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けれど、狼と吸血鬼  作者: ハイたん
第二月 【星見の夜】
21/87

其の九 『年越』




 来る大晦日の夜のことである。

 暦荘に残っている住人全てが、大家さんの家に集まって小さなパーティを開いていた。

 いや、その表現には少なからず御幣があるかもしれない。規模は確かに小さかったが、俺たちのテンションは明らかに吹っ飛んでいた。新年を迎えようね、なんて受動的な大人しさなど皆無で。むしろオラー早く新年かかってきやがれーみたいな能動的すぎる有様である。

 それもこれも魔法の飲料のせいである。

 平たく言うと、原因はお酒であった。

 俺と大家さんと周防は問題なく酒を飲める年齢なので、例年通りこの日のためだけに大家さんが用意していた秘蔵のワインやらで、大いに盛り上がった。大晦日といえばお酒、お酒といえば大晦日というぐらいに、暦荘ではそれが当たり前のことだった。

 ここで問題は雪菜と姫神だ。こいつらは普通に未成年なので、当然飲酒はできない。

 今思うと、俺はなぜあのときもっと注意しておかなかったのか。酒を飲むことに夢中になりすぎて、他の人間に気を遣うことをさっぱり忘れていた。俺がやや冷静になったときには、雪菜と姫神はすでに酔っ払っている状態であった。

 どうしてお前たちが酔っ払っているのかと聞くと、二人揃って「間違えた」などと口にする。大家さんが作ったカシスオレンジを、どうもただのオレンジジュースと間違えて飲み続けていたらしい。確かにあの酒はむしろ普通のオレンジジュースよりも甘く感じるから、他の酒よりは違和感なく飲んでしまってもおかしくはない。

 とどめはシャルロットだ。このバカ吸血鬼における成人または未成年の定義は分からないが、本人は当たり前のように酒を飲んでいたので、特に止める者はいなかった。金髪赤眼のある種外人のような容姿の彼女は、飲酒するのが凄く様になっていたのだ。

 結論として、いまさら俺がなんとかしようとしても遅く、現状を変えようとすることなんて到底不可能だった。

 畳が敷かれた部屋の中央に鎮座する、大きな丸テーブル。その上にはこれでもかと中身の空いた缶や瓶が転がり、部屋には恐らくアルコールの匂いが充満している。

 とりあえず今の俺たちに過ぎ去った一年を反省し、やがて来る一年を期待する殊勝さなど欠片もなかった。

「……はあ、どうするんだこれ」

 目の前に広がる光景が信じられない。

 大家さんは赤みの差した顔で、周防に向かってずっと同じようなことを繰り返し言い続けている。

 周防の野郎は何気にアルコールに強く、酔っても意識はハッキリとしているようなヤツだ。だからこそ、今の周防は憧れの大家さんに絡まれているにも関わらず、うんざりした様子でこの世の終わりのような顔をしていた。これを俗に、絡み酒という。

 雪菜と姫神はどうなっているかというと、これまた珍妙な様子だった。

 ふらふらとする雪菜、顔は赤いけれど平常そうな姫神。どこか眠そうにする雪菜、仕方なさそうに膝を貸す姫神。恥ずかしそうに遠慮する雪菜、やけに羞恥心の無くなった姫神。

 なぜか二人のヒエラルキーが逆転してしまったようであった。

 これが今、俺の目の前で繰り広げられる光景だった。部屋の片隅で忘れられたように付けっぱなしのテレビが、金のかかっていそうなバラエティ番組を流し、それがまたこの空間の喧騒を強めることに一役買っていた。

 そしてお気付きだろうか。誰か一人足らないということに。

 俺の視界には、先に上げた四人しかいない。ここが落とし穴で、つまり目の前じゃない場所に最後の一人がいた。

 金髪赤眼にしてバカで泣き虫で――そして泣き上戸な吸血鬼Aシャルロットは、俺の背中にセミみたいにへばりついて、ただひたすらに泣いていた。

「うえーん! お酒が切れたぁ~!」

 俺に鬱陶しくしがみつきながら、シャルロットは器用に背中をポカポカと叩いてきた。

「知るかバカっ! 何でもいいからとっとと離れろ、さっきから背中が涙や鼻水で冷てえんだよっ!」

 立ち上がってジャンプしたり左右に振ってみたりしたが、執念のようなしつこさで落ちない。

 もう一度だけ言うが、彼女はセミみたいにへばりついて、ただひたすらに泣いていた。

「違うも~ん! 女の子は鼻水なんか流さないんだもん! えーん、士狼のバカー! アホー、おたんこなす! えっと、それから、あっ、バカー!」

「せめてもっとボキャブラリー増やしてから罵れっ! そんなんで悪口言われても、頭の出来が心配になるだけだボケ!」

「ボケじゃないもんっ! 私のほうがずっとずっとお姉さんなんだよ~! なのに、なんでそんなに口悪く言うのよ~! ぐすっ、ひっく……うえーん!」

「うおおおお、さすがにうざすぎるっ! ――おい、周防。助けてくれ! お前の大好きなシャルロットだぞ!」

 比較的、酒に強い周防に救援を求める。

 するとヤツは俺に振り返って、頼もしそうな笑みを浮かべて叫んだ。

「宗谷――助けてくれええええ!」

 そしてカサカサと家のどこかにたまに出る黒いアレな虫のように、俺の足元に周防は這ってきた。

「なんだそりゃ、お前は大家さんとずっと楽しそうに話してたんだから、別にいいじゃねえか」

「違う、お前のその認識はとんでもなく間違っているぞ! 僕は楽しそう・・に話していたんであって、決して楽しかったわけではない! むしろあの状況で頑張って笑い続けていた自分を称賛したい気持ちだね! 延々と昨日のスーパーのタイムセールで卵が買えなかった話を聞かされて、お前は笑顔を浮かべ続けられるとでも言うのか、ああ!?」

「……なるほど、周防も大変だったんだな。悪かったな、お前に助けなんか求めて」

「いや、別にいいのさ。僕の意識がはっきりしているのがまずかったんだ。いっそのこと、もっと酒に酔って眠りこけてたりすれば良かったのかもな。……ん? いま僕は宗谷と話してるんだよ。誰だか知らないが後にしてくれ」

 なんかとても良い顔で俺に話しかける周防の肩を、後ろから誰かがトントンと叩いてる。それに対し鬱陶しそうに手を払っていた周防だったが、やがてシビレを切らしたように振り向いた。

「もうしつこいな! 今は忙しいって言ってるだろ!?」

 振り返った周防の前には、笑顔の大家さんがいた。

「そうです、よーく分かってるわねぇ周防くん。タイムセールはほんと忙しくて、戦争なんですよ~。分かります? ほんととにかく大変で、もう忙しいんですよ。聞いてる周防くん?」

「……はい、聞いてます」

「それは良かった。じゃあアッチで続きを話しましょう。ほらほら、座って座って」

 肩を落とした周防は、諦めたようにさきほどの場所まで連行されていった。

 いつかの光景が再現される。

 楽しそうに笑いながら喋る大家さんと、苦虫を一万匹も噛み潰したような周防の顔。さっきと少し違うのは、話を聞く周防が浴びるように酒を飲んでいたことか。

「――アイツ、結構いいヤツだったよな」

 可哀想過ぎる周防の冥福を祈る。

「しーろーう。おー酒ーがー無いーよー」

 俺がなんとなく清々しい気持ちになっていると、いまだ俺の背中にへばりついているシャルロットが、顔を前後に揺さぶりながらそう言った。

 おかげでドップラー効果が発動して、聞こえてくる声は珍妙なものとなっていた。

「チ、まだいたのかよお前。あまりに自然過ぎたから忘れてたわ」

「ちょっとちょっとー! ぐすっ、なんで私を忘れるのよー、士狼のバカー! アホー、おたんこなす! うわーん!」

「はいはい、酒が欲しいんですね。これをやるから大人しくてしてください、バカ吸血鬼」

 一瞬の隙をついてシャルロットを地面にはたき落とした。彼女は「ぷぎゃっ!」とカエルが潰れたみたいな声で鳴いて、それから俊敏な動作で起き上がった。

 俺はそんなシャルロットに茶色の液体が注がれたグラスを渡す。普通にウーロン茶だった。

「うわー、ありがとう士狼! これなんていうお酒なの!?」

「ああそれか。それはウーロン茶っていう酒だ」

「そうなんだぁ、ウーロン茶っていうんだ。このお酒、凄く美味しいね~」

 人懐っこい笑みを浮かべながら、吸血鬼は本当に美味そうにお茶を飲む。騙し切れるとは思っていなかったので、やや拍子抜けした。そのまま彼女は酒を味わっているような感じでチビチビとウーロン茶を飲んでいた。

 泣き上戸の吸血鬼Aを退治したあと、俺は気を取り直して一人酒を飲んでいた。まだウイスキーが残っているグラスを傾けながら、テレビのバラエティ番組を見る。

「ははは、バカじゃねえのこいつら」

 体を張りすぎた芸を見て、おかしくなって笑ってしまう。普段ならこういうのはあまり見ないし、ツボにも入らないのだが、どうも酒が入ると多少ハードルが低くなってしまうらしい。

 そのまましばらく平和に酒を嗜んでいると、姫神のヤツが俺のとなりにやってきた。見ると雪菜はクッションを枕にしてすやすやと眠っている。

「楽しんでますかー!? 宗谷」

「お、おう。楽しんでるが、お前一体どうしたんだ」

「いや、別にちょっとたまにはテンションを上げてみようかと思っただけさ。惚れたか?」

「お前絶対酔ってるだろっ! やっぱり俺から半径五メートルは離れろアホ!」

「酷いぞ宗谷。私は別に酔ってなどいない」

「酔っている人間で、俺はいまだかつてその台詞を口にして素面だった人間は見たことがない」

そうや(・・・)ったのか。さすが宗谷だな。……ぷくく」

「――もうお前死ねっ! 呂律がはっきりしてる分、逆に不気味なんだよ!」

 顔が赤い以外はわりかし普通に見える姫神だったが、その中身はかなり吹っ飛んでいるようだった。

「死ねとは言い過ぎじゃないか? ……宗谷にだけは、そんなこと言われたくなかったのに」

「な、なんだ、どうした姫神。大丈夫か?」

 急に俺とは違う方を向いて、体育座りをする姫神。その指は畳にひたすら『の』の字を書いている。

「しっかりしてくれよ。お前がそんな弱気だと、俺もなんとなくやる気が出ねえんだよ」

 頭を掻きながらそう言うと、姫神は顔だけをちょっとだけこちらに向けて、

「……じゃあ、お嫁さんにしてくれるか?」

 とりあえずバカみたいなことを口にした。

「――おつかれさまでした」

 立ち上がって洗面所に向かう。俺は今日、酔っ払ったこいつの相手をしている分だけ時間が無駄になるという教訓を得た。

 トイレを済ませて軽く酔い覚ましに顔を洗った後、居間に戻ると姫神の奴は、大家さんと周防の輪に加わっていた。スーパーのタイムセールの話が、近所の子ネコはオスかメスかという話題に変わっている。そんな腰を据えて話さなくてもよいことを議論する二人に、周防はそろそろ逝ってしまいそうだった。

 どうしようかと思案する俺の目に、眠っている雪菜が止まった。

 小さなクッションを枕代わりにして、規則正しい寝息で眠っている。

 いつものコイツからは想像できないぐらいに、穏やかな寝顔だ。和服が畳に広がって、その姿はまるでお姫様が休んでいるような印象を受けた。黙っていれば雪菜も、きっと男にモテるだろうに。

 俺は兄のような気分で、押入れにあった毛布をかけてやることにした。いくら部屋に暖房がかかっているとはいえ、冬のこの時期に身のままでは風邪を引くかもしれないと思ったからだ。

 なるべく優しく毛布をかける。その際にふわりと風が起こって、雪菜の前髪を小さく揺らした。

 規則正しかった呼吸が乱れる気配。

 気付けば雪菜の瞼が、本当に薄っすらと開いていた。

「……士狼、さん? なにしてるんですか」

 俺は寝転んだままの雪菜のとなりに腰を下ろした。

「いや、とりあえず寒そうだから毛布でもかけてやろうかなと思って」

「毛布、ですか? えっと、私はさっきまで何をしていたんでしたっけ」

 眼を擦りながら雪菜は体を起こそうとする。

 俺はそれを手で押しとめて、もう少しコイツに寝ているように指示した。

「お前は酒を飲んで、それから眠っていたんだよ。まだ頭とか痛えだろ? 十二時までにはまだ時間がある。新年迎えるころになったら起こしてやるから、もうちょっと寝ててもいいぞ」

「……そうだったんですか、ありがとうございます士郎さん。ではこのままの体勢で失礼しますね。けれど、眠りたくはないです。……もったいない、ですから」

 口元を和服の袖ではなく、毛布を深くかぶるようにして隠す雪菜。

「もったいないって何がだよ。一年がもうすぐ終わるからか? お前にそんな殊勝な心があったとはなぁ」

 こう言うと、普段なら生意気な口で返してくるのだが、今日に限っては違うようだった。

 彼女はいつもの無表情な顔ではなく、本当に穏やかな顔をしていた。

「士狼さんがそう思うなら、それでもいいです」

「そうか、じゃあそれだ」

「はい、それです」

 会話が途切れる。でも不思議と気まずさを感じるような沈黙じゃなかった。なんだかんだで、雪菜とは長い付き合いだ。一緒にいて落ち着かないようでは、同じ暦荘の人間として失格だろう。大家さん曰く、ここに住む人間はみんな家族なのだから。

「士狼さん。あのですね」

 やがて雪菜が、小さな声で呟いた。

「私、実はずっと言いたかったことがあるんです。……聞いてもらえますか」

 それは酒の場という勢いに任せたようでいて、その実は勇気を振り絞ったような力の無い声だった。

「なんだよ、言ってみろよ」

「はい、ありがとうございます。実はですね、宗谷士狼さん」

 そこで一度止まる。俺もムリに促すことなく、ただ彼女の口から次の言葉が紡がれるのを待った。

 大きな深呼吸。酒か、それとも別の何かか、頬を赤く上気させた雪菜は視線を揺らすことなく俺を見据えて、

「私、貴方のことが」

 何か大事そうなことを言おうとした瞬間のことであった。

「もうムリだ! 宗谷、頼むから僕と代わってくれっ!」

 ふたたび、カサカサと家のどこかにたまに出る黒いアレな虫のようにして、周防が俺に向かって這ってきた。

「ちょっとちょっとー! 士狼、ウーロン茶が切れちゃったよー! なんでもいいから次のお酒出してよぉ!」

 みたび、ブンブンと夏のどこかで元気に泣き続けるセミのようにして、シャルロットが俺の背中にへばりついてきた。

「宗谷っ! 途中でどこに行ったのかと思えば、こんなところにいたのか。さあ、私をお嫁にもらってもらうぞ。さあ!」

 よたび、普段の凛々しい面影など最早どこにも残っていない姫神が乱入してきた。

「あらあら、楽しそうですねぇ。私も混ぜてもらっていいですか?」

 最後に、みんなにつられた大家さんがうふふと笑いながらやってきた。誰も彼も口々に意味不明のことを言いながら、狭いスペースでわいわいと盛り上がる。

 結局、雪菜の話を聞きそびれてしまった。なんとなく謝ろうかと思って彼女を見ると、再びすやすやと寝息を立てて眠っていた。

「……続き、気になるじゃねえか」

 ため息をつきながら、宙を仰ごうとして――その視界は、一癖も二癖もある暦荘の住人たちによって遮られた。

 こうして夜が更けていく。多分、日本で一番バカみたいな年越しだったが、俺はこれでいいと思う。礼儀正しくあけましておめでとうなんて、面白くもなんともない。若いうちは誰だって、無茶をやってこそ人間ってもんだ。

 大晦日の夜。

 年越しのカウントダウンまではもう少し。

 俺は今年も、この暦荘で一年を終えることとなった。



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