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けれど、狼と吸血鬼  作者: ハイたん
第一月 【ただいま】
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其の一 『邂逅』

 


 まず始めに断らせていただくと、私は吸血鬼だ。

 昨日ちょっと寒いからと日向で日光浴をし、その晩にニンニク入りのラーメンを食べ、今朝先行き不安な未来を教会の十字架に祈り、その昼に人気のない綺麗な小川で水浴びをし、そしてついさっき鏡を見て髪の毛を結ったりしたけれど、私は吸血鬼だ。

 さらに付け加えるとするならば、住む家もなく頼る者もなく、決して優雅とは言えない旅をしている、ひとりぼっちの吸血鬼である。

 そんな私の現在の目的はこの乾いた喉を潤すことにあった。だから私は行く当てもないが、獲物を求めるように夜道を歩いている。

 もちろん私は吸血鬼なのだから、喉を潤す飲み物は何かと相場は決まっている。

 そう、血だ。赤い赤い真っ赤な血。……ちなみに、贅沢を言っていいならAB型の血が欲しい。しかしその血液にはあまり巡り合ったことがないから、きっと希少なほうの血なのだろう。

 一つ言っておくと、別に吸血鬼は夜じゃないとダメだということはない。単純に人の血を隠れて吸いやすいのが夜というだけであって、条件が揃うのなら日の出の前でだって血は吸える。

 ただし現在の問題は、夜がどうとかではなく、むしろ冬がどうとかであった。月のやや陰った素晴らしい夜だが、こうも寒くては先ずその人さえ見つからない。

 こういう時に出歩く人間というのは、大抵がお酒で酔っ払っている場合が多い。今が週末というやつなのも関係しているのだろう。飲酒している人間は警戒心が弱く、襲いやすいという点では良いのだが、その人間の血を吸ってしばらくすると何故か私まで酔っ払ってしまうから論外なのだ。

 本来、吸血鬼はアルコールを摂取した人間の血を吸っても問題ないはずなんだけど、私には何故かダメみたいだった。特異体質と言えば聞こえはいいが、実際はただの弱点に違いないので普段は黙っている。大体打ち明ける相手もいないことだし。

 とにかく私は困っていた。

 血が飲みたいけど人がいない。人間を見つけても大抵が酔っ払っているか、何人かと連れで歩いているので、襲いにくいったらないんだよね。

 追い討ちをかけるように、寒すぎるせいか末端が麻痺して足元がフラついてきた。暖かい紅茶でも自販機で買って飲みたいところだけど、なけなしのお金は昨日ラーメンに使ってしまったので、私はいま完全に一文無しだった。

 本当に困った。

 今すぐ血を飲まなくても死にはしないが、どうせもう少ししたら厄介な連中が追いかけてくるだろうから、できることなら吸っておきたいのだ。

 ああ、早く親切に血を提供してくれる相手を見つけないと。

 血、飲みたいなぁ……。



 ****



 バカみたいに空を見上げながら、夜道を歩いていた。

 今夜はせっかくの美しい三日月だが、ところどころ張った雲がそれを邪魔している。

 それにしても寒い。

 吐息が白く色づく、撃てば響くような、そんな冷たい冬の夜。

 俺は先ほどまで自分が住んでいるアパートの大家さんと酒を飲んでいたのだが、その酒が悲しいかな切れた。

 元々俺は酒に強く、幾ら飲んだところで他人からは全くのしらふにしか見えないらしい。おかげでさっきも大家さんに「ちょっと宗谷さぁん。全然飲んでないじゃないですかぁー」と盛大に絡まれた。

 自分では結構酔っているつもりではあるが、顔は赤くならないし、心拍数も大して上がらない。しかしそれは他人から見ての評価であり、自分では思いのほか変化はあるつもりだ。

 そんな他人からは素面に見えるけれど実際は酔っているつもりの俺は、名を宗谷士狼そうやしろうという。

 年齢は忘れてしまった。格好をつけているわけじゃなく、本当に忘れてしまった。推測やおぼろげな記憶を交えて言うのなら、多分二十代前半から二十代後半ではある。誕生日は恐らく夏の間だったと思う。

 成長を喜ぶ暇を人生の思春期過ぎた辺りから見失ったため、自分の積み重ねてきた時間とそれが始まった瞬間を忘れてしまったのだ。

 ただ、血液型は輸血をしたことがあるから覚えている、AB型である。

 特徴がさほどあるような容姿をしているわけじゃないが、人ごみの中では他の人間よりも俺は浮く。この年にして染めたような真っ白な髪は、まあきっと何かショックな事があったんだろう。

 職業は"何でも屋"。……というと少しだけ聞こえはいいが、実際は大家さんが身近で困った事を俺に相談して、それを俺が何かしらの手段で解決し、報酬を貰うというものだ。

 ちなみにこの何でも屋という行きあたりばったりすぎる職業を適当に名乗っていたせいで、ついさっき大家さんに「あ、そういえば宗谷さんって何でも屋さんでしたよね。ふふふ私はまだ何も言ってませんけどお酒切れてますよねふふふまだ何も言ってませんけど」と指令を下されてしまい、こうして夜道を歩くはめになったりもしている。

 コンビニからアパートへの帰り道、網目模様のような雲が陰る夜。不規則に月が見え隠れするものだから、視界がまるで落ち着かない。

 歩く。歩く。歩く。

 道なりに帰路を進み、高架下まで辿り着いた。

 ガタンゴトン。そんな音を立てて、深夜の電車が近づいてくる。

 月はいつの間にか――すっかりと見えなくなっていた。風が強く、雲の流れも速い。もう少しすればまた雲目から青白い光が見えるだろうか。

 ……顔を上げて、そんなことを考えながら歩いていると空が見えなくなった。月光が完全に無くなったんじゃない。ただ俺が高架下に入ったのだ。

 その高架下は河川敷に近いところにあって、元々人気の少ない場所だ。一言で表すなら、バカみたいに廃れている。昼なら車とか通ったりもするけれど、この時間なら本当に無人である。俺だって近道じゃなかったら好き好んで通ったりはしない。

 ガタンゴトン。電車が近づく。無機質な音を耳が強く捉えた。

 瞬間だった。

 気付けば遠く――自分と同じく高架下の反対側の入り口に、一人の少女が立っていた。

 ――疑問。自分の間違いでなければ、さっきまであそこには誰もいなかったはずなのに。

 ガタンゴトン。電車が近づく。

 一歩、一歩と踏みしめるように歩く。気のせいか、それともタイミングがかち合ったのか。自分が踏み出すのと同時に少女も足を進めるものだから、足音は一つしかしなかった。

 薄暗いせいで相手の姿がよく見えない。ただその影が女性であることと、歩く足にあまり力がないことだけは理解できた。

 ガタンゴトン。電車が頭上を通過する。それに合わせて走行音は、反響するようにやかましくなった。

 歩く。歩く。

 やがて少女の容姿がおぼろげながら見えてきた。

 砂金のように流れる金色の髪はポニーテールという形でスッキリと纏められている。薄暗い中でもハッキリと分かる白い肌は、語彙が少ない俺でも白磁といったような言葉を連想させた。

 そして何よりも目に付いたのが、その赤い宝石のような瞳。いや、宝石のようなと喩えたのは少し御幣があるかもしれない。瞳自体にそのような印象はなく、ただ少女が持つ意志の強さのようなものが、目という感情を最も強く訴えかける部位から感じられただけの話。

 人形のように整った顔立ち。外見年齢は、十代後半ぐらいだろうか。少なくとも日本人ではないだろう。一目でそう判断できるほど、この国では見たことがないような人間だった。

 綺麗だ――そう感じるよりも先に、漠然とだが、どこか恐ろしいとも思った。やや力が無いふらつくようなその歩き方も、先の評価に繋がったのかもしれない。何よりわざわざこんな時間に、こんな薄暗い道を、あんな綺麗な娘が歩いているのにも言い知れない違和感を覚えたのだ。

 ガタンゴトン。そろそろ電車が通過し終わってしまう。

 ふと、この空間に静寂を取り戻して欲しくないと思った。なぜってそれは、その少女の姿がきっと――何か得体の知れないモノを連想させたから。

 目が合う。

 何か起こる。

 そんな予感がした。

 けれど勿論、それは杞憂に過ぎない。俺と彼女はやがて互いに同じ距離だけ進み、並び、通り過ぎていくだけ。目が合ったのも一瞬。ついに視界からは誰もいなくなった。

 ガタンゴトン。電車が過ぎ去ると同時――高架下に静寂が戻った。

 はずだった。


「見ーつけた」


 吐息がかかるほどの近距離。

 耳元で鈴を鳴らしたような声。

 両肩を掴まれる。ぞくり、と肌が泡立つ。 

 咄嗟に、脳裏によぎったのは先の少女。

「やっと……やっと見つけた。もう我慢できないよ」

 いただきます、と続く声。……あれ、おかしいなと思った。だってその言葉は、何かを食べる際に使う言葉だったはずなのに。

 首筋に何か穿たれる感触。ナイフほど鋭利ではなく、針ほど細く無い。

 うなじをさらりと何かが撫でる。横目にそれが金色の髪だと視認した瞬間、自分の首に穿たれたのはナイフでも針でもなく、少女の牙だったと理解した。

「ぐっ……、あ――」

 口から肺に溜まっていた空気が漏れた。身体が震える。それは寒さや恐怖からではない。ただ純粋に、何か俺の動きを封じる力が働いている。

 力の抜けた手から、持っていた酒袋が落ちそうになるのを俺はなんとなく落としたくなくて、握る手に力を込めた。

「んー美味しいっ! この味は……うん、待った甲斐があったなぁ」

 楽しそうな声。血で濡れた首筋から、何かを飲む気配の合間に少女が呟く。

 ……いや、何かと勘ぐる必要はない。この状況で彼女が飲んでいるものは一つしかない。


「そう、血」


 俺の心を読んだかのように、少女はニヤリと笑った。

「ざ――けんなぁっ!」

 その無邪気な笑顔と声に、とうとう怒りが爆発した。

 感覚のない腕を無理やり動かして、手加減も技もなく、ただ乱雑に背後を振り払った。

 しかし手応えはない。跳躍の気配――振り向くと、少女は少し遠くに片膝をついて着地していた。

「嘘……動いた? なんで、どうして? 結構な量の血を吸ったはずなのに」

「クソ、何だってんだよ」

 首筋を押さえて傷口を確かめてみた。……ありえない。頚動脈あたりを穿たれたはずなのに、出血は驚くほど少なかった。更に言えば傷自体が小さすぎるし、おまけに痛みすら感じない。昔色々と見てきたから分かる。この傷は異常だ。まるで何事も無かったかのように、傷口が再生しようとしている。

 少女は困惑の表情を浮かべたまま、先ほどの体勢を維持していた。何か得体の知れないものを見るような目で俺を見ている。

 ちなみにこの際ハッキリ言わせてもらうが――絶対に俺が向こうを見る目の方が、異常者を見るそれをしている自信がある。


「あなた――人間?」

「お前――人間か?」


 声が重なる。

 発声は同時であった。

 次いで金色の髪が風に戦ぐ。片膝をついていた少女が疾走したから。

「――ふざけやがってっ!」

 低姿勢を保ったまま、人間とは思えない速度で懐に少女が潜り込んでくる。

 咄嗟の判断で俺は、酒の入った袋を間に割り込ませた。同時に大きく後ろに跳んで距離を作る。

 パンッ、と目の前で袋がはじけ飛び、中に入っていた発泡酒が缶のまま空中に投げ出された。少女が腕を下から振り上げたのだ。

「避けた? もうっ、なによぉ――!」

「見て分からねえか? どこから見ても立派な人間だろうが」

 破かれた袋と、投げ出された缶ビール。

 意識を鋭く、針のように集中させる。中空を舞い踊る無数のアルミ缶――その中から最も近く、同時に手頃な位置に落ちてきたビール缶を思い切り蹴飛ばしてやった。

 高速で打ち出された缶は内包した液体の質量も相まって即席の弾丸に近い。蹴った衝撃で凹んだ缶は乱暴に回転しながら、幼児みたいに悪態をついていた少女の脇腹付近に命中した。


「――きゃあっ!」


 状況にそぐわない――変に可愛らしい声を上げて、影が倒れるように後ろへ飛んだ。

 役目を果たしたアルミ缶が地面に落ちる。やや小気味良い音がしたと思って見れば、缶は俺が蹴った衝撃等により破裂し、中身が漏れ出していた。黄金色の液体が薄汚れたアスファルトを侵食していく。

 場に静寂が戻る。

 少女は倒れたまま動かない。

「……痛ったいなぁもう」

 いてて、と呟きながら少女が身を起こす。髪についた汚れを落とそうと腕で後ろ髪をさすっていた。……どうも暢気である。

 その顔――痛みに薄っすらと涙すら浮かべた――を見てしまうと、とてもではないが緊張感を維持することなどできなかった。

 なぜって? 理由は簡単である。

 この現場を目撃した第三者の客観的評価はこうだろう。

 男が酒を買った帰り道、美しい少女を見つけて欲情。理性を抑えきれずに襲い掛かったはいいが、少女の必死の抵抗に遭い持っていた酒は散乱。その際の衝撃により尻餅をついた涙目の少女を、酷薄とした顔で見下ろす男。

 ……実に不愉快だ。冗談じゃない。

 襲われたのは俺で。

 抵抗したのも俺で。

 あとついでに言えば賞賛されるのも俺のはずだ。だってこの女は明らかに人間じゃない。人間は血を吸ったりはしないし、あれほど獣染みた速さで動くことなんてできない。

 だからではないが――俺は警戒心を少しだけ弱めてやって、距離を保ったまま少女に問いかけた。

「なあ。お前……なんだ?」

 すると少女はきょとん、とした後になかなかご立派な胸を張り、人形のような顔をうっすらと微笑ませて言った。


「――吸血鬼。さっきはご馳走様、AB型の人」


 気付けば高架下の外。

 網目模様の雲は流れ、三日月が顔を出していた。



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