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Die off  作者: 千三屋きつね
第一章「ダイナス」
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第五節


決意と手段を胸に、三人は二階層へと舞い戻った。不思議な事に、城館内へと続くアーチから、魔女の敵意は感じられない。魔女も何かを感じ取り、待ち構えているのだろうか。

それならばとアーチを潜り、絢爛たる通路を道なりに進むと、程無く広いホールへと辿り着く。二階層の四方と三階層へと繋がる、城の中心部であった。

探し求める影は、三階層へと続く大階段の前。上を見上げるようにして黄昏ている。

「……あら、また来たの、坊やたち。」

デュースたちに一瞥も呉れず、そのまま独り言つように話す魔女、カサンドラ。

「それで?お姉さんと遊びたいの?ごめんなさい。今は、そんな気分じゃ無いのよ。」

「……求道者との戦いで、何かあったか?それとも……ミンシアの事でも、思い出したか?」

カサンドラはその言葉に、ゆっくりデュースの方を見やる。

「……何が言いたいのかしら?……あら?」

その表情に生気が戻り始め、視線が鋭さを増して行く。

「貴方たち、何かしたわね。これ……どう言う事?どうやって時の封印を――」

「ミンシアの仇は、あたしたちが討つ!覚悟しなさい、カサンドラ!」

カサンドラの言葉を遮るように、エンジエルが決意の声を上げた。

「そう……ヴィンセントに何を言われたのか。何を知ったのかは知らないけど、そちらはやる気満々って訳ね。でも、どうするの?私とどう戦うつもり?」

「人の想いは刻をも超える。さぁ、ミンシアよ。今が其の時だ!」

デュースのその言葉に呼応し、エンジエルは胸に隠し持ったナイトの御守りを高く掲げた。刹那、紅い閃光が迸り、頭上の騎士が砕け散る。

それだけで、何も起こらなかったのか。否。

「ぐぁがっ!……何だ……ぐぅ、こ、これは一体……」

見れば、自らの体を抱き締めるようにして、身を捩り苦しみ悶えるカサンドラの姿があった。

「ぐうぅぅぅ……ぬがぁ……カサン……ドラ……カサンドラぁ!」

「!この声、カサンドラの声じゃ無いわ!まさかっ……」

苦鳴を上げ顔中皺苦茶に歪めながらも、どこか慈しみを感じさせるカサンドラ、いやミンシアが語り掛けて来る。

「は、早く……ぐぅぅ……今の内に……精霊への支配力が低下している今だけが……がぁぁ……」

「ミンシアっ!」

ミンシアは、いやカサンドラは、苦しみながらも抜刀し、身を守る為に態勢を整えようとする。

「ぐぁっ、何故だ!何故今更、ミンシアが現れる!お前は、二百年も前に死んだんだ!俺の邪魔をするな!」

相手がミンシアだからか、当時のカサンドラのような男口調に変じていた。だが、体はミンシアだ。その声帯も女性のもの。それでもカサンドラの声は低く響き、まるで男声のように聞こえた。

「は、早く……お願……い……」

片やミンシア、か細く今にも消え入りそうなその声は、まるで幼い少女のよう。

「は……ははは、ふざけるな!多少この体の支配権を奪われようと、只の人間風情に何が出来る。精霊支配は使えずとも、この俺は暗黒魔法を操る最強の死霊使い(ネクロマンサー)だ。精霊で無くとも、死霊ですら貴様らには視えはすまい。」

號、と強烈な冷気が周囲に吹き荒れ、ダイ・オフは何かの魔力が人のような形を成して行くのを感じた。

「野郎っ!言葉通り、幽霊(ゴースト)か何かを召喚しやがったぜ。まぁ、こいつらなら充分斬れるが、やっぱ視えねぇな。」

言葉を発したのはダイ・オフであったが、その瞳は碧く、体の方は慎重に間合いを計り居合いに構えていた。

「負けないで、ミンシア!貴女が戦って、貴女が勝つのよ!」

「無駄だ!ミンシアのような弱い女に、この俺は御せん。」

「ミンシアっ!ミンシアーーー!」

「ぐぁっ!」

エンジエルが必死に呼び掛けると、カサンドラは仰け反るように再び苦しんだ。そしてその口が、優しい女声を紡ぎ出す。

「は、早く……もう……持たない……お願い、こ……この人……を……楽にして……あげて……」

がら空きになった胴目掛け、デュースが横薙ぎに抜刀。その瞬間、周囲の冷気が剣筋を遮るように収斂して行き、ダイ・オフは霊体が障壁のように立ち塞がるのを感じた。

「ぐぅぅ、せ、精霊には及ばずとも、亡霊(スペクター)共の壁……そんな(なまくら)、通らぬわ!」

苦痛に歪む笑みを浮かべ、カサンドラも抵抗を示す。

なるほど、ただのゴーストでは無くスペクター。怨霊(レイス)ほどの上級アンデッドでは無いが、並の人間では抵抗虚しく取り殺されるのがオチである。それが群れ成し壁となるなら、物理的な干渉力は低くとも、並の魔法剣など物の数では無いだろう。だが……

「ダイ・オフ!」

「応っ!」

そう瞬時に判断したデュースは、体の支配をダイ・オフに譲った。ふたりは別人である。途中で替われば、剣筋も乱れよう。しかし、ダイ・オフにはダイ・オフにしか出来ぬ事がある。

「残念だったな!アンデッドは俺様のお得意様だぜ!」

横薙ぎの剣身が真っ紅に燃えて、一気に炎を吹き上げた。炎の剣筋は、何物にも遮られる事無く、カサンドラの背後まで振り抜かれる。

カサンドラの断末魔より先に、複数の絶叫が鳴り響き、亡霊の壁は目に映る事も無く消滅。その役目を果たす事も無かった。

薙いだ剣をぶん、っとひと振り。纏った炎を消し去って、ダイ・オフは目の前の敵を睨み付ける。

カサンドラは、まだ倒れてはいなかった。一見、軽装を通り越し露出が激しいだけに見えるビキニアーマーであるが、その材質故、魔法抵抗力はかなりのものだったのだろう。

ダイ・オフ自慢の炎に斬られながらも、その胴は両断される事無く、しかし刻まれた裂傷は致命的に見えた。

かは、っと少し血の混じった体液を吐き出し、無駄と知りつつその傷口を押さえながら、カサンドラが言葉を吐く。

「ぐぅぅぅぅ……ミンシアぁ、よもやお前にしてやられるとはなぁ……」

体を折り、俯く姿勢で何とか体を支えるのがやっとのカンサンドラだが、表情も見えぬままで哄笑が沸き上がる。

「ふふ……ふはは、あはははははははは……」

その声は、元の高さに戻り、女性然としている。

「これで勝った……とは、思わない事ね。私は死なない。この体は滅んでも……私は死なない!覚えておきな。私たち(・・・)森の魔女(フォレスト・ウィッチ)は――」

糸操り人形の糸が切れたかのように、そこでカサンドラはくずおれた。

「……やった……の?」

「あぁ……最期のセリフは気になるが……さすがにもう、動かねぇだろ。」

最期のセリフ。ダイ・オフは、私は死なない。と言う言葉を指して言っているようだが、もっと気になる事を言っていたな。ウィッチ(・・・・)フォレスト(・・・・・)では無く、フォレスト(・・・・・)ウィッチ(・・・・)。そして、私たちだと!?

「……」

デュースはそれが気に掛かったが、口には出さなかった。今は考えても詮無き事。さすがにもう、動かないのだから。

「ミンシア……」

エンジエルは、くずおれたミンシアの体に歩み寄り、抱き締めた。そして、優しく横たえる。ミンシアの寝顔は、とても穏やかに見えた。

その時、す、っとエンジエルの傍を、何か小さなものが通り抜けた。それは、ここ二階層の中心部である大ホールの高い天井をくるくる飛び回り、しばらくして三人の前で滞空する。

先程、ミンシアの部屋で出会った精霊である。その精霊の背後には、薄ぼんやりと佇む人影が――ミンシア。その顔は、横たわる体と同じく、穏やかだった。

「……ミ……ミンシア……」

ミンシアは優しく微笑むと、傍らの精霊がミンシアへ声を掛ける。

「ミンシア、もう大丈夫みたいだね。僕もやっと、自由になれたよ。さぁ、もう行こうよ。皆、待ってる。」

精霊はふたりの事など気にも留めず、ミンシアの手を取ってどこかへ連れて行こうとする。そして光が増して行き、ミンシアと精霊の姿がぼやけて来る。

「あ、ミンシア……」

思わず声を掛けたエンジエルだが、ミンシアは何事か呟くように少し口を動かし、微笑みを浮かべながら光に溶けて行った。

ふ、っと気付くと、ミンシアも精霊も光も消え去り、何事も無かったかのように現実の光景だけが残った。

今のは夢だったの?とばかりに、エンジエルは呆けてしまう。

「エンジエル……」

呼び掛けるデュースの言葉に、振り返りもせず虚空を見詰めたまま、

「ミンシア……最後に、ありがとうって……」

ぼんやりしたままそう呟くと、すう、っとひと筋だけ、涙が頬を伝った。もう、悲しい涙では無かった。


三人(・・)を魔法屋へと送り出してからずっと、長老は落ち着かない気分だった。確たる証拠は何も無い。それでも、彼らは違うと長老の中の何かが囁く。

それはメイドのマーサも同様で、珍しく彼女は今日、すでに二枚ほど皿を割っている。翌日には全て元通り(・・・・・・・・・)とは言え、普段は皿など割らぬ完璧なハウスキーピングを熟すのに、である。事実、この二百年(・・・)で一枚も皿を割った事など無かったのだ。今日までは。

そわそわとした落ち着かぬ数時間を過ごした頃、それはやって来た。いや、何か特別な事が起こった訳では無い。音もしないし振動も無しだ。ただきっと、何かがあったのだ。

長老の心臓は、早鐘のように脈動し始めた。それは多分気の所為なのだが、長老にはそう感じられるのだ。

「おぉ……これは……もしや……」

上手く動かぬ両足に力を込めて、何とか杖突き立ち上がった長老は、木戸の上がった窓枠から遠く外を眺めた。ここからでは到底見えぬ、ダイナスの城を。

屋敷のどこかからは、マーサがこの日三枚目の皿を割った音が響いた。

そしてそれは今、街中で同じような事が起こっているに違いなかった。

「ようやく……解放の刻が……」

ダイナスの街の住人たちは、凍った時間が動き出す気配をはっきりと感じていた。それは終わりを告げる鐘の音。待ち侘びた福音なのだった。


ほんの数分ぼんやりした後、元気を取り戻したエンジエルを確認してから、デュースは遺されたミンシアの遺体を、ホールの隅にあるソファへ運び、胸の前で手を組ませて安置した。

この地方、先の時代、彼らの種族の作法は判らないが、棺に遺体を収める時に、そうするのが一般的だったからだ。

ミンシアの魂は精霊と共に消えてしまったのだから、この遺体はもうミンシアでは無いのかも知れない。それでも、粗雑に扱う気にはなれなかった。

エンジエルが、せめて花でも手向けようと、ホールにある花瓶から数輪見繕っていると、どがーん、んずどどどど、ぐわらぐわら、と何かが崩れる轟音と振動が頭上から降って来た。

ば、っとふたりは目配せし、大階段へと走り出す。

きっと、もうひと組みの客人とヴィンスの方でも、何かあったのだ。もう邪魔する将軍は近衛将軍只ひとり。決戦の刻が迫っていた。


甲冑姿がずらり壁に沿って並んでいるが、すでに動かなくなったアレクの土人形たちだ。見た目には厳重なようで今ではただのインテリアに過ぎない。とは言え、形だけでも厳重なのには意味がある。この部屋の階段を上がった先こそ、ダイナス城の心臓部、王の間なのだ。

しかし今、その階段を上る事は出来無い。瓦礫で埋もれ、塞がっているからだ。そして、その瓦礫の前に、ひとりの男が立ち塞がっているからだ。

闇に紛れれば姿を見失いそうな黒い装束を身に纏い、腰に長剣(ロング・ソード)を帯びている。もうひとつ、それとは別に、目立たぬよう背中に短剣(ダガー)を忍ばせた中肉中背のその男は、この城で信者と呼ばれた男である。

その信者と向き合った男もひとり。自ら光を放つような銀色の軽装鎧を身に纏い、闇色の外套をなびかせた闇色の肌の男。近衛将軍ヴィンセント・ホロゥ。

「これはどう言うつもりですか、信者殿。邪魔する相手を、お間違えではないですか?」

「……いいや。あの方は馬鹿じゃ無い。そう言う事だ。」

「……そうでしょうか。王を前にして私を裏切る。その判断は素晴らしい。ですが、私の足止めに貴方ひとりを残す。それが本当に賢明だと?それに、残念ですが階段を落としても、私の足止めにはなりませんよ。」

信者は、親指を立て背後を指し、

「これはあくまで、奴らへの足止めだ。」

それからゆっくり抜刀し、右手一本で長剣を構えた。左手は、只遊んでいる訳では無い。それは、ヴィンスにも判っていた。

「貴様の腕は、本当に口ほど達者なのか?……ふ、信者か。確かにその通りだ。死兵であるこの俺を、簡単に倒せると思うなよ。」

その言葉を合図に、信者の左手が勢い良く振られた。背中に回す事無く、そのままヴィンスへと伸びた手先からは、数条の影が飛翔した。いつ仕込んだものか、いつの間にか手の中に何かを隠していたようだ。

その暗器は短めの短刀(ナイフ)で、鍔は無く、刀身を黒塗りして見えにくくした、投擲用の短刀だった。それがヴィンスの体を捉える事は無かったが、避けた先で信者はすでに上段に構えていた。

振り下ろす刃もヴィンスを捉えはしなかったが、不意を突きつつ相手を任意の場所へ誘き寄せ、すかさず本命で斬り付ける連続した攻撃は、並の使い手が相手ならそこで終わってしまうほど、鋭い攻め手であった。

事実、連続攻撃を避けたものの、充分な態勢を維持出来無かったヴィンスは、信者に対して反撃を繰り出せなかった。

もちろん、本気を出せば幻影でいくらでも翻弄出来るし、最初の投げ短刀を敢えて受けて攻勢に転じる事も可能であったが、信者は決して甘く見て良い相手では無かった。

だから、ヴィンスは待っていた。確実に信者を仕留める、好機の到来を。

互いに牽制し合いながら数合、その好機が開け放たれたままのホール入り口袖までやって来た。

動きやすさを考慮したカスタム・プレートとは言え、金属鎧を身に纏っていながら少しも音をさせないなど尋常ならざる使い手だが、それでもどうせ気取られると判断したものか、気配の方はまるで隠していない。

その相棒も気配を隠していないが、やはり盗賊(シーフ)としての実践経験の乏しさからか、それとも相棒同様気配を隠す必要は無いと判断した為か。

「ふん……何を様子見しているかと思えば、奴らを待っていたのか?三つ巴にでも持ち込むつもりか?」

「さて、何の事でしょう。」

(とぼ)けながらも、先程からの数合で、ヴィンスはホール入り口が信者の背後に回るよう、卒無く立ち回っていた。

「残念ですが、私はそろそろお暇させて頂きましょう。急がなければ、求道者殿が王を手中に収める瞬間に間に合いませんからね。」

「行かせるものか!お前だけじゃ無い。天使と死神だったな。皆まとめて、俺がここで葬ってやる。」

「貴方が葬る?……ふふ……ふははははははは。」

わざと大袈裟に、芝居掛かった哄笑を上げるヴィンスに、背後を気にしながらも食って掛かる信者。

「何が可笑しい!この俺を、甘く見ない事だ。」

「いいえ、貴方には無理です。」

「大した自身だな。まだ何か、隠し玉でもあるのか?」

「ふふ、そう言う事ではありませんが……隠し玉ですか。言い得て妙ですね。しかし、貴方には無理なんですよ。貴方がその手で葬る?天使をですか?出来ませんよ。求道者、いいえ……ヴァルハロスの信者である貴方にはね、ステイメン!」

「す……ステイメン?!嘘……」

その言葉に、思わず声を上げた好機、エンジエル。

「何!?エンジエル……様?」

その隙を逃すほど、ヴィンスは甘い男では無い。それこそ、この瞬間が待ち侘びた好機だった。

一気に間合いを詰め、逆袈裟に斬り上げる。その初動を、幻影で隠した。たったそれだけで、数瞬ステイメンの反応が遅れる。たったそれだけで、致命の一撃を躱せぬ僅差の攻防。

「ぐぁっ……」

右脇腹に深手を追いながらも、僅かに遅れたとは言え咄嗟に背中の短剣で受けようと体が反応した事が奏功し、即死は免れた。ステイメン、この男、盗賊然としてはいるが、やはり一流の戦士であったのだ。故に待った好機。ヴィンセントの勝ちである。

「ステイメンっ!」

倒れ伏したステイメンに駆け寄るエンジエル。すでに抜刀したデュースが後に続き、ステイメンを斬り付けた後、瞬時に距離を取っていたヴィンスを警戒する。

「ステイメン!……ステイメン……」

ステイメンの傍に駆け付けるも、どうして良いか判らず、ただ狼狽えるばかりのエンジエルに、兄の腹心であるもうひとりの家族が、まるで苦痛を感じていないかのような穏やかな笑みを向けた。

「これは……エンジエル様……このような場所でお目に掛かるとは、思いもしませんでした。……どうしてこのような場所へ?」

その死に行く笑顔は穏やかなれど、その眼はもう天使を捉えてはいないように、虚空を彷徨った。

「あ……あ……駄目、駄目よ。ステイメン、貴方まで……」

ステイメンの手を取り、そうする事で痛みが和らぐとでも言うように、ぎゅ、っと強く握り締める。それしか出来無いから、ただただ、エンジエルはステイメンの手を強く握り締める。

「お兄様は……すぐにも、力を……手にお入れになります……大丈夫……すぐに貴女を……御護りに……」

握り返す力が徐々に弱くなり、その時が近付いている事をエンジエルに知らしめる。

「……、……、……」

ステイメンは何事かを呟くも、すでに声にならない。しかし、何かを確信するように、生前一度も見せた事の無いような、満面の笑みを浮かべ――眠りに就いた。

二度目である。目の前で大切な家族を見送ったのは、二度目であった。その手が力を喪った事だけで無く、もう良く判っていた。これが死なのだと。

「……ステイメン……」

不思議と涙は溢れて来なかった。ゼフィランサスと比べれば、兄の腹心故親しく交わる機会も少なかったからか。目の前で家族を喪う経験を経たからか。いいや、それは違った。

「ヴィンス……」

「……互いのお話を聞き及び、きっとそうだと判っていましたが、敢えて伏せておいた甲斐がありました。これほどの手練れ、私でも一筋縄では行きません。……卑怯。などとは申しますまい?ここは、技倆を競い合う競技の場ではありません。命のやり取りをする戦場です。それは、当の信者殿とて承知。」

「……えぇ、判ってるわ、ヴィンス。むしろあたしたちは、どんな手を使ってでも、その隙を突こうとする方だもの。」

実践経験は乏しくとも……いいや、今ではもう、充分なほどの経験を積み重ねた、盗賊だからこそ。

「それはそうと、思ったよりもお早いお着きですが……カサンドラを倒したのですか?」

立ち上がり、得物を構えながら、エンジエル。

「ヴィンス……ミンシアは解放されたわ。彼女はもう、自由よ。」

「そう……ですか。私たちは、貴方方ほど仲の良い兄妹ではありませんでしたが、あの貧しい村で身を寄せ合い生きて来たふたり切りの兄妹です。……ありがとう御座いました。」

そう言って、少しだけ会釈する。

「ミンシア、言ってたわ。貴方の野心が心配だって。昔の貴方なら、こんな事を頼んだりしなかったって。」

「……私が村から連れ出したのに、協力的で無いのはそんな事でしたか。」

「そんな事って……ヴィンス、貴方――」

「しかし!……あのカサンドラを倒すとは、お見事です。見立て以上でしたよ。足止めになれば。その程度にしか考えていなかったのですが。これなら、ヴァルハロス殿を手引きするのではありませんでした。」

ぴくり、とその名に肩が反応したエンジエル。

「いいえ、逆ですね。カサンドラを倒すほどの危険人物、先に行かせないで正解でした。」

「……ダイナス王と言う力。横取りするなら、敵は弱い方が良い。下らないな。」

デュースの言葉に、表情を失くすヴィンス。

「……やはり貴方は……いいえ、貴方方ふたりは危険です。特別気を回してはいませんでしたが……判りますか。」

「……どう言う事?」

「ダイナス王と言う男はいない。以前はいたのかも知れないが……今は其の力が在るのみ。それこそが、ダイ・オフを呼ぶ声の正体だ。」

「ほう、声……ですか。さすが、選ばれし者は違う。と言う事でしょうか。」

「残念だが違うぜ、デュース。ここまで近付いてはっきりしたが、どうやらダイナス王とやらが呼んでた訳じゃ無かったようだ。俺自身の中。ここに力が眠ってるぞ。そう俺の中から声がする。力の方が俺を見付けたんじゃ無い。俺の方が、ここを見付けていたようだ。」

声に気付いたのも、つい先日の話だ。二十歳を超えた頃に魔力は目覚めたものの、使いこなすには時間も掛かった。ようやく馴染んで来たのだろう。声が聞こえた。そして今、その声が何なのか、やっと理解した。

「だから、ダイナス王ってのは人じゃ無く、何らかの力。魔法の力だろう。それに、ヴィンスには下心があったから、王について語ろうとしなかった。王に仕える、王を尊敬する、って態度にゃ見えなかったしな。それについちゃ、ヴィンスだけじゃ無ぇ。アレクの奴もそうだし、カサンドラもだ。城の中も不自然だぜ。ここは遺跡と言った方がしっくり来る。」

「そう言えば、ミンシアの日記に、王妃なのに未婚って書いてあったわ。」

「妹の日記。そんな物がありましたか。そうです。王妃と言うのは便宜上の肩書きに過ぎず、巫女と言った方が正しい。とは言え、妹の体を奪ったカサンドラも、世界を手にする事は叶いませんでした。いくら巫女と言っても、予言の客人とは違う。仮にミンシアが協力したとて、私が世界を手にする事も出来無かったのでしょうね。」

「世界?ダイナスの王様を手に入れると、世界を支配出来るの?そんなに凄い、って事?」

エンジエルの疑問には、デュースが答えた。

「なるほど。元ダイナス王は今、世界と言う名の力な訳だ。確かアレクの奴も、そんな事を口走っていたな。」

「……本当に貴方と言う人は、油断なりませんね。えぇ、その通り。予言の客人を待つ力こそ、世界と呼ばれる伝説の魔導器。古代魔族の遺した遺産なのです。」


窓ひとつ無く、真闇に包まれた王の間――いや、宝物の安置所としか思えぬその部屋は、今淡い光で照らされていた。壁や天井を這う光源を見てみれば、それは自らの体内から発光している虫――蟲であった。その夜光蟲が大量に蠢いて、玉座を浮かび上がらせる。その玉座は、装飾も決して華美では無い重厚なもので、しかし座すべき王者を引き立てる威容を誇った。そこにそれ(・・)はあった。

その光景を見詰めるはふたりの男女。

レオタードのような薄絹に金属製の肩当て、胸当てを纏った、黄橡(きつるばみ)色の長髪が美しい女、アマンダ。

その眼前に立つ、革製の全身鎧を着込み背丈ほどもある大剣(グレート・ソード)を背負った、凛々しき剣士、ヴァルハロス。

「……これが、探し求めた宝。古の魔族の遺産か。」

玉座の遺産は、仕立ての良い闇色のスーツに身を包んだ、筋骨隆々の偉丈夫だった。王と呼ばれてはいたが冠は被っておらず、王と言うより貴族と言った風情。今は座していて判りにくいが、その厚みに見合った体躯をしているようで、立ち上がれば二mを超す巨躯に見える。薄目で足元をぼんやり見詰めている様子だが、生気はまるで感じられない。

「生きて……いるのか?」

「……不思議な感じです。生命は絶えていません。しかし、生き物の反応もありません。……生きた魔導器。そう呼ぶのが相応しい……」

主の疑問に応えたアマンダは、決して魔法使いでは無い。彼女が生を受けたグレンダ一族は、魔法適正に乏しい人間族が、学問として魔法を極めんとした特殊な一族である。その為、魔法の知識や、封印術、儀式などの魔導技術を持ち合わせている。故に、魔法絡みの事象にも、彼女なりの見解が示せるのだ。

とは言え、魔法を使う事は出来無い。彼女が使うのは巫蟲術。普通の昆虫とは違う性質を持つ蟲を用い、魔法に劣らぬ力を発揮する秘術である。……相応の代価が必要となるのだが……

「ふむ……それで、どうすれば良い。お前の推測では、何某かの封印なりが施してあるのだろ?」

「えぇ、ヴィンセントもカサンドラも永い間手をこまねいていた訳ですから、簡単に手にする事は出来無い。と考えていたのですが……少なくとも、封印されている様子はありません。……そうね、魔導器だものね。多分、触れられぬでは無く、起動させられないのでしょう。力を発揮しないのなら、こんな大男、持ち歩くには嵩張りますものね。」

そう言って、くすくすと笑った。とても美しい絵画のようだ。ヴァルハロスは、いつものようにそう思った。ヴァルハロスは、アマンダがたまに見せる、無邪気さが好きだった。

「では、手を触れてみるか?ヴィンセントの言うように、俺が予言の客人ならば、何かしら反応があるだろう。」

「いえ、少しお待ちを。このような魔導器、普通じゃありませんわ。もしヴァルハロス様の身に何かあれば……」

「……そうは言うがな。いつまでステイメンが足止め出来るか判らん。それに、天使と死神だったな。……ふん、何とも皮肉な呼び名だ。」

そう。最愛の妹は、自分を天使と呼べずにエンジエルと名乗っているが、彼女は本来天使(エンジェル)なのだ。

そして、その天使の為に仇を討つ力を手にする為、自らを殺すのに使った悪名高き旅の傭兵ダイ・オフ。奴の通り名は死神だ。

きっとヴァルハロスは、そう言う意味で皮肉だと言ったのだろう。だけど、私にとっては違う。と、アマンダは思う。

こうして彼と旅が出来るのもダイ・オフのお陰なのだから、むしろ私にとっては天使よ。その彼が命を懸けてしまうあの女の方こそ、死神だわ。

そんな自分の中の女を抑え、忠実な配下としてアマンダは、

「貴方の身に何かあれば、エンジエル様が悲しみます。いいえ、誰がエンジエル様を御守りするのですか。」

私はどんなにお慕いしても、貴方の子供を産んであげられない。なら、この命を懸けて貴方を守る盾になる。私はこの男の為に死ぬ。貴方が死ねば私も死ぬ。だから危険な真似は慎んで欲しい。

アマンダは、そんな想いとはまるで違う言葉を吐いた。

だが、歳若く活力に満ち、未来しか見ていない若者に、そんな言葉は届かないものだ。

「心配するな。気の所為では無く、俺はこいつに呼ばれていると感じる。猶予が無いのも事実だ。このまま手ぶらで去るつもりも無い。任せておけ。」

アマンダは、言葉を発さず目で首肯すると、一歩退いて畏まった。この自信過剰で無鉄砲なところが……またこの男の魅力なのだと思ってしまう。私が守ってあげたいと思ってしまう。アマンダは女だった。

そして、時に大望を果たすのもまた、そんな自信過剰で無鉄砲な若者である。大人になれば自分で自分の限界を決め、二の足を踏んでしまうところで一歩前へ進める若さだけが、時代を動かす事もある。ヴァルハロスは戸惑いを見せる事無く、手を伸ばし一歩を踏み出した。

……そこで固まる。声、では無い。声とは言えないが、確かに語り掛けて来るものがあった。

「……判った。それで良い。必ず認めさせよう。……その時は好きにするが良い。」

会話している。どうやらヴァルハロスは、何者かと……この魔導器と会話をしているのだ。生命も意思も感じなかったが、もしかしたら遺志が宿っているのかも知れない。やはり、この魔導器は危うい。アマンダの胸はざわついた。

その時、それ(・・)がおもむろに立ち上がった。玉座が一段高い位置にあるとは言え、立ち上がるとその威容は途轍も無いもので、圧倒されたアマンダは声を発する事も出来無かった。

そのままゆっくりとした動作で、まるで感情を表さないまま、若き剣士を覆い尽くさんとする巨体が目の前に迫るが、当の剣士は黙して焦らず。

剣士の前へと降り立った巨人は、膝を折り、頭を垂れて畏まる。

「ヴァルフ!……ロス様。ご無事ですか。」

ようやく呪縛が解け、声を上げたアマンダ。ヴァルハロスは一瞥も呉れず、

「障り無い。……今はな。」

す、っと右手を翳し、目の前の大男の頭に手を置く。それが最終手順であったのか、触れた瞬間、何かが弾け――再び収束し、気が付けばヴァルハロスの背後に大きな影が立っていた。腕を組み半眼で佇むその影こそ、認めた主に仕える古代魔族の遺産の姿であった。

これが、永い時を経て、左右に燃える紅と涼やかな蒼い瞳を持っていた事もあり、名前の頭文字を取ってO・D・I(オッド・アイ)と呼ばれた、千年の昔ここダイナスの地を治めた偉大なる貴族。それを実験体として、古代魔族によって魔導器へと造り変えられた古代魔族の遺産、世界が覚醒した瞬間だった。


特に、何か変わった事があった訳では無い。それでも、ふたりはその変化に気付いた。

「……声が……消えた……」

「どうやら、無事手にしたようですね、ヴァルハロス殿は。」

ダイ・オフに聞こえていた声は消え――と同時に、ある事にも気付いたが、ヴィンスにはそれとは別に何か感じるところがあったようだ。

「え!?……それじゃあ、もう……」

「……そのヴァルハロスと言うのは……」

ぴくり、とエンジエルの肩が跳ねる。

「エンジエルの兄であるヴァルハロスなのか?」

以前、エンジエルが語っていた。ヴァルハロスとは、楽園を失った者と言う意味を込めた名前なのだと。であるならば、他にこの言葉を名に冠した者など居るまい。

しかし、はっきりと確認すべきだ。そう考え、デュースは疑問を口にした。

ヴィンスは静観を保ち、エンジエルは固唾を呑む。

「……どうなんだ?」

「……ふふ、そうですよ。もう隠しておく必要はありません。上手く、信者殿に隙を作れましたからね。」

ステイメンを思い、ぎゅ、っと唇を噛み締めるエンジエル。

「兄は死んだ。エンジエルはそう信じていた。お前は何か聞いているか?」

「……えぇ、王との面会を許すかどうか審査させて頂きます。と言う名目で、少しお話を伺いました。」

「兄さんは!……兄さんは何で……生きていたのなら、何で報せてくれなかったの?」

「そうですか。貴女は死んだと聞かされていたんですね。それならば多分、死を偽り身を隠す為でしょうね。クロイツと言う男に対抗する為の力が、必要なのだと仰っていましたよ。そして、ある人物を護る為……これは恐らく、貴女の事でしょう。」

「兄さん……」

「失った楽園を取り戻す為には力が必要。だから、この地へやって来た。と言うお話でした。ヘラデンでしたか。確かに一番近い魔族の遺跡となると、ここダイナスになりますね。」

「魔族の遺跡?なるほど。確かに、城ではあっても遺跡のようだと、ダイ・オフも言っていたな。」

「知らなかったのですか?ふむ、死神殿は傭兵でしたね。冒険者では無い。……この世界には、千年前に姿を消した魔族たちの、遺跡が点在しているのです。ここは特別ですが、それらの遺跡には数多くの冒険者たちが挑み、命を落としています。とは言え、そんな宝探しは千年前から続いています。今ではもう調べ尽くされて、探索されなくなって久しいのかも知れませんね。」

冒険者では無いから、遺跡の話も耳にしていない。と言う事もあるのかも知れないが、お宝探しの冒険譚なら、酒場で吟遊詩人がいくらでも詠っているものだ。その中に、今現在魔族の遺跡でお宝探しと言う演目は聞かれない。人間族にとっては、すでに過去なのかも知れなかった。

そんな話に付き合いつつ、ヴィンスは立ち位置を変えていた。階段を落としても足止めにはならない。ステイメンにそう言ったが、ヴィンスの能力を以てすれば、瓦礫など素通り出来る。自ら語ったように、ホロゥの名に恥じぬ力を持ち合わせていた。

その動きに気付いたのは、後ろで様子を窺っていたエンジエルだった。

「させないわよ!」

そう言って飛び出し、エンジエルは逆手に持った短剣でヴィンスに斬り掛かった。まさかエンジエルから斬り掛かるなどと思ってもみなかったデュースの反応は遅れ、階段傍まで移動したヴィンスに斬り掛かったエンジエルを行かせてしまう。

ヴィンスの方も、まさかエンジエルの方が斬り掛かって来るとは思わなかったが、さすがに距離もあり、しっかりエンジエルの斬り込みを受け止め、ふたりは鍔迫り合いの格好となる。

「くっ、貴女がこんなに素早いとは思いませんでしたよ、エンジエル嬢。」

「行かせないわよ!貴方は兄さんにとっても敵!行かせないわ!」

「エンジエルっ!」

慌てて駆け寄ろうとするデュースだが、反応の遅れは致命的だった。

エンジエルは、実践経験に乏しいものの、優秀な盗賊である。そう、盗賊なのだ。生粋の戦士とは違う。盗賊と言うものは、背後からこっそり近付き獲物の喉を掻き切ったり、相手に手傷を負わせ刃に塗った毒で仕留めたり、離れた場所から短刀を投げ、弓を射て牽制するなど、搦め手で戦うのが一般的だ。正面から戦士と斬り合って戦えるものでは無い。

エンジエルにとって兄に等しいふたり、ゼフィランサスやステイメン、そして武闘派だった亡父クロイツのように、剣で戦士と渡り合える方が特別なのだ。

力と力による鍔迫り合いから一転、す、っと身を引いたヴィンスの動きに体勢を崩したエンジエルは、無防備を晒した背中を袈裟に斬られ、

「きゃあっ!」

と叫声を上げ倒れ伏した。結果的に、エンジエルとの攻防で、そして迫り来るデュースと距離を開ける為に、ヴィンスは階段から離れる事となった。果たして、それはエンジエルの命と釣り合うだけの戦果と言えるのだろうか。

「エンジエルっ!」

駆け寄り、エンジエルの体を抱き起したデュースは、

「エンジエル、しっかりしろ!エンジエル!」

繰り返し声を掛ける事しか出来無いでいた。

「……安心なさい。手加減はしておきました。まだ死んではいないはずです。私を追わぬとお約束して下さるなら、秘蔵の魔法薬をお譲りしても構いませんよ。」

カサンドラを倒すほどの猛者です。下手に恨みを買って、付け回されては敵いませんからね。咄嗟の事でしたが、良い取引材料になってくれましたね、エンジエル嬢。そう内心思っていたヴィンスの耳に届いたのは、そのエンジエルのきょとんとした気の抜けた声だった。

「……う、うん、大丈夫。何とも無いみたい。」

「馬鹿なっ?!」

思わず大声を上げたヴィンス。いくら加減したとは言え、何とも無いなどあり得ない。事実、エンジエルの背中は意図した格好より大きく露出していた。間違い無く、彼女のレザーワンピースの背中は裂けていた。そして、加減と言っても、薄皮一枚傷付けず服だけを裂けるほど、ヴィンスは達人では無かった。

「エンジエルっ!本当に大丈夫なのか?」

「う、うん。少しも痛くないし……ちょっと確認してみて。」

エンジエルが背中を向けようと、デュースの腕の中で身を捩ったその時、何かが床に転げ落ちた。それは、ひび割れ壊れた指輪だった。

「あ……これ……魔法屋さんがくれた指輪……」

「……まさか、身代わりの指輪とはね。確かにそこまで珍しい物ではありませんが、貴女のような市井のお嬢さんが身に付けるような物でもありませんからね。」

ヴィンスには、その指輪が何か判ったようだ。

「身代わりの指輪?」

「ふぅ、なるほど、そう言う事か。全く、心配させる。」

ひとつ息を吐き、デュースはエンジエルを立たせてやる。一応背中を確認するも、傷ひとつ無い綺麗な背中だった。

「……確か、身代わりの指輪と言うのは、装着者の身の上に降り掛かる災禍をひとつ、身代わりに引き受けてくれる、と言う代物だったな。まさか、刀傷まで引き受けてくれるとは。」

エンジエルは、壊れた指輪を丁寧に拾い上げる。

「そっか……魔法屋さん、とっても良い物くれたんだ。」

「……そうだな。魔法技術があり触れていた時代、その有用性から比較的大量に作られていたそうで、今でも数だけは遺っている魔導器だ。とは言え、需要が高い分、値も張るけどな。俺が見掛けた時の値段は、あの破魔の短刀に支払った代金のひと桁――いや、ふた桁は上だったな。」

思わず、目を引ん剝くエンジエル。

「ふ、ふた桁って……だってあの砂金、数千ゴールドはする代物だったじゃない。そのふた桁上って……」

「あぁ、だから所有しているのは、大概貴族や国だよ。まさか、こんな田舎街の魔法屋が持っているとは思わなかった。そうと知っていれば、気軽に受け取らせたりはしなかったさ。」

さすがに、十万ゴールド程度で豪邸は建たない。高額とは言え、貴族であれば護身用にいくつか買い入れる事も可能な額だ。もちろん、市井の者であれば、一生お目に掛かれない金額ではある。一介の魔法屋が、初めて会ったばかりの人間に贈るような品物では無かった。

「残念だったな、ヴィンス。当てが外れたようだぜ。」

そう言って、ダイ・オフが振り返り、ヴィンスへと剣を向けた。そのヴィンスも、改めて剣を構え直す。

「そのようですね。無傷とあっては、交渉にもなりません。ですが……そのような貴重な物、もうお持ちでは無いのでしょう?ならば今度は、手加減などせず、貴方方を殺して差し上げましょう。」

「馬ぁ~鹿。この俺様に勝つ気かよ。十年……おっと失礼。百年?いいや、千年早ぇぜ。」

構えも取らず、剣は肩に担いだままお道化るダイ・オフは、瞬きの一瞬で、一気に間合いを詰め高速で剣を振り抜いた――のだが、エンジエルには、まるで明後日の方向へ斬り付けたように見えた。

「何っ!消えた!?」

「ちょっ、ちょっとダイ・オフ。あんた何遊んでんのよ。」

五月蠅(うるせ)ぇ、次は外さねぇよ!」

と言って、再び明後日の方を斬った。その背後からヴィンスが斬り掛かり、しかし殺気に反応して、ダイ・オフは刃を躱して反撃を試みるも、その剣はヴィンスの影さえ捉えない。

「ほう、これは凄い。」

「そこかっ!」

ヴィンスの声を薙ぐも、そこには誰もいないのだった。

「ちぃ、どう言うこった。」

「どうもこうも、あんた、さっきから全然見当違いの場所を斬ってるじゃない。」

「何だと!?」

またも背後から斬り付けるヴィンスだが、これは剣身で受け止め、間髪を入れず斬り返す。

「獲った!」

そう叫びながら、肉を斬り裂く手応えを一切感じず、ダイ・オフは違和感を確認した。

「ち、ヴィンセント・ホロゥか。つまり、俺様が今斬ったのは虚ろな体(ホロゥ・ボディ)で、視せられてるのも本体じゃ無ぇ、って事か。」

「さすがです。……いえ、私の能力を見抜いた事じゃありませんよ。それほど判りづらい能力とも思いませんしね。それよりも、死角からの攻撃をこうも避ける……信じられない強さです。」

そうしてまた、背後から斬り付けるも、ダイ・オフはそれを躱し、あまつさえ反撃を繰り出す。……まるで中る気配は無いのだが。

「恐ろしいお人だ。……ですが……」

すると、今まで視えていたホロゥ・ボディすら消え、ヴィンスの姿が掻き消えた。ただ消えただけでは無い。本当の脅威は、気配すら隠れてしまった事だ。

「嘘!?今の今までそこにいたのに……」

どうやら、第三者として攻防を見ていたエンジエルの目からも、ヴィンスは姿を消したようだ。然もあらん。ヴィンスは三人(・・)に気取られる事無く、アレクとの一件を覗き見していたのだ。その気になれば、誰にも気付かれぬ存在となれた。

であれば、このままこの場を去っても良かった。しかし、もうそのつもりは無かった。死神ダイ・オフ。この男は危険過ぎる。倒せるときに倒しておかねば、禍根を残す事になる。

己の手を汚す――か。ふふ、その通りですね。貴方方のご助言通り、己の手で貴方方を葬っておきましょう。

そう考えたからこそ、ヴィンスは姿を消しながらも、この場に留まった。

「……あ、まさか!?もう兄さんの後を追っちゃったんじゃ……」

意図せずそのタイミングで、ダイ・オフは殺気に反応して身を躱した。

「ちぃっ!どうやら、お前の兄貴より先に、こっちを仕留めるつもりみてぇだぜ。」

先程までと勝手が違うのか、今度はダイ・オフ、躱すのが精一杯で反撃に移れず、しかも完全には躱し切れずに肌を切っていた。

しかも、今度は矢継ぎ早に身を躱し続けているところを見ると、ヴィンスも本腰を入れて斬り掛かっているようだ。

だが、もし今ヴィンスが姿を消していなければ、その顔に驚愕の表情を見ただろう。これほどの死角からの連続攻撃を、どうしてこの男は躱し続けられるのか。

それは驚異的な攻防であったが、ひと振りごとに血の華が舞い、ダイ・オフひとりが傷付いて行った。見えずとも、ヴィンス優勢は火を見るよりも明らかだった。

「ダイ・オフ……」

「ちっ……しょうが無ぇなぁ。」

そう呟くと、ダイ・オフは動きを止めた。優位に立っているとは言え、さすがにそれには警戒心を抱き、ヴィンスも攻撃の手を休めた。

「……どうしました?もう諦めたのですか?」

その問いには答えず、落ちていた鞘を拾い剣を納め、目を閉じ相棒へと語り掛けた。

「悪いな、デュース。後は頼んだ。」

「……尻尾を巻いて逃げ出しても、所詮同じ器。割れてしまえば同じ事でしょうに。……残念でしたね、デュース殿。存外だらしが無かったようですね、貴方の守護者(ガーディアン)は。」

デュースは目を閉じたまま、左手を鞘に添え居合いに構えた。

「さてな。良いから掛かって来い、ヴィンス。」

「……どうせ見えぬなら、目を閉じてしまえば良い。音――ですか?もしそうなら、大したものです。達人と言えましょう。でも残念でしたね。私の底は、そんなに浅くはありません。」

「……」

デュースは身動きひとつしない。

「……風の精霊の力を借りれば、音を操る事も可能です。現に、先程も私の攻撃は無音だったはずですよ。……では何故、死神殿は私の攻撃を躱せたのでしょう。不思議ですね。死神と名を馳せた歴戦の勇士。戦場で身に付いた勘働きでしょうかね。あの性格です。むしろ、野生の勘ですか。貴方にはおありですか?デュース殿。貴方は死神殿と比べると――」

「弱い犬ほど良く吠える、と言うぞ、ヴィンス。御託を並べるのは、勝ってからにしておけ。」

見えないが、どうやらヴィンスの眉間に皺が寄った。

「そうですね。全くその通りですよ、デュース殿。しかし、その態度。これから死に逝く者の態度としては、些か不遜過ぎますね。」

もう一度絶望を味わえば、少しは態度も改まるかも知れませんね。その言葉は呑み込み、ちら、とエンジエルを見やった。

これは一対一の決闘では無い。ルールのある競技では無い。一度命を拾ったとて、安全になった訳では無い。

ヴィンスは姿を消したまま、音も立てず、デュースの横を過ぎ、少し離れて戦いを見守っていたエンジエルの方へと歩を進めた。

その刻、ヴィンスのすぐ脇を殺気が過った。

「うおっ!?」

思わず声を上げたヴィンスだったが、すでに鞘へと戻ったデュースの剣筋は確認出来無かった。

「無粋な真似はするなよ、近衛将軍。名が泣くぞ。」

「く……くはは、そうですね。読まれてしまいましたか。なるほど。視えずとも、動きを読まれては万が一もあり得ますね。危ない、危ない。」

自分が姿を消した事で、何か考えあってデュースが居合いに構え動かぬなら、その隙にエンジエルが襲われてもどうする事も出来無い。この状況ならば、きっとエンジエルの傍へ行く。そう読まれた。とヴィンスは判断した。

いや、普通に考えればそうなるだろう。まさか……

ヴィンスは改めて、デュースの周りを周回しつつ、隙を見出そうとする。目を閉じているのだ。一見すれば隙だらけ。しかし、どこにも隙が無い。本当に恐ろしいふたり(・・・)だ。デュースの評価を改めたヴィンスは、慎重に隙を窺い続ける。

ごくり、と唾を飲み込んだのはエンジエルだ。見た目には、ただデュースが居合いに構えてじっとしているだけ。しかし、息がしづらくなるほどの緊張感が漂っていた。先程、実はヴィンスに狙われていた事にも気付かないようなエンジエルでも、このただならぬ空気は感じずにはいられなかった。

一分……二分……実はまだ三十秒も経過していないにも関わらず、何分も経過したと誤認するほど密度の濃い時間が流れ、エンジルは、そしてヴィンスも、その重圧に堪え兼ねた。

いくら勘働きが鋭くとも、ダイ・オフすら避けるのが精一杯。姿も視えず音も聞こえぬ死角からの攻撃を――死角から……か。そう言う事か。とヴィンスは思う。私が攻撃に転じた瞬間に、何某かの感覚でそれを察知出来るのだろう。だが、どこから攻撃されるか判らぬ以上、避けるので精一杯。では、どこから攻撃してくるか判れば――いや、読めれば。つまり、彼は今、その瞬間に自らの死角へ反撃しようと機を窺っているのではないか。

それが、正面からデュースに斬り掛かった理由である。そして、エンジエルは見た。急にデュースの目の前に現れた、胴を薙がれたヴィンスの姿を。

「ぐはっ?!」

まるで微動だにしていないように見えるデュースの目の前で、剣を取り落とし膝を突くヴィンス。一拍置いて、その足元が紅に染まった。ヴィンスが身に纏う銀の軽装鎧は、相応の防御を誇る魔法の鎧である。むしろ、故に腹を裂かれるだけで済んだと言えた。

居合い一閃、目にも止まらなかったその刃は、上等とは言えないまでも魔法を帯びており、それを振るったのは達人であったから。

「ぐ……うぅ……み、見事です……と、言いたいところですが……何故です。何故私の居場所が判ったのですか?死角からの攻撃。それを待っていたのでは無いのですか?」

苦しい息で、それでも聞かずにはいられなかった。自分の戦術は完璧だった……はず。読まれている事を読み切った……はず。少なくとも、私の事を捕捉出来てはいなかった、っはずなのだ!

す、っと目を開け、構えを解いた碧い瞳がヴィンスを見詰めた。

「……空気の流れ……ヴィンス、お前自身が言っていたじゃないか。音を消す為、風の精霊の力を借りていると。音はしなくとも、空気は動く。それを感じ取った。」

「何……だと……。そんな……そんな事で……空気の流れで、相手の動きまで読むだと!?」

瞳が紅く替わり、得物を肩に担いで胸を逸らす。誇らしげに。

「勘違いしてる奴が多いんだよな。確かに、死神の通り名は俺様の事だ。だから、俺様が(つえ)ぇってのはその通りだし、戦うのも好きだからな。俺様が剣を振るう事の方が多い。……が、だ。誰も、俺様の方がデュースより強ぇ、とは言って無ぇ。俺様のは単なる剛剣だ。見栄えが良いから強そうにも見える。だがな、デュースは剣の達人だ。もし斬り合ったなら、とても俺様はデュースにゃ敵わねぇぜ。」

素人目に見れば、十人中十人、ダイ・オフの方が強いと思うだろう。ダイ・オフの戦いは、見る者全てを心胆寒からしめるものがある。対してデュースの剣は、玄人がその技倆の高さに心胆寒からしめられる事だろう。ダイ・オフは、勝負を諦めて逃げ出したのでは無く、ヴィンスの強さを認め、自分よりも強いデュースに託したのである。

「……は……はは……達人。空気の流れだけで……相手の動きを把握出来るほどの……達人、ですか。……はは、ははははは……お見事……です……」

ヴィンスの体から力が抜け、顔から床へ突っ伏し、何とか仰向けになって天井を見上げ、虚ろな瞳をそのさらに遠くへと向けた。

「……そうか……そうだな。これで……これで私たち兄妹の悪夢も終わる。ふふ、焦るな、妹よ。そう急かさずとも……すぐに私もそちらへ逝くよ。……この重い体を抜け出したら……一緒に……故郷の村へでも……行こう……ミン……シア……、……、……」

ここに、永い間ダイナスを治めて来た、ダイナス城の三将軍最後のひとりも、二度と目覚めぬ眠りへと就いたのだった。

それを見届けたエンジエルは、胸の前で手を組み、

「せめて安らかに。ヴィンス……ミンシア……」

そう祈りを捧げた。

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