第五節
壁から室内を照らす魔法の明かりを反射して綺羅綺羅光る硝子製の円筒の中身は、透明だが明らかに水とは違う正体不明の液体で満たされていた。
眼を凝らせば、その中を泳ぐ細長い何かの群れを視認出来るが、それが何かは判らない。その群れは、時に密集して球体となるが、しばらくすると解けて行き、まるで何も存在していないかのように姿を消してしまう。
ぬたうつ植物の鞭は、その円筒を粉々に砕いた。飛散する硝子の破片と何かの液体が、窓から射し込む光も受けて、より一層眩く輝き室内に乱反射する。
どがしゃん、とその円筒だけで無く、室内のあらゆる物を破壊せんと暴れる植物の鞭は、しかし特定の獲物に襲い掛かっている訳では無かった。事実、アルメドラは館の内部まで見通せる訳では無かった。魔力感知、生命感知により存在を感じはしても、直接視認出来る訳では無いからだ。
「くそっ!こいつぁヤベェな。」
しかしダイ・オフは、デッド・エンドを背負ったままだ。そこまでの脅威では無い――と言う事では無かった。そうこうする内、ミランダの制御をまともに受けておらず、そこいらをふらふらしていた小型ゴーレムが、鞭のしなりに巻き込まれ、一撃で粉砕されてしまった。
「あぁっ!ジェイムスくぅ~ん!……ようやく成功した、初めてのゴーレムだったのにぃ……」
項垂れるミランダの体を支えるようにして、
「駄目、眼を放さないで!あんなの喰らったら、ひと溜まりも無いわよ!」
エンジエルは、腰の得物を構えていた。相変わらず、得物を抜いているのはエンジエルだけだったが、他の面々も身構えている。得物を抜かぬのは、戦い方の問題である。
ダイ・オフは、自分が暴れれば損害をむしろ増やすと考えた。相手は植物のようだ。ダイ・オフの炎は相性が良い。しかし、こんなところで暴れれば、きっと館が火の海と化すだろう。
シェードは無手と語っていたし、ラヴェンナは――果たして今回、彼女は何某かの武装を纏っているのかどうか。傍目には、喪服のような黒いドレスを纏った、ただの女の子にしか見えない。
「とにかく、ここから出るぞ!外の方が安全とは思わねぇが、ここにいても建物ごと潰されるだけだぜ。」
植物の鞭は、時と共に数を増していた。窓から這い入る物ばかりでは無く、床も軋んでさらなる侵入を試みている事が想像出来た。
「殿は務めます。行って下さい。」
その言葉に前後して、ウーミンはエンジエルの肩へと止まり木を変えていた。ぎげぎゃあ、とウーミンも行動を促す。
「お願い!行くわよ、ミランダ。」
「あ、あ、い、行きます。えぇ、行きますとも。」
エンジエルに手を引かれるように、ミランダも部屋を出て行く。ラヴェンナがすぐ後を追い、ダイ・オフもそれに続く。
「……どう考えても、外へ誘き出すのが目的ですね。とは言え、このままじっとしている訳には行かないのも事実。そちらは頼みましたよ、お三人さん。」
部屋の扉の前に立ち塞がり、シェードは独り言ちた。
作り物の光から自然の明かりの中へと飛び出すと、開けていたはずの庭が蔓蔦がぬたうつ森へと姿を変えていた。木々まで屹立している訳では無いので、身動きが取れないほど鬱蒼としてはいないが、来訪した時とはまるで様相が違った。
「……これ、ヤバくない?」
蔓蔦の大蛇が何匹もぬたうつ光景は、ダイナスから幾度か死地を潜り抜けて来たエンジエルをして、心胆寒からしめた。
「いやぁ、そうでもねぇ。」
背後から一気にエンジエルを抜き去った死神は、デッド・エンドをその手に、剣身には炎を纏いて。手近な大蛇を数匹斬り捨てると、蔓蔦の蛇は苦しむように暴れながら燃え上がり、灰と化して行く。
「この辺一帯、燃えちまったらすまねぇな。」
「え!?それは困りますぅ。困りますけどぉ……これも困りますぅ。」
もちろん、延焼が広がらぬようにと配慮はしている。斬る瞬間炎は逆巻き、しかしその後は剣身に留まる程度に勢いが弱まる。灰と化した蔓蔦から、他に燃え移る様子も無い。そんな事は判らぬミランダにとって、ダイ・オフの言葉は冗談に聞こえない。それでも、この有様も看過出来ぬものであった。
「さぁ、来な。ここなら思う存分、暴れられるぜ。」
その言葉に恐れをなしたか、大蛇たちは距離を取り、襲って来ようとはしなかった。
「へい、どうした。怖じ気付いたか?……あぁ、なるほど。そう言う事か。」
何がそう言う事なのか、と首を捻るミランダだったが、残りの女ふたりはすぐに気付く。
形の無い害意が身に迫り、躱し身の脇を吹き抜けて行った。葉吹雪。ディランドラの身を切り裂いた、刃葉が縦横無尽に飛び回り、一同を襲って来たのだった――が。
馬鹿なっ?!アルメドラは驚駭した。何もこれが、アルメドラの必殺攻撃――と言う訳では無い。だが、無数の刃と化した葉吹雪は、致命傷を与えずとも相手の自由を奪うに充分な攻撃である。
避けるどころか、その剣身で悉くを焼き払う剣士は想定通りだ。掛かり切りになって、他に手を回せなければ御の字だ。だが、ここでふたりには退場して貰うはずだった。
「何故!?何故奴原は躱せるのよ。高が盗賊の小娘と、こっちは――ただの小娘じゃないの?」
魔法で操られた葉の舞いであるが、それ自体は本物の葉である。そこに、危険なものを感知したエンジエルは、不用意に触れてはいけないと直感した。これが、魔法そのものの攻撃であったなら、エンジエルが知覚する事は無かったろう。葉と言う存在が、エンジエルに危険を知らしめた。何しろ、彼女は一度、眼にも視えぬ感じもせぬ、完全な隠密から背中を斬られている。それと比べれば実に判りやすい。魔法の洗礼は、エンジエルを確かに成長させていた。
片やラヴェンナ。ひらりひらりとスカートをひらめかせ、踊るように葉吹雪を躱していた。ダイ・オフはその傍らに、もうひとり赤毛の少女の姿を視た。きっと霊体からは、魔法の働きも良く視えるのだろう。
「ほぅ、思ったよりやりますね。これは、手助けなんて要らないみたいですね。」
そこへ、遅れてシェードがやって来た。予想通り、アルメドラは外へと誘き出す為に蔓蔦で奇襲を仕掛けていたので、皆が移動してすぐ、蔓蔦も引っ込んでいた。慌てず急がず後を追ったシェードは、女性陣ふたりの活躍に感心した。
「ひぃやぁぁぁ!ちょ、これ、どうすれば……」
フロントポーチ内で身を隠していたミランダは、何も出来ずにただ見ているだけだった。そのミランダを庇うように傍へ移動したシェードだが、どうやら庇う必要など無いのだと気付く。
フロントポーチの手摺りなど、盾として機能などしない。その気になれば、襲撃者はミランダを切り刻む事など容易いはずだった。だが実際には、ミランダの周りを葉吹雪は舞うものの、その身を切り裂く事は無かった。
どうやら彼女は、貴重な情報源と見做されたようですね。放っておいても大丈夫でしょう。そう判断したシェードは、一応その場に留まるも、他の仲間たちへ注視する事にした。
その様子に、充分な距離を離して警戒していたアルメドラが気付く。
「……やっぱり、あの男は要注意ね。こちらの意図に気付いたみたいだけど……動く気配は無い。何を考えているのかしら。」
アルメドラは、確かに外へと誘き出す為に奇襲を仕掛けた。目的を達成したから蔓蔦を引かせた――のはその通りだが、下手に刺激したくなかったのだ。あの不気味な男を。傍観してくれるなら、その方が良い。葉吹雪は、シェードの事も避けていた。
「しかし……」
意外だったのは、女ふたりだ。あの剣士からは、凄まじいばかりの魔力を感じる。魔法剣士と言う訳では無さそうだが、手にする魔剣も相当な代物のようだ。彼には葉吹雪も通用しないだろう事は判っていた。その上で、切り刻まれる女ふたりを守る為に隙が出来ればと、そう思っていた。
「……どうやら、このままじゃ埒が明かないようね。」
こうして思案する間も、間断無く葉吹雪は吹き荒れていた。しかし、どちらの女も捉える事叶わず。疲れを見せる様子も無い。どうやら、完全に動きを見切られているようだった。
「……魔力の流れを視ている訳じゃ無い。動体である葉そのものの動きを感知している――と言う事かしら。なるほど。これは失礼したわね。並みの盗賊じゃあ無かったと言う事ね。」
盗賊の方は、まぁ良い。しかし、もうひとりの女は何なのだ?確か、こちらの方がペンダントを所持していた。……この女も魔女?
その推量は外れていたが、脅威と断じる事は結果として正しかった。
「仕方無いわね。……プランB、と言ったところかしら。」
その豊満な胸元からふたつのペンダントを取り出して、アルメドラはそれを地面へ落とした。
「私は臆病なのよね。だからこそ、今日まで生き永らえて来たのだもの。」
独り言ちた時には、すでにふたつのペンダントは忽然と消えていた。
繰り返される葉吹雪の攻撃を、延々躱し続けるエンジエルとラヴェンナ。身体能力が高くまだ十代と若いふたりは、これがさらに数十分続いても疲れひとつ見せないだろう。
しかし、こちらからの攻め手も無い。明らかな敵意に満ちた攻撃であっても、それを行っている襲撃者の姿すら確認出来無いのだ。今は凌げても、この先どうすれば良いのか、正直判らないでいた。
「……葉っぱがもう品切れ……なんて事ぁあり得ねぇよな。」
躱すのでは無く焼き尽くしていたダイ・オフは、自身に舞い来る葉が途切れた事に気付いた。だがその言葉通り、周りは落葉樹ばかりでは無い、未だ緑の葉を付けた樹々が生い茂る森の中だ。いくらでも武器となる葉の補充など可能だろう。
しかし今、ダイ・オフの周りだけで無く、エンジエルとラヴェンナを襲う葉吹雪も止んでいた。
「どう言う事?……まさか諦めてくれた――なんて事は無いわよねぇ。」
警戒を緩めず周囲を見回すエンジエルの言葉に、応える者があった。
「えぇ、もちろん。諦めたりしないわよ。」
それは、エンジエルとラヴェンナの間、地面の下から聞こえて来た。瞬時に身を翻し、距離を取るふたり。
「そんなに慌てなくても良いのに。不意を衝くつもりなら、声なんて掛けないわよ。」
再び声のした地面から、巨大な花の蕾らしき物が迫り上がって来た。そして、その蕾が花開き、青と紫が混じり合った妖艶な色合いの花弁の中から、濃緑色の長衣を身に纏ったこちらも妖艶な魔女が姿を現す。
「初めまして――で宜しいかしら。私はアルメドラ。ミンドラの……まぁ妹になるのかしらね。」
「ミンドラって……」
「おば――お師匠様の?」
がちゃり、とデッド・エンドを構え直して、
「つまり、森の魔女のひとり、ってこったな。」
「あら、良くご存知ね。そこの娘はミンドラの弟子だとして、一体貴方たちは何者なのかしら。」
アルメドラは、ダイ・オフの方へ向き直り樫の杖を構えた。さすがに、手練れを前に、身構えもせぬのは不自然だ。仕掛けは慎重に行わなければならない。
「誰だって良いだろう――とは思うがな。奇妙な縁がある。少し前、カサンドラに遭ったぜ。」
その言葉には、さすがに訝しむ表情を見せるアルメドラ。
「カサンドラ?……確かに、まだ生きてはいるんでしょうけどねぇ、あの女。でも、まさか……」
「ほ、本当よ。ダイナスで本当に遭ったんだから。」
ダイナス――聞き覚えがある。なるほど、あの女は何かを嗅ぎ付け、ダイナスで何かしてた訳ね。千古の魔女には、ダイナスの名だけで察するところがあった。当時ダイナスの地に、最強と謳われた吸血鬼が君臨していた事は有名な話だ。
「か、カサンドラは死んだわよ。……あたしが倒した訳じゃ無いけど。」
ダイ・オフが斬ったが、倒したのはミンシア。エンジエルはそう思っている。
「そう……」
アルメドラは、あまり関心が無さそうに答えた。あの女とは、もう永い事会っていない。元々、あんまり仲が良かった訳でも無い。長姉だなどと呼ばれて調子に……乗っている様子は無かった。自らそう名乗った訳では無く、周りがそう呼んだに過ぎない。実際、結社の中では抜きん出た存在だった。特に誰も、カサンドラが長姉である事を認めぬ者はなかった。
ただ、縁は薄かった。それだけだ。だから関心も薄い――と言う事だろうか。それとも、死んだように見えても本当に死んだとは限らないからだろうか。
「そ、それで……どのようなご用件でしょう?」
シェードの陰から、随分と間の抜けた質問をしたのは、もちろんミランダだ。
「あ、もしかして、貴女も弔問に……」
「んな訳ぁ無ぇだろ。今の今まで襲われてただろうが。」
「あ、そっか。」
「ふふ……あっはは、何よ、随分面白い娘ね。そう言えば、ミンドラも少し、おっとりし過ぎてたかしら。遠いとは言え、これも血の為せる業かしらねぇ。」
「……遠いい?お婆ちゃん――って遠いい?」
「さ、さあ……」
エンジエルに問われたミランダも、その真意には気付かない。森の魔女は、千年を永らえる本物の魔女だ。そんな魔女が、果たしてつい最近子を儲けたのだろうか。ミランダは三十代。仮にその母が二十歳でミランダを産んだとして、千年の寿命が尽きる五十年前の出産となる。かなりの高齢出産と言える。魔法の恩恵さえあれば可能なのかも知れないが、もっと以前に子を生していた方が自然であろう。
ミランダは正しくミンドラの子孫であるが、二親等どころの話では無く、直系とは言えかなり離れているのだった。
「それで。結局何が目的なんだよ。ま、そのペンダントなんだろうがな。」
「……えぇ、まぁそうなるかしら。わざわざ送り付けて来たんだもの。何かあるんでしょ、これ。」
「送り付けた?お前ぇが送り付けた訳じゃ無ぇよな。」
「え、えぇ、私じゃありません。」
「ミンドラよ。一応、あの女とは仲良かった方だから。私も、ディラも。」
「ディラ?」
「えぇ、もうひとりいたでしょ、黒髪の。あの娘がディランドラ。……もういないけどね。」
そう言って、胸元からペンダントをふたつ取り出してみせた。
「もういないって……」
「そこの貴女。貴女は見ていたから判ると思うけど、あんまり仲良く無いのよ、私とディラは。お互いペンダントを譲る気なんて無いから、永年の決着、付けちゃったのよ。」
「……」
水を向けられたラヴェンナは、沈黙を貫いている。
「そこで相談よ。貴女は素直に渡して下さらない?そっちのお弟子ちゃんも。」
「だ、駄目ですよう。これはおば――お師匠様の形見なんですから。」
「そう。それじゃあ、貴女はどう?貴女は別に、ミンドラとは関係無いんでしょ。」
問われたラヴェンナは、無言のまま身構えた。その様子を見たアルメドラは、ふたつのペンダントを胸元に仕舞いながら、
「交渉不成立。こんな魔力の欠片も無いペンダント、命懸けで守る意味無いと思うのだけど――ねぇ。」
その瞬間、ラヴェンナの足元にも広がっていた蔓蔦の一部が、鎌首をもたげて大蛇と化した。そしてその大蛇は、ラヴェンナの胴より太い体を鞭のようにしならせ、ただの黒服の少女を引き裂かんと躍り掛かった。
「ラヴェンナっ!」
叫んだエンジエルは見た。その大蛇がばっさり胴を断たれ、ただの蔓蔦に戻る様を。手頃な大きさの手斧を両手にひとつずつ構える、只者では無い少女の姿を。
「!……一体どこから!?」
眼を剥くアルメドラへ向けて、その手斧が投擲される。が、アルメドラの周囲を蔓蔦の蛇が固め、その手斧を防ぐ――が、その蛇すら斬り裂きアルメドラへと迫る。
「ちっ、ただの手斧の癖に、何て威力……」
飛来した手斧がその身を引き裂く寸前、眼に見えぬ壁にそれは弾かれる。ただ投げ放っただけの小さな斧にしては信じられぬ攻撃力と見えたが、それはただの手斧であった。魔力を纏わぬ武器では、魔法障壁は破れない。
「魔法障壁?!無詠唱で?!」
ミランダは驚駭した。今日は信じられぬものばかりを見た。蔓蔦の大蛇も葉吹雪も、魔法なのだとしたら伝説に遺るような大魔導師にしか為せぬ業だ。それをまさか、無詠唱で……ミランダの常識は今日、完全に崩れ去った。
だが、崩れ去る常識は、魔法領分に留まらなかった。ふと気付けば、ラヴェンナは再度、両手に手斧を構えている。
「あ、あれ?!確か先……」
眼を白黒させているミランダの前で、ラヴェンナは手にした手斧をアルメドラへと投げ放つ――のとほぼ同時に、三度その手に手斧を掴んだ。
そしてそれを投げ放ち、さらに手斧を手にして投げ放ち。奇術さながらに手斧を取り出しては、それらを矢継ぎ早にアルメドラへと投げ放った。
ふたつ、四つ、六つと数を増して行く手斧の舞いを、蔓蔦の大蛇と魔法障壁で撥ね退けるアルメドラであったが、ひとつひとつが見た目からは信じられぬほどの威力を秘めており、じりじりと後退を余儀無くされる。
「くっ!まさかこの女、魔法戦士の類いか!?」
その常軌を逸したラヴェンナの手斧芸に、こちらも眼を白黒させるアルメドラ。気付けば新たに手斧を握っている事も脅威だが、これだけの手斧。一体どこに隠し持っていたのか。
押された事で、目的を忘れ思わず反撃に移ったアルメドラは、蔓蔦の鞭をラヴェンナへと振るった。しかしそれは、いとも容易くラヴェンナの手斧に叩き斬られる。
だが、一瞬守勢に回り、ラヴェンナの動きに変化が生じた事で、ミランダを除く全員がそれを見た。スカートだ。ラヴェンナは、素早くスカートの中から手斧を取り出していた。
「馬鹿な!そんなところに、これほどの手斧が隠せるものか!」
出所が判明して、余計に驚駭させられた。エンジエルたちは、さらに驚きを隠せない。これだけ傍にいても。今までずっと傍にいたのに。葉吹雪をスカートをひらめかせながら避けていた時さえ。一切手斧同士がぶつかるような音など、聞こえはしなかった。誰も――エンジエル、ダイ・オフ、静かに様子を見守っていたデュース、デッド・エンドも。そしてシェードさえも、スカートの中に手斧を忍ばせているなど思いも寄らなかった。
「……す、凄いわ、ラヴェンナ。戦斧振り回すより、こっちのが凄くない?!」
もちろん、ラヴェンナの細腕で巨斧を振り回すのも驚異的な光景であったが、マジックじみている分、こちらの方が驚きが大きかった。
何より、ラヴェンナの手斧はまだまだ数を増しており、次々と投げ放ちながら、同時に新しい手斧を手に前進を始め、アルメドラへと斬り掛かって行ったのである。
「ちょ、どうなってんのよ、それ!?あんた、おかしいんじゃない?」
人の事をおかしいとは言えないおかしな魔女は、蔓蔦と障壁、樫の杖さえ使い手斧を迎撃しながら、それでも少しずつ後退を続けていた。元より、わざとやられた振りをするつもりだったが、演技をするまでも無く追い込まれて行く。
ついにはラヴェンナの接敵を許し、両手の手斧がアルメドラを捉えた。がつ、っと甲高い音が響く。手斧の刃は、アルメドラの体の表面で止まっていた。
「っ!?」
今度はラヴェンナが驚く番だった。アルメドラの肌は、まるで樹木のような質感へと変じていた。その口元が、ばきばき、っと音を立てて開く。
「残念だったわね。樹って意外と硬いのよ。」
アルメドラの能力のひとつで、外皮を硬い樹木の肌へと変化させる防御魔法だ。魔法障壁よりも、素早く発動出来る。樹木の中には、鉄などよりよっぽど硬い物もある。いざと言う時、その身を守る奥の手であった。
手斧がアルメドラの側頭部と頚部に喰い込み、動きが止まったラヴェンナ。しかし、その一瞬でそれに気付き、硬いアルメドラの体を蹴って後方へと宙返りを打った。間、髪を入れず、その下を一陣の風が吹き抜けた。否。それは炎の斬撃であった。
ラヴェンナの攻撃に気を取られたアルメドラを、ダイ・オフがデッド・エンドに炎を纏わせ、背後から横無いだのである。
「がぁっ!?」
「へ、油断大敵だぜ、樹の姉ちゃんよぉ。」
断たれたアルメドラの下半身は静かにくずおれ、上半身は宙空にある内に灰と化して行き、下半身を覆うように灰山を作った。ちゃり、と軽い金属音を立てて。
「ん?……あぁ、そう言やぁ、ペンダントを仕舞い込んでたな、あの豊満な胸元に。」
言ってしゃがみ込み、灰山を掻き分けふたつのペンダントを拾い上げた。そして、ペンダントの灰を払うと、
「ほれ。」
とラヴェンナへ手渡す。
「お前のお陰で、楽に倒せたぜ。戦利品だ。これで四つ揃ったんじゃねぇか。」
少し眉を顰めながらも、素直にペンダントを受け取ったラヴェンナ。その手には、すでに手斧は握られていない。それどころか、周囲の何処にも投げたはずの手斧は見当たらなかった。
「ラヴェンナのお陰で、簡単に倒せたわね。凄いじゃない、ラヴェンナ。あんなにたくさん斧投げまくるなんて、あたし吃驚しちゃった。」
嬉しそうにふたりの元へと駆け寄るエンジエルに、ラヴェンナの表情から硬さが取れた。
常識を超えた一連の出来事に呆気に取られ、ミランダはポーチの陰から動けないでいた。シェードはそのミランダの傍に控えている。
ラヴェンナに気を取られている隙に背後から斬る。この中に、それを卑怯と思う者はいない。斬られた当のアルメドラを含めて。ここは戦場で、勝ち負けを競う競技では無く、命を懸けた戦いなのだから。
只ひとり、ミランダだけは少し卑怯だと思ってしまうが、口には出せなかった。事戦闘において、自分は何の役にも立っていないのだ。
「確かにな。思えば、戦斧も力で振り回すのでは無く、投げるようにして力の方向を操って振るっていた。物の重心を捉える才があるのかも知れない。俺でも真似出来無い神業だな。」
「あ……ありがとう。斧の扱いには慣れてるの。大きな斧は薪割りに使うし、小さな斧は料理に使う。いつも使っているから、自然に扱えるようになっただけ。」
エンジエルの言葉に対し、ダイ・オフでは無くデュースが感心して呟き、それに少し照れながら応えたラヴェンナ。
「そ、そう……料理に……」
エンジエルも、旅の最中簡単な調理を武器で済ませてしまう事はある。とは言え、腰の得物では無く、様々な場所に隠し忍ばせた仕込み短刀の話だ。家も盗賊ギルドだったとは言え、包丁代わりに剣を使ったりはしない。ましてや、斧は剣以上に刃で切るより重さで叩き切る武器だ。いくら手斧とは言え、さすがに料理に使うのはどうかと思ってしまった。
それに、本当に脅威的なのはそっちじゃ無い。とも思うが、さすがに同性でもスカートの中の事まで聞けやしない。
そんな事を話していると、ようやく我に返ったミランダも合流して来た。
「皆さん、とてもお強いんですねぇ。……あれ?そのペンダントって……」
「……えぇ。これで貴女と私、ふたつ合わせれば全部揃ったわ。」
そうして、祖母のペンダントを取り出し、みっつのペンダントを皆の前に差し出した。
「んじゃまぁ、改めてお師匠様の研究室とやらに行って、これが何か調べてみるか?」
「……いえ、もしかしたら、その必要無いかも。」
「あん?」
「これ……このペンダント・トップ。ほら、それとこれって――」
「っ……ぅう……」
ミンドラの館から少し離れた場所に、アルメドラの本体はいた。安全圏から敵を攻撃し、いざとなっても本体は傷付かない――はずであった。が。今彼女は、苦しい息で地に倒れ伏していた。
「っう……ふ、ふふ、油断――したつもりは無かったんだけどな。」
立ち上がるのは諦め、その場で仰向けになって脱力する。一見したところ、特に傷付いている訳では無い。だが確実に、ダメージは受けていた。
「ちょっと、あの女の方に気を取られ過ぎたみたいね。全く、何だってあんなのが何人も集まってんのよ。」
あんなの。まず、一番に警戒した謎の男は、最後まで動かなかった。だがそれは良い。結果として動かなかっただけで、警戒しておいて正解なのだ。そして、私を斬った剣士。決して軽んじたつもりは無かったが、無警戒だった女のひとりが異常な戦闘力を発揮した事で、意識から外れてしまった。もうひとりの女も、ただの盗賊風情にしてはやる。結局、ミンドラの子孫以外は、皆予想以上の手練れであったのだ。
「ふぅ、やれやれ。次はもっと、気を付けなくちゃね。」
ようやく体の自由が利くようになり、樫の杖を使って身を起こす事が出来た。やはり、見た目には無傷である。だが膝は嗤っている。
「予定ではわざとやられた振りをするつもりだったから、本気で斬られたのは危なかったわ。同期するからこそ役立つ分身も、こうなると諸刃の剣ね。」
分身に精神がシンクロする事で、あたかもその場にいるかのように振舞えるし、見たもの聞いたもの触れたもの全て感じ取れもする。何より、自身の精神がそこにいるからこそ、分身だなどと思われずに済む。
しかし、共有する感覚はそれだけでは無い。先程斬られたのは、言わば死の共感覚。肉体こそ傷付かないが、精神に対するダメージは如何ほどのものか。
核さえ無事なら肉体などいくらでも再生、代用可能な魔法生命体となっても、精神――自我が不滅となった訳では無い。現に、ディランドラの自我は崩壊し掛かっていた。完全な不死など無い。核を壊さずとも、死を与える事は出来る。げに生命とは、不思議なものである。
「まぁ良い。目的は達成したのだから。さぁ、謎解きは任せたわよ。え~と、ミランダ――だったかしら。」
そうして精神を集中し、今度は分身では無く、森そのものへとシンクロして行く。これでこの一画は、アルメドラの体も一緒。様子を窺うだけなら、これで良い。然しものあの炎の剣士とて、森を相手に一刀両断とは行かないだろう。




