料理長と孫と坊ちゃん
ボウルの中にパセリとタラゴン等のハーブを加えたたまごを良くかき混ぜる。
お嬢様はハーブ入りのオムレツを好んで召し上がる。
学園の卒業パーティーで起こりうる出来事に対するストレスを少しでも和らげてあげたいと願うフェルデン公爵家女主人ジャクリーン様の采配である。
お嬢様の婚約者であられるレナート侯爵令息様は、初対面からお嬢様を蔑ろにしていらっしゃる。
最近ではレニエ男爵令嬢との仲を隠そうともしないと聞いている。
お嬢様は「仕方ないことよ」と仰るが、本当にそれで良いのだろうかと老婆心ながらに考える。
お嬢様の衣装部屋に流行をとうに逸れたドレスしかないのは、顔合わせの茶会の時に
「目立つ色のドレスを着るな」
とレナート侯爵令息に言われ、茶会以降全てのドレスに口出しされるからだ。
既に婚約者が、しかも王家に連なる血筋の侯爵家の嫡男がいるのだから流行りを取り入れ社交界の場で注目を浴びる必要は無いだろうと、お嬢様が新しいドレスを仕立てる度に屋敷に来ては4時間にわたって持論を展開されるのだ。
交友関係にある殿方と談笑していれば、婚約者のいる身分で異性に笑いかけるのは不義にあたると辛く当たった。
お嬢様は婚約が結ばれて以降、日に日に表情が消えていった。
なので、せめて屋敷の中では笑える様にお嬢様を支えるのが我々使用人の役割である。
「りょーりちょー、また鼻歌歌ってるー」
調理場に顔を出したのは行儀見習いでフェルデン公爵家に奉公に来ている娘だった。
さる子爵家で保護された異世界人であり、レニエ男爵令嬢と比べれば口調の幼さを除けば及第点の子どもであり、名前を「サツキ」と言う。
「でも、私もその歌好きー」
私の鼻歌の続きを、サツキが楽しげに口ずさむ。
もはや朧気な記憶となりつつも。私の価値観を根本から激変させた歌であり、悩み追い詰められていた私を導いてくれた曲だ。
―――そう、私も元はと言えば異世界人であり。
迷い込んだばかりの頃にフェルデン公爵家に保護され、元いた世界では両親から猛反対を受けていた料理の腕を認められて、長年フェルデン公爵家の厨房を任されている。
なお、サツキ―――咲月は私の孫にあたる。
奇妙な縁もあるものだ。
「おじーちゃんは料理人になりたかったんだけど、ひいじいちゃん達は会社を引き継いで欲しかったから夢を諦めたんだってー。
だからおじーちゃんはパパには好きな様に生きなさい、っていつも言ってたんだってー」
記憶にある息子の姿は13歳で止まっている。
息子が13歳の時に、こちらに来たからだ。
私の妻は息子が生まれて直ぐに別の異世界に渡り、時折世界を越えて妻から手紙が届いていた。
妻からの手紙は、妻が異世界に渡って3年が経過した頃にパッタリと途絶えた。
妻の渡った異世界は元いた世界と時間の流れが大きく異なったらしく、元いた世界の3年は妻の渡った異世界の60年に該当したからだった。
この世界の時間の流れは元いた世界と誤差は無く、17年前に息子から孫の咲月と芽衣の姉妹が生まれたと連絡を受けてはいたが、まさか咲月がこちらに来るとは思ってはいなかった。
「リューイチ、なんか軽食はないか?」
勝手口からひょっこりと顔を出したのはフェルデン公爵家の次男のジョセフ様だった。
「もう少しで、魔女の呪いが分かりそうなんだ」
魔女の呪い。
元王太子アルベルトが移り住んだ僻地の小島に昔から伝わる話で、畑仕事をしていると魔女が気まぐれに呪いをかけるのだと言うのだ。
何の前触れもなく高熱や震えが起こり、島民は熱発作が治まるまで布団にくるまって過ごすと聞いている。
熱発作を何度も繰り返し、時には意識障害を起こし、そのうちに足が腫れ上がり、耐え難い痒みに襲われると言う。
「たぶん、水場に原因があると思うんだ。リューイチやサツキの世界には、この手の話はないのか?」
「調べれば何かしら出て来るやもしれませんが、私は医学については門外漢ですから」
「ドキュメンタリー番組で見た事ある気がするけど、あんまし覚えてないー」
「そうか。無理を言ってすまない」
元いた世界と交信する術はいくらかあるが、息子の得意分野は別分野だ。
ジョセフ様にサンドイッチを差し出すと、とても美味しそうに召し上がっていた。
異世界人が来て、貴族社会で問題が起きた時の追放先には先の戦争で荒れた土地だったり、昔から所謂風土病の残る土地が多い。
追放される貴族令息や令嬢に対する最低限の情けとして、問題解決の取っ掛りを調べておく事もまた、地位のある者の責務ではないか、とジョセフ様は考えていらっしゃるのだ。
「利用出来る土地が増える事は、国にとって悪い事ではないだろうからな」
そう言ってジョセフ様は手元の資料をいくつも眺めている。
―――婚約破棄を受けたお嬢様が帰宅なさるまで、あと10分。




