第一節
件の老人は、散歩へ出掛けた切り、戻って来なかった。荷物は部屋に置いたままなので、料金を踏み倒して逃げ去ったとは思えない。
吟遊詩人が詠う英雄譚は、英雄たちの活躍を盛って詠われるものだが、老人の語った物語は、まるで見て来たように登場人物たちを細やかに描き出した。
そんな話を大層気に入った男たちは、老人が戻らぬ数日間、自分なりのアレンジを加えた天使と死神の物語を、家人に聞かせて得意顔であった。
話のアレンジはともかく、元の話が面白かったと見えて、天使と死神の物語と言う新しい英雄譚は、瞬く間に村中に広まった。
そして、家人たちは普段役にも立たない男共を、話の続きを聞いて来いと、いつもと違って喜んで酒場へと送り出したのだった。
その期待が落胆へと変わる頃、老人はふらりと戻って来た。自警団長が代表して詰め寄り、
「一体今まで、どこに行ってたんだ。」
期待から自然と一番高いワインを供された老人は、それで唇を少し湿らせた後、
「野暮用だ。ついでに、墓参りをして来た。」
「墓参り……か。それじゃあ、仕方無ぇ。とは言え、本当にどこまで行ってたんだ。一週間も帰って来ねぇなんて。」
老人は少しだけ団長の方を見やり、
「一週間……そんなに経っていたのか。やはり、山登りには時間が掛かるな。」
「山登り?山登りったって、この辺にゃ山なんて……」
そう言って、団長は少し怪訝な表情を作った。しかしすぐ、ふと思い出した。
この辺境の寒村周りに山と呼べるほどの山は無く、山脈に囲まれている訳でも無く、北は雪深く人が住める場所では無いし、後は海と平原が広がるばかり……だが、ひとつだけ異様な山は存在していた。
そこだけ急にせり上がったかのように、晴天でも無ければ頂上が見えないほどの山がぽつんと屹立している。
しかし、断崖絶壁と言える山肌は、人が登れるようなものでは無い。
その異様さもあって、昔は魔族の城が頂上にあったのだと、根も葉も無い噂話が広まっており、そもそも登れもしないから、誰も近付かぬ山であった。
それに、この老人は手ぶらで、山登りをするような装備など一切身に付けていない。
このような状態で、あの魔族の山を登って来たなどとは、あり得ぬ話であった。
団長は不意に身震いし、何か得体の知れないものを振り払おうとした後、老人の横に座り直し、改めて本題を切り出した。
「まぁ、そんな事はどうでも良い。俺たちゃ、あんたの話の続きが聞きたいのさ。あんたがいねぇ間にかかぁ共に話を聞かせたら、すっかりかかぁ共も気に入っちまってな。是が非でも話の続きを聞いて来い、とこうだ。飯も酒も奢ってやるから、是非とも続きを聞かせてくれ。」
老人は無表情のまま、もうひと口ワインを啜った後、顎髭を一度擦ってから話し始めた。
「気に入って貰えたなら、こちらとしても話した甲斐があったと言うもの。では、聞かせよう。今日は、死神の目的地であった、とある国で起こった出来事について……」
ディアマンテ南の街道は、半日ほど歩くと西へ折れる。それより南方へ向かう道は無い。
街道脇の森を抜けたふたつの影は、西へ折れた後程無くして、獣道のような道とは呼べぬ道を南へと進み出した。
しかし、歩き始めればすぐ気付くが、そこは獣道などでは無かった。破れ果ててはいたが、所々に道だった名残が見て取れ、古くは人の往来もあった普通の道であった事を窺わせた。
ディアマンテをほとんど出た事が無い地元民であるエンジエルだが、ディアマンテの南方に、村や街があるとは聞いた事が無い。
いや、古い文献にでも当たれば昔は存在したのかも知れないが、今ディアマンテで暮らしていて、そんな話を耳にする事は無い。
デュースたちの目的地がさらに南方と聞いて、きっと大きく西へ迂回した後さらに南下すると思い込んでいたが、何も無いはずの山中が目的地なのだろうか。
さすがに、仇として付いて行く、と言った手前、まだ色々話は聞けていない。
デュースだけで無くダイ・オフすら気にしてはいないのだが、思えば盗賊の家とは言え箱入り娘。
本格的な旅も初めてで、デュースの足に付いて行くだけで精一杯なところもあった。……デュースの方は、かなりエンジエルに歩調を合わせているのだが。
そんな、余所余所しさがまだ消せない三人は、ディアマンテを発って三日目の朝、小高い丘から街を見下ろしていた。
「ふぅ~、あれから三日、ようやく街が見えたわね。……ここが目的地?ここって、どこなのかな?」
見下ろす街は、山間の森が開けた一画に広がっており、大きいとは言えないまでも、それなりの規模の街に見えた。
何より、破れ道の先にあるにしては、建物が皆綺麗だ。
いや、人が暮らしていれば当たり前かも知れない……きっと、この道を使わなくなっただけで、生活道は他にあるのだろう。
そうエンジエルは、勝手に納得する事にした。
「さぁな、目的地には違いない。」
デュースでは無く、ダイ・オフが答える。
「さぁって、それどう言う事?ここが目的地なんでしょ。……目的地がどこかも知らずに目指してたの?」
「まぁ、そう言うこった。」
「だから、どう言う事よ。」
紅い瞳が碧い瞳に変わり、
「まだ良く聞こえないようだ。」
「……聞こえない、って何が?」
相手がデュースに変わって、エンジエルは少し緊張する。
これまで荒くれ者の中で暮らして来たエンジエルにとって、乱暴な態度を一切取らないデュースは、まるで貴族のような別世界の住人に見えた。
悔しいが、粗暴な態度のダイ・オフの方が、気楽に話せてしまう。
「声……らしい。ダイ・オフを呼ぶ、何者かの声。」
「……その声が、南の方から聞こえてた、って事?その声がする方へ向かっていただけだから、はっきりどこが目的地か判らなかった?」
「そう言う事だ。」
「ふぅ~ん……まぁ、良いんだけど。へへ、それじゃあ街へ行きましょ。やっとベッドで眠れるわ。……あ、あたしは、相部屋でも良いわよ。ほら、旅は何かと物入りだから、節約しないとね。」
「……」
「べ、別に何でも無いわ。」
口を尖らせ、少し俯くエンジエルを見やり、
「……考えておく。」
ひと言残して歩き出すデュースであった。その心の中では、ダイ・オフとの間で、別の話題が交わされていた。
「気付いたか?」
「……いや……もしかして、魔法か?……確かに、こいつと同じ空気を感じるか。」
そう言って、デュースは右手の得物をちらと見やる。
「ここら一帯、何かの魔法の影響下にあるようだぜ。こんな人間族の領域内で、魔力の源を感じるたぁ驚きだ。やっぱり、何かあるぜ、この土地にゃあよ。」
同じ体に宿るふたつの人格とは言え、片方はそれを感じ、片方はそれを感じない。ふたりは正しく、別人なのだった。
「何してんのよぉ~、置いてっちゃうぞ~。」
いつの間にかデュースを追い越し、無邪気にはしゃぐエンジエルを見て、表情が和らぐデュースであった。
丘から三十分ほどで街へと辿り着き、三人はひとまず宿へと直行した。
その間目にした街並みは、整備や清掃が行き届いた、まるで観光地のような清潔さであった。いや、観光客が汚さないだけ、この街の方が綺麗なのかも知れない。街道すら断絶した山間の街である。それは少々、異常と映った。
街へ入って程無く、三人は宿屋を発見する。食事とベッドが描かれただけの看板も、新しく見えた。
開け放された扉を潜るも、カウンターには誰の姿も無く、エンジエルは呼び鈴を軽く二度鳴らす。
「すみませ~ん、お客さんですよ~。」
すると、すぐに奥から、のんびりした調子の中年親父が顔を出した。
「……あぁ、いらっしゃい。この街にお客さんとは珍しい。えぇと……あぁ、宿泊だよね。」
「何言ってんのよ。ここ宿屋でしょ。一泊……ひと部屋で、おいくらかしら。」
「えぇと……一泊ひと部屋、十ゴールドか。」
「十ゴールドぉ~?!」
わざと驚き、その後値引き交渉に持ち込もう、と思っていたエンジエルだったが、素で驚いた。
「冗談でしょ。ひと月腰を落ち着けよう、ってんじゃ無いのよ?一泊するだけで金貨が必要なんて、貴族が使うような豪華ホテルくらいでしょ。いくらこの街の交通の便が悪いからって……」
言いつつ、だから高いのか、と勝手に納得しかける。だが、
「ん?そうなのかい?それじゃあ、金貨一枚で好きなだけ泊って行くと良い。どうせ部屋は空いてる。」
「え?!……えぇ、ありがとう。それじゃあ、これ。」
腰の金袋から金貨を一枚取り出し、宿の親父に手渡した。宿の親父は、手にした金貨をまじまじと見詰め、
「……あぁ、そうかそうか。そうだった。それじゃあ、記帳をお願い出来ますか。」
勝手にひとりで何か納得してから、宿帳とペンをエンジエルの前に移動させた。
その様子が少し気にはなったが、敢えて触れず、エンジエルはささっとAngIelと走り書いた。
「はい、デュース。」
促されて、ちらと一度親父を見やってから、デュースは左手でDie offと記入する。それを見ていた親父の表情に、変化は見られない。
「ここに来るまで、街の住人を見掛けなかったが、そんなに外の人間は珍しいのか?」
住人たちの気配はあった。だが、家の中に引き籠り、こちらの様子を窺っているようだった。
「……あぁ、そうだな。随分久方振りのお客人だよ、あんたたち。」
「ここは、何て言う街なんだ?」
「……ダイナスだよ。ダイナスの城の城下街だ。」
「ダイナス?う~ん、聞いた事無いわね。」
エンジエルが首を捻る。
「まずは、長老に会うと良い。街の中央広場に面した一番大きな家だから、すぐに判るよ。そうすれば、他の奴らも顔を出すんじゃないか?」
そう言い残し、宿屋の親父は奥へ引っ込もうとする。
「あ、ちょっと、おじさん。部屋部屋。案内してくれないの?」
「うん?……まぁ、全室空き部屋だ。好きな部屋を使うと良い。」
そう言って鍵の束をカウンターへ置いた後、そのまま奥へと消えてしまった。
頭を掻きながらエンジエル、
「いやまぁ、良いんだけど……何か変じゃない?それとも、旅先の宿屋なんて、こんなもんなの?」
水を向けられたデュースは、
「いや……確かに変だよ。」
「そっか……良し、それじゃあ、おじさんの言う通り、まずは長老様に会いに行ってみましょうか。」
「あぁ、そうだな。」
そうしてふたりは階段を上り、部屋に荷物を置いてから出掛ける事にした。
お金はひと部屋分しか払っていない、そう言い張って相部屋にしようかとも思ったが、全室空き部屋、好きに使えと言われた手前、さすがに無理がある。
少し残念に思いながらも、それはそれでほっとするエンジエルであった。
宿の親父の言う通り、長老の家はすぐに判った。
一番大きな家、と言う話だったが、周りの家々とは作りも違い、それはもう屋敷と呼ぶに相応しい威容を誇った。
ドアノッカーを叩くと、不愛想なメイドが姿を現したほどだ。その中年メイドは、来訪者を上から下までじろじろと眺めた後、無言で踵を返した。
扉は開け放されたままだから、勝手に入れと言う事だろう。
広いが豪奢とは言えない玄関ロビーを抜けた先で、扉をコンコンと叩いた後、メイドはそのまま奥へと消えた。
仕える主人にまで声を掛けぬのは少し不自然だ。もしかしたら、不愛想な訳では無く、声を失っているのかも知れない。
そんな事をあれこれ考えていたデュースとは打って変わり、エンジエルは元気良く扉を開き、
「ごめんくださぁ~い。いらっしゃいますか~?」
そこは書斎のようで、安楽椅子に腰掛けた老人がひとり、本を読む手を止め客人を迎えていた。
「……どなたかな?」
「旅の者で~す。あ、えっと、ご挨拶に伺いました。」
相手がこちらに気付き、ちゃんと出迎えている事に気付き、襟を正したエンジエル。
「ほうほう、旅の者かね。どうぞお入りなされ。」
「は、はい。失礼します。」
促され、畏まって入室するエンジエルに続き、
「悪いな。いつも手放さぬようにしている。帯剣したまま失礼するよ。」
そう断って、長剣を肩に担いだデュースも後に続いた。
「構わんよ。貴方は戦士なのだろう。こちらも、このままで失礼させて貰うよ。あんまり足が良くないものでね。」
そう言って、老人は椅子に座ったまま答えた。
「この地に旅人が訪れるなど、久しく無かった事。ゆるりとして行くが良かろう。」
「ありがとう、お爺ちゃん。……え~と、長老様で良いのかしら。」
「えぇ、私が一番の年寄りですので、長老などと呼ばれております。」
「あたし、エンジエル。こっちのイケメンがデュースよ。ねぇ、デュース。長老様なら、何か御存知じゃないかしら。」
「何か……お聞きになりたい事が御座いますか?」
長老は、真っ直ぐ碧い瞳を見詰めて問うた。
「……声。どうやらこの地より、呼び掛ける声が聞こえる。と言えば良いのかな。感覚的なものだ。はっきり誰かに呼ばれている訳じゃ無いそうだが……」
「……そうですか。それでは、城を訪れるが良かろう。きっと、呼び掛ける声の主は、そこにいるでしょう。」
「城?お城にいるって、お爺ちゃん、あ、いや、長老様。何か知ってるの?知ってるなら、詳しく教えてよ。」
長老は、エンジエルに向き直って柔和に破顔して、
「ほっほ、それは無理じゃ。この地で何かあるとすれば城、そう申し上げたまで。何か特別な声が聞こえるなど、私も初めて聞きました。」
「そっか。」
「ダイナスの城は、森を抜けた先にあります。……道中、お気を付けて。」
「うん、ありがとう、おじ……長老様。ね、どうする、デュース。」
そう言って振り返ったエンジエルだが、すでにデュースは部屋を後にしようとしていた。
「確かに、声は森の向こうから聞こえるようだ。行くぞ。」
「ちょっ、ちょっと待ってよ。あ、それじゃあ、お爺ちゃん。行って来ます。」
「あぁ、気を付けて行っておいで……」
急いでデュースの後を追うエンジエルを、優しげな微笑みで見送った長老。だが、ふたりが消えた後、その微笑みも消える。
「……あの子たちが、そうなのか?」
その眼は、部屋の壁よりもさらに遠く、遥か遠くを見詰めるようだった。
街を取り囲むように、南西へと広がる緑の塊は、まるで人を寄せ付けぬ天然の要害だった。唯一、城へと続く道だけが、その要害を切り裂いていた。
当然、誰もがこの道を行くが、それを知るのは人間だけでは無かったらしい。街から十分ほど、そこにそれはいた。
どうやら人間の死体に群がっている動物のようだが、いや、動物では無い。昆虫だ。
問題は、その昆虫が熊ほどの大きさであった事。そんな巨大昆虫が、人間の死骸に群がっていたのだ。
その昆虫たちは、ふたつの新たな獲物に気付くと、翅を羽ばたかせ空中へと舞い上がった。
蜂だ。その形から、雀蜂であると見て取れた。熊ほどもある蜂だけに、その姿が細かいところまで確認出来る。
その推測通り、この昆虫が雀蜂であるならば、普通であっても危険な生物である。幸い、数は三匹と多くない。……その大きさを思えば、何の慰めにもならないが。
そんな現実離れした光景を前に、散策気分で森の木々を眺めながら歩いていたエンジエルは、完全に固まっていた。
これは何?夢?
雀蜂は知ってる。だけど、世界にはこんな大きな雀蜂もいるのね……なんて、当然あり得ない話よ。
あ、でも、倒れてる人も助けなくちゃならないし……戦うの?これと?どうやって……
すらん、と剣が鞘から引き抜かれる音を耳にして、ようやくエンジエルは現実に戻って来た。
「デュース……あ、あら、ダイ・オフじゃない。ねぇ、どうなってんの、こいつら。こんなのが、ディアマンテの外には当たり前にいるものなの?!」
ずいっ、とエンジエルの前に進み出て、
「阿呆、こんなもん、世界のどこにもいやしねぇよ。俺様も、出会すのは初めてだ。」
「そ、そうよねぇ。でも、だったら何なの?こいつら。」
「……モンスター。デュースは良く本を読むから、知識としては知ってる。お伽話に出て来るような化け物たちが、実際にこの世に存在してるって事はな。だが、方々旅して来たが、こんな奴ら見た事無ぇよ。少なくとも、人間族の領域内にモンスターが棲息してるなんて話、聞いた事無ぇ。」
高が百年しか生きられない人間族の歴史は、過去の出来事を詳細には伝え切れない。神話として、信憑性の乏しい逸話が語られるに過ぎない。
そんな神話が伝えるところによれば、大昔には人間族以外にも多くの亜人種が暮らし、猛獣程度の扱いでモンスターたちも跋扈していたと云う。
だが、神の加護により人間族が繫栄するに連れ、亜人種たちもモンスターもその数を減らして行き、いつしか姿を見掛けなくなった。現在人間族の領域内で確認されているのは、エルフやドワーフなど、極少数の妖精族くらいである。……人間族の領域、と言うくらいだ。その外はまた、別の話なのだが。
エンジエルとダイ・オフがそんな話をしていると、不意にぶんっ、と翅音を立てて、一匹の巨大蜂がふたりの方へと飛来した。
「きゃあっ!来た来た、どうすんの?!」
怯えながらも咄嗟に短剣を構えたところは、なるほど凄腕の盗賊ではあった。しかし如何せん、実戦経験など皆無である。いや、モンスター相手の実戦経験など、ダイ・オフたちにもありはしないのだが。
しかし素早く身を翻らせたダイ・オフは、逆袈裟に巨大蜂を斬り上げた。ぎぃん、と甲高い音を立て、昆虫独特の硬い外皮が剣刃を弾き返す。
「くそっ、硬ぇな。」
「嘘……あんたでも斬れないの?!」
驚愕するエンジエルに対し、
「まぁ、見てろ。ちょっとした魔法を見せてやる。」
「……奇術?」
一瞬、ダイ・オフの体が赤い光を発したように見えた後、その刀身が薄く赤い光を帯びていた。
頭上を旋回し、再び襲い来る巨大蜂を、ダイ・オフは先ほどと同じように逆袈裟に斬り上げると、今度は紙でも裂くように、あっさりと硬い外皮は斬り裂かれた。
さらに、その傷口が燃え上がる。まるで、油でも浴びせられて火でも点けられたように、巨大蜂は斜めに斬り裂かれた後、炎に巻かれて灰になったのだった。
「……凄い……一体どうなってんの?」
呆然としているのはエンジエルだけで、仲間がやられた巨大蜂の残り二匹は、勢い込んで躍り上がり、左右から敵を挟み撃ちにする。
外皮こそ硬かったものの、最初からその動きには翻弄されていなかったダイ・オフは、軽く剣をふた振りし、その二匹も灰へと変えてしまった。
そして剣をひと振りして剣刃の汚れを払うようにすると、刀身が帯びていた赤い光も消えた。
「ふぅ~……まぁ、ただの猛獣とは訳が違ぇが、こんなもんか。」
拾った鞘に剣を収めながら、ダイ・オフはひとつ息を吐いた。
ぽかん、としていたエンジエルは気を取り直し、
「ね、ねぇ、今の、どうやったの?どんな奇術?」
「あぁん?どんなって、そのまんまの意味だぜ。魔法だ。」
「んん???」
答えの意味が判らないエンジエル。
「……マジックはマジックでも、大道芸人である奇術師が披露するマジックじゃ無い。お伽話に出て来るような魔法使いが使うマジックだ。ダイ・オフは、少し炎の魔法が使えるんだ。」
ふたりのやり取りを聞いていたデュースが、代わりに答えた。
魔法などお伽話だ。この世界の常識は、そう示している。滅多に魔法を使う人間になど、会えない為である。
一部、本当の魔法を使える人間族もいるにはいるが、絶対数が少なく、数少ない娯楽の花形である奇術と混同されている。
普通の人間族には扱えない魔力などと言うものでは無く、ちゃんとした種と仕掛けがある奇術の方が、人々は納得するものだ。
それに、奇術を見た事も無く死ぬ人間よりも、魔法を目にせず死んで行く人間の方が、圧倒的に多いのだ。
「それじゃあ、ダイ・オフって魔法使いなの?」
「……魔法を使う者をそう呼ぶなら、確かに魔法使いなのかもな。」
「凄いじゃ~ん。ねぇねぇ、他にどんな事が出来るの?」
「……おい、途中で引っ込むな。こう言う話は、デュースの方が得意だろ。……ちっ、まぁ良い。大した事ぁ出来無ぇよ。俺様に出来るのは、剣に炎を纏わせる事だけだ。それだって、こいつが弱いながらも魔法の剣だから出来る事でな。そこいらのなまくらじゃ、俺の魔力に耐え切れず、剣の方が壊れっちまう。」
そう言って、その手の両手剣を掲げて見せる。
「ふぅ~ん、そうなんだ。まぁ、魔法で南瓜の馬車が出せるくらいなら、歩いて旅なんてしないもんね。」
少女が思い描く魔法使いと言うものは、そう言う魔法使いなのだろう。
「でも、本当に魔法ってあるんだね。あたし、全然知らなかったわ。」
「何言ってやがる。モンスターだっていたじゃねぇか。」
「あ、確かに。」
「これが、本物の外の世界ってこった。」
その言葉に、空を仰ぎ見る少女は今、胸に何を思うのか……
三匹の怪物の死骸は灰と消えたが、そこには犠牲者の遺骸が残っていた。
普通サイズの雀蜂は、自らは肉食では無いものの、幼虫の為に仕留めた蜜蜂を肉団子にして持ち帰る習性があると云う。
どうやらサイズが大きくなっても習性は変わらぬようで、しかし獲物は蜜蜂よりも大きくなるようだ。
例えば人間。
その遺骸は、所々喰い千切られていて、見るも無残な有様である。
だが、まだ残った部分を善く善く見れば、それは街の住人とは思えなかった。上等とは言えない代物だが、この遺骸は鎧を着ている。
「……うぇ、これって革鎧よね。冒険者の成れの果てかしら。」
「……俺たちが、久しぶりの客だと言っていたはずだが。」
遺骸の調査を念入りに行ったのは、デュースの方である。ダイ・オフの言によれば、自分は荒事担当、頭を使うのはデュースの仕事。
「そう言えば、そう言ってたわね。それじゃあ……衛兵?城の兵隊なら革鎧って事は無いだろうし、街の自警団員とか。」
上半身はほとんど残っていないが、下半身はほぼ無傷。腰に吊るされた水袋を見れば、地元の人間とも思えない。
「……さすがに、これを埋葬してやる義理も無い。取り敢えず、城へ向かおう。」
「え!?……う、うん、判った。」
言われて思い出す。あたしの大切な人は仮の墓に埋葬されてたけど、あっちは野晒しだった。
本来、赤の他人を埋葬してやる義理など無い。デュースは優しい。エンジエルは、改めてそう思った。
多少曲がりくねった森道を進み続けると、支路が見えて来た。どうやら、城まで一本道な訳では無さそうだ。
これだけの規模の森なのだから、きっと湖でもあるのだろう。もしかしたら、林業や狩猟を生業にしている者が暮らす集落などもあるのかも知れない。
そんな事を考えながら、特に警戒する事も無く支路に近付いたエンジエルは、そこに人影を発見する。四~五人の集団だが、少し背が低い気がする。子供だろうか。……モンスターが出るようなこんな森に?
「ねぇ、デュース。あそこに誰かいる……」
言いながら、エンジエルは気付いた。おかしい。身に纏った衣服は随分ぼろだし、肌も緑色に見える。耳だって、少し尖っているような……
「阿呆!あれもモンスターだ。」
脇を走り抜けたダイ・オフの言葉に、ようやく理解が追い付いた。あんな人間、いる訳無い。
「ぎゃ!?」
何やら驚きの声を上げ、襲撃者に気付いたその緑色のモンスターたちは、手に手に刃毀れした小剣や手斧を構え、迎撃体制に移った。
が、ダイ・オフのひと振りごとに一体ずつ数を減らし、あっと言う間に全員血達磨と化す。どうやら、先程の蜂とは違い、魔法を使うほど硬くも無かったようである。
すでにモンスターたちが絶命している事は一目瞭然であったが、恐る恐る近付いたエンジエルは、
「……もしかして……小鬼?お伽話に出て来る。」
「……そうだな。文献で見た特徴と一致する。いくつか交わしていた言葉も、ゴブリン語だったみたいだしな。」
そう答えたのは、斬ったダイ・オフでは無くデュースだった。
「へぇ、そうなんだ……って、デュース、ゴブリン語なんて判るの?!」
「……あぁ、少しな。本で読んだ。聞くのは初めてだが、本に書かれていた発音は意外に正確だったようだ。」
「……デュースって何者?」
一見すれば旅の傭兵。当然だ。姿は、ダイ・オフもデュースも一緒なのだ。
そんな人間が本を読み、モンスターの言葉まで知っている。学者や文官、貴族であれば不思議では無いが、市井の人間は、生活に関係の無い勉強などしない。
ならば彼は、一体いつ何処でそんな知識を身に付けたのだろう。
「さぁ、道を戻ろう。こいつらの仲間が来ない内に。」
「え……えぇ、そうね。」
はぐらかされた?でも、あたしたちはまだ、身の上話を聞かせて貰えるような関係じゃ無い。
少し寂しさを覚えたエンジエルである。
気を取り直して森道を進み始めると、再び支路が見えて来た。先程は左手側に続いていたが、今度は右手側へと続いている。とは言え、森道が曲がりくねっている為、正確に南西へ進んでいる訳では無く、左に折れても南東、右に折れれば北西と、正確な方角に進む事にはならない。
狩人では無いものの、エンジエルは盗賊技能のみならず、職業盗賊には必須となる、冒険者としての探索技能も習得している。
その為、方向感覚も研ぎ澄まされており、こうした森の中でも、頭の中に俯瞰図を描くようにして、状況を把握出来た。その感覚によれば、森道はほぼ西へと伸びており、今度の支路は北方へと続いているようだった。
そんな北への支路付近の茂み、そこにも人影が屯していた。一瞬緊張したエンジエルだったが、今度の人影はちゃんと人間サイズだ。
まだ距離があってはっきりしないが、そのシルエットは間違いなく人間だろう。
そう思って気を抜き、また無警戒に歩き出したエンジエルだったが、頭のどこかで危険信号が点った。
二度ある事は三度ある。今度もモンスターかも知れない。人間と似た姿のモンスターとなると、一体どんなモンスターが存在するだろう。
先程と違い、今度は腰の短剣を抜き放って、慎重な足取りで近付きつつ、その人影に注視してみる。
すると、やはり違和感を覚えた。茂みの中でふらふらとしているその人影たちは、ゴブリンたち以上にぼろとなった衣服を身に付けている。
いや、あんまりにもぼろ過ぎて、半裸に近いとさえ言えた。肌の色も悪い。まるで死人のような……
「ちょっ、ちょっと待って。ね、ねぇ、付かぬ事を聞くけど、動く死体……なんてのも、本当にいたりする?」
視線は人影を捉えたまま、顔を少しだけ後ろに向け、振り返らずそのままデュースに尋ねたエンジエルに、
「正解。良く判ったな。あれは動く死体だ。色々な理由で、死体ってのは動くらしいぜ。モンスターとしちゃポピュラーだそうな。」
そう答えたのは、すでに臨戦態勢のダイ・オフだった。
「さすがに下がってな。あの手のモンスターには、魔法の掛かっていない普通の武器は効きづらいって話だ。俺様の剣なら、一応魔法の剣だから問題無ぇけどよ。」
そうして前に進み出たダイ・オフに、ゾンビたちが気付いた。すると、かたかたと軽い音を立て、ゾンビの足元から別のモノが立ち上がった。……骨である。完全な形の、人間の骨。すでに体を動かす筋肉も腐り落ちてしまったのに、何故か動く骸骨である。
「あ、あ、あ、あれって……」
「ふん、死体の鮮度の違いか?一緒に動く骸骨のお出座しだぜ。」
「やっぱり~!」
スケルトンとは、ゾンビと同じ不死の怪物の一種で、ゾンビがまだ腐肉を残した死体が動くのに対し、完全に肉が腐り落ちた骸骨のみが動くモンスターである。
何故、死体や骸骨が動くのか。それは、ダイ・オフの解説を待とう。
「こいつらにも、普通の武器は効きづれぇ。下がってな。」
再びエンジエルを制して、ダイ・オフが飛び出す。
一度死んだ者だけに、そのタフさはかなりのものだが、物理的に筋力を以て稼働していないだけに、動きは緩慢だ。そんな相手は、ただの良い的。
ひと太刀ごとに、ゾンビの手が飛び足が飛び、腰椎を断たれたスケルトンは、腱も無いのに繋がっていた全身の骨たちが、ばらばらになって地に落ちた。
死肉や骨程度の強度なら、魔法の力を借りずとも、ダイ・オフの腕なら断ち斬る事など容易いと見える。
屯していた全ての人影が倒れ伏してから、エンジエルは警戒を解かぬままダイ・オフの許へと近付いた。
「……うぇ、何これ。手足どころか首まで切ったのに、何でまだ動いてんの?」
見れば、バラバラになってすでに動かぬスケルトンと違い、四肢を失った肉塊の方は、まだそれぞれが違う生き物のように蠢いていた。
「……そうか。こいつらは、何かしらの魔法で動くタイプのゾンビらしい。」
「どう言う事?」
「デュースの受け売りだが、ゾンビやスケルトンにはいくつか動く理由ってのがある。幽霊や精霊が取り憑いて動き出す野良アンデッドもいるが、多分こいつらは、魔法の力で強制的に動かされてる。一応、スケルトンの方は、要となる腰を断っちまえば倒せるようだが、ゾンビの方はしぶてぇな。」
そう言って蠢く肉塊に近付くと、じっと観察する。
「どうしたの?」
エンジエルが不思議に思って声を掛けると、
「……ここか。」
切断されて転がっていた頭部に、ダイ・オフが剣を突き立てた。すると、その個体の体の部位全てが動きを止めた。
「凄い。止まった。もしかして、ゾンビの弱点は頭なの?」
次の肉塊を眺めていたダイ・オフは、今度は胸、心臓の位置に剣を突き立てる。こちらの個体も、それで動かなくなった。
「……違うの?」
「あぁ、特定の場所が弱点って訳じゃ無ぇようだ。俺様が視てるのは、こいつらん中の魔力だ。一番魔力が集中してるとこが弱点らしい。面倒な事に、それぞれで場所が違ぇ。」
言いながら、次の肉塊の股間を刺した。自分で刺しておいて、少し顔を歪める。
「ま、炎で焼いちまえば簡単なんだがな。さすがに、灰になっちゃこいつらも動けねぇだろう。もしお前がひとりでこいつらに遭遇する事があったら、焼いてやれ。」
そうは言うが、ダイ・オフだから簡単にばらばらにして、動けなく出来たのだ。焼く以前に、死んでも襲って来る死者の群れなど、どう相手をすれば良いのやら。
残りのゾンビに止めを刺すダイ・オフを見ながら、
「そんなの、無理に決まってる……一体この森、どうなってんの?」
思わず天を仰ぎ、エンジエルは溜息を吐いた。
街から徒歩で、およそ三十分。斜め上を行く遭遇はあったものの、その悉くをダイ・オフが軽く斬り伏せた為、余計な時間は要さなかった。
もうすぐ森を抜ける。木々の合間から、大きな建物の影らしきものが見え隠れ仕出した。
「ようやく抜けられそうだけど、本当どうなってんの?この森。巨大な蜂にゴブリン?そして、動く死体に動く骨。いくら何でもおかしくない?ディアマンテからそう離れてないのに、こんなとこにモンスターが湧いてるなんて、聞いた事無いわよ。」
「俺たちも、人以外のモノを斬ったのは初めてだぜ。これまで旅した国々でも、猛獣はともかく、モンスターなんざ話にも聞いちゃいねぇ。」
「随分あっさり倒してたけど、そうよね。知識で知ってただけなんだよね。」
「あぁ、デュースがな。俺は本なんざ、一切読まねぇからな。」
「ふ~ん、読まない、ねぇ。読めない、じゃ無いのね。」
「ちっ、同じ事だろうが。え~え~、読めませんとも。読む必要も無ぇしな。手前ぇだってそうだろ。」
「残念。一応、読めるわよ。盗賊稼業には必要なのよ、読み書き。まぁ、共通語だけだけどね。」
そう答えながら、エンジエルは得意そうに薄い胸を張る。
確かに、盗賊は盗品の売買や詐欺行為、もちろん合法的な商取引も行う事がある為、読み書きは重要だ。職業盗賊の場合、パーティーの交渉役を務める事も多く、情報伝達の基礎として読み書きは基本技能と言える。
多くの市井の者が一生読み書きとは無縁でも珍しくない世界において、商人や盗賊、魔導師など、読み書きが必須の者たちもいるのだ。
さらに言えば、エンジエルはある意味、貴族に近い箱入り娘でもある。エンジエル自身はそう名乗らないが、世間から見ればエンジェル・ディアマンテと言う上流階級の娘であったのだ。
一介の戦士に過ぎないダイ・オフが読み書き出来無い事は、至極当然と言えた。どちらかと言えば、博識なデュースの方が珍しい。
ちなみに、宿では宿帳に記帳を願い出るが、客が書けぬなら名前を聞いて代筆をする。しかし、平和な世では無い。ひとつの土地に定住し、一生他の土地へなど足を延ばさぬ者も多く、わざわざ旅をする人間の種類は限られる。
商人や貴族、冒険者などは読み書きが出来、それが出来ぬのは巡礼者の類い。ただ、巡礼者には貧しい者が多く、信仰する宗教の施設で寝泊まりする事もある。宿を利用するにしても怪しい裏宿となり、そんな裏宿では記帳など求めない。
結局、読み書きなど縁の無い者が大半となる。
「それで、聞こえるの?例の、声だっけ?」
道の先、城がある方を見やって、
「……そうだな。ここで合ってるみたいだ。」
そう言って、ダイ・イフは歩き出した。それに、素直に従うエンジエル。そのふたりの前に、巨大な門扉が姿を現す。
こんな僻地の、森に囲まれた城砦に、攻め込む者などあるのだろうか。城壁は十mに迫り、狭間を完備した戦城仕様となっている。
その城壁に相応しく巨大で重厚そうな扉は木製であるが、鉄鋲を打ち込んだいくつもの鉄板で補強してあり、簡単に打ち破れる代物には見えない。
城壁は延々左右に続いており、城門は閉ざされている。何者をも、寄せ付けぬかのように。
エンジエルは、ダイ・オフと見交わすと、
「……すみませ~ん、どなたかいらっしゃいませんか~。」
重苦しい雰囲気にそぐわぬ軽い調子で声を上げるが、それに応える者は無し。反応を待つ間に、城壁や城門をつぶさに見て回る辺り、どうやら盗賊として一流なのは間違い無さそうだ。
方々を手で触れながら調べる事数分、
「これって、どう言う事よ。お爺ちゃん、城に行けって言ってたのに、これじゃあ入れないじゃない。」
こちらは、人の気配が無い事など先刻承知で、返事など期待せず城門を調べていたダイ・オフが、
「力尽く、と言う訳にも行かねぇな。」
「そうなの?さっきの魔法。火の魔法だっけ。あれなら、木製の扉なんか壊せそうな気もするけど。」
「……ただの木の扉ならな。考えてもみろ。この大きさだ。厚さだって、どれくらいあるか判りゃしねぇ。俺様の炎は、あくまで剣に纏う事しか出来無ぇ。ここまでデカい獲物相手じゃ、剣の方が負けちまうだろ。」
「そっか……そうよね。」
「それに、だ。多分、こいつには無理だ。」
「え?……どう言う事?」
ダイ・オフは数歩下がり、城門を見上げるようにして、
「どうやら、こいつには封印が施されてる、らしい。」
「封印?封印って確か、貴族が手紙にするやつでしょ。何度か見た事ある。」
「あ~、この場合の封印ってなぁ……デュース、後は頼んだ。」
瞳の色と共に表情も変わり、デュースが後を引き継いだ。
「……手紙の封蝋も確かに封印だが、この場合、魔法の封印だ。」
「魔法の封印?」
「いくつか種類があって、例えば扉に魔法で鍵を掛けると、その扉は鍵を使っても、盗賊が鍵開けをしても、開けられなくなる。他には、洞窟の入り口に魔法で壁を作ったり、生きている者の時間を止めてしまったり。」
「鍵開けしても開かないの?錠が外れてるのに?」
「あぁ、物理的な錠とは別に、もうひとつ魔法の錠が掛かったままになるようなものかな。種類の違う錠が、ふたつ掛かっているようなものか。だから、もうひとつ鍵が必要になる。魔法と言う名の鍵が。」
「それじゃあ、この城門にも……」
「……いや、城門は普通の扉と構造が違うから、魔法の鍵が掛かっている訳では無いだろう。ただ、俺も知識で知っているだけだし、ダイ・オフも魔力を感じるだけでその種類までは判らないからな。」
人間の魔導師など、滅多にお目に掛かれる存在では無い。希少な存在故、多くがどこかの国お抱えの宮廷魔導師となる。
市井の魔法使いとなると、さらに少ない。本当の魔法使いか奇術師かも、見分けが付かない。
当然、魔法についての知識など周知される事は無く、実際に目にする機会も無い。知識として知っているだけでも、デュースは特別と言えた。
「どんな魔法が掛かっているか判らないから、ダイ・オフが炎で斬り付けて効果があるのかどうかも判らない。他に方法が無ければ試してみても良いが、まずは他の方法を考えた方が良い。」
「他の方法かぁ……」
そうして、城壁を見上げるエンジエル。
「ちょっと高いなぁ。手持ちのロープじゃ、長さが足りないわ。」
ロープの先に鉤爪状の器具を取り付けた鉤縄は、代表的な盗賊道具のひとつである。
しかし、ロープが長ければ長いほど持ち歩くには邪魔となり、軽業も必須な盗賊は普段、そこまで長いロープを携行しない。
「となると……どこか入れそうな場所が無いか、城壁をひと回りしてみる?」
「……いや、止めておこう。森が開けているのは、この城門周辺と整備された道だけのようだ。身動きが取りづらい森の中で、モンスターに遭遇するのは避けたい。」
もちろん、モンスターなどデュースやダイ・オフにとって何ら障害とはならない。
しかし今は、エンジエルが一緒である。彼女を守りながらとなると、この鬱蒼とした森は障害たり得た。
「それじゃあ、どうする?」
「……一度、街へ戻ろう。壁をよじ登るなら、ロープを調達する必要があるだろう。それに、長老が何か知っているかも知れない。」
「そうね。お爺ちゃんがお城へ行けって言ったんだから、話、聞いてみなくちゃ。」
支路はあれど、街と城は一本道と言えた。モンスターも、デュースたちの敵では無い。出ると判ってしまえば、もう取り立てて気にするような存在では無かった。
ならば、街と城は、ほんの一時間そこらで往復出来る距離なのだ。
三人にとっては、大した手間でも無いのだった。
「ちょっと、お爺ちゃん。どう言う事よ。」
街へ戻ったエンジエルたちは、早速長老宅へと押し掛けた。
「あれじゃあ、お城に入れないじゃない。」
眼だけで驚きの表情を見せていた長老は、
「……城に入れない?」
「城門は閉まっていて、魔法の封印が施されていたよ。あれでは中に入れない。」
と、デュースが後を続けた。
「ふぅむ、城門が……。それに、魔法の封印ですか。」
「もしかして、門が閉まってる事、知らなかったの?」
「えぇ、知りませなんだ。召喚もされずに城へ出向く事はありませんし、門を閉めるなどと通知されてもおりません。」
「そうなんだ。それじゃあ、どうやったら入れるか、お爺ちゃんでも判らないか。」
「そうですな……」
しばし考え込んだ長老は、
「魔法屋へ行ってみると良い。この街には、魔法の品を扱う珍しい男がいてな。その男ならば、何か知っていよう。」
「魔法屋?確かに、珍しいわね。ディアマンテにも、そんな店無かったわ。」
「少し入り組んだ場所にあって、判りづらいと思うでな。ウチの者に案内させよう。」
そう言って、手元のテーブルに置いたハンドベルを鳴らし、不愛想だったメイドを呼んだ。ものの数秒で、件のメイドが顔を出す。
「この者は口が利けぬで愛想が無いが、別に不機嫌な訳では無いのです。この爺の頼みも良く聞いてくれる。マ-サさん、この人たちを、魔法屋までご案内して差し上げて下さい。お願い出来ますか?」
こくり、と頷くと、マーサと呼ばれたメイドは、エンジエルたちに目配せした後、さっさと部屋の外へ出て行った。
「あ、ちょっと待ってよ。ありがとう、お爺ちゃん。それじゃあ、またね。」
元気良く長老へ一礼してから、マーサの後を追うエンジエル。
「世話になった。」
その後を追うデュース。
そんな彼らを見送った長老は、椅子に深く座り直した後、少し長い息を吐いた。
「……不思議な感じがするのぉ。まるで、止まった時が動き出したくて、そわそわしているようだ。……すまぬが、勝手に期待させて貰うよ。貴方方三人に……」
無口なメイドに連れられて、細い路地が入り組んだ裏町を五分ほど歩くと、目的の場所へと辿り着いた。そうと知らなければ行き着けないような複雑な位置にあり、小さく魔法屋の看板が掲げられているも、見た目は普通の民家でしか無く、何も知らなければ目の前を素通りしてしまったろう。
マーサは、ゴンゴン、と扉をノックした後、ふたりに一礼してすぐ帰って行った。確かに口が利けない所為もあるのだろうが、そもそもマーサは愛想が良くないのかも知れない。
魔法屋の方は、ノックの後何の反応も無かった。しばし待ってから、エンジエルはもう一度扉をノックした。
「すみませ~ん……」
声を掛けながらノブを回すと、鍵は掛かっていなかった。エンジエルは躊躇せず扉を開くと、
「ごめん下さ~い、どなたかいませんか~?」
と、中へ入って行った。
外から見れば普通の民家であったが、玄関のすぐ先は広い部屋になっており、店舗のような構造ではあった。奥にカウンターがあるが、部屋の中央に大きな丸テーブルがあって、そこの椅子にひとりの人物が腰掛け、どうやら本を読んでいるようだ。
店に入って来た客に気付いていないのか、そもそも客など来ないのか、その人物はそのまま無言で本を読み続けている。
「あの……お邪魔します。」
そう、エンジエルが声を掛けると、その人物は来訪者に一瞥だけくれて、
「何ぞ用かの?」
然して興味を引かれなかったか、眼鏡を掛け直して再び本に目を落とした。ちなみに、百年前にはまだ眼鏡は珍しかったから、それが何かエンジエルには判らなかった。
「お城の門が閉まってて入れないの。長老様が、貴方なら何か知ってるかもって。」
「……」
その人物は、何も反応を示さない。
「……どうやら、城門は魔法で封印されているらしい。」
そう、デュースが後を続けると、初めてその人物は反応した。
「魔法の封印?……良くそんな事を知っていたな。」
感心したようで、そこで手を止め眼鏡を外し、体ごと向き直って話を聞く態勢になった。
そして、ふたりの来訪者を交互に眺め、
「ようこそ、魔法屋へ。儂は、魔法屋の爺だ。ここでは、魔法遺物を取り扱っておる。」
「あ、あたしはエンジエル。シ……冒険者よ。で、こっちがデュース。それで、魔法遺物って何?」
爺は決して名前では無いが、エンジエルは自己紹介で返した。ついでに、疑問を口にする。
「魔法遺物と言うのは、魔法の力が宿った巻物や道具、所謂魔導器と呼ばれる物だ。儂はそれを、商いしている。作ったりは出来んぞ。こんな形はしていても、儂は髭を蓄えた背の低いただの爺であって、ドワーフじゃ無いでな。ほっほ。」
「ドワーフ?……確か、髭もじゃで大酒飲みの亜人種だっけ?そう言えば聞いた事ある。皆、腕の良い職人だって。」
ドワーフとは、土の妖精族であり、人間族の領域内でも見掛ける、数少ない亜人種のひとつである。
特徴的なのは、ドワーフ族の価値観として髭が男らしさの象徴である為、男のドワーフが皆髭を蓄えている事だ。
土に所縁が深く、主に坑道に住処を築く。自分たちで鉱石を掘り起こすので、体型は筋肉質でがっちりしているが、小人族でもあるので、成人しても背丈は人間の胸元辺りまで。
ちなみに、エンジエルは人間の女性として決して小柄では無いが、デュースが大柄なので、エンジエルの背丈はデュースの胸元辺りまで。
その体躯からドワーフは皆一流の戦士であると共に、手先が器用なので一流の職人でもある。
自分たちの武具は全部自前で作るが、あんまりにも出来が良い為、人間族が高い金を出して買い求める。その為、人間族の領域内に、居を構えている。
ただ、坑道を出る事は稀な為、実際にドワーフに会った事がある人間は多くない。
「それで、城門が魔法で封印されていると言う話だが、どうして判った?」
「あぁ……俺は魔力を感じられるんだ。」
正確には俺では無い為少し言い淀んだが、ダイ・オフの紹介までしていては、余計な時間が掛かる。
「そうか。……そう言う事なら、間違い無いのだろうな。しかし、魔力を感じられるとは珍しい。その昔は、人間族も誰もが魔法を使えたそうだが、今ではひと握りの人間にしか扱えんからな。」
「え?!誰でも使えたの?あたし、今日まで魔法なんて、お伽話の中だけの話だと思ってたくらいなのに。」
「其れも此れも、魔法が得意な亜人種たちを、悪魔だ魔物だと迫害し、辺境へ追いやった人間の愚かさ故。今も僅かに残る遺失魔法の恩恵も、その悪魔や魔物のお陰なのにな。万物の霊長などと、増長の証ではないか。そう思わんか?」
「……」
デュースは無反応だ。そんな事は、良く知っている。その悪魔と呼ばれた者の事など、嫌と言うほど、良く知っている。
「え、えぇと……」
方やエンジエル。まだ理解が追い付いていないが、大事な事を言われたとは感じていて、必死に考えを巡らせている。
しかし如何せん、エンジエルにとっては、先頃までディアマンテの街が世界の全てであったのだ。
魔法にしろ亜人種にしろ、そしてその歴史に関しても、初めて知る事ばかり。
うんうん唸って必死に自分なりに受け止めようとする姿を、ドワーフのような老人は慈しむように見詰めた。
「さっきも言ったが、儂は魔法遺物を商いするだけ。作る事も、ましてや魔法を使う事も出来ん。儂の力で封印を何とかする事は無理だ。」
「そんなぁ~。」
「しかしな、魔法屋の爺には魔法屋の爺にしか出来ぬ事もある。ちょっと待っていろ。」
そう言って、右足を引き摺りながらカウンターの奥へと歩いて行く。
「良かった。何とかなりそうね。」
「……そうだな。エンジエルのお陰だ。」
「え?どう言う事?あたし、何もしてないよ。」
デュースはすぐに目線を外し、室内を物色し始めた。
「ねぇねぇ、どう言う事?」
エンジエルはデュースの背中に問い掛けるが、今もしエンジエルがデュースの正面に回っていたなら、今まで見た事の無い表情を目にしただろう。
それでも、相手がデュースだと気楽に振舞えない。まだ知り合って日も浅く、ダイ・オフと違って、今まで周りにいなかったような紳士だ。
エンジエルは、まだ緊張していると思っていた。少しでも嫌われないように、あんまりはしたない事は出来無い、と言う思いが持つ意味に、気付けるほど大人でも無かった。
程無くデュースは、カウンターの前へと移動した。魔法屋が戻って来る気配を察したからだ。エンジエルも、それに続く。
戻って来た魔法屋の爺は、一本の短刀をカウンターの上へ置いた。
「これはな、魔導器・破魔の短刀。魔法的な力で作られた力場、例えば、結界や封印だな。そんな物を直接斬って壊す優れ物だ。まぁ、一回しか使えんがね。」
「本当に!?それって、凄いお宝じゃない。」
「……いくらだ?」
「そうさな。ウチでは扱っていないが、破魔の小剣や破魔の大剣なんかと比べれば、一回しか使えん廉価版だ。千ゴールドってところか。」
エンジエルの大きな眼が、さらに大きく見開かれる。
「せ、せ、せ、千ゴールドぉ~?!」
魔法屋の爺は少し微笑むと、
「使い捨てとしては、高いかも知れんな。だけどな、魔導器としてはこれでも破格だ。何分、希少なんでな。」
「そうかも知れないけどぉ~、いくら何でもそんな大金ある訳無い――」
「買った。」
「えぇぇ~~~?!」
デュースは、腰に吊るした革袋のひとつを、カウンターに乗せた。
「砂金だ。下手に捌いても、千ゴールドは下るまい。」
魔法屋では無く、エンジエルが革袋の口を開けて中身を確認する。
「嘘ぉ~?!これだけ純度の高い砂金なら、二千、うぅん、三千ゴールドにはなるわよ。……本当に良いの?」
「必要とする物にこそ価値がある。取引とは、そう言うものだろう?」
「……まぁ、そうなんだけど。」
「それに、蓄えはそれで全てじゃ無い。砂金の他に、いくつか宝石にも換えてある。」
纏まった収入があった時、路銀とは別に資産として宝飾品に換えておく。定住せず、流浪の生活をする者の生活の智慧だが、普通は貯め込むだけの収入がそもそも無い。ダイ・オフは名うての傭兵だから仕事はいくらでもあるし、魔法の剣を所有しているくらいだ。役に立ちそうな魔導器の類いの出物を見付けた時、相当値が張る事も承知している。故に、日頃から当然のように蓄えて来た。
エンジエルは、デュースの腰に似たような革袋がまだいくつも吊られている事に気付いた。
「……もしかして、デュースってお金持ち?」
盗賊の悪い癖。思わずにやけてしまう。
「では、この指輪もサービスしてやろう。」
魔法屋は、嵌めていた指輪をひとつ外して、短刀の横へ置いた。
「こいつがいざと言う時、お嬢ちゃんの命を護ってくれるだろう。」
指輪を手に取りエンジエル、
「良いの?これも高いんでしょ。」
「何、御守りみたいな物だよ。気にせず受け取ってくれ。」
「……うん、判った。ありがとう、魔法屋さん。」
宝石のひとつも付いていない、女性が身に付けるには武骨なデザインであったが、淡い光を纏ったような白味掛かった銀の指輪は、それ自体が美しかった。
エンジエルは、左手薬指に指輪を嵌めようとして、思い直して中指に嵌めた。
ディアマンテでは、左手薬指に婚姻の印として指輪を嵌める慣習がある。
自分には縁の無い話だから失念していたが、自然に左手薬指に嵌めようとしている事に気付き、慌てて中指に嵌め直したのだ。
短刀の方はデュースが腰に差し、
「世話になった。」
と、さっさと踵を返し、歩き出す。
「あ、ちょっと待ってよ。それじゃあまたね、魔法屋さん。ありがと。」
「うむ、また来ても良いぞ。」
慌てて、エンジエルはデュースの後を追い掛けた。
そんなふたりを見送ると、魔法屋の爺は独り言つ。
「……むしろ、二度と逢わずに済む方が、嬉しいんだがな。」
こうして三人は、再び城へと向かうのだった。