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Die off  作者: 千三屋きつね
第三章「アガペー王国」

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第五節


綺羅綺羅とした光の粒が降り注ぐ森の中は、さながら神々が纏うヴェールで覆い包んでくれているようだった。

神に愛されたふたりの夫婦を、神に愛されたもうひとりの男が悼んでいる。

「終わったのですね、ようやく……」

エンジエルの後ろに控えていたイリアスは、戦いが終わりを告げた事を確信し、歩を進めた。

「えぇ、イリアス。終わったわ。ごめんなさい。折角付いて来てくれたのに、出番、無かったわね。それに……変な争いにまで巻き込んじゃって。」

「いいえ、とんでもない。事情は判りませんが、お兄様……だったのでしょう?お見受けしたところ、ひとまず穏便に事は済んだようで、何よりでした。」

まさか、こんなところで兄と再会するとは、エンジエルも思ってもみなかった。猿王とは別件でもあり、ヴァルハロスやディアマンテでの出来事について、イリアスに話してはいない。

「それに、私の役目はこれからです。」

言ってイリアスは、俯せに倒れたままの血塗れのケイオス教聖堂騎士へと歩み寄った。

「イリアス?」

イリアスは、ガルドルットの体を仰向けに返し、その胸元を探った。

「……ありました。」

ケイオス教の聖印を取り出すと、それを胸の前で組んだガルドルットの手に握らせる。

「宗派は違えど、こう言った儀式や慣例は同じだったりするものです。」

「え~と、イリアスがこの人たちのお弔いをするの?」

「えぇ。私は今聖堂騎士見習いですが、司祭でしたから。死者をお慰めするのも仕事でした。」

「でも……ケイオス教だっけ。違う宗派なんでしょ。それに、何でこんなところにいるのかが気になってただけだし……」

静かに立ち上がって、優しい眼でエンジエルを見やる。

「私は、アガペー教の司祭ですから。神々の愛は、誰にも等しく注がれるものです。それに……」

「それに?」

「……こんなところまでやって来て野垂れ死になんて、悲しいじゃないですか。ケイオス教は、もっと北の地の宗派です。きっと、近くに親しい者とて居りますまい。宗派は違えど、同じ神に仕える者同士。出来る範囲でですが、丁重に葬ってあげたいのです。」

イリアスはそう語り、一度軽く祈りを捧げると、次に猿王の残骸へと近付いた。

「これ……何とかなりますか?ダイ・オフさん。」

「あん?どう言う事だ?」

興味無さげに成り行きを見守っていたダイ・オフは、声を掛けられイリアスの許へと歩み寄った。

「これ、確か鎧のように身に纏う魔導器、でしたよね。兜の方にはお首が入っていましたし、胴の方はこちらに。脱がせて差し上げたいのですが……」

「あぁ、そうか。全身板金鎧フル・プレート・アーマーなんざ、脱がし方判らねぇわな。どれどれ……」

猿王の傍で腰を下ろし、構造を調べ始めるダイ・オフだったが、

「……駄目だ、こりゃ。……だよなぁ、デュースにも判らねぇか。」

「……どうしました?」

「あぁ、こいつぁ、普通のフル・プレートじゃ無ぇからな。細けぇ金属板がたくさん重なって出来てやがんだが、どうも魔法で接合されてるみてぇだ。無理矢理猿みてぇな形に変形してるし、脱がすって感じじゃ無ぇな。」

「脱がせない……のですか?」

「……脱がすのは無理だな。」

「そうですか。……それではこのまま……あ、でもダイ・オフさんは、古代魔族の遺産が目的でしたよね。」

ならば、このまま猿王ごと埋葬する訳にも行かない。思い至り、イリアスは困った顔をする。

「ふ、脱がすのは無理、ってだけで、手が無ぇとは言ってねぇ。」

そう言って、ダイ・オフは猿王の体に手を触れた。

「覚えてるか、男爵領の遺産の報告。」

「え、えぇ。……そうか!魔力を失った古代魔族の遺産は、触れると襤褸襤褸に崩れる、と。」

「そう言う事だ。」

そうして、ダイ・オフは掌に意識を集中し、猿王の魔力を吸収し始めた。先の遺産と違い、魔導器自体の損傷は精々右手首と首だけ。魔力が漏れ出した様子は無い。故に、魔力を感じぬ者が何かを感じるような状況に無く、ただただダイ・オフが猿王に手を置いているだけに見えた。

数分して、ダイ・オフは立ち上がり猿王から離れた。そのまま女の首の先、猿王の兜を拾い上げ、

「ほい、っと。これで終いだ。」

その兜を猿王の胴体へと放り投げると、兜が当たった場所から猿王の体は襤褸襤褸と崩れ始める。数秒の後には、灰色の山がうずたかっていた。

イリアスは、その灰の山を掻き分けると、中から女性の胴体を引き摺り出した。さらに山を探ると、程無く聖印も見付かった。

その後、イリアスは女性の首の許まで歩み寄ると、片膝を突いて合掌し、口の中で祈りの言葉を呟く。それから首を手に取り、胴体の許へと戻してやる。

しかしイリアスは、ただ首を体に寄り添わせるだけで終わらなかった。首と体を傷口で合わせ、祈りの言葉を紡ぎ神に奇蹟を乞い願う。すると、薄い緑色の美しい光がイリアスを中心に広がり、やがてそれは消えて行った。ダイ・オフとデッド・エンドには、魔力が働いたと判った。

「神の奇蹟――神聖魔法か。しかし、こんなにも綺麗な発動光は、初めて見たな。」

デッド・エンドが感心する。

「え?今のも魔法なの?って、イリアス、何したの?」

「……私は司祭として、弔いの儀式も務めて参りました。時に損傷の激しいご遺体もあって、その様子がご遺族の心をさらに打ちのめす事もあります。」

立ち上がったイリアスは脇へ退くと、そこに首と胴が繋がった綺麗な女性の遺体が横たわっていた。

「あ?!……首……繋がってる。」

「あくまで、ご遺体の損傷を癒す奇蹟ですから、間違っても黄泉帰らせる事は出来ませんけどね。生きている方の損傷の激しいお体を癒す場合は、もっと高度な奇蹟となるので今の私ではまだ使えませんが、こうして遺体衛生保全(エンバーミング)を行えるようになり、元司祭として嬉しく思います。」

エンバーミングとは、遺体の状態を修復したり、保存しやすくする神聖魔法で、魔法に頼らない技術も存在はする。しかし縫合痕は残るし、保存性を高める事も難しい。遺体をすぐ家族、近親者に引き渡せるとは限らないので、防腐処置が施せるならそれに越した事は無い。魔法は――神の奇蹟はそれを可能にする。

「……そう言えば、顔、綺麗になってる。」

「あん?……あぁ、そう言やぁ、刎ねられた時ぁ、凄ぇ形相してたっけな。今は随分、安らかそうじゃねぇか。」

「うん……せめて……せめて安らかに。」

神の奇蹟を以てしても、出来る事と出来無い事がある。遺体であれば、それほど高位の神聖魔法を用いずとも、生前同様の姿に戻す事は出来た。それでも、この魔法はアガペー教故である。他の宗派では、もっと実用的な神聖魔法が持て囃される。遺体の状態の復元魔法など、他の宗派ではまず聞かない。

「それにしても、出逢ってからまだひと月、ふた月なのに、本当に魔法使いになったんだね、イリアス。」

イリアスの見せた神の奇蹟に、エンジエルは感心した。デッド・エンドの言うように、その光景はとても綺麗であった。初めて見る神聖魔法に、心が洗われるような思いも抱いた。遺体の復元と言う特別な魔法が、神の愛を具現化したような魔法だったからかも知れない。

「確かに魔法は使えるようになりましたが、あくまで聖堂騎士が覚える神聖魔法の基礎だけです。私は司祭でしたし、少し特別なんですよ。」

事実、イリアスは特別だった。神聖魔法を使うには、神々に奇蹟を願う祝詞の詠唱に魔力が必要となる。司祭として覚えた祈りの文言が、そのまま役に立っているのは確かだ。

しかし、神聖魔法の威力は古代語魔法、精霊魔法と違い、魔力では決まらない。俗に、信仰心の強さで威力が変わるとされている――が、世界の理はちと違う。ある意味信仰心と呼んで間違いでは無いのだが、実際には神々にどれだけ愛されているか。

現在の神々は、創造の神々とは違い、高位種族であった神族の魂が真実の神々に倣ったものである。一番の違いは、その精神性と言える。ケイオス教が肯定する多くの神話、伝承で語られるように、神々は実に人間臭い。

神々に愛されると言う事は、つまり贔屓されると言う事だ。いずれかの神に気に入られた者ほど、神聖魔法の効果が高くなる訳だ。

とは言え、イリアスはまだ基礎しか扱えない。そこは、聖堂騎士としての経験に基づく部分である。だが、その基礎的な神聖魔法の効果が、驚くほど高いのだ。本来、掠り傷程度を癒せる基礎の治癒魔法で、ほとんどの怪我を治せてしまう。イリアスの極端なほどの滅私精神を、(いた)く気に入った神でもいたのだろう。

戦闘技術は未熟で、覚えは早くともまだ基礎の神聖魔法しか使えぬ身でありながら、すでにイリアスは魔法の使い手たる聖堂騎士としては群を抜いていた。少し――特別であった。

「それで……ダイ・オフさん。お手伝いして頂けると助かるのですが……」

「あん?何をだ?」

「ケイオス教について、そこまで詳しくはありません。ですから、ケイオス教の弔いに関しても判りません。火葬なのか土葬なのか、ご遺体をどのような状態で葬るのか。場合によっては、鳥葬のような自然葬の可能性も。」

「鳥葬?自然葬?」

エンジエルには、聞き慣れない言葉だった。

「えぇ、弔いの方法にもいくつかありまして。鳥葬と言うのは、ご遺体を鳥に(ついば)ませ、自然に還すと言う方法です。」

「げ……鳥に食べられちゃうの?」

「はは、そう言われますと、何やら異常な事のように思えますね。ですが、人は亡くなると腐敗して行き、自然に任せれば虫がご遺体を分解――食べてしまいます。自然とは過酷なもの。野生の獣であれば、死後遺体は様々な獣に食べられてしまう。それこそが自然の摂理であり、人も同じように葬ろうと言う思想ですね。」

「そっか。考えてみれば、死体を食べる、って不自然な事じゃ無いのよね。人間だって、生き物殺して食べてるんだし。」

獣が獲物を仕留め食す事も、その食べ残しを鳥が啄む事も、腐敗した死体に群がり虫が食べ尽くす事も、人が牛馬を捌いて食料にする事も、全ては等しく生存行為。そして、全ての生命が行き着く先。

「ただ、そのまま野晒しと言うのは忍びない、と人は考えました。そこで、死者に対して礼を尽くして送り出す為に、儀式が生まれました。通常は、火葬にして灰を墓所に埋葬するなり、棺に入れてご遺体のまま埋葬する事が多いのですが、自然に還すと言う思想の下、風葬と言って野晒しで朽ち果てさせる方法もあれば、鳥や獣に食べさせてしまう方法もあり、火葬した灰を山や海に撒いたり、土葬でも棺を用いずそのまま埋めたりと、宗派のみならず地方によってもその習慣は様々だと聞き及びます。」

世界の理からすれば、死によって魂は肉体を離れ、運が良ければ転生を果たしもするので、死んだ肉体は最早その人では無く、生き物では無いのだからもうただの肉塊に過ぎないと言える。

しかし、世界の理など誰も知らない。愛する者の姿形をした遺体を、もうその人では無いただの肉塊だなどと思えぬのも無理は無い。そんな大切な存在の遺体をどう扱えば良いのか。単一的に思想を統一するなど、世に宗教がアミリティア教只ひとつであってさえ、不可能なのだった。

「……とは言えです。旅路において、自らを知る者とて無い遠方で亡くなったならば、出来る事――いえ、して貰える事など限られます。」

「その通り。傭兵稼業は、どこで野垂れ死んでも本望。その覚悟が無きゃ務まらねぇ。……て(こた)ぁ、こいつらもここに埋めてやるのが精一杯。そう言う事だな。」

エンジエルは思い出す。もうひとりの父であり兄であったゼフィランサスの事を。あの日、エンジエルが全てを喪ったあの日の翌朝、デュースたちの許へ戻った時、サイサリスの死体は野晒しのままだったが、ゼフィランサスの方は埋葬してあった。デュースかダイ・オフかは判らないが、傭兵の流儀として敬意ある弔いをしてくれていた。

ディアマンテ・ギルドが壊滅した後だけに、まともな葬送など望むべくも無かった事だろう。盗賊(シーフ)稼業も裏の道。仕事中に失敗して野垂れ死ぬ事も、日常茶飯事だ。簡素な埋葬とは言え、それだけでもその先を生きて行くエンジエルには慰めになった。

「はい……ただ、そのぅ……私は体力に自信がありませんで。宜しかったら、墓掘りのお手伝いをして頂けないかと……」

「あぁん?何だ、そんな事か。任せとけ。バックパックにゃ、穴掘り用の装備もある。人一倍、墓穴は掘って来たんでな。」

どうでも良い敵の骸など、野に晒しておけば良い。だが、時にダイ・オフやデュースも認める敵がいる。ならばせめて、墓穴くらい掘ってやる。罪人として逃げ続けながら、それでも失わぬ戦士の矜持。旅の傭兵に出来る、唯一の手向け。

「ありがとう御座います。それでは、おふたりが隣り合ってお眠り頂けるよう、どこか適切な場所を探しましょう。」


ダイ・オフの協力もあって――と言うより、ほぼダイ・オフひとりの力で、小一時間後には墓穴が充分な深さに達していた。

亡くなったふたりの素性は判らない。関係者かどうかも知りはしない。ただ、多分ふたりは恋人――もしくは夫婦ではないか。だからこそ、このケイオス教聖堂騎士は、猿王に味方したのではないか。

そう考えたイリアスは、ひとつの墓穴にふたりを横たえた。そして、改めて鎮魂の祈りを捧げると、ふたりそれぞれに握らせていたケイオス教の聖印を手にして墓穴を出る。

「……それ、一緒に埋めないの?」

「……普通は一緒に埋葬しますが……やはりここは異国の地。いつの日か、せめて形見だけでも故国にお届け出来ればと。」

「ふ~ん……でもさ。この人たちが誰なのかも判らないじゃない。それに、誰が届けに行くの?」

左右の手に持った聖印を胸の前でひとつに合わせ、もう一度冥福の祈りを捧げてから、イリアスはそれを懐に仕舞った。

「ケイオス教本山へ赴けば、誰かは判るかも知れません。どの宗派であっても、聖堂騎士はそう多くはありませんし。……、……、……」

敢えて口にしない決意を、何と無くエンジエルも感じ取った。イリアスはイリアスで、もう進むべき道を決めている。そんな気がした。

「それじゃあ、埋めちまうぞ。」

「あ、お手伝いします。掘る方は、あんまりお役に立てませんでしたし……」

「構わねぇよ。いつもやってる事だ。それに、俺ひとりの方が捗らぁ。」

「す、すみません……」

体力に自信の無いイリアスは、全く役に立たなかった。むしろ邪魔だった。だが、それを責める者はいない――イリアス本人以外には。

エンジエルたちは、自らの役割と言うものを理解している。力仕事は、ダイ・オフに任せておけば良い。その代わり、ダイ・オフには出来無い事をやれば良いのだ。それが仲間と言うものだから。

イリアスにもイリアスにしか出来無い仕事がある。ダイ・オフには墓穴は掘れても、死者を弔う事は出来無いのだ。イリアスが何も出来無い無能者だなどと考える者は、ここにはいない――イリアス本人も含めて。

こうして、名も知らぬふたりの異教徒を神々の愛の下に弔い、エンジエルたちは一路王都を目指して森を後にしたのだった。


「それじゃあ……ふたりとも、元気でね。」

メラルティシアへ帰還したエンジエルたちは、その後一週間、体を休めながらミスティリア夫人の美味しい食事を堪能した。本当は、もう用件は済ませたのですぐ旅立っても良かった。ダイ・オフが掠り傷を負った程度で、休養が必要だった訳でも無いのだし。

ただ、とても居心地が良い上に食事も美味かったので、ついずるずると長居してしまったのだ。

それでも、いつまでも居座り続ける訳にも行かない。新たな“声“はまだ聞こえて来ないが、一応目的のある旅だった。エンジエルといると忘れがちだが、デュースは逃亡者でもあった。

「本当に行っちゃうのかい?もっと居てくれて良いんだよ。」

寂しそうなミスティリア夫人に愛しさが込み上げ、そっとその小さな―そしてがっちりした体を抱き締めるエンジエル。

「うん……でも行かなくちゃ。寂しいけど、やる事あるから。」

「……」

自分より大きくて細い女の子の体を抱き返し、その胸――お腹の辺りに顔を埋めたミスティリア夫人は、しばらくそのまま無言だった。しかし突然がば、っと体を引き離し、

「うん、頑張っといで。おばちゃん、応援してるからね。」

満面の笑みで応えるのだった。

そんなミスティリア夫人に腕を掴まれたまま、

「イリアスも元気でね。色々ありがと。」

ふたりの女性を微笑ましく眺めていたイリアスは、天使の微笑を向けられて少し頬を赤らめた。男なら誰でもそうなるような微笑みである。いや、女であっても。天使は性別を超える存在であった。

「いえ、こちらこそ、ありがとう御座いました。あまりお役に立てず、申し訳ありませんでした。おふたりも、お体にお気を付けて。」

エンジエルと、その後デュースを見詰め、イリアスは深く一礼した。

「……世話になった。修練の成功を祈る。……ミスティリア夫人。上手い食事に感謝する。お元気で。」

こちらは軽く会釈をし、ふたりの瞳を見詰めた後、踵を返した。

「あ、ちょっと待ってよ、デュース。」

するり、とミスティリア夫人の拘束から逃れると、半身だけ振り返って手を振り振りデュースの後を追うエンジエル。

「それじゃあ、またね。おばちゃん。イリアス。」

ミスティリア夫人とイリアスは、並んでそれを見送った。ふたりの姿が見えなくなっても、しばらくはそのまま見送った。

「……またね――か。」

敢えてエンジエルが選んだ再会を約する別れの言葉は、ミスティリア夫人の希望となった。特定の目的地が決まった旅路では無い。“声“の導き次第では、また近くにやって来る事もあるかも知れない。その時には、必ず立ち寄ると決めていた。ディアマンテを失ったエンジエルにとって、外の世界で初めて出来た特別な街であった。

「それで……あんたはいつ出立するんだい?」

正面を向いたまま投げ掛けられた言葉に、驚きを隠せないイリアス。

「……どうして……そう、お思いに?」

「……何と無くだよ。あんたはいつも遠くを見ている感じがする。ここは自分の居場所じゃ無いんだって、そんな風にさ。」

イリアス自身、特にそう意識していた訳では無い。しかし、言われてみれば、確かにそうだとイリアスも思った。ボードウィン家から追放された流刑地のようなもの。何より、ここはアガペー教総本山であっても、神々の座では無い。信仰を捧げる対象は、ここにいない。

「……別に、この街が嫌いな訳では無いと思います。自分の居場所……確かに、そう思った事は一度もありませんでしたが……。きっといつか、司祭としてどこかの街へ赴く事になるのだろうと、そんな風に思っていたのかも知れません。」

イリアスは寮を出ず、私財のほとんどを施しに回し、私物も大して持っていない。それは聖職者として貧する者に分け与えるのが当然だから――と思っている訳では無い。アガペー王国では最悪喰うに困る事は無いから――と考えての事でも無い。確かに物欲に乏しいところはあるが、清貧であろうと志している訳でも無い。

いつかこの地を去れば、全て置いて行く事になる。ボードウィンの家に、全てを置いて出て来たように。もう忘れたはずなのに、心に刻まれた何かがあったのだろう。

いつの間にかミスティリア夫人は向き直り、真摯な眼差しでイリアスの瞳を真っ直ぐに見詰めていた。……少し見上げるようにして。

「……まだ見習い中の身です。すぐに、と言う話ではありませんよ。もう少し、ご厄介になります。ミスティリア夫人。」

その言葉に満面の笑みを浮かべて、

「そうかい。なら良かった。一遍に皆いなくなったら、おばちゃん寂しいからね。」

そう言って、イリアスの腰をひとつ叩いて、寮の中へと入って行く。そして、手を振りながら、

「その間に、誰か新しい人、来てくれると良いんだけどねぇ。」

そんな夫人を見送りながら、イリアスは漠然と考えていたこれからの事を、はっきり意識するようになっていた。まずは、ひとり旅が出来るよう、ちゃんとした聖堂騎士にならねばならない。

行く先は北が良い。ケイオス教のふたりと旅するのだから。

「……もう二度と、お逢いする事は無いかも知れませんね。」

先に旅立った四人(・・)に思いを馳せそう呟きながらも、いつかどこかで再び逢えるような予感を覚える、アガペー教聖堂騎士見習いイリアスであった。


つづく

あとがき


第三章「アガペー王国」をお読み頂き、ありがとう御座いました。


基本的なキャラクターは固まっているので問題無いのですが、お話自体は急造プロットな為、書きながら色々変化してしまい、私自身思ってもみない展開になる事もしばしば。

そんな流れの中で生まれたイリアス君の故国、アガペー王国が今回の舞台となりました。

ミスティリア夫人もプロットには存在しないキャラクターでしたし、ケイオス教のふたり、ルトリシャス夫妻の設定も、書いてみたらプロットとは違っちゃいました。……まぁ、設定忘れて書いちゃっただけですけど(^^;

ちなみに、猿王であるアドルドムファスは、魔界の大悪魔、猿帝ことマルギリファルスの眷属――みたいな名前にしました。

マルギリファルスが登場する「異世界なんて救ってやらねぇ」と「Die off」は別世界なので、実際には関係ありませんけど。


それから、設定は作ったけど本編に出すかどうかは決めていなかった、O・D・I(オッド・アイ)の過去にまつわるキャラクター、ヘテロ・アイも登場させる事が出来たし、アマンダの能力もしっかり描写出来て良かったです。

長年を掛けて積み上げて来たのはダイナスまでなので、どうしてもそこから先は練り込み不足。書きながら深みが出ればと思うので、新しい要素の積み重ねを大切にして行きたいです。


イリアスはこの後北へ旅立ち、北から逃げて来たデュースたちと出逢う事は無い――はずが、後々デュースたちは北へと向かう事になるので、その辺りで再登場の予定。

もうひとり、同じように流れの中で生まれたお気に入り、ラヴェンナの方も、再登場を考えています。

次の章では、最後の旅の道連れも登場予定。

大まかなネタは決まっているものの、細かい部分は未定なので、プロット作業はこれから。

また時間が掛かってしまうかも知れませんが、少しでも楽しんで頂ける作品が書けるよう、また苦しみたいと思います(^∀^;

どうぞ、これからもよろしくお願いします。

それではまた、再見。


2025年12月 千三屋きつね

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