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けれど、狼と吸血鬼  作者: ハイたん
第二月 【星見の夜】
14/87

其の二 『困惑』


 雪菜の部屋を出て一番に見つけたのものは――渡り廊下の端っこで体育座りをしている姫神千鶴の姿だった。

 制服に包んだスレンダーな身体をこれでもかと丸くし、負のオーラ全開でぐすんぐすんと漏らしている。セミロングの黒髪を風に遊ばせており、それがまた一層に哀愁を際立たせている。

 はっきり言って――とても無視したい。

 姫神千鶴――その実はパンドラの箱、という図式が成り立っても文句は言わないぐらい触れたくい。……だがここで無視するのも、同じ暦荘の住人として間違っていると思わなくもないのだ。

 さきほど助け舟を出し損ねたお詫びも兼ねて、声を掛けてみることにした。

「おーい、姫神。そんなところで何してんだー?」

 現在の季節は冬。制服のような短いスカートならば相当寒いはずなのに、わざわざ外で蹲らなくてもと思う。

 ぎぎぎ、と音がしそうなほどゆっくりとした所作で姫神の顔がこちらに向く。

 赤くなった顔は寒さか、それとも涙か。見る人によってはどちらとも取れる気がする。

「ああ……宗谷じゃないか。久しぶりだな、元気してたか」

「いやいや、元気も何もさっきまで話してたじゃねえか。お前大丈夫か? なんか本当に優しいお医者さんを紹介しないといけなさそうだな。久織のヤツにでも頼もうか」

「いや、大丈夫だ。気にしないでくれ、私は負けないから」

 負けないって何にだ――とツッコミを堪えた俺は偉い。

 姫神はふらつく足で立ち上がり、スカートの裾をぱんぱんと叩いた。次いで空を見上げ、柔和な微笑を浮かべる。まるで悟りを開いたお坊さんのようである。

 その光景を見ているうちに、ふと悪戯心が湧いた。

「そっかー負けないのかー。――あ、雪菜だっ!」

 大げさに言って指を指す。

 ……ちなみに指差した先は廊下の端っこにいる姫神の背後で、そしてここは二階であるから、もちろんそこには地面がない。つまり誰も立つことができない以上、雪菜はいないはずなのだが。

 こちらに向いている姫神は、恐怖に震えた後、体を緊張させて目に見えるぐらい狼狽した。

「――せ、雪菜ちゃん!? 違うウソなんだっ、私は大丈夫じゃないのだからね、えっとねっ」

 口調が色々と混ざり合うぐらいに慌てている。

 振り向いて無人だということを確かめればいいのに。だが姫神は、雪菜を怖がるあまりそれができない。

「ふーん。え、雪菜、なんだって? 姫神は一度私の部屋に泊まりこませて、じっくりと教育する必要があるだと? 身体に教え込んでやったら万事解決だって?」

「ひぃっー―! ごめんなさいごめんなさい、それだけは勘弁してくれぇー!」

 体を綺麗に折り曲げて、頭を深く下げたまま謝罪を繰り返す。

 さすが武道経験者。礼をさせたら右に出る者はいない。まあ武道の礼はあそこまで深くなく、同時に恐怖も篭っていないが。

 もはや土下座しそうな勢いである。

「なになに? これから喋るときに語尾に『にゃーん』とつけたら考えてやってもいいって?」

「ごめんなさいにゃーん! だから泊り込みだけは勘弁して欲しいにゃーん!」

「……ク、ぷぷぷ」

 躊躇いもなく指示通りに動く姿に笑いがこらえられない。しかも真顔で語尾に『にゃーん』をつけるものだから、堂々とし過ぎていて逆に違和感がない。

 姫神にとって凛葉雪菜という存在は、それほどまでに恐るべき対象なんだろうか。ここまでくれば錯乱しているとしか思えない。少し考えてみれば今の状況にはおかしな箇所が幾つも見受けられるというのに。

 ……まあ俺が言えた義理ではないが。

「ぷっ、え、雪菜? 今気になる男がいるかどうか教えてくれたら、許してあげてもいい? 鬼だなぁお前も」

 俺はこみ上げる笑いを悟られないように、やや俯きながら次の指令を出す。

 結構最低なことをしている自覚はあるが、いつもは俺が追い回されているのだからこれぐらいは許されるだろう。

「う――気になる男だってにゃーん? そそ、そんなのいるわけないにゃーん!」

 未だ語尾ににゃーんを付け続ける。さすがの律儀さである。

 ――しかし怪しい、怪しすぎる。ちらりと俺を見たところからして、男である俺がいる前ではやはりそういう話題は言えないということか。

 姫神の心を掴む男というのは、ある意味で誰よりも気になる。この格闘娘に惚れられる条件というのはなんだ。聞けば間違いなく、自分より強い人とか言い出しそうな気がする。

 ダメだ。

 考えれば考えるほど、気になって今夜は眠れなさそうである。

「うーん、どうすれば聞き出せるのか」

「え、なにがなにが? 何かあったの、士狼」

「ああ?」

 ホームズよろしく、考える人より考えていた俺の肩に乗せられる手。振り返るとそこには――箒を持ったシャルロットの姿があった。

 布地の強そうなジャージに身を包み、金色の髪を後ろで一つ結うその姿は、とても掃除が上手そうな人に見える。

「箒持って何してんだよお前。微妙にバカみたいだぞ」

「ちょっとちょっとー、バカって何よバカって! さっき帰ってきたら何か廊下にガラスが散らばってるから、掃除しようと思って箒持ってきたのに」

「あぁ、あの牛乳瓶の成れの果てのことか。そういや忘れてた。サンキューな」

「やっぱりアレ、士狼たちがやったんだ。……ところでさ、さっきから気になってたんだけど千鶴はあそこで何してるの?」

 シャルロットが目線で問う。

 俺たちが会話している間も、姫神はぶつぶつと言い訳と謝罪を繰り返している。今思えば何に対して謝っているのだろうか。

 時々にゃーんという言葉が聞こえてくる辺り、姫神は未だ律儀に言いつけを守っているらしい。

「やっぱりって何だよ。ハッキリ言って俺は被害者なんだぜ? 牛乳飲んでたらいきなりアイツに襲い掛かられたんだよ。なのに士狼たち・・って、俺が主犯格みたいに言われるのは納得いかねえぞ」

「どうせ士狼が何か千鶴にちょっかいかけたんでしょ? 千鶴はどこかのインチキ陰陽師――あ、間違えた。自称陰陽師みたいに心が歪んでないんだから、何もないのに襲ってくるわけないじゃない」

 先ほど雪菜の部屋で似たような言い間違いを聞いた気がする。

 なんだかんだ言ってコイツらは、表面上はギスギスしていてもわりと似た者同士なのである。もちろん本人たちには否定されそうだが。

 というよりも、インチキと自称って、言い直してもイメージは特に変わらないと思うのは俺だけだろうか。

 やがてシャルロットは、想起したようにポンと手を叩いた。

「それよりもさ、千鶴を先にどうにかした方がいいんじゃないかな」

「そうか、俺はあれで一つの完成形だと思うんだがな。まあどうにかしたいっていうんなら、お前が声かけてみろよ」

「うん、分かった。おーい、千鶴。一体何があったの?」

 シャルロットが姫神に近づき、顔の前で手を振ってみせる。

 それに対応して、姫神はハッとしたように覚醒した。

「っ――あ、ああっ、シャルロットかにゃーん。済まないが今は取り込み中なんだ、後にしてくれにゃーん」

「ん? にゃーんってなに、猫の真似? あはは、可愛いね千鶴」

「可愛いっ!? あ、あわわわっ」

 人懐っこい無邪気な笑顔は、この時の姫神には、死神のような笑みに見えた――と思う。悪気がない分、悪気がある自称陰陽師よりもタチが悪くなっている。

 案の定、姫神はより頬を上気させて動転を強くした。

「そんなに慌ててどうしたの、何かあった?」

「い、いや、だって可愛いって――違う、今はそれよりも雪菜ちゃんが」

「雪菜? 雪菜がどうかしたの?」

「どうも何も私の後ろにいるじゃないか。……ああ! いるんじゃないかにゃーん!」

 わざわざ言い直す律儀さに、俺は不覚にも涙が出そうになった。

 心の中で「負けるな姫神、勝負はこれからだ」とエールを送っていると――シャルロットが不思議そうに首を傾げて、言った。

「んー千鶴が何を言っているのか、よく分からないかな。ここにいるのは私と士狼と千鶴の三人だけだし、そもそもあなたの後ろには人が立てるスペースなんてないよね」

 迷宮並の事件の真実を、探偵から教えられた衆目が浮かべる『なんだってー!?』のような顔。

 おろおろとした態度はなりを潜め、鋭い眼差しが強くなる。やがて姫神は、ゆっくりと後ろを振り返り、誰もいないことを確認すると身体を震わせた。

 俺に背中を向けたまま、地獄の底から響かせるように声を出す。


「殺す」

「こわっ!」


 上半身をだらりとさせたまま俺を見る。顔を俯かせているせいで表情が分からないが、前髪の隙間からは明らかに視線を感じる。

「まあ落ち着こうぜ、姫神。これでほらアレだよ、喧嘩両成敗とかお互い様だとか言うじゃん」

「問答――」

 言うが早いか、姫神は駆け出した。もちろん獲物は決まっている。

 認めたくはないがそれは、

「――無用!」

 どうもこの俺らしい。

 姿勢を低くしたまま俺の眼前まで迫った姫神は、躊躇なく鳩尾に向かって正拳突きを繰り出してきた。

 体を横にずらしながら、その拳を横合いから手ではたくようにして相殺した。

「待て待て! せめて話し合おうって」

「――うるさいっ! お前のような奴は死んでしまったほうが世のためだっ!」

 様々な方向から飛び出してくる拳や蹴りをやり繰りしながら、俺は少しずつ後退していく。

 ――姫神のヤツ、怒りに我を失っているように見えてその実、冷静にフェイントを織り交ぜてきたり緩急をつけたりしてくる。

 それは意識しての行動ではないく、きっと無意識での体捌き。培ってきた格闘経験のおかげだ。

 これほどの腕前ならば、大の男であっても到底敵わないだろう。

「おいシャルロットっ、助けてくれ!」

「あ、ごめん。今忙しいんだ、頑張ってね士狼」

 シャルロットはいそいそとガラスを掃いていたらしく、面倒くさそうに切り返してくる。

 ……ダメだ、あのバカ吸血鬼は当てにならない。

 俺は階段を素早く駆け下りた。ほとぼりが冷めるまで街中でもぶらつこうと思ったからだ。

 ――暦荘の敷地はそれなりに広く、暦荘まるまる一つと大家さんが住む一戸建ての小さな家が入って、さらに庭と呼べる程度のスペースも残っている。花火なんかは公園に行かずとも余裕で出来る。。

 敷地を出てしまおうと足を速めると、背後から殺意の波動らしきものを感じた。勘だけを頼りに、何も考えずその場にしゃがみ込んだ。

 ――直後、頭上を暴風が突き抜けていく。

 姫神のヤツが追いついてきて、手加減無しの回し蹴りを放ったのだ。

「げ――おい姫神! 今のは当たってたら冗談抜きに病院行きだったぞ!」

「当たり前だ。霊安室の右端らへんに送るつもりだった」

「――コイツ殺すつもりだー!」

 なおも襲い掛かってくる姫神。正直マトモに相手などしていられない。

 女子高生と勝負する二十歳過ぎの男など、朝刊に載っていたら間違いなく日本は終わったなと思うレベルだろう。

 やがて、暦荘の前で争っている俺たちの眼前を、ビニール袋を持った大家さんが通りかかった。長ネギやパックの牛乳が覗くところを見ると、買い物の帰りなのだろう。

 ――大家さんは吸血鬼や自称陰陽師、そして格闘娘とはまた違って落ち着いた雰囲気の女性である。ゆるくウェーブした薄い茶色の長髪に、どこか眠そうにした優しい瞳。比較的ゆったりとした服に身を包んでいるが、上半身の一部分が強く自己主張して、それがまた母性を感じさせる。

 そんな彼女は、明らかに襲われている俺と、明らかに襲っている姫神を交互に見る。

「あらあら、宗谷さんに千鶴ちゃん。二人とも――」

 助けて、と言うヒマさえ与えてもらないほどに姫神の猛攻は続いていた。

 だから俺は、大家さんが今ここに通りかかったのも何かの縁だと思い、仲裁の一言を待ち望んだ。

「仲、いいですねぇ」

 子供を見守る母親のような微笑を浮かべ、大家さんは何事もなかったかのように去っていった。

「ウソやん――」

 思わず大阪弁が口をつく。

 予想外といえばそうだし、予想通りだっただろうと聞かれれば、やはりうんと答えてしまいそうな大家さんだった。

「誰か助けてくれー!」

 姫神の攻撃をかいくぐり、青空に向かって叫ぶ。

 結構、というかメチャクチャ本気であった。だって怖いし。

「諦めろ宗谷。お前の人生もそろそろ終わりだ」

「さっきからお前どんだけ人を殺すつもりなんだよっ!」

 俺の口答えが気にいらなかったのか、姫神は一歩下がって、恐らく得意技であろう右足の回し蹴りを繰り出してくる。それを再びしゃがんで回避した俺の視界には――偶然にも凄いものが飛び込んできた。

 姫神は動きやすいようにスカートを短く改造している。その下にはせめてスパッツぐらい履いているのかと思っていたのだが。

「……ピンク、か」

 意外と女の子らしい下着だった。

「っ――!?」

 刹那のうち、姫神はスカートの裾を押さえて飛びのいた。その頬は雪菜の前にいた時と同じぐらい赤く上気していた。

 しばらく待っても動きを見せない。予想では更に怒り狂うかと思っていたのだが、姫神はスカートを押さえたまま上目で俺を睨んでいるだけだった。

「……見られた。初めて、男に見られた」

 放って置けば泣いてしまいそうなぐらいに落ち込む。律儀で堅物な女と思いきや、むしろシャルロットや雪菜よりも感情の振り幅が大きい奴である。

 俺はどうしていいか迷っていた。

 しばらくして、とりあえず謝ったほうがいい気がして姫神に一歩近づいた。すると姫神は、なぜか俺が進むのに合わせて後退あとずさる。おかげで全く距離が縮まらない。

 姫神は下がれる距離分全てを使い尽くし、大家さんの家の壁と背中を合わせることとなった。望まないにも関わらず、これでは俺が迫り寄っているように見える。

「姫神? あー、そのだな」

「く、来るなケダモノ! 私は、私より強い男にしか興味はないんだ!」

 あ、やっぱりそうなんだ――喉に刺さった小骨が抜けたような爽快さで、なるほどと納得した。

 ……まあ何はともあれ謝罪しよう。こんな弱々しい姫神は見たくない。

 どうせならコイツには、いつもみたいに颯爽と居てほしいのだ。その結果が俺に挑みかかってくる融通の利かない暴力バカだとしても、今みたいな、寒さに震える猫を思わせる有様よりはマシだろう。

 俺は手を伸ばし、なるべく殊勝そうに見える顔を作った。

「あのな、ごめんなさ」

「――来るなよっ! 宗谷なんかあっちに行ってしまえっ――!」

 謝罪の言葉を吐き出した瞬間のことであった。

 姫神は俺を円の中心として、その円周を辿るような軌跡で自身を動かした後、暦荘の自分の部屋へ戻って行ってしまった。ちなみに走る際、スカートが翻らないようきちんと押さえていたのはやはりと言うべきなのか。

 結局、人にあっちに行ってしまえと言いながら姫神があっちに行ってしまった。

「…………」

 残されたのは俺一人。

 冷たい風が吹き、空しさをより一層と際立たせた。

 ――しかしこれで良かったのだ。未だかつてないほど怒った姫神の魔の手からは逃げ出せたわけだし、それに一つ素晴らしい物を見たわけだし。ピンクだったわけだし。

 突っ立っていても寒いだけだし、とりあえず部屋に帰ることにした。途中、階段でガラスを貯めたちりとりを持ったシャルロットとすれ違った。

 頑張ってくれたようで何よりである。後でジュースでも奢ってやろう――俺は少し優しい気持ちになりながら、部屋へと戻った。


 その夜のことであった。

 俺の部屋に、一通の手紙らしきものが届いた。

 白い紙に記されたやけに格好いい文字は、墨と筆を使って書かれたものだろう。裏には一言、こうあった。

 ――姫神千鶴。

 なんだなんだと思って表を見ると一言、こうあった。

 ――果たし状。

 俺こと宗谷士狼は、こうして現代に蘇った古の文を受け取ったのだった。



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