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けれど、狼と吸血鬼  作者: ハイたん
幕間のお話
31/87

其の二 『とある喫茶店の更衣室』


 喫茶店の名はブルーメンと言うらしい。

 すでに名前からして気に入った。なぜって、耳に馴染みのある語感だからである。”花びら”とは、いい趣味をしている。

 私と雪菜せつなと千鶴は、中原さんと名乗った喫茶店のマスターに挨拶をしたあとに、女子専用の更衣室に入った。制服に着替えるためだ。

 士狼の制服はない。というよりも男性は黒系のズボンと、白いシャツの上にエプロンを着けるのがブルーメンの男性衣装だからだ。前もって話を聞いていたのか、士狼は黒いスラックスに白系のシャツを着ていたので、あとはエプロンを着けるだけで事足りる。だから今はカウンターで中原さん――もといマスターと色々と話しているはずである。

 更衣室はそれほど広くない代わりに、真新しいロッカーとオシャレなベンチがあって、四方の壁の一つには腰のやや上の位置ぐらいから鏡が貼られていた。化粧室のようである。というよりも手洗い用の洗面台があるところを見ると、文字通り女性の化粧直しの場という意味も兼ねているのだろう。

 三人揃ってごそごそと服を脱ぐ。

 私と千鶴は元より動きやすい服で来たのだけど、雪菜は相変わらず和服なので私たちより時間がかかっていた。

「ふんふふーん……脱ぎ脱ぎっとー」

 上着を脱いで、キャミソールになる。服を着替える際に鼻歌が出てしまうときって、結構あるんじゃないだろうか。

「やっぱりシャルロットは肌が白いな。体つきも日本人とはまた違っているね」

 私がロッカーに上着を入れたところで、上半身がブラジャーのみとなった千鶴が話しかけてきた。心なしか、胸を両手で隠している気がする。いつもの千鶴とは違う女の子らしい仕草だ。

「えー、そうかな? 別に普通だと思うけど。それにほら、千鶴だってとても身体がスラッとしててキレイだし。モデルさんみたいだね」

「それを言うなら、シャルロットのほうがモデルみたいだろう。手足は凄く長いし、腰だってこんなに括れてる。それなのに胸は大きいなんて反則だ。……よかったら、少し触ってみてもいいかな?」

「あ、うん。千鶴の好きにしていいよ、女の子同士だしね」

 はい、と行儀良く気を付けをする。

 千鶴は興味深そうな顔で私の胸をじっと見た後、壊れ物を扱うかのような感じで触ってきた。

「……凄いな。こんなに大きいのに柔らかいなんて。――それに比べて私は」

「ん? ごめん千鶴、今最後なんて言ったの?」

「ああいや、なっ、なんでもないぞっ。気にしないでくれ、あははははっ!」

 急に笑い声を上げる千鶴に違和感を覚える。その最中にも彼女の手は私の胸を揉んでいた。

「はあ、生きていくのが辛くなるな……」

「えっ!? 急にどうしたの? 私何か千鶴を傷つけるようなこと言った!?」

 千鶴は本当に憂鬱そうに溜息をつく。

 やがて私の胸から名残惜しそうに手を離し、”歩く哀愁”と言っても過言ではないぐらいに微妙な空気を纏っている。

「そうだよな。やっぱり私には女の魅力なんて、欠片もないんだよな。むしろ私なんて、いっそのこと男として生まれるべきだったんだ」

「――ふむ、聞き捨てならない言葉が聞こえましたね。千鶴ちゃん、今なんと?」

 思わず会話を中断して視線を惹きつけるほど強い声を発したのは、ようやく和服を脱ぎ終わった雪菜だった。

 私たちの目の前にある壁に大きく備え付けられた鏡には、更衣室らしく四肢を露出した女の子が三人映っている。みんな揃って上半身は薄着で、体のラインがよく分かる。

 普段はゆったりとした和服を着ている雪菜だから分からなかったけど、薄着となった彼女は意外に豊満な体をしていた。

 そんな雪菜に気圧されるようにして、千鶴の凛々しい顔に怯えが見えた。まるで小動物みたいな反応である。

「うぅ、いや……別に何も言ってない、けど」

「ウソですね。それはとてもウソです。私の耳がおかしくなければ、千鶴ちゃんは自虐の言葉を口にしたはずです。この場合疑うべきは、私の耳か、千鶴ちゃんの言葉か果たしてどちらでしょうね。どうでしょう、吸血鬼さん」

「まあどちらがおかしいのかは分からないけど、とりあえず千鶴は自分に魅力がないって言ってたよ」

「なるほど、やはりですか。ということらしいのですか、どうですか千鶴ちゃん」

「……はい。そんなニュアンスのことを、確かに言いました」

 がっくりと肩を落とす千鶴。

 雪菜は胸の下で腕を組んだ。女子高生にしては豊かな胸が強調される。すると、それを見た千鶴がより大きく肩を落としてしまった。

 小さなため息が聞こえ、雪菜がふむと頷いた。

「もしかすると、千鶴ちゃんは胸の大きさを気にしているのですか?」

「っ――!?」

 ビクンと電気ショックでも流されたかのように震える。

 私は胸という言葉を聞いて、ほとんど無意識のうちに雪菜と千鶴の乳房を見比べた。前者は同年代と比べても立派なもので、後者は同年代と比べるとやや発育が遅れていると言わざるを得ない。

 空気が張りつめて、沈黙が数秒流れたあとに、緊張が弛緩した。

「……やっぱり、私って、胸小さいか」

 それは聞いてほしいけれど聞こえてほしくないような、小さな小さな声だった。

 千鶴は胸を覆い隠すように両手を組んで、随分と落ち込んだ顔で尋ねてくる。

「いやぁ、どうかな。私は別に普通だと思うよ。千鶴ってすっごく細いから、逆にそれぐらいの大きさのほうがピッタリだと思うけど」

「私も同意見です。全く無いわけじゃありませんし、むしろ絶妙なバランスで拮抗が保たれているといった感じでしょうか」

 私も雪菜も慰める気など皆無で、どちらかというと褒めてるつもりだった。

 しかし千鶴はそう思わなかったようで、チラチラと私たちの胸を見たあとに、やはりため息をついた。

「ふん、持つ者の傲慢ってやつさ……。胸の大きな女の子は、いつだって同じようなことを言うんだ」

「違うよー。だから千鶴は今のままで十分に可愛いんだから大丈夫だよ。だって私、千鶴に憧れてるもん」

「あははははははははっ!」

「ホントだってばっ! なんで笑うのかな、千鶴は」

「それよりも予想外でした。まさか千鶴ちゃんが胸の発育を悩んでいたとは。この自称陰陽師である私の目を逃れるとは、やはり千鶴ちゃんはタダモノではなかったということですね」

「わー、相変わらず意味の分からなさ全開だね、雪菜」

「――ところで千鶴ちゃん、そんな貴女に耳寄りの情報があるんですけれど」

 どこか虚空に向けてずっと笑い続けていた千鶴が、あまり期待していなさそうな顔で振り向く。

「どうしたんだ、雪菜ちゃん。……ふーん、なるほど。分かったぞ、どうせ私の胸は大きくなんてならないんだから、諦めて男装でもして生きろっていうんだろ?」

「さすがにそれは自虐が過ぎるというものですよ、千鶴ちゃん。まあそれでも構いませんけどね。――あーあ、せっかく一瞬で胸が大きくなる方法があるというのに」

「――雪菜ちゃん。頼む」

 それは電光石火の早業だった。

 まるで騎士の如く片膝をつき、自らの主君に誓いを立てるように雪菜の腕を取る。元々凛々しい顔立ちの千鶴であるから、それは思わず見惚れてしまうぐらいに決まっていた。ただし、服装は甲冑ではなく下着のみであったが。

「それでこそ千鶴ちゃんです。今一度問いましょう。千鶴ちゃん、貴女は本当に胸を大きくしたいと願いますか?」

「ああ、神に誓って」

 何やら喫茶店の更衣室とは思えない、どこか間違ったような気がする雰囲気が形成されていく。私は最早言葉を挟むのも忘れて、二人の成り行きを見守っていた。

「では千鶴ちゃん、立ち上がって目を瞑ってもらえますか?」

「うん、こうか? 雪菜ちゃん」

 躊躇いもなく直立して、両腕をピシっと横に揃えて気を付けをする。凛々しい眼は、何かを期待するかのように閉じられている。

「よろしいでしょう。では千鶴ちゃん、行きますよ」

 雪菜は騎士に聖なる力を与える聖職者のように宣言する。ただし、服装は礼服ではなく下着のみであったが。

「頼む、頼むよ。本当に頼んだ、雪菜ちゃん」

「頼まれました。では――」

 ちょこちょこと歩いて、雪菜は千鶴の背後に回る。

 そして――その白い両手で、なんと千鶴の乳房をむんずと掴んだのだった。

「――せ、せせせ雪菜ちゃんっ!? 一体何してるんだ!? これのどこが胸を大きくする方法なのか説明してくれっ!」

 揉み揉みとされながらも千鶴は暴れる。しかし中々雪菜を振り払えない。察するに、急に胸を触られたものだから気が動転してしまっているのだろう。

「いやですねー千鶴ちゃんは。女性の胸は古来より、揉みしだかれることによって成長を遂げてきたんですよ。ですから僭越ながら私が、こうして千鶴ちゃんの発育のお手伝いをしようと思ったわけです」

「ちょっと待ってよ。――待ってって! ……あっ――じゃなくてっ! うわっ、今のは忘れてくれ二人とも!」

「うわぁ、凄く女の子っぽい声が出たね。確かに雪菜に胸をいじられる千鶴は、いつもよりもっと可愛く見える気がする」

「そうでしょう、吸血鬼さん。今ばかりは貴女の意見に大賛成です」

「そんなことはいいっ! どうでもいいっ! だからとにかく離れてくれぇ!」

 いつもの様子からは考えられないような叫び声を上げて、千鶴はとうとう魔の手からの脱出に成功した。

 雪菜は名残惜しそうに、両手を中空でわきわきとさせていた。

「……うん。大丈夫ですよ、千鶴ちゃん。今改めて確信しました。やっぱり千鶴ちゃんは今のままが、一番素敵だと思います。胸の大きさで全てが決まるほど、世の中愚かではないですよ」

「そうだよ。千鶴はもっと自信を持っていいと思うんだ。だから胸を張ろう? ね?」

「――胸を張る、か。ははは、張る胸なんてどこにもないけどな」

 これはダメだ。重症のようである。一朝一夕の悩みじゃなくて、きっとそれなりに長い間付き合ってきた問題なんだろう。

 雪菜はともかく、別に私はそんなに大きいつもりは無いんだけどな。個人的な見解としては、標準ぐらいだと思う。特に考えたことがなかったから、よく分からないけど。

「……はあ、しょうがないですね」

 今度は雪菜がため息をついた。

 密室の更衣室に風が流れたかと思うと、千鶴の髪を雪菜が撫でていた。

「千鶴ちゃんは可愛らしいのですから、そんな心配は不要ですよ。貴女のそうやって憂う顔一つで、一体何人の男性が恋に落ちるか――考えたことはありますか?」

 私は思わず「出たっ」と口に出してしまった。

 千鶴は沈んでいた顔を今度は赤くさせて、目に見えて分かるぐらいに戸惑い始めた。

「ちょ、ちょっと雪菜ちゃんっ。近いって、ほら、離れてよっ。それに私なんて全然可愛くないって!」

「バカですね。可愛い子ほど、自分のことを可愛くないというものです。あっ、その条件でいくと千鶴ちゃんは凄く可愛いということになりますね。いやー、ぱないですー」

 必死になにやら言い訳をする千鶴と、追い詰めるが如き肉薄する雪菜。そろそろ慣れてきたこの光景も、落ち着いて見れば色々と分かってくる。

 千鶴が可愛いと言われて本当はちょっと嬉しそうなこととか、雪菜はイジワルじゃなくて本当に可愛いと思っているからこそ言っているのだとか。親友の二人だからこそ、許されるコミュニケーションというのもきっとあるのだ。

 私は向こうのやり取りが終わるまでに、着替えを済ませてしまおうと思った。

 ごそごそと試行錯誤しながら服を整えていく。こういった服を着るのは初めてだったので、いつもの着替えよりも数倍の時間がかかってしまった。

 これで大丈夫なのかと、鏡を見た。喫茶ブルーメンの制服は思わず目を惹かれてしまうぐらいに可愛らしいデザインである。いわゆるメイドというほど装飾過多ではないが、普遍的な喫茶店のそれよりは趣向を凝らしている。匠の一品に違いない――と思いきや、なんとデザインの案を出したのはマスター本人であるというから驚きだ。

 制服を着替え終わった私は、鏡の前で小さくポーズを取ってみる。……うん、悪くない。むしろ自賛が許されるなら、とても似合っていると思う。

 胸元には士狼から貰った子犬のネックレス。でも外に出していては駄目っぽいので、服の内側に入れ込む。他人の目には触れなくとも、私自身は肌に感じられるという寸法である。

 私が準備を終えると、一通り盛り上がった雪菜と千鶴も同様に着替え始めた。

「そういえばさ、二人とも学校とかは大丈夫なの?」

 今日は休日とはいえ、普段学校に通う二人にバイトはどうなんだろうと思っての発言だった。

「何事も経験ですからね。まあしかし私たちは学校があるので、多くはシフトを入れませんよ。マスターからどうしても人手が必要だと言われた場合、もしくは長期休暇などの場合は働けますが」

「えっ、そうなのか? だって雪菜ちゃん、今日はとりあえず試しということで来るだけ来ればいいって……。今日が終われば、私は別にいらないんじゃないのか?」

「千鶴ちゃんは、バイトをする気がないと?」

「いや、そういう訳じゃないけど。でも私にはすることだってあるし、あとこんな女の子みたいな制服を着て働く自信が――」

「大丈夫です。オールオーケーですよ、千鶴ちゃん。何も問題はありません。能力的にも道徳的にも性別的にも、障害はないはずです。そうですよね」

「うーん、でも」

「そうですよね」

「……はい、そうです」

 諦めたように頷く。

 やがて二人とも着替えを終える。雪菜は普段複雑な和服を着ているせいか、制服の着付けもすらすらと行っていた。千鶴は罰ゲームでも受けるかのように、似合わないとか私は可愛くないとか呟きながら、私の更に数倍の時間をかけて着替えた。

 カベの一面に張られた鏡の前で、三人並んで立つ。

 金色の髪を後ろで一つに結わえた、ニコニコと締まりなく笑う女の子がいて。

 夜のような黒い髪を腰まで伸ばした、凛と済ました冷たい美貌の女の子がいて。

 肩程度まで伸びたセミロングの髪に、普段は真ッ直ぐな瞳を恐る恐る鏡に向ける女の子がいて。

 特に共通点のない三人だったが、着ている服だけは同じだった。学校の制服とかを私は着たことがなかったけど、こういうのって連帯感を生むという意味では最高だと思った。

 それにしても雪菜の和服以外の服装というものを、私は初めて見たが意外と違和感なく見れる。そう彼女に言うと、

「いいですか、吸血鬼さん。服というものは着るのではなく、着こなすものです」

 そんな風に不思議な説得力のある言葉が返ってきた。

 あまり時間をかけてもアレなので、私たちは早急に更衣室を出ることにした。

 ドアノブを握った私の脳裏に、ふと様々な思考がよぎる。この先には士狼とマスターがいて、私は男の人にいまの姿を見せるんだなぁと。

「どうした、シャルロット。開けないのか? ――いやまて、別に開けないでもいいぞ。ははは、なんだそうか。開けなければいいんじゃないか。名案だな」

 現実逃避するかのように千鶴はうんうんと頷いていた。

 私はノブから手を離して、ささっと髪を整える。そして服の上からネックレスの子犬を柔らかく握って、再びノブに触れた。

「行こうか、雪菜、千鶴」

 開けた先に待っていたのは、退屈そうにカウンターに腰かける士狼と、厨房で珈琲を淹れているマスターの姿だった。

 心臓が高く跳ねる。

 こうして私たちのお仕事は始まるのだった。



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