第四節
長い階段を上り終えると、そこは広いホールになっていた。右手にはアーチがあって、どうやら外へと通じているようだ。正面にもアーチがあり、こちらは先が見通せない暗闇である。城の奥へと続いているのだろう。
「……あたしにも判るわ。凄く……怖い感じ……」
エンジエルが生唾を飲んで見詰めるのは、その暗闇の先である。そこから漏れ伝わる何かは、戦場を知らぬ乙女にも感じられるほど強烈だった。
そんな少女を庇うように、半身を前へ出したデュースはエンジエルの瞳を見詰め、
「……エンジエル、大丈夫だな。」
き、と毅然とした表情で、
「……うん!」
エンジエルの元気な返事が引き金となったものか、一瞬で鬼気が消え去り、暗闇からこつこつと足音が響いて来た。
「おやおや、誰が迷い込んだものかと身構えていたら、随分可愛らしいお嬢ちゃんじゃないの。」
声の終わりしな、暗がりから二本の美しい足が光の中に現れ、次いでその上に妖艶な女怪の姿が浮かび上がる。ひと言で言い表すなら、それは半裸の上級娼婦か。出るところは豊満だが鍛え上げた筋肉が彫刻のように美しく全身を引き締めており、それを覆うのは面積の小さなブラジャーとショーツのみ。とは言え、それは下着の類いでは無く、生地の具合から歴とした衣服であると窺えた。
さらに体を覆う物あり。自らが光を放つような銀色の板金が、肩や前腕、腰回りや脛を鎧っている。書物の知識に照らして見れば、蛮族の女戦士が似た格好を良く好み、通称ビキニアーマーと呼ばれている。ひとつ違いを言うならば、その素材だろう。きっと、見た目通りの防御能力では無い。先のヴィンスが纏っていた軽装鎧同様、右手の得物が纏うものなど及ばぬほどの魔力を、ダイ・オフは感じ取っていた。
そして、もうひとつ、いやふたつほど、彼女には特徴があった。美しい漆黒の髪ほどでは無いが、その肌も闇色をしており、耳は葉のように横に長いのだ。まるでヴィンスのよう……いや、それ以外にも……
「あれ?……どこかで見たような……」
「……貴女のようなお嬢ちゃんと、そこの坊やになんて、会った事無いわよ。」
「坊や?坊やって、デュースの事?どう見ても貴女、デュースと同い歳くらいでしょ。坊やは無いんじゃない。」
「ふん、人間なんて、私から見れば皆餓鬼よ。貴女たちは……天使と死神、なのよね。確かに天使はそのものって感じだけれど……死神ねぇ。」
その女は値踏みするように、デュースを上から下まで睨め回す。
「そうだ!あの絵よ。少し雰囲気違うけど、あの王妃様に似てるのよ。え~と……そうそう、ミンシア様。」
その言葉で、さ、と表情が曇る女。それには気付かずエンジエル、
「凄い格好してるけど、貴女ミンシア様でしょ。あの絵、良く似てるわ。」
「……違うわよ。あの女は死んだの。私はね、カサンドラ。ここ二階層を支配する魔導将軍、カサンドラ・ソウルクィーン。」
「カサンドラ?まるで魔女だな。」
デュースのそのひと言に、さらに表情に陰が差すカサンドラ。
「……」
「あ、それ知ってる。ウィッチ・フォレストのカサンドラね。小さい時に聞かされて、怖くて眠れなくなった事あるわ。」
「……ふふ、あははははは。」
「え?!ちょっと、どうしたのよ?」
ば、と腰の得物に手を掛けながら、
「何だい?私が魔女だって?何も知らない振りして、とんだ茶番だわ。そう言えば下で、ヴィンセントの奴と何か話してたんだろ?その時に何か吹き込まれたのかい?私を殺してくれとでも、頼まれたのかい?」
「ちょ、ちょっと待ってよ。一体、何の話?」
「知らないね。その無い胸に手を当てて、良ぉ~く考えるんだね。問答無用だよ。」
「ちょっと!無い事無いわよ!……むぅ、確かに、小振りなのは認めるけどぉ……」
そうして、自分の胸に手を当てて覗き込んだエンジエルの隙に、すらんと抜刀したカサンドラ。
「!エンジエル、後ろに下がってろ。」
さ、と間に割って入ったデュースだが、カサンドラは長剣を片手に棒立ちのまま。打ち込む隙だらけで、妖艶な笑みを浮かべている。いくら何でも、こうも隙だらけなのはおかしい。何か誘っているのだろうか。不用意には動かぬデュースであったが、
「どうしたの?掛かって来ないの?優男さん。」
ただ睨みあっていても埒が明かない。意を決して袈裟に剣身を振るうと、カサンドラは避けるで無し剣で受けるで無し、そのまま達人の一刀をその身に受けたのだった。よろけてたたらを踏んだカサンドラだが、そこに赤い色は差さなかった。
「?!ちぃっ!」
さらに追い打ちを掛けたデュースだったが、またも数歩後退ったのみのカサンドラは、気の抜けた反撃をひと振り寄越す。それを払い除け、デュースは一度距離を取った。
「ふふ、無駄よ。でも……鋭い打ち込みね。その場に留まる事さえ出来無いなんて、ちょっと驚きよ。」
笑みは浮かべながら、その眼がすう、と細くなり、決して笑っていない。余裕の表情に見えて、デュースへの警戒を強めたようにも見えた。
「どう言う事!?今、ちゃんと斬ったじゃない。」
「……判らない。だがあれは、斬った手応えじゃ無い。」
「うふふ、不思議かい?やっぱり、坊やたちには視えていないんだね。それじゃあ駄目よ。いくら斬っても切れないわね。」
「どうなってんのよ!デュースの攻撃が全く効かないなんて……どう考えてもおかしいじゃない。そんなえっちな薄着の癖に!」
「あら、何を怒ってるのよ、天使ちゃん。貴女だって、随分えっちな格好じゃない。……体の方は、もう少し努力が必要みたいだけど。」
そう言って、艶めかしく品を作るカサンドラ。
「むぅぅ~、あたしはこれからなのよ!……多分……」
またしても、自分の胸に手を当て俯くエンジエルを見やり、自然な笑みを浮かべたカサンドラ。その微笑は、まるであの肖像画のようだ。そうデュースも思った。
「貴方たちには、私がひとりに見えてるのでしょう?残念だけど、それじゃあ私は殺せないわね。」
「魔導将軍、か。正しく魔女だった訳だ。」
「え?!……そっか、魔法か。これもまた、何かの魔法なのね。」
その手にした長剣を鞘へと戻しながら、
「ふん、魔女魔女って五月蠅いねぇ。まぁ、良いさ。私はソウルクィーン。頼もしいボディーガードが憑いているのよ。せめて、彼らが視えなくちゃお話にならないわ。今ならお姉さん、許してあげちゃう。見逃してあげるから、素直にお帰りなさい。」
「むむむむむむむ……どうしよう、デュースぅ。」
そのデュース、床に転がった鞘を拾い上げ、こちらも得物を仕舞って、
「止めておこう。お言葉に甘えさせて貰うとしよう、お姉さま。」
「ふ~ん、格好良いってのは得だねぇ。良いわよ、坊や。気が向いたら、またいらっしゃい。」
そう言って、踵を返したカサンドラ。均整の取れた体型が透けて見える闇色の外套をを翻し、優美な足取りで再び暗闇の中へと消えて行った。
それを見送り、しばらく様子を窺ってから、エンジエルが口を開く。
「……行ったみたいね。でも、どう言う事?確かに、斬ったように見えたのに……」
「多分、精霊って奴だな、ありゃ。ソウルクィーン。ソウルってのが、この場合精霊を指してんだろ。」
応えたのは、紅い瞳だった。
「あら、もう起きたの?」
「ん?あぁ、そうだな。あれだけ傍で話し込まれちゃ、目だって醒める。一応、裏から様子は窺ってたが、魔力を感じるだけで、俺にも視えねぇな、あの女の秘密ぁ。」
「そうなんだ。ダイ・オフにも視えないんじゃ、本当、お手上げね。」
「精霊は、普通の武器では傷付かない。魔法銀の武器や、魔法を纏った武器が必要だ。」
碧い瞳が、後を引き継ぐ。
「え?だったら、その剣――」
「確かに義父の剣は魔法剣だが、刃毀れを自分で修復するだけの低級魔導器に過ぎないからな。向こうの方が、格が上なんだろう。」
「……ダイ・オフの炎は?」
「多分、有効だ。だが、精霊には属性がある。一概には言えないが、炎は風に強いが、水には弱い。そんな相性があるんだよ。ただ、強風、暴風の中では炎なんて消えてしまうし、業火に晒されれば水は蒸発する。強さ次第では、その相性だって覆る。相手の力が未知数では、ダイ・オフの炎も決め手になるかどうか判らないな。」
一般的には、火は風に強く、風は土に強く、土は水に強く、水は火に強い。とされている。それでも、蠟燭の炎は息で吹き消せ、激しい濁流は土を削り川と為す。必ずしも、法則通りとは言えない。さらに、自然と結び付いた精霊たちは、火風土水の四大属性に留まらず、もっと多くの性質をも持つ。精霊の属性と言うのは、そんな簡単な話では無いのだった。
「んむむむむぅ……と言う事は、やっぱりあの女の言う通り、お話にならない、って訳ね。」
「あぁ、そうだな。もう少し、あの力を理解しないと、同じ事の繰り返しになるだろう。」
「それで。この後どうする?」
その言葉に、デュースは右手を見やった。そちらには、外へと通じるアーチがある。
「なるほど。あの女の様子だと、こちらには来るな、そちらは関知せず、って感じかしらね。どこに通じてるか判らないけど、取り敢えずそっちには進めそうね。」
「そう言う事だ。階下へ追い遣るつもりなら、奥へ引っ込んだりはしないだろう。まずは、そちらを調べてみよう。」
そうしてふたりは、カサンドラとは別方向へと歩を進めた。暖かな外気が、ふたりを包んで行く。
蒼天の主は、天頂を過ぎ少し傾き掛けていたが、その姿を覆い隠していた衣が薄れて、今は恩寵を大地に降り注いでいた。それを全身で受けて輝く眩い緑が、辺りを支配している。二階層より歩み出た先は、見事な空中庭園であった。
「……凄ぉい。ここ、二階よね。庭になってる。」
城館の前庭に負けぬ、素晴らしい庭園であった。水路が網の目のように走っており、いくつも可愛らしい小橋が架けられている。四角く剪定された木々が通路を成して、少し開けた場所には色取り取りの可憐な花が咲き誇る。石膏で出来た半裸の男女が住人の代わりに場を賑やかし、季節柄色鮮やかな蝶も群れ飛んでいた。
「さすがに、このガゼボは本物みたいだぜ。」
意地悪く、エンジエルに声を掛けるダイ・オフ。ここのガゼボのテーブルセットならば、貴人が優雅にティータイムを楽しむにも打って付けだろう。何から何まで、戦城の二階層にあるとは思えぬ楽園に見えたが、ひとつだけ様相の違う物もあった。
「……尖塔か。少し違和感を覚えるな。」
デュースの独り言に、エンジエルが疑問を呈す。
「どう言う事?これだけ大きなお城だもの。塔くらいあるんでしょ。」
「ん?あぁ、塔自体は珍しい物じゃ無い。ほら、後ろを見てみろ。城館の方にも、いくつか建っているだろう。」
言われて後ろを眺めたエンジエルは、城館の両端に屹立する尖塔を見た。その内のひとつは、自分たちがこの庭園へ出て来た入り口でもあり、空中庭園を抜ければ、反対側へと辿り着けそうだった。
「確かに、建ってるわね。……あら、上の方に窓も見えるし、部屋でもあるのかしら。」
城全体を外から確認した時の記憶を辿れば、構造的に城館の四隅が尖塔となっており、それぞれの尖塔は三階、四階まで部屋がありそうに見えた。尖塔同士は、三階部分で通路が繋がっていもいた。先程通って来た場所には上へ上がる階段は無かったので、どこか別の塔から上がって、その通路を渡るのだろう。
振り返ってエンジエル。再びデュースが違和感を覚えると言う尖塔を見やる。
「……で、こっちの塔は何か違うの?」
デュースは、す、と左手で指し示し、
「城館と繋がった他の尖塔とは違い、こいつは庭園の外側に位置している。わざわざ通路を築いて、独立して建っている。」
見ればなるほど、庭園外縁から伸びた通路の先に、その塔は鎮座していた。この庭園自体、城館の裏手に突き出す形のバルコニーとなっており、塔はそれを支える支柱の役割も担っているようだ。
「この空中庭園は見事なものだが、あの塔の所為で景観が悪いとは思わないか?あの塔が無ければ、もっと見晴らしが良いだろう。」
「確かに。森に山に空。あの塔が無ければ、天然の風景画だわ。貴族がお城から出ずに気軽に散策するなら、あんな塔無い方が良いに決まってる。」
「……何かしら意味があって建てたのだろうが――」
「隔離、ってとこかな。」
ダイ・オフが、続きを引き取った。
「あの通路、多分封印されてるぜ。城門でも感じたような魔力を感じる。」
「封印?入れないの?……何があるのかな?」
つい、わくわくして目を輝かせるエンジエルは、やはり盗賊なのだった。
「結局使わないままの破魔の短刀もあるし、行ってみる?」
「……いや、止めておこう。」
「え~~~、どうしてぇ。」
「……わざわざ城館の外に位置していて、カサンドラが近付くのも許している。もし重要な何かがあるなら、カサンドラなりヴィンスなりが近付くのを阻止するだろう。」
「確かに。」
「それに、声がするのはそっちじゃ無ぇ。城の中だ。」
「あぁ、そう言えば、それが目的だったわね。」
「ま、確かに気にはなるから、後でまた来れば良いだろ。魔女もヴィンスも斬った後に、ゆっくり城内を回れば良いさ。」
「ちょっとぉ、別にあたしたち、喧嘩売りに来た訳じゃ無いでしょ。戦わずに済むなら、その方が良いじゃない。」
「けっ、戦わずに済むなら、ねぇ。」
デュースは、庭園の反対側へと体を向けた。
「取り敢えず、向こうから城内へ戻ろう。ここには、他に何も無いようだ。」
見事な空中庭園ではあったが、声やカサンドラの秘密に繋がるものは何も無い。そう判断した一行は、早々にその場を後にする。すでに頭を切り替えたエンジエルも、塔に後ろ髪を引かれる事は無かった。塔の方も今は、確かに静かなものだった……
正確では無いが、城は東向きに建っている。つまり、城内へと進入した正門は、東門に当たる。空中庭園は城館の西側となり、三人がカサンドラと邂逅し別れたのは、庭園の北側アーチ。現在位置は、南側アーチを抜けた先となる。
対となるホールであるが、全くの同一構造では無かった。庭園へのアーチと城館内へのアーチは共通しているが、そこにある階段は下りでは無く上りの螺旋階段だ。尖塔上階へと続いているようだ。
「……さて。声を辿るなら中へと向かいたいところだが……まぁ、いるわな。」
姿こそ現さなかったが、城館内へのアーチの奥からは魔女の気配が漂って来た。こちらへ来れば容赦しない。その気配はそう語っている。
「確か、二階層を支配する魔導将軍、と言っていたな。このホールや庭園は領域外。だが、支配領域へ進入するなら許さない。と言ったところか。」
「あぁ、確かそんな事言ってたわね。言葉通りの魔法使いだった訳ね。」
「……まぁ、魔法使いは魔法使いだが、あの魔女は精霊使いだな。」
「精霊使い?」
ダイ・オフとは違い、エンジエルは魔法と縁が無い。今日まで魔法も奇術も一緒くただったのだ。精霊も知らなければ、精霊使いも知らない。魔法使いと精霊使いの違いも。
「あぁ……デュース、説明してやれ。」
「そうだな。丁度良い機会だ。魔法について、もう少し詳しく話しておこうか。」
「うん、お願い。」
「魔法は、大別すると三つ。黒魔法、白魔法、そして精霊魔法。この分類法の場合、違いは何の力を借りるかだ。悪魔か神か、精霊か。」
「え~と、黒魔法が悪魔の力。白魔法が神様の力ね。それで、精霊魔法が精霊の力……って言っても、そもそも精霊って何?」
「そうだな……悪魔も神も、目には見えないだろ。……いるかどうかも怪しい。」
「そうね。少なくとも、あたしは見た事無いわ。」
「その意味では、精霊も一緒だ。悪魔は魔界にいると言われている。神は天界にいると言われている。精霊は世界中どこにでもいると言われている。」
「え?!世界中どこにでも?」
「あぁ。火の傍には火の精霊が。水の傍には水の精霊。風が吹けばそこに風の精霊。豊かな土壌には土の精霊がいるそうだ。自然そのものと言って過言じゃ無い。」
「自然そのもの……」
「だが、普通の人間には視えないからな。いるかどうか怪しいだろう。俺も、本の知識で知っているだけだ。さっきまでは半信半疑だったよ。しかし。」
「さっきのあれ、ね。」
「あぁ。確かに俺は斬った。肉を斬り裂く感触こそ無かったが、何かには触れた。ならば、そこに何かがある、いるのだろう。実はただの魔法の障壁で、精霊なんて嘘。そう言う事もあるかも知れないが、俺たちは魔法使いじゃ無いからな。どっちでも似たようなものだ。」
結果的に斬れぬなら、それが黒魔法だろうと精霊魔法だろうと、厄介な事に変わり無い。今のままでは、カサンドラには勝てぬのだ。
「カサンドラの言葉を信じるなら、彼女は何かの精霊に護られているのだろう。精霊を避けて攻撃する事は出来るのかも知れないが、視えないのではな。」
「あの女の言う通り、視えなくちゃ話にならない、と言う訳ね。」
「俺様の炎は、黒魔法って事になるんだろうな。まぁ、実際には魔法使いじゃ無ぇから、ただの炎だけどよ。少なくとも、俺にも精霊とやらは視えねぇ。炎は精霊にも有効だと思うが、視えなきゃ斬れねぇな。」
「そっか。それじゃあ、あの女は後回しね。」
アーチの奥から、今にも襲い掛かって来そうなほどの敵意が、エンジエルにも感じられる。無理に押し通るなら、倒す他無いだろう。しかし、その手段は無いのだ。こちらは行き止まりである。
「と言う事で、残すは上へ上がる階段のみ、ね。」
そう言って階段を上り掛け、さっとお尻を隠して道を譲った。自分のスカート丈に思い至った為だ。
そんな様子は気にも留めず、デュースは先に上がって行った。
階下より一層陽を取り込む円形の空間は、さらに上へと上がる螺旋と、正面、右方に扉を構えていた。先程庭園から眺め見た構造からすると、それぞれ別の尖塔へと繋がる渡り廊下になっているはずだ。城館自体三階層の構造だが、あくまで尖塔同士を繋ぐ連絡通路があるのみなので、尖塔から城館へは渡れない。残念ながら、こちらへ上って来たところで、声のする方へ行けはしない。
「さて……まだ上があるみたいだけど、ここからどうする?」
エンジエルはホールをぐるり眺めながら、デュースに問い掛けた。カサンドラに遮られて、仕方無くやって来たのだ。明確な目的があっての事では無い。
「……そっちへ向かおう。」
デュースが指し示したのは、正面の扉だ。ここは南西に当たるので、その先は北西の塔へと繋がっている。
「良いけど、どうして?」
「……魔力――も感じるようだが、何だろうな。それ以外にも、何か強いものを感じる気がする。ダイ・オフの聞く声とは別の何かに、呼ばれてでもいるかのようだ。」
言われて、エンジエルもそちらに注意を向けてみる。……何だろう。気配とか何某かの力とか、そう言うんじゃ無い。強い気持ちのようなものかしら。確かにエンジエルにも、何かが感じられたようだ。
「……行ってみましょう。確かに、来るな、と言うより、来て欲しがってる気がする。あたし、行かなくちゃ。」
ふらふらと歩き出し、無警戒に扉を開け放ち先を行くエンジエル。何かに取り憑かれた、と言う訳では無さそうだが、何かに引き寄せられてでもいるのだろうか。心配もあったが、デュース自身同じ感覚を覚えている為、引き留めるで無く後に続いた。
塔と塔を結ぶ長い廊下は、階下の豪奢な雰囲気をさらに際立たせた、特別上品な装飾具合であった。構造上、尖塔へ至るには謁見の間を過ぎ奥の間を通って来るしか無く、いくつか要所を押さえれば固く守る事が可能だ。どうやら、尖塔は王族の私的空間として使われているのだろう。辿り着いた北西の間での出迎えが、それを証明する。
「あら、ヴィンス。どうしたの、こんなところで?」
そこには、螺旋階段を塞ぐ位置に立つ、ひとつの黒い影があった。ばさ、と外套を翻せば、銀色の輝きがその身から零れる。魔法銀と思しき軽装鎧を身に纏ったもうひとりの将軍が、三人を出迎えた。
「……ここは、王の身辺ですからね。我が領域への侵入を感知してやって来たのですが……貴方方こそ、どうしてここへ?」
先行するエンジエルを追い越し、庇うようにしてヴィンスの前までやって来たデュースが、
「王の身辺。ここが?」
「ここは、封印されし王妃の私室。……知らなかったのですか?では、何故?」
「何故、って言われてもねぇ。カサンドラに手も足も出なかったから、仕方無くお城の探索してるだけだなんて言えないわ。」
こう言うところは感心する。まさか、ヴィンスの苦笑いが拝めるなんてな。デュースは心の中で、エンジエルの天真爛漫さ、素直さ……少し抜けているところに、とても敵わないな、と思った。
「そ、そうですか……。しかし、求道者殿も彼女には勝てなかった。仕方無い……のかも知れません。」
「求道者か。もうひと組みの客人、だな。」
「あたしたちのライバルね。でも意外ね。あっちには魔法使いがいるんでしょ?それでも駄目だったの?」
「魔法使い――と言えなくも無いか。ミス愛人は、不思議な業をお使いになる。」
「不思議な業……」
エンジエルは、その言葉に少し引っ掛かりを覚えた。しかし、死んだと思い込んでいるものを、想起する事など出来無いだろう。
「しかしふたりは、お互いに致命傷を与えられませんでした。互いの身を護る特殊な力が攻撃能力を上回り、あれではいつまで経っても決着が付かなかったでしょう。……精霊をただ使役するのでは無く、支配する事で強力な力を引き出す。あの力がある限り、とてもカサンドラ将軍は倒せません。」
「……ただの精霊使いじゃ無い訳だ。物理的に斬る事が出来無い。あれは妙な感じだった。」
「あ、あのさぁ。折角だから、ヴィンスに聞きたい事あるんだけど、良いかな?」
「……構いませんが、一体何でしょう。」
「う、うん……あのね……」
もじもじするエンジエルは、デュースの陰から言葉を続けた。
「カサンドラと……王妃様。何か関係あるんでしょ。似てる――ううん、そっくりだもの。別人とは思えない。それに……ミンシア様とヴィンスも、何か関係あるの?ふたりも似てるよね。」
「……」
「ミンシア・ホロゥ、だったな。王妃の名は。コレクターにクィーンだからな。ホロゥも、何か虚ろな能力でも表しているのかと思ったんだが……違うようだな。」
ヴィンスの顔に険が宿った。
「違う――とまでは言えないな。ホロゥの名に相応しい力を、と研鑽して得た能力だ。まぁ確かに、家名のようなものだ。我が森の一族は、ホロゥを名乗る。……それで、何が聞きたい。言ってみるが良い。」
「ほ、口調が変わったぜ。よっぽど、触れられたく無ぇ話題だったみてぇだな。」
目を閉じ、ひとつ深く息を吐き、ヴィンスは平静を装い直す。
「……失礼。確かに、死神殿の言うように、気持ちの良い話題ではありませんが……聞きましょう。」
「う、うん……ごめんね、ヴィンス。どうしても気になったのよ。あの女とミンシア様、あんまりにも似過ぎてる。それに、貴方と同じ家名って事は、兄妹なんでしょ?……あぁ、それに、あの肖像画は200年も前に描かれてるはずだけど、それってどう言う事?」
遠慮がちに、それでもエンジエルは自分の好奇心に従って言葉を紡いだ。
腕を組み、真剣に耳を傾けていたヴィンスは、再びひとつ深呼吸してから、静かに語り出す。
「……ミンシアは私の妹です。私が城に上がった後、彼女も召し上げられました。最初は城付きの侍女として。後に、王に見初められました。肖像画は、その時彼女が王妃となった記念に描かれたものです。私たちがまだ、百を少し過ぎた頃の話です。」
「百ぅ?!それって、百歳って事ぉ?それじゃあヴィンスは今、三百歳!?」
「……エルフだよ、エンジエル。森の妖精族エルフ。彼らはその中でも、ダーク・エルフと言う種族だと思う。」
「え~と……ダーク・エルフ?」
確かに、エンジエルを始め一般的な人間族でも、ドワーフとエルフの名は聞き及んでいる。しかし、実際に目にする機会は少なく、知悉している者はもっと少ない。職人や商人であればドワーフと会う事もあるが、森へ引き籠り人間を避けて暮らすエルフとは、森で迷った狩人が出くわす事が稀にある程度。その遭遇の多くは、平和裏には終わらないと聞く。デュースが知るのは、文献の知識による。
「魔法屋が言っていた、辺境へ追いやられた魔法が得意な種族のひとつが、魔族でありエルフだ。森に暮らす亜人種で、人間よりも華奢で植物の葉のように長い耳が特徴だ。魔法――特に精霊魔法が得意で、自然を愛し、精霊と共に生きる、平穏な種族だと聞いている。魔族に次いで長命で、千年を生きるそうだ。」
「せ、千年?!それじゃあ、ヴィンスの三百歳って……」
「これでも、まだまだ若いのですよ、エンジエル嬢。そしてデュース殿の言う通り、私たちはただのエルフでは無く、ダーク・エルフです。エルフ族の中にあって、肌の色による差別を受ける最下層に位置する者。それが、ダーク・エルフです。」
言って、自らの褐色の肌に手を這わす。
「エルフ社会では、貴族階級であるハイ・エルフが上位を占め、それ以外の森で暮らす全てのエルフが平民となります。エルフはいくつもの森に分散して生きていますが、一応王国に属しているのです。そのエルフ王国の民と見做されるのが、彼ら森エルフまでです。その下に、海エルフや山エルフと呼ばれる、森を捨て生活場所を変えた亜種たちがいて、人間社会で暮らす事を選んだエルフたちも、シティ・エルフとして区別されます。さらにその下、最下層に位置するのが、我々ダーク・エルフとなります。何でも、遠く神話の時代、邪神に味方したのがダーク・エルフの始祖たちで、この肌の色はその証なのだとか……。」
「ヴィンス……」
「その為、人間たちの迫害から逃れる際も、労働力となる若者だけが同行を許され、幼子、老人は取り残された。そうして残された者たちが隠れ暮らしたのが、私たち兄妹が育った村です。」
「そんな……そんなのって非道いよ。人間からも、仲間からも……。でも、頑張って出世したんだね、ヴィンスは。」
「そう……ですね。お優しいのですね、貴女は。人間にしては珍しい。」
「さぁて、それじゃあ後は、魔女の話だな。そいつが一番大事なとこだろ。さぁ、聞かせて貰おうか。」
「ちょっと!ダイ・オフっ!」
ぷんぷんと真剣に怒る様子のエンジエルを見て、すっかり険の取れたヴィンスは優しげな声音で、
「ふふ、構いませんよ。それを知る事が、カサンドラ攻略に繋がるかも知れません。ならば、こちらこそ聞いて頂きたい。あの女の罪を、ね。」
「あの女の――罪?」
「ところで、貴方方はグレイ・カーラと言う魔女を知っていますか?」
「グレイ・カーラ?」
「確か、南の方にある呪いの島の魔法使いだったかな?しかし、魔女?俺が知っている話では、男だったはずだが。」
「えぇ、彼女は女です。体の方は、男だったり女だったりするのですが。」
「どう言う事?全然意味判らないんだけど……」
「……体を乗り換えている、と言う事か?」
「えぇ、その通りです。彼女はサークレットに自らの魂を移し、それを身に付けた者の体を奪って生き続けているそうです。人間である彼女が、数百年を過ごす為に行った邪法です。まぁ、それを行えるだけの知識と魔力を身に付けていた事こそが、彼女の本当に恐ろしいところです。」
は、っとしてデュース。
「そうか、カサンドラも同じ。そう言う事なんだな。」
「はい。ただ、カサンドラの方は、かなり質が悪いですがね。」
「あ゙~~~、つまりどゆ事?」
「つまり、カサンドラとミンシアが似ているんじゃ無くて、カサンドラがミンシアに乗り移っているんだろう。」
「え~!?それじゃあ、カサンドラはミンシア様なの?」
「違いますよ。ミンシアはすでに死んでいます。体だけが、カサンドラに使われているのです。」
「死んでいる?確か、グレイ・カーラの支配から解放された者は、元に戻ったはずだが。」
「言ったでしょう、カサンドラの方は質が悪いと。あの女は、死体から死体へと乗り継いでいるだけ。呪われた島の天才魔女と比べれば、アンデッドみたいなものです。」
ヴィンスは、語るだけで穢れるとでも言わんばかりに、鼻梁に皺を作った。
「と言う事は、カサンドラは本来死霊使いなのか。だとしたら、あの精霊の加護は――」
「えぇ、以前のカサンドラは、精霊魔法など使えませんでした。私たちダーク・エルフは精霊と縁が深い。ミンシアの体を奪ったからこそ、精霊支配などと言う厄介な力を身に付ける事が出来たのでしょう。」
「心と体が別々なのね。でも……それだけじゃあ、どうにも出来無いわよねぇ……」
さ、っと碧い瞳が紅い瞳へ替わり、
「それよりも、だ。ヴィンス、お前の本心はどうなんだ?俺たちに何をさせたい。」
「……それ、どう言う意味?」
「考えてみな。俺たちより、よっぽどヴィンスの方があの魔女と戦えるだろ。ミンシアの死体を奪われて何とも思わない……って様子にも見えねぇしな。」
「そ!そぉ~よ、ヴィンス。このままで良いはず無い。」
ぎゅ、っと目を瞑り、鼻梁の皺が深くなり、
「……あの女は、妹の体を奪ったのではありませんよ。」
「……どう言う事?」
か、っと目を見開き、
「あの女は、妹を殺してその遺体に取り憑いているのです!」
「!っ……」
「……証拠はありません。ですがあの女は、生きた者には取り憑けません。そう都合良く、ミンシアが亡くなると思いますか?私たちはダーク・エルフです。だからこそ、あの王の后足り得た。」
「?……それ、どう言う事?」
「……いえ、今のはお忘れ下さい。私はね、あの女が憎いですよ。それに、どう転ぶかは判りませんが、確かに精霊支配に対抗する事も出来るでしょう。ですが……私にはミンシアの姿をした者を倒すなど、出来無いのですよ。」
再び目を閉じ、ひとつ深い呼吸を吐くヴィンス。目を開いた後、体を半身にして背後の螺旋を示し、
「この先は、王妃の私室です。部屋は封印されていますし……私は妹に拒絶されているようですから、無理に押し入ってはいません。」
「ミンシアさんに……拒絶?」
「……世の兄妹、皆が皆仲が良い訳ではありませんからね。プライベートにまで容喙するのは嫌われましたよ。」
「そう言う……ものなの?」
エンジエルは、自らの境遇に思い巡らせた。あたしは兄さんと仲良かったわ。でも……
「少なくとも、私とミンシアは多少距離感のある関係でした。ですが妹です。愛していなかった訳ではありません。」
「ヴィンス……」
「部屋からは、何かしらの精霊の気配も感じます。もしかしたら、ミンシアに関する何か――カサンドラ攻略に繋がる何かがあるかも知れません。お願い出来ますか?」
「良いよ、ヴィンス。あたし、カサンドラが許せないもん。」
「己の手を汚さぬ者は何も掴めやしねぇ。」
碧い瞳が後を継ぎ、
「真の目的も、きっと果たせない。俺たちも、そして多分求道者とやらも、手を汚すだろう。」
「?」
不思議そうな顔をするエンジエル。そんな天使からふたりの死神へ視線を移し、
「覚えておきましょう。……それでも、これが私のやり方です。数百年続けた習性、そう簡単には変わりません。」
言ってヴィンス、壁へ向かって歩き出す。
「では、失礼します。吉報をお待ちしますよ。」
そのまま、壁の中に消えて行った。
「んなっ!」
すぐさまヴィンスが消えた壁を弄り、種も仕掛けも無い事を確認したエンジエル。
「……この壁の向こうって、あたしたちが入って来たのと反対側だから、何も無いわよね。隠し扉があったとしても、その先は……」
「姿は見えていたけどな。あれが本物のヴィンスかどうかすら怪しいもんだぜ。」
「え!?」
「言われてみれば、少し気配が薄かったか?まぁ、何かしらの魔法を使っていたのかも知れないが、話していたのが幻像だったのか。壁の中に消えて見せたのが幻覚なのか。良く判らないな。」
「……まぁ、奇術じゃ無い事だけは確かね。」
「さて、エンジエル。」
デュースは、言葉を掛けながら螺旋の上を仰ぎ見た。
「えぇ、行きましょうか。あたしたちで、何とかしなくちゃね。」
階段を上がった先、そこには豪奢な装飾の立派な扉がそそり立っていた。意匠のモチーフは花のようで、ただ華美なだけで無く女性らしい繊細さや可愛らしさも感じさせる。金細工の把手を一応回そうとしてみるも、まるでびくともしなかった。これも念の為、エンジエルは罠感知や鍵開けを試みるも、何の手応えも無い。
「やっぱり駄目ね。……封印かぁ。ようやくこれの出番、って事ね。」
背中のリュックから取り出したのは、ひと振りの短刀。城門を開ける為、大金を叩いて用意した希少な魔導器だが、求道者たちに先を越されて、使わず終いだった破魔の短刀である。
「庭の塔の方には使えなくなっちゃうけど……良いよね。」
「そうだな。一回限りの魔導器だから仕方無い。やってくれ。」
「うん、判った……、……、……で、どうやるの?」
魔導器、などと言う物に触れる機会など、普通の人間にありはしない。今日まで魔法と奇術の区別が無かったエンジエルに、判るはずも無い。
「そうだな。……この場合、封印は見えない壁のようなものだ。そして、そいつは魔導器とは言え、見て呉れ通りの短刀だ。斬れば良い。物理的なものじゃ無いから、多分刃で撫でるだけでも効果はあるはずだ。」
知識として知っているからこそ、デュースは過去にいくつか魔導器を所有し、使用した事もある。同一の魔導器こそ使った経験は無いものの、何と無くは理解出来た。
「そ、それじゃあ……えいっ!」
エンジエルは、軽く短刀の刃を扉へ添えて、す、っと横へ薙いでみた。すると、キーン、と微かな高音が耳鳴りのように響き、次いでシャーン、と何かが割れるような音が耳朶を打った。目に見える変化は無かったが、確かに封印は破れたのだと、確信するには充分だった。
「……これで、良いみたいね。」
すでに力は失っているだろうが、一応短刀を仕舞ってリュックを背負い直し、もう一度黄金に輝く把手を回してみる。王族に見合ったこしらえ故か、小さな音すら立てず静かに回り、蝶番の音もせず扉も開いた。
エンジエルは強烈な何かが部屋から飛び出し、全身を擦り抜けて行った気がした。髪の毛ひとつも揺れていないので、実際には風など吹いてはいないのだが、それは百年籠り切りだった部屋の空気か、はたまた百年分の怨念であったろうか。
「良し……入るわよ。」
意を決して、エンジエルは開かずの扉を潜り抜けた。
部屋の中は、妙齢の女性の私室と言うより、何某かの研究者の仕事部屋のようだった。机や椅子、書棚の造りは豪勢であるが、一見しただけでは何の本か判らぬような難しい本が大量に収蔵され、何冊も机の上に乱雑に積み重なっている。右手にふたつほど扉が見え、仕切られた先にも部屋がある事を窺わせた。多分、どちらかが寝室なのだろう。硝子窓は書棚で塞がっていて、部屋の中は薄暗い。しかし、オイルランプに灯が灯っており、蜜柑色に辺りを照らしていた。いくつも花瓶が飾られ花に溢れているのが、唯一の女性らしさと言えるかも知れない。
「……永い間封印されてたのに、灯りが点いてる。それに、お花も枯れてないわ。ううん、むしろ今朝摘んで来たくらい、瑞々しい。何でだろ。」
エンジエルは、手近な机の花瓶を眺め、顔を近付けてみた。香しい香りが鼻腔をくすぐる。
デュースは、手近な本を手に取っては、その内容を確認していた。その姿を見たエンジエルも、デュースに倣って本に目を通し始める。
「あら、こんなところにもあったわ、ウィッチ・フォレストのカサンドラ。やっぱり、有名なお話なのね。」
それを耳にしたデュースが応える。
「確か、子供を脅かす類いの話だったな。」
「そうそう。子供を捕まえて鍋で煮ようとしたり、大きな黒犬を村人にけしかけたりするのよね。」
「その上、退治に向かった騎士や勇者、英雄たちも返り討ち。救いの無い話だ。」
「だからカサンドラは今も魔女の森にいて、夜遅くまで起きてるような悪い子を攫いに来るぞ!って脅かすのよね。」
神妙な顔をしてデュース、
「カサンドラは今も、か……まさかな。」
「まさか?……まさかぁ!?」
しばし視線を合わせたまま固まるふたり。ふ、と優しい微笑を浮かべたデュースに、思わず見惚れるエンジエル。
「エンジエルが良い子にしていれば大丈夫だな。」
「ちょっ、ちょっとぉ。あたしはもう、子供じゃ無いわよ!」
言って心の中で、あたしはもう子供じゃ無いのよ、と意味深に繰り返した。
「しかし、わざわざその本を引っ張り出していたんだ。さっきのヴィンスの話もある。そのまさかは、あながち間違ってはいないのかもな。」
「……数百年どころか、ずっと、ず~と、体を乗り継いでウィッチ・フォレストのカサンドラが生き続けて来た……」
思わず身震いし、エンジエルは本を閉じた。
その後ふたりは、ひと通り部屋の中を物色するも収穫は無く、次いで隣の部屋へと移動した。右側の扉の先は衣裳部屋で、豪奢なドレスや宝飾類が所狭しと並べられていた。思わず目を輝かせたエンジエルだったが、デュースに促されてすぐにも部屋を後にする。さすがに、カサンドラ攻略に繋がる何かがあるとは思えなかったからだ。ダイ・オフも、特に魔力の類いを感じていなかった。
残る左側の扉は、寝室へと繋がっていた。天蓋付きの荘厳なベッドが部屋の大部分を占めたが、傍らにはチェストだけで無く小さな書き物机も据えられていた。さすがに寝室には書棚の壁は無く、カーテンの開かれた硝子窓から陽差しが射し込み、室内は明るかった。
「……」
デュースが部屋の入り口で困り顔をしている事に、エンジエルは気が付いた。
「あれ?……どうかしたの?」
「ん、いや……女性の寝室だからな。ちょっとな。」
「あら。誰かさんと違って、デュースはやっぱり紳士ね。判ったわ。女は女同士。あたしが調べてみる。」
「あぁ、よろしく頼む。」
調べると言っても、目星は付いていた。何かあるとするなら、ベッドサイドチェストの中か、書き物机の引き出しだろう。そう思い、書き物机の引き出しに手を掛けたところ、果たしてそこに鍵は掛かっていた。女性の寝室の引き出しに鍵。完全なプライベートだ。デリカシーのあるデュースなら、それと判っていても躊躇してしまう代物であった。
「……良し。悪いわね、ミンシアさん。開けるわよ。」
エンジエルも多少躊躇して、しかし腰の七つ道具から手早くピッキングツールを取り出すと、かちゃかちゃと数秒で抉じ開けた。この手の錠は簡単な構造だ。
そうして覗き込んだ先には、一冊の日記帳。こちらにも、小さな鍵穴が開いている。乙女の秘密。それがそのまま形を成していた。
「……えぇい、ままよ!ここまで来て、読まない訳には行かないわ。」
こちらも簡単に開けると、エンジエルは心の中でミンシアに謝りながら、その頁を開いて行った。
デュースが寝室へ入って来ないので、元の部屋へ戻って適当な椅子に腰を下ろし、ひと通り日記に目を通したエンジエルは、その内容を掻い摘んで説明し始める。
「……この日記は、確かにミンシアの物ね。王妃になった頃の事が書いてあるわ。でも、相手の王様の事はひと言も書いてないの。不思議ね。それから、ヴィンスの事も書いてあるけど、どうも無理やり連れて来られたみたいで、口論が絶えなかったみたい。故郷を懐かしんで、昔みたいに仲良くしたい、って書いてある。」
「……」
「そして、仲の良いカサンドラ将軍の事。でも、このカサンドラは男性よ。……このカサンドラがあのカサンドラなのよね。随分仲の良い――ううん、まるで恋人同士みたい。でもミンシアは、王妃様でしょ。」
「……何かに利用しようとして近付いたのか、端から殺して体を奪うつもりだったのか。この城では、王の魔力が人を狂わせる――か。」
「?……どう言う事?」
「王などいない。と言うと少し違うが……まぁ、追々判るさ。すまないがエンジエル、日記を貸してくれるか。」
日記を手渡しながら、
「どうするの?」
「少し違う視点で読んでみるよ。誰かに読まれる事も考慮して、暗号などを紛れ込ませているかも知れないから。」
「あぁ、そう言う事。そうね。あたし、ミンシアの気持ちに入り込んで読んじゃってたかも。注意深く探ってなかったわ。」
「俺とダイ・オフ、ふたりで同時に目を通してみる。気になる箇所が違うかも知れないからな。」
そうして、片手しか使えぬので机の上に日記を開き、改めてデュースとダイ・オフが読み始めて暫時、
「なるほど。多少不自然だとは思ったが、お前の言う通りだ。」
「何々?何か判ったの?」
「あぁ、ある本の名前が繰り返し出て来るんだ。日記を読むのは自分くらいだろう?一々、本の名前なんて書く必要は無い。それをわざわざ繰り返し書き残すのは、備忘録代わりか……誰かが読む事を想定したものか。」
「なるほど。敢えて気付いて貰う為の、キーワードみたいなものね。それで、何て名前の本なの?」
「精霊使いに見えない精霊。……何とも意味深なタイトルだな。」
「そうね。その本を読めば良いって事かしら?早速探しましょ。」
すぐさま捜索に取り掛かると、入り口から見て左手側の壁にすらり並んだ書棚。その一番奥にある書棚の最下段右端に、程無く目的の本を発見する。エンジエルは本を抜き出し、タイトルを確認した後、適当に本を開いてみた。癖になっていたものか、とある頁が自然に開いた。
「え~と……広く知られた精霊たちとは異なり、万物に宿るとされる精霊の中には、精霊使いすら知らぬような雑多な精霊が存在する。」
中身は共通語で書かれていた為、エンジエルは声に出して当該頁を読んでみた。
「そのいくつかは、精霊魔法が発動して初めて姿を現す精霊である。魔法の特性次第では、術者すらその姿を確認出来無い精霊も存在する。その代表的な精霊が、時の精霊である。普段、どこにでもいて目に見えず感じる事さえ出来無い彼らを、その場に縛り付けるのが時の封印。彼らの姿を見られるのは、時を止めた術者では無く、時の封印を破りし者だけである――だって。これが手掛かりになるのかな?」
そう声を掛けたエンジエルだが、相手であるデュースは傍におらず、書棚の隅を覗き込んでいた。
「どうやら、本そのものが手掛かりだった訳では無さそうだ。」
デュースは少し無理な姿勢で、書棚の奥に左手を突っ込んだ。すると、数ある書棚の内、真ん中辺りの書棚が扉のように開いて行った。
その様子を確認したエンジエルは、書棚自体が扉となって、もうひとつ部屋が隠されていた事を確認した。
「なるほど。考えてみれば、円形の塔内の部屋なのに、こっち側の壁は真っ直ぐだわ。反対側は衣裳部屋と寝室になってたんだから、こっちにも空きがあった訳だ。」
「開く時、振動も音もしなかったな。これも魔法なんだろうが、だからこそ、ミンシアの秘密の部屋は誰にも知られなかった。」
エンジエルの横まで来て、デュースも隠し部屋を確認する。
「ミンシアの秘密の部屋……何だかえっちね。」
「……。エンジエル、そこのランタンを取ってくれ。」
さすがに隠し部屋。窓は備わっておらず、部屋の中は真っ暗だった。隠し部屋が目立たぬように、空間も広く取っていない。入ってみれば、円形の塔の曲線部分に、机と椅子をひと組み設置するのがやっとの広さだ。そして、その机の上には、一冊の日記と、親指大の小さな人形――騎士を模った人形が置いてあった。
「……また日記ね。あたしが読もうか?」
「ふむ……いや、ここまで来たら、四の五の言っている場合じゃ無いだろう。俺が目を通してみよう。」
そうして、デュースが日記の頁を捲ると――強烈な光が部屋中を満たし、ふたりは思わず目を細めた。その不確かな視界の中で、三人は小さな少年の姿を目にする。
「復活!ふぅ、やれやれ。非道いやミンシア。気持ちは判るけどさ。あれ?ねぇ、ミンシア。どこだい?ねぇ、ミンシアー。」
その小さな少年は、背中の翅をきらきら輝かせながら、くるくる空中を舞った後、壁へ向かって飛んで行き、そのまま消えてしまった。少年が消えると光も消え、ふたりの視界も元に戻る。
「……今の……何?」
「何かの精霊、だろうな。……時の精霊?まさかな。」
「まさかって、どうして?」
「うん?あぁ、時の精霊と言うのは、かなり珍しい精霊なんだそうだ。時間なんてものは人間、いや、神や悪魔でも簡単にどうこう出来るようなものじゃ無いから、優秀な精霊使いであっても、時の精霊なんて使役出来無いと言う話だ。そもそも、時の精霊と会う事すら難しいらしい。」
「……精霊使いに見えない精霊。さっきの本にも、珍しいって書いてあったわね。」
「あぁ、そんな本があったくらいだから時の精霊かとも思ったが……俺達には、あれが何の精霊かなんて判るはずも無い。とにかく、日記に目を通してみよう。」
デュースは、開いた頁に目を落とした。
「……こちらの日記も、ミンシアの物で間違い無いな。予定通り、王妃となった。だけど、昔の兄さんなら私にこんな事を頼んだりはしなかったろう。過ぎた野心は身を滅ぼす。心配だ。救いはカサンドラ。彼はまるで、同性の親友のように心を許せる。……いいえ、嘘ね。私、彼に惹かれてる。でも、未婚の身とは言え王妃なのだから、慎まなければならない。それに、彼の中にも野心が見える。兄と彼が争う事態になったら、私はどうすれば良いの。」
「……うん?王妃なのに未婚なの?」
「……続けるぞ。あぁ、カサンドラ。貴方がくれたナイトの御守り。これを貴方の愛の証と信じて良いの?それなら私は、貴方に付いて行きたい。」
ちら、と机の上の騎士の人形を見やり、
「これがナイトの御守りだな。……貴女を護る。そんな想いが込められていたのかな?」
「何か……ふたりは良い感じじゃない?カサンドラはミンシアを殺していないのかも。」
デュースは頁を捲り――押し黙る。
「……どうしたの?」
「やはり、殺したのはカサンドラだ。ふたりが初めて口付けを交わした時、背中をひと突きされ死んだ――と書いてある。」
「……え!?書いてある、って……これって、その殺されたミンシアの日記でしょ?」
「あぁ……多分、彼女の血で書かれたものだろう。この最期の頁からは、俺ですら寒気を感じるほどの怨念が漂って来る。」
その時、ふたりは視界の隅で何かが動くのを捉えた気がした。
「!……み、見て……ナイトの御守りが……紅く……」
何かが動いた訳では無く、騎士の人形の頭の先から徐々に、暗褐色から鮮明な紅へと、まるで血が滴るように変色していたのだった。それを見たエンジエルは、涙が溢れて止まらなくなった。
「ミ……ミンシア……愛した人と結ばれて……幸せ絶頂の時にその愛した人に殺されて……辛い、暗い気持ちをずっと……ずっと忘れられなくて……」
「これだ。この怨念が、きっとカサンドラを倒す。……エンジエル。ミンシアは可愛そうだが、俺たちに出来るのはカサンドラの死を捧げる事だけだ。奴を倒そう。そして、ミンシアに安らかな眠りを。」
「……うん。見てて、ミンシア。必ず、仇を討つからね。」
決意のエンジエル。しかし、その涙が止まる事は無かった。それを優しく見詰める碧い瞳は、少女が泣き止むまでそっと見守った。