其の四 『白銀の吸血鬼』
「一つお聞きしたい」
ロイとニノが激烈な戦闘を繰り広げている裏路地から、ほんの少し離れた距離。
廃れた屋根の上で、カインは一人の男と対峙していた。
「いいでしょ。ボクに答えられる範囲でなら、なんなりと」
「ありがとうございます。貴方は――いや、確かミカヤと言いましたね」
「おやおや、あのカインさんに名を覚えていただけるとは恐悦至極。これは末代までの自慢になりますかねぇ」
「そのようなことなど何の価値もありませんよ。私は一人の吸血鬼に過ぎませんから」
「またまたご冗談を。キルヒアイゼンの威光とは別に、アナタの話もよく耳にしましたよ。ボクたち血族の仲間も、随分とアナタに殺されたらしいじゃないですか。……しかし噂は当てにならないものですね。元来のカインという男は、口調が荒く粗暴であって、一切の慈悲もない吸血鬼だったはずなんですが。まあそれも百年前までの話ですか。――ははあ、何があったのかなぁ? 百年前に」
深く被った帽子のせいで、瞳が見えない。おかげで感情が読みづらく、何を考えているのかが把握できない。
このミカヤという男は言い知れない不安を抱かせる。強者と対峙したときの押し潰されるようなプレッシャーなどではなく、気付かぬうちに進行する病魔のような気持ち悪さだ。こういう推して知れないような輩が、戦場ではもっとも厄介と言える。
ここにいるはずなのに、ここにいないような。人狼であるはずなのに、そうでないような。
考えれば考えるほど、ミカヤという男があやふやになっていく。
「……別に何もありません。所詮、過去の話です、今はいいでしょう。それよりも質問していたのは、私の方だったはずですが」
「あらら、それはそれは申し訳ない。ま、オーケーですよ。何でも聞いちゃってください」
「――では単刀直入にお聞きします。貴方たちはこの日本という国で、一体何をするつもりなのですか?」
正直な話、この極東に位置する島国に吸血鬼はそう多くない。
元々吸血鬼が発祥した地から、遠く離れているというのもあるのだろう。更に日本には古くから、陰陽師と呼ばれる強い退魔の力を持った人間が多かった。それ故か、この国には独自の体系で成った不浄なるものを排除する組織があって、吸血鬼が活動するにはあまり優れた土地とは言えない
上記の事情もあってか、日本に存在する吸血鬼は牙を隠し人に混じる者が大部分を占める。さらに言えば個体数も少なく、吸血鬼狩りにとって優先順位の低い国だ。
ちなみに最も吸血鬼が蔓延ると言われるのが欧州だ。同時に人狼の活動が活発的なのも欧州である。
――しかし、ニノとミカヤはここ日本にいるのだ。疑問に思っても不思議ではない。
「そうですねぇ、観光……かな? うん、観光ってのがやっぱり一番の理由だと思いますよ」
「ふざけないでください。貴方たちの言う観光とは、目に付いた吸血鬼を見つけ次第殺すことをいうのか」
「やだなぁカインさん。吸血鬼なんてついでですよ、ついで。名所を見ている最中に、羽虫が飛んできたら邪魔だと殺してしまうのが性ってもんでしょう?」
「……マジメに答える気はありませんか、ミカヤ」
「分っかりました、分かりましたよカインさんっ。だからそう怒らないでください。ボクはニノとは違って臆病なんですよ」
「ニノというと、確かあの赤い髪をした少女のことですね」
「はい。そして彼女の目的こそが、ある意味ボクたちが日本に来た一番の理由ですかね。アナタも聞いたことがあるでしょう? ――”ヘルシング”って」
「――まさか」
「そうです、吸血鬼狩りの思想に賛同した五つの血統。そこから除外された、あるべきはずだった六番目の名ですよ。吸血鬼殺しの祖とも言うべき、ある意味で最も偉大な名を受け継いだ少女――それがニノです」
両手を広げ、まるで唄うかのようにミカヤは哂った。
ヘルシング――恐らく『吸血鬼』に携わる関係者で、その名を知らない者はいないだろう。
とある一人の小説家が著した本がある。それに登場する吸血鬼ハンターが、かのヘルシングの名を持っていることで有名だろう。吸血鬼殺し――いや、本来ならば吸血鬼狩りの代名詞であるはずの名だった。
しかし歴史と小説は違う。恐らく物語の登場人物としてのヘルシングと、現実において吸血鬼を殺す”ヘルシング”はある点に置いて大きく違う。そうだ、確かに”ヘルシング”一族は吸血鬼ハンターとして誰よりも敬われるはずだった。
――忌み嫌われる、人狼の血族でなければ。
「別にニノにとって、吸血鬼狩りとか人狼だとかは、恐らくどうでもいいんですよ。憎しみも望みも誇りも、何も持っちゃいない。ただ彼女は一族の悲願を果たすのみですよ」
「悲願――?」
「そうです。とある高名な小説家が著した本には、ドラキュラと名乗る吸血鬼が登場します。人間社会において吸血鬼の存在が浸透しているのは、恐らくこの名のせいでしょう。――ここで問題。そのドラキュラとは、一体だれをモデルに描かれたのか。さてはて」
「……何が言いたい?」
「簡単なことですよ、カインさん。ボクのようなしがない人狼の血族でも、当然知っていますよ。――通称”悠久の時を生きた吸血鬼”。彼が持つ数百の名の一つが、そのドラキュラだってことはね」
カインは考える。……ありえない話ではない。
通称”悠久の時を生きた吸血鬼”は、恐らく数百単位で名を持っている。ある時は一人の吸血鬼として、ある時は貴族として、ある時は一国の王として、ある時は父として。
吸血鬼として二千年近い生涯を生きたのだ。その果てしない時間の中で、偶然にも一人の小説家と出会い、モデルとして描かれたとしても何らおかしな点はない。
しかしその話が何を意味するのかが分からない。通称"悠久の時を生きた吸血鬼”の話と、ヘルシング一族の話。今この場において、それらを語ったとして一体どれほどの益になるというのか。
「要領を得ませんね、一体何が言いたいのですか? 単刀直入に聞いた以上は、率直に答えてほしいのですがね」
「はいはい、ならば言っちゃいますが――通称”悠久の時を生きた吸血鬼”。そんな偉大なる吸血鬼の遺児を、ボクたちは探しに来たんですよねーこれが」
ニヤニヤと。
まるでカインの反応を伺うかのように、ゆっくりとした口調でミカヤは告白した。
帽子に隠れた瞳はどのようになっているか分からない。しかし口は、まるで三日月のように酷く歪んでいた。
それはどこまでも心を抉るような、哂い。
「何を言っているのか分かりませんね」
「おっと、隠しても無駄ですよ。調べはついている、ってやつです。名前はそうですね――シャルロット、でしたか?」
「っ――」
「ですが居場所が分かりません。そこでカインさんにボクからもお聞きしたいんですよ。ニノの、いやヘルシング一族の悲願――通称”悠久の時を生きた吸血鬼”の血を引く者の抹殺という願いを、叶えさせてやってくれませんかねえ?」
ダメだ……そうカインは思った。
このミカヤという男の声からは、確信が感じられる。カマをかけていたり、噂に惑わされたり、勘を頼りにしているといった曖昧さはない。
誤魔化すことは不可能であった。
せめて動揺を悟られないようにと、カインは心を落ち着かせようと努める。
「んーこれまた微妙な情報なんですが。どれぐらい前かな? 一ヶ月ぐらいですか。まるで一人の吸血鬼が日本を旅するかのように、目撃情報が相次いだことがありましたね。巧妙に情報を隠蔽していたようですが、どうもおかしな点が見受けられる。――なんででしょう? とある街で、その吸血鬼の話が途切れているのは」
ドクン、と。
心臓が暴れるように鼓動を打った。
「……なるほど、やはりですか。これで大体の場所は分かりましたよ、カインさん」
内心を悟られている。
マズイ、これはマズすぎる。せっかく彼女が掴みかけた幸せを、まさか誰よりも幸福を願った自分が壊してしまうかもしれない――
「……一応、聞いておきます。手を引くことはできませんか、ミカヤ」
「あ~、ごめんなさい。ムリですね。個人的にも彼女には用がありますので」
あっはっはとミカヤは声を上げて笑う。
「仕方ありません、ならば実力行使と参りましょう」
「ええ、出来るものならどーぞ。まったく、結局こーなる」
瞬間、銃声があった。突然すぎるほどのその発砲
傾ぐ体はミカヤのもの。
紡ぎかけた言葉は、最後まで発声されることはなかった。
恐るべきクイックドロウ。銃声は一度しかしなかったはずなのに、ミカヤは両足を撃たれて跪いた。
「――動くな。あまり吸血鬼を舐めるものじゃありませんよ、小僧」
拳銃の先を頭に向ける。
カインとしてはこのまま即座に殺してしまいたかったが、目的を聞き出すまではそれも我慢するしかない。二人が個人ではなく、組織ぐるみで動いている可能性もある。この世界で最も恐ろしいのは無知に他ならないことをカインは理解していた。
もし口を割らないのなら、拷問をしてでも吐かせるつもりだった。足を撃ったのはただ多少なりとも動きを止めるためであり、この程度は挨拶のうちにも入らない。死にたいと懇願したくなるような拷問の方法ぐらい、カインは得意ではなかったがそれなりに知っていた。
ミカヤの言葉を待つ。あれから反応はなく、蹲ったままだ。
不気味なまでに静寂した空間に流れているものは、今は風と時間ぐらいのものだった。
「……調子に乗りやがって」
静寂が破られる。
低く押し殺したような、ドスの聞いた声。ゆらりと立ち上がる。
つばの大きな帽子が落としてた影の中に、金色の瞳が浮かび上がる。一体どれほどの悪意を持てば、このような眼が出来るのか。どこまでも飲み込まれるような、殺意に満ちたその双眸。
それを見た瞬間、思わずカインは発砲していた。
仰け反る体。ミカヤの上半身が強い衝撃に弾かれた。頭部に銃弾を打ち込まれたからだ。
「ケっ……痛ってなぁ。オレ様じゃなかったら確実に死んでんぞ」
やれやれ、と体を戻したミカヤは、口から唾のように金属の塊を吐き出した。それは何処からどう見ても銃弾であって、超スピードで放たれた鉛の玉を、彼が歯で噛み挟んで止めたことは明白だった。
「それが貴方の本性というわけですか、ミカヤ」
「さあ、どうかなぁ? もう質問に答えてやる義理はねえよ、カインちゃん」
暗がりの中で、再び二人は対峙する。
銃を構えるカインとは対照的に、ミカヤは指をパチンと鳴らした。
――直後、影から一匹の狼が出現した。
まるで闇で出来たかのような漆黒の体躯。丸みを帯びた獣のフォルムは、闇夜に紛れる暗殺者を思わせる。影より現れたソレは、けれど質量を持っていて、なによりちゃんと生きていた。
「これは……、使い魔?」
「ハハハハ! よーく知ってんじゃん。そうら、行くぞ!」
掛け声と同時に狼は月に向かって遠吠えをし――凄まじい速度でカインに向かって疾走を始めた。
かろうじて突進を避ける。影の狼は目標を見失っても直進し続け、片隅の倉庫にぶつかった。
……一軒家に相当する大きさを持った倉庫が。
バラバラと音を立てて、崩壊した。
「……なんてデタラメな威力だ」
振り返って呆気に取られたまま、舌を打つ。
「――あーあ、注意が逸れてんぜぇ? 吸血鬼ちゃん」
その直後だった。滑り込むようにして眼前まで迫ったミカヤが、体を大きく捻って回し蹴りを打ち込んでくる。
ギリギリで察知したカインは、両手をクロスさせて蹴りを迎え撃ったが、衝撃自体を中和することはできずに吹き飛ばされた。
何度も地面を転がって、ようやく体が止まる。
「がはっ――!」
肺から空気が漏れ出し、何度も咳き込んだ。その中に赤い血が混じっていたことを、カインは気付かないフリをした。
すぐさま体勢を立て直そうとするが、ミカヤが接近するほうが明らかに早い。同時に暗がりから挟み撃ちをするかのように、再び影で出来た狼が現れた。
絶対絶命――そんな言葉が脳裏を掠める。体勢を立て直そうと足掻く隙を見逃すほど、ミカヤという男は甘くない。
金色の瞳を覗かせたミカヤと、遠吠えをして疾走する狼が肉薄する。
その刹那。
まるで鈴のような少女の声がした。
「世話が焼けるのう、お主ら。ワシの手を煩わせるようでは、ご先祖様に顔向けできんぞ」
その声を聞いて、愉しいと哂うミカヤが、血を吐き出しながらも立ち上がろうとするカインが、倒れた人間にトドメを刺そうとするニノが、振り下ろされる『死』に対し無念を呟くロイが、例外なく動きを止めた。――否、静止せざるを得なかった。それほどまでに凶悪な威圧があったからだ。
次いで、強大な吸血鬼の気配が空間を侵食していく。これほどの力ならば、恐らく千年を生きた吸血鬼と比べても遜色はあるまい。
皆が顔を上げる。
高く伸びた建築物の上に、まるで月を背負うようにして小さな少女が座っていた。
ツインテールに縛られた白銀の髪。天使のようなあどけなさと、悪魔のような狡猾さを持った美しい顔立ち。果てしない蒼穹を思わせるかのような蒼の瞳。両耳で揺れる、髪の銀と共鳴するかのように光るシルバーピアス。十ほどの年月しか生きていなさそうな幼い身体。視界に収めた者を例外なく萎縮させる威圧。
吸血鬼狩りを設立した”千年公”。やがて思想に賛同した、貴族の名を持つ五つの吸血鬼の血統。それらの中でも最大の規模を誇り、数多くの勇名と白銀の髪を持つ一族――キルヒアイゼン。
その今代における当主。
月を従えるかのような銀色の少女を見て、ミカヤが忌々しげに名を言った。
「――フランシスカ・ルナ・キルヒアイゼン――」
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「――フランシスカ・ルナ・キルヒアイゼン――」
不気味なまでに静まり返った夜を、たった一人の吸血鬼が支配する。
ツインテールに結ばれた白銀の髪は、絹よりも滑らかで美麗。小さく揺れる銀色のピアスは、まるでパズルにはめ込む最後のピースのように収まりがいい。見る者を虜にする冷たい美貌は、もはや一種の暗示染みた強制力がある。およそ普遍的な吸血鬼とは似ても似つかない圧倒的な力を持つその少女は、しかし外見的には十ほどでしかない。
『吸血鬼狩り』の思想に賛同した五つの貴族。その中でもキルヒアイゼンと言えば、主に闘争を担った一族だ。相手が人間であろうが吸血鬼であろうが人狼であろうが問わない。ただ自らの覇道を阻む者は、例外なく抹殺するのみ。
キルヒアイゼンにおける今代当主、
フランシスカ・ルナ・キルヒアイゼン――それが瞬く間にこの場を支配した吸血鬼の名だった。
「――ケッ、面倒なヤツが出てきやがった。随分と久しぶりだなぁ。あー? 何のようだぁ? ロリババア」
金色の瞳を忌々しげに細めて、天高く座す銀色の少女に問いかけたのはミカヤであった。
「吼えるな、小僧。全くもって手間をかけさせてくれるものよのう。よもやこの極東の島国にいるとは、おかげで手間がかかったわい」
射殺すほどの殺気を、まるで風を流すかのようにフランシスカは受けた。まるで自分に向けられた殺意が心地よいものであるとでも言うように。
「しかし、どうしたものか。彼奴を追いかけて来てみれば、なんとそこにいるのは我が弟と、我が舎弟ではないか。――ほれ、近う寄れ」
右手の指で中空に文字を描く。
複雑な紋様が浮かび上がったかと思えば発光し、倒れていたカインとロイの体が浮かび上がる。そのまま吸い寄せられるかのように、彼らはフランシスカの足元へと運ばれた。
「……まさか、姉上ですか?」
「誰じゃと思うておったんじゃ、弟よ。しばらく振りじゃのう」
そこで初めてフランシスカに友好的な笑みが見えた。弟の失態を情けないと嘆くと同時に、問いかける声はまさしく姉のそれだった。
次いで、彼女は再び指で何かを描く。それは先ほどと同じように紋章を浮かび上がらせ、激しく明滅したあと、溶けるようにしてカインとロイに降り注いだ。二人の体に負った傷が、少しずつではあるが確実に消えていく。
「……っ、なんでこんなところに姐さんがいるんだよ」
体を起き上がらせ、自分の体の状態を確かめながら、ロイが言った。
「ほほう、お主も久しぶりじゃのう。人間にしては見所のあるヤツだと思うておったが、あの小娘には敵わなんだか」
「ぐっ――」
図星を衝かれたとでも言うように、ロイが顔を強張らせた。
そのようにして戯れる吸血鬼とは裏腹。裏路地にいたニノが一足飛びでミカヤの隣に着地する。
「ミカヤ、あの子供はなんなのよ。せっかくいいところだったのに水を差されちゃ、たまったもんじゃないわ」
「オイオイ、ああ見えてあのロリババアは七百年近く生きてる。一応お前より老けてんだから、ちゃんと敬意を持ってロリババアと呼んでやれや」
「――ウソでしょ? 七百年ですって? ……どう見てもアレは――」
たかが七百年程度ではない、と。ニノは続く言葉を飲み込んだ。
「口に気を付けろよ、小娘。いくらワシが寛容じゃからといって、目に余れば潰すぞ」
立ち上がったカインとロイを統べるかのようにして、フランシスカが人狼を見下しながら哂う。
「ふん、言ってくれるじゃない。キルヒアイゼンの当主様にしては、随分とお子ちゃまみたいね。噂に聞いてたのよりもずっと弱そう」
「はっはっはっ! これは愉快なことをっ! 相対する兵の実力すら見極められんガキが、このフランシスカ・ルナ・キルヒアイゼンによくもそんな口が利けたものじゃ」
「――なんですって」
「聞こえんかったか? ガキ」
「っ――」
フランシスカが凄惨に口元を歪めて、ニノを一瞥する。
空気が張り詰めて、場に緊張が満ちる。呼吸をすることさえ許可が入りそうなほどの、押さえつけるかのような威圧。
「オイオイ、落ち着けやロリババア。あんま張り切ってんと、そのうちポックリ逝っちまうぞ」
その一言に、ロイが顔を掌で覆って呆れ返った。
「姐さんにあんな言葉遣いするとか、アイツは自殺願望でもあんのかよ……ん、ていうかカインよ。あの帽子被ってるいけ好かないヤツ、なんだか雰囲気違わないか? あんなに生意気な口調じゃなかったよな」
「うぜぇぞミジンコ。死にたくなけりゃ引っ込んでろや」
「――上等だ。何だか分からねぇが、とにかくお前は俺がぶっ殺すことにした」
「ヒュー、言うねえ。オレ様にそんな口を利いた人間は、今んところてめえで二人目だよ」
ロイの敵意を受けたミカヤは、むしろそれこそを望んでいたと口笛を吹いた。
ミカヤにとって敵が敵である条件とは、自分と同程度の力を持つ存在などではない。ただ明確な敵対意思を持って、自分に相対するか――という一点のみだ。例え相手が虫であろうと、仮に挑みかかってくるのなら彼はそれを敵と認めるだろう。
その点で言うのなら、少し前にニノとミカヤが殺した吸血鬼の男は論外だ。敵わないと悟るや否や、ただ逃走することにのみ心血を注いだ。愚かであるとしか言いようがない。殺る気がないのなら生きていても仕方ないだろう――そうミカヤは考える。
ロイと視線をぶつけた後、埒が明かないと思ったミカヤは、白銀の吸血鬼に向き直った。
「んで、何の用だ、ロリババア。これ以上てめえの発育皆無な体なんざ、これっぽっちも見たくねえんだよ」
「何用……じゃと? ふん、しらばっくれるのもほどほどにせい。ミカヤ、貴様――銀貨はどこにある?」
不敵に笑っていたフランシスカの顔から笑みが消える。
ミカヤは帽子を押さえながら、金色の瞳で彼女の視線を正面から受け止めた。
「さあ、どこかなぁ? これでもしオレ様が海の向こうに置いてきたっつったら、てめえはそっちに行ってくれんのか?」
「――いんや。どちらにしろ、貴様をブチ殺すという予定だけは狂いない」
「だろうな」
「だろうよ」
言葉と視線で牽制し合う二人の傍ら、ロイが首を傾げていた。
「銀貨? なんだそりゃあ」
「……ああ、そうか。ロイは知りませんでしたね。一言で言えば」
疑問の声にカインが答える。
「銀貨――恐らくこの地球上で唯一にして絶対の、吸血鬼を殺すためだけの兵器です」
「――おいおい、そんなおっかねえ代物があるのかよ」
「そうじゃ」
フランシスカが頷く。
「かつてローマに、それはそれは人間とは思えないほどの、強い力を持つ巫女がおっての。神の声を聞くことさえ出来たというその女が、自らの命を賭して禁じられた式典を使い、決して解かれることのない聖なる祝福を捧げた『純銀』。その強力な法護の祈りをかけられた銀を基にして作られた五つの兵器こそが、銀貨じゃ」
彼女は言う。それは武器の形態をしていようと、最早兵器であって、およそ人の形をした生き物が扱ってよい代物ではないと。
「ワシが二百年の間、世界中を探し回ってきたが二つしか所在が明らかにならなかった。――そしてそのうちの一つを」
「あのミカヤっていう男が持っているわけか、姐さん」
吸血鬼狩りたちの視線が、一人の男を捉える。
狂気に彩られた金色の瞳を歪ませて、ミカヤがニヤリと哂った。
「ク、クク――ハハハハハハハハハハッ!」
突如高笑いをし始めたミカヤに、カインとロイが身構えた。
「――だったらどうだってんだぁ? ええ、ロリババア。てめえには何の関係もねえことだろうが」
「愚か者が。少なくとも貴様にだけは預けることはできん」
「ケッ、つまんねーなぁ。おいロリババア、てめえが観測した”アレ”はもう一つあるんだろ? とにかくそっちを先に回収してこいや。オレ様は今忙しいんだよ」
「そうしたのは山々だがな。数年前以来、行方が途絶えたままだ。――故に、まずは所在が明らかな貴様のモノを回収させてもらおう。三つ数える。出せ」
「あーあ、融通の利かねえお年寄りはイヤだねえ」
「一つ」
「てめえとだけは闘り合いたくないと思ってたんだぜ? どうしても闘るってのかよ」
「二つ」
「メンドくせぇな、――でも、ま、そこまで言うなら」
「三つ」
「まずてめえから消してやるよ、ロリババア」
刹那。
大地を揺るがすほどの強い衝撃があった。
素早く振られたフランシスカの指先が、中空に巨大な紋章を描く。激しい明滅の後に巨大な雷が発生し、雷鳴が周囲を包み込む。およそモノに喩えられないほどの大きさに膨れ上がった轟雷は、凄まじい速度でミカヤに向かって襲い掛かる。
「甘えよ、ロリババア」
パチン、と指を鳴らす。その乾いた音は、この息の詰まりそうな殺気の中においては酷く場違いに思えた。
ミカヤの影から銀色の塊が出現する。ふわふわと頼りなく揺れる”ソレ”は、フランシスカが放った雷に触れる瞬間――幾重にも束ねられた鎖となって、彼を防護する。空間そのものに漂うようにして宙に浮かび、何か底知れない力を秘めた純銀の鎖が、編み込むように連なって盾となる。
強い魔力を秘めた雷は、しかしその銀の鎖に吸い込まれるようにして消失した。
「――おいおい、マジかよ……。姐さんのアレをいとも容易く防ぐなんて」
フランシスカが放った雷は、優に一個中隊程度なら軽く全滅させるほどの威力を持った一撃だった。
それをミカヤは微動せずに防いだのだ。ロイからしてみれば正気の沙汰ではない。
「死ねや、吸血鬼が」
純銀の鎖が雷を打ち消した直後、意志を持っているかのようにしなり、フランシスカに向けて迫る。
明らかに通常の武器や兵器とは違う。持ち主であるミカヤは”ソレ”に指一つ触れていないし、特に命令を下している訳でもない。しかしまるで彼の言葉を代弁するかのように、吸血鬼を殲滅しようとする。
恐らく数十程の鎖があった。現在はミカヤの影から生えるようにして、先端は浮遊している。元はさほど大きくない銀色の塊だったはずなのに、鎖はその質量をどこからどう見ても超えている。ここまで法則を無視されると最早不気味だ。
すぐ側まで迫った純銀の凶器を前にしても、フランシスカは特に動きを見せない。やがて僅か一メートルほどまでに接近した直後、鎖は見えない何かに阻まれるようにして動きを止めた。まるでそこに壁があるかのように。
凄まじい勢いで襲い掛かった鎖は、同時に突如出現した透明色の何かに弾かれて、再び距離を離していく。
「ケっ、障壁……ねぇ。”コレ”を問答無用で弾くほどの術式を即興で編むなんざ、てめえ本当に吸血鬼かよ」
帽子を押さえて、ミカヤが金色の瞳をうざったらしそうに細める。
「……ふむ。相変わらず厄介じゃの。発生した力の根源が吸血鬼ならば、例えそれが万物の一つであろうと消し去るか」
「当たり前だっつーの、ロリババア。分かるかぁ? ムダなんだよ。てめえら吸血鬼がいくら飛び回ろうが、結局は踏み潰されて終いになる運命なんだよ」
「なるほど、あい分かった。ならば次は十倍の威力で撃とうかの」
フランシスカが淡々とした所作で、再び紋様を描く。それはすぐさま直径にして数十メートルほどに膨れ上がって、街の夜を発光によって照らし上げる。
「――お待ちください、姉上っ。さすがにソレは街に甚大な被害を及ぼしかねません。どうかお気を鎮めてください」
「弟よ、お前はワシに放たれた数々の暴言を見過ごすというのか?」
「姐さんっ! カインの言うとおりだ。ここいらをぶっ飛ばしちまったら、後で確実に首領に小言吐かれんぞっ! だから落ち着いてくれっ!」
「…………」
淀みなく流麗に動いていた指が止まる。
小さなため息があった。
「――ああ、分かった分かった。お主らがそこまで言うなら、鎮めてやるわい」
白銀の髪を揺らし首を振ったフランシスカは、投げやりに手を振り、巨大な紋様を掻き消した。
「なんだよ、もう終わりか? ロリババア」
「ふん、相変わらず減らず口を叩くヤツじゃ。これも可愛い弟と、舎弟の頼みなんでのう。この場だけは見逃してやる。手加減しながら殺し合うのはワシの性に合わん」
「へえ、丸くなったもんだねぇ。数百年前のてめえなら、確実にこの場でオレ様を殺ろうとしてんじゃねえ?」
「勘違いするでないぞ、別に貴様を見逃すわけではない。ただ愛しい弟と舎弟の懇願を無碍にするほど、ワシは狭量じゃあないんでのう」
拗ねたように口を利く彼女の傍らで、カインとロイが密かに胸を撫で下ろしていた。
宙空に浮かんでいた銀の鎖が収束していく。やがて一つの塊となったそれは、ミカヤの影に潜って消えていった。
それを確認したミカヤは帽子を深く被り直す。つばの広い帽子が影を落とし、狂気に満ちた金色の瞳が見えなくなった。
「――やれやれ、乱暴なお人だ。もう少し落ち着きというやつを、お持ちになったほうがよろしいのではないですかねぇ。……ニノ、ここは退きますよ」
上品な仕草と丁寧な口調でそう言ったミカヤは、となりにいる赤い長髪の少女に向き直った。
「あ――ああ、分かったわ。……行きましょ」
呆然とした様で成り行きを見守っていたニノが促す。
闇夜に紛れるようにして人狼が行く。
「――ミカヤ。うぬはいつか、ワシがブチ殺してやる」
殺意を乗せた覇気ある声。
黒い背中が止まる。ミカヤが振り返る。
彼は黒い帽子のつばを人差し指で持ち上げ、数瞬のみ金色の瞳を垣間見せた。
「ク――はい、楽しみにしていますよ。フランシスカ・ルナ・キルヒアイゼン」
しかしそれも刹那のこと。狂気の瞳を見せたのは喉で笑ったそのときだけで、すぐさま帽子によって隠された。
堂々とした足取りで、影絵の街に人狼が消えていく。
それを口惜しそうに見送ったフランシスカは、カインとロイを見た。
「やれやれじゃわい。――それで無事か、弟に舎弟よ。まったく心配をかけさせるヤツらじゃ。まあそのへんが愛いのじゃがのう」
腕を組んで、見た目幼い少女は高らかに笑う。
カインとロイもつられて苦笑しながら、絶対にアナタのほうが心配で見ていられないけれど、と心の中で呟いた。
こうして、とある夜の、一つの邂逅が終わった。