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けれど、狼と吸血鬼  作者: ハイたん
第三月 【ずっと、一緒】
38/87

其の六 『運命』



「……ふうむ。ここが白い狼とシャルロット嬢のおる街――か。間違いないんじゃろうな、弟よ」

「短期間のうちに住居を変更等していなければ。この街に違いありません」

「相変わらず平和そうな街だなオイ。そうだカイン、また時間があったらラーメンでも食いに行こうぜ」

 吸血鬼狩りに所属する白銀の吸血鬼二人と、坊主頭の人間がその街に到着したのは、まだ日さえ昇らぬ未明の頃であった。

 三人は街の片隅に位置するホテルを拠点と決め、一息入れるとともに、これからの行動内容を計画していた。

「なに、ラーメンじゃと? おい舎弟よ、それは美味いのか? お前の口振りから察するに、大層美味であると予想したんじゃが」

「まさかラーメンも食ったことねえのか姐さん」

「バカモノっ! どこまでワシを侮っておるのじゃ。ワシが言っておるのはラーメン自体が美味いかではなく、その店のラーメンが美味いのかということじゃ」

「……二人とも。とりあえずラーメンの話は後にしましょう。まずはそれよりも話し合わなければならない事があるはずです」

 人数分の珈琲を淹れていたカインが、カップを持って戻ってくる。

「コーヒーか。おい弟よ、ちゃんとミルクと砂糖も入れたんじゃろうな?」

「ええ、それはもう。きっと姉上のお口に合うと思いますよ」

「ふっ、ならば良い。コーヒーをブラックかつノンシュガーで飲むなどと、吸血鬼の風上にも置けんからの」

「おいカイン。あんなこと言ってるが、どうやらお前は吸血鬼として風上には置いてもらえないらしいぜ」

「…………」

「お、弟よっ。ウソじゃ冗談じゃ。だからそんな捨てられた子犬のような顔をするでない」

「そのような顔はしていません。姉上、お戯れもほどほどにして頂きたい」

「――舎弟よ。もしかして弟のヤツ、少し拗ねておるのか? どことなく冷たい気がするぞ」

「奇遇だな、姐さん。俺もちょっとそう思ってたぜ」

 ボソボソと意思を疎通しあった二人は、うむと頷いた。

「――とまあ弟に舎弟よ。そろそろこれからの方針について話し合おうかの」

 銀色の髪をツインテールに結んだ見た目幼い少女――フランシスカ・ルナ・キルヒアイゼンが、椅子の上に立ち、皆を見下ろしながらそう言った。

「賛成ですね」

「俺もだ」

 ついで同じく銀色の髪をした美丈夫――カインと、

 短く刈り込んだ坊主頭をした人間――ロイが肯定を示した。

「よろしい。まず具体的な方針なんじゃが。お主らは白い狼、もしくはシャルロット嬢どちらかの居場所は分かるか?」

「いえ。分かっているのは、この街にいるということだけですね」

「やはりか。ならばまず弟と舎弟の二人は、白い狼とシャルロット嬢の行方を捜せ。どちらかでも構わん。というよりも弟の話では、白い狼が彼女の面倒を見ているといっても過言ではないのじゃろう? つまり探し出すのは実質、一人でも構わんというわけじゃな。芋づるじゃ芋づる」

「芋づるって……。まあ別に異論はないんだが、姐さん、もしそいつらを見つけたとして俺たちはどうすればいいんだ?」

 ロイが問うと、フランシスカは腕を組んで思考した。

「……そうじゃな。まずは注意を呼びかけろ。そして可能であれば守護しろ。ワシがよいと言うまでな」

「了解しました。それで姉上はどうなさるんです?」

「ワシは当然ミカヤを追うわい。すでにこの街に入り込んでいるのは間違いないじゃろう。それにヘルシングの娘のこともある。コチラに関してはワシが何とかしよう。ついでに首領ジジイにこの件の報告をしようとも思っとる。運がよければ応援ぐらいは寄越してもらえるかもしれん」

「オッケーだ。要は俺とカインで白髪野郎とシャルロットを探せばいいってわけか。それでその間、姐さんが」

「うむ。ミカヤを見つけ出す。そしてぶち殺す」

「これで話は纏まりましたね。しかし姉上、これから二手に別れるなら連絡はどうやって取るんです? 姉上は携帯電話を持っていないでしょう」

「まあ機械オンチだからな、姐さんは」

「――や、やかましいわっ! ふん、携帯なんぞ無くても大丈夫じゃ。弟よ、ワシらにはもっとハイテクな連絡手段があるじゃろう?」

 キラキラと瞳を輝かせて、フランシスカが期待に満ちた目でカインを見る。

「……? なんでしょうか」

「はあ。鈍いのう、お前は。ほらアレじゃ。姉弟のみに使用できると謳われる伝説の連絡手段。その名も――愛によるテレパシーじゃっ!」

「…………」

「舎弟よぉ~、弟がっ、弟が反抗期なんじゃ~!」

「あーはいはい。よしよし。……とまあ、つまり連絡手段などないからアドリブでなんとかしろってことは分かったぜ」

「うう、分かってくれたか舎弟よ」

「……そんなことだろうとは思いましたけどね」

 ぼそりと呟くカインをよそに、フランシスカは椅子の上で腕を組み高らかに笑った。

「まあなんとかなるじゃろう。シャルロット嬢はカインが追えるからのう。では主ら、健闘を祈るぞ」

 ビシっとなぜか敬礼する。

「……カイン。そういや前に、姐さんが男前な将校の出てくる映画を見て興奮してたの思い出したぜ」

「まったく、姉上は……」

「ど、どうした弟に舎弟よ。こうビシっとしたら、ビシっと返すのが礼儀なのじゃぞ!? さっさとビシっとせんかっ!」

 それはどこまでも緊張感のない、行動開始の合図だった。

 





 ヘルシング――そう呼ばれた少女の話をしよう。

 純粋で、孤高で、優美で、そして誰よりも強かった少女の話――その終焉を語ろう。

 愛する両親が知らぬ間に死んでしまい、一人となった少女は世界中を巡った。傍らには常に黒いスーツと帽子を被った例の男が付き添い、監視されるように見守られながらも、少女は吸血鬼を殺して回った。

 ミカヤと名乗った男は、やはりどこか不思議な人物だった。一緒にいればその分だけ謎が深まっていく。互いに自己紹介し、背中を預けるような関係になったとしても、少女が感じた小さな違和感は解消されなかった。

 人狼であるはずなのに、人狼ではないような。吸血鬼を蔑む言動の裏に、それとはまた違う感情を持っているような。ハッキリと言わせてもらうなら、少女にはミカヤがただの人狼であるとは思えなかった。

 ありとあらゆる知識を持ち、人狼にはありえないはずの使い魔を使役する。温厚で礼節を弁えた紳士のような態度の裏に、残虐で冷酷無比な性格と、狂気的な金色の瞳を持っている。

 人狼の身体的特徴の一つである『狼の耳』を持っていないのも疑問だった。通常なら頭部に生えるそれだが、ミカヤには最初から無かったかのように見当たらない。本人曰く、かつて戦場で負傷し失ってしまったとのことだが、そんな都合のいいことがありえるだろうか。少なくとも少女には言い訳にしか聞こえなかった。

 ――極めつけはやはり使い魔だ。かつて欧州で行われた魔女狩りにより、人口が激減した魔法使い。そんな彼らの業の一つが、使い魔の作成・使役だ。犬や猫、もしくは鳥などといった小動物に対し、自らの髪や血など術者の一部分を与えることにより、対象を自分の意のままに使役する。

 本来ならば使い魔の用途は、主人の身の回りの世話に限定される。いくら使い魔といえど、元は戦闘能力に長けているとは言えない小動物だ。ならば術者自身が戦ったほうが遥かに効率がいい。

 しかしミカヤは違う。あれほど強大な使い魔を使役するとなると、また話が違ってくるのだ。考えられる例としては、ミカヤが使い魔を使役するうえで高い才能を持っていたのか、元となった動物が何かしら特別な存在だったのか、あるいは術者であるミカヤ自身が強大な地力を持っているのか。これらに当てはまらない第三の理由もあり得る。

 ……もっとも、散々御託を並べた上でこう言うのもなんだが。

 少女にとって、ミカヤの正体などどうでもよかった。

 ただ世界を巡る上で、少女が知らない事細かな知識を教えてくれる存在――それこそがミカヤだ。いくら不信感を煽られようが、その目的や動機が分からなかろうが関係ない。つまり少女は自分の目的を果たす上で、その補助をミカヤが行ってくれるという、その事実だけで十分だった。

 それにやはり大嫌いにはなれなかった。ミカヤは少女にとっていわゆる後継人であったが、長く行動する上で、ある種の親近感さえ覚えた。監視され利用される人質も、長時間犯人と時間を共有すれば、その境遇に同情し好意を寄せるように。ストックホルム症候群――簡単に言ってしまえば、そんなようなものだった。

 噂に翻弄され、世界中を飛び、たどり着いたのが極東の島国――日本。少女の願いがようやく果たされる時が来た。

「――そのはずなのになぁ」

 そう、果たされる時が来た……はずなのだが。

 赤い長髪と頭部に狼耳を持った少女――ニノは、眼前に迫っているはずの悲願を前にして、何故かサッカーに勤しんでいた。

 語るほど特別な理由はない。ただヒマを持て余していて、街をぶらぶらと歩いて、見かけた公園に入って、そして気付いたらサッカーをしていたのだ。

 子供たちが元気に遊んでいる光景を呆と眺めていた。ベンチに三角座りをして、よくこんな寒い中走り回れるなぁと感心さえしていた。すると目の前にボールが転がってきて、それを少し強い力で蹴り返してやると、ビックリするぐらい尊敬された。そして一緒にサッカーをしようと誘われたのだ。

 どうせヒマだったから、とニノは仕方なく子供たちに混じることにした。それは単なる気まぐれだったはずなのに、いつしか熱中している自分に気がついた。

 寒いからと厚着をしていたニノは、しばらくして動きにくいからと上着を脱いだ。運動能力の低い人間の子供も、ボールを扱う経験値で言えばニノよりずっと上だった。だから一筋縄では行かず、そのもどかしさもまた面白くて――

 隅のほうでぼんやりと思考していたニノの元にボールが転がってくる。どうやらパスされたらしい。

 あまり頭では考えず、そこそこにドリブルをして、ボールに触る機会の少ない子供に渡してやる。

 ゴールポストもない公園のフィールドだ。ちょうどいい高さの木々に一本のロープを張り、即席のゴールを作って、水で描いたラインによって区切る。フォーメーションも戦術もなく、一つのボールにみんなが群がるような幼稚さだ。ゴールキーパーでさえ、ほとんどがキーパーダッシュにより役目を果たしていない。

 それでも――この場で行われているサッカーは、きっとプロが技術を切磋琢磨する試合よりも、尊いモノがあるのだろう。

 やがて一旦子供の輪から抜けたニノは、飲み物が欲しくなって自販機に近づいた。

 今は凍てつくような冬だが、それでも冷たい飲み物が欲しかった。ああだから、当然スポーツドリンクでも買うつもりだったのだが――

 ふと温かい缶コーヒーに目がいった。しばらく考え込んだ後、ニノはやや汗を掻き熱が篭った身体にも関わらず、ホットのコーヒーを買うことにした。それも二本。

 あれは確か昨日か、一昨日のことか。日本人には珍しい白い髪をした男と出会った。ニノと対面する男の殆どが、思わず抱いてしまうような劣情は見られなかった。本来ならば見知らぬ男から缶コーヒーを渡されるなど、不快以外の何者でもないはずなのに。……そして気付けば、ベンチで他愛もない話に興じていた。

 人間の大人など十人いれば九人が、殺してしまいたくなるような下種な者ばかりなのに、あの白い髪をした男だけは別だった。別に好意を持ったわけではない。ただ、一緒にいて不快にならなかっただけだ。

 だからだろう。

 缶コーヒーを二本買ったのは。

 だからだろう。

「――久しぶりね、お兄さん。慌てているようだけど、どうかしたの?」

 偶然見つけたその姿に、そんな探るような声をかけていたのは。




****




「――久しぶりね、お兄さん。慌てているようだけど、どうかしたの?」

 俺にそんな声がかけられたのは、シャルロットを探そうと街中を駆け回っている最中だった。

 当てもなく彷徨っているうちに、どうもいつかの公園の前に居たらしい。気付けば赤い長髪の女――少女Bが、やや遠くから俺を物珍しそうに見つめている。

 ほんの数瞬。

 少女Bの灰色の瞳が、俺が見知った赤い瞳に見えて、心臓が高鳴った。

 しかしよく目を凝らすと、それは当然シャルロットではなく、自分のことを人間ではないとか自称するいたいけな少女であったが。

「……お前か。悪いが、今は遊んでるヒマねえんだ。だから」

「まあ待ちなさいよ。はい、これ」

 ひょいっと、少女Bは何かを放り投げた。

 それは放物線を描いて、俺の元へと飛んでくる。

 見ればただの缶コーヒーだった。

「――?」

「何があったか知らないけど、そんなに慌てちゃ見えてるモノも見落とすわよ。それあげるから一息入れたら? なんだかすっごく辛そうな顔してる」

「……見えてるモノも見落とす――か。確かに言われてみりゃその通りなのかもな」

 右手に収まった缶を握り締める。冷えた末端が暖まっていく。

「本当に何かあったみたいね。大丈夫? ウチでよければ話ぐらい聞こうか。別に何もできないし、するつもりもないけどね」

「話を聞くだけかよ。まあでもついでだからお前にも聞いておこうか。なあ、お前ここらで――いや、この街で最近、金色の髪と赤い眼をした女を見かけなかったか? 年齢はちょうどお前ぐらいだ」

「多分見てないわね。もっと容姿について詳しく説明してくれたら、見かけたと思い出すかもしれないけど」

「……いや、見てないならいい。――クソっ、あのバカが。どこに行きやがったんだ」

 自分一人で全部抱え込みやがって――見つけたら絶対に説教してやる。

「まあまあ、頭を冷やしなって。事情は分からないけど一度落ち着いたほうがいいわよ」

 そんな少女Bの言葉に乗せられたわけではないが、確かに一度冷静になったほうがいいと思った俺は、この前と同じようにベンチへ腰掛けた。となりには当然、少女Bがいる。

 お返しのつもりかどうかは分からないが、貰った缶コーヒーで喉を潤す。そこで初めて、長い間水分を取っていなかったことに気がついた。

「……はあ、マジで参った」

「なんだかいつも大変そうね。手伝ってあげたい気も少しはするけど、余計なことはするなって言われてるから、それも無理かな」

「俺の苦労が分かってくれるか。まあお前の気持ちはありがたいが、これは俺が――俺たちが何とかしなくちゃいけない問題だからな」

「あっそう。じゃあせめて話ぐらい聞かせてよ」

「大したことじゃねえよ。俺のとなりに住んでるバカで泣き虫な女がいるんだが、そいつが昨日から帰ってこねえんだよ。それで今、俺はそいつを探し回ってるわけだ。おかげで昨日から一睡もしてねえ」

「ふーん」

「え、感想ってそれだけ?」

「当たり前よ。だって他人事だもの」

「酷えな。でもま、確かに他人事だな」

「ええ。それにもしウチが心底同情したとして、お兄さんは嬉しい? もしも立場が逆だとして、ウチなら全然嬉しくないわ。同情ってつまり、相手に自分の気持ちを分かったような気になられるってことでしょう? そんなの紛争で死んだ子供をテレビのニュースで見て、可哀想と呟く――そんな無責任さとなんら変わらない。自分の気持ちは同じ体験をした相手にしか分からないはずなのに、どうして分かったように言われなければならないのかな。だからウチって同情とか、そういうの大っ嫌いなのよね」

「面白い考え方だな。間違ってるとは思わない。合ってるとも思わないけどな。要するに、それが人によって千差万別するモノの見方の、一つの形ってことなんだろ」

「そうかもね」

「話がズレたな。ともかく俺はそいつをどうしても見つけないといけない。探して、見つけて、連れ戻して、んでもって逃げ出したことを後悔するぐらいオシオキしてやる」

「……お兄さんって、もしかしてそういう性癖の人? うわ、その子が可哀想」

「違うわっ! 人がマジになってるときに余計なこと言ってんじゃねえよ! ていうか俺とアイツには何の関係も無いわっ! 気色の悪いこと言ってんじゃねえ!」

 思わずツッコんでしまった。

 ぜえぜえと息を吐く。睡眠を取らずに街中を駆け回っていたせいか、呼吸の乱れも早い。

 それなのに不思議と心が落ち着いていた。きっとこの冷えた体に染みるような熱いコーヒーと――あとは少女Bのおかげか。どことなくシャルロットに似ているコイツに大丈夫とか、落ち着けとか言われると、なんとかなってしまうような気がしたのだ。

 ――もちろん、それは俺の気のせいだが。

「じゃあそろそろ行くわ。このコーヒー、ありがとうな」

 立ち上がって、空になった缶を投擲する。もちろんゴミ箱に。

「これで貸し借りなしね。お互い様ってヤツだ、お兄さん。またどこかで会えるといいわね」

「ああ。今度会うときはさすがに缶コーヒーはナシにしような。そろそろ飽きた」

「……? 次は紅茶ってこと?」

「違えよバカ。――まあ機会があったら、こんな安っぽいインスタントとは比べものにならないぐらいの美味いコーヒーを飲ましてやる。んじゃマジで行くぜ」

 翻して歩き出す。

 人通りの多い場所は大体見て回ったから、次は河川敷とか、人気の少ないところを見て――

「お兄さん、最後に聞いていい?」

 思考する俺に声がかけられる。

「なんだ? 手短に言えよ」

「名前」

「あん?」

「名前、教えてって言ってるの」

 訥々と呟く。

 聞いちゃってもいいのかな、教えてくれるのかな――そんな不安そうな顔と、声色。

 なんだそんなことかと思い、前にも似たようなことあったなーと振り返りながら、俺は告げる。

「宗谷士狼。好きなように呼べ」

「そうや、しろう……ね。しろう、しろう、士狼――うん、覚えたわ、士狼」

「そりゃどうも。んで、お前の名前は?」

 問うと、少女はやや逡巡したあとに言った。

「ニノ。今度からは少女Bじゃなくて、ちゃんとニノって呼んでよね、士狼」

 ……どうも小声でそう呼んでいたのがバレていたらしい。

 やがて再び歩き出した。背後から「それじゃあね、士狼」なんて言葉が聞こえてきて、俺はそれに手を振るだけで応えた。

 そうして俺たちは別れた。

 再会の約束をすることも、互いの名を――ああ、いや。

 そうして俺は、ニノと別れたのだった。




****




 ――私は何をしているのかな?

 黄金色の雲が流れ、赤と紫が混じったような、そんな夕焼け。

 どこか寂寥感がする赤い街を彷徨う。……ふと、いつか雪菜と千鶴と、三人で遊びに出かけたことを思い出した。

 まるで家族のように寄り添っていた三つの影。あのときは考えられないぐらいに温かかった心が、今は信じられないぐらいに冷え切っている。

 視線を落とすと、そこには細長い影が一つ伸びている。私自身の影だ。となりに誰もいないことは分かっていたけど、こうして再確認すると、どうしても泣きそうになってくる。

 ――なんで私、ひとりぼっちなんだろ。

 あれは……思い出したくもないけど、昨日の夜のことだった。

 雪菜の様子を見に大家さんの家に行った私は、玄関に士狼の靴があることに気付いた。

 本当は誰かに顔を見せる元気もなかったけど、あれからまた周防が誰かに襲われたって聞いて、しかも重症だって聞いて、居ても立ってもいられなくなったんだ。

 部屋で泣いているだけじゃ何も変わらない。だから小さなことでもいいから、私に何か出来るのなら、みんなの役に立ちたいと思った。一人で悲しむのではなく、私はもう『ひとりぼっち』じゃなくて『みんな』になったんだから、誰かの為に何かしたいと思ったんだ。

 ――笑っちゃうよね。誰かにために何かしたいって?

 だから涙に濡れた顔を洗って、鏡の前でぎこちないけど笑顔の練習をした。士狼がよく私に言ってくれた――『お前はバカみたいに笑ってるほうが、よっぽど似合ってるんだからよ』――その言葉を信じて、せめて辛くても笑っていようとしてたんだ。

 ――私自身が、みんなを苦しめてたのに。

 士狼と雪菜の話し声が聞こえてきた。人よりもちょっとだけ耳がいいと自負する私だけど、さすがに部屋の外にいては明確に聞こえない。なんだかマジメな話をしているようだったけど、『シャルロット』って言葉が耳に届いてきたし、いけないと分かっていてもちょっとだけ盗み聞きをしてしまった。

 ――そこで知った。

 誰か知らない人が私を狙ってるって。だから暦荘のみんなが傷つけられていくって――ぜんぶぜんぶ私のせいなんだって――

「……わたし、いらないんだ」

 そう思うともうダメだった。

 目からしとどに涙が溢れて、視界がぼやける。

「……やっぱり私、ひとりぼっちなんだ――」

 自分の家を見つけたと、ようやく帰る家を見つけたと、そして『ただいま』と言える人たちが出来たと思ったのに。

 それはきっと気のせいだった。幻とか陽炎とか、とにかくただの錯覚みたいなものだったんだ。私みたいな悪い子が、幸せになっていいわけがないんだ――

 だからもう帰らない。いや、暦荘に帰ってはいけない。私がいればみんなに迷惑をかける。私一人の『寂しい』っていうワガママに、幸せに暮らしていた暦荘のみんなを巻き込んじゃいけない。

 とても温かい人たちだった。

 どこまでも優しい人たちだった。

 ――それ故に、傷ついていいはずがない。あんなに幸せそうに笑う人たちの笑顔を、私なんかが奪っていいわけがない。

 私はこの街を出て行こう。昔みたいに、ひとりぼっちで行く当てもなく旅をしよう。……そう思っていたのに。

「私、生きていても意味ないのかな」

 いっそのこと死んでしまおうとさえ考えた。これから気の遠くなるような、悠久の時を孤独に生きるぐらいなら。生きる気力を失った今、一思いに死んでしまったほうがいいのではないか。

 ――お前は別に一人じゃねえんだ――

「……ウソだよ、そんなの」

 ――だからそんな寂しそうな顔すんなよー―

「私、ひとりぼっちだもん」

 空を見上げて呟く。

 潤んでよく見えない目でも、黄昏が過ぎ、夜を迎えたことを知った。

 暗雲が立ち込め、今にも雨が降りそうだった。雲の一部が少し明るくなっているのは、きっとそこに月が隠れているからだろう。星も月も見えない今夜は、なんとなく今の私を暗示しているような気がした。

 街を歩いていても気は紛れない。孤独はイヤだからと人気の多い場所を選んでいたが、それは間違いだったみたいだ。なぜか知らないけれど、私とすれ違う人は例外なく誰かと連れ立って歩いている。余計にお前はひとりぼっちだと言われているみたいだった。

 やがて私は人気の少ない裏通りに入った。

 誰もいないことに不安と安心を同時に覚え、私はその場にしゃがみ込んだ。

「士狼……会いたいよ」

 三角座りをして、その膝の間に顔を埋める。

「――士狼ですって?」

 私の発声に続くようにして、女の人の高い声が聞こえた。

 顔を上げる気力もなく、どこかに行ってくれないかと願いながら、無視する。

「……金色の髪に、ウチと同じぐらいの年齢――ね。するとあの子が士狼が言ってた、バカで泣き虫な女……かな」

「――?」

 なんとなく士狼を知っているような口ぶりに、気になって顔を上げた。

 赤い長髪をした女の子が立っている。カジュアルな服装をしていて、頭にはキャップを被っていた。

「赤い瞳、ね。――っ、この感覚……吸血鬼?」

 すぅ、と冷たい針のようなモノが体を刺す。

 何度か感じたことのあるそれは、いわゆる殺気と呼ばれる邪気だった。

「まさかアンタ――――」

「……だれ?」

 私と目が合った瞬間、その女の子は鋭く目を細めた。

 同時に強い風が吹いて、私たちの髪を揺らす。ふわりと女の子の帽子が浮いて、赤い長髪が戦ぐ。

 ――その中に、狼の耳を見た。

「……人狼?」

 今までイヤになるほど話は聞いてきたし、何度か見たこともある。吸血鬼を殺す者でありながら、吸血鬼狩りとは異なる理念で動く種族。恐らく吸血鬼狩り以上に注意を払わねばならない人たちだ。

 私は棒のようになった足に力を入れて立ち上がった。

「――もしかして、シャルロットってアンタ?」

 帽子を拾うこともなく、女の子は頭部に獣耳を覗かせたまま、問いかける。

 急に名を呼ばれて驚く。

「そうだけど。なんで知ってるの?」

「通称”悠久の時を生きた吸血鬼”の娘で……あってるわよね」

 どくん、と。

 今度こそ本当に心臓が高鳴った。

「っ――! 貴女、だれ!?」

 涙を拭いて、後ろにステップして距離をあける。

 街を彷徨って疲れ果てている私は、それでもと震える体に鞭を打って、構えを取った。

 赤い長髪の女の子は腰に手を当てたまま、なんだかつまらなさそうに呟いた。、

「さあね。誰でもいいじゃない。ウチたちが殺し合う――いや、殺し合わなければいけないことに変わりはないんだから」




****




 そうして二人は出会った。

 吸血鬼における神話と、人狼における伝説と。

 悠久の時を生きる吸血鬼と、紅いヘルシングの一族と。

 それは遠い遠い、彼女らが生まれるよりもずっと以前から定められていたこと。

 もう一度だけ、言おう。

 ――そうして二人は出会った。

 運命によって、対峙することを決められた二人が。




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