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けれど、狼と吸血鬼  作者: ハイたん
第二月 【星見の夜】
24/87

其の十二 『星見』

 


 一人で星を見ていると、士狼が近づいてきた。

 とても静かな夜だった。まるで世界にひとりぼっちになってしまったみたいな静寂だ。でも少しだけ向こうに焚き火が燃えていて、その辺りにみんながいると考えれば、不思議と心が温かくなって来る。

 なんとなく微笑ましい気持ちになって、ふたたび空を見上げる。そのまま星を見上げて、数えて、いくつ瞬きをなぞったか分からなくなった頃、士狼がとなりにやってきた。

「おいおい、そんなに見て大丈夫か。来たばっかりなのに飽きちまったらどうするつもりだ。夜はまだ結構長いんだぜ」

 ポケットに手を突っ込みながら、士狼はキザったらしくそう言った。けれどその格好つけたような態度が、士狼にはとても自然で似合っていた。

「言っておくが、冬が寒いのは俺がやったんじゃない」

「分かってるよ、そんなこと。私は別に怒ってなんていないし、士狼のせいだなんて思ってないからね」

「そうか、そりゃよかった」

「うん、よかったでしょ」

 二人してなんとなく笑う。さっきまでのイヤな気持ちは消えてなかったけれど、今だけは自然に笑みが零れた。

 星を見る。それだけの行為。でもそんないつでも出来て、誰でも出来て、誰とでも出来ることだからこそ価値があると思うのだ。

「……にしても、今夜は星が多いな」

「そうだね。きっと星さんも空気を読んでくれたんだよ」

「なんだそりゃ。星さん凄いな、光るだけじゃなくてそんな高性能な機能もついてんのかよ」

 なんだか士狼と話すのは久しぶりな気がした。やっぱり私たちはこうやって、バカみたいな会話をするのが一番合っているのかもしれない。

 黙って夜空を見上げていた士狼が、そうだ、と手を叩いた。

「ようバカ吸血鬼。お前さっきの露天で、なんか欲しいアクセサリでもあったのか?」

「えっ? べ、べつになかったけど。なんで?」

 いきなり言われて戸惑ってしまった。

 あのネックレスのことを思い出すと同時に、態度の悪い私を思い出してしまったからだ。

「そうか。その割には、あんなガキっぽい子犬のネックレスをずっと見てなかったかお前」

「ちょっとちょっとっ! 別にアレ子供っぽくないよ、絶対可愛かったもん! あ、ていうかそんなの見てなかったもんっ!」

「ほー、そうだよな。あんなの見てなかったよなー。どうせ今頃、あの子犬のネックレスはどっかのバカで泣き虫なガキにでも買われて無くなってるだろうよ」

「ふ、ふん。別に私には関係ないし」

 あの小さな犬を象ったネックレスが、他人の首にかかってるところを想像すると心が痛んだ。

 私はもう少し見ていたかっただけで、別に欲しかったわけじゃない――嘘、本当はちょっとだけ、自分が首にかけているところを想像したりしていた。

 思わず視線が下がって、星が見えなくなって。視界には地面にある芝生が映り、その緑を踏む士狼の足が見えた。そして彼のつま先が私に一歩近づいた。

 ……首にこそばゆい感触があった。私の長い髪をふわりと掻き揚げるように、風が吹いた。

 ――否、それは間違いだ。別に風などなく、ただ士狼が後ろ髪を持ち上げただけだった。

 顔を俯けていた私には当然、胸元が見える。けれどおかしい。その視界の中に、あるはずのないモノがあるような気がする。

 それは小さな犬を象った、少し子供っぽいけどとっても可愛らしいネックレスで――

「ウソ――これって、士狼……え、なんで、だって私なんにも」

「バーカ。だから言っただろ。あの子犬のネックレスは、今頃どっかのガキにでも買われてるだろうってな。お前の首にあるんだから、そりゃもうお前が買ったんだろうさ」

 手が震える。寒さじゃなくて、困惑で。

 事態を把握するのに時間がかかる。もう二度と見ることのできないと思っていたネックレスが、今は私の胸元にある。そのチェーンに繋がれた可愛らしい子犬を指に取って、撫でるようにして確認した。

「やっぱりそのネックレスは、子供っぽいヤツに似合うな。まあ、せいぜい大事に――っておいおい、なに泣いてんだよお前っ!」

「え――わたし、泣いて、る?」

 子犬のネックレスに上に、透明色の雫が落ちる。頬に冷たい水のようなものが流れていることに気付き、それを意識した直後に視界が霞んでいることにも気が付いた。

 ……本当、バカみたいで子供みたいだ。こんなことで泣いてしまうなんて。

「ぐすっ、うえーん! 士狼ー! ありがとうー!」

「うわっ、抱きつくなバカ吸血鬼! あーもう、うざいんだよてめえ!」

 感極まって抱きついてしまった。それにちょっとだけ顔を赤くした士狼はジタバタと暴れる。

 今だけは恥ずかしいとか、そんな気持ちはちっともなくて。ただ純粋にこの喜びを士狼にも知ってもらいたかった。その喜びの表現の仕方が抱きつくって言うのは、我ながら頭が回らなくて恥ずかしいけど。

 動き回る私は首周りに、いつもとは違う違和感を感じた。それは首にかかる小さな、本当に小さな重みだ。きっと私とすれ違う人間のほとんどが気付かなくて、対面して話してようやく分かってくれる程度のネックレス。でも士狼が初めて私にくれた、大切なプレゼント。

 これでもう大丈夫だ。初詣のときのイヤな気持ちは完全に無くなった。違う、無くなったんじゃなくて、それを上回る圧倒的な想いによって塗りつぶされた。

 二人してはしゃいで、息が切れた私たちは芝生の上にごろりと寝転んだ。立って見ているよりも、何倍も星が綺麗に見える。視界が夜空だけになって、そのあちこちに星が瞬いていて。ここまで幻想的な光景もそう無いだろう。

「綺麗だな、星。いつも歩いて見上げる空も、こうして寝転んで見るのも悪くないもんだ」

「そうだね。……うん、本当に綺麗」

 やがて私は指先を夜空へ向けた。ほとんどの星をもうどれを数えたか分からなくなるぐらいに計算して。

 そして最後に、まだ見ていないあの星を思い出したのだ。

「こんなに星がいっぱいあるんだもん。どうせだから流れ星さんも見てみたいな」

「そんな都合よく流れるわけねえだろバカ。俺なんて自慢じゃないが、今までの人生で一度だって見たことないぜ」

「ウソでしょ? さすがにそれは運が悪いというか、むしろ士狼の目が節穴なんじゃないかな。私は何度か見たことあるのに」

「そりゃあお前は百年以上生きてる年増だか――うそうそ、冗談だからそんなに睨むなって」

 冗談に聞こえないところがタチが悪い。私だって女の子なんだから、あんまり年増とか言われると拗ねちゃうのだ。かすかに頬を膨らませながら、やおら夜空に視線を戻した、そのときだった。

「あっ――」

 一筋の光が見えた。細い細い、箒みたいな光。流れ星だった。

「おいおい、マジかよ……今の見たか、バカ吸血鬼」

 ビックリしたような士狼の声が聞こえる。でもいま私はそれどころじゃなかった。

 瞼を閉じて、必死にお願いをする。別にムリな富や名誉を望んだり、私を吸血鬼じゃなく人間にしてくれとか無茶なお願いはしない。お金や名声はいらないし、私は自分が吸血鬼であるということに誇りを持っている。

 だから、えっと、これからもみんなと一緒に暦荘で暮らしたいとか、雪菜が私に優しくなりますようにとか、あわよくば大家さんみたいな胸に育ちますようにとか、もっと士狼が私のことを見ますようにとか。なんかどさくさに紛れてヘンなこととか恥ずかしいことまでお願いしちゃったような気がしたけど、今夜はこんなにも星が綺麗だし、野暮なことは言いっこなしなのだ。

 気付けば流れ星は消えていた。それは飛行機雲みたいに名残を残すことなく、まるで幻のようだった。

「初めて見たぜ流れ星。これである意味、自慢が一つ無くなったのは美味しくないな。――て、そういえばついでだからなんかお願いしときゃよかったな。おいシャルロット、お前はなんか頼んだのか? 一億円くれとか」

「ちょっとちょっとっ、私は別にそんなのいらないもん! 私がお願いしたのは――」

 ふと横を見やる。すぐそばに士狼の顔があった。ちょっと目つきが悪いけど、よく見れば優しい顔。白い髪が風になびき、寒気によって赤くなったほっぺたが可愛らしいと思ってしまった。愛しいと思ってしまった。温めてあげたいと思ってしまった。

 穏やかだった鼓動が勢いを増す。全身が熱い。あれだけ冷たかった肌は内側からぽかぽかと温かくなり、私の頬をうっすらと紅潮させる。本当、士狼は卑怯だ。こんな夜に気付かせるなんて、卑怯だ。

「お願いしたのは、なんだよ。気になるじゃねえか、聞いてやるから教えろバカ吸血鬼」

「ちょっとちょっとー! バカってなによ、バカって! そんなこと言う士狼には、絶対教えてあげないんだから!」

「はあ? 俺は言いかけて止められるのが一番嫌いなんだよ。モヤモヤってするじゃん、今日眠れなかったら絶対お前のせいだな」

「ふんだっ! 士狼のバカ、アホ、おたんこなす、えっと、バカ!」

「おーい、バカが二回入ってるぞー。もうちょっと頑張ろうな」

「またバカにしてー! もういいしっ、士狼のことなんて知らないし! 私あっち行くからね」

 立ち上がって大家さんたちのところへ向かう。やがて仕方なさそうにため息をついて、士狼が後ろを追いかけてきた。

 夜はまだ明けそうになくて、この夜天の星に教えられたことは、ちっぽけな自分の想いだけで。

 でも今はその小さな想いに気付いた自分を、褒めてやりたい気持ちで一杯だった。

 私が願った小さな勇気は、形を変えてこの心に宿った。それはきっといつまでも消えることのない灯火で、永遠に灯り続ける私の想い。

 みんなの元へ歩く私の胸元には、ネックレスに象られた小さな犬が元気そうに揺れていた。


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