第二節
意気揚々と、まるでピクニックへの同行を許されてはしゃぐ貴族の息女のように、軽い足取りで再び森道を行くエンジエル。モンスターが出るような森で無用心とも取れるが、何もダイ・オフが全て斬って捨てるからと高を括っている訳では無い。
それがいると判っていれば、周囲を警戒出来る。盗賊や冒険者の技能の中には、危険を感知するものがある。何に警戒すれば良いか判然としなければ機能しないが、今はその対象が判っている。もちろん、個々人の能力で感知出来る得る危険の度合いも変わって来るが、無警戒でいるのとは雲泥の差だ。
一見すれば、能天気な娘が危険な森を無用心に歩いているように思えても、そこは本職の盗賊である。むしろ、敵の油断を誘う意味で、わざとそう振舞う事もあるのが芸達者。実践経験は浅くとも、エンジエルは一流の盗賊であった。
それが判っているからか、デュースもダイ・オフも何も言わない。そうして、傍から見れば森の散策のような道行き三十分。その危険感知に何者をも捉えず、三人は再び城へと戻って来たのだった。
「……門、開いてるね。」
先程進入を拒まれた高き門は、今完全に開き切って来訪者を迎え入れようとしていた。一見したところ、特に破砕の痕も見られない。自ら解き放たれたよう。
「……気に入らねぇな。」
「え?」
「気に入らねぇぜ、俺ぁよ。」
「……気に入らないって言ったって……良かったじゃない、これで入れるんだもん。……あたしだって、納得は行かないけどさ。」
ダイ・オフと替わり、城門の方を見やって思案していたデュースが、
「どうやら、他に客でもいるんだろう。わざわざ封印していた門を、中から開けるとも思えない。」
デュースが見た限り、門におかしなところは見当たらなかった――が、ひとつだけ、少し気にはなった。蟲の死骸だ。不自然なほど大量の蟲の死骸が、門の傍に落ちている。先程は無かったはずだ。
とは言え、ただの蟲の死骸である。そんなもので何がどうする事もあるまい。デュースには思い当たる節は無かった。
「客って……あたしたち以外に、冒険者でもいるのかしら。あ、そう言えば、道の途中で死んでたの、冒険者っぽかったかも。あいつの仲間?そいつらが封印を解いた?……でも、どうやって……」
エンジエルの方は、足元に散乱する蟲の死骸が、意識の中に入って来なかったようだ。多少数は多いが、珍しいものでは無い。それに、蟲と虫の違いなど、普通の人間は気付かない。気付きさえすればエンジエルには思い当たる節はあったが、むしろだからこそ、有り触れた光景として引っ掛かりが無かったのかも知れない。
「多分、魔法使いでもいれば、簡単な話なんだろう。」
「そっか、魔法使いね。……あ~ん、もぅ!だったら急がなきゃ、先、越されちゃうじゃない。」
小走りに門の中へと入り込み、振り返ってエンジエル。
「さ、レッツゴーよ。」
それを見詰めるデュースは、しばらくしてから少し微笑み、
「ふっ、そうだな。ここからが本番と言う訳だ。」
顔一杯の笑顔で返したエンジエルは、城へと向かい駆け出したのだった。
門を潜って城壁を超えると、そこには庭園が広がっていた。
城と言う物は、城壁のすぐ先に城館がある訳では無い。ひと度城門を破られれば、その先が戦場と化す。王が座す玉座までの間に、何重にも防衛線を張る必要がある。
高くそびえる城館自体もそうだし、もっと堅固な城は城壁すら幾重にもそそり立つ。そして、城門を抜けた先に広いスペースを設けておけば、そこに兵を配置出来る。故に、城門から城館まで、ある程度距離が開いているものだ。
一方、平時においては、正門は来訪者を迎える迎賓門である。その先が剝き出しの地面であっては、客を迎えるに礼を欠く。
有事に戦場と化しはしても、普段貴賓を迎えるに足る威容は持ち合わせていなければならぬ。大理石だろうか。綺麗な敷石が城館まで続いており、その周りを色取り取りの草花が彩りを添えている。
お伽話に出て来るお城ほど優美では無いが、城館自体さり気無い装飾や彫り物、意匠は精緻なもので、豪奢とは言えないが技術の高さが窺えた。
城館にも挟間を備えた戦城の様相を呈していても、一国の王が居を構える王城として、最低限の気品は醸し出していた。
そんな前庭に圧倒されながら、それでも周囲への警戒は緩めずに、エンジエルは城館へと歩みを進めた。
「静か――ね。誰もいないのかしら。……ううん、そもそもこの城って、人いるのかな?」
デュースは黙って、エンジエルの後に続く。
「……あれ?あたし、何言ってんだろ。封印されてたところに、人なんていないよね。」
「……いや。」
その言葉に、エンジエルは立ち止まって周囲をぐるり、見回した。
「人――いないでしょ?」
「……いや、人かどうかは別にして、何かはいるようだ。気配はする。」
「何かって何よ、何かって。それって、封印破った他の冒険者って事でしょ。」
エンジエルは、思わず巨大な蜂や動く死体を思い出し、少し身震いする。
デュースは、少し周りの気配を探ってから、
「……追々判るさ。それに、長老は城門が封印されている事を知らなかった。封印されたのは、ここ最近の話なんだろう。ならば、城の住人がいるはずだ。」
「あ、そっか。封印って言ったって、ずっと出入り出来無かった訳じゃ無いのよね。……それで、聞こえる?」
今度は、紅い瞳が気配を探って、
「……上、だな。もっと、城の高いところから聞こえる気がする。」
「いよぉ~し!それじゃあ、上を目指しましょ。」
勢い込んで城館入り口を目指し再び歩き出したエンジエルだったが、その城館入り口の大扉を前に、膝を突きがっくりと項垂れてしまった。
「……何よ、これ……」
「……こいつぁ、凄ぇな。」
ダイ・オフが感心するくらい、その両開きの大扉は異様だった。鎖と錠前。何本も何本もの鎖と錠前によって、雁字搦めに閉ざされていたのだ。
城館も城壁に劣らず高い建物で、一階部分は十mに迫り、入り口である大扉は三~四mほどはあろうか。扉の一部には勝手口のような小さめの扉も付いているが、そちらもしっかり閉ざされている。
エンジエルはよろよろと立ち上がり、手の届く範囲で錠前をいくつか確かめてみるも、すぐにその手を止めた。
「本当、何よ、これ。仮に錠前が全部普通の錠前だったとしても、一日掛かりよ。もし魔法が掛かってたらお手上げだし。……全部斬ってみる?」
「……止めておく。お前の言う通り、仮に全部普通の鎖、普通の錠前だったら、俺様にとっちゃ朝飯前だ。だがな、もし魔法が掛かってたら、ただの鉄を斬るのとは訳が違ぇ。いくら俺様の得物が魔法の剣とは言え、斬った反動でいくらか痛むだろう。この数だ。下手すりゃ、刃毀れじゃ済まねぇかも知れねぇ。こいつは、刃毀れ程度なら自分で直す優れ物だが、折れちまったら終わりだ。……一応こいつは、デュースの義父の形見だしな。」
「……。そうなんだ、ごめんなさい。あ、それじゃあ、破魔の短刀使っちゃおうか。」
「……駄目だな。デュースによれば、先の封印は全体でひとつの封印だったからそいつで壊せたが、この錠前ひとつひとつに魔法が掛かってたら意味が無ぇとさ。」
「あ~ん、もう!折角、城壁は超えられたのに、これじゃあお城に入れないじゃない。」
碧い瞳が、ぐるり周囲を見回して、
「どうやら、監視塔や兵舎は城館と繋がっていないようだ。」
城内の構造は城ごとに異なり、城壁に設えられた監視塔から連絡通路が本館と繋がっていたり、兵が常駐する兵舎が城館と内部で繋がっている事もある。しかし、ここダイナスの王城の監視塔は城壁に設えられた物では無く、前庭内に個別に建てられており、兵舎もそれぞればらばらに点在していた。見回した限りでは、城館と繋がった建物は見当たらない。
「取り敢えず、城館の周りを調べてみよう。他に入れる場所があるかも知れない。」
そうしてデュースは、城館に沿って右方へと歩き出した。
「一体、どうなってんのよ、この城。何から何まで、変なお城ね。」
他に手立ても無いので、エンジエルも素直にデュースの後を付いて行った。
城館正面から右手に進むと、程無くして行き止まった。前庭から後庭へと繋がっていたはずだが、城館が横へ広がり幅が狭くなったところを、瓦礫が塞いでいたのだ。
「あちゃ~、これじぁあ、先に進めないね。」
「……そうだな。」
デュースは瓦礫を見上げるも、ところどころ不安定で今にも崩れそうに見え、
「こいつを足場代わりに上へ、と言う訳にも行かないか。」
そうして、瓦礫に触れてみる。
「?……どうかしたの?」
「……いや、何でも無い。仕方無い。反対側へ回ってみよう。」
ダイ・オフが、多少の違和感を覚えていた。そこで、デュースが実際に触れて確かめてみたが、おかしなところは無かった――はずだった。
さすがに、それと信じた者には触れさせる事さえ出来る高度な幻術、などと言う魔法の存在など、知識だけで魔法が使える訳では無いデュースも、本物の魔法使いでは無いダイ・オフも、知る由も無かったのである。
取って返した反対側は、少し様相が違っていた。構造的にはシンメトリーだが、こちらは瓦礫で塞がれておらず、代わりにバリケードが築かれていた。かなりの量の木石で構成されており、ダイ・オフの炎で破砕出来たとしても、少々手間が掛かりそうである。
何より違ったのは、右手側には無かった東屋の存在であり、そこにはテーブルセットでは無く――見るからに宝箱然とした箱がひとつ置かれていた。
「……あからさまに怪しいけど、任せといて。」
今の目的は、城館内部への進入である。別に、ガゼボにも宝箱にも用は無い――が、お宝を目の前にして素通り出来ぬのが盗賊と言うものだ。デュースは無言を貫き、制止する様子は無い。
エンジエルは、その細やかな装飾が施された白亜のガゼボの周囲を、素早く回って確認すると、
「罠発見技能には自信あるの。」
そのまま無造作に宝箱へと近付いた。そして、今度は宝箱を念入りに調べ、腰のポーチから七つ道具のひとつ、鍵開けセットを取り出す。
「鍵は掛かってるけど罠は無し。良い?開けるわよ。」
デュースはエンジエルの背後へ回り、肩越しに宝箱を覗き込む。
「任せる。」
その言葉を合図に、鍵穴にピッキング用の道具を挿し入れて、四~五回かちゃかちゃと上下左右に動かすと、かちゃり、と錠の外れる音がした。
「良し、開いた♪」
その瞬間、ガゼボが消えた。周囲の地面と共に。それと信じた者は触れる事すら出来る幻影。その上に人が乗っている時、幻術が解除されたらどうなるのか。これは、そう言う罠なのだろう。
「何っ?!」
「え?」
人は宙を飛べない。如何に優れた体術を身に付けていようとも。然しものデュースも為す術は無く、罠は無い、と確信していたエンジエルは、言わずもがなであった。
建物を高く造るよりも、地下に深い空間を創る方が難しいのだろう。天井までの高さは、上物のそれよりも低かった。それでも、五mは優に超えるのだから、そのまま落ちては大怪我を負いかねない。
不意を突かれたとは言え、さすがのデュースは五mを軽く着地したが、カスタム・プレートががちゃりと大きな音を立てた。
対してエンジエル。宙空でくるっと一回転蜻蛉を切り、足音も立てず軽やかに着地を決め――ようとしたのだが、余計な軽業をひとつ挟んだ所為か、着地した後バランスを崩し、尻餅を搗いてしまった。
「痛ぁ~い!お尻打ったぁ。」
下手をすれば、着地で足を捻る程度では済まない高さだ。尻餅を搗いたとは言え、その軽業は大したもの。やはりエンジエルは、一流の盗賊なのだ――が、要らぬ事をして失敗する辺り、技倆は確かでも経験が足りない。と言う事なのかも知れないが、エンジエルの場合は、単にそう言う性格なだけの気がする。
などと考えながら、デュースは周りを見回した。どうやら、ここは地下牢のようだ。
天井にはぽっかりと大きな穴が開いており、そこから外の光が射し込んでいる為、牢内は薄闇の世界である。牢の外は、壁に篝火が揺れていて、蜜柑色の灯りが最低限の視界を担保していた。
「落とし穴のすぐ下が地下牢とは、中々洒落が利いた趣向だな。……針の山で無くて良かったよ。」
エンジエルは、埃を払うように、お尻をぱんぱんと叩きながら立ち上がり、ごくり唾を飲み込んだ。
「……そ、そうね。本当にそうね。……これからは、宝箱だけで無く、ちゃんと床にも気を付けるわ。」
しょんぼり項垂れるエンジエルに対し、
「ふっ、良いさ。余程の危険があれば、俺かダイ・オフが気付く。危険感知に関しては、盗賊以上に戦場に身を置き続けて来た俺たちに向く。ただの落とし穴だから、危険を感じなかったんだろう。」
一応ダイ・オフは、ガゼボ周辺に違和感を覚えていた。先の瓦礫の時と同様、魔力を感じる気がしたのだ。だからこそ、エンジエルの背後に回って、デュースにそれとなくガゼボに触れて貰った。しかし、触れた感じ、ただのガゼボに過ぎない。そう思えた。まさか、忽然と消え失せるとは。
「それに、これで先に進めた訳だ。悪い事ばかりじゃあ無い。」
「そ、そうよね。牢の鍵だったら、あたしが開けられる。……魔法、掛かってなければだけど……」
相応に、盗賊技能には自信があった。しかし、魔法が絡むとまるで役立たずだ。戦力にもならない。罠にまで引っ掛かる。これでは本当に、ただの足手纏いだ。ついつい、声も細くなる。
「……気にするな。どこへ行っても、ほとんど魔法なんかに御目に掛かる事は無い。魔法に関しては、俺たちですらお手上げなんだ。」
「う、うん……そうなんだけど……」
その時、こつこつと小さく響く足音に、三人は気付いた。何者かが、こちらへと近付いて来る。自然、三人はそちらへと注意を向けた。
「――お話し中のところ、失礼。」
まだ少し距離を置いて、気付かれたと判ったものか、そう声を掛けて来た。こつこつと歩み続けながら、
「手違いがあって悪かったね。それは、泥棒除けなんだよ。すぐに出してあげましょう。」
ゆっくりとした調子でそう告げた頃、その男は灯の中に姿を現した。フードを被っていて、この暗がりの中では顔は判らない。暗色のローブに身を包んでおり、お伽話に出て来る魔法使いのよう。
少し違うのは、杖を突いていない事と、ローブの上から銀の胸甲を着込んでいる事だ。胸甲と言っても、その装甲はかなり薄く見え、防御の為と言うより装飾の一部なのだろうか。とは言え、もしこれが魔法の胸甲であるならば、見た目より頑丈なのかも知れない。
男は、そのまま手にした鍵で解錠し、
「さぁ、これで良い。好きな時にお帰り頂いて結構。」
「は、はぁ、ありがとう御座います。あのぅ、貴方はこの城の人です?」
この薄暗闇だからか、相手がモンスターでは無く人間だと思っても、エンジエルは警戒を緩めない。
「これは失礼、美しいお嬢さん。自己紹介がまだだったね。私は、ここダイナスの地下領域を司る大地将軍。名を、アレクセイ・クロドコレクターと言う。」
「クロド……コレクターさん?」
「私は、土弄りが好きでしてね。少々変わった土塊を蒐集しているのだよ。元は貴族では無いのでね。そこから名前を取ったのさ。それに、呼ぶならアレクと呼ぶと良い。その方が、呼びやすかろう。」
「え、えぇ、そうね。それじゃあ、そうさせて貰うわ、アレク……さん。」
すっ、とアレクは右手を差し上げ、自らが来たのと反対側を指し示した。
「では、そちらへ向かうと良い。上へ上がる階段がある。」
「え?ちょっと。もう少しお話を……」
踵を返し、歩き始めながら、
「それでは、天使と――死神殿。……またな。」
「ちょっとぉ。ねぇ、アレクさん?……アレク将軍?」
こつこつこつ。アレクは、足を止める事無く歩み去る。
「……行っちゃった。」
エンジエルは、鉄格子へ近付き聞き耳を立て、
「……何か嫌な感じね。お城の事とか、ちょっと聞きたいだけなのに。それに……」
「あぁ、あれは丁寧な訳では無く、人を見下した態度だ。」
「やっぱり~。何か引っ掛かる言い方なのよね、あいつ。」
きぃ、と鉄格子を開け、デュースは通路へと進み出た。
「とは言え、取り敢えず言われた方へ向かうしかあるまい。目的地はもっと上なのだからな。」
「そうね。気を取り直して、上を目指しましょ。」
エンジエルはデュースの脇を擦り抜け、先んじて通路を歩き出した。ダンジョンと言う言葉通りの地下牢なのだから、先頭を行くのは盗賊の役目なのだった。
警戒しながら進む事数分、蜜柑色の灯りのその先に、階上へと続く石造りの階段が見えた。
「あった。これで上を目指せるね。」
素直に喜ぶエンジエルに対し、
「……いや、やはりあの男、何か企んでいるようだな。」
「?どう言う事?」
振り返って、デュースへ問い掛ける。
「良く見てみろ。階上へ上がるはずの階段にしては、暗過ぎるとは思わないか。」
言われて天井を見やれば、そこにあるのはただ暗闇のみ――天井に突き当たり、階上へは上がれなくなっている。
「あ゙?!何これ?これじゃあ上に、上がれないじゃん。」
つい、素で文句を言うエンジエルだが、素早く階段へ近付くと、周辺をつぶさに見て回る。階段の上まで上り、天井部分も調べて行く。こう言う時のエンジエルは、その真剣な表情がいつも以上に神々しさを増すようだ。やっている事は盗人のそれだが、まるで天使が戯れているかのよう。
そんな事を考えていたデュースの元に、一分もしない内にエンジエルは戻って来た。
「どうやら、あの天井は動きそうよ。本当なら、ちゃんとここから階上へ上がれるみたい。それが今は閉じてる、って事ね。」
「開けられそうか?」
「ん~ん、残念ながら無理ね。多分、いくつも歯車を噛ませて、遠くから操作する仕組みになってるみたい。」
「……石の天井では相手が悪い。その上、崩れて来たら危ない、か。」
「あぁ、ダイ・イフね。そうね。さすがに、力押しで何とかなる代物じゃ無いわ。」
「仕方無い。戻って、あの男を問い詰めるとするか。」
「全く、どう言うつもりなのかしら。落とし穴に落としておいて、地下牢には閉じ込めない。階段の場所は教えておいて上がれない。嫌な感じね。」
再度、エンジエルはデュースの脇を抜けて、ぶつぶつ文句を言いながらも歩き出した。
……魔法とは、何と脅威的な力だろう。一流の盗賊であるエンジエルのみならず、歴戦の傭兵であり、死地を何度も潜り抜けて来たデュースとダイ・オフにすら気取られず、その様子を窺う存在があろうとは。
「……あれが、天使と死神ですか。」
独り言ちたその影は、後を追うようにふっと消えた。
先の地下牢前を通り抜け、アレクが去った方へ進むと、直に鉄格子では無い扉が姿を現した。
エンジエルは素早く近付き、罠感知などを行った後、
「……罠は無いし、鍵も掛かってない――普通のはね。」
と、小声で囁く。エンジエルも感じているのだ。部屋の中にある、人の気配に。
「だろうな。すっかりお待ち兼ねのようだ。」
それに応えたデュースの声音は、いつも通りだ。
「そっか。それじゃあ、意味無いわね。」
エンジエルも、いつも通りの声音に戻す。アレクは、こちらに気付いている。気配を殺す意味など無い。
デュースは、エンジエルの肩に手を掛け少し脇へ退けると、
「行くぞ。」
扉を開き、先に部屋へと体を滑り込ませ、手早く様子を窺った。
部屋の中は、通路よりも薄暗かった。部屋はかなり広く、篝火の灯が充分役割を果たせていない薄暗さだった。それでも、壁や床が石造りなのは見て取れる。そして、部屋の中央付近に、複数の人影――
「……?!そんな馬鹿な……」
「え?どうかしたの?」
中央付近に横並びに三体、等身大の人形が立っていた。それを茫然と見詰めるデュースが、
「義父さん……母さん……、それに――」
「え?この土人形が、どうかしたの?デュース。」
その三体の人形は、人型ではあったがそれほど精巧な物では無く、一見して土塊で形だけ人間のように成型しただけの、土人形に見えた。いや、もし近くで目を凝らせば、その表面にびっしりと、見た事も無い文字や紋様が刻まれている事に気付いただろう。
「エミィ!」
デュースにエミィと呼ばれた、向かって左側の少女が、静かに目を開けた。
「エミィ……」
「デュース、久しぶり。貴方が元気で良かった。……父が……父が非道い事をしてごめんね。ずっと、ずっと貴方に謝りたかったの。」
「?!違う、違うよ、エミィ。君が謝る事なんて無いんだ。君は少しも、悪くなんか無いだろう?君が死んだのだって……」
「ちょっ!ちょっと、デュース!?」
「僕。そう、僕の所為だよ。僕が君を、殺したようなものだ。」
「ぼくぅ~?ね、ねぇ、どうしちゃったのよ、デュース。」
何も変わらず動きもせず、ただ突っ立っているだけの土人形に向かって様子のおかしいデュースに、エンジエルが呼び掛けるもその声はまるで届いていないようだった。
そして、今度は真ん中にいた女性が、目を開き静かに呼び掛ける。
「デュース……ごめんね、デュース。私が……私があの人と一緒になったばかりに、辛い思いをさせて。本当に、ごめんね。」
「止めて、止めてよ、母さん。僕は幸せだったよ、母さん。」
普段紳士であり、むしろ少し不愛想で他人に冷たい印象を与えるテュースだが、今は険が取れ、まるで泣き出しそうな子供に見えた。
「ごめんね、デュース。お父さんと一緒になればこうなるって、判っていたのに……判っていたのよ、デュース。」
「違うよ、母さん。母さんも兄さんも、それにエミィも、三人だけは僕を人間として扱ってくれただろ。嬉しかったよ、幸せだったさ。」
「……でも貴方は、村を出て行ったわ。」
エミィと母の声が重なって、最後の男性が語り出す。
「そして……そしてお前は軍へ、私の元へとやって来た。お前の才能に触れた私は、お前を引き取る事にした。」
「ヴェサリア団長……」
「お前の剣は、人に対する憎しみからとても乱暴なものだったが、強くもあった。そこに光るものを感じた私は、お前に剣を指南した。そして、剣士として強くなったお前は、いつしか剣を通じ語る事を覚え、仲間も生まれた。お前は、私の自慢の息子だった。」
「義父さん……」
「あれは、お前が私の養子となり、正式に騎士に取り立てられる事になった時だったな。これで、お前に対する村人たちの偏見も薄まるかも知れない。だから、家族に会って来ると、帰郷を申し出た。」
「そして!」
と、後をエミィと呼ばれた人形が引き取る。
「あぁ、そして父があんな事を……あんな事をしなければ……」
「ごめんね、デュース。本当にごめんね。」
母は、謝り続けている。
「何故だ?何故なんだ、デュース。私には、判らないのだよ。」
義父は、問い掛ける。
そしてデュースは、深く俯き小さな声で、
「ごめんなさい。」
「え?!」
あまりに弱々しく、か細く、今にも泣き出しそうなその声に、エンジエルは驚駭した。
そのままデュースは膝から崩れ、声を上げ泣き始める。
「うわぁ~ん、ごめんなさ~い!ぼく、ぼく……そんなつもりじゃ、そんなつもりじゃなかったんだよぉ。ごめんなさい、ごめんなさぁ~い!」
子供のように泣き喚き、嗚咽を上げ始めるデュース。
その光景が信じられず、エンジエルはあんぐりと口を開け、呆けてただ見詰める事しか出来無いでいた。
「ちぃっ!」
そんな時間が数瞬過ぎると、ひとつ舌打ちをして、デュースは勢い込んで立ち上がった。……いや、デュースでは無い。
「やってくれたな、クロドコレクター。」
その声に、はっと我に返ったエンジエル。
「ダイ・オフっ!良かった。あんたが出て来て嬉しかったのは、これが初めてだわ。ねぇ、これどうなってんの!?デュース、どうしちゃったのよ。」
「けっ、言ってくれるな、お嬢ちゃん。……聞きたいか?」
「え?!……それ、どう言う意味よ。」
「……ところで、エンジエル。お前には、あれがどう視えてる?」
そうして、ダイ・オフが指し示した右端の人形を見やってエンジエル、
「どうって……ただの土人形――」
エンジエルが注視すると、その土人形は僅かに身をよじり、エンジエルの方へ向き直った。刹那、それまでただの土人形だと思っていたそれが、エンジエルにはある人物に視えた。
「?!ゼフィランサス?」
驚いたエンジエルは、その人物をさらに良く視てみた。すると、もっと愛しい男の姿が浮かんで来た。
「まさかっ!……い、生きてたのね、兄さん。……ヴァルハロス、生きてたんだ。生きて……」
溢れる涙で、視界が霞んで良く見えない。だって、だって死んだと思ってた兄さんが、生きてたんだもの。涙を拭っても拭っても、次から次へと溢れて来て、もう前が見えなかった。
「なるほど。エンジエルには、死んだ兄貴たちに視えてる訳だ。おいっ、クロドコレクター。いるんだろ。出て来いよ。いつまで待っても、俺様は隙なんざ見えせねぇぜ。」
数瞬あって、こつこつこつと足音が響き、人形の裏手にひとつの影が滲み出した。
「そこにいやがったのか。」
「最初から、隠れてなどいないがな、傭兵。……しかし、どう言う事かな。貴様の心は、すでに壊れたはずよな。そこな娘は反応しているし、私の兵隊に問題は無いはずだが。」
「残念だったな。俺様は別なんだ。痛くねぇ訳じゃ無ぇが、これこの通り、平気だぜ。俺には斬れるからな。」
アレクは、驚駭の表情を浮かべ、
「面白い。ふたりいるのか。しかし、何人いようと関係無い。貴様にも視えているはずよな。切れるだと?心に棲む者を切れるものか。そんな事が出来る者は、人では無いぞ。」
その瞬間、ダイ・オフはひと息に距離を詰め、真ん中の人形を袈裟に斬り伏せた。
「デュース?!」
母と視えた人形は、床でただの土塊と化した。
「馬鹿なっ?!あり得ぬ話だ!」
「アレクセイ・クロドコレクターっ!」
鬼気迫る表情で詰め寄る死神に気圧されたアレクは、
「くぅ!ラヴァーよ、行けい。」
その声に、エミィの姿をした人形がダイ・オフへと迫り、ダイ・オフが痛い表情でそれを斬り伏せる間に、アレクは奥の扉の前まで身を引いた。
「ふふ……ふはは、貴様それでも人間か?ふ、私が言うのも変かな。……次は殺す。」
捨て台詞を残して、アレクは部屋を出て行った。
舌打ちでそれを見送ったダイ・オフは、残る義父親をも斬り伏せ、しばし呆と立ち尽くす。
「兄さん、兄さん、兄さん……。あれ?……兄さん?」
その場でくずおれ、ぶつぶつ呟き続けていたエンジエルは、徐々に意識が覚醒して来て、正気を取り戻した。
その様子に気付いたダイ・オフは、ひとつ深く息をしてから、
「正気に……戻ったかい?」
声のした方へ顔を向けたエンジエルは、そこに立ち尽くす男の頬が、濡れ光っているように見えた。
「……涙?デュースなの?……いいえ、ダイ・オフね。……何かあった?」
「……いいや、昔の家族を斬っただけだ。」
「家族……それって、デュースの?貴方の?……いいえ、多分――」
ダイ・オフは背を向けて、
「そう言えば、お前が視たのは死んだ兄貴たちだったみたいだが……父母の名は呼ばなかったな。」
その言葉に、エンジエルははっとなって、二の句が継げなかった。
「ま、良いさ。人それぞれだ。俺もお前も、な。」
拒絶の言葉に、黙り込むしかないエンジエルであったが、ひとつだけ、ひとつだけどうしても聞きたい事があった。
「……、……エミィって……」
「あん?」
「エミィって、誰?」
ダイ・オフは、しばし黙考し、ぼりぼり頭を掻いた後、
「はぁ、ま、良いだろ。エミーリアだ。幼馴染って奴さ。そして俺たちの……初恋の人かな。……だが、もう死んだんだ。関係無ぇ。」
「でもさ……」
「関係無ぇ!……お前が気にする事じゃ無ぇよ。」
そのまま振り返らずに歩き出し、アレクが姿を消した扉を潜って、ダイ・オフは部屋を後にした。
ひとり取り残されたエンジエルは、
「ごめん……でも、気になったのよ。」
ダイ・オフが消えた扉に向かって話し掛けるようにして、独り言ちた。
「そう言えばさっき、あんた、父母がどうのって言ってたっけ。……あんな奴!クロイツの奴なんか親父じゃ無ぇ!……親父じゃ……無かったんだよ、ダイ・オフ……。デュース!そう、デュースはどうしたのよ。ねぇ、ちょっと待ってよ。」
落ち込み一転、空元気に声を上げると、エンジエルも後を追って、部屋を出て行った。部屋には、すでに土塊と化し、その機能を失った三体の元人形が転がるのみ。そこに、ひとつの影が滲み出る。薄暗い部屋の中、尚暗い肌をした、フードで顔を覆った影である。その影は、薄暗い部屋にあっても自ら光を放つような、美しい銀色の軽装鎧に、闇色の外套を纏っていた。
「兄さん、ヴァルハロス――か。ふふ、面白い。」
その影は、不敵な笑みを零しながら、徐々にまた闇へと溶けて行った。
扉の先は通路となっており、しばらくは真っ直ぐ続いているようだった。
エンジエルが後を追って部屋を出ると、少し先で背中を向け、ダイ・オフは待っていた。背中でエンジエルが追い付いたと感じると、そのまま歩き出そうとする――のを、
「ねぇ、ちょっと待って。」
エンジエルに呼び止められ、ダイ・オフは少し振り返り、
「……何だ?」
「何だじゃ無いっ!」
その剣幕に思わず身を引いて、
「……何だよ。」
「もう、デュースよ。デュースはどうしたの?まだ何にも聞いてない。」
腰に手を当て、頬を膨らませて怒った表情を作るエンジエルだが、あざといその可愛らしい仕草は、どうやら自然に出たもののようだった。一見いつものおふざけかと思ったダイ・オフだが、エンジエルが本気な事に気付き、長い沈黙の後、渋々口を開く。
「はぁ、仕方無い。エンジエル。先の人形ども――お前の兄貴たちは、お前の事を責めなかったか?」
「え!?……う~ん、責めるって言うより……まぁ、確かに、ああ一方的に謝り続けられると、結構きつかったかな。」
「そうか。表れ方は人それぞれだろうが、要は罪悪感だな。そいつを突くのが、クロドコレクターのやり方なのさ。エミィの人形を恋人と呼んでたから、それぞれに違う役割があるんだろう。エンジエルは兄貴たちに視えてたようだが、右端のは父親、真ん中が母親なんじゃねぇかな。兄貴たちは、エンジエルにとっては父親みたいなもんだったんだろ。」
「う、うん。確かに、ゼフィランサスは歳も離れてたから、もうひとりの兄さんでもあり、親父でもあり、かな。」
そこで、エンジエルの視線から顔を背けるように、ダイ・オフは背中を向けた。
「デュースは、その責め苦から逃げ出しちまった。あの人形は、自分を映す鏡だ。あいつを責めてんのは死人じゃ無ぇ、あいつ自身だ。そこから逃げたんだ。今は駄目だ。昔みたいに、俺の背中に隠れて泣いてやがる。今は、そっとしといてくれ。クロドコレクターへの礼が先だぜ。」
「……うん、判った。」
その言葉を聞き、歩き始めるダイ・オフ。
こちら側も通路の造りは同じようだが、牢は見当たらない。足音が違うので足元を見やれば、剥き出しの石畳だった向こう側とは違い、赤い敷物が敷いてあった。先程の部屋から先は、アレクの私的空間と言う事だろうか。
ダイ・オフは、いくつか通路の左右に扉を見出すも、そこから気配を感じなかったようで、無視して歩みを止めなかった。程無くして通路は行き止まり、そこには豪奢な両開きの扉。隠そうともしない気配が、エンジエルにも感じられた。
「ここだな。」
「……ねぇ、ひとつ聞いて良い?」
「駄目だ。」
「……デュースの事だけど、何でそんなになっちゃったの?」
「はぁ?それはさっき言ったろ。」
呆れ顔で、ダイ・オフは振り返った。エンジエルは、その振り返った紅い瞳を真っ直ぐ見詰めて、
「逃げたのは判ったわよ。……どうしようも無い事から逃げたくなる気持ち、あたしにだって解る。だけどさ、あたしだってアレクの術に掛かったのよ。あ……あんたのお陰で……助かったけどさ。」
「……だから、俺様のお陰だろ。」
「むぅ、それは否定しないわよ。……でも、デュースの状態は普通じゃ無い。そんなに……そんなに深い罪を犯したの?自分の心を……壊してしまうほど。それって、一体――」
真摯に見詰めた紅い瞳が、激しく燃え盛っている事に気付いたエンジエルは、その先を口に出せなくなった。
まるで、これから斬り捨てる相手を睨み付けるような兇相で、青褪める天使の心を凍り付かせる。
永遠とも思える刹那が過り、
「もし、お前がエンジエルで無ければ許しはしない。デュースの敵は俺が斬る。」
そのひと言に、エンジエルはごくりと喉を鳴らす。
「……ひとつだけ教えておこう。あいつは誰も殺しちゃいねぇ。エミィを殺したのも、俺たちじゃ無ぇ。あいつ自身の罪は、本当は大したもんじゃ無ぇんだよ。」
「……貴方も、自分を責めてるのね。」
「……」
「ふたりとも、優し過ぎるのね。」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声を上げ、思わず気の抜けたダイ・オフは、打って変ったいつもの調子で、
「お前、馬鹿か?俺様が優しい?んな事、ある訳ぁ無ぇだろ。おま、どっからそう言う発想出て来んだよ。本当おま――はぁ、もうどうでも良いけどよ。」
凍って握り潰されていた心臓が再び拍動し、金縛りが解けたエンジエルは、まだどきどきしながらも、無理して笑顔を作って見せた。
人には、軽はずみに踏み込んではいけない領域がある。そんな事は百も承知だが、話しやすいダイ・オフ相手に、つい考え無しに口走ってしまった。デュースの事が心配故だが、危うく虎の尾を踏むところだった。
あたしたちは、まだそこまでお互いを深く知り合う仲じゃ無い。どんなに気さくで話しやすくても、相手は死神と恐れられる男なのだ。
心胆寒からしめられたエンジエルがそんな事を考えていると知ってか知らずか、ダイ・オフは気さくに、
「おら、さっさと行くぜ。」
前に向き直って、目の前の扉を開けた。
「うん!」
思いっ切り元気を絞り出し、エンジエルは後に続くのだった。
足を踏み入れた先は、今までと様相が違っていた。豪奢な調度品に溢れ、それらを煌びやかに浮かび上がらせるだけの灯りもあり、正に貴族の住まう部屋の体を成している。
やはり、先の部屋を抜けた先はアレクの私的空間であり、ここは居室なのだろう。机や椅子など、いくつかの家具が部屋の隅へと追いやられているところを見ると、本来ここまでの侵入を許すつもりは無かったようだ。
その明るく広い空間の中には、先程と同じ三体の土人形。その後ろ、少し離れた場所にアレクと、大きさが人の倍ほどもある、全身鎧を着込んだ騎士、に見える物体が控えていた。
「今度こそ、貴様の心を壊してくれるぞ、傭兵!」
その声に反応するかのように、ひと息で間合いを詰めたダイ・オフは、三体の土人形を三振りで斬り捨てた。
「何ぃ?!馬鹿な……私の兵隊が、こうも簡単に。」
「よう、コレクター。元気だったかい?」
その腕を以てすれば、一気にアレクさえ斬り伏せる事など容易いのかも知れない。しかしダイ・オフは、獲物を肩に担いでその場に留まり、視線は油断無く、巨大な騎士のような物体に注がれている。決して相手を侮らず、警戒を怠らない事こそが、死地にあって命を拾う最善の道である事を、歴戦の戦士は知るのだった。
「ふ……ふはは。そうか、貴様、ただの傭兵では無いのだな。……彼奴め。何も言わなんだが、もしや貴様……。名は?貴様の名は何と言う。」
体半分、巨大騎士の後ろへ隠しつつ、アレクはそう問い掛けた。
「……ダイ・オフ。」
「ダイ・オフ!そうか、死神ダイ・オフか。ダイナスにあっても聞こえているぞ、その悍ましき噂話はな。なるほど。死神は正に死神であったか。」
「?……どう言う意味だ。」
「何、気にするな。こちらの話よ。しかし、これで合点が行ったわ。こうも簡単に私の兵が負けるなど、こうして目の当たりにしてさえ、にわかには信じられぬ。だが相手があの死神、何より、ふたつの人格を持つ特異点ならば然もありなん、と言ったところだ。」
「そうか?手の内知れれば、こんなもんだろ。さすが、一番地位の低い将軍。手応えも易しい。」
その言葉に、はっきり見て取れるほど眉間に皺を寄せたアレクは、怒気を孕んだ声を上げる。
「私を愚弄するか。所詮は下賤な傭兵。腕は立っても品性に欠ける。」
思わず首肯する気配を背後に感じ、ダイ・オフは口をへの字に曲げた。
「私は、地階を統べる大地将軍。支配領域が地下にあるだけで、彼奴らより身分卑しい訳では無いわ。」
そこで、さらに身を引きながら指を鳴らすと、今まで微動だにしていなかった巨大騎士が、ぎこちなく身を捩り始める。
「私はクロドコレクター!そのコレクションの力、身を以て知るが良い。」
巨大騎士は、その丸太のように太い腕を振り上げ、左右から連続してダイ・オフに殴り掛かった。しかし、その図体に見合った緩慢な動きでは、ダイ・オフを捉える事など不可能。そうエンジエルは思ったが、予想に反し、ダイ・オフは鈍重なその拳を、両手で構えた両手剣で受け、攻撃を防いだ。
二合、三合――ダイ・オフは、敢えて剣で受けながら、その重さを確かめていた。
巨大騎士を模したこの人形は、まるで全身を金属で鎧っているように見えて、しかしやはり土人形なのであった。確かに重いが、硬くは無い。これならば、魔法剣の方が負ける事は無いだろう。
質量はそのまま打撃の威力だ。喰らえばただでは済まない。普通に考えれば、これほど驚異的な人形もあるまい。
だがそれは、普通であれば、の話である。今、巨大騎士が相手にしているのは、普通では、並みでは無いのだった。
ダイ・オフは、これ以上受けても剣が無駄に痛むだけと、受けるのを止め右へ左へ避けながら、適当な頃合いを見てバランスを崩して見せた。
頭の中まで土で出来た人形である。深く考えずその隙を好機と見て、思い切り両腕を大上段へと振り上げると、がら空きの胴を炎を纏った剣刃が横薙ぎ一閃!斬られた腹部が爆散した。
その光景を、騎士人形の背後で目の当たりにしたアレクは、
「馬鹿なっ?!私の最高傑作が一撃だと?!私はこの力で、世界を手に入れ――」
そのタイミングで、アレクは背中から斬られて声を失くした。そのまま崩れ行く最高傑作の土塊の雨に埋もれ、その質量が創造主を圧し潰した。
剣身の炎を払ってひと振り、獲物を鞘に戻しながら、ダイ・オフはきょろきょろと辺りを見回す。
その様子に気付いたエンジエル、
「どうかしたの?ダイ・オフ。」
「……いや、何でも無い。気の所為だったようだ。」
と、その時、遠くから微かに、何か重い物が引き摺られるような音と振動が伝わって来た。それは決して大きなものでは無く、地震とは思えない。そして、十秒もしない内に治まった。
「……ねぇ、今のもしかして。」
「……方向からして、多分そうだな。」
どうやらふたりには、何の音と振動であったか思い当たったようで、目を見交わすと踵を返し、部屋を出て行った。その気配が去り、充分時間が経過して後、アレクを飲み込んだ土塊の傍に影が滲み出る。
「……破れるだけならいざ知らず、口まで軽いと来ては、始末するも已む無し。」
汚物を眺めるように足元の土塊を見下していた影は、視線をふたりが出て行った扉へと移した。
「しかし、一瞬とは言え、よもや私の気配に気付くとは。……私は少々、判断を下すのが早過ぎたようだ。五人共に資格がある、と言う事か。」
そう独り言ちた後、影は振り返り、一見して何も無い壁へ向かって歩き出し、現れた時と同じように滲み消えた。
エンジエルは黙ってダイ・オフの背中を追い、先程通った地下牢前を歩き続けた。何とかアレクは倒したものの、未だデュースは目覚めていない。どうもダイ・オフは、デュースの事となるとかなり気難しくなり、下手な事は聞けないと思えた。心配だったし……気にもなった、色々と。でも今は、ダイ・オフの背中をただ見詰める事しか出来無かった。
「お、どうやら当たりだったみてぇだな。地底魔王アレクを倒して、エンジエル姫は無事地上へ戻りました。めでたしめでたし、ってところか。」
「は?……何よそれ。気持ち悪い。」
こっちは真剣に思い悩んでるのに、いきなり何を言い出すんだこの男は。とつい、無遠慮な言葉が口を吐いた。
「悪かったな。おら、階段、使えるようになってるぜ。」
「あ、ごめんなさい、つい本音が――って、そうじゃなくて……え?階段?」
いつの間にか、先程の階段前まで戻って来ていたようで、言われて天井を見上げてみれば、そこから階上の光が射し込んでいるのが判った。
「どうやら、これで一階に上がれそうだぜ。やっぱりさっきの音は、ここの天井が開く音だったんだな。」
「良かったぁ~。地下に閉じ込められたと思うと、少し不安だったのよね。これでやっと、ひと息吐けるわね。」
「あぁ、そうだな。確かに、息が詰まりそうだ。こんな黴臭ぇとこ、さっさと抜け出しちまおう。」
ダイ・オフが階段を上り始め、エンジエルが後に続く。これでやっと、城の中へと進む事が出来る。ようやくふたりは、本格的な探索を始める事となったのである。