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けれど、狼と吸血鬼  作者: ハイたん
第二月 【星見の夜】
17/87

其の五 『周防』


「――シャルロットちゃん、愛してる」

「えっと……」

 惜しげもなく晒された愛に、金髪赤眼の吸血鬼――シャルロットは困惑の笑顔を浮かべた。

 シャルロットにそんな茫洋な笑みをさせた原因であるその男は、サラリとした前髪をかき上げながらニヤリと笑った。

 相変わらず気持ち悪い。

「ふふふ、愛してる」

「……あのう、大丈夫ですか?」

「な――!? ……そこまで僕のことが心配かい、シャルロットちゃん。ならばいっそのこと、この周防公人すおう きみひとと婚約してしまおう。そうすれば君の心配も少しは減るんじゃないかな? どうかな、いい考えだろう?」

「いえ、むしろ増えるからいいです」

 誰に対しても無邪気で人懐っこいシャルロットでさえ、この男には一歩引いて接してしまうのか。

 自らを周防公人と名乗った男は一応、……いやホントに一応だが、暦荘の住人である。

 ――キューティクルが見るからに豊富そうなサラサラとした茶髪に、世間一般の基準から見てイケメンとかハンサムとか呼ばれそうな甘い顔立ち。都内の大学に通う学生であり、演劇部に所属しているらしい。ほとんど活動しているところは見ないのだが。

 何でも趣味は自分磨きで、好きなものは自分の顔。携帯電話の待ち受けは自分のナイスショットで、パソコンの壁紙も自分のナイスショットという、いわばホンモノだ。

 恐らく、世界で一番カッコイイのは自分だと思ってるような野郎である。一言で言うとナルシストだが、ここまで自分に心酔するナルシストは、もはや鬱陶しいを超えて面白い。

 二枚目を気取りすぎて、三枚目になっているのが笑いどころだろう

「ほうら、またそうやって顔を曇らせて。君はね、笑っていたほうがずっと綺麗だよ……ふふ」

 周防の野郎がシャルロットの髪に手を伸ばす。が、ひょいと避けられた。

 シャルロットはそのままチョコチョコと膝で移動して、俺の背中に隠れた。

「……士狼。どうにかしてよ」

「どうにかって言われてもな」

 どうせ周防の性格とか諸々を矯正することなど不可能と知っている俺は苦笑してみせた。

 ――さて、ここは大家さんの家である。

 今日は俺、シャルロット、周防の三人が夕飯に招かれていたのだ。

 暦荘に住む住民全てを家族のように思っている大家さんは、こうやって俺たちに食事を振舞ってくれることがよくある。ちなみに、ただ食べさせてもらっているだけでは忍びないので、前に一度食費を払おうとしたが断られた。だから俺の場合、家賃に少しだけ上乗せする形で、申し訳程度にお金を出させてもらっている。

 大家さんの家はとてものどかで、思わず望郷の念を抱いてしまうほどに懐かしい雰囲気を感じさせる。畳が敷き詰められた居間には大きな丸テーブルが鎮座していて、隅のほうにはブラウン管のテレビがあり、現在はバラエティ番組を垂れ流していた。

 日当たりのいい縁側には夏になると風鈴が飾られていたりして、失われつつある日本の風情というやつを強く感じさせるのだ。

 俺たちは今、大家さんの作った食事を食べ終えて一服しているところであった。ちなみに大家さんは絶賛洗い物をしているので居間ここには居ない。

 もちろん、俺たちはいつも何か手伝いましょうかと言っているのだが、大家さんは優しげな笑みを浮かべてそれらを全て断っている。

 本当に、主婦の鑑のような人である。きっといい奥さんになれるに違いない。

 あそこまで裏表のない善人も、昨今の世の中を省みれば非常に珍しいというものだ。

「……チ、宗谷さあ。お前如きが、愛しのシャルロットちゃんに触れていいと思ってるの? いいからそこ退けよ、シャルロットちゃんの顔が見えないだろ」

「まあ落ち着けよ。お前の凄さは俺も分かってるし、シャルロットにも伝わってるって」

 忌々しそうに貧乏揺すりをしながら、周防は明らかに邪険に突っかかってくる。

 綺麗な女が相手なら優男風な周防だが、相対するのが男となると態度が一変する。特に俺のことが気に入らないらしく、前々から先ほどのように難癖をつけてくるのだ。おまけにシャルロットがやってきてから、その傾向はより強くなった。

「そりゃあそうだ。僕のこの顔を見て、胸が高鳴らない女性はいないからね。宗谷はただのバカで女にモテない朴念仁だが、僕の素晴らしさを理解している部分だけは評価できる」

「はいはい、どうもありがとう」

 周防の言葉は九割聞き流してオッケーだ。

 なぜなら奴の会話の大半は自分のことだからである。

「ねえ士狼。周防ってなんなの? どうして私にあんなこと言うのかな? 人間が愛してるって言葉を使うのは、本当に大事な人だけなんじゃないの?」

「気にすんな。アイツのあれは一種の病気なんだよ。愛してるって言われたら、こんにちわって言われたと思っとけ」

「そうなんだ、士狼が言うなら、そうするけど」

 シャルロットはまるで人間以外の生物を見るような目で周防を一瞥した。

 俺たちが会話している際にも周防は一人で、愛してるだのやっぱり美しいねだのと喚いている。バラがあったら口に咥えてそうな勢いだ。

「だからさ――っ、おい宗谷。シャルロットちゃんは僕の話を聞いている最中なんだ。お前はお呼びじゃないんだよ」

 自分の話を聞かれていないことに気付いた周防は、ギリと歯を噛んだ。

 俺は全然気にしていないのだが、その一言に一人の吸血鬼が怒ったようだった。

「――ちょっとちょっと、人に対してその言い草はないんじゃないかな。さっきから黙って聞いてたけど、どうしてそんなに士狼をバカにするの?」

「バカにしてなんてないよ。ただ僕は真実を口にしているだけさ。君たちは皆、宗谷を誤解しているようだからね」

「誤解? 士狼がなんだっていうのよ」

「……そう、ソレだ」

 周防は外人みたいに肩をすくめて、大げさにため息をついた。

「シャルロットちゃんも雪菜ちゃんも、コイツのことを『士狼』なんて親しげに呼びやがる。そのくせ僕のことは誰もが『周防』だ。おかしいとは思わないかい?」

「……あなた、子供みたいだね」

 シャルロットは呆れたようにかぶりを振った。

「まあでも周防。姫神のヤツは、俺のことを普通に宗谷って呼ぶぜ?」

「――ひ、姫神だって? まま、待て宗谷。アイツ――いや、あの子の話題だけは避けようじゃないか、な?」

 姫神千鶴の名前を出した途端、急に下手になって愛想笑いを浮かべる周防。俺の肩に手を置いて、何度も頷いている。どうやら俺にも頷けという合図らしい。

 周防がこういう態度に出るときは大抵決まっている。――そう、女がらみのことで失敗したときだ。

 閃くものがあって、少しカマをかけてみることにした。

「はーん、そうかそうか。お前さては姫神に」

「――うわぁー! 言うな、それ以上は何も言わないでくれ! 僕はあの子には何もしなかったことになってるんだー!」

 頭を抱えて周防はガタガタと震えだした。こうなっては男前も台無しである。

 その光景に何と反応すればよいか考えていると、台所のほうから大家さんが帰ってきた。手にはトレイがあって、その上には湯気を放つ湯のみが四つ置いてあった。

「あらあら、楽しそうですねぇ。周防くんと千鶴ちゃんのお話ですか?」

 ゆったりとした口調で、大家さんは楽しそうに言った。

 テーブルにお茶が配られ俺は自分の分を手に取った。周防の分だけが手をつけられることはなく、本人は未だ隅っこのほうでガタガタと震えていた。

「さ、沙綾さん。明日の天気は何ですか」

 誤魔化す気満々である。

 ちなみに周防のモットーは、美しい女性の名を尊重し、全て下の名で呼ぶとかいう阿呆みたいなものだ。さらに言うと、沙綾とは大家さんの本名である。おまけで言うと、暦荘で大家さんを下の名で呼ぶのは周防しかしない。

「天気ですか? さあ、晴れなんじゃないですかねぇ。ところで周防くん、千鶴ちゃんの話なんですけど」

「ぐはぁ! 僕に姫神に関する記憶など残ってなんていません!」

 周防が女を苗字で呼んでいる時点で、何かあったと言っているようなものだ。

 瞬間、大家さんは意地が悪そうにニヤリと笑った。

「私、全部知ってるんですよねぇ、これが」

 音速に近いと比喩してもいいぐらいの速さで、周防が体を起こした。

「な、ななな――なぜ知ってるんですか!?」

「何故も何も、わたしも見ていたんですから当然ですよ~」

 諦めたように項垂れる周防公人。まあ話の登場人物が周防と姫神という時点で、何があったかは大体想像がついてしまうが。

 やがて大家さんに促される形で、周防は事件――本人曰く、あれは事件らしい――の顛末を語り始めた。

 その事件とやらは二人が朝、暦荘の前で偶然会ったことから始まったという。皆で集まることはあっても、二人きりでというシチュエーションは今までなかった周防と姫神。

 しかし周防はその日、大学の友人と徹夜明けで遊んだ帰りで、姫神は逆に早起きしての早朝ランニングの帰りだったらしい。

 前々から姫神の容姿に目をつけていた周防は、これ幸いにと彼女を口説きに口説いた。睡眠を取っていないことにより頭が回っていなかったこともあったのだろう。姫神のイラつきに気付かない周防は、歯が浮くような台詞を繰り返し――そして、気付けば自分が浮いていたらしい。

 まあランニングの帰りにあのうざったらしい口上を聞けば、殴りたくなるような気持ちも分からないでもない。とりあえずその場でコテンパンにされた周防は、逃げ帰るように自分の部屋へ戻ったという。

 その現場を、例の如くいつも早起きの大家さんは牛乳を飲みながら見ていたんだそうな。

「なるほどな、周防でも苦手な女はいたんだな」

「バカを言うなっ、僕に落とせない女などいない!」

「あ、そう。んじゃちょっと今から姫神呼ぼうぜ」

「ごめんなさい、勘弁してください」

 躊躇いもなく土下座する。

 その謝罪は俺が今までの人生で見た中で、もっとも潔く、もっとも美しく、もっとも誠意がこもり、もっとも涙が出そうな土下座だった。

「とにかく、だ。姫神の話題は僕の前では一切禁止だ。もしこの場にヤツが現れたとしたら、僕は少しずつ居なくなるからな」

「おいおい、『ヤツ』ってアイツは未確認生物か何かかよ。ていうか少しずつ居なくなるってお前、それどんなかちょっと見てみたいわ」

 立ち上がった周防は、湯飲みを掴んでぐいっと一気に飲み干した。

「熱いっ、これ熱いよ沙綾さん! ま、まあともかく。……ふふふ。シャルロットちゃん、愛してる」

「うぅ、士狼ぉ……」

 困惑を超えて恐怖を感じ始めた様子のシャルロットは、俺の背中にひょこっと隠れた。

 やはり愛してるを、こんにちわと思えというのは無理があったか。

「あらあら、愛してるだなんて。シャルロットちゃん、女冥利に尽きるわねぇ」

「笑ってる場合じゃないですって、大家さん。とにかくこの周防のバカの暴走止めてあげてくださいよ。シャルロットがもうなんていうか不憫だ」

「……ていうかさ、どうして私のこと、そんなに想ってくれるの?」

 素朴で純粋なシャルロットの疑問に、周防はそのキューティクル満点な髪を揺らしながら、大げさに振り返った。

「どうしてだって……? ふっ、そうか。そういえばまだ言っていなかったな。僕はね、シャルロットちゃん。初めて君を見た瞬間、体に電流が走ったんだよ」

「ありきたりな反応だな、おい」

「まるで黄金を溶かして作った細い糸を、幾重にも束ねたような金色の髪。これまで見てきた赤という色が、全てウソだったと思ってしまうかのような真紅の瞳。その肌は未だ誰も踏んでいない深雪のように白く透き通り、さらに名のある芸術家が生涯を使って描いたかのような薄く赤い唇。僕は思ったね――あ、天使見ーけって」

「天使を見つけたリアクションが普通すぎるだろ」

「君を初めて見た夜は、僕にとって自分が生まれた誕生日よりも大事な日になったね。月に照らされる君は、もしかしたら月からやってきたのかと錯覚してしまうぐらい、月光が似合っていたよ。……ん、待てよ。――そうか! 君が噂で聞くかぐや姫だったというのか!?」

「そんなに簡単に自分の生まれた瞬間を否定すんなよ。ていうかツッコミが追いつかねえし、お前やっぱり天性の漫才師だな」

「これだけ言えば分かってくれたかな、シャルロットちゃん。僕が天性の漫才師だということがって違うっ! おい宗谷、お前が余計なことを言うから最後の決めゼリフを間違えちゃったじゃないか!」

 むきーと怒りに顔を染め、地団駄を踏む周防。

「うるせえよ。この年末の忙しい時期に、いちいちお前の話を聞いてたら年が明けるじゃん」

「何を言ってるんだ、僕の話を聞きながら新年を迎えられるとするのなら、それほど素晴らしい年越しはないと思うね」

 一応言っておくが、周防は別に頭を病んでいたりはしていない。ちなみにコイツは冗談は嫌いなタチらしいということも覚えておいてもらいたい。

 やがて周防に付き合うことに疲れた俺は、テレビのチャンネルを適当に変えてみた。バラエティから音楽番組へ、そしてニュースを経て、政治家の討論番組へ。

 ブラウン管の画面の中には、俺でも名前を知っているような政治家がいた。

「あ、兄さん。元気そうねぇ」

 俺たちが揃ってテレビを見ていると、湯飲みを上品に持った大家さんがそう呟いた。

 その一言にあの周防の暴走さえ止まり、大家さんに問いかけた。

「え――沙綾さん。兄さんって、どゆこと?」

「はい、ですから兄さんは兄さんです。あ、ほら、いま映ってますよ~」

 大家さんが白い指を画面に向ける。俺たちも釣られて見る。

 そこには比喩でもなく、泣く子も黙ってしまいそうなほど有名な男がいた。近年、腐敗しつつある日本政府内において、最後の良心とまで言われる政治家――高梨光葉たかなしこうようである。

「いやいや、沙綾さぁん。冗談は止めましょうよ。確かに苗字は同じですからネタとしては美味しいですけど。あの高梨の家系は代々政治家を輩出してきた家柄で、いわゆるアレなんですよ。世間一般でいう名家中の名家ってやつで、一言で言えば金持ちですね」

「急に俗っぽい言い方になったな」

「そうですねぇ。でも本当なんですよ~」

「はいはい、まあ分かりましたよ沙綾さん。そういうことにしときましょ」

「いえ、ですから――」

「ところで皆、僕から提案があるんだ」

 話を聞かず、周防は立ち上がって俺たちの顔を見渡した。

 どうやらさっきの大家さんの話は、周防の中では冗談ということで済まされたらしい。

 ちなみにさきほどからシャルロットはずっとテレビを見ている。本人は認めたがらないが、どうも彼女にとってテレビとかクーラーとかそういった文明の利器は珍しいものらしい。使い方を微妙に分かっていなかったり、おっかなびっくりチョンチョンと指を伸ばして触れてみたりと。どういう環境で育ち、どういう生活をしてきたか気になるところだ。

 そんなシャルロットも、周防の言葉に耳をピクリと反応させて視線を彼によこした。

「今日は十二月二十七日だ。つまり大晦日はもうすぐということだよ、分かるかい宗谷」

「ほー、だからどうした」

「ああ、そこで皆に聞いておきたいんだが、大晦日はどうやって過ごす予定だい?」

 その言葉に、大家さんとシャルロットは今更のように考え込んだ。ついで俺も少しだけ思考してみる。

 どうやっても何も、いつもは特別なことなど何一つしていない。確か去年は暦荘に残ってるヤツらが大家さんの家に集まって、夜通し酒を飲んだりして盛り上がった記憶がある。

「どうやっても何も、いつも通りなんじゃないか?」

 俺が適当に言うと、周防は失望したと呆れ顔になった。

「これだから宗谷はモテないんだよなぁ。男は常にロマンティックに生きるべきさ」

「楽しそうですねぇ。それで周防くん、何かいいアイデアでもあるの?」

 大家さんの一言に、周防はもったいぶったようにうーんと首を回し、言った。

「ズバリ、大晦日から元旦にかけては初日の出が有名ですが。僕たちは、夜空に瞬く星を数えに行こうと思う。その星を見つけた分だけ、きっと僕らは幸せになれるだろうさ」

 みんなが思った。「つまり?」と声が重なる。

「――星見をしようじゃないかっ!」

 仁王立ちで、まるでそれが至高のアイデアであるかのように言う。

 俺は星見とは占い師みたいだなと思ったが、あえて口に出さないことにした。なぜならそれを聞いた大家さんとシャルロットが、子供のように目を輝かせたからだ。

「うわぁ、士狼っ! 星見だって、星。星がいっぱい見れるんだよ!」

 俺の後ろにいたシャルロットは、両肩を掴んで前後に揺さぶってきた。頭が揺れて視界もシェイクされる。

「聞きました宗谷さん? 星見って、なんだかすっごく乙女心を刺激する言葉ですよねぇ」

 そして今度は隣にいた大家さんが、俺の腕を掴んでねえねえと振ってくる。おっとりとした口調とは裏腹に、その行動は無邪気な乙女のそれだった。

 彼女らの行動を見た周防はニヤリと笑った。それを見て確信する。コイツは絶対に、女と楽しく過ごすため、もしくは女の気を引くためだけに意味の分からないことを言い出したと。

「……はあ。この時期に深夜、外にいたらマジ寒くて死ぬぞ」

「バカだな宗谷は。彼女らは寒くなんてないさ。なぜなら、この僕が愛で暖めてあげるからねっ …………決まった」

 周防は空を抱くかのように両手を開いて宣言する。

 最後に句読点のように呟かれた一言には触れないでおくことにした。

「ちなみに雪菜せつなちゃんも当然誘ってあげよう。彼女ほどの美人ならば、僕も是非運命を共にしたいからね」

「おいおい、お前は一体いくつ体があるんだよ。ところで周防、雪菜はともかく姫神のヤツは誘わなくていいのか。当然誘うだろ?」

 瞬間、ノリノリだった動きが止まる。

「あーなんか耳の調子が悪いな。ごめん宗谷、僕は可愛い女の子の言葉しか聞こえない体質なんだ」

「特異体質すぎるだろっ。んじゃあ、シャルロット頼む」

「うん。ねえねえ周防。千鶴も当然、一緒だよね?」

 例の人懐っこいを笑みを浮かべながら、シャルロットが問いかける。

 立ち上がっている周防と、座っているシャルロットという位置関係上、その懇願にも似た問いは上目遣いになり、女好きには強力だったという。

 案の定、周防は顔を赤らめて照れたように視線をそらした。

「う――ま、まあシャルロットちゃんがそこまで言うなら、姫神も誘ってやらなくもない……かな。でもあんな僕の素晴らしさが分からない暴力女を呼んだところで、夜空に瞬く星の尊さを理解できるとは思えないけどな、ははは」

「お邪魔します、大家さん」

 やりたい放題な周防の後ろに人影が見えた。

 スラリとしたスレンダーな体を制服に身を包み、セミロングの黒髪を無頓着に伸ばしたその人物は、名を姫神千鶴という。

 それにしても部活帰りかなにか知らないが、家に帰ってきているのにも関わらず、制服を着替えずに行動するとは。その制服のデザインが可愛らしいものだからまだマシなものの、相変わらずオシャレというのに関心のない女である。

 大家さんにだけ用があったのか。やってきた姫神は、居間の光景に目を丸くした。なぜならそこには彼女にとっては予想外の、俺とシャルロットと周防がいたからである。

 困惑するその表情は、姫神の来訪に気付かず語り続ける周防の言葉によって、憤怒のそれへと変えられていった。

「あら、いらっしゃい千鶴ちゃん」

 大家さんがおっとりとした動作で手を振る。すると姫神は小さく会釈したが、その視線はブレることなく周防に固定されていた。

「大体さあ、姫神はもっと自分が女だということを意識するべきだと思うんだよな。せっかく素材は僕好み――いや、悪くない顔立ちをしているのにさ。んもう、全てが台無しだね。特にあの僕を殴ったところとか、蹴ったところとか、暴力を振るう部分が終わってるよ。ありゃあ、一度痛い目を見たほうが彼女のためにもなると思うよ。そうだ、今度一度だけ本気を出した僕が相手をしてあげようかな。はっはー、うん、そりゃあいい考えだ。そうしたら姫神のアホも自分が女だと気付いて、僕の魅力にメロメロになるに違いなげぼぉっ!」

 周防の体が吹っ飛んでいった。

 俯いて怒りに震えていた姫神が、とうとう我慢できなくなったのか。なんと助走をつけてのドロップキックをかましたのだ。

 俺はそれを見越して、縁側の窓を素早く開けておいた。暖房の効いた部屋に冷たい風が入ってくるのとほぼ同時に、周防の体が外へと弾き飛ばされた。

「ななな、何が起こったんだっ!?」

 尻もちをついたまま、周防が周囲をキョロキョロと見渡した。

「……元気そうだな、周防。どうも、本気を出したお前には、私の一撃も大して効果がないらしい」

 やがて周防の視線がある一点で止まる。彼の先には、縁側の側に立つ姫神の姿があった。庭でうずくまる周防を、姫神が家の中から見下ろす構図である。

 これが日本で俗にいう修羅場というやつであった。

「げえええええええええええ、姫神ぃー!?」

 先ほどまで暖房で少し火照っていたその顔は、すでに血の気がなく真っ青だった。震えているのは寒さか、それとも恐怖か。ご想像にお任せしたい。

「随分と楽しそうじゃないか。そういえばこの前、私のタイプの男を聞いてきたな。今更だけど、教えてやろうか周防」

「いえ、遠慮しま――はい、お聞かせ願いますか、姫神様」

「まず一つ初めに言っておくと、私はナヨナヨした弱い男が大っ嫌いだ。特にお前のような、異性にかまけることしか能のない阿呆は特に嫌いだ。私はな――じ、自分より強い男にしか興味はないんだ」

 何か最後のくだりのほうで、姫神が頬を赤らめて俺を見たような気がするけれど、見間違いということにした。

「な、ナヨナヨだって……。ふん、面白いじゃないか姫神。僕が下手に出てると思って調子に乗るなよ。お前がいくら強いからといっても、年齢はこっちの方が上だし、単純な筋力じゃあ男の僕のほうが強いはずだ。だからあんまりおいたが過ぎると、優しいこの僕もついついオシオキしちゃうぜ?」

 周防はげっへっへと、とことん怪しく笑う。それを見たシャルロットは俺の耳元で「ねえねえ士狼、周防って気持ち悪いね」と言ってきた。

 当然、同意した。

「――面白い。それじゃ、そのオシオキとやらを私にしてみなよ周防。その代わりといってはなんだが、もちろん抵抗してもいいんだろうな?」

「いいともいいとも。けど、抵抗してもしそれが無駄に終わったとしたらその時は――ぐひひ、分かってるだろうね姫神?」

 無表情で見下ろす姫神を、周防は明らかに変態が混じった顔で一瞥する。彼女の制服はスカートを短く改造したおかげで、その引き締まった白い足がよく見える。それを舐め回すように見たあと、周防は視線を上げて腰、胸、首へやり、やがて彼女の顔で止まった。

「いいだろう。私を倒すことができたなら、この身体を好きにしてもいいぞ」

 姫神が自らの身体を腕で掻き抱く。

 それを聞いた周防は興奮した面持ちで俺のほうを見た。

「き、聞いたか宗谷っ!? これは姫神が、僕に抱いてほしいと言ったのと解釈してオッケーなのかな!?」

「知るかバカっ!」

 やがて周防は男らしい顔で立ち上がった。

「じゃあ姫神……か、覚悟はいいねっ?」

「もちろん、いつでもいいぞ。お前の好きなタイミングでいい」

 明らかにこの二人の覚悟とやらは、互いに認識している意味が違うと思ったのは俺だけだろうか。

 無防備な姿勢で立つ姫神に対し、周防は不器用な格好で構えを取った。それは隙だらけだったが、何か強い意志のようなものを感じさせた。

 そう――俺はあんな人間を戦場で見たことがある。アレは……そうだ思い出した。

「っ、行くぞ姫神ぃー!」

 拳を握り締めて、

 地面を強く踏み込んで、

 視線は絶えず未来を見据えて、

 周防公人は雄叫びを上げながら特攻した。

「ふん」

 その命を乗せた一撃を、姫神はハエでも扱うかのように手を振り払って撃退した。

「ぎゃー!」

 背中から地面に倒れた周防は、ピクピクと痙攣したまま動かない。

 勝負はここに着いたのだった。

 俺はかつての戦場で見た光景を思い出す。あれは、そう――死に逝く男の顔だった、と。

「弱すぎる。男なら、もっと強くあるべきだ。た、例えば宗谷ぐらいにだな。いや、あんまり勘違いするなよ! これは例えの話なんだからなっ」

 チラチラと俺を見ながら、姫神は一人で熱くなって言い訳し始めた。どうやらコイツも少しおかしくなっているらしい。

 その夜、姫神が来る前に話していたことを彼女にも話し、やがて後で雪菜にも事情を説明した。すると女の子集団はみんな一様に、星見って素敵ですねーと快諾したときた。このクソ寒い冬に、よくそんな一文の得にもならないことができるもんだと思う俺が間違っているのだろうか。

 もしかしたら周防は、とりあえず俺よりは女心が理解できているのかもしれないと思った夜だった。

 やがて迫り来る大晦日。

 皆でお雑煮やら年越しそばを食って、軽く初詣にも行ったあと、俺たちは河川敷に星を見に行くことになった。

 その星見の夜の話をする前に、もう一つだけ小さな話を聞かせよう。


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