其の十二 『唯今』
最後に一つだけ断らせていただくと、私は吸血鬼だ。
帰るべき家を見つけ、もう多分あまり夜を徘徊することもなく、のほほんと笑って家事とかアルバイトに精を出すけれど、私は吸血鬼だ。
ちょっと寒いからと日向で日光浴をして、
ニンニク入りのラーメンを食べて、
先行き不安な未来を教会の十字架に祈って、
人気のない綺麗な小川で水浴びをして、
鏡を見て髪の毛を結ったりもする。
だけど私は、れっきとした吸血鬼なのだ。
え、なに、吸血鬼らしくない? いや、大丈夫である。吸血鬼はきっと血を吸うから吸血鬼なのであって、太陽その他諸々が弱点だから吸血鬼なのではない。その点は間違えないでもらいたい。
証拠に私はいつかの夜と同じように、月を見ながら今もほんのちょっとだけ思っている。
――血、飲みたいなぁと。
そんな吸血鬼の私にも、恥ずかしながら帰る家が出来たらしい。まだ馴染みも思い出もない小さな家だが、それでもとうとう例の言葉を言う機会が来てしまったようだ。
私は私の家となる暦荘という場所と、そこに集う住人たちに向け、言う。
――ただいま。
言葉にしてから思った。今どこかから帰ってきたわけでもない私が、いきなりこんなことを言い出したらおかしいんじゃないかと。
少し恥ずかしくなってきてしまって、思わず頭を下げる。それは人によっては礼儀正しいお辞儀に見えるだろうけど、私にとっては単なる照れ隠しだった。
でも仕方ないじゃないか。だって本当に、ずっと言ってみたいのをガマンしていた言葉だったんだから。
自分の家というやつを、もしもいつか私が持つことになるのなら。
その"家”と"住む人”に対して、初めに言う言葉はずっとそれだって決めていたんだ。
……やがて、頭を深く下げた私に帰ってくる声があった。それは一つではなく、何人もの人たちの声だ。
突然『ただいま』なんて、おかしなことを言い出した私を笑う声色じゃない。むしろ当たり前だといわんばかりの優しい声だ。同時に今の私がもっとも言いたかった『ただいま』という言葉とは逆に、もっとも聞きたかったその言葉。
恐る恐る、チラリと顔を上げた。みんな私を見ている。穴があったら、迷わず入ってしまいたいような気持ちだ。
全員と眼が合う。
すると彼らは再び、その言葉を口にした。
――おかえり。
月に照らされる暦荘に、その光に負けないぐらいの、沢山の笑顔が咲いた。