第三節
彼女は唖然としていた。滅多に感情を表に出さない為、第三者が見ても表情から判断出来無いだろうが、唖然とし呆気に取られていた。
事の起こりは、代理で祖母の旧友を弔う為この森を訪れたところ、ふたりの女が立ち塞がった事だ。しかし、ふたりは仲間では無かった。ひとりが彼女に声を掛け、そこへ後からもうひとり。
最初のひとりは、全身黒ずくめ――のようだった。全身が艶の無い漆黒であり、両眼だけが薄ぼんやりと光って見えた。漆黒の長衣に身を包んだ魔女――と形容するのが一番近いが、その質感に違和感を覚える。本当にこれは人なのだろうか――と。
後から声を掛けて来たもうひとりは、はっきりと魔女然とした姿をしていた。多少緑掛かった長い黒髪と瞳を持つ、薹が立った女性――と言っても、本当に魔女ならば、見た目通りの年齢ではあるまい。濃緑色のローブを身に纏い、樫の杖を持ったその姿は、正に魔女と言った出で立ち。
まずは、ひとり目の漆黒がくぐもった声で、
「おい、お前。持っているだろう。そのペンダントを寄越せ。」
その異様な姿に見合った不気味な声音で、ぶっきら棒に要求を突き付けて来た。もちろん、彼女には覚えなど――あった。しかし、それが特別な品だとは聞いていない。こう言っては何だが、こんな怪物じみた女に脅迫されるようなお宝には思えない。
だからこそ、彼女は逡巡していた。決して、どんな怪物に襲われても怯みはしないが、状況が理解出来ずに戸惑っていた。そこにもうひとりが声を掛けて来たのだ。
「あら、そうは行かなくてよ、ディラ。それはあたしの物。ついでに、貴女のペンダントも頂こうかしら。」
そうして、彼女を無視してふたりは争い始めたのだ。
事の成り行きに唖然としたし、自分を無視して争うふたりに呆れたが、それどころでは済まなかった。呆然と眺める彼女の目の前で、漆黒の魔法が炸裂したのである。
ず、っっっどおぉぉぉん――と目の前で爆発が起こり、炎と熱気が彼女を襲う。後ろへ飛び退き難を逃れるが、その威力は並外れていた。彼女に被害が及ばなかったのは、その爆発が彼女を狙ったものでは無かった事が大きい。漆黒の敵意は今、全てもうひとりの緑色の魔女に向けられているのだ。
その緑色の魔女は火球の直撃を受けていた――いや、良く見れば魔女と火球の間に壁が屹立している。一体いつの間に、これほど高い壁が現れたものか。その壁は緑色をしていた。善く善く眼を凝らせば、それが絡み合った蔓や蔦の集合体だと判る。緑色の魔女の足元から、蔓と蔦の壁が数mの高さまでせり上がっていたのだ。
が――次の瞬間、その壁が崩れた。否。何か黒いものが過り、ばらばらに斬り裂かれたのだ。その黒い何かは、漆黒の体から放たれていた。だが見よ。驚嘆すべきはそこでは無い。漆黒は今や、人の形を成していなかった。ぼんやりと光る双眸から伸びる、線状の黒い集合体。
「……髪……の毛!?」
あまり動じる事の無い彼女も、その光景には度肝を抜かれた。漆黒の魔女の体は顔だけで、それ以外は全て髪の毛で形作られていたのである。蔦壁を斬り裂いたものは、鞭のようにしならせた長く長く伸びた髪の束であったのだ。
その髪の鞭は何本も形成され、複雑な動きでのたくりながら緑色の魔女を襲う。すると、今度は緑色の魔女から鞭のようなものが迸った。先は地面から壁のように突き上がった蔓蔦が、緑色の魔女の体から飛び出した。髪の鞭と蔓蔦の鞭が交錯し、異様な剣戟を繰り広げている。
と――いきなりその剣戟は終わった。一瞬でどちらの鞭も体へと収まって行き、髪の毛の魔女は漆黒の人型へと変じ、緑色の魔女はただの魔女に戻った。
そこでようやく、彼女もその気配に気付いた。そしてその気配の主が、勢い良く飛び出して来る。
「ちょっと、ちょっとぉ!一体何があったの?!」
飛び出して来た主は、低い背丈に不似合いな露出の高いワンピースを着た、美しい金髪の少女――と言っても、もうじき十八にもなる成人女性であるが、童顔である為幼く見える天使のような――そう、エンジエルである。
「……エンジエルさん……」
「え?」
と顔を見合わせたふたり。エンジエルは彼女に見覚えがあった。短髪赤毛の可愛らしいその女性は、しかしメイド服を着ていなかった。まるで喪服のような黒いロングドレスに身を包んでおり――背丈を超えるほどの巨斧も見当たらない。だがしかし、その顔を見間違えるはずも無かった。
「ラヴェンナ?!貴女……ラヴェンナじゃない。」
突然の再会に、ラヴェンナは嬉しそうに優しく微笑み、エンジエルはひとりきゃいきゃいはしゃいでいるところへ、男三人が押っ取り刀で駆け付けた。まぁこの刀は、放っておいても勝手に所有者の許へ飛べる魔法剣であるが。
「……妙なところで懐かしい奴に逢ってはしゃぐのは結構だが、先にやる事あんじゃねぇか?ま、もう去っちまった後みてぇだが。」
「え?!やだ。そうよ。戦いは?ラヴェンナ大丈夫?」
そうして周囲を見回し、感知も発動してみるが、すでに脅威は感じられない。地面の焼け焦げなど戦闘跡は見受けられるも、その戦闘の当事者の姿は確認出来無かった。
「どうやら、俺たちの接近に気付き、撤退したようだな。さっき魔力が遠ざかるのを感じたしな。」
「あぁ、何かデカい魔力が離れてったな。て事ぁ、相手は魔法使いか?」
その問いには無言を貫くラヴェンナだったが、
「え、そうだったの?って、何か爆発してたもんね。魔法使いが相手だなんて、ラヴェンナ大丈夫だったの?」
「えぇ、大丈夫。ありがとう、心配してくれて。」
「けっ……」
相変わらず、不躾なダイ・オフは気に入らないようだ。
「確かにあれは魔女だった。だけど、私を無視して戦い始めたの。」
「魔女……戦い始めたって、どうしてかしら。」
「顔見知りで、且つ嫌いな相手だったんだろ。」
「まぁ……そうかもね。でも、そもそも何が目的だったのかしら。」
「……ペンダント。」
「え?」
「ペンダントを寄越せと言っていたわ。」
「ペンダント……持ってるの?ラヴェンナ。」
するとラヴェンナは、どこからかペンダントを取り出した。相変わらず、荷物を入れておくようなポーチやバックパックは見当たらない。一体どこから取り出したかは、良く判らなかった。
「これ……多分、これの事だと思うわ。」
「……何だか、おかしな形のペンダント・トップね。」
そのペンダント・トップは、良くある宝石を嵌め込んだ装飾でもロケットでも無かった。良く判らない形をしていて、パッと見で何を表しているか形容出来無い奇妙なペンダント・トップだった。
「でも、魔女が欲しがるくらいだから、特別なペンダントなのね。」
「……さぁ。」
「……どう言う事?これって、何か特別な物じゃないの?」
「……元々、私たちの物じゃ無いの。形見?」
「形見?」
「多分。ある日、家に届けられたの。どうやらお婆ちゃんの古い知り合いから贈られた物みたいで、きっと亡くなって形見を寄越したの。」
「何故それが形見だと思うんだよ。」
ダイ・オフを横目で一瞥した後、
「お婆ちゃんがそうだって。だから私が、お婆ちゃんの代わりにこの森へ。」
「え?それじゃあ、そのお婆ちゃんの知り合いがこの森に住んでるの?」
「えぇ。ここ、魔女の森に。」
「!……魔女の森って……あのカサンドラの?え?この森が!?」
魔女の森、そしてカサンドラ。過日、ダイナスで出遭った魔導将軍カサンドラ・ソウルクィーン。彼女の正体は、昔話にも登場する魔女の森のカサンドラその人であった。それはつまり、カサンドラが実在すると言う事は、魔女の森も実在すると言う事。その魔女の森がこの森だと言う事だろうか。
「お婆ちゃんの知り合いが魔女だったみたい。魔女の住む森だから魔女の森。私はただそう聞いただけ。」
「なるほど、魔女の森のカサンドラか。今にどう伝わってるかは知らないが、カサンドラを含めた森の魔女たち姉妹は何人もいる。魔女の森と言うのは、森の魔女たちの結社名であると同時に、森の魔女が住む森の事でもある。ここも、そんな森のひとつなんじゃないか?」
「……どう言う事?ね、ねぇ、詳しく教えてよ、デッド・エンド。」
「詳しくも何も、今言った通りさ。その目的までは知らないが、魔女の森ってのは魔女たちが組織した結社の名前だ。森の魔女の魔女たちは互いを姉妹と呼び、まぁ一種の協力関係にある。それぞれ別々の森に隠れ潜むが、ま、大体バレちまうんだ。色々やらかすからな。それで、森の魔女が住んでいるとバレた森は、魔女の森と呼ばれるって話さ。カサンドラは一番有名な森の魔女で、長姉と呼ばれていたな。」
「それじゃあ、魔女の森っていくつもあるのね。でも、カサンドラが――森の魔女が姉妹だなんて知らなかったわ。」
「私はどちらの話も知りませんが、千年の間に大分変わったんですね。口伝では良くある事です。」
「……そちらの方は?」
後ろに控えていたシェードの発言で、初めてその存在にラヴェンナは気付いた。
「え!?あぁ、付いて来たのね、シェード。」
「非道い言われようですね。そりゃ私も気になりますよ。」
「あぁ、ごめん。別にそう言う意味じゃ無いんだけど。」
「不思議な……お洋服ですね。」
ラヴェンナは、不思議とシェードに嫌悪感や警戒心を抱かなかった。ただ、その物珍しい出で立ちは気になった。
「……えぇ、こちらの服ではありませんから。」
「そう言やぁ、それ、何なんだ?竜みてぇだが、そんな竜いねぇよな。」
「あぁ、この龍ですか。そうですね。どうやら、こちら側にはいないようで。ですが、この龍もドラゴンですよ。どちらかと言えば、龍神――神様みたいに崇められていますけどね。」
ドラゴンとは、爬虫類を大きくしたような姿のモンスターで、しかし爬虫類など及びも付かないほど厄介な生物である。その鱗は鋼より硬く、その力は大型猿類を凌ぎ、最下級とされるレッサー・ドラゴンですら、まともに戦って人間が勝てるような相手では無い。
唯一の光明は、魔法の力であろう。しかし、上級のドラゴンともなれば、魔法の力を以てしても絶望しか抱けない。飛ぶのだ。火を吐くのだ。
そんな絶望と人が対峙するには、軍隊で以て当たる他無い。その上で、その軍隊が負けるのだ。それで何とか追い払えれば幸運と言う、正に自然災害に等しい脅威である。
「……ドラゴンが神様なの?まぁ、神様くらい強いのかも知れないけど……」
「どうやらこちら側では、ドラゴンは恐れの対象でしか無いようですね。ですが、国が変われば物の捉え方も変わります。それほどの脅威だからこそ、神様のように扱って軽々に近付かないようにする。ドラゴンだけで無く、雷も神様。地震も神様。そんな神様に、禍が降り掛からぬようにと祈りを捧げる。そう言う風習があるんですよ。」
「まぁ……判らなくも無い――かな。」
「こうして特別な服の意匠として取り入れるのも、ドラゴンへの畏敬の念を表しています。実際強い生き物ですから、力への憧れと言う側面もありますね。この服は戦闘服なんです。とある流派のね。」
「戦闘服……と言う事は、貴方は戦士なんですか?」
まだ自己紹介を受けていないラヴェンナは、戦闘服と聞いてそう考えた。もちろん、違和感は覚えながら。何せ、目の前の男は非武装なのだ。その戦闘服とやらも、煌びやか過ぎて戦いの装束とは思えない。
「おっと、これは失礼。自己紹介がまだでしたね。私はシェード。こう見えて錬金術師です。そして彼が、連れのウーミン。」
「……私はラヴェンナ。」
シェードが錬金術師である事にも、ウーミンが単眼の虹色鳥である事にも、ラヴェンナの表情は変わらない。いや、変わらないように見える。むしろ、無反応な事に周りの方が驚いたが、ラヴェンナはそう言う人間だとすぐ納得もした。
「それで……どうしてそのペンダントが狙われるのかは――」
「……、……、……」
しばし黙考したラヴェンナは、ふいに左斜め上を見詰め、
「どう?お婆ちゃん。何か心当たりある?」
いつかと同じように、傍に祖母がいるかのように語り掛けた。当然、そこには誰もいないのだが――今回は違った。ダイ・オフは、ラヴェンナの斜め上に立つ人影を認めた。
だがその人影は、とてもラヴェンナの祖母には見えなかった。年の頃はラヴェンナの少し上と言ったところか。特徴的な赤毛も顔立ちも、ラヴェンナと良く似た女性――の霊だった。
その幽霊は、ダイ・オフには聞こえない言葉をいくつかラヴェンナへ囁くと、忽然と消えた。
「お婆ちゃんにも、心当たりは無いそうです。その知り合いはお婆ちゃんの恩人だそうで、頻繁に遣り取りをしていた訳では無いから、立派な魔女だったと言う事くらいしか判らない、って。」
「そっかぁ。その知り合いの魔女さんの事情なら、お婆ちゃんにも判らないね。」
「……ところで、そのお知り合いの魔女さんには、お弟子さんとかいなかったんですか?お婆様に聞いて頂けますか?」
ラヴェンナと会ったばかりのシェードだが、ラヴェンナの行動を訝しむ様子は無い。ラヴェンナが祖母に語り掛けていると、すんなり信じているようだった。
「……どう?お婆ちゃん。」
もう一度宙空へ語り掛けると、そこに再び先の女性が現れ、何事かを呟いて後、消えた。
「お弟子さん……もしくは娘さんがいた――はず。はっきり覚えていないけど。」
「充分ですよ。それでは、そのお知り合いの魔女さんの家まで行きましょう。そうすれば、何か判るかも知れませんよ。」
本当に胡散臭い。男三人はそう思う。特にダイ・オフは、シェードの視線が自分と同じ場所を向いていたように感じた。ともすれば、この男にはあの女霊の言葉すら聞こえたのではなかろうか。そんな風に思えてならなかった。
「確かにそうね。何で襲われたのか判らないなんて、気持ち悪いもんね。行こ、ラヴェンナ。」
「……えぇ、行きましょう、エンジエルさん。」
屈託の無いエンジエルの様子に、少し頬が緩むラヴェンナ。その微笑は、歳相応の魅力的な女の子に見えた。
魔女の家までの道順は、ラヴェンナが知っていた。いや、多分彼女の祖母が。しかし、その道行きは平穏なものとはならなかった。
しっかりとした舗装では無いが、人が行き来するのに問題無い森道が続いており、本来であれば快適に散策すら出来た事だろう。一定の距離で配置された守護像が、旅の安全を見守ってもくれる――この森の主が存命だった頃の話だが。
そう、今や一定の距離を進む毎、その守護像が動き出し誰彼構わず襲って来るのである。
「おい、シェード。こいつのはどこだ?」
「……背中ですね。何か覆いのような物はありませんか?」
「こいつか!おら!」
シェードが命令の刻まれた場所を看破し、ダイ・オフが“atim”へと書き換える。コツを掴んだ事で、瞬間剛力を必要とせず単語を削れるようになった。こうなってしまえば、相手はただデカいだけの鈍亀である。
とは言え、一定距離毎にゴーレムが動き出し、一々相手にしなければならないのだ。平穏無事な道行きとは言えなかった。
何より、シェードはコマンドの場所を教えはしても、自らゴーレムを停止してみせようとはしなかった。多分それが、一番確実な方法であるにも関わらず。何しろ、シェードは自らを傀儡師と名乗っているのだから。
「先程の二体を停止させただけで、もう魔力が底を尽き掛けまして。今は立っているのがやっとなんですよ。」
それがシェードの言い分。もちろん、誰も信じてはいない。どこからどう見ても、シェードには余裕が見られた。仮に今からダイ・オフたちと一戦交えたとて、きっと勝つのはシェードなのではないか。この男からは、そんな雰囲気を感じさせた。
「どうやら着いたみたいですよ。」
偵察に出ていたウーミンが戻ると、シェードはそう報告した。彼此森道の守護像を十体ほど倒した後である。
程無くして森が開け、広場のような場所に出た。そこには、ゴーレムたちとは比べ物にならないほどの巨木がそびえ立っており、その木と所々一体化したような家屋が根元に存在した。木造家屋の外壁を覆い隠すほどの蔓蔦も這い回り、色取り取りの花も咲いている。
そして、五体ほどのゴーレムが庭を彷徨いていた。広場に到着した一団には気付かずに、その家の周りに屯しているようだった。
「ちっ、一遍に五体は厄介だな。」
いくら鈍重とは言え、五体に囲まれては死角も出来る。こちらには手練れがふたりいるが、体はひとつだ。
「……いえ、あれは大丈夫そうですよ。」
「あん?どう言う事だ。」
「ゴーレムには、用途によって違いがあるんですよ。あれは園芸用や力仕事用。守護者として配置した物では無く、身の回りのお世話役ですね。」
「と言う事は、危険じゃ無いの?」
「えぇ、多分大丈夫だと思いますよ。……暴走していたらその限りではありませんけど。」
「ちょっとぉ。」
「そんな事より――」
シェードはそう言って、斜め後方へ視線を移し、
「こっちの方が危ないですよ。」
そのタイミングに合わせたように、ひと際巨大な何かが立ち上がった。何か――言うまでも無く、ゴーレムだ。しかし、今まで見たどのゴーレムよりも巨大だった。身の丈は他のゴーレムの倍ほどあり、屋根裏部屋らしき部分まで含めた巨木の家屋の大きさに匹敵した。さらに他のゴーレムと違うのは、その質感である。
「どうやら自重を考慮して、素材には木を選んだようですね。巨人と言うより、まるで巨木の精のようだ。」
「何を呑気な事言ってやがる!こいつぁヤベぇだろ!」
「えぇ、危ないですよ。……コマンドにも、ちょっと手が届きそうに無いですねぇ。」
「エンジエル、ラヴェンナ、下がれ。一時撤退だ。」
慌てた風は無いが、ダイ・オフで無くデュースがそう指示すると言う事が、事態の危険性を如実に表していた。
故に、エンジエルもラヴェンナも素直に迅速にその指示に従ったが、エントの前に立ちはだかった者がいた。
「……あんまり干渉したくは無いんですが、これは仕方ありませんね。ウーミンも下がっていなさい。」
飛び立ったウーミンはエントの前で一度くるりと輪を描き、然る後にエンジエルの肩へと舞い降りた。
「ちょ、ちょっとシェード!危ないから貴方もこっちへ――」
「ぎげぎゃあ!」
「え?!大丈夫って……貴方のご主人様、そんなに強いの?」
「ぎげぎゃあっ!」
「あん、もう、良いじゃない、ご主人様で。いつも大人しく肩に乗ってるんだから。」
何故か会話が成立しているエンジエルがウーミンと掛け合いをしている間に、そのエント・ゴーレムは右腕を振り被っていた。石では無く木製だからか、巨大ではあっても幾分ストーン・ゴーレムより動きも早い。だが、振り上げた拳は十mほどの高さから振り下ろされる。決してその威力が、ストーン・ゴーレムに劣るとは思えなかった。
その堅い拳がもたらしたものは、しかし暴風だけだった。巨大で堅い木槌は、人の形をした何かが片腕で受け止めて見せた。顔色ひとつ変えずに構えた左腕でエントの一撃を止めたシェードは、とても人とは思えなかった。その威力が見た目より弱かった――などと言う事では無い。受けたシェードは涼しい顔だが、その足元の地面は受けた衝撃で陥没しひび割れたのだ。
すると、ふ、っとシェードの姿が消えた。間、髪を入れずにエントの腕を掻い潜ったシェードは、右の掌底を脛へと突き入れた。その瞬間、ダイ・オフとデッド・エンドには何某かの魔力が炸裂したように感じられた。それはつまり、シェードの掌底がただの掌底では無い事の証左であった。
ごぉあぁぁぁ……、と声にもならぬ苦鳴が轟き、エントは頭を抱えるような格好で動きを止めた。シェードが掌底を当てたエントの脛には、先に倒した二体のゴーレムと同じように、“atim”の文字が読み取れた。
「……、……、……もしかして……さっきのゴーレムもこうやって止めたの?」
信じられぬ光景に暫し言葉を失っていた面々だが、ようやく事態を呑み込んでそう問い掛けた。
「えぇ、そうですよ。ここに来るまでダイ・オフさんがゴーレムの相手をしてくれたので、私の魔力も少しは回復しました。何とかもう一体、止められましたね。」
何とも白々しい答えを返すシェード。一同が言葉を失ったのは、そんな事では無い。確かに巨大な木製ゴーレムを一撃で止めたのも人間業とは思えないが、その巨大ゴーレムの拳を左腕一本で受け止めた事の方が異常である。シェードは自称錬金術師――つまり、魔法使いなのだ。
「一体、お前は何者なんだ。ただの傀儡師じゃあるまい。魔法使いってのは、普通ひ弱なもんだ。あの一撃は、ダイ・オフが俺様で受けたって、受け止め切れるようなもんじゃないぜ。」
千古の魔剣が最強の使い手をして受け切れぬと言う。ではあれは、何かの防御魔法であったのか。しかしふたりは、拳を受けたその時に、魔力の働きを感知していなかった。
「あぁ、あれですか。実は私、傀儡師でもあり、拳法家でもあるんですよ。」
「けんぽうか?」
「えぇと、そうですね……まぁ、素手で戦う戦士ですよ。私の世界では一般的な戦闘技術なんですが、こちら側には存在しない概念――いえ、珍しい概念、ですかね。多分、無手戦闘術自体はこちら側にもあるんじゃないですか?」
無手戦闘術。確かにそれは存在する。戦場において、いつでも必ず得物が手元にあるとは限らない。いざと言う時、武器が無くとも戦い抜く為に、無手戦闘術を修める者も少なくは無い。
――が、いざと言う時の話である。戦闘において、間合いは重要だ。長い得物を用いれば、相手に先んじて先制攻撃を仕掛ける事が出来る。故に、拳よりも剣。剣よりも槍。槍よりも弓。そして弓よりも魔法。遠くから一気に敵を仕留めてしまえば、何より自身が安全だ。無手戦闘術はいざと言う時の為一応修めるとして、しかし器械戦闘術をこそ極めんとす。それが当然であろう。
「実はこの服も、拳法着と言って拳法家が身に付ける物なんですよ。私これでも、拳法の達人でして。」
「達人って……だって、あのゴーレムの大きな拳よ?!普通、受けた腕ごと潰されちゃうわよ!」
「はは、普通ならそうでしょうね。でも私、達人ですから。ほら、ちゃんと力は地面に逃がしましたよ。」
そう言って、拳を受けた際に陥没した地面を指し示す。言われてみれば確かにその通りなのだろうが、本当にそんな事が可能なのだろうか。
「とにかく、これで当面の脅威は去ったみたいですよ。もう近くに、戦闘用ゴーレムの気配はありませんから。」
その言葉に、ぎげぎゃあとひと声鳴いてウーミンがエンジエルの肩から飛び立ち、周囲をひと回りしてからシェードの肩へと戻って来た。
「……どうやら、そのようね。」
ウーミンが安全を確信したからこそ、主人の肩へと戻ったのだろう。そうエンジエルは判断した。そんな事を口に出せば、またウーミンがぎげぎゃあと抗議の声を上げるだろうが。
「ところで、本当に大丈夫なのよね、あのゴーレムたち。」
そうエンジエルが示したのは、園芸用、力仕事用とシェードが説明した五体ほどのゴーレムたち。今はただ彷徨くばかりで、何か仕事をしている訳では無かった。確かに守護者と呼ばれた他のゴーレムたちより、ひと回り小振りに見える。その分、指先の造形は少し細かいようだ。
「あぁ、そりゃあ大丈夫だろ。感じる魔力に禍々しさが無ぇ。」
「禍々しさ?そんな事まで判るの?」
「あぁ、何と無くな。俺様のは学問としての魔法じゃ無く感覚としての魔法だからな。そう言うのは雰囲気でしか判らねぇ。」
「それに、発する魔力の大きさも、戦闘用よりかなり小さい。仮に襲って来ても、ダイ・オフが斬り捨てられるんじゃないか?」
「そっかぁ。うん、それなら安心ね。」
ゴーレムの専門家と、魔力を感知出来るふたりが口を揃えたのだ。信じぬ理由が無かった。
「ラヴェンナ、行きましょ。」
「……えぇ、行きましょう。」
ラヴェンナを伴って、エンジエルが先を歩き始めた。目的地である魔女の家へと。
近付いてみれば、思った以上に大きな家だった。巨木の幹に半ば呑み込まれたような木造の館で、外観からは三階建てに見える。階層が多いからだけで無く、扉や木戸などの造りが大きめで、一般的な三階建て家屋と比べて高い建物だ。壁には蔓蔦が這い回っているが、扉や木戸を避けて伸びている。場所によっては、蔓蔦の模様が意匠に見えなくも無い。
件の園芸用ゴーレムたちは、近付くと一瞬反応を見せたが、それ以上何かをしてくる様子は無かった。エンジエルは一見無警戒に、ラヴェンナは身構えながらゴーレムの傍を通り抜け、その大きな扉の前へと無事に辿り着いた。
ヒールを合わせても百五十cmを少し超える程度のエンジエルよりも、ヒールを履かずに頭ひとつ高いが平均的な身長のラヴェンナよりも、確かに扉は大きかったが、常識外れと言うほどでも無い。それこそ、外の園芸用ゴーレムが出入り出来るほどには大きくない。ドアノブやドアノッカーまで木製であるが、取り立てておかしな様子は見られない。
そのドアノッカーを、ごんごん、と無造作に鳴らして、
「すみませ~ん。どなたかいらっしゃいませんかぁ~。」
しばらく待つも、そのエンジエルの呼び掛けに応える者はなかった。罠など掛かっていない事は確認済みでもあるし、鍵も掛かっていないその扉を仕方無くエンジエルは少し開いて、
「すみませ~ん、どなたかいませんかぁ。怪しい者じゃ無いですよ~。」
自ら怪しく無いと語る盗賊ほど怪しいものは無いと思いつつ、エンジエルは家の中へと体を滑り込ませた。
入ってすぐの玄関ホールはとても広く、二階分の吹き抜けとなっている。正面に大階段を備え、大階段により隔てられた左右の空間は、そのまま奥へと続く廊下となっている。左右の壁には、すぐ横手と廊下手前に扉がふたつずつ。二階部分にも廊下や部屋が見て取れて、幅だけで無く奥行きもある建物のようだ。
高い天井からは装飾照明が下げられており、そこには炎とは違う明かりが灯っている。場所柄魔法の灯りと思しき白光によって、窓も無いホールであっても外と同じように明るかった。
「随分広ぇな。魔女の家っつ~より、貴族様の別荘って感じだなぁ、おい。」
気付けば、ラヴェンナだけで無くダイ・オフ、シェードも玄関ホール内へ入って来ていた。
「……まぁ、ゴーレムを物ともしないんだから、警戒する必要も無いか。すみませ~ん、どなたか――」
改めて、エンジエルが声を上げたその時、廊下の奥の方から微かに音が聞こえた。それは扉の開く音のようで、次いで何かが近付いて来る気配がした。
警戒する必要が無い――と言いながらも、エンジエルは腰の得物を引き抜いた。危険感知に触れるモノも無し、ダイ・オフだけで無くラヴェンナもシェードも身構えていない以上、身の危険は無いだろう。ただエンジエルは、この中で自分が一番弱いと弁えている。戦う為では無く、自分の身を守る為の最低限の警戒は必要であった。
そこへ、右手廊下の薄暗がりから姿を現したモノは、これもやはりゴーレムであろう。しかし、外のゴーレムと比べれば、かなり可愛らしいゴーレムだった。木製のゴーレムで、しかし造形は外のゴーレムたちとそこまで変わらない。大きさがエンジエルの腰の高さほどしか無く、糸繰り人形よりは少し大きい程度。それが、こつこつこつ、と木靴を鳴らすように近付いて来る。
「……これもゴーレム――よね。」
その時、エンジエルも気付いた。その後ろに誰かいる。だがやはり、危険感知に触れるモノは無い。脅威を警戒するあまり、普通に気配を探るのを忘れていた、とエンジエルは舌を打った。
「あ……あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ……」
「……あああああああ?」
「あ、あなたたち……ど、ど、ど、ど……」
「どどどど?」
どもりながら姿を現したのは、判りやすい格好をしたひとりの魔女だった。だぼっとした薄灰色のローブを身に付けており、両手で握った木製の短杖を前方に突き出す格好をしているが、かなり屁っ放り腰だ。
彼女は、長い金髪を太めに二本お下げに結んだ、そばかすの残った童顔の女性――とは言え、あくまで顔立ちが幼いだけで、実年齢が若くは思えない。パッと見はラヴェンナと同世代に見えるが、きっと歳上だろう。何と無く醸し出す雰囲気に、若さが感じられない所為だ。
もうひとつ、小さな丸眼鏡を掛けているのも特徴的だった。決して市井に出回らない代物では無いが、数が少なく高価でもあるので、実際に目にする機会は限られる。だが、眼鏡は一種の魔導器。彼女が魔女なら不思議では無い。
「どちら様ですかぁ?!」




