第三節
薄闇の中から光の中へ。痛いほどの眩しさにしばし目を細めていたふたりだが、すぐ明るさに慣れて来た。
城へと再びやって来たのは、まだ陽が天辺にある頃。大きな明り取りが並ぶ一階部分には、光と共に暖かな昼の空気が漂っていた。
エンジエルは、その明り取りがきらりと輝くのを見た。硝子だ。さすがに立派な城館だけに、窓には硝子が入っていた。
硝子自体は、魔法の恩恵篤かった昔の方が、広く普及していたと聞く。今では、魔法を使わず生成せねばならず、そのような高度な技術は、ドワーフの専売特許。
人間族の領域においては少数種族であるドワーフだけが作り、そもドワーフに求められる一番の製品は武具である。必然、希少品となる硝子製品は、貴族御用達である。
そんな硝子が惜しみなく使われた城館の窓は、見た目以上に贅を凝らしたものだったと見える。
エンジエルは、自宅において見慣れてはいた。しかし、父親や自分の部屋など極限られた場所にしか使われておらず、これほど多くの硝子窓が並ぶのを見るのは、初めての事であった。
「凄いわね。」
「あん?……何がだ?」
「窓よ、窓。全部硝子窓よ。さすが、ダイナスのお城ね。」
城館は戦城仕様な為、窓の位置は頭よりも高く、故に用途は明り取りであった。ダイ・オフは興味無かったからか、言われて初めて窓を見やった。
「……何だ、こりゃ。いくら何でも、これほどの数の硝子窓ってのは、異常だろ。」
「そうなの?でも、お城だよ。硝子窓くらい――」
「デュースが務めてたから、俺も城くらい見慣れてるがな。はっきり言って、硝子なんて贅沢品、城には必要無ぇから、むしろ見掛ける方が珍しい。しかも、こんな高い位置じゃ、貴族様に景色をお楽しみ頂く為の窓じゃ無ぇ訳だ。尚更、金掛ける意味が無ぇ。」
「そっか。それもそうね。」
そこでようやく、エンジエルは周囲を見回してみた。どうやらここは、廊下では無く部屋のようで、中央にはテーブルとソファが並び、応接間と言ったこしらえだ。かなり広く、部屋の奥には両開きの扉が――
「!っ……」
エンジエルは驚駭し、思わず上げ掛けた叫声を吞み込んだ。
扉の両脇に、兵士が立っていたのだ。まだ陽の傾きも少なく、採光の影になっていて良く見えないが、手に槍と盾を持った甲冑姿が、こちらを見据えるように仁王立ちしている。
「あ……あそこに、兵隊さんがいるね。」
「あぁ、いるな。」
ダイ・オフは、興味無さげに一瞥した。
「あぁ、いるなって……不味いんじゃない?地下牢から出て来たんだし、ちゃんとご挨拶とか……」
「必要無ぇと思うけどな。何だったら、お前がご挨拶してみちゃどうだ。」
「……、……あれ?……もしかして……」
繰り返しになるが、エンジエルは一流の盗賊である。例えば、背後にこっそり近付こうとする者あらば、その気配を察する事も出来る。だが、技倆は確かでも実践に乏しい。それから気配を感じぬ事に、ようやく気付くほどに。
それでも、恐る恐る近付いてみると、その兵士たちは見た目にもおかしかった。確かに姿形は兵士のそれであるが、薄暗がりを見通してみれば、肌が土気色をしており……いや、土で出来ていた。
「これ……アレクの土人形だわ。装備は本物だから、遠目には本物に見えるけど。」
エンジエルは、そっと土兵士の顔を覗き込む。
「……動かないみたいね。」
「そうか。気配がしねぇから、危険は無ぇと思ってたが。」
「アレクが死んで、動かなくなっちゃった、って事かしら。」
兵隊の兜を脱がせてみたり、腕を持ち上げてみたりしながら、
「こうなると、城内の使用人なんかも怪しいもんね。皆お人形さん、なんて事もあり得るかも。……ねぇ、デュースがお城入ってすぐやってたみたいに、あんたも気配とか探れるんでしょ。」
ダイ・オフは、何とは無しに辺りを見回し、
「……そうだな。人の気配はあんまり変わって無ぇぜ。何せ、ひとり減っただけだからな。だが、動くモノの気配ならかなり減ったな。お前の言った通りなんじゃねぇか。」
「皆お人形さん……」
「ま、その辺の事も聞いてみれば良い。」
言って、ダイ・オフも扉の方へと歩き出した。
「?……誰によ。」
それには応えず、無警戒に扉を押し開くと、そのままさっさと部屋を出て行く。
「ちょっ、ちょっと。待ちなさいよ。」
手にした兜を放り投げ、エンジエルも慌ててその後を追った。
部屋の外は大きな通路となっており、採光の明かりと動かぬ兵隊が変わらずふたりを出迎えた。興味が無い為その価値が判らぬ豪華そうな敷物を踏みしめながら、ダイ・オフは迷う事無く歩を進めて行く。
「ねぇ、どこ行くの?……あ、そう言う事。」
ここに来て、ようやくエンジエルにも感じ取れた。すぐ近くに、人の気配がある。ダイ・オフは、先の部屋からすでに感じ取り、その気配へ向かって歩いていたのだ。
「……謁見の間か。」
辿り着いた場所は豪奢な部屋で、その奥にある扉はひと際大きく、尚且つダイ・オフにもそれと判る、豪華な装飾が施されている。ここは、さらに奥にある空間への次の間のようだ。ダイ・オフが言うように、この先は謁見の間なのだろう。
中の気配が王様、とでも考えたものか、エンジエルは少し緊張した。対してダイ・オフは気にする風も無く、体ごと当たりその大きな扉を押し開いて行く。大きな軋み音を立てる事も無く、その大きさの割に軽く開いて行ったのは、豪奢なだけで無く精緻な仕事ぶりのお陰か。
開け放たれた扉の先には、広大な空間が広がっていた。何本もの大理石の柱が屹立しており、その柱に沿うように、動かなくなった土の兵士たちがずらり立ち並んでいる。その先、謁見の間の最奥は数段高くなっており、ふたつの玉座が並んでいた。右側の玉座の裏には、巨大な肖像画が掲げられており、柔和な顔立ちだが気品に溢れ、装飾も煌びやかな女性が描かれている事から、王妃の肖像と思われた。しかし、左側の玉座の奥には、何も掲げられていない。
件の気配は、その王妃の肖像の前にいた。玉座に左手を掛け、扉側に背を向けた格好で、王妃の肖像を見上げている。
ふたりは、ダイ・オフが先を歩き玉座の下までやって来た。
「誰か……いるわね。」
その人物が、こちらに気付いているのかいないのか。直接声を掛けるのでは無く、敢えて声に出した呟きで、エンジエルはこちらの存在を示してみた。
すると、背後からでは闇色の外套しか判らぬその人物は、振り返らずに答えを返した。
「ようこそ、剣士殿。お連れのご婦人も。」
言って、ゆっくりと振り返る。その姿は、自ら光を放つような美しい銀色の軽装鎧を身に纏った武人のそれで、だがひとつ、いやふたつ、特徴があった。
今は外套と一体となった頭巾は被っておらず、その黒髪が露となっているが、肌の色も髪ほどでは無いが黒く、両耳が横に長かった。明らかに、人間族とは違う種族と見て取れる。
「王に為り代わり、来訪、心よりお慶び申し上げる。剣士ダイ・オフ殿に、エンジエル嬢。」
「……何で名前を知ってるの?あたしたちは初対面のはずよ。えぇと……」
「これは失礼。私の方は、先程のアレクセイ将軍との遣り取りを見させて頂き、勝手に親近感を覚えておりました。申し訳無い。」
「それで?……お前は何者なんだ。」
「ちょっ、いくら何でも失礼でしょ、ダイ・オフ!相手は将軍様みたいだし……」
「五月蠅ぇなぁ。さっきのアレク戦を覗き見してたような奴に、失礼も無礼も無ぇだろ。」
「……確かに、そんな事言ってたわね。」
エンジエルは、目を細めるようにしてその将軍を見やる。
「これは、とんだ失礼を。しかし、お許し下さい。」
そこで、丁寧に一礼し、
「それぞれの将軍が治める領域には、干渉しない決まりなのです。地下はアレクセイ将軍の領域故、身を隠し様子を窺わせて頂きました。私はヴィンセント・ホロゥ。ご挨拶が遅れ、申し訳御座いません。私は、この謁見の間を始め、王の身辺と一階層を治める近衛将軍。よろしくお願い致します。」
さらに一礼。その物腰、言葉遣いは丁寧だが、へりくだり過ぎず、威厳が感じられる。
「そう、なら貴方はヴィンス将軍ね。貴方はアレクの奴とは違うと思って良いのかしら。」
それでも、その奥に胡散臭さを感じたものか、エンジエルは畏まった態度は取らず、気さくに話し掛けた。
「はい。私には、敵対の意思はありません。」
「今は、ってとこだな。言葉遣いは丁寧だが、闘気の方は随分乱暴じゃねぇか。」
「闘気?」
エンジエルは何も感じなかったが、ダイ・オフは何かを感じたものか。ヴィンスは一度、静かに瞬きをした。
「さすが死神殿、ですね。失礼。いささか昂り、闘気を抑え切れなかったようで。ですが、貴方の仰るように、今は敵対するつもりは御座いません。」
「……ま、良いけどよ。」
「それから、アレクセイ将軍の事、すでに死んだ身でもありますし、どうかお許し頂きたい。彼の暴挙にも、それなりの理由があるのです。」
「理由?」
「はい。王の予言がそれです。王は我々にこう言われた。いつか待ち望んだ御客人が来訪されると。と同時に、その御客人の未来の敵も現れると。」
「未来の敵?」
「はい。そして、貴方方より先にひと組み、来訪された方々が居られます。私共は彼らを御客人と考えた為、後から現れた貴方方を……」
「敵と思って攻撃して来た、って事?」
「はい。」
「それじゃあ、ヴィンス。あんたは何故、ここにいる?敵と仲良くお喋り、ってのは、不味いんじゃねぇか?」
ヴィンスは目を閉じて、
「……その敵ですが、本当に貴方方の事でしょうか。」
「あん?」
「王の待つ御客人は剣士である。私共が聞き及んでいるのはそれだけです。先に来訪された方々を率いておられたのが、剣士でありました。それこそ、彼らを御客人と考えた一番の理由です。」
「ちょっと待って。それならデュ――ダイ・オフの方かも知れないじゃない。」
す――とヴィンスは目を開け、ダイ・オフを見やる。
「はい。強い剣士と言うなら、ダイ・オフ殿かも……デュース殿かも知れない。」
「ゔ……」
そう言えば、アレクとの遣り取り見られてたんだっけ。デュースの名を伏せた――伏せようとした事が無意味だったと、ここで気付いたエンジエル。
「うん?強い剣士?」
「王待望の御客人ですからね。それ相応にお強い事は当然です。求道者殿は、確かにお強い御方でした。」
「求道者さん?」
「王の予言によれば、来訪者は五人。求道者、愛人、信者、死神、天使の名で表す事が出来ると。おふたりは正に、死神と天使、ですね。」
「……そう言えば、アレクもあたしたちの事、天使とか死神って呼んでたっけ。」
「それで、ヴィンス。何であんたがそこまで話してくれんのか、まだ良く判らねぇな。」
「簡単な話です。貴方もまた強い剣士だと知ったからですよ、死神殿。貴方方の方が、御客人かも知れない。」
「でも、そうじゃ無いかも……」
暫し沈黙がその場を支配し、後、ヴィンスはゆっくり背を向けた。
「はい、判りません。ですが、このダイナスの城。弱き者に王が謁見を許すほど、甘くはありません。」
「答えは、自ずから現れる。それがお前の考えと言う事か、ヴィンス将軍。」
「えぇ、まぁ……そんなところです。」
少し気の抜けたヴィンスの返答に、エンジエルはその視線の先を辿ってみる。どうやらヴィンスは、壁に掛けられた肖像画を見詰めているようだ。
ややあって、エンジエルのそんな素振りに気付いたものか、ヴィンスは独り言つように、それでいてエンジエルに語り掛けるように、
「……美しい絵でしょう。王妃の肖像画です。……今は亡き王妃のね。」
「え?えぇ、そうね。とても綺麗な人……え?!亡くなった?」
その言葉にヴィンス。半身に振り返って、意外そうな顔でエンジエルを見やり、すぐに肖像画へ向き直る。
「そう、確かに綺麗ですね……。……。この先、二階へ上がると、もうひとりの将軍と出遭う事になるでしょう。彼女には、お気を付け下さい。」
「彼女?と言う事は、女将軍なのね。」
「えぇ……今は、とても美しい女性です。」
今は、と言う部分に、ダイ・オフは引っ掛かりを覚えたが、敢えて突っ込んで聞いてみようとはしなかった。多分、この男の種族の問題だろう。この時は、そう考えたのだった。
「彼女はきっと、貴方方と敵対するでしょう。」
「え、何で?もしかして、その求道者とか言う人をお客さんとして認めちゃったとか?」
「いえ、彼女にとっては、皆敵なのです。王の客人ともなれば、自分にやられるような弱き者であろうはずが無い。ならば、城へ来訪する者全てと戦ってみれば良い。だそうです。」
「う~ん、何とかお話出来無いかな。」
「さて。無駄とは思いますが、何とも。」
そこで、ヴィンスは肖像画を眺めるのを止め、ふたりに向き直った。
「どうも、挨拶が長過ぎましたね。私は一度、この辺で失礼させて頂きましょう。」
「え?!もう行っちゃうの?ほら、まだ色々……王様の事とか聞きたいし――」
「追い追い判る事です。またお会いしましょう。……デュース殿とは、またその時に。」
そう語る最中から、ヴィンスの姿はその色彩を失って行き、気付くと姿が消えていた。気配も完全に断たれた。
「……嘘……消えちゃった……」
「……。……今の男は何者だ?」
エンジエル振り返り、まじまじとその顔を覗き込むと、
「……デュース?あぁ、良かった。やっと目を覚ましたのね。」
先程までダイ・オフが立っていた場所に、今は碧い瞳を湛えた男が立っていた。気怠げな表情だが、少し無理をしてエンジエルに優しく微笑み掛けた。少女は思わず赤面する。
「ダイ・オフが優しくてね。もう大丈夫。心配してくれて、ありがとう。」
「や、やぁ~ねぇ~。当り前じゃない。」
「けっ!……デュース、本当に話すのか?俺は反対だぜ。」
機嫌の悪いダイ・オフの様子に、エンジエルは首を傾げた。
「どうかしたの?」
「いや。……必要だと思うんだ。いつまでも過去から逃げる訳には行かないし、少なくとも、エンジエルはもう旅の仲間だ。」
その言葉に、きゅっと唇を窄めたエンジエル。旅の仲間。ただの仇じゃ無くて仲間と言って貰えたのは嬉しいけど、何故かしら。ちょっと寂しい。その理由をまだ明確に意識出来無い、10代の少女であった。
「知っておいて欲しい。俺たちの真実を、俺自身の為に。」
気持ちが少し沈んでいる事に気付いたエンジエルは、理由が判らない落ち込みを振り払うように、空元気を出した。
「そうよ!あたしはダイ・オフの首を狙ってるんだから、これから先もずっっっと一緒にいるのよ。でしょ?」
「ふん、勝手にしな。エンジエルはお前の連れだぜ、デュース。俺様とは相性悪くて疲れるんだ。しばらく休ませて貰うぜ。」
「いぃ~だ。」
人差し指を口の端に引っ掛けて、横に引っ張る仕草のエンジエル。歯並びも綺麗である。
「俺が負担を掛けたからな。……俺自身の為さ、ダイ・オフ。」
「……」
もう、紅い瞳は応えない。本当に疲れて、眠ってしまったのだろうか。それとも、ふたり切りにさせようと配慮したものか。
ややあって、エンジエルは静静と声を掛けた。
「話ってさ……エミーリアさんの事とか……」
「……順を追って話そうか。ある、悪魔と呼ばれた少年の話だ。」
雲が太陽を隠したものか、謁見の間は薄暗くなっていた。
ふたりは玉座前の段差に、横に並んで腰掛ける。ふと、斜めから見るデュースも美形だ。などと、思わず考えたエンジエルは、居住まいを正して話を聞く態勢を整えた。
「少年は、デュースと言う忌み数を、名前として父から授かった。その父は死んだと聞かされていて、会った事も無い。その少年には、母と兄がいた。兄は母の連れ子で、少年とは異父兄弟となる。だが、その少年には優しい家族だった。幼馴染の女の子と家族だけが、少年の味方だったんだ。」
デュースは、まるで遠い故郷を見詰めるように、正面を向いたまま淡々と語る。
「その女の子が……エミーリアさんね。でも、何で、その……他の人は味方じゃ無いの?」
「……父の所為さ。実はまだ、少年の父親は死んではいない。妻子を捨て故国へ帰ったのさ。……魔界と言う名の故国へ。」
「魔界?……どう言う事?」
「少年の父親は、魔族だったのさ。つまり、その少年は……この俺は――人間じゃ無いんだ。」
……長い沈黙が下りた。だが、別にエンジエルは、デュースが魔族だからと何かを思った訳では無い。むしろ、魔族と言われても良く判らない。何しろ、現在魔族は、人間族の領域の遥か北に追いやられ、その魔界とやらに引き籠っているのだ。間違っても、人間族の領域内にあるディアマンテの街しか知らないエンジエルが、見知る機会などありはしない。
「……でもさ、ほら……。デュースのお母さんが愛した人なんでしょ。魔族かも知れないけど、きっと良い魔族よ。それにね。父親がどんな人だろうと、デュースはデュースでしょ。半分魔族でも、デュースは良い人だもん。魔族かも知れないけど、悪魔じゃ無い。……ま、ダイ・オフは死神だけどね。ふふ。」
また、しばらくの沈黙。デュースは正面を向いたまま、
「……ありがとう。今は、エンジエルが味方でいてくれる。」
「!……うん。あたし、ずっとデュースの傍にいる。」
言って、思わず涙が頬を伝った。悲しいのでは無く嬉しいのだが、何故か涙が溢れた。エンジエルは、それをぐいっ、と拭った。
「……俺は、父の事があって、村では悪魔と呼ばれ忌み嫌われた。母と兄、そしてエミィだけが、俺を人間扱いしてくれたんだ。」
「エミィさん……デュースの事が好きだったから?」
「さぁな。子供だったから、仲の良い友達を差別しなかっただけかも知れない。俺がエミィへの恋心に気付いたのも、村を出た後だったからな。」
「村を?」
「あぁ。さすがに、居心地が悪くてね。十二を過ぎた頃だ。俺が村を出れば、兄たちへの差別も収まるかも知れない。そんな子供の浅知恵もあった。」
「十二歳?!そんなに早く村を出たの?それで、どうやって生活してたのよ。」
あたしが十二の頃なんて、まだ親父も兄さんも仲良くて――あたしに合わせて、表面上は、だけど。……あたしは何にも知らずに、毎日幸せに過ごしてた。そんな己の境遇を思って、エンジエルはひと際驚いた。
「村では、親に感化された子供たちからも蔑まれ、毎日喧嘩ばかりしてたからな。腕っぷしには自信があったんだ。都へ行き兵役に就けば、喰いっ逸れる事も無い。俺が生まれ育った国は、昔は脅威だった魔族も魔界に引っ込んだ切りで、それなりに平和だったから、然程危険も無かったしな。」
「そっか。子供の頃から兵隊さんだったから、こんなに強いのね。」
「師が良かったのさ。ヴェサリア団長が俺を拾ってくれたから、何とかなったんだ。団長は師として厳しく、父として優しく接してくれたんだ。最初は、田舎から出て来た可哀想な少年を団長が贔屓していると思っていた連中も、俺が強くなった事で静かになった。まぁ、贔屓と思われても仕方無いくらい、団長は面倒を見てくれたしな。家族同然の扱いをしてくれて、だから城にも入れて貰えた。その時はまだ、ひとりで生きて行かなくちゃならないと思っていたから、何かの役に立てばと、本だけはたくさん読んだよ。」
「へぇ~、それで封印の事とか、色々知ってるのね。」
デュースは一瞬、ちらとエンジエルを見やり、視線を戻してから話を続けた。
「十五の頃には、団長の推薦で小隊をひとつ任された。……都で過ごした三年間が、俺にとって最後の幸せの記憶だ。」
ふう、と溜息を吐き、俯いて押し黙ってしまうデュース。
「……どうしたの?デュース。」
「……怖いんだ。本当の自分を知られたら、君に嫌われるんじゃないかと思うと……怖いんだ。その先の……本当の自分を……」
また沈黙が降りて来たが、それをエンジエルが破った。
「……あたしね、親父の本当の子供じゃ無いの。」
「え?!」
驚いてエンジエルを見詰めたデュースだが、今度はエンジエルの方が、デュースと眼を合わせぬように、正面を向いたまま視線を動かさない。
「ヴァルハロス兄さんが話してるのを、聞いちゃってね。あたしたち兄妹の本当の親は、ずっと昔に殺されたって。だから、本当の肉親は兄さんだけだった。それで、兄さんが殺されたって聞いた時、あたしが仇を討ってやる。そう決めたの。……もしかしたら、あたしの兄さんへの気持ちって、ただ妹が兄を慕う気持ち以上だったのかも。だってあたし、兄さんとの血の繋がりも疑ってた。親父がそうなら、兄さんだって……。でももしそうなら、あたしはひとりぼっちになっちゃう。この世に、本当の家族がいないなんて思ったら、寂し過ぎる。だから、信じるしか無かったの。あたしにとって、兄さんが全てだった。」
「……」
「あの時。ふたりが、サイサリスを倒してくれた時。ゼフィも死に、親父まで死んだって聞かされて、泣いちゃったでしょ。本当にひとりぼっちになっちゃったから。でもね。あの後家に帰って、全部焼け落ちて死体も何もかも灰になったのを確認したら、笑いが込み上げて来たわ。何故かって?仇が討てたからよ。」
「仇?」
「そう、仇。あたしたちの両親を殺したのは、他ならぬ育ての親、クロイツ・ディアマンテだったの。一方では親父と慕い、その死に涙を流し、裏では仇が死んだと笑って喜ぶ。あたしは、そんな汚らわしい女よ。」
「エンジエル……」
ぱ、とデュースを見詰めて、
「どう?嫌いになった?」
「え?!」
「あたしみたいな薄汚い女、嫌いになった?」
「そんな事無い!そんな事無いよ、エンジエル。」
「あたしだって、嫌いになんかならないよ!あたしは……あたしはデュースの事……大好きだもん。」
思わず吐露した自分の気持ちに、自分でも驚き声が小さくなる。
そんなエンジエルを慈しむように見詰め、思わず抱きしめたい衝動に駆られたが、デュースは自分の右手が剣で塞がり、左手が手甲で、胸は鎧で覆われている事に思い至った。これでは、抱き締める事はおろか、頭を撫でてやる事も出来無い。
手甲や鎧は仕方が無いとして、右手を剣から離せない事が異常な事なのだと、この逃避行が始まってより九年余。今初めて意識した。結局、あれから一度も追手など現れなかった。それでも、何時如何なる時も命を守れるように、剣を肌身離さぬように、こうして柄と右手を雁字搦めに縛り付けている。デュースにはこの右手が、自らの愚かさの象徴のように感じられたのだった。
「ごめん……ありがとう。」
代わりに、今出来る最高の笑顔をエンジエルへ向けた。それに、笑顔で応えたエンジエルの頬は熱かった。
「十五で小隊長に任じられ、併せて団長の養子として迎え入れられた俺は、家族を都へ呼ぼうと思って、一度村へ戻ったんだ。」
「……うん。」
「しかし、逢えなかったよ。家はもぬけの殻で、何故母と兄がいないのか、判然としない。聞く者聞く者で話が違うんだ。エミィの姿も無かったが、その理由もはっきりしなかった。……嫌な予感はしたんだよ。久しぶりの我が家からは、血の臭いがしたからな。戦場を経験したから判るほど微かに、血の臭いが……」
「血の臭い?!どうして、そんな……」
「答えは、その日の夜に判った。俺は仕方無く、そのまま我が家で眠る事にした。だが、夜半を過ぎた頃、炎の熱さに目が覚めた。」
「炎?!まさか!」
「家はすでに火の海だった。狭い家だったしな。すぐに火の手が回ったんだろう。手近な窓の木戸を上げると、そこから見えたのは家を取り囲む村人たちの姿だった。手に手に燃え盛る松明を掲げ、それを家へと投げ込んで……。それを先導していたのは、村長でもあったエミィの父親だった。」
デュースはそこで少し言い淀み、左手で顔を覆おうとして、がちゃりと手甲が鳴った。
「そして聞いたんだ!奴らの!あの悪魔共の言葉をっ!折角、悪魔の家族とその花嫁を殺したのに、悪魔自身が帰って来たのでは意味が無い!これ以上村に禍をもたらす前に、殺してしまえ!折角殺したのに。折角殺したのにだとっ?!ふざけるな!ふざけるなっ!俺が、俺たちが、一体何をした!何かしたかよ!?母を殺され、兄を殺され、奴は自分の娘まで殺した。俺の所為で、母さんも兄さんも、エミィだって殺された!俺が人間じゃ無いから。俺が普通の人間じゃ無い所為で!俺の!……俺の所為で……」
「デュース!ねぇ、落ち着いて。貴方の所為じゃ無い。貴方の所為なんかじゃ無いから。貴方は悪くないよ、デュース。」
「……、……、……ふぅ。すまない。もう大丈夫。……もう大丈夫だから。」
「デュース……ねぇ、もう止めましょうか?」
エンジエルに向けた精一杯の笑顔は、今にも泣き出しそうな顔に見えた。
「いや、聞いてくれ。聞いて欲しいんだ。……もう、本当に大丈夫だから。」
エンジエルの応えもまた、降り出す前の雨雲のよう。
「うん……聞かせて。」
「……実は、その先の記憶ははっきりしないんだ。次に意識を取り戻した時には、全てが終わっていた。……俺が、村人全員を斬り殺していたんだ。」
「!……そんな……」
「ダイ・オフは俺と違って、火に強いところがある。だから、炎の中から脱出して、村人を斬り殺したのは自分だ、と言っているが……多分、それは違う。ダイ・オフにも、その時の記憶は無いんだ。そして、意識を取り戻し、死体の山の上で泣き叫んでいたのは、間違い無く俺だったんだからな。」
「デュース……」
「理由はどうあれ、俺は罪人となった。すぐに追手が掛かると思ったから、必死で逃げたよ。」
「何で!?ちゃんと訳を話せば――駄目、よね……」
「あぁ、戦場とは違うからな。ただの大量殺人だ。何より、俺には罪の意識なんて無かった。家族を喪った悲しみさえもね。俺の中にあったのは、強烈な生への執着。死にたくない。ただその思いに突き動かされて逃げ続けた。……それが、さらなる罪へと繋がって行く……」
「さらなる……罪……」
ふい、とデュースは、またエンジエルから視線を外す。先程までより、もっと痛みを堪えるように顔を歪めて。
「三日三晩走り続けた俺は、ついに国境へ辿り着いた。さすがに、関を破るのは危険と森へ入ったが、追手はそんな事お見通しだった。」
「待ち伏せね。」
「あぁ、気付いた時には、すっかり周りを取り囲まれていた。そいつらは、口々に何かを叫んでいたが、俺には判らなかった。捕まれば殺される。その恐怖から、何も耳に入って来なかった。必死に逃げたが、ついに追手に左腕を掴まれた時……あまりの恐怖に、ダイ・オフが目覚めたのさ。」
「ダイ・オフが!?」
「実は、ダイ・オフが表に現れたのは、この時が初めてだったんだ。生まれたのはもっと子供の頃だと言う話だが、それまで一度も現れた事は無かった。ダイ・オフの方は、俺の事をいつも傍にいる友達として知っていたそうだが、俺はその存在に全く気付いていなかったから、吃驚したよ。それが、人格交代だと知ったのは、少し後だ。この事があってから俺たちは、どちらがスポットに出ていても、意識を共有出来るようになった。」
「人格交代……意識の共有?」
「ダイ・オフは俺を護る為、追手を斬り倒して行った。俺はと言えば、ダイ・オフの後ろで震えていたよ。俺はそのまま、眠ってしまった。ダイ・オフの方も、追手を全て斬り伏せると、眠りに落ちたそうだ。三日三晩の逃避行。そのまま、命の極限に追い込まれての死闘。体の方が、疲れ切っていて持たなかったんだろう。昼頃になって、俺の方が目を覚ました。そして、陽光の下、初めて追手の顔を見たんだ。……俺の小隊の部下たちと……それを率いる、義父タウロス・ヴェサリアの死に顔を。」
「そんな……」
そこでデュースは、右手の得物を高く掲げ、
「この両手剣は、その時義父の亡骸から奪い取った物だ。自らの罪の証に、と言えば聞こえは良いが……良い剣だと知っていたからな。愛しい者の亡骸すら、野に棄てて逃げたのさ。俺はその時にこそ、本当の意味で罪人になったのかも知れないな。」
「デュース……それは、仕方の無い事だわ。仕方の無い事……」
得物を肩に担ぎ直して、
「……あぁ、そうだな。俺も、そう考えるようにしているよ。」
そこでデュースは、重い腰を上げた。
「それからは、俺たちふたりで旅をしている。罪を犯した故国から逃げる為、そして生き続ける為に。」
エンジエルも立ち上がり、
「その為に就いた仕事が傭兵で、何時しか実力に見合った通り名が付いたのね。皆死に絶える、ダイ・オフって。」
斜めに構え、肩越しにエンジエルの表情を確かめるようにデュース、
「……嫌いになったか?」
「……ふふ、反対よ。もっと好きになったわ。あたしの秘密も話したし、貴方の秘密も聞いた。……デュースって紳士だから、ちょっと距離感じてたのよ。それが、縮まった感じ。……もう、ただの旅の仲間、じゃあ無いでしょ。」
「!……あぁ、そうだな。特別な仲間だ。これからは、ふたりでは無く三人の旅路だ。エンジエルの事は、俺たちが護る。」
「……うん、守って。これから先、ずっとね。……さ、さぁ、それじゃあ先へ進みましょ。レッツゴーよ。」
途中で、自分の言葉に恥ずかしくなったエンジエルは、わざと明るく振る舞いながら、くるり体を回転させた。
その時、ふとそれが目に留まる。ヴィンスが眺めていた、あの肖像画だ。
「本当に綺麗な人。やっぱり、王妃様ともなると違うのね。」
「ふ~ん……」
デュースは、エンジエルも負けていない、などと考えながら、別の事にも気付いた。確かに、美しい種族だと聞いている。だが、彼らは……
「あら、銘板に書いてあるのは共通語だわ。あたしでも読める。何々……ミンシア・ホロゥ、ダイナス王妃となる。なるほど、王妃になったお祝いに描いたって訳ね。……あれ?これ、おかしいわ。この日付だと、200年前に描かれたって事になっちゃう。だとしたら、何代か前の王妃様?今の王妃様を差し置いて、肖像画を飾ってるの?変じゃない?」
「エンジエル。行こうか。」
「え?えぇ、そうね。先に進みましょ。」
エンジエルは、もう肖像画の事は忘れた。それくらい、特段気に掛かるものでは無かった。だが、デュースは必要充分察した。ミンシア・ホロゥ。200年前。きっとそれは、現在に関わって来るのだと。
謁見の間には、入って来た大扉とは別に、奥へと続く扉もあった。目指すべき先は、そちらであると知れた。ヴィンスの話によれば、上階には敵が待つと言う。正に、敵意と呼べるものが、そちらより漂って来るのだった。
程無く辿り着いた豪奢な階段は、貴人が暮らす奥向きに相応しい佇まいであり、戦城然とした表向きとは勝手が違う。地下から上がって来て目にした硝子窓や敷物も高価そうに思えたが、こちらは格が違っている。どうやら、謁見の間を境に、兵が行き交い一般的な訪問者を迎える空間と、王たちが暮らし貴賓を迎える私的な空間とが、分かたれていたようだ。
謁見の間を過ぎてから目にする物は、どれも王侯貴族が好む上品なこしらえであり、すっかり雰囲気を異にしていた。
しかし、そのような雰囲気にそぐわぬ、戦場にでも迷い込んだような鬼気が、階段を伝って降りて来る。そこに待つのは、果たしてどのような女丈夫であろうか。