其の十 『初詣』
なんとか無事に新年を迎えることが出来た俺たちは、みんなそろって初詣に出かけていた。
この場合の無事にというのは、暦荘の人間全てが前後不覚の状態ではないという意味だ。
酔うのはいいが、酒に呑まれたままでは味気なさ過ぎるので、途中から酒を控えて水やジュースに代えた。おかげで年越しそばも食えたし、みんなほろ酔い程度のままでカウントダウンを待って、揃って「あけましておめでとう」と頭を下げることができた。
俺たちが向かったのは、街の中でも比較的大きな神社だ。きっとよほどの理由でもないかぎり、この辺りの人はここで初詣を済ませると思う。賑やかに屋台なんかも出ていて、ほとんど祭りに近い状態である。
もう酒が残っている人間はおらず、みんなの足取りは確かだった。時間はとっくに深夜と言っても差し支えないが、俺たちは昼過ぎに仮眠を取っていたので平気である。なぜ仮眠を取っていたのかというと、この後に河川敷へ星を見に行って、そのまま初日の出を見るという予定が入っているからだ。
ちなみにどいつもこいつも、一人の例外を除いてあの騒ぎのことをほとんど憶えていなかった。大家さんは元々アルコールが入ったら記憶を無くすタイプで、雪菜と姫神は恐らく酒に耐性がなかったせいで頭がバカになっていた。周防は酒に強いから憶えているはずだったが、どうもあまりにイヤな出来事過ぎて、自分自身を守るために記憶を消してしまったらしい。さっき俺に「なあ宗谷、なんかスーパーのタイムセールで卵を買わないといけない気がしないかい?」とか言ってきた始末だ。
そして問題は唯一の例外であるシャルロットだった。コイツは酒が入ると泣き上戸だしへばりついて来るしで一番と言っていいぐらいに壊れていたのだが、それでも記憶は健在だった。さすが吸血鬼といったところか。ならばなぜ、酒にそこまで酔うのかという話だが。
ここからが本題なのだが、彼女はなぜかカウントダウンの時から初詣の今に至るまでずっとヘソを曲げていて、俺が話しかけてもぷいと顔を逸らすだけだ。何を怒っているのかは分からないが、とにかく原因を知らないことには始まらない。
「おーい、シャルロット」
出店の屋台に脇を囲まれた神社の参道を歩く。俺の少し前で、こっちを省みずドンドン先に進むシャルロットに声をかけた。
今は俗にいう自由時間というやつで、みんな好き好きに行動している。大家さんは知り合いに会いに、周防は可愛い女を見つけたとかで離脱し、雪菜と姫神は二人で出店を回ってくるという。
そんなこんなで今は二人きりとなってしまったわけだが、これからどうするかをシャルロットに聞いておかなければならない。コイツはこの辺りのこととか知らないだろうし、そもそも一人にするのが凄く不安なヤツだ。
呼びかけても反応がないので、何度も何度もしつこく名前を呼ぶと、ようやくシャルロットは振り返った。その顔は分かりやすく頬が膨らんでおり、目線は俺から微妙にそらされていた。
「もう、うるさいなぁ。さっきから何よ。用件があるんだったら、早く言ってよね」
「まあ落ち着け。用件以前に、お前がなんでそんなに機嫌が悪いのか教えてくれよ。俺ってお前になにかしたっけ?」
「別に機嫌悪くないし。私はいつも通りだし。士狼は私に何もしてないし」
言ってからぷいっと顔を逸らす。
本当に意味が分からない。
「どこから見てもヘソ曲げてるようにしか見えないっての。いいからお前はバカみたいに笑ってろよ、そっちのほうが似合ってるから」
「――え、あ、ありがと」
顔を赤くしてそっぽを向くシャルロット。今度は一体どうしたと言うんだ。
「でもそんなこと言って私をおだてても何も出ないんだから。別に一人でも平気だから、士狼もあっち行ってよ」
再び彼女は俺に背中を向けて歩き出す。
こうなったら少し作戦を変えてみるべきか。俺はわざとらしい大きな声で『ひとりごと』を呟くことにした。
「あー、あのタコ焼き美味そうだなぁ。よーし買って食うかぁ。でもさっき年越しソバ食ったばっかだし、一人じゃあ全部食いきれないかもなぁ。誰か親切な人が手伝ってくれたりしないかな~」
途端、まるで俺の言葉がビデオテープの停止ボタンだったかのように、シャルロットの動きがピタリと止まる。そしてピクリと耳が大きく動いた。
「まあ孤独になっちまったし、頑張って一人で食うかぁ。うーんきついなぁ、ホント誰でも良いから俺を助けてくれないかな~」
俺に背中を向けたまま、シャルロットの足が少しずつ後退する。つまりこちらにさりげなく近づいてくる。どうやら罠にかかってくれたらしい。
食い物に釣られる吸血鬼なんて、きっとどこの伝承にも載ってない。
「――おお、シャルロットじゃないか。ちょうどいいところに来た。これからタコ焼きを買おうと思うんだが、悪いんだが食べるのちょっとだけ手伝ってもらえねえか?」
ここでポイントとなるのが、あくまで俺は頼む側で、シャルロットは頼まれる側。つまり彼女上位で展開を進めるという点だ。相手に『しょうがない』と言わせたら勝ちみたいなもんだ。
案の定、シャルロットは本当に仕方なさそうな顔をして振り向いた。
「し、しょうがないな~。別に食べたくもないけど、士狼がどーしてもって言うなら、私がちょっとだけ食べてあげてもいいよ」
「ホントか? おう、サンキューな。いやー、シャルロットのおかげで助かったぜ。ありがとうな」
「――ふん、別にお礼なんていらないんだから。だから早くしてよ」
相変わらずぷいっと顔をそらす。けれどその視線は屋台のタコ焼きに集中しており、何を早くしてほしいのかが丸分かりである。
俺は彼女をなるべく刺激しない態度を取り、早々にタコ焼きを買った。アオノリと鰹節にソースとマヨネーズという一般的なトッピングである。
そのあと神社の石段に二人並んで腰掛けた。目の前には多くの人通りがあって、深夜にも関わらず祭りみたいな喧騒を上げている。
遠くにある絵馬やおみくじが見えなければ、ただのお祭りにしか見えないと思う。
「ほらよ、半分食ってくれ」
「分かってるよ。言っておくけど、仕方なくってこと忘れないでね? 私は別に食べたくもなかったんだけど、士狼がどうしてもって言うから食べてあげるだけなんだからね?」
「そんなに念を押さなくても分かってるよ。これは俺が頼んだことなんだから、お前は胸だけ張っていればいいんだ」
俺が言うとシャルロットは「分かってるならいいのよ」と顔をそらして、早速タコ焼きを一つ口に放り込んだ。すると不機嫌だった顔が、見る見るうちにほころんで笑顔になっていく。例の無邪気で人懐っこい笑みである。
こうして見ると、とてもではないが吸血鬼には見えない。俺も人生の中で、それなりに波乱万丈な体験をしてきたつもりだ。吸血鬼のような人外の類にも少なからず出会ったことがある。しかしそういった輩と対峙した際には、必ず殺し合いがあった。
だから違和感というか、不思議な感覚がある。人間以上の力を持っているくせに、人間以上に人間らしい吸血鬼。俺たちの目の前を通り過ぎていく人たちの全てが、まず彼女の正体に気付かないだろう。しかしそんなシャルロットは、吸血鬼の中でもより特別な存在だという。
俺がかつて見た吸血鬼とは違い、コイツは理由なく人を殺したりはしない。人の血を各地で吸ってきたのも、生きるために仕方なかったことで、現に俺が血を分けてやるようになってからシャルロットは深夜に出歩かなくなった。
吸血鬼は伝承の中でも、そして現実でも人間にとっては畏怖の対象のはずなのに。――なのにコイツだけは、その人間以上のいい顔で笑いやがる。
「……なによ、文句でもあるの」
じっと顔を見ていたことに気付かれたか。
シャルロットは俺を睨んですぐさま不機嫌そうな顔になった。その手にタコ焼きが刺さった爪楊枝を持っているのは、やはりというべきなのか。
「いや、別に文句はない。けどよ、お前やっぱり怒ってないか? そんなに睨まれることした覚えなんてマジでないぞ」
「だから怒ってないもん。それに睨んでなんかないもん。私は普段と何も変わらないよ」
「ウソつけやっ、明らかに怒ってんだろ!」
タコ焼きを口に入れて、はふはふと息を吐きながらシャルロットは視線を逸らした。
「……本当に怒ってはないよ。士狼は何も悪くないんだから気にしなくていい。ただ私が勝手に拗ねてるだけなんだから」
「どちらにしろご機嫌ナナメっていうのは変わらないんだな」
俺が聞くと、シャルロットは何も言わずにタコ焼きを食べるだけだった。その沈黙と態度が、肯定を意味していた。
それから特に会話もなく、俺たちは黙ってタコ焼きを食べていた。値段は高かったが、味は悪くなかった。