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Die off  作者: 千三屋きつね
第三章「アガペー王国」

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第一節


北方の寒村を吹き過ぎた地方特有の暴風は、農閑期の終わりを告げる触れ役でもあった。あくまで冬季の作物の仕込み期間であるが、少しずつ忙しさが増して行く。

再びオリバーが村を後にした事もあって、男たちは酒場では無く作業小屋で過ごす時間が増え、しばし物語から現実へと戻された。

だが、まだ本当に忙しい訳では無く、手が足りずに駆り出される事の無い女房達は、未だ物語の余韻に浸っている。タルカスも、帰宅する度オリバーはまだ帰って来ぬかと、女房に同じ質問を繰り返される日々だった。

いつもよりは長く、ようやくしてひと月経った頃、オリバーは寒村――カリムソンの村へと帰って来た。それを聞き付けたタルカスは、その日の作業を放っぽり出して、早速酒場へと繰り出した。

「よう、オリバー。ずいぶん遅かったな。また山にでも登って来たのか?」

タルカスは酒場へ入るなり、右手奥のテーブル席へと声を投げ掛けた。姿を確認するまでも無い。彼はいつもその席で飯を喰い、そして――物語る。

「……海だ。」

彼――オリバーの返事は簡潔だった。そしてその内容は、またしてもタルカスを驚かせた。

「海ぃ~?海って言やぁ、ここいらじゃ当然エベルダルカだよなぁ。」

驚きながら、左手を上げて親父にいつもの(・・・・)を頼むと、そのままどっかとオリバーの前に腰を下ろした。

「今の時期ぁ、大荒れだろぉ。一体、何しにそんなところへ。」

エベルダルカ海。カリムソンから東へ数kmほどで至る、大陸北東部に位置する海の名前だ。草原の次は海とばかりに、件の暴風が止んだ後はエベルダルカ海で荒天が続き、この時期は休漁期間となる。

沖合へ出れば今でも海のモンスターが棲息している――と言われているが、近海に限ればモンスターの影など無く、本来漁村では漁も盛んだ。観光に立ち寄ったり商用で立ち寄る船も無い為、港には漁船しか存在しない。

「古い知り合いに会いにな。」

遅めの昼食を摂っていたオリバーは、スープを口にしてから短く答えた。村の男たちに話をせがまれる時は、好意で上等な――とは言え、所詮辺鄙な田舎の酒場料理だが、旨い肴を振る舞われる。だが、いつもは質素に一番安いセットメニューで済ます。日替わりのスープに、硬いパンと鶏肉料理がひと皿。金が無い訳でも、倹約家な訳でも無い。これが気に入っているのだ。

「古い知り合い?あぁ~と、あの辺の村ぁ、何て名だったか。そこいらに知り合いなんていたのか。」

言いながら手を伸ばし、皿の上から付け合わせの野菜をひとつ、摘まみ喰う。これには、比較的表情の薄いオリバーも嫌な顔をするが、それも目当てに毎回摘まみ喰う。毎回の事だ。オリバーも判っていて、特に責めたりはしない。そんな関係は、嫌では無いのかも知れない。

「……いいや、もっと先だ。」

「もっと先?」

そう聞き返したのは、もっと先、に思い至らなかった所為だ。そこには海しか無い。海には先など無い。世間一般の常識では。

一度手を止め、オリバーはタルカスの眼を見詰め返した。その瞳は黒――いや、少し茶色いように見えたが、善く善く見れば、角度によって金色を帯びているようにも見えた。タルカスは、その瞳に吸い寄せられそうな錯覚を覚え、少し身を引いた。

「海の先。島だ。」

「……島?」

人真似鳥返しに、そのまま聞き返す。当然、島と言う言葉を知らない訳では無い。ただ、人間族の世界ではもう、島など意味を成さない言葉になっていた。

沖合いに出れば海のモンスターが棲息している。そう言われている事でも判るように、人間は沖合へ、外海へ出る事がもう無い。それはこの千年もの間の常識。岸から見える範囲にある島など、岩としか呼べぬほど小さな物だけで、とても人間が住めるような島では無い。漁師ですら、この千年、島になど渡っていない。

「馬鹿を言え。島って何だよ。その古い知り合いってのは、鳥か何かか?」

酒場の親父が運んで来た、安くて薄いエールをぐい、っと呷ってから、タルカスはようやくそう答えた。岩場に住む生き物など、鳥か海獣が精々だろう。

「……そうか。あまり知られていないんだったな。」

鶏肉を突っ突き、頬張ってゆっくり咀嚼し、それをスープで流し込む。その気は無いが、たっぷり気を持たせてから、オリバーは続きを口にした。

「確かに、人間族の領域外では、海にもモンスターが出る。だがそれは、あくまで沖合いだけの話だ。こちらの浜にはモンスターが出ないように、島の浜にもモンスターは出ない。交流は絶たれていても、島では今も島民が生活している。」

タルカスには、寝耳に水だった。漁村では無いとは言え、海に程近い土地柄だ。海について、それなりに知っているつもりだった。まさか、まだ島に人間が住んでいるなど、想像だにしていなかった。聞いた事も無い。

「エベルダルカ群島に、何人か知り合いがいてね。いくつか島を巡って来たよ。」

「群島?あの海にゃ、そんなにたくさん、島があんのかよ。」

「あぁ、大小合わせれば、百は下るまい。人が住んでいるのは、十か二十か。」

「そんなにか?!下手すりゃ、ここら一帯より人が多いんじゃねぇか?」

「ふっ……かもな。だが、問題もある。」

「問題?」

「大陸と断絶されているからな。身を隠すのに都合が良い。」

「あぁ、なるほど。そう言う事か。」

渡航する術が無い島なら、追手も掛からない。そう考えた刺青者が、命を顧みず危険な海を越えて行く事がある。中には遭難して流れ着く者もあるので、余所者全てがそうとは限らないが、そう言う目で見られがちだ。結果、昔からの島人と島外から入って来た新参者は、別々のコミュニティーを形成する。群島内は小さな国家となり、厳しい環境下にあっても格差や対立が生まれるのだ。

「ん?……それじゃあオリバー、お前、どうやって島へ渡るんだ?」

問われたオリバーは、意味深な笑顔を返した。こう言う時、オリバーは何も語らない。タルカスにも、もうそれが判っていた。

「全く。まぁ、お前さんの事だから、嘘は言ってねぇんだろうが……」

オリバーは、鶏肉の最後の塊をスープで流し込むと、ぐい、っと手の甲で口を拭った。

「それより、良かったらまた話を聞かせよう。」

ぱ、っと表情を変えたタルカス。

「おう、それよ。帰ったばかりで悪ぃが、また皆を集めるから聞かせてくれよ。」

「あぁ、構わないさ。今日は私も話したい気分だ。是非聞いてくれ。天使と死神の物語を。」


秋も深まっていたが、常緑樹の森は青々と繁り、森の中にあっては季節を感じられなかった。高い空も見えず、今日は風も無く暖かく感じられるくらいだ。

木々が葉を擦らず、動物たちも大人しい森の中は静謐な空間と化し、たまに落ち葉を踏み締める音が微かに耳を掠めるのみ。

ふたりは――四人(・・)は息を殺し周囲を探っていたが、野生の獣のように気配を殺せるこの相手は、簡単に見付けられなかった。潜伏と捜索のように相対する能力は、所詮力比べ。どんなに優れた能力を持っていても、相手が同様に優れていれば、達人であっても簡単に決着など付けられない。

子供の頃から盗賊(シーフ)としての英才教育を受け、野外探索においても相応の技倆を修めた優秀な女盗賊も。

野生の勘を具え、今や魔法すら感知する歴戦の凄腕傭兵も。

千年の昔には最強の吸血鬼(ヴァンパイア)とすら渡り合った、現在は特級魔導器の体を有するハンターも。

眼に映らぬ驚異的な魔法戦士を、空気の微かな動きを頼りに一刀に斬り伏せる剣の達人でさえも。

その存在を捉え切れず、痕跡から後を追うのが精一杯であった。

――いる。確かに近くにいると感じはするが、その正確な位置までは判らない。それはとても危険な状態でもある。

今、後を追う相手は、ただ狩られるだけの獲物では無く、いつその牙を剥いて反撃して来るやも知れぬ野獣であった。これは一方的な狩りでは無く、互いが互いを獲物と狙い合う生存競争なのだった。

きし――ばたたたたたた、と羽ばたきが聞こえた。その野獣はとても重く、どうやら枝が僅かに軋んだ事で、鳥が飛び立ったようだ。

それにいち早く反応した女盗賊――エンジエルは、後背上方へ向けガーターベルトに挿した投げ短刀(ナイフ)を数本、素早く投げ放った。専用のガーターベルトに合わせてあつらえた薄刃、軽量のナイフ故、金属の皮膚相手に効果など無いのだが、生き物と言うものは攻撃されれば反射的に避けたり受けたりするものだ。

この投擲の目的は、敵に傷を負わせるものでは無かった。思わず避けた野獣は枝から飛び降り、ふたつの人影に背を向け逃走に移る。その移動速度は人間のそれを上回り、常人離れした凄腕の傭兵――ダイ・オフですら追い付く事は叶わない。

それでも追跡を開始すると、野獣の前方の樹陰から、鋼の剣山が無数に生えた板っ切れが飛び出しその身を襲う。エンジエルの目的は、獲物を罠へと追い込む事。それは見事に成功を収め、しかしまるで役には立たなかった。

金属の野獣は何事も無かったかのように走り抜け、またしても取り逃がす事となったのだった。

「あん、もう。やっぱ駄目かぁ。」

「……正に、()が立たなかったな。古代魔族の遺産だ。当然、ただの金属では無い。とは言え、足止めになればと思ったんだがな。」

エンジエルもデュースも足を止め、追撃を諦めた。もう何度も振り切られている。こちらより足が速い相手に、ただの追い掛けっこでは勝ち目など無い。だが、あれほどの罠すら意に介さないでは、障害物競走にもならない。

「仕方無い。街へ戻ろう。そろそろ物資も心許無い。」

「あ~ん、悔しい。見付けてもこれじゃあ、いつまで経っても終わらないじゃない。」

静寂(しじま)が破られた森の中、すでに獲物の気配は無い。四人は重い足取りで、仮宿への帰路に就くのだった。


神々の愛によって、全ての国民が幸福に暮らせる理想国家、アガペー王国。大陸西部に位置する小国群のひとつであり、旧ボードウィン男爵領から見て北西に徒歩で一週間ほど。王国中央部となる王都メラルティシアは、他の国の王都と比べれば質素な街並みである。それは王城にも言える事だが、唯一絢爛な造りなのが、アガペー教本部となる大聖堂だ。

神々はその愛を以て等しく施しを与える。その理念から言えば、豪奢に飾るのは違うのかも知れない。しかし、当初それは詭弁であり、新興宗教の教祖が教徒を集める為掲げた見栄えの良い看板に過ぎず、寄進では無く税として集金する為王国も興した。金看板である大聖堂は権威の象徴として煌びやかに、実利運用の国家中枢たる王城は実務的に。理想国家へと変貌を遂げた現在でも、象徴たる大聖堂はその威容を誇り続けていた。

そんな大聖堂の中から、ひとりの聖堂騎士見習いが出て来た。アガペー教にあっても、魔法使い(マジック・キャスター)である聖堂騎士は崇敬の対象であり、実際前職の司祭よりも地位は上である。

イリアス・ボードウィン。元アガペー教司祭であり、現在は聖堂騎士となるべく鋭意修行中の身だ。見習いとは言え、聖堂騎士となる資格を認められた訳だから、周囲は相応の敬意を払う。中には、見習いの内から横柄に振舞う者もあるくらいだ。この男が、非道く弱々しく見え、本当にこれが聖堂騎士見習いなのかと周りに思われてしまうのは、ひとえに性格によるものである。

騎士――とは言っても、所謂剣を以て王に仕える一般的な騎士とは違う。魔法を以て教会に仕える事から騎士と呼称されるも、魔法を使う以外の戦闘技術において、あまり共通した技術体系は確立していない。故に、その装備にも共通する物は少ないが、一応基本的な装備として、聖堂騎士用の長衣(ローブ)魔法銀(ミスリル)製の胸甲(ブレスト・プレート)が支給されている。

見習い用は仮装備であり、正式採用された暁には、多少装飾で飾り立てられた、性能的にも少し上等な装備が与えられる。今のイリアスは装飾の無い仮装備を当たり前の着こなしで装備しており、元々戦闘術など身に付けていない為武器も不携帯だ。それもあって、より貧相に見えるのかも知れない。

しかし、イリアスの表情は明るかった。毎日が充実していた。いざ実際に魔法を使ってみると、不思議な高揚感に包まれた。まるで、神がすぐ傍に寄り添ってくれるような、とても大きな安心感を覚えた。そう。イリアスはすでに、魔法を使えるようになっていた。聖堂騎士を志してからひと月と少し。端から魔法を使えた者を除けば、異例の早さでの修得と言えた。

もうひとつ、嬉しい気持ちになる出来事があった。あの事件で知り合ったふたり――いや四人(・・)が、自分を訪ねて来てくれたのだ。

「あら、イリアス。今日はもう上がり?」

夕方にはまだ早い昼下がりの陽を浴びて、金色に光り輝く美しい髪の少女がイリアスに声を掛けた。

「あぁ、これはエンジエルさん。今お戻りですか。……その様子ですと。」

「はぁ、その通りよ。今回もまた逃げられちゃったわ。」

大聖堂前で行き会ったのは、旧男爵領で行動を共にした女盗賊エンジエルと、その連れデュース――いや、今はダイ・オフか?イリアスには、未だふたりの違いが瞬時に判断付き兼ねた。

「さすがに、古代魔族の遺産だけある。ありゃあ、俺より頑丈なんじゃねぇか。」

ダイ・オフ――かデュースの背から声がする。残りのもうひとり、魔剣デッド・エンドだ。厳密には違うとも聞いたが、所謂知性ある剣インテリジェンス・ソードであり、その正体は千年前の吸血鬼ハンターだと言う。

「古代魔族の遺産……あ、そうそう。丁度今、報告を受けて来たんですよ。旧男爵領の第一報です。」

イリアスはまだ、聖堂騎士見習いとして修練の最中である。普段、指導騎士の下神聖魔法の実践を中心に特訓しており、本来この時間はまだ訓練中だ。今日この時間大聖堂へ赴いたのは、自らがやり残した仕事の報告を受ける為。聖堂騎士見習いとなるべく請願した事で、旧男爵領については他の司祭たちに任せる形となったのである。

「ダイ・オフさんが魔力を吸収した古代魔族の遺産の残骸は、触れると襤褸襤褸に崩れてしまい、回収不可能だそうです。歴史的な遺物ですから保存するなり、もしどこかが買い取ってくれたなら弔いの費用も捻出出来ると考えていたようですが、それは難しいようですね。」

「……悪ぃな。魔導器から魔力を吸い尽くしちまったら、大概崩壊するもんだ。ただの魔力切れなら、魔導器自体に魔素(マナ)を吸収して魔力に変換する機能があるから、簡単に壊れたりはしねぇって話なんだが……」

古代魔族の遺産の魔力を吸収し、ダイ・オフの魔法への理解は深まった。が。それは魔法種族や魔法生物が感覚的に魔法を行使出来るのに似て、理論的なものでは無い。まだまだ、こう言った知識はデュースの受け売りである。

「あぁ、いえ、気にしないで下さい。多分回収は困難であると、先に報告はしておきましたから。元々、弔いはアガペー教の持ち出しで行う計画です。」

「神々の愛、か。お前を見てなけりゃ、胡散臭くて堪らねぇとこだ。」

「ちょっとダイ・オフ。思ってても言わないの、そう言う事は。」

むしろエンジエルの物言いの方が……はは、と愛想笑いするしか無いイリアスだった。

「それで、村の方は……」

エンジエルの表情が少し曇る。

「……はい。今となっては正確な村民の人数は把握出来ませんが、少なくとも、生存者は発見出来無かったとの事です。ご遺体は丁重に葬り、後に各村ごとに整備した共同墓地に埋葬し直します。土砂に埋もれた分も、捜索を続けるとの事です。」

森の奥まった場所にある村の事。きっと親族も同じ村、もしくは他の隣村にいるかどうか。その近隣四つの村全てが一遍に死に絶えたのだ。遺骨を引き取るような者など、どこにもおるまい。ホーリンゲン王国にも属さず、領主も存在しない。アガペー教がまとめて弔う他無いだろう。

「……ボードウィン家の者は、無事にあの地を去った。つまり、数十年前にはまだ、古代魔族の遺産は起動していなかった事になる。」

「……そう言えばそうね。千年前の物だけど、ずっと動いてたら(み~んな)ゾンビになってたはず。」

「切欠は判らないが、この数十年で動き始めたのだろう。出入りの商人はいるし、俺たちも数日過ごしたが影響を受けなかった事から、ある程度の時間を掛けて支配して行くと考えられる。そんな場所で暮らしていたんだ。村人に逃れる術は無かった。」

さすがに、碧い瞳にも憐憫の色が見える。

「うん……ずっと眠ってれば良いのに。」

「……ま、そう考えれば、俺様にゃあ大義名分があるってこった。一度目覚めればどんな悲劇を招くか判らん得体の知れん代物だ。そいつを見付けて魔力を頂き、無力化してやるんだからな。」

「ふむ、なるほど。それじゃあ、ダイ・オフは正義のヒーローだな。ヒーロー様の武器となると、俺の格も上がるかな。」

「ちょっ、止めてよ。これのどこがヒーローなのよ。」

「これ、って何だよ、これって。本当にお前は失礼な女だなぁ、おい。」

エンジエル、ダイ・オフに加え、デッド・エンドもこの手の乗りに調子を合わせて来る。深刻な、つい落ち込みそうになる気持ちを、前向きにさせてくれる。デュースはいつも、蚊帳の外からそれを羨ましく眺めてしまう。ただこの時は、デュースだけで無くイリアスもそうだった。輪に自分から入って行けるほど、器用では無いふたりだった。

「そ、それで、そちらの方はどうだったんです。確か……猿のような古代魔族の遺産――でしたっけ。」

空気が軽くなったところで、イリアスは話題を変えてみた。一度説明は受けていたが、正直良く判ってはいなかった。まだ魔法的な知識に乏しく、今覚えているのも神聖魔法に関する事だ。

魔法の分類は黒魔法、白魔法、精霊魔法の三種であり、神聖魔法はこの分類で言う白魔法に当たる。力の源が神の恩恵である点が、他の魔法との違いである。故に、教会で聖堂騎士となる為に習う魔法は、神聖魔法のみ。だが、聖堂騎士が使う魔法は、神聖魔法に限らない。聖堂騎士になる前から魔法を使える者もいるからだ。あくまで、教会が教えるのは神聖魔法だけ、と言う事。

ちなみに、精霊魔法はそのまま精霊魔法の事だが、黒魔法の正式な名称は古代語魔法となる。力の源が悪魔である為黒魔法と言う俗呼であるが、本来魔法が使えぬ人間族が、創意工夫の末ひとつの技術、技能として使えるようにしたのは、古代魔族が存在した千年前のさらに前。その時開発された人間用の魔法言語を古代語と呼ぶから古代語魔法。こう呼ぶのは、実際に魔法を学問として修める魔導師、魔法使いたちだけで、市井ではイメージから黒魔法と呼ばれてしまう。……魔法そのものを知らぬ者も多い為、そう呼ぶのは魔法を直接知らぬ知識人――つまりは貴族くらいである。

「えぇ、猿よ、猿。大猿。全身金属で出来た、猿の魔導器ね。あぁ、どうやら鎧の一種みたいだから、魔導器だけが勝手に動き回ってるんじゃ無くて、あれを着てる人が中にいるはずだけど……とにかく、見た目だけじゃ無くて、動きまで猿そのもの。野生的過ぎて、あたしたちの足じゃ追い付けないのよ。」

旧男爵領を出てより半月。ダイ・オフの耳に届いた声を追い、アガペー王国のさらに北の森で、まずそいつと遭遇した。今回はどこかの遺跡に安置されておらず、すでに誰かが装着、起動してしまった為か、そいつは大きな樹の上にいた。

「結局、斬り付けられたのは最初に出遭った時だけだな。見付けた時にゃあ、向こうから襲って来やがったからな。そん時ぁ声はしなかったし、一瞬新種のモンスターかとも思っちまったから、様子見で軽く脇を薙いでやっただけだが、それですっかり警戒しちまったみてぇだ。それ以来、見付けても逃げるばかりで、どうにも手詰まりだぜ。」

「そうですか。……それでも、声、が聞こえるんですよね。でしたら、そのまま追跡出来無いのですか?」

その疑問には、碧い瞳が答えた。

「そもそも、誰かの手に渡った時点で、声は聞こえなくなるはずだ。ダイナスでは、エンジエルの兄が遺産を手にした事で、声が途切れている。」

「あぁ、なるほど。そう言うえばそう言う話でしたね。……ん?でしたら、むしろ何故声が聞こえるのでしょう。」

「……あくまで、状況からの推測に過ぎないが、遺産自体がダイ・オフに呼び掛けているんじゃないか。」

「遺産自ら……ですか?」

「デッド・エンドがそうだった。目覚めてすぐ、自らは動けず助けを求めてな。今回の遺産は、こちらに気付いた後声が途絶える。しかし、しばらくすると、また声が聞こえ出すそうだ。そこに、ふたつの意思を感じる。ひとつは遺産のもの。ひとつは、多分装着者のもの。」

話しながら、デュースに促されて一行は歩き始めた。イリアスはまだ司祭寮で過ごしていて、デュースたちは隣接する一般教徒用の宿泊所に間借りしている。

「あの様子からすると、装着者が遺産を使いこなしているとはとても思えない。意識が混濁しているのか、暴走なのか。装着者の意識がはっきりしている、乃至暴走状態で遺産を支配下に置いている時には声は聞こえず、落ち着くなり意識を失うなりした時に、遺産が助けを求めて声を上げる。それで声が聞こえたり聞こえなかったりしているんじゃないかと考えている。」

その周期は一定では無く、次に聞こえた時にはかなり場所も移動している。追跡を開始した後、声が途切れる事もある。広範囲に亘って追跡を敢行するも、何度も空振りに終わり、追い詰めても先のように逃げられてしまう。

「助かるわ、イリアス。たまたまだけど、丁度アガペー王国の周りをあっちこっち逃げてるみたいなのよ、あの猿。ここを拠点に出来て、本当に助かったわ。」

「いえ、そんな。旧男爵領では大変お世話になりました。お役に立てたなら、こちらこそ嬉しい限りですよ。」

本当に嬉しかった。ボードウィンの家を出てから、先の件を押し付けに来られるまで、ボードウィン家とは完全に縁が切れていた。アガペー教会で多くの方々に親切にして貰うも、自らの性格も祟って特に親しくなれた友人知人は出来無かった。……若くして司祭となってからは、少なからずやっかみの対象にもなった。

命を懸けた異常な状況を共に過ごした――一方的な思い込みかも知れないが――仲間とも思える人たちが、自分を訪ねて来てくれたのだ。大した手伝いは出来ずとも、その役に立てたのだ。

自分の人生と言う名の舞台であってさえ、私は脇役なのだと思っていたのに、まるで主役を務める人たちと一緒にスポットライトを浴びたようで……今イリアスは、聖堂騎士見習いとなった事も含めて、三十年弱生きて来て一番世界が輝いて見えた。

そして、彼らとの出逢い、あの旧男爵領での事件が、平凡な人生の終焉。波乱万丈な人生の始まりであった事を、イリアスは思い知って行く事になるのだった。

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