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15. 聖域の休日と, 仄暗い宝石の脈動

いつもご愛読いただきありがとうございます。


第15話は、ハルトとエリシアの束の間のデート回です。


普段は「死神」として恐れられるハルトが見せる、少し意外な一面(と真っ赤な耳)をお楽しみください!


あ、それから今回からハルトの口調に少し変化があるかも……?


わずか半月前まで、ここは「死の地」と呼ばれ、絶望混じりの溜息だけが満ちていた場所だった。


だが今、窓の外に見える風景は見違えるほどに変わっていた。


バルガスの指揮下で再建された城壁は、鋼鉄よりも堅固な威容を誇って領地を包み込み、浄化された井戸端には、早朝から水を汲みに来た領民たちの笑い声が晴れやかに響き渡っていた。


俺は執務室の窓枠に寄りかかり、その光景を静かに見下ろしていた。手には、ノアが夜通し整理した被害復旧状況と物資補給計画の記された手帳があった。


だが、意識は手帳の中の数字には向いていなかった。


俺は、ポケットの中にある固い感触を何度も確かめるように触れていた。


領地の子供たちがプレゼントしてくれた、死神の姿を模した粗末な木彫りの人形だ。


(……出来損ないだな)


口ではそう毒づいたが、俺はその人形を捨てることはなかった。むしろ、その冷たい木の感触が、この異世界で初めて触れた温かな人情のように感じられたのだ。


だが、平穏も束の間。俺はふと思い出した記憶に頭を抱えた。


数日前、酒の勢いと感情に流されてエリシアに送ってしまった、あの手紙。


『お前が来たら、ぜひ一緒に飲みたいものだな』という気恥ずかしい文章を書き、インクが滲んだまま送ってしまった最悪のミス。


それを思い出すたびに、穴を掘って埋まりたい衝동에 駆られた。


「はぁ……指が狂っていたに違いない。あんな歯の浮くような台詞を……」


俺が溜息をつき、自責の念に駆られていたその時だった。 城門の方から騒がしい蹄の音と共に、華やかな紋章の刻まれた馬車が入ってきた。


王室の象徴が鮮やかなその馬車を見た瞬間、心臓が跳ね上がった。


予定では明日のはずだった。だが、馬車から降りてきた眩い金髪の女性は、間違いなくエリシアだった。


俺は慌てて城壁の下へと駆け下りた。


馬車の扉が開き、眩しい日差しを浴びてエリシアが姿を現した。彼女は駆け寄る俺を見つけるなり、花が咲くような笑顔で手を振った。


「ハルト! お迎えが遅いんじゃない? 待ちきれなくて、一日早く来ちゃった」


「……どういうことだ? 到着は明日だと聞いていたが。急に来られては、領地の警備や接待の準備が……」


俺が言葉を詰まらせ動揺すると、エリシアは懐から一枚の紙を取り出し、いたずらっぽく振ってみせた。それは俺が送った、あの問題の手紙だった。


「あら、この手紙を書いた人はどこへ行ったのかしら? 『お前が来たらぜひ一緒に飲みたい』なんて情熱的に招待しておいて、いざ本人が来たら歓迎もしてくれないの?」


顔が爆発しそうなほど赤くなった。俺は咳払いをし、視線を逸らす。


「……それは、ただの社交辞令だ. 深く考えるな」


「本当に? でも、ここにインクがこんなに滲んでいるわよ。どれだけ苦心して書いてくれたのかと思ったら、つい胸が高鳴っちゃったわ」


エリシアがにっこり笑って一歩近づくと、俺はたじろいで後退した。その時だった。


状況を全く把握していないアーシャがのしのしと近づいてくると、俺の肩にガシッと腕を回した。


「おっ、あんさん! この美人は誰だい? ほう、いいスタイルしてるねぇ。背格好もちょうどいいし、特にこの胸……は少し控えめだが、あんさん、意外と趣味がはっきりしてるね!」


一瞬、静寂が流れた。俺は驚愕し、アーシャの手を引き剥がそうと悲鳴を上げた。


「あ、アーシャ! この無礼者が! この方は王女殿下だ! 今すぐ礼を尽くせ!」


アーシャは目を丸くしてエリシアを見つめ、エリシアは「胸」という言葉に少し顔をしかめた。


だが、すぐにアーシャの堂々とした振る舞いが気に入ったのか、余裕のある笑みを浮かべた。


「ふふ、ハルトの仲間たちは本当に個性的ね。……ねえ、ハルト。アーシャが言った体つき、本当にあなたの好み?」


エリシアの意地悪な質問に、俺は答えに窮し、何度も咳き込むことしかできなかった。


「死神」と呼ばれ大陸を恐怖に陥れた俺の威厳は、エリシアの前に立つと紙屑のようにくしゃくしゃになった。


執務室に場所を移した後、王宮からの伝令がさらに一通の書状を差し出した。送り主は、エリシアの上の兄である第二王子だった。


俺は緊張した面持ちで封を切った。そこには整然としていながら力強い筆致が並んでいた。


『ハルト伯爵へ。 西方の海上権交渉と外交公務を終え、王宮に帰還した。私のかけがえのない妹、エリシアがしばらく貴公の領地に滞在すると聞いた。


あの子は好奇心が旺盛ゆえ失礼もあるかもしれんが、どうかよろしく頼む。


ああ、ちなみに付け加えておくと、もし妹の髪の毛一本でも傷つけたり涙を流させたりすれば、私の艦隊をすべて率いて聖域に突撃する準備ができていることを忘れないでくれたまえ。健闘を祈る』


俺は書状を読みながら、背筋に冷たい戦慄が走るのを感じた。


第二王子は冷静沈着な智略家であり、強力な海軍力を掌握する実力者だ。彼の「よろしく頼む」という言葉は、事実上の強力な脅迫に他ならなかった。


「……お兄様、なんて書いてきたの?」


エリシアが不思議そうに覗き込むと、俺は慌てて書状を背後に隠した。


「何でもない。ただの、領地管理をしっかりしろという激励だ」


「そう? それよりハルト、実は私、公式な視察団とは別に個人的な休暇を取ったの。だからここに数日泊まっていくわ!」


エリシアの爆弾発言に、俺は目を見開いた。


「なっ、数日だと? 王女がこんな辺境の領地に留まるのは無理がある。


城内の部屋もまだ整っていないんだ」


「ケチなこと言わないで。私が誰のおかげで王宮の貴族たちの小言に耐えていると思ってるの? 報酬はしっかりもらわなきゃ。それに、ここに来るために私がお父様にどれだけ強請ったと思ってるの?」


エリシアはいたずらっぽく鼻先をぴくつかせた。普段王宮で見せる高貴で冷徹な王女の姿はどこへやら、俺の前だけで見せる無邪気な少女の姿だった。


俺は溜息をついたが、内心では妙な喜びが湧き上がるのを否定できなかった。


結局、俺のすべての業務をノアに押し付け(ノアは「さすがハルト様! 王女殿下と愛の戦術を!」と歓喜していた)、エリシアと共に領地の散策に出かけた。


二人が並んで城門を出る背後、巨大な石柱の陰から不審な影が二つ飛び出した。


「おい、ルナ! 俺の言った通りだろ? あの雰囲気見なよ。あんさん、完全にデレデレじゃないか!」


アーシャがニヤつきながら懐から望遠鏡を取り出した。


彼女の視線は執拗にエリシアの後ろ姿を追う。


「やっぱり俺の目は節穴じゃないねぇ。王女様、マジで気品に溢れてるじゃないか。特にあの腰のラインから落ちる……」


バシッ!


「痛っ! なんで叩くんだよ!」


後頭部をまともに叩かれたアーシャが悲鳴を上げた。


隣で冷ややかな視線を向け、手術用のメスを弄んでいたルナが、呆れたように口を開いた。


「卑俗な観察はそのくらいになさい。今重要なのは伯爵様の心理状態です。普段は血も涙もない死神を気取っているくせに、王女殿下の指先が触れただけで心拍数が120を超えているように見えませんか? 解剖したいくらい興味深い表情です。人間の防御機制がああも一瞬で崩れるとは」


「解剖って……! お前だって本当は見物するのが楽しいんだろ? 見ろよ、あんさんの耳、真っ赤になって燃えてるぜ!」


アーシャが再びヒヒッとはしゃぎながら、先行する二人を指差した。ルナは眼鏡を押し上げ、小さく呟いた。


「……まあ、聖域の君主がああも無力に振り回される様を見るのは、確かに稀なデータですからね。逃さず最後まで観察することにしましょう」


領民たちは、王女が直接領地を訪れたという知らせに仕事を休んで通りに繰り出していた。


彼らは初めて見る王族の華やかさとエリシアの美しさに目を奪われていた。


「まあ、あの方が伯爵様の恋人の王女様かしら」「なんて聖女様のように美しいんだ。うちの伯爵様とお似合いだわ!」


住民たちの囁きに、エリシアは俺の腕をぎゅっと掴み、より堂々と歩いた。


俺は耳を真っ赤にしたまま視線を正面に固定したが、エリシアの腕から伝わる柔らかな温もりのせいで、心臓が破裂しそうだった。


「ハルト、あれ何? すっごくいい匂いがする!」


エリシアが指差したのは、老人たちが大釜でジャガイモを揚げて売っている露店だった。


俺は小銭入れを取り出し、揚げジャガイモを一袋買った。エリシアは、王宮の洗練された料理とは程遠い、脂の乗った無骨なポテトを一口頬張り、目を輝かせた。


「わあ! 熱いけど本当に美味しい! 王宮の料理人たちが作ったものより、ずっと生き生きとした味だわ」


彼女は口元に砂糖と塩をつけたまま、子供のように笑った。ふうふうとジャガイモを食べるエリシアを見ていた俺の視線が、ふと遠くを向いた。


揚げたての香ばしい匂いと、砂糖の甘さ。この馴染み深い感覚は、俺を遠い昔、もはや戻ることのできない遥か彼方の記憶へと誘った。


「……故郷でも、こんなものを食べていたな」


自分でも気づかぬうちに溢れた独り言だった。エリシアが目を丸くして俺を振り返る。


「故郷? ハルト、あなたの故郷は王都の近くだったじゃない。そこでもこんな庶民的な食べ物を祭りで売っているの?」


「いや、そういう意味ではなく……」


俺はしまったと思ったが、すでに吐いた言葉は飲み込めない。


俺は少し躊躇った後、いつもの鋭い目元を少し緩め、穏やかな声で付け加えた。


「ああ。日本、という場所だ。そこでは夏になるたびに大きな祭りがあってね。夜になるとみんな『浴衣』という服を着て、君みたいに口元に砂糖をつけながら、いろんな食べ物を買って食べたものだ」


エリシアはジャガイモを噛むのも忘れて俺の表情に見入った。今までに見たことのない、寂しげで、それでいて慈しむような眼差し。まるで届かない大切な宝物を惜しむような表情をしていた。


「日本ってどんなところ? この聖域みたいに温かいところ?」


「どうだろうな。ここは魔物もいれば戦争もあるが……あそこはとても平和で、時々、嫌になるほど騒がしい場所だった。それでも時々、本当にたまに、あの時の喧騒が恋しくなることがある」


俺の短い告白に、エリシアは腕を組んだ手にそっと力を込め、俺にさらに密着した。


彼女は、俺が言う「故郷」が正確にどこなのか知る由もなかったが、俺が今この瞬間、ひどく孤独に見えることだけは感じ取ることができた。


「そうなんだ。でもハルト、もう寂しがらないで。あなたが作ったこの聖域も、今は十分に騒がしくなっているから。私が毎日隣で騒いでやるわ」


エリシアの茶目っ気混じりの慰めに、俺はふっと吹き出した。前世の記憶が与える虚無感が、彼女の温もりで少しずつ満たされていく気分だった。


俺は無意識に手を伸ばし、彼女の口元についた粉を指で直接拭った。


その短い瞬間、市場全体の空気が止まったかのようだった。


遠くでその光景を盗み見ていた村の女たちや老人たちが、申し合わせたように口をあんぐりと開けた。


「あらあら、今見た? 伯爵様の手つきを見てよ。あの方が人の命を奪う死神伯爵様で間違いないのかしら?」


住民たちの囁きは止まらない。


普段、冷徹な威厳を放ち領地の秩序を守っていた「死神」が、一人の少女の笑顔一つにたじたじになる姿は、領民たちに大きな衝撃と、同時に妙な親近感を与えた。


「おい、お前ら! そこで何をしている! 仕事はないのか!」


遅まきながら住民たちの視線に気づいた俺が、顔を赤くしてわざと険しい表情で声を荒らげた。


普段ならその一喝で全員が蜘蛛の子を散らすように逃げ出すはずだが、今日は違った。


「いやぁ、伯爵様! 王女様とデート中にお邪魔してすみませんねぇ!」


「おやおや、うちの領主様の耳があんなに赤くなるのは初めて見たわ。ほっほっほ!」


住民たちがクスクス笑いながら余裕たっぷりに散っていく姿に、俺は呆気に取られた。


死神の仮面が「恐怖」ではなく、「自分たちの領主様」という親しみのある愛情に変わる瞬間だった。


エリシアは一瞬固まった後、俺をじっと見つめて囁いた。


「……今これ、デートよね?」 「……視察だ。勘違いするな」


俺はぶっきらぼうに答えて顔を背けたが、口元にこぼれる笑みを隠し通すことはできなかった。


そうして夢のような時間が過ぎ、夕焼けが始まりだした。俺とエリシアは、村が一望できる緩やかな丘の上に座った。


赤く染まった領地の風景は平和そのものであり、その平和は俺が血の滲むような思いで築き上げた結果だった。


「ハルト、あなたを本当に誇りに思うわ。みんな不可能だと言ったこの地を、あなたがまた息を吹き返させたんだもの」


エリシアが俺の肩に頭を預けて言った。俺は遠くに見える城壁を見つめ、静かに答えた。


「俺がやったんじゃない。仲間たちと領民たちが自ら立ち上がったんだ。俺はただ……彼らが転ばないように後ろを支えただけだ」


「それがまさに『リーダー』っていうのよ。死神伯爵様」


エリシアはいたずらっぽく笑いながら、懐から小さな宝石箱を一つ取り出した。


それは彼女が王宮から持ってきた、王室の秘宝「イステリアの涙」と繋がったアーティファクトだった。


「これを見せたかったの。あなたが領地を浄化してから、この宝石の光がより澄んできたのよ。きっと、この地の気が良くなったおかげね」


エリシアが宝石箱を開けると、淡い青い光が漏れ出した。 だが、その光を見た瞬間、俺の瞳が激しく揺れた。一見すると美しい光だったが、死神의 力を持つ俺の目には、全く別の光景が見えていた。


宝石から伸びる微細な「紫色の糸」が、エリシアの指先を包み込んでいた。


それは祝福의 光ではなかった。宝石は、エリシアがそれに触れるたびに、彼女の内面に潜在する生命力を、少しずつ、極めて微細に吸い取っていたのだ。


(……これは魔力じゃない。生気を食らい尽くす捕食者の流れだ)


俺は本能的にエリシアの手から宝石箱をひったくるように奪って閉じた。エリシアは驚いて俺を見つめた。


「ハルト? どうしたの?」


「……何でもない。風が冷たくなってきた、もう戻った方がいい」


俺はわざと無表情を保って立ち上がったが、宝石箱を握る手は微かに震えていた。エリシアの顔色が、先ほどよりもごく僅かに青ざめたのを目撃してしまったからだ。


王宮でセドリックがなぜ遺物を盗もうとしたのか、そしてなぜエリシアが「生贄」と呼ばれるのか。


その不吉な真実の破片が、俺の頭の中で一つに繋がり始めていた。


遺物は神聖な道具などではなかった。それは、生贄の生命力を精製し、何か巨大な悪を召喚するための「燃料タンク」だったのだ。


俺は後ろをついてくるエリシアの後ろ姿を見ながら、拳を強く握り締めた。


(絶対にそうはさせない。この地も、お前も。俺が守ってみせる)


夕日を背負った俺の眼差しが、いつになく鋭く冷徹に光った。


穏やかなデートの終わりに、聖域には再び巨大な嵐の前兆が漂い始めていた。

いかがでしたでしょうか?


アシャたちの尾行や領民たちの反応に、ハルトの心も少しずつ解きほぐされていくようですね。


しかし、幸せな時間の終わりにハルトが目にした「イステリアの涙」の真実……。



聖域に迫る不穏な影。ハルトはこの運命をどう切り開くのか。


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