第六節
激戦を制したふたりの眼前には、瓦礫が山を成していた。ステイメンは足止めと言っていたが、これではもう上へは上がれそうも無い。
それでは、ヴァルハロスたちも下へ降りられないのでは……いや、向こうにはアマンダがいる。そもそも、この階段を崩したのも彼女だ。何とかなるのだろう。
「……俺様の炎……で、何とかなるような状況じゃ無ぇな、こりゃあ……」
お道化てみせるダイ・オフだが、エンジエルはいつものようには乗って来なかった。
「これじゃあもう、兄さんたちは追えないわね。良いわよ、もう。」
「……本当に良いのか?」
デュースも声を掛ける。
「うん、良いのよ。兄さんが生きてたって判ったんだもん。それで充分。」
明らかな強がりだが、物理的に後を追えないのは如何ともしがたい。それくらいは判っているし、強がりだが事実でもある。生きていた。それを知れたのは大きかった。
「ふたりもさ、魔族の遺産なんて未練無いでしょ。そうまでして、どうしても欲しかった訳じゃ無いのよね。」
「まぁな。探し物の正体すら知らなかったんだ。だがな、獲物を横から掻っ攫われたのは、気分良く無ぇな。」
「そっか……そうよね。考えてみたら、この城の将軍たち、あたしたちが全部倒したんだもんね。」
「そう言やそうだな。なのに、お宝は持ち逃げされた。ふん、こいつは、後を追うしか無ぇな。」
「うん、もう。悔しいけど、後なんて追えないじゃない。」
「あぁ、まぁ、そう言う意味じゃ無ぇよ。その内さ、その内。世界だか何だか知らねぇが、強くなったんだろ、お前の兄貴。だったら、俺様みてぇに、その内噂になるかも知れねぇだろ。そしたら、こっちから会いに行って、文句のひとつも言えるだろ。」
エンジエルは、まじまじとダイ・オフの顔を見詰め、
「……そうね。うん、きっとそうよね。……それに、多分逢えると思うの、あたし。」
「エンジエル?」
不思議そうに尋ねたデュースに、エンジエルは確信を持って答える。
「兄さんは、力を求めて旅をしてる。ここダイナスのお宝は手に入れた訳だけど……世界だっけ?それがどんな力を持ってるか判らないし、それだけで充分とは言えないかも。……それくらい、兄さんは親父を警戒してた。だからきっと、他の魔族の遺跡にも行くと思うの。あたしたちの方は、ダイ・オフに聞こえる声に従って行くんでしょ。」
「まぁ……そうなるかな。他に別の目的がある訳で無し。」
「だったら、同じ遺跡でばったり出逢えるかも知れないじゃない。そしたら、今度こそあたしたちが先にお宝手に入れるわよ。」
「はっ、確かにな。この俺様が、このまま負けっ放しってのは我慢ならねぇ。」
「そうよ、そうよ。あたしだって、兄さんに負けたまんまじゃ悔しいわ。」
エンジエルとダイ・オフの素の明るさに、すっかり場の雰囲気が和らいだ。男ふたりでは、こうは行かない。いつも暗かった。そんな事を思い、デュースも頬を緩めた。
「……残念だけど、ステイメンもここに残して行く事になるわね。せめてお花でも……」
そうして周囲を見回して、あれほど咲き誇った花々の姿が無い事に気付いた。
「あ、あれ?お花……皆枯れてる。」
「何?」
言われて、ふたりもぐるり見回してみる。花瓶に生けられた花々は枯れ果て、気付けばアレクの土人形たちが全て倒れ伏していた。近付いて調べてみると、土は風化し脆くなっていた。
「……時の精霊、か。確かカサンドラは、時の封印とも口走っていたな。」
デュースの傍まで来てエンジエル、
「どう言う事?」
問われてすぐには答えず、さらに目を凝らし周囲を窺うデュース。
「どうやら、止まった時が動き出したようだ。」
「止まった……時?」
「あぁ。この城は、遺跡なのだから古めかしくて当たり前……とは言え、人が住んでいる状態だ。遺跡と断言するほど襤褸くも無いだろ。街の方は、遺跡では無いとしても、古くから存在するんだ。それなりに薄汚れているものだろう?こんな山奥だしな。だが……」
「そう言えば、街は随分綺麗だったわね。一斉に街中建て替え……なんてあり得ないわよね。」
「ミンシアの事を考えれば、多分二百年前からここダイナスの地は、時間が止まったままだったんだろう。あの精霊がミンシアの殺害に居合わせて、何かしたんじゃないか?」
「精霊とミンシア、仲良さそうだったもんね。」
「この土地の歴史までは判らないが、二百年前まではヴィンスたちがダイナス王に代わって土地を治めていたはずだ。その時点では、城も良く維持されていたし、街も綺麗にしてあった。当時はまだ、外との交流もあったのかも知れん。そこから二百年、外では時間が流れたが、ここでは止まったまま。……さっきまではな。」
「あ?!」
言われて周囲を見直すと、先程までより城内が薄汚れている気がした。エンジエルには、ミシミシと言う不穏な音まで聞こえて来るような気がした。
「ちょっ、ちょちょちょ、だ、大丈夫なの、ここ?いきなり崩れたりしない?」
「……これだけの遺跡だ。八百年は問題無く建っていたんだ。急に崩れる事は無いと思うが……急いで出た方が良いだろう。」
「そ、そうよね。ごめんね、ステイメン、ヴィンス。それからミンシア。あたしたち、もう行くね。」
まるで眠っている相手に語り掛けるように、横たわるふたりと下で待つミンシアへ声を掛けると、エンジエルは慌てて引き返そうとした。
「あ~、ちょっと待ってくれるか、ふたりとも。」
そう制止の声を掛けたのは、ダイ・オフだった。
「何よ、ダイ・オフ。急がないと、あたしたちぺちゃんこになっちゃうかも知れないのよ。」
「そう急がなくても大丈夫だろ。それよりも、だ。さっき、お前の兄貴がお宝を手にした時、声が聞こえなくなっただろ。」
「うん。確か、そんな事言ってたわね。」
「そうなんだが、実はな。それとは別にもうひとつ、別の声が聞こえたんだ。」
「別の声?……それって、次の目的地って事?」
「いや、そうじゃ無ぇ。すぐ近く。声自体はか細く小っちぇ~んだが、どうやらお宝盗られた事でこの城の役目が終わって、そいつが解き放たれた、って事なんじゃねぇかと思う。」
あの時、ヴァルハロスが世界を手にし、声が聞こえなくなった時、微かに違う声がした。そして、その声が聞こえて来る場所に、ダイ・オフは思い当たった。
「なるほど、あそこか。城がこうして変化しつつあるんだ。あそこにも何か、変化があったのかも知れんな。」
「え、デュース、心当たりがあるの?」
「あぁ。だが、城は急速に朽ちて行くだろう。やはり、急いだ方が良い。早速向かおう。」
「う、うん。それは良いんだけど……それって一体どこ?」
「とにかく行くぜ。どうせ通り道だ。お前も気にしてただろ、あそこ。」
そう言って走り出したダイ・オフに付いて行きながら、エンジエルも気が付いた。
「あ、そう言う事。封印が解けたのね。」
気はなるが、敢えて素通りして来たあの場所から声がする。となれば、好奇心旺盛なエンジエルで無くとも、興味が湧く。ましてや、自分には声が聞こえるのだ。それはつまり……
ダイ・オフは、ある確信を持って、あの場所へと急ぐのだった。
朽ち行く城内は埃に塗れ、豪華絢爛だった敷物も薄汚れた布切れと化していた。それでも、物が良い為かまだ原形は留めていて、風化と呼べるほど襤褸襤褸になってはいない。
年数を数えた廃墟の中でも、中には形を残す物はあるもので、二百年が追い付いても城の中は存外それらしい姿を留めるのかも知れない。
しかし、手入れの行き届かぬ庭園は、さすがにその姿を留めてはいられなかったようだ。二階層から空中庭園へと辿り着くも、そこはすでに緑色をしていなかった。
所々木肌が茶色を残しているが、ほとんどが枯れ果て残骸すら残っていない。水路ももう水を湛えてはいない。
生垣の通路も跡形無く、遣れ果てた元庭園をそのまま真っ直ぐ、件の塔まで歩いて行けた。庭園から伸びる通路には遮るものも無く、思った通り封印は消滅していた。
背後から、遠くで何かが崩れるような低い音がして、城は外観を留めていても、確実に朽ちている事を知らしめている。
「……あんまり時間は無さそうだけど……どう?まだ声は聞こえるの?」
「ん?あぁ、声が聞こえたのはあの時だけだったんだが、どうやら奴さん、こちらに気付いたようだな。今、五月蠅ぇほど喚き散らしてるぜ。さっさと来い、ってな。」
「え、そうなの?……何だか、ただの呼び声じゃ無くて、意思があるみたいじゃない。」
「だな。こいつぁ、魔族の遺産とはちょっと違うみてぇだ。」
そんな会話を交わしながらも、エンジエルは扉のチェックを欠かしていなかった。そして、どうやら鍵や罠の類いは無かったようで、急いでもいるからか、その両開きの扉をさっさと開け放った。
さすがに、デュースが先に体を滑り込ませる。窓も無く灯も灯っていない為、エンジエルは手持ちランタンを準備して、デュースに手渡した。
塔の直径は城の物よりひと周り小さく、中には乱雑に積み上げられた木箱がいくつもあって、物置き場のようだった。螺旋が上下へ続いており、もしかしたらこの塔は、後庭と行き来が出来るのかも知れない。
「こっちだ。」
声のする方へと、ダイ・オフは螺旋階段を上って行った。この塔も高さ自体は他の塔と一緒なので、内部も四階層になっているようだ。上ってすぐの三階層目は、ほぼ入って来た二階層目と変わらぬ様相で、ダイ・オフは足を止めずにさらに上へと上って行く。
辿り着いた四階層目。ここは少し様子が違った。上った先には重厚な扉が待ち構えており、二階層、三階層とは違って、訪問者を拒絶していた。
体を入れ替え、エンジエルが扉をチェックしようとすると、
「もう開いてる!さっさと入って来い!」
ダイ・オフにだけ聞こえる声では無く、はっきりとした男の声が中から聞こえて来たのだ。
驚いたエンジエルは、思わず口に手を当て声を抑え、デュースと顔を見合わせた。
「……向こうはもう気付いてる。それに、時間も無いんだ。ここは素直に従おう。」
「そ、それもそっか。でも、これじゃあまるで、この先に誰か人がいるみたいじゃない。ちょっと吃驚しちゃって……」
「安心しろ、人じゃ無ぇ!動けもしねぇ!いきなり取って喰ったりしねぇから、とにかく来てくれ。」
喚いているが、その声はどことなく、エンジエルたちに縋るような響きを含んでいた。助けを求めているかのようだ。
ダイ・オフが声を聞いたのだから、ここには魔導器でも安置されているのだろう。そんな風に考えていたエンジエルは、まだ事態が上手く呑み込めていなかった。それでも……
「わ、判ったわ。とにかく、会って話しましょう。」
そう言って、把手に手を掛けた。それをデュースが制し、
「一応、念の為だ。俺が先に行く。」
「う、うん。そうね。お願い。」
エンジエルはデュースの背後へ回り、改めてデュースが把手を回した。経年で劣化しているはずだが、この扉は静かに開いた。特にこしらえが良い物だったようだ。
扉を開くと、灯りが漏れて来た。どうやら室内には、灯りが灯っているようだ。その灯りは、手にしたランタンの蜜柑色では無く、然りとて窓から差し込む自然光とも違った。淡いが、とても蒼かった。
その灯りのお陰で、室内の様子が良く判った。剣だ。とても見事な意匠の、長大な段平である。鞘は無く、剥き身の刃には淡く光る紋様が浮かび上がっている。見た目だけでもそれと判るような、魔法剣であった。それが一本、部屋の中央に浮かんでいるのだ。
部屋の中には、それだけだった。剣を囲うように装飾が施され、豪奢な様相を呈しているが、この部屋の中で価値ある存在は、その剣のみと知れた。この部屋はきっと、この剣の為にあるのだと、そう思わせた。
もちろん、誰もいない。真実、部屋の中には、その剣のみである。
「……誰もいないわ……」
「阿呆吐かせ。目の前にいるだろうが。言ったろ、人じゃ無ぇって……はぁ、悪夢なら良かったんだが、やっぱ夢じゃ無ぇんだな。糞、O・D・Iの野郎。人をこんな姿にしやがって。おい、とにかく急げ。愚図愚図してると、奴に見付かるぞ。」
デュースとダイ・イフはすぐに理解したが、いや、エンジエルにも判ってはいたが、信じられなかった。それはそうだ。普通、剣は喋らない。
「ね、ねぇ……まさか貴方が喋ってる訳じゃ無いわよね。」
言葉通りなら、エンジエルは物言わぬ剣に話し掛けている事になる。頭では判っているのだ。この剣が声の主である事を。感情が追い付いていないだけで。
「ん?何だ、姉ちゃん。喋る剣が珍しいのか?いや、確かに実物にお目に掛かるのは珍しいだろうが、話には聞いた事くらいあるだろ。知性ある剣くらい。同じようなもんだと思ってくれれば良い。」
インテリジェンス・ソード――それは、文字通り知性を持った剣である。魔導器の一種であり、何らかの方法で知性を与えられた器物の内、剣の体を成している物を指す。
伝説級の武器の中にそう言った魔法剣が存在した、と言う話は一部の文献が伝えており、本の知識としてデュースは知っていた。スポットの外にいるダイ・オフにも、今しがた説明したところだ。
「……し、知らないわよ、そんな物。聞いた事も無いわ……剣が喋るなんて。」
エンジエルの反応は正しい。聞いた事など無くて当然だ。遺っていないのだ、インテリジェンス・ソードなど。この時代には。この時代の人間族の領域内では、インテリジェンス・ソードの話なぞ、吟遊詩人さえ詠わない。
「そうなのか?まぁ、そんな事はどうでも良い。とにかく急いでくれ。こんな機会、そうそう訪れねぇだろ。」
「急げって……まぁ、確かに、愚図愚図してる暇は無いけど……」
「その通りだが。」
と、ダイ・オフが割って入る。
「声の主がお前なのは判った。見ただけでも、相当な魔法剣だってのも判る。お宝としちゃ悪く無ぇ。」
「おぅよ。あんた、見る目がありそうだな。多分俺は、最強の魔剣と言って差し障り無ぇ代物だ。役に立つはずだぜ。」
「……かも知れねぇ、が……俺に判るのは、お前の魔力の強さだけだ。喋る魔剣。確かに魔導器としちゃ最高峰だろうが、お前一体何者だ?魔法剣の中にはな、色々あるんだよ。聖剣、魔剣、そして呪いの剣。」
「の、呪い?」
思わず身を引くエンジエル。
「何かしら魔導器があるんだろうたぁ思ってたが、まさか喋る魔剣とはな。お前が呪われてるかどうか、正直俺様にゃ見分けが付かねぇ。そこに来て、そうぺちゃくちゃ喋くられた日にゃ、胡散臭くて敵わねぇ。なぁ、どうやったら、お前を信用出来んだよ。」
「あ……いや……し、信用?」
口は無いが口籠るのは判った。黙して語らなければ立派な剣だ。放っておいても、思わず手にしたかも知れない。
それが軽妙な語り口で話し掛けたものだから、むしろ警戒されてしまった。と気付いても、ではどうすれば良いのかなど判らない。二の句が継げない魔法剣。
「……ふ、はははははははは。」
いきなり大口開けて笑い出したダイ・オフは、まるで躊躇せず魔剣を手にし、二本担いで踵を返す。
「行くぜ、エンジエル。さっさと脱出だ。」
「ちょっ、ちょっと!?良いの、それ?思いっ切り掴んじゃってるけど。」
「そ、そうだぞ。信用はどうした。」
エンジエルだけで無く、魔剣も動揺しているようだ。
「冗談だ、冗談。こんな凄ぇお宝、置いてく訳無ぇだろ。仮に呪いの魔剣でも、俺様なら抵抗くらい出来らぁ。使えねぇと判ったら、どこかで売っ払や良い。時間も無ぇんだ。考えんのは後だ。」
そう言いながら、どんどん階段を下りて行く。初動こそ遅れたものの、エンジエルもそれに遅れず付いて行く。ダイ・オフとエンジエルの息はぴったりだ。デュースは思う。自分の乗りではこうは行かない。少し、ダイ・オフが羨ましい、と。
二階層まで駆け下りたところで、一度足を止めダイ・オフは魔剣に話し掛けた。
「おい、魔剣。この塔は、下まで降りれば外に出られんのか?」
「塔?俺は、塔にいたのか……。いや、確か塔から外へは出られない構造だったはずだ。全ての塔は、一度城の中央を通る形になってる。複雑な構造にして、簡単に辿り着けないようにな。」
「そうか。なら、来た道を逆に辿るしか無ぇな。」
言ってダイ・オフは、入って来た扉を潜り、庭園を城館の方へと走り出した。
実は、この塔の一階層からならば、後庭へ出る事は可能だった。だがそれを、魔剣は知らなかった。魔剣が知る城の姿は、今と少し違ったからだ。
大丈夫とは思いつつ、いつ崩落するとも知れぬ城内から、早く抜け出す為に急いではいた。だからダイ・オフは、魔剣に詳しい話は聞かず、数刻前に通った場所をそのままひた走った。
「……どうなってる……これはまるで、廃墟じゃ無ぇか……」
魔剣が言うように、今や城内はほぼ廃墟の様相を呈していた。大分、二百年が迫って来ているようだった。
謁見の間まで戻って来たところで、改めてダイ・オフが魔剣へと声を掛けた。
「おい、魔剣。どこか正面玄関とは別に、外に出られる場所は無いか?」
「玄関とは別に?何故だ?」
「俺たちが城へ来た時、入り口が錠前で雁字搦めに閉じられてたんだよ。あれじゃあ、出られねぇからな。」
「そうか。それなら……」
「いや、そのまま正面入り口に向かえば良い。」
そのやり取りを、デュースが遮った。
「あん?どう言うこった。」
「この謁見の間もそうだが、さすがに木製の扉は二百年も経てば脆くなるようだ。今なら、ダイ・オフの炎の剣で難無く破壊出来るんじゃないか。」
言われて見やれば、謁見の間の立派な両開きの扉の内の片方が、蝶番部分が腐り落ちたか、自重を支え切れずに倒れていた。
「なるほど。材質によっちゃ、もう芯から襤褸襤褸って事だな。判った。それじゃあ、正面突破だ。」
程無くして、錆びだらけの錠前と鎖の束が、正面入り口の内側から弾けるように飛び散った。
入る時には落とし穴からだったが、出る時はちゃんと入り口から出る事となった。
石材は埃だらけで、ひび割れ、亀裂、崩落など多少見られるが、造りが良かった為か概ねそのまま遺った様子。対して、木材は腐った事で崩壊が進み、硝子は破片すら見当たらなかった。
二百年が追い付いたダイナス城は、城館も尖塔も前庭も城壁も、全てが廃墟と化していた。石畳の間から草が延び、外壁を覆う蔓や蔦が青々と輝いている。
城館を抜け出し、今やだだっ広いだけの前庭の中央で、人心地付いたエンジエルは、
「……信じられない……あんなに立派だったお城が、本当、まるで遺跡みたいね。」
「……なぁ、おい。一体、何があったんだ。俺は全然、何が何だか訳が判らねぇぞ……」
呆然とした響きで、魔剣が呟きを漏らす。
「え~とぉ……あれ?あんた、永い事封印されてた訳よね。こっちも、あんたの事が全く判らないわよ。」
「封印?……あぁ、そうか。そうだったな。そう言う事か。今はもう……何年だ?俺が封印されてから、一体何年経ったんだ。」
「ん~~~……あんたがいつ封印されたかなんて、判んないわよ。あ゙~~~話が噛み合わないわ。」
その時、ざす、っと魔剣を露出した地面に突き刺し、
「多分お前は、封印され眠りに就いていたようなものだ。少なくとも、何百年分も一気に時間を飛び越えている事だろう。だから取り敢えず、今日俺たちが何をしたか、何を知ったか話そう。その上で、お前の事を聞かせて貰おう。」
魔剣はどちらが正面か判らないデザインだが、そちらが正面とでも言わんばかりに、デュースはエンジエルと並んで魔剣と話す態勢を整えた。
そして、ここダイナスの地が時の精霊によって二百年封印されていたらしい事、古代魔族の遺産が永年所有者を待ち続けていた事、どうやらエンジエルの兄がその遺産、世界を手に入れた事などを、掻い摘んで話して聞かせた。
「……、……、……」
魔剣は黙って話を聞いていたが……魔剣が黙っていると、まるで地面に刺した剣に話し掛ける滑稽な光景に見えるのではないか。などと、エンジエルは思って不安になって来た。本当にこの剣は、インテリジェンス・ソードとやらなのだろうか。今日はおかしな事ばかりだった。もしかして、銀狐にでも化かされているんじゃないか。
「……やれやれ。どうやら俺は、千年ほど眠ってたみたいだな。」
そんなエンジエルの不安を掻き消して、魔剣は自分の中で情報の整理が終わった事を告げたのだった。
「千年?……二百年じゃ無いの?」
「あぁ、千年だ。……順を追って話そう。こう見えて俺は、元々名うての吸血鬼ハンターだったんだ。ここダイナスの地は、当時伯爵領でな。支配者たるO・D・Iは、最強の吸血鬼と呼ばれていた。」
「吸血鬼?それでそのぅ……貴方が吸血鬼ハンター?」
「あぁ、何も俺だって、こんな姿で生まれて来た訳じゃ無ぇからな。」
何と無く、剣も笑ったように見えるのが不思議だ。
「何人もの吸血鬼ハンターが返り討ちに遭っていたからな。結局、この俺もその内のひとりになっちまった訳だが……結構良いとこまで行ったんだぜ。奴の心臓に杭は打ち込んでやったんだからな。」
「し、心臓に杭?それじゃあ当然死ぬだろうけど、随分野蛮――残酷?な方法を選んだのね。」
「ん?何だ姉ちゃん、知らないのか?吸血鬼と言えば、心臓に杭だろ。」
「知らないわよ。そもそも、吸血鬼なんて良く知らないし。」
「何!?吸血鬼を知らないなんて……そんな事あり得るのか?」
「……千年前と事情が違うんだ。人間族の領域から、魔族やモンスターが姿を消して久しい。吸血鬼なんて、お伽話には出て来ないしな。」
吸血鬼。それは、上位に位置する不死の怪物の一種であり、人間やエルフ、ドワーフを凌駕する最強の生命体……なのだが、それは夜に限る闇の支配者である。一般的には、昼間はその力を失い、陽光に晒されれば灰となって滅びるとさえ言われている。
しかし、陽が沈めば無敵であり、その無敵の肉体を滅ぼす唯一の手段が、心臓に杭を打ち込む事とされている。それ以外の方法、例えば首を切り落としたとしても、吸血鬼を殺す事は出来無いのだ。
その無敵の力の源が、人間やエルフ、ドワーフと言った人型生命体の血である。故に吸血鬼。夜な夜な、生き血を求め闇を徘徊する、夜を歩く者なのだ。
「そうか……俺も少しずつ、今の世界を知って行かんとな。……まぁ、良い。とにかく聞け。O・D・Iの奴は普通じゃ無かった。心臓に杭を打たれたのに、灰にもならずにその杭を自ら引き抜きやがった。それを見て呆然としてた訳じゃ無ぇ。俺は杭を突き立てた時点で、すでに精も根も尽き果ててたのさ。ぎりぎり勝った……と思ってたら、致命傷どころか見る間に胸の傷まで消えちまう。俺が奴を狩るなんて、土台無理な話だったのさ。」
今度は、剣が黄昏ているように見える。その剣身の紋様が皺のように表情でも作ったものか、この魔剣からは感情が伝わって来る。
「だが、奴は俺をただ殺さなかった。何でも、奴に傷を付けたハンターは、俺が初めてだったんだそうだ。だから、俺は特別なんだとよ。」
「特別?……でも、貴方……」
「あぁ、特別ったって、お友達になりましょう、なんて意味じゃ無ぇ。戦利品として記念に飾ろうと、まぁ、そう言うこった。とは言え、人間をそのまま長期保存なんか出来無ぇ。アンデッドに変えちまったら、面白味の無ぇ置物になっちまう。そこで奴は、精巧に作り込んだ業物の中に、俺の魂を封じやがった。で、今俺は魔剣な訳だ。」
「そんな……それじゃあ貴方……」
「おっと、姉ちゃん、同情は要らねぇ。俺は負けたんだ。因果な商売だ。死は覚悟の上さ。こんな体にされて晒し者なのは……まぁ、同情してくれて良い。どうやら、わざわざ世にも珍しい最高峰の魔剣なんぞにしておいて、宝物庫に仕舞い込んだまま一度も愛でに来なかったようだしな。……話を聞いた限りじゃ、そんな暇なんて無かったのかも知れねぇが。」
「どう言う事?」
「……俺を倒した最強の吸血鬼様は、世界とか言う古代魔族の遺産にされちまったんだろ?とすると、俺とのいざこざがあった後、O・D・Iの野郎は古代魔族に負けたんだ。そして、特別な魔導器の実験体にされた。その後、主亡きダイナスの地は、いつの間にかダイナス王国とやらに変わってて、O・D・I、いや世界争奪戦の舞台になってた。時の封印とやらは二百年前の代物らしいが、俺が魔剣にされたのは千年前だ。俺をこうしたのはO・D・Iなんだから間違い無ぇ。宝物庫に幽閉されたのは、何と無く覚えてる。だが、次に意識を取り戻したのは、ついさっきだ。俺を封印したのはO・D・Iだからな。多分、姉ちゃんの兄ちゃんが世界を手にした事で、O・D・Iは完全にO・D・Iでは無いモノになっちまったんだろ。封印した奴が消えて、ようやく俺も解放されたって訳だな、うん。」
この地での体験と、今の魔剣の話で、何と無くエンジエルにも全貌が見えた気がした。時の封印こそ二百年前だったが、この地は千年の永きに亘り、世界と言う古代魔族の遺産に縛られて――呪われて来た。それが今日、解放の日を迎えたのだ。
「あ、そうだ。あたしはエンジエル。こっちはデュースと……」
振られて、瞳が紅く替わる。
「ダイ・オフだ。そう言や、さっき色々話した時、自己紹介はしなかったな。」
「ほぅ……なるほど。ふたりいるのか、面白い。」
「判るの?」
「ふたり分名乗ったしな。それにどうやら、目で見て耳で聞いて肌で感じる生き物じゃ無くなってるから、感覚もかなり違うようだ。体は一緒でも、ふたりからはまるで違う気配――とでも言えば良いのか。とにかく何か違ぇ。」
元は人間――らしいが、人間が剣になった時の感覚など、それこそ剣になった者にしか判るまい。魔剣は魔剣故に、魔法的な何かが備わっているのかも知れなかった。
「それで、貴方のお名前は?」
「俺か?俺の名は……行き止まり。うん。俺は魔剣、デッド・エンドだ。」
「デッド・エンドさん。……ん?もしかしてそれ、剣の名前?」
「まぁ、そんなもんだな。」
「うん、もぅ。あたしが聞いてるのは、貴方自身の名前よ。」
「だから、デッド・エンドだよ。」
「……もしかして、本当の名前、忘れちゃったとか……」
また少し、魔剣から黄昏を感じつつ、
「……いいや。だがな、姉……エンジエルよ。俺は負けたんだ。もう死んだ身さ。そんな俺には、もう名前なんて無いのさ。今はただの剣、いや魔剣だ。」
「デッド……エンドさ……。デッド・エンド。」
本人がそう言うのだ。覚悟を以て。他人が否定するような事では無かった。
「と言う事でダイ・オフよ。俺を持って行け。」
「あん?何だ急に。」
「俺は役に立つぞ。最強の吸血鬼が最高峰の魔剣としてこしらえたんだ。悪いが、お前の得物より、魔法剣としちゃ何段も格上だ。それに、お宝としちゃ、高価過ぎて捌くにも難儀するだろう。だったら、お前が使ってくれよ。まだ魔剣としての実感にゃ乏しいが、どうせなら強い奴に使われる方が良い。」
何とも前向きな魔剣である。体感的には、少し前まで人間だったろうに。もう魔剣としての身の振り方を考えている。だが、とダイ・オフ。
「ふ~ん、まぁ良いけどよ。本音はどうなんだ?どうやらお前さん、体裁とか気にするタイプじゃ無ぇだろ。何と無く、俺様に似てる気がするぜ。」
確かに、ふたりは良く似てる。エンジエルもそう思った。
「……はぁ、判った、判った。俺も駆け引きとか得意な方じゃ無ぇ。正直に行くよ。……封印されてた間は、意識も無かった。だから、千年だってあっと言う間さ。だけどよ、これでもし、次の所有者が宝物庫に大事に仕舞いこんで放ったらかし、なんて奴だったらどうなる?俺は魔剣だ。眠る事も出来無ぇだろ。ずっと真っ暗な宝物庫の中で、何もする事が無くボーとするだけ。生まれ付きの魔剣ならそれも苦にならねぇのかも知れねぇが、俺は元々人間だ。そんな何も無ぇ時間を何年も、何十年も、何百年も、何千年も!あぁ、考えただけで頭がおかしくなりそうだ!」
覚えがある。熱を出して苦しくて、眠りたくても全然眠れなかったあの夜。時間が経つのが、とても遅かった。たったひと晩眠れぬ夜を過ごしただけで、とっても苦しかった。そんな孤独な夜を何日も、何年も、何十年も――思わず想像し、首をぷるぷる振るわせるエンジエル。
「だったらもう、魔剣として生きて?……うん、まぁ、生きて行くしか無ぇなら。お前らと一緒に冒険した方が、絶対楽しいだろ。だからよぉ、俺を連れて行けよ。お前だって助かるだろ?俺みたいな最強の魔剣が使えたら。」
本当に体裁など気にせず、素直に思いを吐露した魔剣に、ダイ・オフだけで無くデュースも思わず微笑んだ。面白い男だ。そう思った。
「ね、ねぇ、ダイ・オフ。折角だし……」
「安心しな、エンジエル。俺もデュースも同じ意見だ。こんな面白ぇ剣、他人に譲るなんて勿体無ぇ。あぁ、喜んで、俺様が使ってやるぜ。」
言って、ダイ・オフはデッド・エンドを引き抜いた。
「……ふむ、確かにそうだな、デュース。」
そう呟くと、再び地面に突き刺した。
「お、おいっ!まさか一瞬で変心したんじゃあるまいなっ!?」
慌てる魔剣。
「慌てるな。俺たちはこれからお前を、命を預ける相棒にしようってんだぜ。だからよぉ……」
そうして、右手の包帯を解き始める。
「義父の剣は腰に差して、お前を振るわせて貰う。その為には、もうこうして剣を肌身離さぬようにしておく事もあるまい。」
続けて、デュースがそう語った。デュースには思うところがあった。今日の出来事で、己の姿が滑稽に思えた。この右手を自由にしようと決めていた。今度はちゃんと、エンジエルの頭を撫でられるように。
包帯を解き捨て、義父の剣を腰に差し、改めてデッド・エンドの柄を握り、引き抜き、肩に担ぐ。こうして一行は、三人から四人となったのだった。
「……何よ、これ……」
エンジエルはその光景を目にし、呆然としてそう声を漏らした。
あれから四人は、一路ダイナスの街を目指した。長老にも魔法屋にも世話になった。挨拶をして行こうと言う話になったからだ。
そこで、蔦のカーテンに覆われた正門を抜けて、城と街とを結んでいた森道へ出ようとしたところで、その光景に遭遇した。森道が森となっていた。
辛うじて、道だった場所の群生具合は他よりも薄い。所々敷石が割れてはいても、道であった痕跡も遺っている。だがしかし、もうそれは獣道と呼ぶのも憚られるような状態だった。
「なるほど。時の封印は、城にだけ施されていた訳では無かったようだな。」
本来、封印など広範囲に展開出来るようなものでは無い。むしろ、城内に留まらず、庭から城壁に至るまで、二百年分時が加速していた事が驚きである。しかし、この有様を見ると、それどころの話では無さそうだった。
「良く判らんが、丁度良い。この俺の試し斬りを兼ねて、枝を払って進もうや。」
そう、デュースの背中から、デッド・エンドが声を上げた。今デュースは、デッド・エンドを肩に担いでいない。と言って、そう都合良く、背中に背負える装備など持ち合わせてもいない。では何故、デッド・エンドは背にあるのか。それが、デッド・エンドの能力のひとつであった。
自らは動く事が出来無いが、何かに対して自己の座標を固定する事が出来た。最初に宝物庫で宙に固定されていたのも、この能力である。今の場合、デュースの背中に固定している訳だ。鞘とベルトで背中に固定するように、デッド・エンドは少し宙に浮いたような状態で、デュースの背中に自らを固定していた。幅広で長大なデッド・エンドは、背中に回さなければ邪魔になるくらい大きな剣だ。その気になれば腰の位置にも固定出来るが、長身なデュースでもかなり不格好となる。背中に背負っても剣先が地面に届きそうなほど長いが、何とかデュースの背丈には適合した。お陰で、デュースは両手が自由になった。
「……そうだな。試してみるか。」
言って、肩越しにデッド・エンドを掴むと、軽くひと振り、目の前の枝葉を払ってみる。その長大な剣身故、ひと振りでかなり広範に枝葉を斬り裂いた。ひと振りだけで、前方の視界がある程度開けた。
「凄ぉい。ほんのひと振りでばっさりね。でもそれって、デュースの腕?デッド・エンドの性能?」
「ちっ、言ってくれるな、エンジエル。まぁ、確かに、デュースの腕前は生前の俺より上かもな。正直、振るわれてみて魂消たよ。」
会話終わりに、デュースはさらに数条、魔剣を閃かせた。斬られた枝葉は、まるで斬られていないかのように数瞬その場に留まり、ようやく斬られた事に気付いて落ちて行く――そんな錯覚すら覚えさせた。
「……どう言う事だ?まるで重さを感じない。」
「え、それってどう言う事?どう見ても重そうだけど……軽いの?」
「持ってみるか?」
とデュース、エンジエルにデッド・エンドを差し出す。
「どれどれ……わぁ!?」
片手で受け取ろうとしたエンジエルは、そのあまりの重さにデッド・エンドを取り落としてしまう。ずん、っと地面に減り込まんばかりの音を立て、デッド・エンドは落ちた。
「おいおい、しっかり持ってくれよ。落とされたら痛い……なんて事は無いけどな。」
「だ、だって、あんた滅茶苦茶重いじゃない。」
そのデッド・エンドを、デュースは片手で拾い上げた。
「確かにな。普通に持つと、見た目通りの重さを感じる。」
と言ってはいるが、エンジエルには軽く拾い上げたように見えた。男と女の違い、戦士と盗賊の違い、と言うだけでは片付けられないほど、デュースは力強いのだろう。
「だが、ひと度振るえば、まるで何も握っていないかのように、その重さが消失する。これもお前の能力なのか?」
「あぁ、らしいな。さすがに、俺は俺自身を振るった事無ぇから実際のとこは知らねぇが、今把握出来てる俺の能力の中に、確かにそんな能力がある。こんな段平、威力は切れ味より重さで決まるもんだ。振るえるもんなら、重ければ重いほど良い。だが、重けりゃ振りも鈍る。痛し痒しだから、そのバランスに鍛冶師も苦労するもんだ。」
剣にも色々種類があり、研ぎ澄ました刃で斬り裂くのを目的にした剣もあれば、鉄塊で叩き斬る重さ重視の剣もある。デッド・エンドは、見た目からして後者である。軽く振るえるようにはとても見えない。
「……ここまで軽いと勝手も変わる。慣れておく必要があるな。それで。斬る時はどうなんだ?」
「おぅ、安心しな。こいつは魔法的な能力だからな。質量はそのままに、使い手に重さを感じさせねぇだけらしい。斬られた相手にゃ、俺の重さがそのまんま乗るぜ。」
「出鱈目な力だな。俺様の魔力も馴染むみてぇだし、お前ぇ、本当に世界最高の魔剣かもな。」
デュースに変わってデッド・エンドを何度か振り回したダイ・オフが、そう感心した。
「お気に召して頂けて光栄だぜ。よろしく頼むぜ、相棒。」
振り回されながら、デッド・エンドもご満悦だ。まだ魔剣感覚に慣れ親しんではいないが、人間のように目を回す心配は無さそうである。
「それじゃあダイ・オフ、その調子で、街まで道を切り開いてよ。」
「あぁん?……まぁ、仕方無ぇか。俺様もこいつをもう少し振り回してぇし、ここは言う事聞いてやるか。」
言って、目の前の森を斬り裂き始める。もし大木が道を塞いでも、そのまま斬り倒してしまいそうな勢いだ。さすがに少し距離を開け、エンジエルは暴れるダイ・オフの後に付いて行った。
先刻、城と街を行き来した時は、片道三十分ほどの道行だった。鬱蒼たる森道を斬り開きながらも、然程掛かった時間は変わらなかったかも知れない。それほど軽やかに、ばっさばっさ、と伐採し続けたダイ・オフは、途中で軽剣の扱いにも慣れ、街へ着く頃にはデュースが試し斬りをしていた。
森が深い為か、それとも他に理由があるのか、その間モンスターが近付いて来る事は無かった。むしろ、森の木々を薙ぎ倒しながら進むダイ・オフの方こそ、モンスターたちから見ても恐ろしい何かに見えたのだろうか。
陽は傾き始めていたが、季節柄日が長く、まだ夜の帳は遠い。故に、その光景がありありと見えて、エンジエルは言葉を失った。
枝葉を払い街の入口へ辿り着くと、そこは完全なる廃墟であった。壁は崩壊し、家々は形を失くし、蔓蔦がそこいら中を埋め尽くす。あの綺麗な街並みは、どこにも存在しなかった。
しかし、不思議な事もあるものだ。ダイナスの街があった場所は、確かに瓦礫しか遺らぬ廃墟と化していたが、森とは違い地面から生えているのは花々で、まるで一面花畑のようであった。群れ飛び交う蝶たちが、今のダイナスの住人たちであった。
「……これって……」
エンジエルにも、何があったか想像は出来た。ただ、信じられないのだ。彼らと別れてから、まだ半日と経っていない。宿の親父も長老も、メイドだって魔法屋だって、さっきまで同じ時間を生きていたのだ。それが今や……
「……ダイナスの国中、時の封印の中だったんだな。長老たちも、ようやく永い呪縛から解放されたんだ。救われたんだよ、彼らは。」
ぽん、とエンジエルの頭に、右手を置くデュース。優しい少女の心を、少しは慰められるだろうか。
ふたつの人影はその解放の地に佇み、四つの心は黄昏の街に思いを馳せるのだった。
話し終えた老人は、ジョッキの底の残りを空けた。しん、と静まり返った酒場の中では、啜り泣きすら聞こえて来る。
「……なぁ、本当にその国は……」
自警団長は、別に老人の話を疑っている訳では無い。まるで見て来たような話し振りは、内容がどんなに信じ難くとも、真実の事のように感じさせた。半ば信じてしまっているが、それでも信じられないような話であった。
「……百年前も、今も、魔法やモンスターはお伽話だ。信じられなくても無理は無い。」
そう言って席を立った老人は、自警団長に顔を向けてこう言った。
「だから、面白いのだろう?この話は。」
にやり、と嗤ったその笑顔は、こちらを見下すようでもあり、しかし不思議と腹は立たなかった。何より、団長はこの老人の笑顔を初めて見た訳だが、素顔は思った以上に若くかなりの美形で、少しも嫌味に感じなかった。かかぁには見せられねぇ。自分の中に嫉妬心が沸き上がり、それに驚いた。
そのまま階段へと歩き出した老人に、
「お、おい。続きは……続きはいつ聞かせてくれんだ。」
酒場の皆を代表し、思わずそう声を掛けた。すっかり話の虜だ。
足を止めた老人は、その場で振り返りもせず、片手を上げて宣言する。
「今日の、天使と死神の話はここまで。続きは、またの機会だ。」
つづく
あとがき
「Die off」第一章「ダイナス」、お読み頂きありがとう御座いました。
ここまでは、漫画用として初期設定を興し、RPGツクールで詳細を固め、戯曲版として文章化したものを、改めて小説に致しました。
とは言え、表現媒体が変われば内容も変わります。特に、ゲーム性の為に考慮したエンジエルの転職やデッド・エンド入手は戯曲版では採用せず、小説化に当たりダイ・オフの炎の扱いを変えたり、デュースとエンジエルの親交具合もペースを落とし、デッド・エンドを再登場させるなど、かなり改変しました。
カサンドラやヴィンセントのキャラクターも、多少違っています。語り部パートも小説用に追加しました。
結果、基はあっても、全然楽じゃありませんでした(^Д^;
この先としましては、古代魔族の遺産を求め各地を巡り、ヴァルハロスたちと遭遇したり、もうひとり仲間が増えたり、ある程度旅が進んだところで転換点を迎え、そこから最終局面へ。
と言う全体の流れは決まっているものの、古代魔族の遺産を巡る旅の内容は、書きながら思い付いたものを少しずつ形にして行く格好です。
第二章のあらましは決まっていますが、登場キャラの役所は決まっていても名前さえ決めていない状態で、大体の流れは決まっていても具体的な時系列はまだ未確定。
これから煮詰める作業を経て、それからようやく執筆です。
申し訳ありませんが、また少し時間が掛かりそうです。
それでも、書きながら思い付いたアイデアはいくつもメモしてあるので、何とか続きを形にして行きたいと思います。
ちなみに、「異世界なんて救ってやらねぇ」は敢えてサブカルオマージュ、パロディを積極的にネタとして取り込むスタイルでしたが、「Die off」では味付け程度、物語そのものには干渉しないオマージュに止めています。
ゼフィランサス、サイサリス、ステイメンは機動戦士ガンダム0083ネタですが、あくまで名前だけでそれ以上の意味はありません。
O・D・Iは、ジョジョの奇妙な冒険のDIO様のアナグラムで、だから魔導器としての名前がザ・ワールド=世界です。吸血鬼である事やスタンドのように操るのもそうですが、だからと言ってそのまんま物語に反映させる事はありません。
O・D・Iにはすでに人格のようなものはありませんし、世界も時を止めたりはしません(^^;
あくまで、私が好きだからこそのオマージュに過ぎないので、元ネタが判らないと意味が通じないものではありませんし、判った方だけ同好の士として、にやり、として頂ければ幸いです。
またしばらく更新が途絶えると思いますが、第二章第一節が書き終わりましたら、またよろしくお願い致します。
もし未読の方が居られましたら、「異世界なんて救ってやらねぇ」も読んでみて下さい。
それではまた、再見。
2025年6月 千三屋きつね