暮らしている偉い吸血鬼も多く存在するからだ。そういった吸血鬼は大抵黙認されることになる。
故に吸血鬼狩りが吸血鬼を狩る対象と定めるのは、幾つかの理由がある場合となる。
まず例其の一、その吸血鬼が大きな悪事を働いた場合。吸血鬼が殺人を犯そうと、人間では捕まえるどころか正体を掴むことすら難しい。だからそういう場合、吸血鬼狩りがその吸血鬼を断罪することになる。その際、大抵は執行猶予なし。問答無用で即殺し合いが勃発する。
続いて例其の二、その吸血鬼が広範囲に置いて活動の痕跡を残した場合。恥ずかしながら、これが今の私に該当する。うーん、それなりに気を使ったつもりなんだけど、さすがにやり過ぎたらしい。まあどちらかと言えば私の行いというより、私の出生のほうが関係しているらしいが。とにかくこういった場合は、吸血鬼狩りの本部に連れて行かれて大変なことになる。出頭を断ることもできるが、もちろんその時ももれなく即殺し合いが勃発する。
まあ何にせよ。あの二人の吸血鬼狩りをどうにかしないと。幸いなことに、士狼は戦場で傭兵もしくは雑兵の経験があるらしく、吸血鬼狩りとも渡り合えるだけの実力がある。士狼の能力に関しては私も認める。私に多量の血を吸われて、あれだけ動ける人間は見たことがない。
どうしようかなーと空を見上げる。もう日はそれなりに昇っており、時刻で言うと恐らく午前六時辺りは過ぎている。
――その時であった。
微妙な静寂を破るかのように、バタンと扉が破られそうな勢いで開いた。大家さんだった。
「宗谷さんの彼女さーん、お風呂沸いたわよー。ついでに朝御飯も作りましたから、宗谷さんも――あら、雪菜ちゃんもいたの。とにかく皆、中にどうぞー」
よく通る声で私たちにそう告げる。
時間がかかっていると思っていたら、どうやら朝御飯も用意してくれていたらしい。さすが大家さんである。よく彼女のことを知らない私だが、とりあえずさすがと言うに相応しいと思った。
それからまた家の中へ姿を消していく。
だが――大家さんは今この場に、大きな爆弾を残していったことに気付いていなかった。
「――なん、ですって……」
ふらふらとよろめきながら、再び自称陰陽師がその場に崩れ落ちた。なんか見たことあるなーと思ったが、念のため彼女に駆け寄り、背中でも擦ってあげようかと腰を下ろすと、
「彼女……士狼さんの、彼女さん……」
壊れたテープレコーダーのようにそう繰り返していた。
……はっきり言って、めちゃくちゃ怖い。和服を着たうえに、日本人形を思わせる容姿の彼女だから余計にそう思う。
「ったく、しょうがねえなぁ」
士狼は溜息をついたかと思うと、うずくまった雪菜の脇に腕を通して、ひょいと持ち上げた。
「――え、あれ、士狼さん? な、何をしているんですかっ?」
淡々と話す雪菜が珍しく取り乱した。
宙に浮く手足をばたつかせ、体で降ろしてくださいと懇願する。
「うっせえクソガキ。ほら、これ以上大家さんを待たすんじゃねえよ」
「……これって私をお嫁に」
呟いた瞬間、士狼は彼女の体を乱暴に降ろした。
「さーて行くぞシャルロットー。飯だ飯ー」
士狼は首を鳴らしながら、目の前の家に入っていった。
私も続く。その最中、再びうずくまっている雪菜に何か声をかけてあげたほうがいいか悩んでいると、
「さて、では私もご好意に甘えるとしましょう。行きましょうか、吸血鬼さん」
恐らくそれは一秒も無かっただろう。気付けば雪菜は元の澄ました態度へと一変し、私を横を通り過ぎて、大家さんの家へと入っていく。
もしかしたらさっきまでの光景は、自分の気のせいだったのかとさえ思ってしまう。
「……恐るべし、自称陰陽師」
あの女の子は本当は凄いのかもしれないと、私は思った。
その後私は大家さんの家で朝御飯を食べ、お風呂もいただいた。ちなみに朝御飯は大量のお赤飯だった。