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-1- 鉄と岩

見上げてもそこに月はなかった。


空を覆うのは、一本の鉄骨。


その赤黒い影が、視界を埋め尽くしていく――


2025年 東京


青く広がる空に浮かぶ入道雲。


夏の日差しが、住宅の屋根に反射している。


どこからか子供の笑い声がした、そして――


蝉の声が、止んだ。



ドゴォン......


突如として、住宅街の一角から土煙が上った。


サイレンが鳴り響くと同時に、逃げ惑う人々が通りを埋め尽くしていく。


「進化体警報が発令されました。住民の方は直ちに避難を――」


頭上を、大きな影が横切った。


影が放物線を描いて群衆に突き刺さる。


車。


白いボディが、赤く染まっていく。



「ユウカ!!ユウカぁぁっ!!」


一人の女が、人の波に逆らう。


ぐしゃり。


赤と白の造形が、ゆがんだ。


視線が上へ跳ねる。


車の上に、それはいた。



――――――――――――――――――――――――――――――



「......でよー、その昼間に出たっていう進化体、行方不明らしいぜ」


「へぇ......」


歩道に、二人分の影が長く伸びていた。


「なんでも車持ち上げる程の怪力だとか――って、おい!聞いてんのかよ、ジンギ!」


「ん?......あぁ」


背の高いほう――ジンギの手には、コンビニのレジ袋が握られている。


「なんだよ......例の噂、気にしてんのか?」


袋の手が閉じた。


「......図星、か」



一台の車が、二人の横で止まる。


白黒のボディとルーフに鎮座する赤色灯。


――パトカーだった。


助手席の窓が開く。


「君たち、こんな夜中に何してるの?」


「え?コ......コンビニの帰りっすけど......」


警察官の視線が、ジンギのレジ袋へと向けられる。


「......あ、そう。進化体が逃走中って話だから、気を付けるんだよ」


窓が閉じた。



テールランプが遠ざかっていく。


「ふぅ......職質されるかと思ったぜ」


また影が動き出す。


「......で、例の噂。聞いたんだろ?」


「噂は噂、この話は終わりだ」


「ビビッてやんの」


街灯に群がった羽虫が、チリチリと音を立てている。


その小さな音の裏に潜む何かを、ジンギは感じ取った。



二人が足を止めた。


互いに頷きあって身を翻す。


――その手には、拳銃。


「......さすが、鼻が利くな」


背後にいた男が口を開く。


男の拳銃は、ジンギに向けられていた。


「何の用だ」


「ここじゃ都合が悪い。......場所を移そうじゃないか」


男の眼鏡が反射する。


道路の奥に、赤い光が見えた気がした。



――――――――――――――――――――――――――――――



「......随分と歩かせるじゃねぇか」


気がつけば、大通りからかなり離れていた。


前を行く男は何も言わない。


隣で、銃口が男の頭へと向いた。


そして――


「よせ」


ジンギが手で制す。


「......囲まれてる」


「なっ......!」



そこは、何の変哲もない建設現場だった。


――二人を取り囲む影を除いて。


「......知らない大人にはついていくなと、小さい頃教わらなかったのか?」


男が笑う。


「こんな奴にボスがやられたとは、信じがたいな」


「ボス......だと?」


「ボスの恨み、晴らさせてもらうぞ」


ジンギの目が大きく開かれた。



「かたき討ち...ってわけか」


呟きが闇夜に溶けていった。


「違う」


男が、眼鏡を押し上げる。


「リベンジだ」


「なんだって......?」



突如、地を震わすような轟音が建設現場に響き渡った。


音のしたほう――ジンギ達の前方に、大きな影。


「で......出た......進化体だ!」


隣で後ずさりする気配がした。



「久しぶりだな、ジンギ」


地を這うような、野太い声だった。


「なぜ......俺の名前を?」


大きな影に、投光器の光が当てられる。


灰色の巨体、ざらついた肌、全身を覆うひび割れ。



「聞いただろ?リベンジさ、俺という《《ボス》》の」


「......!まさか......!」


レジ袋が、地面へ落ちる。


「噂ってのは本当マジだったのかよ......」


傍らで、息を呑む音がした。



顧みても、逃げ道はない。


「......やるしかないみたいだな」


ジンギの手が固く握られる。


「う......うそだろ!?敵は進化体だぞ!」


「だからって、逃げるわけにもいかねぇだろうがっ――」


足が地を蹴った。



照準がざらついた肌を捉えた。


すかさず、ジンギは指に力を籠める。


一発。


キィン――


乾いた音だった。


弾は跳ね返され、地面に転がる。


「見たか!ハジキなんて何ともねぇ!」


地響きとともに、灰色の巨体が迫ってくる。


「ジンギ!上だ!」


仲間の声に顔を上げる。


鉄骨が、クレーンにつるされていた。


「っ......!」


敵はジンギより遅い。


――倒せる。



再び、ジンギはトリガーを握る。


二発目。


弾は、見事にクレーンのロープを射抜いた。


灰色の巨体が、影に沈んでいく。


「今だっ......!」


ジンギが横へ飛ぶ――はずだった。



ガシッ――


足に鈍い感触。


一瞬だった。


大きな手が、ジンギを引き戻す。


衝撃で体が上を向いた。


見上げてもそこに月はなかった。


空を覆うのは、一本の鉄骨。


その赤黒い影が、視界を埋め尽くしていく――



――――――――――――――――――――――――――――――



最後に見えたのは、鉄骨の影に引きずり込まれるジンギだった。


ドシャァァンッ――


鉄と地面が唸る音。


鉄骨が揺らぎ、影から巨体が姿を現す。


周囲が歓声に包まれた。


「嘘だろ......ジンギ」


鉄骨の落ちる音だけが、鐘の音のように頭で鳴り響いていた。



「どうだ?目の前で仲間を殺された気分は」


嘲笑だった。


「ぐっ......」



視界の端で、鉄骨の影が揺れた気がした。


ズズ......ズズズ......


「ん?」


周囲の視線が、中央の鉄骨へと注がれる。


――動いていた。


「なっ――」


空気が変わった。


「な......なんだぁ!?」


口を大きく開け、巨体が一歩後ずさる。



鉄骨が浮き上がった。


「ジ......ジンギ......なのか?」


その赤黒い影の下で、何かが光った。


数多の銃口が鉄骨へと向けられる。


ズシンッ――


"それ"が鉄骨を手放した。


銀色の肌が、投光器の明かりを反射する。


そこにいたのは、人の形をした鉄だった。

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