其の二 『接近』
とりあえず最初に言わせていただくと、私は吸血鬼だ。
大家さんの家の縁側でひなたぼっこするのは大好きだし、ニンニクだって食べるし、キレイな水が流れる小川を越えれば、鏡を見て髪の毛を結ったりもする。
だけど私はれっきとした吸血鬼なのだ。
全然吸血鬼らしくないと言われれば言葉に詰まってしまうけど、でも血はすんごく大好きなのだ。その中でもAB型の血――もう少し細かく説明するなら、士狼の血はほっぺが落ちそうになるぐらい美味しくて大好きなのである。
闇夜に紛れて人を襲って吸血する人外の鬼――吸血鬼。そんな危なっかしそうな種族の私は、現在とある喫茶店でお仕事をしていた。
「ふんふふーん」
思わず鼻歌が出てしまう。
テーブルをピッカピカに磨いて、お客様が清算を済ませた後の後片付けをする。
ここは私が働かせてもらっている喫茶店であった。名をブルーメンと言い、とても優しいマスターがいて、凄く美味しいお茶が飲める店である。一従業員である私が言うのもなんだが、この街ではそれなりに人気があるお店だった。
従業員は私の他にも何人かいて、近くの高校生や大学生の人たちが主だった。雪菜や千鶴も一応は籍を置いているが、あの二人はヘルプとしての側面が強いために、普段から店に顔を出すことは多くない。
もっとも、私が働いているのを権高に見物するためか、あの二人はたまに客としてブルーメンを訪れることがあった。その際、雪菜はここぞとばかりにふんぞり返って注文してくるし、千鶴はそんな彼女を嗜めながらも、私たちのやり取りを楽しそうに眺めているのだ。
全くもって許しがたい。絶対いつか雪菜にはぎゃふんと言わせてやらなければ気が済まない。……別に、雪菜と一緒に居ることが楽しいなんてこれっぽっちも思ってないが。
お客さんが退店したあとのバッシングが終わって、やや手持ち無沙汰になる。正午が過ぎ、ブルーメンで最も忙しいお昼時がようやく終わった。
現在の時刻は午後三時過ぎ。普段ならこの時間帯でも、近所の奥さんやお爺さんがコーヒーを飲みながらくつろいでいたりするのだが、今日はそれも無いらしかった。珍しくブルーメンが無人である。
マスターはこれ幸いにと奥の倉庫で在庫の確認等をしていて、店内にいるのは本当に私一人だ。いつもは賑わうこの空間に誰もいないというのは、なんとなく不思議な感じだ。
思わずテーブルにだらりと上半身を乗せたりしたくなってくる。正直に言うのなら悪戯心が沸いたのだ。
「……いや、ダメだダメだ。そんなことして士狼にバレたりしたら、絶対怒られるんだから」
むんっ、と拳を握り締めて気合を入れた。
――その直後。チリンチリンとベルが音を立てる。すでに聞きなれたそれは、ブルーメンに新たなお客様が訪れた合図だ。
キチンとしていて良かったなぁと思う。やがて私は足早にお客様の元へ向かった。
「いらっしゃいま――せ?」
いけないことだが、自然と声が尻すぼみになってしまう。
私がお迎えしたのは近所の奥さんやお爺さんではなく、黒いスーツを着て、黒い帽子を被った男の人だったからだ。
無意識の内にじぃーと観察してしまう。身長はそれなりに高く、体は太くも細くもない。つばの大きな帽子から覗く髪の毛は黒く、薄く閉じられた唇は微かに微笑んでいるような印象を受ける。
そして何より、その男の人は瞳が見えなかった。深く被った帽子が上手く影を落としているのだ。……けれど何故か。彼が私を注意深く観察しているのが分かった。
「あ、あの」
黙ったまま動かない男の人を不審に思って、私はそんな気の抜けたような一言をかけていた。
「――ん、ああ、すいません。アナタが余りにも美しかったものでしてね。目を奪われていたんですよ、可憐なお嬢さん」
上品に言って、彼は小さく頭を下げた。
「え、えっと、ありがとうございます」
唐突に褒められて体が熱くなる。だっていきなりお客様から美しいとか可憐だとか言われるなんて、普通予想できないだろう。
一瞬でも不審に思った自分を恥じる。こんなに紳士な人が、悪い人なはずなんてないのだ。
店内には誰もおらず席も余っているので、私はなるべくくつろげるようにと、ボックス席に男の人を案内した。彼は席に座った後も、そのつばの広い帽子を取ることはなかった。
やがて珈琲を頼まれ、私は丁度カウンターに戻ってきていたマスターに注文を告げる。
給仕し終わった後、いつ追加のメニューを告げられてもいいようにと、彼の近くに立っていた私に声がかけられた。
「……なるほど。この店の珈琲はとても美味しいですね」
「ふふふ、ですよねっ。私もそう思います」
ブルーメンのコーヒーを褒められると、なぜか自分を褒められたことのように嬉しくなる。
やや砕けた口調になってしまった私をその男の人は、特に咎めたりはしなかった。
「ボクが今まで口にしてきた中でも、これほどのモノはそうありませんでしたよ。いいお店ですね、気に入りました」
「あはっ、ありがとうございます。出来ればこれからも時々顔を見せにきてくださいね」
緩んだ口元を手で押さえながら、ペコリと頭を下げる。
「――いい笑顔だ。実に楽しそうですね、お嬢さん。とても幸せそうだ。アナタの周りにはきっと素晴らしい人間が集まるんでしょう。よろしかったら名を伺っても?」
「いいですよ。私、シャルロットって言います」
自信満々に胸を張ってそう答える。
「シャルロット、ですか。美しい響きだ。まるでアナタの為にあるかのような名ですねぇ」
「うふふ、褒めすぎですよぉ。そんなこと全然無いですって~」
それが限界だった。もはや顔はありえないぐらいに緩んでいて、きっと顔も赤くなっているに違いない。
言い訳をさせていただくなら、きっと私は悪くなんてないのだ。だってあれだけ褒められたら、女の子なら嬉しいに違いないんだから。
……せめて士狼に、この人の半分でも女心が分かったらなぁ。
「――さて、と。ご馳走になりました」
しばらくして、カップを空にしたその男の人は立ち上がった。
私はすぐさまレジに行って、清算をする。
「いいですねぇ、その幸せそうな笑顔」
「そうですか? ……そんなにニヤけてたかな」
「もう一度だけ聞きましょう。お嬢さん、アナタは今幸せですか?」
問われる。
私が返す言葉はもちろん決まっていた。
「はいっ! とっても、とってもとってもとーっても、幸せですよ」
その時の私の顔は、きっと今日一番の笑顔だっただろう。
私の言葉を受けて、男の人が口元を歪ませる。……少しだけ、不吉に。
「そーですか、分かりました。では、これにて。本日はどうもありがとうございました、シャルロットさん」
私に小さく頭を下げて、彼が店を出て行く。
――その最後。
帽子の影から金色の瞳が見える。それを見て、私の体はぶるりと震えた。
純粋な恐怖。
私が口を開こうとする前に、男の人は店を出て行ってしまった。
「……気のせい、だったのかな……?」
首を傾げても当然答えは分からない。
男の人が去った直後から、まるで見計らったかのようにお客さんが相次いだ。仕事に忙殺され、余計なことを考えるヒマが無くなる。
それから私は夕方過ぎまで、全力でお仕事に集中したのだった。
****
「……クク、『とっても幸せですよ』ですか。いいですねぇ、あの笑顔。とっても、とってもとってもとーっても、壊したくなりますよ」
黄昏に染まる街。
黒いスーツを着て、黒い帽子を被った男――ミカヤが、とある建物の屋根に立っている。
風で飛ばないように帽子を押さえる彼の視線の先。そこには金髪赤眼が特徴的な一人の少女が、気分良く鼻歌を歌いながら、赤く染まった人道を歩いていた。
「しかしこれは予想外でした。まさか通称”悠久の時を生きた吸血鬼”の娘が、あれほど人間らしく暮らしているとは」
それはミカヤにとって悦ぶべきことなのか、憂えることなのか。瞳を隠したその有様からは分からない。
――ただニヤリと。そう口元を歪めて、幸福に微笑む少女を見つめるのみである。
「それにしても『キーワード』は何でしょうねぇ。歓喜? 憤怒? 悲哀? ……いや、違うかな。恐らく――『人の悪意』ですかね」
首を傾げながら、ミカヤは一つ一つ確かめるように言葉を紡ぐ。
やがて少女が辿り着いたのは、暦荘という名のアパートであった。
「ほう、ここが彼女の『家』ですか。――っ、これは」
ミカヤが暦荘に近づいた直後。まるで自分を排除しようとするかのような退魔の力を感じた。
「結界、ですか。それも吸血鬼である彼女を何事もなく通しているところを見ると、特別なモノのようだ。……やれやれ、厄介ですねぇ。陰陽師という輩は」
力が抜けていくような、コールタールの海の中を行動しているかのような感覚。まるで自身が鈍重になってしまったかのよう。
「――これは先にアナタを排除する必要がありそうだ、名も知らぬ陰陽師さん」
ミカヤが身を翻す。
その瞬間、アパートの中から馴れ馴れしい様子で人間が数人出てきた。察するに、少女にとっての『家族』のような人間なのだろう。彼らと会話する少女の顔を見れば分かる。
「幸せそうですねぇ。……ふむ、そうだ。いい事を思いつきました」
愉悦が抑えられない、とミカヤが哂う。
「――まずはアナタの周囲の人間を、少しずつ壊して差し上げましょう。殺さないように、ジックリと、ねっとりと」
咲き乱れる笑顔の中、誰よりも幸せそうに微笑む少女に背を向ける。
黄昏の中、ミカヤが小さく漏らしたその笑い声を、聞いた者は誰もいなかった。
闇の中で声がする。
「ミカヤ、どうだったのよ」
「それが少し面倒でしてね。どうやらシャルロットさんよりも先に、結界を取り除く必要がありそうです」
「結界? ……んー、残念だけどウチにそっち系のことはよく分からないわね」
「でしょうねぇ。期待していませんでしたけどね」
「むっ、それはそれでムカつくわね。――でもまあいいわ。時間はかかるの?」
「どうでしょう。恐らく吸血鬼狩りの連中が来るよりは早く出来ると思いますが、すぐにという訳には行きません。この陰陽師、どうやらタダモノではなさそうだ。少なくともナメてかかれば、逆にボクが食われてしまうかもしれません」
「そんなに? だってその陰陽師って人間なんでしょう? なんだったらウチも手伝おうか?」
「いえいえ、この件は私に任せてください。それでニノ、とりあえずこの陰陽師を黙らせるまで、互いに自由行動としましょうか」
「別にいいけど、ウチにしたいことなんて無いわよ?」
「ですからこの機会に趣味でも見つけてください。ただ余り目立たないようにお願いします。殺しもご法度です。――ああ、それともう一つ。もし仮にですが、シャルロットさんと交戦する場合があったとして、倒すことが出来たとしたら、殺す前にまずボクの元に連れてきてください。いいですね?」
「分かってるわよ。アンタそれずっと言ってるものね。でもミカヤの前に連れてきたあとは、別に殺してもいいんでしょう?」
「――はい、お好きに」
こうして二人は別れる。
「全く愉快な街ですねぇ、誰も彼も能天気に笑って。まあでも美味しい珈琲は飲めましたし? あと――クク、懐かしい顔も見れましたしねぇ」
ニノの背中が夜に消え、ミカヤはそれを確認したあとに虚空に向けて呟いた。
「ほどほどには役に立ってくださいよぉ? ニノ」
****
やがて夜を迎えた暦荘。
俺こと宗谷士狼は、なんとバカで泣き虫な吸血鬼の部屋にいた。
「士狼ー? お茶か何か飲むー?」
「まあ淹れてくれるなら。なるべく高いヤツ頼む」
「よく分からないけど、分かったー」
キッチンにいるシャルロットがお茶を淹れるみたいにゴソゴソしている。……いやまあ、そりゃあ茶を淹れるんだろうが。
それにしても驚いた。俺は今までシャルロットの部屋に入ったことは無かったのだが、なぜか予想していなかったぐらいキレイに整っている。生意気にも女の子っぽいレイアウトで、ややピンクを基調とした配色だ。殺風景な俺の部屋よりも、明らかに人間が住んでいます感がある。もし第三者が俺とコイツの部屋を見比べたとしたら、間違いなく俺の方を新入居者だと思うに違いない。
……なんとなく落ち着かない。雪菜の部屋はどちらかと言えば青系統の配色なので、女の部屋というのをあんまり意識せずに済んだが、こうもピンクで纏められてはさすがの俺もキツい。しかも何処となくいい匂いがしやがるし。
「――ん?」
キョロキョロと視線を動かしていると、ベッドの上になんか布のようなモノを見つけた。シーツと同じピンク色の布である。
一見しただけではよく分からない。というよりもシーツと色が被っていて、布の正体が分からない。だから俺は身を乗り出してそれを確認しようとして――
「……げっ!」
思わず声が出る。
「どうしたの、士狼」
キッチンにいるシャルロットが不審そうにこちらを向いた。
「ああ、いやなんでもないぞ。ははははは」
「……? 変な士狼。あ、まさか女の子の部屋に居るもんだから、緊張してたりしてー。下着が無いかとかチェックしてたんでしょ?」
「バ、バカかそんなことある訳ないだろうが。一々チェックするとか、そんな周防みたいな真似誰がするんだよ」
「そう? ならいいけど」
シャルロットは話は終わりだと言わんばかりに、お茶を淹れることに専念する。
俺は先ほどの彼女の言葉を頭に浮かべる。下着が無いかとかチェックしてたんでしょ――ということらしいが。
「いやいや、お前チェックするとか以前にだな」
ベッドの上に放置されている布を見る。
初めはハンカチだと思った。服にしては小さすぎたからだ。しかしよく目を凝らしてみると、ハンカチにしては少し形がおかしいことに気がついたのだ。敢えて形を表現するのなら、それは逆三角形のような形状をしていた。
――そう。何を隠そう、ベッドの上に放置されていたピンク色の布は、なんとシャルロットの下着だったのである。
どこか抜けているバカ吸血鬼のことだ。きっと単に忘れていただけに違いない。おまけに俺がこの部屋に突然やってきたものだから、何か危険なものはないか部屋をチェックする時間も無かったのだろう。
しかし何てリアクションの取りづらい罠を仕掛けてくれるのか。別にあの下着を見つけたからといって、俺に害があるわけじゃない。しかし俺が下着を見たという事実をシャルロットが知ったら、正にそれこそが害になる気がするのだ。これは確信と言ってもいい。
「――士狼、お茶入ったよ」
必死に思考する俺を他所に、シャルロットがほくほくとした笑顔で戻ってきた。
「あ、ああシャルロットさんではありませんか。ありがとうございます」
「なんで敬語なの? なんか士狼にそんな丁寧に喋られると落ち着かないんだけど」
「え? 俺いま敬語だったか?」
「自覚がなかったなんて重症だね。……ていうかさ、なんでそんなにベッド側に座ってるのかな。しかもやたら背筋伸ばしてるし」
「それはお前の気のせいだ。俺は今ベッドの近くに座りたい症候群が発症してるんだよ。――ていうかお前、ベッドも買ったんだな」
「うん、すっごく安かったんだから。そうそう聞いてよ、この前雪菜と千鶴と買物に出かけたときのことなんだけどね。このベッドもそこで買ったんだ」
シャルロットが例の人懐っこい笑みを浮かべて、買物に出かけたときのことを嬉々として語る。
みんなで服を買ったんだとか、アンティーク風の店で小物を見て回ったんだとか、オシャレなレストランで美味しい料理を食べたんだとか、途中みんなでクレープを買ったんだとか、大きな花屋で花を見たんだとか、とても怖い映画を見たんだとか。
一々表情をクルクルと変化させるシャルロットを見て、俺も自然と笑顔になる。聞いた限り、どれもこれも人間臭すぎるようなエピソードだ。だからこそ俺も嬉しくなる。
だってそれは、このバカで泣き虫で人懐っこく笑う吸血鬼Aが、誰よりもこの生活に馴染んでいるという証だったから。
――けど、その話を聞いている途中で思い出した。雪菜の言葉だ。
知らない男にナンパされたときに、シャルロットに異変が起こったこと。雪菜曰く、とても禍々しくて強大な力だったということだが。……本人にその自覚はあるんだろうか。
「……なあ、シャルロット」
「それでさ――ん? どうしたの、士狼。これからがいいところなんだってばー。映画を見るときに雪菜がね」
「お前の話を聞いてて思ったんだが、レストランでナンパされたときのこと、言わないんだな」
「……え、なんで……知ってるの」
無邪気な笑顔が曇る。
「別に大した理由じゃねえよ、雪菜が俺に教えてくれたんだ。ちなみに勘違いするなよ。雪菜はお前に嫌がらせがしたくて俺に言ったんじゃない。アイツはな――いや、俺もだが、お前のことが心配なんだよ。色んな意味でな」
「……うん。それは分かってるよ。ただ――士狼にだけは、あんまり知られたくなかったかな」
自嘲するように笑う。
それを見て俺は少しムカついた。なぜって、コイツは寂しそうな顔をするより、笑ってるほうが百倍似合うヤツなんだ。こんな顔をしていいわけがない。
「――てめえは、一々落ち込むんじゃねえよ」
「え、士狼っ? 止めてってば、女の子の髪をそんな簡単に触っちゃダメだよっ!」
俺は身を乗り出して、シャルロットの頭をグリグリと撫で回す。美しく梳かれた金色の髪が、呼応するようにしてグシャグシャになった。
「うるせえ。口答えすんな。――いいか、約束しろ。お前はもう二度と俺の前でそんな顔するな」
ビシっと指を差して宣言する。
頭を両手でガードしていたシャルロットは、その言葉に小さく首を傾げた。
「そんな顔ってどんな顔?」
「説明するのも面倒だ。だからよ、お前はずっとバカみたいに笑っていればいいんだ。……その方が、ずっとずっと似合ってるからさ」
俺が言うと、シャルロットは頬を真っ赤にさせて俯いた。
「……おいおい、そんな照れられると俺も気まずくなるんだが」
「う、うるさいなぁっ! 別に照れてなんかないもん! ふーんだ、士狼のバカっ、アホっ、おたんこなすっ、えと……えーと、バカ!」
「はあー、なんか落ち着くなー」
「ちょっとちょっとー! 人が悪口言ってるのに、なんでそんなに和んだ顔でお茶飲んでるのよー!」
やはり俺たちにシリアスな空気は似合わないようだ。
それからしばらくシャルロットは必死に頭を悩ませながら、俺に悪口を言っていた。どちらかと言えばそれはクイズみたいなもので、俺に何かしらの言葉を言ったあと「い、今のって使い方合ってるかな……?」と一々聞いてくるんだから、可愛らしいったらありゃあしない。あ、それはもちろん女としてではなく、バカなヤツとしてってことだ。
「……それでよ。お前、大丈夫なのか?」
言いたいことを言ってスッキリしたのか。幾分落ち着いたところを見計らって、俺はシャルロットに問いかけた。
「正直に言うと、分からない。なんかね、人の悪意っていうのかな。そんなのを感じた途端、胸が苦しくなって、心臓の音が大きくなって、そして嫌な感情が湧き上がってきて」
「嫌な感情? どんなのだよ」
「ゴメン、これだけは言えない。それだけは、士狼に知ってほしくないの」
「……まあ、無理にとは言わないけどな。でも結局、誰にも害はなかったんだろ?」
「うん、それは間違いないと思う。でもさ、もしまたあんなことになったらと思うと、私ちょっと怖くて」
再び顔を曇らせる。
「だからそんな顔すんなって。安心しろシャルロット。もしお前がどんなに悪いヤツになったって、誰かを傷つけようとしたって、そんときゃ絶対に俺が止めてやるからよ」
今度は頭を優しく撫でてやる。
シャルロットは顔を少しだけ赤くして、上目遣いで俺を見つめてくる。
「……ほんと? 絶対だよ?」
「ああ、任せとけ。大体俺を誰だと思ってんだ。バカな吸血鬼の一人や二人、この口だけで止めてみせるっての」
「悪口言う気満々じゃないっ! そうと分かったら絶対、士狼の思い通りにはならないんだからね」
「おう。期待してるわ」
最後にシャルロットは寂しそうに笑って、言った。
「――でもね士狼、もしもだよ。……本当にもしも、私がすっごく悪くて、みんなの――暦荘の人たちの笑顔を奪っちゃうような女の子になったら、そのときは士狼が止めてね」
「任せとけ。ぶん殴ってでも止めてやるからよ」
俺が自分なりに格好をつけて言うと、シャルロットは例の人懐っこい笑みを浮かべた。
「――うんっ!」
それを見て思う。やっぱりコイツには笑顔が何よりも似合うなぁと。
同時に確信した。こんなにキレイに笑うヤツが、みんなの笑顔を曇らせるようなことなんてするはずがないのだ。
しばらく二人してお茶を飲み、湯飲みを上品な仕草で置いてから、シャルロットは何かを思い出したように手をポンと叩いた。
「そういえばさ。なんで士狼は、こんな夜にわざわざ私の部屋に来たのかな」
「ああ、言ってなかったっけ。……あー、そのだな。お前っていま、なんか欲しいものとかあるのか?」
咳払いをしてから声を出す。
これも全部周防のせいだ。シャルロットの入居記念パーティーに際して、みんなでコイツが一番欲しがっているものをプレゼントしようという計画があった。そしてサンタクロースに扮した親よろしく、俺がシャルロットの欲しいものを聞く係になってしまったというわけだ。
「なになに、なんでそんなこと聞くのかな」
「何でもいいじゃねえか。ほら、適当に言ってみろ」
「んー、そうだねえ。……あっ、戦車!」
「――どこの国のどこの家に戦車を欲しがる女がいるんだっ、ああっ!?」
「うぅ、そんなに怒鳴らないでもいいじゃない。ただこの前テレビで見て、ちょっとカッコイイなぁって思っただけだもん」
「一般人があんな高いモノ買えるわけねえだろ。もっとマトモな物を欲しがれよ、バカ吸血鬼」
「バカは余計だよ、バカはっ! でも……そうだね、欲しい物か。特にないけど敢えて言うなら――」
シャルロットは唇に人差し指を当てて、何かを思い出すように思考した後、
「ずっとずっと、みんなとここで暮らしたい。それが私の一番欲しい物、かな」
恥ずかしそうに、そんなことを呟いた。
やっぱりコイツは世界一のバカだ。俺はいま確信した。
「……お前はホント治しようのないバカだな。ここまで来るともう誇れるぐらいだ」
「ちょっとちょっとー! さすがにそれは酷いよ、私は」
「あのよ、シャルロット。俺は『欲しい物』って言ったんだ。もう『持ってるモノ』なんて、誰も聞いてねえんだよ、バカ」
わざわざこんな気恥ずかしい台詞を言わせるなと思った。
なんとなく照れくさくて視線を外していたが、やがて反応のないシャルロットを訝しんで、チラリと彼女を見た。
――微妙に、泣いていた。
「え、ちょっとマジで? なんでお前泣いてるの?」
「泣いてなんてないもんっ! これは心の汗で、心の汗だもんっ!」
「いやいや、二回言わないでもいいけどよ。でもま、お前が心の汗だって言うんなら、そういうことにしといてやるよ」
シャルロットに背を向けて、あえてその泣き顔を視界から外す。ありがとう、という声。どうやら要らぬ気遣いではなかったようだ。
「……あ」
しかし俺の目には、バカ吸血鬼の泣き顔以上の、ある意味最強のトラップが見えた。
――ピンク色の布切れ。そう、なにを隠そう、シャルロットの下着である。
「さ、さーてそろそろ帰るかなー」
大げさに立ち上がる。もちろん体でなるべくベッドを遮るようにして、だ。
振り返ると、シャルロットは少し赤くなった目で、うんと頷いた。
「今日はなんかありがとうね、士狼。家の前まで送るよ」
「いやいやいやいや、お前はそのまま座ってろ、な? 俺が部屋を出るまでは動くなよ?」
「なんで? ……もしかして士狼、何か隠してる?」
「ぜんっぜん隠してない。むしろ隠れてない」
「――? なんか士狼、立ち方変だね。なんでベッドを――て、あっ!」
立ち上がったシャルロットが、俺の背後を覗く。つまりベッドを見てしまう。そしてそこに放置されたピンク色の下着に気づいてしまう。
わなわなと震えるバカ吸血鬼。その隙に忍び足で玄関に向かう俺の背中に、暦荘に響き渡るぐらいの怒声がかけられた。
「士狼のバカー! 最っ低、女の子の下着を私に黙ってずっと見てたんだっ! 士狼はやっぱり変態さんなんだっ!」
「なんで俺の所為みたいになってんだよ! これはさすがにお前の不注意だぞ! むしろ気付かないフリをしていた俺の心遣いに涙を流すところだぞ!」
「言い訳するなんて信じらんない。ちょっと士狼、そこに直りなさい! もちろん正座で」
「分かった、いいぜ。とことん話し合ってやろうじゃねえか。お前が自分のバカさを理解するまでな」
「――上等じゃない。そろそろ私の本気を見せるときが来たみたいだね」
「本気? ……ぷくく」
「あー、笑ったっ! もう絶対許さないんだから!」
こうして俺とシャルロットのバカみたいな口論は、なんと夜明けまで続いた。
途中で何度か雪菜や姫神、周防に大家さんが苦情を言いに来たが、俺たちの言い争っている光景を見て、「なんだいつものことか。これなら仕方ない」とか言って帰っていきやがった。
心外である。なんだかそれでは俺までバカみたいではないか。
――とまあ。
こんな夜もあったと、俺が言いたいのはそれだけである。
ちなみに今回のオチとして。
俺にボコボコに言い負かされたシャルロットは、めちゃくちゃ悔しそうに頬を膨らませて、目を赤くしていた――とさ。